土曜日, 4月 30, 2011

涙と訴え

内閣官房参与に任命されていた、原子力の専門家、東京大学大学院教授 小佐古敏荘氏が辞任した。
会見のもようがテレビニュースで紹介されていたが、感極まって泣いているという印象で、詳細がよく分からなかった。少し経ってから NHK「かぶん」ブログ上に会見時に配られた資料全文が掲載された。

子どもの年間被爆量 20mSV まで引き上げという判断はいったい何を根拠に安全と言っているのか。
小佐古氏は容認することができないと涙を流した。
それは学者生命と共に辞任というかたちでの訴えではあったが、あまりにも無力やし過ぎないかと思えて賛辞できない。間違っているともっと戦ってほしかったと思ってしまう。
参与の立場では戦うこともできないほど、意見を聞いてもらえぬほど内閣のなかは腐っているのか。
参与をもまるめこんで御用学者になってもらおうとしていたのか。
素人考えで あれこそれ推察する。
この訴えに政治家は何か反応をしているのか。

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html

金曜日, 4月 29, 2011

こんなことをしているうちに

書店の震災特集コーナーで、週刊誌の別冊版を数冊見る。写真家が多く入っていて、グラビア写真を多く載せていた。なかにはモノクロームとか、モデルになってもらったりと報道写真の領域にはならないものもあった。
購入意欲湧かず、被災地の卒業式で 校長先生が読み上げた送辞をまとめた小冊子を求める。

午前に行った耳鼻科が異様に混んでいた為、処方箋は別の薬局にしようと思い先を急いだ。見つけた薬局に頼むと薬が無いので調べるとのこと。電話もらい、ジェネリックでも良いかと聞かれ、オーケーだったのだが近くには無かった。仕方がない。処方箋の原本を取りに再度その薬局へ、自転車を借りる。こんなことをそているうちに時間が過ぎていってしまうのだった。

急には走れないと話す。ギアを段階的に入れるように、パスタの前にパンでお祈りするように。

木曜日, 4月 28, 2011

カメラ=万年筆 スペシャルエディション

「カメラ=万年筆 スペシャルエディション」購入。二枚組の新譜 (?) だ。
1980年のアルバムのデジタルリマスタリングと、2011年の若きミュージシャンらに音源を渡し、全曲リミックスを行ったものの二枚だ。ムーンライダーズは 以前にも「月面賛歌」(2000) というアルバムで他のミュージシャンらに編曲を託すという試みを行っていて、それが引き合いに出されるが、あちらはオリジナルが提示されていない状態での発表で、他者に編曲されたものがオリジナルというものだったが、今回は異なる。リミックスはオリジナルを讃えている関係なのかもしれないと購入二日目にして考える。聴き比べては、オリジナルありきのリミックスだなと。崩壊は無く、原型に回帰する。
リミックスの音が多層化し複雑になればなるほど、オリジナルの複雑さを表には出さない仕上がりが際立ってくるように思うのだ。
永井聖一の「無防備都市」は新録のような姿勢で格好良い。

http://natalie.mu/music/news/47488

水曜日, 4月 27, 2011

姿勢ができたころへの波

ALLOTMENT 主催、與語直子写真展「GRANADA」とトラベルアワード2010受賞者、隼田大輔作品展示を長久手町文化の家ギャラリーで見た。
その足で愛知児童文化センター春季特別企画「なんだかうれしい!」も見る。
地下鉄からリニモ。雨が降り出していて、藤ケ丘で買った弁当は親子連れにまぎれて食べた。
自分の作品という姿勢が確立されはじめたころ、とボードには書かれていた。大小の波は訪れる。辛抱強く迎えること。
名字の異なる、同じ名前を探す、僕らは来た道を帰った。

http://www.allotment.jp/
http://www.acc-aichi.org/program/kikaku/index.html

火曜日, 4月 26, 2011

鉱夫の祈り

「鉱夫の祈り」(詞, 曲, 高田渡/1969)は 高田漣が、東日本大地震救済支援コンピレーションアルバム「Play for japan vol,2」でカバーしていた。

