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木曜日, 8月 18, 2022

気づいたら 2022年にはじめてブログを書いていた。

 いま、9/3 に行う詩の朗読について、告知文をそのまま投稿したが、気づいたら今年はじめての投稿だった。ちょっと驚いた。そりゃ、Twitter をはじめとした SNS での投稿が中心になっているので、ブログは開かなくなっていたが、ここまで放置していたとは。先の投稿は、昨年の12月。ムーンライダーズのライブ盤を聴いたときの感動をそのまま綴っているものだった。あれから『It's moooonriders』というオリジナルアルバムもリリースされ、その深淵な曲群を味わっている。そのときはブログを開いていない。Twitter で分散的に書いていたものを このブログにまとめてみようか。自動的にそうなっていくようにするのではなく、編集の意識を持つために、自分で再編する。
 SNS より、長く、周囲の言動に引っ張られずに、書き綴ることが必要だ。誰にも見せない 紙のノート、誰が読んでいるか怪しいブログ、周知目的でもある SNSも個々に公的な度合いは異なる。いちばん公的な文章を書くところはどこか、退職願か、研究助成のエントリーシートか。眺めたいなと、綴ってみる。

金曜日, 5月 07, 2021

緊急事態条項で万事うまくいく特効薬だとするのは改憲派のいつもの手

国民投票法の改正が通った。
コロナ対策がうまくいかないのは、憲法に私権制限の術が無く、緊急権が無いミス故だという理屈で、改憲して「緊急事態条項」を入れれば万事うまくいくとゴリ押ししてくる。

これは 9条改正を進めるより、理解を得やすい 改憲の方法論だと憲法学者の石川健治氏が語っていた。(Choose Life Project 5月3日放送分)

ドイツ思想家の藤崎剛人氏は、「『コロナ』危機に乗じた改憲を許すな」とストレートに書いた。政府は「コロナ対策にやる気が無い」と、明快で強いメッセージだった。(Newsweek 5月3日)

曲解で改憲が必要と持ってくるあたり、無理矢理ねじ込んでくるくせに、利権団体のために、五輪を開催するために、コロナの件はとにかくスルーしたがっている日本政府。それにあわせて国民側も、スルーして聖火リレーも連休もちゃっかり遊び、政府の思惑どおり。
安倍氏が次の 100代目 内閣総理大臣に返ってきて、改憲を成し遂げるというドラマの脚本はとっくにあるんじゃないか。
五輪の開催にこぎつけたら、国民は感動して支持率はアップする。「なんだかんだでコロナ禍でも開催してくれて良かった!感動をありがとう。」と騒ぐ影で、罹患してしまう人は 運が悪かったねとされ、医療現場はより苦しむ。そこは知らぬ顔で、緊急事態条項があればうまくいくとしてくる。
ブルーインパルスを より多く飛ばされるだけだ。
そもそも、人々の健康的で文化的な生活を平等にキープしようとする気が無いだけなんだ。
自分たちに投票してくれる団体に返すだけ。それが政治だとしているのだから。
選挙で負かして、政権交代をして、拙くなっても、人権なり、生活なりを重視する勢力を強くしないと、ほんとうに殺されそう。
何度もここに返ってくるけど、でも選挙に そもそもみんな行かないのだから、そんな国民が決めたことになっているんだから、仕方ないとも言えてしまう。
なんで選挙に行かない、行きにくくされているかは極めて巧妙なシステムの調整があるのではないか。だから、今回の国民投票法の改正で、18歳が投票できたところを補強するかたちで、海上での投票も可能にするとか、やたら細かいのではないか。
立憲民主党の譲歩要件にある、メディアでの宣伝の制限などが果たされなかったら、高校生向けのキャンペーンが芸能人を使って行われるだろう。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210506/k10013014891000.html

https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/05/post-8.php

 https://www.youtube.com/watch?v=MEslk3-BjAI

木曜日, 5月 06, 2021

ゴジラの住む世界と同じ心理で

  もう無理だとはみんな思っているけど、なんとか大丈夫だろうとも思っている。思っていなければ暮らしていけない心理は、ゴジラが攻めてくるなかでも社交ダンスをしていた人々とそう変わらない。はかなさの美学に酔う暇も無く、何もできないまま地震を待つようだ。

