tag:blogger.com,1999:blog-551045273794188212024-03-06T03:53:50.202+09:00猫の鬱 村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comBlogger2405125tag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-5034284301961048972023-08-03T05:59:00.001+09:002023-08-03T06:02:01.485+09:00未来は X <p> あれよあれよという間に、Twitter の青い鳥は飛んで行った。居なくなってから幸せだったことに気付くのは世の常か。すぐに用意された X は、わざわざダークにして目に焼きつく光害の X。読みが面倒で、倫理もへったくれもない。早々に立ち去ることを決めた。付き合ってられない。<br /><br />2009年より、14年間 運用していたSNS『Twitter』が『X』に変わることを受け、アカウントを削除しました。村田の個人アカウント、詩の教室『詩から』のアカウント、どちらも削除しています。<br />そして、他の SNS を並行運用する分散型へ移行しました。<br />下記、3点の SNS をフォローください!<br />同じでもなく、違ってもいない・・発露を営む時代に突入します。<br />『詩から』は、ブログをはじめることを検討しています!<br /><br />なんて大袈裟な…と思うかもしれない。いやでも真剣に指先で呟いていた+る+く んだよ。<br /><br /><a href="https://mstdn.jp/@murajin79">https://mstdn.jp/@murajin79</a><br /><br /><a href="https://www.threads.net/@murajin">https://www.threads.net/@murajin</a><br /><br /><a href="https://bsky.app/profile/murajin.bsky.social">https://bsky.app/profile/murajin.bsky.social</a></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEieQeFzqxdb9ieNBFmmMKehuj5ZdCMmYMWbQXpc98xPGFXkQJcUUDNP0OEQSzTCnVlxTACGqfneTe5PhlrypvbCED2lXtoZcjPNbH6hC1TvxxfiOEWrsXv_fc7OSbqqcNkMCNVWonDaX8lnnXVhzqPgVVLGch3INj0QPmP45TVTYYqCUNVbxGAHgAqbrIQ/s1186/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88-2023-07-24-21.37.47.png" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="734" data-original-width="1186" height="198" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEieQeFzqxdb9ieNBFmmMKehuj5ZdCMmYMWbQXpc98xPGFXkQJcUUDNP0OEQSzTCnVlxTACGqfneTe5PhlrypvbCED2lXtoZcjPNbH6hC1TvxxfiOEWrsXv_fc7OSbqqcNkMCNVWonDaX8lnnXVhzqPgVVLGch3INj0QPmP45TVTYYqCUNVbxGAHgAqbrIQ/w320-h198/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88-2023-07-24-21.37.47.png" width="320" /></a></div><br /><p><br /></p><p><br /></p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-15628829539479125072023-03-07T05:06:00.006+09:002023-03-07T05:06:33.359+09:00Tの肖像<p>岡田 徹『Tの肖像』2016年 を聴く。「さよならは夜明けの夢に」は、さらっと、しっとりと歌われていて素敵だ。自然に言葉と声がつづく。このアルバムは一曲目の さぁはじまるぞ!というのが楽しい。悲しいことばかりだね と始まる鈴木慶一 詞!</p><p>Mr, Toru Okada [Portrait of T] 2016. He singing so soft [Goodbye in dream of daybreak]. This album is 1st song so fun. Lyrics by Keiichi Suzuki!</p><p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=sfiIXOtoJcY">https://www.youtube.com/watch?v=sfiIXOtoJcY</a> </p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-63974251115237200902022-10-19T05:25:00.001+09:002022-10-19T05:26:23.938+09:00さよならテレビ<p>二日前(10/17)に、名古屋大学の「日本を表象する」特別授業 にて、『さよならテレビ』上映会へ。阿武野勝彦プロデューサーの話もあり、面白かった。テレビ的なるものを脱するわけではなく『こんにちは You Tube』にはならない。という意識を見た。<br /><br />鼻息荒い質問をしてしまったが、阿武野さんは答えてくださった。<br />それから、ずっと考えていて、Twitter にもそれを書いていた。<br />このブログにも残そうと思い、コピペをしたが、Twitter 用に一言ずつ放っているものと、文章は別なので、改めてまとめようとするが、思考は先に進む。ひとまず、Twitter のリンクも載せる。<br />*</p><p>ドキュメンタリー映画は、実際にあるものを撮るしかできないので、それを具体的に提示して話す。だから理解しやすい。それは "つきつけられている"。<br />しかしその原動力は言葉である。<br />形而上的なものを、言葉だけで提示しきろうとするものが文筆であり、私にとっては「詩」ならば、映像と行き来するものがある。<br />言葉は文字や声、何らかの姿を経て人に届くからだ。<br />スピリチュアルなものだけが儚いのは、届くだろうと信じきって甘えてしまって、表現の力が弱いのだ。信じなければ表現できないが、甘えてはいけない。何によってその表現が裏打ちされていくかを理解しなければいけない。ドキュメンタリー映像においては、それは 実際にあるものをつきつけることであり、現物に即して語ることである。現物を映した像から放たれる言葉をそのまま放つに任せることが表現である。<br />詩は言葉そのものが文字となり、声となり、現物になる。何を捉えて見つめるか。形而上的なものも何かしらのモチーフを通して現れる。そこで甘えずに、具体的な言葉を通せるかだ。<br /><br /><a href="https://sayonara-tv.jp/">https://sayonara-tv.jp/</a><br /><br /><a href="https://honto.jp/netstore/pd-book_30968138.html">https://honto.jp/netstore/pd-book_30968138.html</a><br /><br /><a href="https://twitter.com/murajin79/status/1581977217931759617">https://twitter.com/murajin79/status/1581977217931759617</a></p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-21136632378830404032022-08-19T09:57:00.001+09:002022-08-19T09:58:59.187+09:00酒量もクルマもどうでもよくて税収を増やしたいだけ妄想めいた想像。<div>国税庁の酒税担当者は近年の売上低下への施策として、若者の酒離れを改善させるためにアイデアを募集し、前向きな景気回復の機運醸成を演出できれば、取り組んだことには なる。</div><div>この報道のリプライで散々指摘されているが、そもそも不景気なうえに税金が高いので、娯楽や酒を減らすのはむしろ賢い判断で、若者の車離れと嘆くのと似ていて そんな大量消費しなくても満たされてるんだ ほっとけ!と。他の税収や構造的な問題を考えろと。しかしそれは酒税担当部署の範囲外。</div><div><br></div><div>国税庁がキャンペーンはろうとしてて、酒量を増やすためのアイデアを!言ってるのが小賢しい。酒量じゃなくて、税収を増やしたいのが本音で最大の目的。全体の酒量が減っていることが悪いとは思えない。このノリで煙草も吸え!煙草販売からの税収を増やしたい…となる?</div><div><br></div><div>なんで沖縄県だけ含まないんだ!と思ってたら、本土返還から酒税の軽減措置をしていたから除外しているのが理由か。知らなかった。じゃあ、需要喚起として全国軽減措置は?