ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

土曜日, 6月 08, 2024

グロテスクに響く

ここ数日で『関心領域』2024年『シンドラーのリスト』1993年 と、連続で見ているため、理不尽に圧っせられる人々の状況を見ると、取り巻きのスーツが SS隊の軍服に見えてくる。

部屋の外から聴こえてくる謎の音階。

さも美しいでしょうとグロテスクに響く。

不安が私たちを包む。

灰が私たちの喉を焦がす。

Harrasment-圧政 は蔓延する。ism で力を得、それは Virus。 

Over the past few days I've watched "The Zone of Interest" (2024) and "Schindler's List" (1993) back to back, and when I see the people being unreasonably oppressed, the suits around them start to look like SS uniforms.
A mysterious scale can be heard from outside the room.
It sounds grotesque, as if to say it's beautiful.
Anxiety envelops us.
Ash burns our throats.
Harrasment - oppression is rampant. It gains power from ism, and it is a virus.

火曜日, 6月 04, 2024

関心領域

I watched the movie "Zone of Interest" in 2023. It is a truly difficult movie in from mean. The breadth of the visual approach makes the meaning richly questioned. The karma of people, families, and humanity, of neuroses that transcend guilt, of people who want to vomit but can't. They are identified. They emanate from a place of identification, regardless of the scale.

映画『関心領域』2023年 鑑賞。実にしんどい映画なのは、その 意味において。映像のアプローチの幅が 豊かに意味を問う。後ろめたさを超越した神経症の、吐きたくても吐けない人々の、家族の、人類の業。それらは同一化する。規模の大小を問わず同一化したところから発せられる。 
https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/

水曜日, 10月 19, 2022

さよならテレビ

二日前(10/17)に、名古屋大学の「日本を表象する」特別授業 にて、『さよならテレビ』上映会へ。阿武野勝彦プロデューサーの話もあり、面白かった。テレビ的なるものを脱するわけではなく『こんにちは You Tube』にはならない。という意識を見た。

鼻息荒い質問をしてしまったが、阿武野さんは答えてくださった。
それから、ずっと考えていて、Twitter にもそれを書いていた。
このブログにも残そうと思い、コピペをしたが、Twitter 用に一言ずつ放っているものと、文章は別なので、改めてまとめようとするが、思考は先に進む。ひとまず、Twitter のリンクも載せる。

ドキュメンタリー映画は、実際にあるものを撮るしかできないので、それを具体的に提示して話す。だから理解しやすい。それは "つきつけられている"。
しかしその原動力は言葉である。
形而上的なものを、言葉だけで提示しきろうとするものが文筆であり、私にとっては「詩」ならば、映像と行き来するものがある。
言葉は文字や声、何らかの姿を経て人に届くからだ。
スピリチュアルなものだけが儚いのは、届くだろうと信じきって甘えてしまって、表現の力が弱いのだ。信じなければ表現できないが、甘えてはいけない。何によってその表現が裏打ちされていくかを理解しなければいけない。ドキュメンタリー映像においては、それは 実際にあるものをつきつけることであり、現物に即して語ることである。現物を映した像から放たれる言葉をそのまま放つに任せることが表現である。
詩は言葉そのものが文字となり、声となり、現物になる。何を捉えて見つめるか。形而上的なものも何かしらのモチーフを通して現れる。そこで甘えずに、具体的な言葉を通せるかだ。

https://sayonara-tv.jp/

https://honto.jp/netstore/pd-book_30968138.html

https://twitter.com/murajin79/status/1581977217931759617

土曜日, 7月 07, 2018

一人万引き家族

このブログは、ずっと更新しておらず放置されていた。
 先日「Markdown 記法」というものを一人で勉強したので、それを実行するために、自慢げに書いたことで、再開した。
かなり経っている気もする。
そもそも、Markdown のような装飾的な記述は行ってこなかったブログであった。

日付を見ればすぐに分かる。
2016年は3つ、2017年は1つのエントリーしかない。 2011年は365日で、少しずつ減っていく。
グラフにできれば、比例して SNS、特に
Twitter への投稿が増えているのだろうと思う。 本題はこれじゃない。

