月曜日, 10月 31, 2011

もにゃハウス号 新規購入

二人で自転車一台なのは限界だーっ!と、困ったところで解決の勢いに任せてホームセンターにて、新品の自転車を購入。
昔、母親用の軽自動車が納車されるとき、安全なように目立つ黄色にしたと話されたことを思い出して、オレンジ色のママチャリを選択。ダイナモなんて無い、LED の蓄電型だぜ。
機動力アップじゃーっ!と爆走。粗大ゴミは運べないけどね。

日曜日, 10月 30, 2011

何も無駄じゃない!

着々と遂行される美術系大学での「骨抜き」へ疑問を呈すやり取りをしていた。
結局、ノスタルジーの昔は良かった話へ流れて腐ってしまわぬように。
祭りなんて浪費で、無駄と言われてしまったところへ「何も無駄じゃない!」と声を荒げてしまったのはちょっと恥ずかしかったかな。
一見、無駄そうなことがそうではなくて生き生きといろんな事象を立たせてくれることに繋がるのを可視化したい。

土曜日, 10月 29, 2011

線跡のために

名古屋市の本郷にある、アーティストらの自主運営ギャラリー「GALLERY GOHON」での企画展に出品参加する。
企画者は、絵描きの茶谷麻里さん GOHON のメンバーだ。出品者は、外部の作家が二名、文谷由佳里さんと、私、村田。そして GOHON メンバーから、永田浩子さん。文谷さんと永田さんはギャラリーの一階で、向かい合うかたちで展示され、自分は二階の一室に入った。
展覧会名は「線跡 senseki」。茶谷さんによる造語である。
文谷さんは開廊する連日、壁面に広く貼った紙へ、大きくペンで絵を描いていく。線は広がる。自分でも思っても見ない描き方やその重なりに出会いたがっているような感触がした。
永田さんはキャンバス上に囁かに筆を重ねた画面。爽やかなブルーやグリーン。画面に少し開けたキャンバス地と、筆は細いものか、太いものをゆっくり付けて細く当てているのか。
階段を上ると、部屋は真っ暗である。小さなスピーカーから男の声。聴こえにくいのは、声量だけではなく、ずっと動いているスライプロジェクターのファン音のせいだ。
スライドプロジェクターは時折、光を出す。光は壁に貼られた紙と同じ大きさの四角形をしている。四角形のなかに手書き文字が一行、白抜きで見える。読んだらすぐ、ガチャとスライドが回転する。また異なる行。次は暗転。そしてまた別の行が。紙は木炭紙である。木炭による文字は、かき消されていて、とても読めない。白抜きの、すなわち光の行は、その紙のなかにあった行。
タイトルは「線跡のために」という。村田の作品。
アーティストトークとオープニングパーティーのある今夜は、その前に少しだけの時間、展示室で木炭紙に向かった。
GOHON メンバーの方々がその模様をビデオ撮影してくれた。

http://gallerygohon.jp/f3-exhibition-vol.20.html
http://jinmurata.jpn.org/301/101/sensekinotameni.html

金曜日, 10月 28, 2011

呼ばれる祭ではもうなくて

すき家店内で突然 有線の曲が途切れて、「防犯カメラで見ています!」と放送が入ったので驚いた。 そういえば、すき家への強盗が多いので、抜き打ち防犯テストを受けたとかヤフーに載っていた。

 まだ夜八時というのに、名古屋芸大の芸祭から帰る。 「帰れ」と言われて素直に帰る寂しさだけ募る。 何かをするにも、レスはない状況だから、何もできない。悪循環である。オンラインだけが賑やかになっていく。 昨年の OB勢が路上でギターをかき鳴らし、周囲が面倒な目で見ている図が、また悲しい気を増長させた。
「ここは楽しい!何かが何でもできる!」と呼ばれる祭ではもうなくて。

木曜日, 10月 27, 2011

「書く」と「描く」は異なり、「読む」と「見る」も異なる。

木炭紙を壁に貼る。
もにゃハウススタジオ にて、初めての作品制作。
書いて、撮って、書いて、また撮って。

水曜日, 10月 26, 2011

前のめり本棚の終焉

やはり、一昨日の「前のめり本棚」は徐々に本が前へスライドしていく。
何故に?と話すと、そもそも用いている金具が違ったようだ。
すぐに小型の L字金具に取り替えられ、前のめりは終わった。
自分は、久々に車を運転して、ホームセンターから木材を運んだということだけで満足していた。