</div><div><br></div><div><a href="https://t.co/ctmrLhBal4">https://t.co/ctmrLhBal4</a></div><div><br></div><div><a href="https://www.jiji.com/sp/article?k=2022081300326&g=soc">https://www.jiji.com/sp/article?k=2022081300326&g=soc</a></div>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-50686266171329747022022-08-18T00:48:00.000+09:002022-08-18T00:48:00.150+09:00気づいたら 2022年にはじめてブログを書いていた。<p> いま、9/3 に行う詩の朗読について、告知文をそのまま投稿したが、気づいたら今年はじめての投稿だった。ちょっと驚いた。そりゃ、Twitter をはじめとした SNS での投稿が中心になっているので、ブログは開かなくなっていたが、ここまで放置していたとは。先の投稿は、昨年の12月。ムーンライダーズのライブ盤を聴いたときの感動をそのまま綴っているものだった。あれから『It's moooonriders』というオリジナルアルバムもリリースされ、その深淵な曲群を味わっている。そのときはブログを開いていない。Twitter で分散的に書いていたものを このブログにまとめてみようか。自動的にそうなっていくようにするのではなく、編集の意識を持つために、自分で再編する。<br /> SNS より、長く、周囲の言動に引っ張られずに、書き綴ることが必要だ。誰にも見せない 紙のノート、誰が読んでいるか怪しいブログ、周知目的でもある SNSも個々に公的な度合いは異なる。いちばん公的な文章を書くところはどこか、退職願か、研究助成のエントリーシートか。眺めたいなと、綴ってみる。<br /></p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-81317019070217039012022-08-18T00:21:00.006+09:002022-08-18T00:21:42.120+09:00I don’t say R.I.P. 追悼を言わない。<p> 私的なところから言葉は起こる。海外の友人が亡くなりました。SNSの画面にはR.I.P(安らかにお眠りくださいの意)が溢れてきた。</p><p>かつて、詩人の友人が自死したときに行われた朗読会に参加しなかったことを思い出す。参加しないと私は述べた。自ら公的なトピックへ流れ込むのはいやだ。やりきれなさは言葉の尾ひれ。「I don’t say R.I.P. 追悼を言わない。」という詩を読みます。<br /><br />2022年 9月3日(土) 20:30〜 入場無料<br />長者町コットンビル 1階ギャラリー<br />企画展 長谷川ひとみ『Dog eat Dog』にて。<br /><br /><a href="https://artfarming.jp">https://artfarming.jp</a><br /></p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-5770163123792851192021-12-15T00:31:00.006+09:002021-12-15T08:42:05.477+09:00聴衆の沈黙が活かすライブ!<p> moonriders 「LIVE 2020 NAKANO SUNPLAZA」CD 2枚組をフライングゲット。タワレコ名古屋近鉄パッセ店が夜9時まで開いてくれていて助かった。電車の中でビニル剥いて、ジャケットをパラパラめくったりする。なんともシンプルなつくり。黄色地に黒色の歌詞が眩しい。「卒業」あるんか。BYG の アルバムは、高校のときだ。美術室で聴いてた。</p><p> そんで帰って、ビール飲みながら iTunes に取り込み、曲名取得したり、アルバムアートワークを webp 形式から jpg に変換して入れたり、いろいろ手間をかける。こんなん、なんでわざわざせにゃいかんのですかという質問が飛んでもおかしくない。結局、スマホで聴くやんって話になる。AIFF の自動設定だと CD 1枚 500MB 超。2枚で 1GB だ。MP3 にして聴き比べたら分かるものなんだろうか。5分の1くらいのデータ量まで減る。あとでやってみよう。ひとまず正座して(してないけど)聴く。内職しながら聴かない。こんなときのためのヘッドフォンだと音量を上げる。ほぼ一年ぶりの CD 経由の iTunes でのリスニング。</p><p> このライブ盤は、2020年 10月31日、中野サンプラザで行われたムーンライダーズの録音なのだが、このときは COVID-19 新型コロナウイルスの感染拡大からの緊急事態宣言が開けたり、また再開しかけたりの合間で、人々は疲弊していた。厳戒態勢で、マスク着用やアルコール消毒必須のなか、歓声は出してはいけなくて、拍手は OK!という状況だった。なので、ライブなんだけど客が黙っている!それは録音などには都合が良い?!という不可思議な空気が立ち込めている。<br> そんな硬直した聴衆をけしかけるようにムーンライダーズの演奏が呻る。勢いがすごい。解放感がある。ちょうど犬の格好をした 6名の首輪は外されたように、マスクが外されたように、噛みつくじゃなく、歌いあげていく。1枚目の「ダイナマイトとクールガイ」で鷲掴みにされ、「悲しいしらせ」は 生きているのか死んでいるのかわからない気持ちをけしかける。ベタだが効く。美しき「ヴァージニティ」。武川雅寛 歌唱の「腐ったリンゴを食う水夫の歌」からの「今すぐ君をぶっとばせ」という、ライブの定番曲を抑えつつも微妙にずらす選曲が楽しい。<br> いつぞや行った 大須の ELLでの ライブのとき、武川雅寛の声が出ていなくて、それを活かす歌唱法を編み出した!と鈴木慶一が熱弁していて「なんて仲が良いんだろう」と感動したことを思い出した。<br> 2枚目は「Kのトランク」ではじまる。I can't live without a rose. のヨーゼフ・ボイスのポスター まだ探すぞ。「夢ギドラ 85'」なんとも誠実な歌だ。白井良明 かっくいい。ラストの演奏への流れも良くて、こないだ「静岡」もここに繋がる名曲だなと思った。そして「工場と微笑」「ニットキャップマン 外伝」は湾岸の風景で繋がっている。ナンマイダと空元気。<br> 高校のときに同級生にカセットテープにダビングした「マニア・マニエラ」とかで布教でかしてて、そのときもらった感想は「空(から)元気」だったっけ。<br> 大学生のときに行ったライブ「月面讃歌」。栄のクワトロで、私のサラリーマンはスーツ姿でクネクネと踊っていた。いまの私くらいの年齢か。「みんな、よく生きてたな」っていう 鈴木慶一の MC がある。はちみつぱいの 88年の解散ライブのときの CDに入ってる。あれ、けっこう高くて久居駅の前のレコード屋で買おうとして所持金が足りなかったことがあった。<br> 「Don't trust anyone over the30.」で最後の曲ですと MC が入る。おおなんて神々しい選曲。無人島に持っていく一枚。電気が無くてもヒールに溜まる涙を想う。ここからのアンコール三昧。ライダーズは粘る粘る。<br> 「帰還〜ただいま〜」九死に一生を得、「スカンピン」はブルーカラーの讃歌で「はい!はい!はい!はい!」というポリティカルメッセージで締める 〜ニュースの中で、嘘ついて、はい!が 2020年に光る。愛することを知らないうちに、はい!と。<br> 一巡し、残響に身を任せたまま、MP3 への変換を行う。ここで私も黙る。<br>うーん、分からない。ゼンハイザーの Bluetooth イヤフォンくらいでは、私には識別できない。将来用にこのディスクは蓄えておく。<br> そしてムーンライダーズは、いま新譜のレコーディングの真っ最中だという。クリスマスにはまたライブもある。COVID-19 は、日本では理由不明に激減しているが まだまだ分からない。徐々に空気は変わる。これは聴衆の沈黙が活かすライブを封じ込めたものだ。またやりますから、ぜひいらしてくださいと優しい声が聴こえる。</p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgajJWUMoysA1Vu3shCrKBQk33zB8bE5Ug2pKlpIDaFCHhFvUiCKDZ0qDsK2PsgYfArnk1GCgpNkFgc8ZH3_ClslCq01w_0BUPjaJ47T7ajZ28H7T4Q-B7Uo1C0GJWrGKh2yzYP0rQcGt54tjiHm7189tozr57Dlu2EWSEuLhCY07YBPihjMOj056Pl=s2383" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1711" data-original-width="2383" height="230" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEgajJWUMoysA1Vu3shCrKBQk33zB8bE5Ug2pKlpIDaFCHhFvUiCKDZ0qDsK2PsgYfArnk1GCgpNkFgc8ZH3_ClslCq01w_0BUPjaJ47T7ajZ28H7T4Q-B7Uo1C0GJWrGKh2yzYP0rQcGt54tjiHm7189tozr57Dlu2EWSEuLhCY07YBPihjMOj056Pl=s320" width="320"></a></div><br>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-10154760503136210102021-10-05T09:25:00.001+09:002021-10-05T09:58:31.869+09:00芸術家の活動と子育てについて #1Anna Bart, a painter working in Bremen, Germany, who co-organized the Japan-Germany international exchange exhibition "ONGAESHI" in 2014-7, She posted the blog of the art project currently participating in 2021 In activities. The title "Parent-child relationship in artist lives" was written.