 止まない雨は無いけれど、日照り続ける晴れも無いかもしれない。お天道様がどうであれ、空の下で人間は枯れたり、水浸しで転覆してしまう。最後は神頼みで世界が終わることを受け入れるようなこの国の癖はとても根深い。生きにくいのは誰のせいだろうか。面倒だと投票に行かず、文句を送りあう小市民のせいだろうか。文句が文句を呼び、何も許せなくなった使命感の足かせか。いろいろ理由をつけて仕事を成さなかった自分のせいか。全部自分のせいにできれば格好良かった。全部人のせいにするのも気楽だった。全ては数え切れない所作で補完しあっていて、目に見えない大きさで引っ張り合った先の均衡が今日なのだろう。

 Wi-Fiネットワークに繋げられないだけで、この文章も先へ進むことになった。担当している専攻の学生たちは、いまは放っておいても書き進められるように見える。何か飲めなくても、一定の距離は走ることができると笑っていた。それが尽きる前に、補給地点なり、走り方のフォームなりを点検していきたい。いまの状態は、ただ泳がせているだけ。楽しい気分はそのうち醒める。

 文章が社会を変える事例を挙げよう。詩が社会を動かした事件を。そんなものがあると信じているけれど、具体的には何年何月何日なのか。コピーはいつから唱えられた? プレゼンって何で必要なのか。小中高の、見よう見まねの授業で癖がついている。先生の言うことを聞きましょうと。

 授業準備に追われて何もできないことになりそうだ。解決策を持たないと手詰まりである。小遣い稼ぎの仕事で時間を取られていてはいけない。仕事のカードを作成し、それを貼り出して共有する。ストレスを壁に、それだけで緊張感が適度に漏れる。一年生のうちにその癖を付けさせないといけない。

水曜日, 5月 05, 2021

ママがいい

  改札で幼児が大泣きしていた。母親が怒りながら抱きかかえる。母親はもう一人、小さな子をおんぶ紐で抱えている。何かで上の子はぐずっているらしく、聞き取れないが、嫌だぁという声が響いていた。

自分の子、三歳もこういうとき、とても頑固で大変だ。保育園で他の子が大泣きするときに「ママがいい」と言うのをを聞き覚えているので、いつもはママなんて言わず、お母さんと呼んでいるのに、泣くときは「ママがいい」と繰り返す。ママという単語では認識されていないだろう。そして殴り、抓り、蹴っては怒り狂う。スーパーなど店先でやられたときはヘトヘトになる。

 さっきの母子に出くわしたとき、通行人には何ができるか。どうすれば効果的に見守ることができようか。幼児言葉で近づきたくなるけれど、母親に話しかけるのが良いだろう。自分だと、子供を守る警戒心も発生してしまうから。助けられるかどうかはわからないけれど、私は「ママがいい」のママではないというコンセンサスが助かるのではないか。

 とポメラで書いていたら、こないだ 子供は「お母さんがいい」と泣いていた。「ママ」の意味を理解したのか。全体的にアップデートされたのかは不明だ。だが、言葉は大人に聞かれて、体得される。

月曜日, 3月 08, 2021

書き出すだけが人生だ

「これから書こうと思っている作品は頭の中にあるんで大丈夫です!」と言ってくる大学生の言動を私は信じない。
 自分がそのようにしたときに何も進ませられなかったことを知っているから。
 舌が肥えていくように、アニメや映画を観る眼も肥える。本も読んでいると深まるものだと思う。具体的に、目の前に、手に取れるものになっていると、場は動くし、行き交う人間も思考を手にとるのだ。
 手にとられるかどうか、どのように持ち帰られ、捨てられ、向かうのか。それを意識しないと、表現はできない。好き嫌いで集める消費者のままでいるならば、それはそれで間違いではない。
   大学は鼻を折られ、このままではだめだと焦り奮起するための場所なので、良い気分にさせてくれるサロンではないのだ。消費者のままでいくか、生産者になれるか。その言葉を繰り返す。

日曜日, 3月 07, 2021

ポメラニアン四日にて

 いろんなことが同時に動く。それが見えるのは面白い。
 集中できる音楽はこれだと教えられ、読んでおこうという本を買い込んだ。三月は見渡したい。次期のために読み書きしたい。いま何が起こっているのか。それをみんな書き出せるか。
Get Things Dan だと口酸っぱく言っていた本は、言うは易し、行うは尋常ではない内容で、旗をあげなければ向かうことはできないけれど、たいへんでたいへんで目が回る。

 ブルーノ・ムナーリ「木をかこう」のように描きたいと考えていた「本の木」の絵をようやく描いた。紙に描いた絵を基に編集に入る。実際に写すスマホに転送してトリミングする。
 良い感じな気はする。解像度がもう一段階ほしい気も。