火曜日, 10月 25, 2011

牛鍋丼並に新おっかけ とろりチーズ リピート

またガンダムのエスカップを買ってしまった。今日はブライト。飲まないんだけど。

月曜日, 10月 24, 2011

前のめり本棚の登場

掛け軸か仏壇を入れていたであろう空間にはめ込むかたちで作るぞーっ!と小生、意気込んで DIY けっぱりました。何年ぶりかの運転。ホームセンターからもにゃハウスへ。

生まれ出るは新しき本棚。
翌朝には本が前のめりになって一同おじぎをしている「前のめり本棚」。


 

日曜日, 10月 23, 2011

ダニ・カラヴァン

風をふくんだカーテンをバスに入れ、四人の約束は手を渡る。
紙のこと。

「室生山上公園芸術の森」は素晴らしかった。
ダニ・カラヴァンの仕事に立ち、二人で黙る。

土曜日, 10月 22, 2011

画面に何も期待しちゃいけない

" mixiで足あとを気にして
ニコニコで再生数を気にして
Twitterでフォロー数を気にする
日本人らしいね。
能天気に生きよう!"

というマーキーのツィートをお気に入りに。
SNS で泣きわめく者の間を、颯爽と言い放ち、見返り美人よろしくあれは誰?とさせるのはカックイー。

金曜日, 10月 21, 2011

「緘黙」と言って黙る

「緘黙」と「沈黙」は異なるという話をアーティストランスペースのスタジオ「 i/o」で少しした。
来年年明けに伊藤正人氏が企画して、参加する展覧会の題名が「緘黙する景色」だから、その「緘黙」とは何かと。缶ビールとともに話した。
ブログではリンクを参照し、会話ではチラシを参照する。自分がどう考えているかを参照後に話す。参照をとっぱらって鑑賞者は作品に出会うことがしばしば。それくらいでちょうどいいとも思う。

http://beyondwords2012.blogspot.com/

木曜日, 10月 20, 2011

理由なくスライドを進ませろ

雨が降ってきた。ビニル袋をもらっておいて良かった。
ご飯を食べる前におしぼりを横にスタンバイさせておくようなことである。
Powerpoint の操作より、ケーブルの付け外しのほうがたいへん。おしぼりを置いておこうにもケーブルはどれも黒色だった。
わざとらしく意義があると語られれば、スライドも次へ進みやすい。
何もないんですと言われたほうが、きっともっと面倒な話に入っていくことができる。そこで溜め息から深呼吸、笑みをつくるまでの間に一枚スライドを。

水曜日, 10月 19, 2011

初期のもにゃハウスでの日々

昼間のラジオ。
レストランのお食事券をプレゼントが、汚職事件をプレゼントに聞こえた。
でも何も言わずに作業を続けた。

先日、Amazon で注文していたサーキュレーターが届いていて、早速 風呂あがりに換気に回している。湯けむりがひいていくのを見つめること数秒。

自分は十年ぶりくらいに引っ越しをして、前のところから近いながらもはじめての町に住みはじめた。猫の鬱が嬉しそう。アパートから一軒家になったから。家の名前は「もにゃハウス」。いままで自分の webサイトの名前をアパートの部屋番号をあてて「画室301」とかしてたけど、どうしよう。もうそんなの誰も認識してない呼び名だけど。ああ「もにゃハウス」だって。

火曜日, 10月 18, 2011

守る世界のために必要な「懐かしい」という感覚

バンコクのウー君こと、Satit氏 が Facebookに 20世紀少年のボブ・レノン動画をあげていた。
タイ語でコミックも出ていたし、世界の危機と戦うストーリーは盛り上がるはず。タイも中盤で出て来てた。
日本の 70年代 原風景は漫画で世界中の「懐かしい」になってく。
ボブ・レノンをみんな聴いて、それがオリジナルになる。
古き良きアメリカンテイストを映画で追うように。

月曜日, 10月 17, 2011

同期で消えるもの

風邪の流行るなか、iCloud の使いにくさについてゴホゴホと語る。
フォトストリームは写真を一枚ずつ削除できないという酷い仕様なので、電車のなかでダウンロードしたグラビヤアイドルの写真が Mac のなかに音も無く佇んでいた。
自動同期のはじまりと同時に、同期しなくていいものもはじまる。

メモは忘備録としては良いが、更新したときに前を見返すことが難しい気がして、たくさん同期する羽目になっていく。
風邪→薬→スギ薬局のポイントカード→家族のカードで交換→加湿機→加湿機の洗浄。
あるとき思って、メモを見返しても分からない。
何曜日がポイント5倍デーだったっけ?