<div>The work of my videopoem "Language with you #3" was posted there!</div><div>When we released the catalog in 2017, I produced a video poem when I went to Germany, and I went through a conversation between parents and children.</div><div>At the beginning of her blog page, Lenka Clayton's work "The Distance I Can Be From My Son (Park)", a child running in the forest and getting smaller, an adult chasing, It is interesting.</div><div>Anna asks about parental leave and grants for freelance artists, and states that she loves spending time with son and some drinks, building trains in the sandbox in the park.</div><div><br></div><div>2014-7年に 日独国際交流展「ONGAESHI」を共に企画した、ドイツ ブレーメンで活動している画家 Anna Bart さんが、現在 2021年に参加されているアートプロジェクトのブログのなかで「アート活動における親子関係」という題を書かれました。</div><div>そこに拙作「君との言語#3」の映像が掲載されました!</div><div>2017年のカタログ発表時に、渡独するタイミングで制作した映像詩で、親子の会話を経ていくものです。</div><div>ブログページ冒頭にある、Lenka Clayton の作品「私と子供がとれる距離」かな、森に走っていって小さくなる子供、追いかける大人、興味深い。</div><div>そして、Anna さんは、フリーのアーティストにおける育児休暇や助成についてを問い、公園で砂場に電車をつくり、飲み物と過ごす時間を愛おしいと記されています。</div><div><br></div><div><a href="https://surprisesurprise.online/issue1/582/">https://surprisesurprise.online/issue1/582/</a><br></div>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-20144161295400985662021-05-07T00:58:00.003+09:002021-05-07T00:59:59.304+09:00緊急事態条項で万事うまくいく特効薬だとするのは改憲派のいつもの手<p>国民投票法の改正が通った。<br />コロナ対策がうまくいかないのは、憲法に私権制限の術が無く、緊急権が無いミス故だという理屈で、改憲して「緊急事態条項」を入れれば万事うまくいくとゴリ押ししてくる。<br /><br />これは 9条改正を進めるより、理解を得やすい 改憲の方法論だと憲法学者の石川健治氏が語っていた。(Choose Life Project 5月3日放送分)<br /><br />ドイツ思想家の藤崎剛人氏は、「『コロナ』危機に乗じた改憲を許すな」とストレートに書いた。政府は「コロナ対策にやる気が無い」と、明快で強いメッセージだった。(Newsweek 5月3日)<br /><br />曲解で改憲が必要と持ってくるあたり、無理矢理ねじ込んでくるくせに、利権団体のために、五輪を開催するために、コロナの件はとにかくスルーしたがっている日本政府。それにあわせて国民側も、スルーして聖火リレーも連休もちゃっかり遊び、政府の思惑どおり。<br />安倍氏が次の 100代目 内閣総理大臣に返ってきて、改憲を成し遂げるというドラマの脚本はとっくにあるんじゃないか。<br />五輪の開催にこぎつけたら、国民は感動して支持率はアップする。「なんだかんだでコロナ禍でも開催してくれて良かった!感動をありがとう。」と騒ぐ影で、罹患してしまう人は 運が悪かったねとされ、医療現場はより苦しむ。そこは知らぬ顔で、緊急事態条項があればうまくいくとしてくる。<br />ブルーインパルスを より多く飛ばされるだけだ。<br />そもそも、人々の健康的で文化的な生活を平等にキープしようとする気が無いだけなんだ。<br />自分たちに投票してくれる団体に返すだけ。それが政治だとしているのだから。<br />選挙で負かして、政権交代をして、拙くなっても、人権なり、生活なりを重視する勢力を強くしないと、ほんとうに殺されそう。<br />何度もここに返ってくるけど、でも選挙に そもそもみんな行かないのだから、そんな国民が決めたことになっているんだから、仕方ないとも言えてしまう。<br />なんで選挙に行かない、行きにくくされているかは極めて巧妙なシステムの調整があるのではないか。だから、今回の国民投票法の改正で、18歳が投票できたところを補強するかたちで、海上での投票も可能にするとか、やたら細かいのではないか。<br />立憲民主党の譲歩要件にある、メディアでの宣伝の制限などが果たされなかったら、高校生向けのキャンペーンが芸能人を使って行われるだろう。<br /></p><p><a href="https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210506/k10013014891000.html" target="_blank">https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210506/k10013014891000.html</a><br /><br /><a href="https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/05/post-8.php" target="_blank">https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/05/post-8.php</a><br /><br /><a href="https://www.youtube.com/watch?v=MEslk3-BjAI" target="_blank"> https://www.youtube.com/watch?v=MEslk3-BjAI</a></p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-60273154663595283502021-05-06T09:33:00.003+09:002021-05-06T09:33:25.037+09:00ゴジラの住む世界と同じ心理で<p> もう無理だとはみんな思っているけど、なんとか大丈夫だろうとも思っている。思っていなければ暮らしていけない心理は、ゴジラが攻めてくるなかでも社交ダンスをしていた人々とそう変わらない。はかなさの美学に酔う暇も無く、何もできないまま地震を待つようだ。</p><p> 止まない雨は無いけれど、日照り続ける晴れも無いかもしれない。お天道様がどうであれ、空の下で人間は枯れたり、水浸しで転覆してしまう。最後は神頼みで世界が終わることを受け入れるようなこの国の癖はとても根深い。生きにくいのは誰のせいだろうか。面倒だと投票に行かず、文句を送りあう小市民のせいだろうか。文句が文句を呼び、何も許せなくなった使命感の足かせか。いろいろ理由をつけて仕事を成さなかった自分のせいか。全部自分のせいにできれば格好良かった。全部人のせいにするのも気楽だった。全ては数え切れない所作で補完しあっていて、目に見えない大きさで引っ張り合った先の均衡が今日なのだろう。</p><p> Wi-Fiネットワークに繋げられないだけで、この文章も先へ進むことになった。担当している専攻の学生たちは、いまは放っておいても書き進められるように見える。何か飲めなくても、一定の距離は走ることができると笑っていた。それが尽きる前に、補給地点なり、走り方のフォームなりを点検していきたい。いまの状態は、ただ泳がせているだけ。楽しい気分はそのうち醒める。</p><p> 文章が社会を変える事例を挙げよう。詩が社会を動かした事件を。そんなものがあると信じているけれど、具体的には何年何月何日なのか。コピーはいつから唱えられた? プレゼンって何で必要なのか。小中高の、見よう見まねの授業で癖がついている。先生の言うことを聞きましょうと。</p><p> 授業準備に追われて何もできないことになりそうだ。解決策を持たないと手詰まりである。小遣い稼ぎの仕事で時間を取られていてはいけない。仕事のカードを作成し、それを貼り出して共有する。ストレスを壁に、それだけで緊張感が適度に漏れる。一年生のうちにその癖を付けさせないといけない。