エネルギーが石炭から石油へ変わる時代、炭坑は閉山を余儀なくされ、それまで都市を支えていた地方の鉱山は見捨てられた。
町に住むお偉い方へと、鉱夫の祈りは語られる。

いま、原発政策が岐路に立つ時代に。
福島の事故はなかなか収束せず、子どもらの年間許容被爆量は何の根拠も無く引き上げられてしまう。
町に住むお偉い方へと、誰の祈りが語られる。

鉱夫の祈りを歌うそれは、嘆願機能ではなく 思いを広げることだ。
言葉は言葉を呼ぶ。
歌を定義せず、そのままに。

http://www.youtube.com/watch?v=df_QK-YkBQg&feature=youtu.be
http://ototoy.jp/feature/index.php/20110401

月曜日, 4月 25, 2011

東海地方で節電騒ぎは家計の為と言えっ

電子工作の為にニッパー、夕方には売ってない。
二週間で仕上げよう。オープンソースにあぐらをかいてちゃいかん。

チェーン店のレストランに入ったら、節電をしていますとの貼り紙があって、西日本では要らないだろうと文句を言い合う。朝のワイドショーでも名古屋の主婦が節電に取り組んでいるという話題。家電量販店でも照明など消しているとのこと。経費が浮くなぁ。もともと明る過ぎるんだけど。
東日本、被災地に送電はできないと補足はしていたが、なんだこの雰囲気だけで物事を進めて行く感じは!役に立っていると考えるのは間違ってる。家計の為にと言え。浜岡原発を止める為にもなっていない。

電気代を気にしながらハンダゴテを使う。

日曜日, 4月 24, 2011

9年前に探しに行く

idiot にて生まれて初めてトリュフ食う。旨い!こりゃみんな食べるわぁ。
白ワインを頂き、テーブルに肘をついたまま寝てしまう。
終電前に飛び起きて帰る。
9年ぶりの再会もあった。
9年前はあまり飲んだりしなかったのを思い出す。
もっと飲む機会を持っても良かったのかもしれない。いや、飲まなくても正直になれたのか。

土曜日, 4月 23, 2011

No Go Aria

「One Day Cafe #1」内、ライヴタイム「アンプラグド・アミーゴス」というイベントにて「No Go Aria 」。岡川卓詩氏、山田亘氏、福岡寛之氏、村田という編成。

そんな話は聞いていないよ
右肩をぶつけた
毎晩中継で

http://atsc2010.com/wordpressjp/?p=4740

金曜日, 4月 22, 2011

精神

気持ちは意味ではなく、互いに過ごした経験で醸造される。
それを続けたくなるのは 友情、恋や家族だ。

映画「精神」(監督, 想田和弘/2008)鑑賞。

ノートに詩と写真を綴っていたのは、エディット精神の持ち主だから。故に「ハイカット!」と言う。実に納得。
淡々と撮られる画に好感を持つ。
ホームページにあった監督のブログは、原発問題への追求が多く書かれていた。

http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php

水曜日, 4月 20, 2011

いーつかは、みーんなくたばるサァー

「みんなくたばるサァサァサァ」(詞, 米たにヨシトモ/曲, 鈴木慶一/2011)はムーンライダーズらしい開き直り前向きソングだ。

優しい歌が 頭から離れなくなる。最後はなんだか CMソングみたい。テレビサイズでなければもっとリフレインするのだろう。ずっと演りそう。
いつかはみんな、そう思って発狂したりはしない。このメロディからは。

http://www.youtube.com/watch?v=PMYMKRs4p34&feature=related

火曜日, 4月 19, 2011

ぼくも原発に反対です。手塚治虫

手塚治虫の鉄腕アトムは、アトムだから原子力発電推進派だと語られるくちがあって、そうなのか?と疑っていた。少なくともアトムは科学文明との苦悩を持っていたはずだった。時代背景として原子力とは人間が太陽を持つことができると信じていた時代はあるとは言え。
高野寛のツィートで、「図説・危険な話」(COMIC BOX 誌増刊 ふゆーじょんぷろだくと/1989) がネットに載っているのを知る。
チェルノブイリ原発事故が起こってから三年後だ。生前の手塚治虫本人に直接インタビューをしたもの。「ぼくも原発に反対です。」とある。
原発推進にアトムが使われた漫画のパンフレット「よみがえるジャングルの歌声」は不本意なものであったことが判明。これはすごい記事だ。

