月曜日, 9月 15, 2014

「君との言語」について

いよいよあと、2ヶ月後の11月にはドイツ、ブレーメンからアーティストが来日する!そして、一宮市の ワーキングラボラトリー「つくる。」というスペースで、滞在制作と展覧会を 日本、名古屋のアーティストらと行うのだ。
以前からこの告知をしていたけれども、これは「ONGAESHI」というアートプロジェクトで、個人の実行委員会が主催するもの。僕はこれに参加している。

2005、6年に「sitescenes」というアートプロジェクトに参加した。これも ドイツ ブレーメンとの国際交流展だったが、主催は名古屋芸大によるもので、規模ももっと大きかった。アーティストの福岡寛之氏こと、福ちゃんとは このときから仲良くなった。実は大学生のときは一度 家に遊びに行ったことがあるくらいなのである。そのときは、福岡食堂の一軒隣のクラブ状態の民家だったが、おそらく食堂的であったのだろう。とにかく彼のつくる料理は美味しかった。
話がそれた。そう、「sitescenes」も「ONGAESHI」も、ブレーメンと名古屋を行き交う取り組みである。もともとドイツで作品発表をしないと!と焦ったわけではないが、こうなっていった。ドイツ語は話せない。周囲は勉強しているけれど、自分は聞いているだけだ。特有の言い回しを聞いていると、8年前の渡独のときなど、いろんな出会った人とのことが思い浮かぶ。ブレーメンで、公園で、詩を読んでもらった。古本屋の店主のおばさんに褒められた。詩は、強引にドイツ語に訳していた。
そう、詩は翻訳できない表現のはずだ。
だから 8年後のいまは、多言語で詩をつくろうと思った。それは翻訳の必要が無い。そういう姿をしている詩だから。
タイトルは「君との言語」と決めた。
多言語による詩は「マカロニック詩」と言うらしい。wikipedeia によると、14世紀に起こり、主に滑稽な詩が多いという。社会のなかで上位者らだけが使っていたラテン語を軽蔑する意図がそうさせた。
21世紀は識字率も格段に向上していて、言語は様々に飛び交っていて、翻訳ツールは豊かなはずだ。
けれども分かり合えず、いろんなことになる。同じ言語を使う者どうしでも、いろんなことはおこる。
「sitescenes 」の2004年 日本展のときに行った詩は「明るい夜」。参加作家のクリスチャン・ニルス・ハーケにドイツ語版も読んでもらった。西春商店街の街頭放送からそれは流れた。2009年に山田亘さんとベルリンに「ベルリンなるへそ世界新聞」を行いに渡独したとき、ブレーメンにも遊びに行ったのだが、GAK というギャラリーで、クリスチャンの個展を見ることができた。
地下街のミニチュアを撮影したような映像と、その一部の門構えが人間サイズであって、鑑賞者はそれをくぐって映像を前にする。現実と虚構などと書くと陳腐だ。そんな印象では決してないことを強調しておきたい。
2006年には「鉛筆はミサイルとロケットを持っている」という詩の朗読を初老の男性 オルガさんに行ってもらうというビデオ作品を作った。同じく参加作家のジェニー・クロップにサポートをしてもらい、オルガさんを紹介してもらったのだ。
そのビデオ撮影時の試し撮りのときに、ジェニーが僕のアイディアを聞いて、即興で行った振りが、そこから作成された作品よりも、本質的に内容を捉えていた。それに気付くのは数年後。
日本でもブレーメンと同じくらい雪が降る町があるんだよと、教えたくなるくらいの日だった。長靴を履いてこないなど自殺行為だと僕は古本屋でたしなめられた。
二作は連動していないように思える。

2014年11月「ONGAESHI」日本展では「君との言語」。詩の形態はこれから探る。2015年3月 ドイツ展も「君との言語」を行う。タイトルは、少し変えてゆく。

http://ongaeshi-exchange.tumblr.com/