</p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-88904779039776550212021-05-05T09:30:00.000+09:002021-05-06T09:31:50.678+09:00ママがいい<p> 改札で幼児が大泣きしていた。母親が怒りながら抱きかかえる。母親はもう一人、小さな子をおんぶ紐で抱えている。何かで上の子はぐずっているらしく、聞き取れないが、嫌だぁという声が響いていた。</p><p>自分の子、三歳もこういうとき、とても頑固で大変だ。保育園で他の子が大泣きするときに「ママがいい」と言うのをを聞き覚えているので、いつもはママなんて言わず、お母さんと呼んでいるのに、泣くときは「ママがいい」と繰り返す。ママという単語では認識されていないだろう。そして殴り、抓り、蹴っては怒り狂う。スーパーなど店先でやられたときはヘトヘトになる。</p><p> さっきの母子に出くわしたとき、通行人には何ができるか。どうすれば効果的に見守ることができようか。幼児言葉で近づきたくなるけれど、母親に話しかけるのが良いだろう。自分だと、子供を守る警戒心も発生してしまうから。助けられるかどうかはわからないけれど、私は「ママがいい」のママではないというコンセンサスが助かるのではないか。</p><p> とポメラで書いていたら、こないだ 子供は「お母さんがいい」と泣いていた。「ママ」の意味を理解したのか。全体的にアップデートされたのかは不明だ。だが、言葉は大人に聞かれて、体得される。</p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-56024238733446801862021-03-08T15:17:00.000+09:002021-03-08T15:18:11.571+09:00書き出すだけが人生だ「これから書こうと思っている作品は頭の中にあるんで大丈夫です!」と言ってくる大学生の言動を私は信じない。
<br /> 自分がそのようにしたときに何も進ませられなかったことを知っているから。
<br /> 舌が肥えていくように、アニメや映画を観る眼も肥える。本も読んでいると深まるものだと思う。具体的に、目の前に、手に取れるものになっていると、場は動くし、行き交う人間も思考を手にとるのだ。
<br /> 手にとられるかどうか、どのように持ち帰られ、捨てられ、向かうのか。それを意識しないと、表現はできない。好き嫌いで集める消費者のままでいるならば、それはそれで間違いではない。<div> 大学は鼻を折られ、このままではだめだと焦り奮起するための場所なので、良い気分にさせてくれるサロンではないのだ。消費者のままでいくか、生産者になれるか。その言葉を繰り返す。</div>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-16277173293647380282021-03-07T14:59:00.000+09:002021-03-08T14:59:29.288+09:00ポメラニアン四日にて いろんなことが同時に動く。それが見えるのは面白い。
<br /> 集中できる音楽はこれだと教えられ、読んでおこうという本を買い込んだ。三月は見渡したい。次期のために読み書きしたい。いま何が起こっているのか。それをみんな書き出せるか。
<br />Get Things Dan だと口酸っぱく言っていた本は、言うは易し、行うは尋常ではない内容で、旗をあげなければ向かうことはできないけれど、たいへんでたいへんで目が回る。
<br />
<br /> ブルーノ・ムナーリ「木をかこう」のように描きたいと考えていた「本の木」の絵をようやく描いた。紙に描いた絵を基に編集に入る。実際に写すスマホに転送してトリミングする。
<br /> 良い感じな気はする。解像度がもう一段階ほしい気も。
<br />
<br /> 絵を拡大させることにした。最終的な仕上がりで検討するため、iPad で描くことにする。Adobe Fresco を使う。切羽詰まった制作状況でアプリケーションの使い方を覚えるのはいつものこと。
<br />
<br /> ポメラ三日目の論考の輪郭をより深く書き込んでおきたい。日記は日記で、ブログはブログで、ツィートはツィートで良いので、アカデミックライティングもどきもしておきたいのだ。村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-4659473754558801262021-03-06T14:57:00.000+09:002021-03-08T14:59:20.155+09:00三日ポメラさん 積ん読(つんどく)された物質を段ボールに入れた。機械的に左側にあるものから所定の位置に動かすという作業を繰り返し、自室の机をスッキリさせた。ポメラが来て二日目の夜だ。dTV のゴジラも見終わった。ゴジラより俳優を魅せていたが、ゴジラ自体の動力はそういうものかもしれない。
<br /> ゴジラではなくコロナは、愛知県は独自の宣言を出しているし、東京のほうも二週間延ばすという。みんなどんどん、どうでもいいや~となってくる。ゴジラに襲われる世界の人々もそう生きていただろう。戦時中の日本の大半もそうなのではないか。ドラえもんの歴史の漫画を読んでいたときに「疎開」の解説のところで、子供が「どうして都市を中心に爆撃が行われたの?」と聞いてきた。「そのほうが要領が良いからだよ。人が・・(死ぬとか殺すは言いたくないので)・・工場とかが集中しているからね。田舎は少ない。だからだよ。」都市への一点集中だ。
<br /><br />下記を構想する。メモとして。<br />
<br />@危機の集中化<br />@都市だけではない危機<br />@うっせえわ<br />@幼児虐待、カルト化などの事件<br />@取り戻すのではなく、新しくつくるコミュニティ。村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-41088347117670447542021-03-05T09:45:00.015+09:002021-03-05T09:54:11.965+09:00ポメラと連れ添って二日目の朝 昨晩は某リストアップの作業をしながら dTV で「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」からの「ゴジラ・ファイナルウオーズ」を流す。ファイナル・ウォーズの中盤でダウン。人間に擬態した宇宙人が攻めてきているのは旧来のゴジラと同じなのだが、いかんせんミュータントと呼ばれる強化人間が格闘などで戦うところが長すぎる。一体何を見ているのか分からなくなるので、ツッコんで楽しまなければいけない。そもそもゴジラ自体そうでしょうと言われればそうだ。「シン・ゴジラ」も実はそうだった。骨董無形で、馬鹿馬鹿しい子供だましのお話のなかに反原発や自然破壊などのメッセージが分かりやすくお説教めいて提示されるゴジラには安心感がある。これがエンタメか。<br /> 岡田斗司夫が、ゴジラは太平洋戦争の英霊がお盆に帰ってくるお化けのようなものと語っていた。台風や地震のように、日本人の精神的風土に根付くゴジラ。うまく組み立てられている。 <br /><br /> 話すようにタイピング。ポメラの定位置、姿勢を意識する。とにかく書いてみる。<br /> 考えていることを全て書き出せと言われて、気持ち悪いと話すか、書きたいことはみんな頭の中にあるんで~と言うか。
とにかく今日は「メイゲイ・ブックツリー」の絵を描いて完成させる。そのために部屋で仕事ができるようにする。<br /> ポメラに手を出してしまった。村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-80200702852268717092021-03-04T16:10:00.011+09:002021-03-05T11:43:15.274+09:00ポメラ礼賛<div><span style="color: #070707; font-family: inherit;"><span style="white-space: pre-wrap;"> また</span><span style="white-space: pre-wrap;">三月になってしまった。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;">諸々停滞してしまっていることを揺り動かしたく、ポメラDM200 を中古で買った。これを定価で買う者は猛者だと意識する。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 中学校のときに文豪ミニが流行って、父親が購入していて、自分もいじっていた。一ドットずつ十字キーで置いていく描画機能でストⅡのケンの絵を描いたりして遊んだ。保存は 3.5インチフロッピーだった。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;">それを思い出す。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 重い図体で、印刷はほとんど感熱紙でやっていたそれ。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;">ワードプロセッサーだ。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 言葉だけに向かうために、読み切れない有象無象をポメラで薄めるしかない。一生分のワープロを購入したという音楽評論家の片山杜秀氏の件を新聞で読んだ。後日、同じ紙の記者もその記事に言及していた。文章を書くことと、編集をすることは別だと捉える人の強い意志が、ポメラを生き延びさせ、自らを生き返らせるようだ。