日曜日, 10月 16, 2011

田舎とアートは矮小な話にされて

「アート亀山2011」を周遊しながら自分の仕事についてを話す機会を頂く。

夜は昼にカレーの出店をされていた、おおもとのレストランで倉岡先生と食す。
先生は絵と鏡を用いた展示をされていた。路上でモデルになっていた女性の方と、記者の方と、自分とで入れ替わり鏡の前に立って、もっとここがああだったらね、文化祭の延長しか・・と話されていた。
帰りの電車の時間まで、亀山にレジテンスをしているアーティスト勢と話す。関東から来ている方が多く、亀山での過ごし方を指南したミニコミ新聞を見せてもらう。コンビニや ATMの位置、食料品スーパーの見切り品のセール時間が書いてあるのを見て、郊外でのサバイバル術かよ!と突っ込む。役には立つだろうけどねぇと苦笑してしまった。いや、暮らすということは現実的に動ける地図も要るのだ。でもリサーチをスキップするだけではなく、あなたしか見つけられなかったものを読みたいのだ。

土曜日, 10月 15, 2011

都市とアートは広大な話

「シンポジウム・シズオカ的・ブレーメン的」を聴講しに、静岡市立美術館へ真坂氏と行く。ちょうど三月に企画されていた「静岡・ブレーメン国際交流プロジェクト DECWAS」の関連企画で行われる予定だったシンポジウムだ。震災があって、ドイツからアーティストらが来日することが難しくなり、展覧会自体の内容を変更せざるを得なかったもの。シンポジウムは中止になっていた。
そのときのことを振り返るだけでなく、これからのこと、都市とアートのことなど、語ろうとしていることは果てしなく広大に設定されていた。
ブレーメンより来ている竹岡先生と再会した。2004-5年の「ブレーメン・ナゴヤ アートプロジェクト site scenes」のとき以来。懇親会の席で近作の資料などを話す。
周囲で震災へ何かをしたいと考える日本人アーティストの話。究極のところ、外へ何かをしようとするきっかけは何だっていいのだから・・なんて、話す。賛辞も批判も動機自体には何も無い。この仕事を広大だと捉えるのは勝手だが、結局は目の前の道具を触らないと起動しない。
帰りの車中では仕事の話をしていた。
スマートフォン、いやデバイス二台が暗闇に灯っていた。

金曜日, 10月 14, 2011

4S 前夜〜ケータイ装備のチェンジング・iPhone またね!

悩み倒して iPhone4S には行かず、三年目の iPhone3G を解約す。ええい!店員さんに止められても振り切る!どーしても 4S を惚れられない。
ヤフオクで落とした五百円の中古ガラケー 705SH 茶色に SIM を変える。もう二度とパケット代金は払わん!と宣言。UQ Wi-MAX 契約しておいたので、これで出先も家もネットするというところだが、iOS5 並びに iCroud 恩恵受けたいので、iPod touch の白を購入。touch をとことん iPhone 化させるというテの裏技オタクみたいなところへ着陸。装備のチェンジングだ。モバイルバッテリーはとっくの前に三代目のモデルにした。もう少し待ってエネループの新しいのを待つべきだったか。とうとう携帯二台持ちみたいなことになった。いや、電話は変わらない。iPhone 用のメールアドレスが消えて、身軽にはなった。いまや Gmail で事足りる。6年前のガラケーなのに新鮮だ。パーツのひとつひとつを並べていたことのある機種であり、思い出もある。
iOS5 はどんなものか。公式 Twitter アプリでなく、使い慣れた Fastweet というアプリを入れる。更に速い。さあこれで何をしようかだ。3年前の iPhone3G 購入時にも同じ事を言っていただろう。