これもまた久々に映画館に行った。
昨年「アウトレイジ最終章」(北野武 / 2017) を画家の新谷さんと見に行って以来だ。帰国のタイミングでデートをしていたのだ。
その前は元彼女と入れ替わり制で見た「シン・ゴジラ」(庵野秀明 / 2016)だから、一年ずつ映画館に行っているという体たらくである。
特に記載はしていなかったが、元彼女という呼称で妻のことを呼ぶのが好きなおじさんの自慢げな話法を横取りしようと私はいま、つまらぬ罪を犯した。
横取りは万引きとも言うか?
商品を間引いて盗むことから間引きとはじめ呼ばれていて、そこに「ん」が入って「万引き」らしい。いま検索した。

以下、ネタバレを含みます。

「万引き家族」(是枝裕和 / 2018)を、レイトショーで一人鑑賞した。
西日本は豪雨で大荒れの一日だった。
私は詩の教室を終え、ミズベリングの飲み会に行きそびれ、気持ちが晴れず、雨のなか一人映画館まで歩き、ちょうど新谷さんとアウトレイジを見に行ったところと近く、映画館の店員は「はい、万引きですね!」と元気にチケットを売ってくれた。
わかっていても泣けてしまうのは、家族の物語だからだ。
嫌が応でも、自身の家族のことを思い出す。
映画の主題にそのまま迫れるのは、凄いことだ。なかなかできない。余計な話が邪魔をしてしまうことが多いが、是枝監督はそんな遠回りをしていないように見えた。
わかりやすく提示されていた。
シンプルに、無駄な話はしないように。

自然体でいられる、異常な人と人の関係が語られる。
はなればなれになってしまう瞬間、家族の間に法が入り込んだとしても、暮らしは残り、通じ合った言葉は残る。
尊厳を持ち合うこと、語りつくせぬ視線と視線がスクリーンにはあった。
極めてプライベートでパブリックな映画。
私たちはどうしてこうなっているのか。
理詰めで本当の家族が設定される。
ビールを飲みたくなった。
長く語りたくなった。
無駄な話も、行為も通して、刑期を終えて、やり直せるかもしれなかった。
アーティストの佐竹氏より、一人で家に帰れますかと電話を頂く。
帰り道、名古屋市内はありがたいことに降っていなかった。
爪が靴の中に入っていたのをリズミカルに投げる親父の動きにリアリティがあった。
馬鹿を言える場所で、変わっていてもいいじゃないかと、ここで繋がっているんだろうと、 お婆さんだけには話すねと、抱き合う姿が大きく映る。どこにもいけない男が抱きしめられたところで泣いた。
私たちの傷ついた姿に捧げられていた。
町で、また会えるか。
ゴミ捨て場で「空気人形」(是枝裕和 / 2009)が寝ている場面を連想した。
あれから十年近く経つ。
私たちの社会は家族をずっと探しているのだろう。
「大きな物語」に回収されないよう、自ら語り続けなければ、通じ合った心を蔑ろにすることになる。

ビールは黒ラベルにした。私は親父で、大人になっていたのだ。
親父に「わざと捕まったんだ」と語る息子。
私の本当の名前。
再生は私たちだけではできない。
それを認めて、弱さを認めて、贖罪を通して、ここにいた。
心無い言動がどうして起こるのか。
家族は自分たちの姿をどうやってかたちづくるのか。
親父の本当の名前。
「愛のむきだし」(園子温 / 2009)も思い出した。
いま、私が名古屋造形大学で担当している「映像論」の最終回のテーマは、「今日(こんにち)の映像」で、こんにちに語らなければいけない主題は「家族」である。
2011年の 震災以降、「絆」という言葉が白々しく舞ってしまっているのだと、徐々に気づきはじめ、「万引き家族」では、それを歩道橋で語らせていたのだ。
人工的な家族の物語。
正も負も追いあう私たちの姿。
逃げたことを認める。
愛は引力を持ち、それを受けた者は繰り返す。
人間は、自分がされたことを誰かに返そうとする生き物だと思う。

http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/

土曜日, 9月 14, 2013

世界の終わりを描くこと

いま久々にこのブログを触っています。映画「風立ちぬ」を見終えたところで、そのままスターバックスに入ってこれを書いています。醒めないうちに書きたい気持ちになっているので、そのまま書きます。映画を見ていない方は、見てから読んでください。

※ 映画「風立ちぬ」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を見ていない方は、ここから先は 二作を見てから読んでください。
続きを読むには、下記の「もっと読む」をクリックしてください。

木曜日, 6月 14, 2012

寂しい人に〜 猫、貸します!