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 今日はどれくらい電池が持つかを、出勤して試す。行きの車内はマスク率九十パーセント。黒地に白の明朝体で縦書きで滑っていくポメラ。キータッチの音は Bluetooth イヤフォンを付けている私には聞こえない。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 慣れないのは右上の Delete キー。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;">iPad の癖で、画面をタッチしてしまうこと。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"><br /></span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> スタバで席に着くとき、コーヒーを思いっきり溢した。ひとくちもつけていなかった。店員さんは気にしないでくださいと布巾を持ってきてくれた。これからお仕事ですか?とも。一時間で出るんですゴニョゴニョと、ポメラでドヤろうとしていましたなど言えない。どこかでマニュアルがあると意識した卑怯な自分。十分後には何もなかったように芝居は再開されると。そんな映画があった。「トゥルーマン・ショー」。現実はビルから落ちる瞬間も、火事で空から灰が降ることも、コーヒーがひっくり返り、スプリングラテが飛び散ることも、遅れている提出物も、調べきれなかった資料も、残り時間も、みんなカットされない。中学生のとき、口づけをしたあとのカップルはどんな風に唇を離すのか見たことがなかった。おそらくその疑問はどんどん回収されていく。疑問を出すこが大切だという話になる。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 私がハンカチすら持っていないことをスタバの店員さんは知った。そして何もできずにオロオロしている子供のようで消費者の甘えに三百八十円を支払っていたことも。コーヒーもう一杯を入れてきてくれた。すみません。サービス以上か、以下かで、語られるとき、私は追加で購入するのが筋なのか。この国にはチップが無いのだから、チップを設けるしかない。人々の感謝が対価として現れるしかない規則ならば、そうなる。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> またこの店を利用させていただきますと向かう。ここで超えていく方法を私は持てるか。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 店員さんが「小さいテーブルですので」と言った。落ち度を設けて、こちらの落ち度を楽にしてあげるのは優しさなのか。消費者の気分を損ねないようにするマニュアルにも思えて少し怖くなる。</span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"><br /></span></span></div><div><span><span style="color: #070707; font-family: inherit; white-space: pre-wrap;"> 帰宅し、前の持ち主が貼っていた画面フィルムを剥がす。気泡は入っていないけれど、切り口が歪んでいるのは気になる。新品の画面があらわれた。なるだけ、気になる要素を減らしたい。それだけ。気になることが多すぎた。だからコーヒーをこぼす。コールバックにも出ない。何度もスマホを覗いてしまう。もう気にしない。目の前の文章に集中する。夕方四時、電池残量 79パーセント。悪くない。使い込んだら変わるだろうか。でも悪くない。</span></span></div><div><span style="color: #070707; font-family: inherit;"><br /></span></div><div><span style="color: #070707;"><a href="https://www.kingjim.co.jp/pomera/dm200/" style="font-family: inherit;">https://www.kingjim.co.jp/pomera/dm200/</a><br /><br /><a href="https://www.asahi.com/articles/DA3S14780086.html">https://www.asahi.com/articles/DA3S14780086.html</a></span></div>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-72023048089650185792020-09-03T03:47:00.005+09:002020-09-03T03:47:59.999+09:00Since September.<p><span style="font-family: "Roboto Slab", serif; font-size: 16px;">変な時間に起きて、いま これを書いている。<br /></span><span style="font-family: "Roboto Slab", serif; font-size: 16px;"><br />詩の遠隔教室「アワー・ポエム」をはじめると宣言してから、半年くらい経った。<br />いま生きている人間は「スペン風邪」の経験なんてないから、COVID-19(つまり新型コロナウイルス)の感染拡大が起こっている、つまり「パンデミック」が世界を襲うこの状況は、本当に誰もが初めてで、担当している授業の中では紹介したけれど、SF 小説家でもない限り、想像していなかった。逆に言えば、SF 小説家は想像していた!* 何回も我ながら、回りくどいねこの文章。</span></p><p style="box-sizing: border-box; font-family: "Roboto Slab", serif; font-size: 16px;">「アワー・ポエム」は手探りだ。<br />いや、パンデミックに対応するための新しい生活様式そのものが全て、手探りだぜ? と進められれば、それは世界的な議題だ、もちろん、近頃は常にそこへたどり着く。<br /><br />手探りで至らないところがあり・・と、言い訳は置いておく。<br style="box-sizing: border-box;" />起き抜けにこうやって記しておかなければ!と考えたのは、回りくどくなく(なくなくなく)書くと<br />「案ずるより、語れば易し」だ。<br style="box-sizing: border-box;" />あれ。<br style="box-sizing: border-box;" /> 分かっている人間どうしだから、と言えるのは幸せなことかもしれない。いや、人間はそもそも他者であり、何も分かり合えないので、こうして用いている言葉すら危うい約束にすぎないと言いきるのも格好をつけすぎな気はする。どこかで期待しながら言葉 を投げている。<br style="box-sizing: border-box;" /></p><p style="box-sizing: border-box; font-family: "Roboto Slab", serif; font-size: 16px;">COVID-19 は、私たちを未来へ押し出した。<br />未来へ押し出されて、秋まで何もできなかった。<br />半年間の充電?・・そもそも、本質的にギリギリの自転車操業が、合法的に脱線したわけだ。<br /><br />アワー・ポエムは気に入っているタイトルです。<br /><br /></p><p style="box-sizing: border-box; font-family: "Roboto Slab", serif; font-size: 16px;">* SF 作家が語る「パンデミック」SF 世界会議 → <a href="https://www.youtube.com/watch?v=mVVzL9iTpJQ">https://www.youtube.com/watch?v=mVVzL9iTpJQ</a></p>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-45809079666451132452019-08-06T23:18:00.000+09:002019-08-06T23:21:59.439+09:00ヤプログ!の終了<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
このブログも放置になっているが、もっと放置していたのは以前のブログで、消去はしていなかった。</div>
そのブログサービスは「ヤプログ!」というやつで、中川翔子のブログで人気となっていたサービスだ。2000年代初頭、iMac DV で、ISDN 接続し、せこせこと書いていた。小松亮一氏との詩の朗読、ブルーマヨネーズや、有馬かおるさんが運営されていた 犬山キワマリ荘に通っては展覧会をしていた頃、自分の、日記と詩の間を浮遊するブログが漂っていた。来年の1月末に全て消されるらしい。<br />
データとしてのエクスポートや、製本サービスも充実していたので、早々にダウンロードを行ってみた。<br />製本もしたいけれど、頁数オーバーで一冊にまとめられないとエラーが返ってくる。PDF を刷るのは大変だ。もう少しあとですることにして、最近は Twitter 中心で、短文ばかりでストレス発散しているなぁと思う。ブログのように、長さを気にせず書くことは大事だろう。なんて月並みな提言を自分に返す。<br />
最初の日記は、2000年の12月4日(月)だった。<br />