ただ、まだできないであろう核融合エネルギーには希望を託すという、やはり原子力に希望を見ていた時代であるのは否定できない発言もあった。それをまたアトムで描きたいという考えは、またやり直せると考える科学への希望観と繋がっているのだろう。
チェルノブイリ時代の日本での危機感と、いまの福島原発事故から感じている危機感は違うから。いま手塚治虫が生きていたら、また違うことを話し、アトムをこう動かしたい、ああ動かしたいと話すように思う。その思いのままの、まだ整頓はされていない状態を記した貴重なインタビューである。他の記事や漫画もすごい。何も変わらない気がしてくる。

http://www.laputa-jp.com/school/kikennahanasi.html

月曜日, 4月 18, 2011

私たちの望むものは

「私たちの望むものは」がいい歌だというツィートを見たら 阿部芙蓉美の歌となっていて、それはカバーだよとリプライをしていた。それは映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」(監督, 大森立嗣/松田翔太、高良健吾、安藤サクラ/2010)のエンディングテーマらしかった。
やりとりの後日、DVD で鑑賞。

ヘビイな内容で、何も救いは無い。
ただ、最後は無根拠な笑みがこぼれ、それには納得させられる。
救われるではなくて。
エンディングテーマは爽やかだが、つらい。
ただ、いい歌だと思わせる持って行き方がある。
いきなり岡林信康のライヴ映像見せられたら聴きこんでくれない人も、この流れなら最後まで聴くだろう。
ロードムービーは手法として選ばれるのではなく、彼、彼女らの語りそのものとしてあった。
エンドロールの暗闇、歌の最後まで行き着くのだ。

http://www.kjk-movie.jp/
http://www.youtube.com/watch?v=9a5Evs4vwg0

日曜日, 4月 17, 2011

石巻日日新聞

宮城県石巻市の「石巻日日新聞」が、震災の翌日から手書きで新聞を作り、避難所の壁に貼り出していたらしい!
それを米国ワシントンにある新聞博物館(Newseum)が所蔵したいと申し込んだというニュースを見る。
停電し、パソコンも印刷も出来なくなったときに、ロウソクで紙に手書きで、取材を通した記事を書いたという行為そのものが、新聞という存在の根源を思い起こさせる。
真っ暗闇のなかで、新聞を作ることを選んだ新聞社のプロ根性は素晴らしい。

被災地で有効な情報が選ばれ、新聞というフォーマットに入ったことで冷静で客観的なそれでいて親身になったニュースソースになっていた。

いまや 速報性では負け、公的発表だけを載せるような独自性無き報道の問題で、大手メディアの新聞はネット時代には消え行くものと位置づけられてしまうことが多いが、この震災を通して、ネットは役立つと共に デマや誹謗中傷、知識だけの混乱などの害も発生させていた。
全てのメディアにある長所短所を押さえる必要がある。ひとつの方法に終始してしまうことは危険だろう。
手書きの壁掛け新聞は、読者に明晰な判断を与えたはずだ。

http://www.asahi.com/international/update/0416/TKY201104160095.html
http://www.newseum.org/news/2011/04/ishinomaki-hibi-shimbun.html

土曜日, 4月 16, 2011

こんな夢を見た「赤富士」

「夢」(監督, 黒澤明/1990)の「赤富士」というくだりが予知夢のようだと呟かれているのを見て、そこのみを YouTube で見た。
逃げ惑う人々、知らない人、純粋な人、ニヒルな大人、抱きしめられる子ども、怒る、追求する、謝る、諦める、諦めない、無力。