「レンタネコ」(監督, 荻上直子/市川実日子/2012)を伏見のミリオン座で鑑賞。
のんびりしてるようで実験作であろう。意外なシーン。意外なストーリーティーリング。
うまくはいっていない。ドラマの映画化の逆が起こるかも。
猫がらみのハートフル映画って、みんな似たようなところに着地するのは気のせいか。猫好きの性格が近いからか。もっと狂おしいほどに猫へ迫ってもいいんじゃないか。動物愛護団体に虐待だと怒られるかな。いや、カメラで迫って撮るくらいで、もっと内容的に。

http://rentaneko.com/

日曜日, 6月 03, 2012

その街のこども

映画版「その街のこども」(脚本, 渡辺あや/森山未來、佐藤江梨子/2010)を DVD で鑑賞。
彼と彼女は、この思いを認めたら自分を保てない。
でもいつになったら、向き合えるのか。と、それぞれが向き合っていく。
その姿勢に本当の実感を持った。
とても丁寧できめ細やかな脚本だと思う。大友良英の音楽が温かく寄り添い、ラストの本番であろう撮影も、地続きにあって、この番組を作るというアクションによって何が起こるかが、見据えられていた。

http://sonomachi.com/

木曜日, 5月 31, 2012

彼は欲した

ニートや、生ポからも抜け出して、人間社会に生きること自体から脱してみようという話。

映画「イントゥザ・ワイルド」(監督, ショーン・ベン/エミール・ハーシュ/2007)である。
実話を基にしているからか、最後だけが異様にリアルだった。

生き急いではいるけれど、彼は優秀だった。
コミュニケーション能力高く、理想と欲望に忠実過ぎるほどの持ち主だから、充分 自己実現した人生ではある。
もっとも彼自身が、それに気付いたときは、全ては遠くにありながら、近くに感じられ、かけがえのないものに見えた。
充実感に枯渇して旅立った彼は、一瞬で潤いを呼ぶ方法に触れる。
それには野生が必要だった。
ヒッピーよりも暴れて、彼は欲した。

http://intothewild.jp/top.html

火曜日, 5月 22, 2012

モテキはムジャキ

「モテキ」の漫画家が女性だったと知って考えたら、映画版だけど、女性のキャラ描写は丁寧だったと納得した。
モテまくりの都合の良いストーリーで、男性目線の美少女ゲームみたいな感じでは決してなかった。そうでなきゃ広くにはウケないわな。
サブカル好きには悶絶の畳み掛けは、映画を中心にしたメディアミックスの本領発揮だった。ムジャキに楽しもー。

麻生久美子の役どころにグッとくる。
高架下、二人の間を走り抜ける原付のシーンがお気に入り。

http://www.moteki-movie.jp/sp/index.html

土曜日, 5月 12, 2012

どうしてこうなった!?

名駅の映画館 シネマスコーレにて「サイタマノラッパー3-ロードサイトの逃亡者-」(監督, 入江悠/奥野瑛太、駒木根隆介、水澤紳吾、斉藤めぐみ/2012)をレイトショーでマーキー氏と鑑賞。
むごたらしい権力者のやり口に、ごね倒すのは純粋さのあまりで、むごたらしい現実がすぐに襲いかかってくる。その連続を畳み掛けられる。
「どうしてこうなった!?」
の絶叫が辛い。
微笑んでくれる彼女への、逃亡する車中でのラップがまた悲しい。
そこからの長回しは、シーンが変わらない恐怖が逃亡の息をつけないところと重なって焦った。

