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日曜日, 12月 23, 2007

私たちは画面の前で

早いもので個展「沼が無い」も最終日となった。
昨夜とは打って変わって天気が良く、陽射しが温かい。
トルコ旅行のお土産お菓子を頂く。砂糖の中に封じ込められているピーナッツをまぶした練り菓子で、甘くて美味しい。これをアートフェチの面子や、三階で個展をされている先間さんとバックヤードでほおばる。
七時の閉館まで多くの方に来て頂いた。
次回への課題や展開の期待値を沸かしていきたい。
搬出に西山氏、真坂氏に手伝ってもらう。無事に終えて西春へ帰還。
中華料理屋でたくさん食べて、等身大の茂木さんを見る。話されていたことも等身大だ。

個展にお越し頂いた皆様、ありがとうございました。

土曜日, 12月 22, 2007

土砂降りはひとつ、水たまりはそれぞれ

ギャラリーが閉館してから 開店したてのカフェで、男はつらいよアメリカ版のプロットを聞く。
頬づえをついて頷きながらも、付箋に鉛筆で「女」と走り書きされていたのは見逃さなかった。
急に「人間」と飛躍できるほど、僕らはまだ若くない。
落ち着いた夢について、駅のホームで聞く。ここは別方向に延びる路線を同じホームで担うという、迷いやすいホームだ。
手を振って見送る。
帰ってすぐに靴下を投げ、ジーパンを干す。ひどい土砂降りのなか、僕らは小道に入って、水たまりをよけていた。

日曜日, 12月 09, 2007

mixi に収拾されない

「mixi なんか無くても、僕らの関係は大丈夫なんだ」
そう言ってみるが、
実際に mixi の恩恵を受けて、こうして会えているわけで、きれいごとばかり言っていてはいけなかった。
ただ、そう言った本心は、僕らの関係が mixi に収拾されることを恐れるからなんだ。あのオレンジ色のウインドウには書くことができない言葉を、僕らは山のように持っている。
電子メールが一般に広まりはじめたとき、敬語を尽くした文面にしなければいけないと言われていたのを思い出す。いまや、メールでのやり取りは当たり前になり、携帯電話で友達と送り合うメールはとてもフランクだ。mixi はそんな僕らの感覚にフィットした。関係をネットで補完しようとする感覚が、これからもっと広がるだろう。それを止めようとは思わないけれど、ネットでは補完できないものが浮かび上がる。
ブログには書きたくない言葉もたくさんある。日記を見せ合うとき、その人を好きになるとは限らない。
個展に来てくれたふたりと、いっしょに駅まで歩いて帰る。近鉄と名鉄の前で手を振った。

土曜日, 12月 08, 2007

大きな塊になっていく

高校の美術部で同級生の友人が来てくれた。久々の再会。もっとゆっくりしたくて、駅近くの店に入る。おもちゃに囲まれたソファーでカフェオレとホットチョコを飲む。ちょっと恥ずかしい。
あれから十年ということになる。やっぱり時間は速い。あのときに覚えた歌を何度もリピートしてる。美術室に居なければ見えなかったものが、まだ自らのなかに芽吹いていくるのを思う。Relation は底知れぬ。あのときのみんなが大人になって、働いたりしながらも、話したりやっていることは同じみたいな近況に嬉しくなって笑った。ただ、転がっている時間は雪だるま式に隠していたものも巻き込み、暴いていき、局面は新しくなってるんだな。こんなことは無かったということは、あったことなのだろう。
作品を発表するということも、いままで自分が転がしていたものと平行に新たに転がしはじめて、いつしかくっつき、大きな塊になっていくようだと思う。

金曜日, 12月 07, 2007

普通というものは無い

アートフェチの特別開廊日で、個展が晩にだけオープンしていた。
会社帰りの方に多く来て頂いた。皆様 スーツとかで格好いい。僕は袖幅が延びて割烹着みたいになった緑のシャツを着ていた。それでも小ぎれいになってしまったよねと友人に言われる。
閉館後、中華料理屋へ集った面子で食べに行く。隠し部屋のような地下室に通してもらったが、カビ臭くて参った。食べ始めたら気にならなくなったけど。
矢継ぎ早にいろいろな話題が挙ったが、自分自身が、見たり聴いたり嗅いだりしている感覚というものは他の人と一致していなくて共有できないから「普通」というものは無いよね。という話が面白かった。考えだすと気が遠くなって寂しいようだけれど、違っているのが面白くて、それを認めていくのが豊かなことなんだよねと捉えることもできる。この後者の考えが、きっといい。「普通」という仮想に振り回されてばかりではいけない。

日曜日, 12月 02, 2007

明らかな論考としてのスタートライン

「作品について」という小見出しを付けるかどうかで全てが変わってくる。
詩なのか、概説なのか、関連文章なのか。
夜明け前にそれをまとめ、何かを見切った。

個展にお越しくださった皆様、どうもありがとうございます。
アーティストの中野克俊さんがレビューを書いてくださいました。
明らかな論考としてのスタートラインを思います。
身体が覚えている湿度や、色の有り様が感覚の根本をつくっているのだと。

http://d.hatena.ne.jp/knakano/20071202
(展示内容の紹介が含まれております)

http://www.youtube.com/watch?v=Z74m2mtqJQQ

土曜日, 12月 01, 2007

だから こうしているんだろうなと思う

個展「沼が無い」の初日を迎えた。
いつも展覧会の初日は、一気に見え隠れする気持ちで、落胆と歓喜の繰り返し。明らかになっていくのは、建築的な行為だ。
それが楽しくて、こうしているのだろうと思う。
作品を見る人にも、その楽しさが起こるかだ。

ギャラリー芽楽での ミニアチュール展パーティへ行く。
温かい料理とワインを頂く。はやくも来年の話が出てくる。
帰宅前に、市内でもう一軒。
「こうやって自分の物差しを明らかにしようとしているのかもしれない」
と聞く。
それはとても広くて、大切なものだから、こうしているんだろうなと思う。

http://www.gallery-garaku.ecnet.jp/current/index.html