猫の鬱はいくつだったのだろう。2才で、自分は 21であった。40過ぎなんて本当に Dont'trust なんちゃらの先にあって、まぁ、楽しく生きさせてもらっている感謝はあるものの、第一詩集は「猫の鬱」という題にすることは宣言している。<br />
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<a href="https://yaplog.jp/jinm/">https://yaplog.jp/jinm/</a><br />
<br />
<div style="text-align: left;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhku2EW4sUinmOlivql9uhoAIFw0l1BTpnyTAqRlUUyDDNzJKe80Z86jXpVHa629xkuy_oYnRvvXlQRfB8CcUAJDF0DXa6A7lTXnVfckMgiwtxeOEfPLwLypF4-Dz53Ab-q46DQSPAeqOc/s1600/yaplog_%25E7%258C%25AB%25E3%2581%25AE%25E9%25AC%25B1%25EF%25BC%25882002%25E5%25B9%25B412%25E6%259C%25884%25E6%2597%25A5%25EF%25BC%2589.png" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="925" data-original-width="1600" height="185" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhku2EW4sUinmOlivql9uhoAIFw0l1BTpnyTAqRlUUyDDNzJKe80Z86jXpVHa629xkuy_oYnRvvXlQRfB8CcUAJDF0DXa6A7lTXnVfckMgiwtxeOEfPLwLypF4-Dz53Ab-q46DQSPAeqOc/s320/yaplog_%25E7%258C%25AB%25E3%2581%25AE%25E9%25AC%25B1%25EF%25BC%25882002%25E5%25B9%25B412%25E6%259C%25884%25E6%2597%25A5%25EF%25BC%2589.png" width="320" /></a></div>
<br />村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-85071353367721578172019-01-16T14:21:00.004+09:002019-01-16T14:22:52.425+09:00バレットジャーナル覚え書き昨年の11月から「バレットジャーナル」なるものを試している。もともと、手帳術や、仕事術、ライフハックの類が好きで、読み漁っていた。<br />
「バレットジャーナル」は「LEUCHTTURM 1917」に向いているとよく紹介されていて、偶然にもモレスキンのドイツ版だと私は騒いでいたから、頁にノンブルが付いていることとか、目次頁が最初から用意されているなどの要素がうってつけなのはすぐ理解できた。<br />
同時に、こうも推奨されている使い方をやっていいものかという天邪鬼な気持ちも沸き起こっており、お洒落な雰囲気にたじろぐ気分もあって、積極的に行おうとは思っていなかった。<br />
「スケジュールをつくるためのスケジュールが必要」というのは、よくぶつかる壁だろう。「バレットジャーナル」の紹介でよく出てくる規則は、どうもそういった面倒くささもつきまとう。<br />
システム手帳が好きになれない気持ちと似ていた。<br />
<br />
誰かが紹介ブログに書いていた「自分流にアレンジしてしまえるところがバレットジャーナルの魅力」という一文により、背中を押された。<br />
マスキングテープを貼ったり、蛍光ペンやイラストを描きこむようなことは一切しない。<br />
目次と、フューチャーログ、マンスリーログ、デイリーログ(基本的なバレットのマークにに「目のマークの注目」を追加のみ。)、見た映画リスト、緊急連絡時メモ、それに状況に合わせての勝手な使い方。手帳の紙自体は無地にする。応用だらけ。<br />
<br />
メルカリで A5サイズの「LEUCHTTURM 1917」 無地タイプを購入。店舗より千円くらい安かったのと、真っ赤な表紙に惹かれた。<br />
騙されたと思って二ヶ月くらいと試している。<br />
<br />
良いなと思うのは、<br />
・バレット自体は縦に並べたほうが、デイリーログで進捗を見渡しやすい。<br />
・バッテリーも気にせず、すぐに過去のメモを見渡せるところ(これは手帳の良さか)<br />
・「LEUCHTTURM 1917」自体の魅力は色褪せない。<br />
<br />
バッドポイントは、<br />
・A5サイズは大きいが、重く、持ち運びに不便。<br />
より持ち運びに向いているスモールサイズか、紙は大きくて軽いB5ノートでもよかったかも。<br />
・この「LEUCHTTURM 1917」はブックマークが1本のみのつくりなので、それが少し残念。<br />
<br />
くらいである。<br />
覚え書きをしておく。<br />
スケジュール管理は Googleカレンダー に覚えさせているので、バレットジャーナルは思考のためなのだと、このブログを書いて意識する。それは何だ?<br /><br /><a href="http://bujo-seikatsu.com/2017/07/28/getting-started/">http://bujo-seikatsu.com/2017/07/28/getting-started/</a>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-31971095731320743102019-01-14T00:54:00.005+09:002019-01-14T00:54:56.552+09:00猫の鬱 19歳<br />
<div class="separator" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;">
<img border="0" data-original-height="1229" data-original-width="1230" height="319" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhhzyn4TSykNax9hXDgK_OA098pjQ_ErKehCtndHG0cVo_gqyJp_YypmzXo0T0ik4RNSd18kSf9YtkscMvMADoOPwKI8p8EVaardK92KJL0soBMiKQGpfvRm8f9Jtil1jDlF_IhbKFaHPc/s320/nekonoutu.jpg" width="320" /></div>
<br />
ゆっくり眠れる幸せが、掛け替えの無いものだと猫の鬱を見て思った。<br />
四分で力尽きた詩の朗読を日中に聞き返そう。<br />
<br />
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=0s6VQmdCmlQ&fbclid=IwAR2dmdNHK3gpFSzGOzW6TQEqvsRI3YMKIQft8XvCbG--RhqsFVqLEtpuF7s">https://www.youtube.com/watch?v=0s6VQmdCmlQ&fbclid=IwAR2dmdNHK3gpFSzGOzW6TQEqvsRI3YMKIQft8XvCbG--RhqsFVqLEtpuF7s</a><br />
<br />村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-15456354505072639922019-01-08T10:48:00.000+09:002019-01-08T10:49:29.466+09:00平成最後だと騒ぐ文言には呆れたい新年の挨拶を躊躇ってしまうくらい、年始の感触が薄い。<br />
それは催事を全く体験せず、自業自得なのだが大晦日に発熱し、元日の休日診療所でインフルA と診断されたからで、隔離されての孤独な正月と年始の日々だった。いや本当に孤独だったなら、治療すらままならず、のたれ死んでいただろう。ドヤ街の映像をこういうときに多く見てしまい、天涯孤独なんてもんじゃないと嫌な心理になる。上には上がいると見るとき、下には下がいると。<br />
しかし体験の時間をやり直すには幾らかの演出が必要だろう。もっと冷静に語るべきは、猫の鬱が、そうこのブログのタイトルである猫の鬱が、五日ほどの失踪を経て、近所で保護されていて、年末に電話連絡が入り、保護されていて無事に帰還してきたことを。もっとも賛辞しなければいけないのだとは思う。<br />
賀状には「さよなら猫の鬱」と名付けられそうな絵を描いていた。<br />
それも含めて、やり直す時間を設けないといけない。<br />
自分でも思ったより形式的なものを信じているようだ。<br />
SNS ひとつの区切りなど、何の意味もなかろうに。<br /><br />flexible は Netflix と見た目も似て。村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-78881119389603042092018-12-21T05:34:00.002+09:002018-12-21T05:41:07.290+09:00年末進行ああああああ<br /><br />三回のタイプ。<br />諸々、背負いこんで 2018年が終わる。「現代の民話」は、講師の私の詩がいちばん弱かった。民話要素が少ないと自分で評した。<br />宿題という言葉は面白い。<br />持ち帰って、眠りを共にするテーマ「お題」なのだ。<br />眠って朝になったとき、(「いつでも起きればそこが朝」と私は自詩に書いていた)<br />手紙が試される。<br />