なんと上映後に MCマィティがサインと握手会に駆けつけてくる!という館内口コミあり。スコーレ前で握手をしてもらう。マーキー氏とマィティのツーショット撮る。

http://sr-movie.com/


木曜日, 5月 03, 2012

ジョジョ似、否定せず、むしろ受け入れ

昨夜は SPEC 天 見た。漫画みたく騒ぐ。事前学習でも楽しめた。その前に展覧会ハシゴに少し便乗。絵を描いてる連中でないと楽しめない雰囲気なのはヤダナー。詩の寄り合いもそんな感じのとこ多く。

http://www.spec-movie.jp/index.html

木曜日, 4月 05, 2012

pina 3D

帰りの駅のホームで、回転し続ける男が居た。「pina」を見たのか、ハプニングのパフォーマンスアーティストを夢見たのか。
我々が乗っている電車は出た。
改札では、JR の警告テレビが短いタームで繰り返されていた。
男はそれへの呼応、いや反抗かのように、短く回り出す。

「pina」(監督, ヴィム・ヴェンダース/2011)映画館で 3D 鑑賞。
入り口から美しく、愛憎は無限に開かれる。音楽も鳴り、続く。
自分は 3D を好意的に受け止めている。体験であるという働きかけ自体を強く好む。

http://pina.gaga.ne.jp/

土曜日, 3月 31, 2012

映画「311」後ろめたさとの対峙から

シネマテークにて「311」(共同監督, 森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治/2011)を見る。
本来、メディアは常に強く解答を提示するが、この映画『311』では、被災地に向けて明確な解答が出せないという本当のところを剥き出しにしている。極めて、裸になっている映画だ。
無力感に包まれる辛い終わり方は、そのまま、被災地を見る辛さだった。

上映後、森監督と安岡プロデューサーによるトーク。
被災地以外の日本に住む我々が持つ「後ろめたさ」との対峙が丁寧に語られた。被災しているわけでもないのに、テレビの前で泣きじゃくってしまっているなんて、ばかばかしいと思えるまで。それは滑稽さと、自分への問いかけと愚かさと実直な思いが入り交じる。

名古屋、東海地域はその気持ちに該当する。実は何も他人事ではない問題や要素を抱えながらも、経験の共有はできない。
愚かさ、偽善に向来き合って、何を理由にして自分は後ろめたさを了承させ、ここにカメラを向けているかを見つめ直す。被災地へカメラを向けることは、自分たち「映画」を撮っているという自意識を撮ることだった。
誰かのためにという正義感ではなく、がらがらに崩れ落ちている意識を見つけるため。

賛否両論とは作品が自立している証拠だろうと、監督は言葉を重ねた。

http://docs311.jp/

土曜日, 1月 14, 2012

奇跡という映画

何の前知識もなく映画「奇跡」(監督, 是枝裕和/前田航基、前田旺志郎、オダギリジョー、大塚寧々 /2011)を DVD で見た。
ドラマと批評性を奥に秘めていた。綺麗な画面に活きた台詞。一級品的なCMかもと身構えていたのは、ラストでほぐれた。
かなり思慮深い。大人の映画。
蓮實重彦の評文も読む。大人の映画とある。

それから九州に限らず、新幹線を見ると思い出し、そして去年の三月に走り出したという動きも思い出す。

http://kiseki.gaga.ne.jp/

金曜日, 12月 23, 2011

もう何でも恋

星ヶ丘西山商店街でのプロジェクト「collect」から、新栄 シネマテークでの年末企画「何でも持ってこい!」へ。
山口監督の作品「take8」(2010)見る。高速道路の助手席に座って、ずっと女性と呟き続ける時間。
それは恋人だろうと思わせる会話だった。いや、何を聞いても会話だと思えてしまう撮り方なのかもしれない。
「collect」の会場で「商店街にあったらいいなのお店」の絵を描くコーナーがあって、もう何を持って来てもリンゴの店に恋してるッ!で呆れられる。
呆れていいものだと思う。恋など一人で。