 絵を拡大させることにした。最終的な仕上がりで検討するため、iPad で描くことにする。Adobe Fresco を使う。切羽詰まった制作状況でアプリケーションの使い方を覚えるのはいつものこと。

 ポメラ三日目の論考の輪郭をより深く書き込んでおきたい。日記は日記で、ブログはブログで、ツィートはツィートで良いので、アカデミックライティングもどきもしておきたいのだ。

土曜日, 3月 06, 2021

三日ポメラさん

 積ん読(つんどく)された物質を段ボールに入れた。機械的に左側にあるものから所定の位置に動かすという作業を繰り返し、自室の机をスッキリさせた。ポメラが来て二日目の夜だ。dTV のゴジラも見終わった。ゴジラより俳優を魅せていたが、ゴジラ自体の動力はそういうものかもしれない。
 ゴジラではなくコロナは、愛知県は独自の宣言を出しているし、東京のほうも二週間延ばすという。みんなどんどん、どうでもいいや~となってくる。ゴジラに襲われる世界の人々もそう生きていただろう。戦時中の日本の大半もそうなのではないか。ドラえもんの歴史の漫画を読んでいたときに「疎開」の解説のところで、子供が「どうして都市を中心に爆撃が行われたの?」と聞いてきた。「そのほうが要領が良いからだよ。人が・・(死ぬとか殺すは言いたくないので)・・工場とかが集中しているからね。田舎は少ない。だからだよ。」都市への一点集中だ。

下記を構想する。メモとして。

@危機の集中化
@都市だけではない危機
@うっせえわ
@幼児虐待、カルト化などの事件
@取り戻すのではなく、新しくつくるコミュニティ。

金曜日, 3月 05, 2021

ポメラと連れ添って二日目の朝

 昨晩は某リストアップの作業をしながら dTV で「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」からの「ゴジラ・ファイナルウオーズ」を流す。ファイナル・ウォーズの中盤でダウン。人間に擬態した宇宙人が攻めてきているのは旧来のゴジラと同じなのだが、いかんせんミュータントと呼ばれる強化人間が格闘などで戦うところが長すぎる。一体何を見ているのか分からなくなるので、ツッコんで楽しまなければいけない。そもそもゴジラ自体そうでしょうと言われればそうだ。「シン・ゴジラ」も実はそうだった。骨董無形で、馬鹿馬鹿しい子供だましのお話のなかに反原発や自然破壊などのメッセージが分かりやすくお説教めいて提示されるゴジラには安心感がある。これがエンタメか。
 岡田斗司夫が、ゴジラは太平洋戦争の英霊がお盆に帰ってくるお化けのようなものと語っていた。台風や地震のように、日本人の精神的風土に根付くゴジラ。うまく組み立てられている。

 話すようにタイピング。ポメラの定位置、姿勢を意識する。とにかく書いてみる。
 考えていることを全て書き出せと言われて、気持ち悪いと話すか、書きたいことはみんな頭の中にあるんで~と言うか。  とにかく今日は「メイゲイ・ブックツリー」の絵を描いて完成させる。そのために部屋で仕事ができるようにする。
 ポメラに手を出してしまった。

木曜日, 3月 04, 2021

ポメラ礼賛

 また三月になってしまった。
諸々停滞してしまっていることを揺り動かしたく、ポメラDM200 を中古で買った。これを定価で買う者は猛者だと意識する。
 中学校のときに文豪ミニが流行って、父親が購入していて、自分もいじっていた。一ドットずつ十字キーで置いていく描画機能でストⅡのケンの絵を描いたりして遊んだ。保存は 3.5インチフロッピーだった。
それを思い出す。
 重い図体で、印刷はほとんど感熱紙でやっていたそれ。
ワードプロセッサーだ。
 言葉だけに向かうために、読み切れない有象無象をポメラで薄めるしかない。一生分のワープロを購入したという音楽評論家の片山杜秀氏の件を新聞で読んだ。後日、同じ紙の記者もその記事に言及していた。文章を書くことと、編集をすることは別だと捉える人の強い意志が、ポメラを生き延びさせ、自らを生き返らせるようだ。
 今日はどれくらい電池が持つかを、出勤して試す。行きの車内はマスク率九十パーセント。黒地に白の明朝体で縦書きで滑っていくポメラ。キータッチの音は Bluetooth イヤフォンを付けている私には聞こえない。
 慣れないのは右上の Delete キー。
iPad の癖で、画面をタッチしてしまうこと。