多くのエキストラと CG から、少人数の舞台劇という二場面のみで一気に核心へ詰め寄るのは大胆でキレのある語り口だった。
ただ、「こんな夢を見た」で切り出される話には本気で耳は傾けられない気がする。
「すいません」の瞬間が描かれているというのに。
監督は敢えてその立ち位置を選んでいるのだろう。全編を近くに見たい。
何の解決になるとかではないが。

http://www.youtube.com/watch?v=z_ZxTB8mqbk&feature=share

金曜日, 4月 15, 2011

蔵の外、折り畳みの上

冷凍カレーの自然解凍。
飲みやすくなるのを待つコーヒーと同じ。
水筒に牛乳を入れない。
白米は分けて凍らせておく。
剥き出しになることはなかった。
そもそも吹きっさらしに向かうことなんて、何の試みでもない。
皮に包まれた夏みかん。
匂いは託されずに立ち上がる。
詩歌は託されっぱなしの固まりすぎる。
匂いに憧れて凍るのを待つ。
読み手は決まって猫舌だから。
みんな並べてみせる。
美味しいかどうか、後で聞けるかが気にかかるんだ。
だから外には出たくなかった。
まだ言っているのかい。
託さずに聞けよ。

木曜日, 4月 14, 2011

31 で働く人

ラムレーズンひとつに並ぶと店員さんは一人。
31 日には安くなるというお店で、優しくなりたくとも月末はまだ遠い。
二週間捧げれば食いっぱぐれなくとも良い?
被災地への義援金が含まれている商品を買うべきかどうかで迷った末に買わなかった。義援金をセールスの理由にされているような気もしてしまって、結局は何も動かせていない。買わなかったぶん募金すればいいと考えてしまう。
ラムレーズンのシングルコーンは美味しかった。スプーンを使って落とさないように食べる。

水曜日, 4月 13, 2011

働く人

友部正人の「働く人」(2001)を Tqitter に YouTube で貼ろうと検索したが、アップされていなかった。でも、感想が綴られたブログが一番に表示され、それに感銘する。

三分の一と三分の二が
私には逆さまに思える

そのときはじめて時間が愛おしく、動くことができる。無用な苦悩を避けることができる。

http://d.hatena.ne.jp/okadaic/20070926/p2

火曜日, 4月 12, 2011

呆れ顔で

大きな余震があり、名古屋でも揺れた。ビルの三階にいた為、いままでこちらでも感じたものより強く感じた。震度3、4。
収まったであろう後も揺れているようで気持ち悪い。船酔いのようになるというのが分かる。東京へ連絡。向こうでは中華料理屋が閉まっているところが多いとのこと。名古屋ではまだ開いている。留学生も日本ひとくくりにせず来てくれている場合もある。西日本で節電しなくともいいのにとコンビニの消灯にツッコミを入れる。それから浜岡原発ともんじゅの話。呆れ顔で淡々と怖くなる。

月曜日, 4月 11, 2011

やらない善よりやる偽善

ネットで通っている「disる」の語源は「disrespect」で、「respect」に「dis」が入っているから反論でも敬意が前提としてあって行うものだとラッパーから聞く。相手の目を見て言葉を返すという本来のスタイル。

「今の自分に何ができる?」(ラップ, MURCURY/2011)を聴く。

http://www.youtube.com/watch?v=BwGHR-aTa0I

日曜日, 4月 10, 2011

変わらなければいけないときだと思う

東京では都知事選、高円寺にて反原発の大規模なデモ。
名古屋でも愛知県議員の選挙、栄でアースデイと連動するかたちでのデモ。高円寺連動は一日早く行われていたらしい。

自分は次の仕事の為の会合をしていた。
震災があったから優れた作品ができるとかいう意見を聞いたという話があって、それは絶対におかしいと怒る。失恋したから良い詩を書くことができるとか、戦争があったからゲルニカという名画が出来たとかいう考え方は外からの結果論にしか過ぎず、不幸を有効な手だてと考えるのは馬鹿げている。ゴッホみたく生きているうちは評価されないのを良しとするような、夭折の詩人を自ら目指すのは建設的では無い。
震災や原発問題に限らず、どんなときでも疑っていなければいけないことは見えにくいかたちである。それを炙り出していくことで平和なり日常が守られている。
皆、自分の周囲のそれを確保して、社会をかたちづくっていた。
人の考え方は変わる。
変わらなければいけないときだと思う。

http://energy-policy.net/
http://410nonuke.tumblr.com/

土曜日, 4月 09, 2011

花見と3と2

福岡食堂発 花見ツアー、帰路再度食堂へ。
3 と 2 のローソク、嬉しかったです。


木曜日, 4月 07, 2011

Take a melody simple as can be.