メールはもう返ってこないが、手紙は書き換えられるだろう。<br /><br />生々しい言葉があるはずなのに<br />そのまま言うと醒めてしまうのだ。<br />
わざわざ「詩」にしたり「民話」にしたり。<br />話し合えるならば、泣きあえるならば書く必要は無いのだ。<br />ゴッホの手紙、小林秀雄を読みたい年末年始。<br /><br />あああ<br /><br />三回のタイプ。<br />画業 40年と銘打つ、もうすぐ日が明けて、試される。<br />よりフレキシブルな 2019年にする所存。村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-66993421266667717942018-11-06T06:27:00.002+09:002018-11-06T06:27:50.871+09:00詩からストリーム 11月第一週分 録音配信を行いました。 Freed<br />
村田 仁
<br />
<div style="color: #1d2129; font-family: inherit; font-size: 14px; margin-bottom: 6px;">
赤信号<br />
みんなで渡れば<br />
怖くない<br />
この人<br />
失敗したんじゃないの<br />
赤信号を<br />
ひとりで渡るより<br />
国境なきたけし軍団だ<br />
みんなで行けよ<br />
BEAT TAKESHI KITANO は<br />
赤信号を<br />
ひとりで渡る馬鹿を<br />
笑わない<br />
井出もつまみも板前も<br />
東もダンカンも義太夫も<br />
バカヤローは愛の言葉<br />
パール兄弟は大阪まわる<br />
姉さん!</div>
<div style="color: #1d2129; font-family: inherit; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
夜よ収まれ。降りるべき肌に、友だちが通り過ぎる廊下に。みんなオムツのセットをぶら下げていた。ある者は学生服のまま、ある者は寝巻きでコップ酒でも似合いそうな老け顔で。夜よ。窓に降りて眠れますよう。</div>
<div style="color: #1d2129; font-family: inherit; font-size: 14px; margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
親子で檻に入って眠ると、動物園みたいに見えるかもね。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div style="margin-bottom: 6px; margin-top: 6px;">
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">ラクテックG 見る。</span></span><br />
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">いろいろ考えそうになるが、「いま ここにいる」のは変わらない。</span></span><br />
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">廊下を過ぎる。</span></span><br />
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">抱き止めている。</span></span><br />
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">空気を抜く、何かを飲み、壁紙の子犬を数える。</span></span><br />
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">Beautiful name のために「お前はアウト」と名指ししないで、</span></span><br />
<span style="color: #1d2129; font-family: inherit;"><span style="font-size: 14px;">微笑み返して。</span></span><br />
<br />
<span style="color: #1d2129; font-family: , , , , sans-serif;"><span style="font-size: 14px;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=RHkv7IAOidg&fbclid=IwAR1qjADK5CNNvCSfHw6WQFD_q1Vhqo8_TNgLygsUq6CRySGY1E_UT2mc_Ac">https://www.youtube.com/watch?v=RHkv7IAOidg&fbclid=IwAR1qjADK5CNNvCSfHw6WQFD_q1Vhqo8_TNgLygsUq6CRySGY1E_UT2mc_Ac</a></span></span><span style="color: #1d2129; font-family: , , , , sans-serif;"><span style="font-size: 14px;"><br /></span></span></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiIoDS3fdszfFhkBE5iHgo31KPd1k_jscDL4T7GciOgxehJENMuJoC0dqJROTMz1WJVs_nBc26JdYt60Dw-erjA-9_i00lyxPwpSjdzNaFmbcQzJUTb5SVKE-G1PrO-iSJrbwW6UiihQgY/s1600/freed_%25E3%2581%258F%25E3%2582%258B%25E3%2581%258F%25E3%2582%258B.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" data-original-height="1038" data-original-width="1027" height="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiIoDS3fdszfFhkBE5iHgo31KPd1k_jscDL4T7GciOgxehJENMuJoC0dqJROTMz1WJVs_nBc26JdYt60Dw-erjA-9_i00lyxPwpSjdzNaFmbcQzJUTb5SVKE-G1PrO-iSJrbwW6UiihQgY/s400/freed_%25E3%2581%258F%25E3%2582%258B%25E3%2581%258F%25E3%2582%258B.png" width="395" /></a></div>
村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-91105461043438171612018-11-02T14:48:00.001+09:002018-11-02T14:49:31.170+09:00図書館の森で迷子を楽しむ を 振り返って<p dir="ltr"><b>“図書館の森で迷子を楽しむ” を振り返って   村田 仁</b></p>
<p dir="ltr">去る 2018年10月6日(土)に、名古屋市鶴舞中央図書館で詩作ワークショップ「図書館の森で迷子を楽しむ」を開催させて頂いた。<br>
 これは、以前より東海地方各所で詩の教室や、詩を作る催しを手がけている詩人 村田 仁という筆者が参加しているもので、鶴舞中央図書館の「秋の読書イベント」のなかで企画された。<br>
 講師紹介の前に、司書の石谷さんが「迷うことの意義」を話してくださった。「今日(こんにち)の社会は、何でも効率よくスマートに調べたり、見つけることが重要視されているが、迷うということは重要であり、そこに豊かさがある」という趣旨であった。そのお話がとても素敵で、迷わずにまっすぐ入ってきたからか、村田はしどろもどろに「何を言えばいいか迷っています」と断れば、スマートだったかもしれない。</p>
<p dir="ltr">今回のために刷ったオリジナル原稿用紙を配布した。十四行ある。ここに三冊の本から言葉を引用し、それを基に推敲してもらう流れである。解説や詩作、完成後の朗読発表は図書館の一室で行うが、本を探しに行く時間は、実際に参加者の方々が図書館の本棚へ出てもらう。<br>
 その三冊は指定されている。まずは「自分が読んだことのある一冊」、シンプルだが自分を森の中から見つけることは楽しい。ワークショップ会場に置かせて頂いた「村田のおすすめ十冊」が実際に集められ、その書籍が並んでいるのを見たとき、自分の本棚が、頭の中が具現化されているようで、更にそれを客観的に見ることができて新鮮であった。図書館の本に限らず、本は公共物であると認識した。<br>
 詩作のための二冊目は「NDCルーレットで当たった本棚から選ぶ一冊」になる。図書館の蔵書を分類している「NDC(日本十進分類法)」の区分コードが印刷されているルーレットが NDCルーレットである。参加者自身でこれを手で回し、当たった NDC番号の棚へ移動し、そこから一冊を選ぶのである。これにより、普段まったく訪れないような森の一角へ向かうことになる。「112 自然哲学」「384 社会家族生活の習俗」「789 武術」「933 小説(英米文学)」「絵本」など、鶴舞中央図書館の区分けに従ってルーレットの目がある。森の豊かさに触れるとともに、自身の言葉の範囲を超えられるかもしれない機会を狙った。<br>