 スタバで席に着くとき、コーヒーを思いっきり溢した。ひとくちもつけていなかった。店員さんは気にしないでくださいと布巾を持ってきてくれた。これからお仕事ですか?とも。一時間で出るんですゴニョゴニョと、ポメラでドヤろうとしていましたなど言えない。どこかでマニュアルがあると意識した卑怯な自分。十分後には何もなかったように芝居は再開されると。そんな映画があった。「トゥルーマン・ショー」。現実はビルから落ちる瞬間も、火事で空から灰が降ることも、コーヒーがひっくり返り、スプリングラテが飛び散ることも、遅れている提出物も、調べきれなかった資料も、残り時間も、みんなカットされない。中学生のとき、口づけをしたあとのカップルはどんな風に唇を離すのか見たことがなかった。おそらくその疑問はどんどん回収されていく。疑問を出すこが大切だという話になる。
 私がハンカチすら持っていないことをスタバの店員さんは知った。そして何もできずにオロオロしている子供のようで消費者の甘えに三百八十円を支払っていたことも。コーヒーもう一杯を入れてきてくれた。すみません。サービス以上か、以下かで、語られるとき、私は追加で購入するのが筋なのか。この国にはチップが無いのだから、チップを設けるしかない。人々の感謝が対価として現れるしかない規則ならば、そうなる。
 またこの店を利用させていただきますと向かう。ここで超えていく方法を私は持てるか。
 店員さんが「小さいテーブルですので」と言った。落ち度を設けて、こちらの落ち度を楽にしてあげるのは優しさなのか。消費者の気分を損ねないようにするマニュアルにも思えて少し怖くなる。

 帰宅し、前の持ち主が貼っていた画面フィルムを剥がす。気泡は入っていないけれど、切り口が歪んでいるのは気になる。新品の画面があらわれた。なるだけ、気になる要素を減らしたい。それだけ。気になることが多すぎた。だからコーヒーをこぼす。コールバックにも出ない。何度もスマホを覗いてしまう。もう気にしない。目の前の文章に集中する。夕方四時、電池残量 79パーセント。悪くない。使い込んだら変わるだろうか。でも悪くない。

水曜日, 4月 24, 2013

CaptureDrawing

  1. テレビや映画、YouTube などから、心に惹かれる瞬間の画面を見つけて(既にお気に入りが あれば使用可)、それをキャプチャ(写真に撮る)する。
  2.  画室にて、キャプチャした写真を見ずに、思い出して、記憶を基にキャプチャをドローイングする。
  3.  1枚でも完成したら、写真と照らし合わせる。(記憶を基にしているから、間違いや抜け落ちているところも多いが、画面の中でどこに心を動かされているかが明らかになる。画面を改めて見て、気付くことも多い。画面の 構図に惹かれていたと気付く場合が多いかも。)
  4. ドローイングと、画面を照らし合わせた経験から、新しいドローイング作品を自由に描く。 写真も見て描くが、正しく描き写すのが目的ではない。自分の目がキャプチャするべきものを描く。

補足 : 制作したドローイングは全て写真に撮る。 後日、撮影したドローイングと、
     キャプチャ画像を基にして
サイトを作成する。

金曜日, 7月 06, 2012

単純に事故当時の運転員の判断や操作の非を問うことはできない

福島第一原発事故について、政府の事故調査委員会と、国会の事故調査委員会が対立。
争点は、人災であったか、防ぐことはできなかったか。

「単純に事故当時の運転員の判断や操作の非を問うことはできない」という一文が良い。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201207060069.html

水曜日, 7月 04, 2012

求肥

いつもオイシイナ〜と思っていた、和菓子の部分があって、その名前を聞いて知った。
「求肥」と言う。
「雪見だいふく」の餅部分である。
字面は「球根」みたいだ。名前が重なって、球根のかたちをした求肥を想像した。世の中には「求肥マニア」なる人もいて、あんこは入れずに「求肥」だけ味わえる和菓子もあるらしい。自分はクリームやあんとの兼ね合いで オイシイナ〜 が発生すると信じているので、マニアなところへは手を出さない。
「求肥」の語源は「牛碑」のようだ。

http://gogen-allguide.com/ki/gyuuhi.html

火曜日, 7月 03, 2012

駅と病院の間に小料理屋が多い

座席背後の窓に、新しくなった病院のメイン棟。
単線の車両が駅に帰る。
勤め人たちがパソコンを膝に乗せてメールの続きを書いている。
中央、
セントラル、
ホスピタル、
打ちやすいが覚えにくい。
外箱もみんな砕いたのに返品に応じてくれる家電店があったらいいな。
元気になってねと返す。
床にブレーキの荷重。