高木正勝、坂本美雨、鈴木慶一で「Eight Melodies」(1989)演奏される晩。エンディングに Ustream 視聴者のアカウント名を流す演出で、それに合わせて一時間ほど 演奏された。最後までやろうと。
そのなかで御大 鈴木慶一は新しいメロディを即興で歌われていた。メロディへのザッピング。醸造の速度が速い。仕事の速さであるように思う。ロックとポップのメーカー。
子どもたちはエンディングまで泣かない。
泣くんじゃないのメロディだ。

http://www.mother-jp.net/times/report_hobonichi_mother_live.html
http://www.1101.com/MOTHER_music/index.html

水曜日, 4月 06, 2011

崩れたままでリラックス

スーパー銭湯に連れて行ってもらう。
うまく重ねることのできない椅子のような会話が、崩れたまま、それを急ぎで詰め込んでなんとか逃げ延びたような夜に、まだここは開いてくれていた。まだ行く話になった。
シークワーサージュースを飲み、マッサージを奮発し、サンザシのジュースを飲む。
もうおばあちゃんの年齢になる猫と寝る。鬱よりもっと甘え上手なこの子。

火曜日, 4月 05, 2011

来い

君の声の人
目の下をまるめ
バスで帰って行く
知られた町に
声と住む日々
猫がのびあふれていた
頬杖を見せられないのか
上を向いて歩こうは
明るく履き散らす歌じゃない
じゅうぶんに泣く歌で
あなたには希望の匂いがすると歌う
あの鐘を鳴らすのはあなたは
こうまで人を讃えていたのか
猫がまるくなる
君は仕事をしに行く
朝よ
来い

月曜日, 4月 04, 2011

目をつむって、雑居ビルもみんな超えて

書店で本を多く買う。一冊ずつなので買い占めとは言わない。
いままでずっと借りて読んでいた漫画「おやすみプンプン」(著, 浅野いにお/2007 〜)の最新巻、8巻 も。
どえらいことになってきた。
どえらいことに。
この漫画家は 綺麗にまとめられてしまえるので、ドロドロしなくて深くなりにくいと思っていたが、本作ではどんどん醜いところが湧き出てきている。爽やかで綺麗なタッチはそのままにドロドロしていく。オビのアオリを借りれば、これが漫画の新次元なのか。見事に乗せられてるが。新次元になるかどうかは次巻に懸かっていると思う。
伏線なのか、偶然なのかという際どいところで決めてくれるだろう。
彼が自分の顔を見て何と言うか。
誰かに おやすみを言うか。

就寝前、東京電力の会見を Ustream でやっている。こんな遅くでも関係ないのは分かるが、何も明解なやり取りは無い。プンプンがこの画面の前に居ても違和感は無い。そんなニヒルで終わらないでほしい。世界を描くには。

http://spi-net.jp/rensai_sakuhin/oyasumi_punpun/index.html

日曜日, 4月 03, 2011

社長と識者とジャーナリスト

ソフトバンクの孫正義 社長が Ustream で対談番組「東日本大震災について」を行った。
ちょうど昼に 社長が個人的に、百億円と今後も含めての寄付を表明して話題になっていた。
番組には 後藤政志氏(元 東芝 原子炉格納容器設計者)と 田中三彦氏(元 バブコック日立 福島第一原発 4号機 原子炉圧力容器設計者)、田原聡一朗氏(ジャーナリスト)、孫 社長 が出ていた。