水曜日, 12月 21, 2011

偶然を追求せず、思うだけ

森田芳光監督の訃報を知り、驚く。
昨夜 ちょうど「の・ようなもの」を見ていたのは本当に偶然だった。
これが何の関係だと追求はしない。
「の・ようなもの」が処女作だった。また、主演の 伊藤克信はこの映画で抜擢され、就職を蹴ってデビューしたとか。
そんな思い入れも結実しての道中付けだったのかなと思う。
多くの監督作を見たい。



火曜日, 12月 20, 2011

歩きながら話していた先

越してきたこの町で、嬉しいことはいろいろある。レンタルビデオ屋の品揃えが良いのはそのひとつだ。邦画の旧作をチェックしに行く。
「の・ようなもの」(監督, 森田芳光 / 秋吉久美子、伊藤克信 / 1986) を借りて来て、早速見る。

強烈な何かをしたいってのを、表に出せるのはそれだけで才能なんだろうなぁ。彼も、彼女も、言葉にすることだけで一苦労。そんな手間を語っている映画は なかなか無い。格好良い奴はそんなことに苦労しないの。格好良さそうに映る彼女もそうなのだ。
みんな、これが青春か、これが恋なのか、人生の何なのかなど捉えられずに居てもがいているものだ。だから まどろっこしいし、そのために動く時間が要る。
「男なんて、放っておけば失恋の痛みも癒えて働き出すさ」と、お師匠さんが言い放っていくのは、本当にそうで、そんなものを許してくれる仲間があったんだろう。それは幸せな場所だった。
いきなりラストシーンを YouTube で見る罪を許し給え。
尾藤イサオの歌うエンディングが良い。そしてここへ至るまでの「道中付け」が、僕には感動的なのだ。
ここは、彼が自分を捉える時間だから。

http://www.youtube.com/watch?v=9BauFOL4M5Q

金曜日, 12月 09, 2011

資本主義、愛の物語

「キャピタリズム」(監督, マイケル・ムーア / 2009)を見た。
皮肉の笑いをゆうに通過し、惨い状況に絶句と焦りを覚える。
何か得体の知れない大きなものが我々を制しようとしていて、それはあまりにも大きいから、全体を見てこれだと指すことが難しい。
正義の味方も、その恩恵を受けていたりする。
風前の灯火ですから。言ったでしょうと断りながら、明かりを持ってくる。それでしか照らせないような気に、こちらはなっているのだ。
この映画はもう二年前のこと。ウォール街を占拠せよ!はここから始まっている。邦題は例のごとく真意を捉えていない。
「ラブストーリー」と冠されているじゃないか。

http://michaelmoore.com/books-films/capitalism-love-story

木曜日, 9月 15, 2011

エヴァ今昔

こないだの初めての顔合わせが多かった飲み会では、途中ヱヴァQの予告動画 (金曜ロードショーver,) を iPad で、皆で見ることで心が一つになるという 踏み絵(ちょっと違うか)みたいな手法で盛り上がった。
なんともオタッキーな展開。でもそんななりふり構わず、思い思いに興奮して良いところを騒いでいた。
テレビ放送版を全話 見直したい。iPad に圧縮して全話ぶち込む?
それはかつてマーキー氏がかしてくれた三倍録画で 長いVHS に全話入れてあったのと一緒だ。

火曜日, 8月 02, 2011

おそいひとのラストシーン

潰れることが決まった USV で最後に借りた DVD「おそいひと」(監督, 柴田剛/住田雅清、とりいまり、堀田直蔵/2007)を鑑賞した。
ラストの野外シーンに一番惹きつけられた。説明要素をすっ飛ばして来た違和感がラストに解放される感じ。筋書きの納得がいくのではなく、こんなシーンに行くまでなら納得する。
障害者の犯罪というタブーを扱っているのが目玉だけど、重要なのはドキュメントタッチの撮り方とクラブサウンド、モノクロ画面の入り組んだ構造にあると思う。この作りをしていなければ生々し過ぎて、見ていて辛くなってくるだろう。かといって嘘事のお話テイストにもしない。絶妙のところを走っていると言える。国内で問題視された後、海外公開して評価されてから日本に逆輸入して大きく公開へ至るというのも巧妙だ。タブーに取りかかる時点で頭をひねっているのだ。ちっともおそくない。

http://osoihito.jp/