落書きを大真面目に書く者もいなければ、読む者もいないけれど、打ち込んだメールより、覚えている。


木曜日, 6月 21, 2012

技術はあるのに活用できぬ

「違法ダウンロード法」なんていうきな臭い法律の動きがまた起こっている。「TPP」も、「著作権の非親告罪化」も、みんな同時にタッグを組んでやってきて、一気におかしなことへ転がり落とされてしまうのではないかと懸念する。「ACTA」とかいう、ネット上での通信を監視する法律もある。
これらの規制をかける動きによって、CD が売れたり、著作権が守られて文化が発展し、経済的に潤おうと思ったら大間違いだと思う。技術はあるのに活用できぬでは、活動は冷え込んでしまうだろう。電子書籍が普及しないのと同じで、利権を守ったり、規制ばかりでは、広がるものも広がらない。もっとも、政府にとって本当の目的は、もっと国民の動きを把握管理しやすくする為ではないかと考える。経済的なことは目先の納得させる理由で、文化を守るためと称して檻へ入れておく処置では、何にもならない。

http://www39.atwiki.jp/dl-ihou/

水曜日, 6月 13, 2012

LITTLE SUN

オラファー・エリアソンのプロジェクト「LITTLE SUN」を facebook で知る。
アーティストが社会に働きかけるのは、もっと意義のあることになり得る。
独り善がりに個人のことを癒すだけに終始するのではなく。
それも大きな働きかけになり得るとは思うが。いろいろな方法が起こっていてほしい。

http://littlesun.com
http://greenz.jp/2012/05/21/littlesun/

水曜日, 6月 06, 2012

がれきで森を再生

先の「報道ステーションSUNDAY」(テレビ朝日)で放送された特集。「がれきで森を再生 84歳学者の闘い 森の力で被災地を救え!」これはすごい。注目する!

http://www.youtube.com/watch?v=4bFbq4yi_EY&feature=youtu.be
http://morinobouchoutei.com/

月曜日, 6月 04, 2012

この繁栄は邪悪で罪深い

「亡命詩人の憂鬱 ~23年目の天安門事件~」NHK教育で、中国の詩人 廖亦武(リャオ・イーウ)のドキュメント。
この番組で存在を知る。
天安門事件を読んだ「大虐殺」。wiki によると事件についての映画も制作していたらしい。
「この繁栄は邪悪で罪深い。」という言葉が凄い。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0603.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%96%E4%BA%A6%E6%AD%A6

水曜日, 5月 30, 2012

「生ポ」とは嫌な響きだ

生活保護の不正受給問題が世間を騒がせていて、若者の間では「生ポ」という言葉がスラングとしてあり、不正受給をいかにして得るかという作戦まであるらしい。
働くよりラクな生活ができるなどと、まるで軽罪を犯して刑務所に入ったほうが飯にありつけるという外国の話を聞いているようだ。
当然、怒りの声もあがる。同時にそれだけまともな仕事も無いんだという声も、もっと取りあげられてもいいはずだし、受給すべき方が逆に、不当に弾かれるなどということもないよう。巷では、被災地へ対応をしにくくさせる為のタイミングではないかとも言われている。そんな批判をはね飛ばす、細やかな受給仕事を求む!

またひとつ切実な問題が立ち上がり、自分は「生ポ」なんてスラングを使わないように気をつける。しかしこの「NAMAPO」という嫌な響きが、不正受給への嫌悪感と同一感で、造語センスとしては優れていると思う。

月曜日, 5月 28, 2012

君 孤独はそこに

君 孤独はそこに 君 日々のことを もしまた、会えないなら そんな、ことは聞きたくない よね でも、ここにいて ふたりで日を見ていた すぐ面倒がる日を 過ぎよう 泣くことは何もなくて 明日もそのままで歩き続ける 歩くのが仕事だ こうなったら 土日は稼ぎどき 何かよからぬ気配が立ち込めるのを、恐れて 話の裏へ降りてゆく 声が、かき消されて 君は芽を見てる ずっと窓を開けたまま 芽を見ている 積まない間の 滞るまで みんな黙って、はた迷惑も 実はない

土曜日, 5月 26, 2012

陽射しの下で腰掛けて

「樹のある公園で」という小松氏の詩を反芻する。
あのとき、何を見ていたという話へ一人移行する。