 三冊目は、図書館の森を行き交うなかで見かけた本を手にとってもらう「読んだことはないけれど、惹かれる一冊」である。聴いていないけれど、レコードのジャケットが気に入ったから購入する「ジャケ買い」のように選んでもらう。<br>
 三十分ほどの迷子時間を経て、詩作の机に三冊を持ち寄る。実際に本を開き、そこから文字を、本から感じられる要素を詩に引用するのである。<br>
 一冊一行という決まりは無いので、推敲のなかで偏りが出てくるかもしれないが、三冊の引用が一遍の詩のなかで影響しあうことによって生まれた変化ならば、それは創造であると考える。<br>
 集まった三冊はどれもその方の心を表していた。NDCルーレットのような拘束があっても「詩を書く」という目的の前には、ひとつの選びあげた意志が発生した。何も迷っていない感じを受けたのはそのためである。もっと本棚の上からいくつ目の何ページから引用することや、早く頁をめくり指を挟んだところから引用するくらいに、強引に迷子へ引き込んでもいいのかもしれないと私は会の後半に思っていた。<br>
 詩を深めるうえで重要なプロセスである「言葉を探し続けて迷うこと」を楽しくする仕掛けを、もっと提案していきたい。終了後、参加者の方から「本当に迷いました(笑)」といった感想メールが届いていて嬉しかった。「私の人生はいつも迷子のようなもの・・」という感情の揺さぶりも冗談交じりに伝えてくれた方もみえた。</p>
<p dir="ltr"> 詩は行為である。<br>
 混沌とした豊かな森は、時々あまりにも言葉が生い茂って鬱蒼とした暗がりのようだが、その森を開く行為である。<br>
書き手自身が光を照らす、射し込むための詩作である。<br>
 三冊によって照らされた心は、詩になり、それぞれ自分自身の声で読みあげられた。宮沢賢治が雨にもマケズにお弁当のレシピをつくったり、シュレーディンガーの猫が山頭火と呼び合った。引用から浸透しはじめ、ひとつの詩になって一体化していた。</p>
<p dir="ltr">*</p>
<p dir="ltr">最後に、実際の参加者の方が迷子から得た三冊と、その詩を紹介してこの振り返りを終えたいと思います。<br>
ありがとうございました。</p>
<p dir="ltr">*</p>
<p dir="ltr">三冊と、そこからの引用(芝山愛子さんのワークシートより)<br>
『マアジナル』<br>
→ 法則性はあるように見えて無い<br>
『人は何を旅してきたか』<br>
→ 景色は不思議なほど透明だった<br>
『芸術療法入門』<br>
→ 詩的コミュニケーション</p>
<p dir="ltr">*</p>
<p dir="ltr"> 詩的コミュニケーション<br>
             芝山愛子</p>
<p dir="ltr">法則性はあるように見えて無い<br>
日常と革命<br>
知と愛の沈黙<br>
理性と狂気<br>
あまりにかけ離れてしまった世界を<br>
結び合わせる糸<br>
表現は言葉によらない<br>
心をなるべく傷つけないように<br>
外へ押し出した<br>
結果的に創造は完成しないかもしれない<br>
だけど<br>
ある朝、<br>
景色は不思議なほど透明だった。</p>
<p dir="ltr">*</p>
<p dir="ltr"><a href="http://jinmurata.jpn.org/archives/830">http://jinmurata.jpn.org/archives/830</a><br></p>
村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-55104527379418821.post-72492200382286207252018-07-07T23:30:00.000+09:002018-07-08T01:03:06.936+09:00一人万引き家族このブログは、ずっと更新しておらず放置されていた。<br />
先日「Markdown 記法」というものを一人で勉強したので、それを実行するために、自慢げに書いたことで、再開した。
<br />
かなり経っている気もする。
<br />
そもそも、Markdown のような装飾的な記述は行ってこなかったブログであった。<br />
<br />
日付を見ればすぐに分かる。<br />
2016年は3つ、2017年は1つのエントリーしかない。
2011年は365日で、少しずつ減っていく。<br />
グラフにできれば、比例して SNS、特に <br />
Twitter への投稿が増えているのだろうと思う。
本題はこれじゃない。
<br />
<br />
これもまた久々に映画館に行った。<br />
昨年「アウトレイジ最終章」(北野武 / 2017) を画家の新谷さんと見に行って以来だ。帰国のタイミングでデートをしていたのだ。<br />
その前は元彼女と入れ替わり制で見た「シン・ゴジラ」(庵野秀明 / 2016)だから、一年ずつ映画館に行っているという体たらくである。
<br />
特に記載はしていなかったが、元彼女という呼称で妻のことを呼ぶのが好きなおじさんの自慢げな話法を横取りしようと私はいま、つまらぬ罪を犯した。<br />
横取りは万引きとも言うか?<br />
商品を間引いて盗むことから間引きとはじめ呼ばれていて、そこに「ん」が入って「万引き」らしい。いま検索した。<br /><br />以下、ネタバレを含みます。<br />
<br />
「万引き家族」(是枝裕和 / 2018)を、レイトショーで一人鑑賞した。<br />
西日本は豪雨で大荒れの一日だった。<br />
私は詩の教室を終え、ミズベリングの飲み会に行きそびれ、気持ちが晴れず、雨のなか一人映画館まで歩き、ちょうど新谷さんとアウトレイジを見に行ったところと近く、映画館の店員は「はい、万引きですね!」と元気にチケットを売ってくれた。<br />
わかっていても泣けてしまうのは、家族の物語だからだ。<br />
嫌が応でも、自身の家族のことを思い出す。<br />
映画の主題にそのまま迫れるのは、凄いことだ。なかなかできない。余計な話が邪魔をしてしまうことが多いが、是枝監督はそんな遠回りをしていないように見えた。<br />
わかりやすく提示されていた。<br />
シンプルに、無駄な話はしないように。<br /><br />
自然体でいられる、異常な人と人の関係が語られる。<br />
はなればなれになってしまう瞬間、家族の間に法が入り込んだとしても、暮らしは残り、通じ合った言葉は残る。<br />
尊厳を持ち合うこと、語りつくせぬ視線と視線がスクリーンにはあった。<br />
極めてプライベートでパブリックな映画。<br />
私たちはどうしてこうなっているのか。<br />
理詰めで本当の家族が設定される。<br />
ビールを飲みたくなった。<br />
長く語りたくなった。<br />
無駄な話も、行為も通して、刑期を終えて、やり直せるかもしれなかった。<br />
アーティストの佐竹氏より、一人で家に帰れますかと電話を頂く。<br />
帰り道、名古屋市内はありがたいことに降っていなかった。<br />
爪が靴の中に入っていたのをリズミカルに投げる親父の動きにリアリティがあった。<br />
馬鹿を言える場所で、変わっていてもいいじゃないかと、ここで繋がっているんだろうと、
お婆さんだけには話すねと、抱き合う姿が大きく映る。どこにもいけない男が抱きしめられたところで泣いた。<br />私たちの傷ついた姿に捧げられていた。<br />
町で、また会えるか。<br />
ゴミ捨て場で「空気人形」(是枝裕和 / 2009)が寝ている場面を連想した。<br />
あれから十年近く経つ。<br />
私たちの社会は家族をずっと探しているのだろう。
<br />
「大きな物語」に回収されないよう、自ら語り続けなければ、通じ合った心を蔑ろにすることになる。<br />
<br />
ビールは黒ラベルにした。私は親父で、大人になっていたのだ。<br />親父に「わざと捕まったんだ」と語る息子。<br />私の本当の名前。<br />再生は私たちだけではできない。<br />それを認めて、弱さを認めて、贖罪を通して、ここにいた。<br />心無い言動がどうして起こるのか。<br />家族は自分たちの姿をどうやってかたちづくるのか。<br />親父の本当の名前。<br />「愛のむきだし」(園子温 / 2009)も思い出した。<br />いま、私が名古屋造形大学で担当している「映像論」の最終回のテーマは、「今日(こんにち)の映像」で、こんにちに語らなければいけない主題は「家族」である。<br />2011年の 震災以降、「絆」という言葉が白々しく舞ってしまっているのだと、徐々に気づきはじめ、「万引き家族」では、それを歩道橋で語らせていたのだ。<br />人工的な家族の物語。<br />正も負も追いあう私たちの姿。<br />逃げたことを認める。<br />愛は引力を持ち、それを受けた者は繰り返す。<br />人間は、自分がされたことを誰かに返そうとする生き物だと思う。<br />
<br />
<a href="http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/" target="_blank">http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/</a>村田 仁 / jin muratahttp://www.blogger.com/profile/16253285690073496680noreply@blogger.com