連日の原発報道、政府と東京電力を批判するかたちで、番組は進んだ。「大丈夫」を繰り返す一連の報道を疑い、あえて最悪のケースや考えられうる事態が解説さ れていった。不安を煽るわけでもなく、冷静に進んでいたと思う。自分は布団に潜りながら相づちを打ち、途方にくれたり呆れたりのおおよそ一般的な反応をし ていた。Ustream の画面右は、Twitter と連動して一般視聴者のコメントが流れるようになっている。番組内容に突っ込みを入れることができる、Ustream のキモな機能ではあるが、見ていてあまり良い気持ちにはなれない。昨日のライヴのときなどは楽しいのだけれど、対談では殆どが野次だからだ。嫌なら見なけ ればいいのだが、そのなかで目立ったのが 田原聡一郎氏の発言に対する不満であった。理解はできる。朝まで生テレビと同一の司会のような調子で、解説をぶった切り、持論を展開したいかのように強引 に話を持っていくし、妙に素人ぶったり、玄人ぶったりもする。何様だと思わせるところもある。
だが、自分には 敢えてそんなスタンスをとっているのでははないかと思えて仕方ない。
番組の後半、脱原発か推進かの議論となった。識者の二名と社長は反原発を進めるべきだと言う。それに対し、田原氏は脱原発は無理だろうと意地悪なことを言う。フランスはどうなるんだ。何はどうだと言いたいことだけ言って、氏は退席してしまった。
時間的なことで既に決まっていたのようだったが、あまりにもコメントで退席しろと叩かれていたから、まるでそれに合わせたかのようでびっくりした。
コメントは退席を喜び、三名での話をじっくり聴けると湧いていた。この番組の主旨がよく分からないところに浮いているように思えた。
そして議論は面白くはならないだろうと思った。
そこから始まるのは、正しい社長が識者に同意を求めるという時間である。何も間違ったことはしていないし、実に正しいのだが、これは対談ではなく、殿様の時間だ。社長とはそういう存在なのかもしれない。
この番組自体の構成も社長がしている筈だろうし、田原聡一朗氏を入れているのもテレビメディアとの関連など 効果を考えてのことでもあると思う。議論の期待もあるだろう。社長とはなんとしたたかだろう。

原 発の問題について 社長はいままで容認派だったことを反省していると話した。そしてこんなことになったからには、なんとしてでも脱原発だと声を強くした。喉元過ぎれば何事も なかったかのように原発を動かし続けるであろう社会に対して、怒りと危機感を持っているというのには、同感する。
だが、放射能が漏れ続けることがどういった事態を引き起こすか分からないという話を聞きながら、「携帯電話の電波が人間に与える悪影響」という問題も、実は容認されてここまで来ているんだよなと意地悪なことを考えてしまう。放射能と電磁波は違うが、何も分からない。

そんなことは分からないのだから、みんな分からないんだと考える。
ただ、社長は面白いだろう。
悪趣味にも 藤子不二雄Aの「社長幼稚園」(1970)を思い出す。

流れていくコメントのなかに ときどき、田原氏は言葉を引き出す為に敢えてこうしているのだというものもあった。議論がつまらなくなるというのも。
ソフトバンクは繋がりにくくてダメだけど、社長は好きだというコメントもあった。

http://www.ustream.tv/recorded/13773062

土曜日, 4月 02, 2011

私と我々とあなたと皆さんのための

四月に限らず、馬鹿は馬鹿。あーあーあー。

Ustream で「小さな灯の玉 フリーギグ」を見る。チケットはメール抽選で、落ちたけど Ustream で生放送をしてくれる。無料で、これはすごい。
ムーンライダーズに あがた森魚らゲスト多数。選曲が壮絶。鈴木慶一が、何を当てて行くかを構成しているのであろう。「雨はやみそうにない」から、ゲスト勢とのプロジェクトを巡ってアンコール前に「心の底から笑える日来るまで」。これは SUZUKI 白書というソロアルバムの最終曲だった。人生の、そのとき、そう思うときを経るだろう。
アンコールでも 空元気にはならず「夢が見れる機械が欲しい」。それから全員で「大寒町」。少し温かくなって「スカーレットの誓い」。会場にいるお客さんの「やーやーややややー」が止まらず「流木の歌」が歌われた。
この流れは、メモリアルな過去形ではなく、現在形の歌へ辿り着く。
「艀(はしけ)」が浮かび上がる。
「私と我々とあなたと皆さんのための。」と呟かれ。

http://www.ustream.tv/recorded/13746274

金曜日, 4月 01, 2011

四月馬鹿できず

「総員 玉砕せよ!」(著, 水木しげる/1973)を一気に読み切った。
地獄を描きながらも重苦しくならないのは、リアリティと繊細な温かい絵だ。
これを本棚に備えていきたい。段ボールが積まれた部屋で。
四月馬鹿できず。したい気持ちにもならず。