アップルストアの前に寝袋やキャンプ椅子装備で並んでる人達が居た。献花があり、行列があり、賑やかだった。
警備員が列に付いていた。見張りつづける徹夜仕事が最もたいへんに思える。
翌朝、並んでいた人々が買って帰るとき、他の携帯電話店で予約していた iPhone4S が 警備員の家に届いていたりして。

木曜日, 10月 13, 2011

ジャックで二人

THE BEATNIKS 新譜 聴く。ジャック、と呼びかけではじまる。憂鬱が明るい。最終出口の連呼まで。
また一曲自体は短かく凝縮されている。
このアルバムにしてビートニクへの反応、無邪気にあからさま。思い出したようにカットアップ。

水曜日, 10月 12, 2011

そして手紙は送られたか

昨日で震災から7ヶ月。
弟と祖母の誕生日は7日前。
メールも何も送らなかった。
手紙と称して展覧会の案内を送ることにする。
一度も見に来たことはないけど、そんなものかしら。
僕も弟の仕事へ押しかけたことはない。

火曜日, 10月 11, 2011

何やってんの?

「何やってんの?」が流れる店内。
帰ってからも「何やってんの?」。越して来てから一ヶ月。何かできてるか。このままだ。常に見惑う。

月曜日, 10月 10, 2011

大変だった ア"ーッ!ラジオ 2011

アジアなラジオカフェでのコーヒー、U崎先生とくつろいだ。本棒氏の即興アコギライヴも楽しむ。
あらゆる側面から大変だった「ア"ーッ!ラジオ2011」。初日の今日は放送事故も起こったが、Ustream でも聴かれて、広くアッピールされていくようだった。前述のカフェからも放送を成功していた。
FM 電波は相変わらず、飛ばすのが難しい。もっと電波に精通した方の助言が要るだろう。電波系の顔ぶれだけどさ・・。

日曜日, 10月 09, 2011

ちょっくら回顧モード

アートプロジェクトのタイトル決めようとなって、長い会議してる場合はうまくいかない。
今日、数多あった過去のアートプロジェクトのチラシ類を整理してて思った。
噂に聞いた「ハレンチ四万十」というタイトルはきっと、一瞬で決まってるんじゃないか?
詳細知らないうちから、名は体を現す的なフィット感があるから。

手前味噌ながら「ア"ーッ!ラジオ」は早く決まった覚えがある。「アートラジオ」じゃ、当たり前だから アーット!ラジオ
……ア"ーッ!に。
叫んでたり、ぼやいてたりでもアーッは良い。初回時のサウンドロゴには色っぽい アァ"~ッ!ラジオもあった。誕生日パーティの席で録音した覚えがある。あと某男子にガッツリ大声で歌ってもらった アアアーッ!ラジオーってのもあった。ぼそぼそ言ってたのは自分。英語表記は「a"aarts!radio」に決めた。もともとは某るみねぇらが企画していた展覧会「pollen」内での一日限定ラジオというかスピーカーから出してたショーがはじまりで、その後も放送局ものをちょこちょこやってた。芸祭で、昭和慢画ラジオもしてたし。もっと前には 林緑子さん企画の MHK もあった。ブルマヨで出させてもらった。あの MHK は、名芸の A&D センター全館での企画放送局だったはず。1999年だと思う。小松氏も、僕もそれぞれ詩を読み、時間いっぱい言いたいことを話した。あのあたりに、調子にのってブルマヨのホームページに小松氏との対談映像を載せた。50MB くらいしてたん。見るには長時間ダウンロードに待たなければいけない代物だったが、見てくれた方がいて「たいへんだけどネットの可能性を感じました!」と感想をもらった。僕らの対談そのものへの感想では無く、寂しく感じてそれっきりだったけど、重要な感想だったのだろう。以後、いろんな人と対談する企画ページもやっている。
過去話ばかりになってあれだけど、意識してたのは他者であり、同時に自己だった。いまだったら、Ust しまくってるだろう。
なんて思い出しながらサイト覗いたら、リンクが壊れていたので修復する。

土曜日, 10月 08, 2011

ラジオと言えば ア"ーッ!ラジオ

今年はサポートという立場ながらの「ア"ーッ!ラジオ」連動。Twitter で日程などが飛び交う。しかし未確定事項多く、逆に混乱を招くよーな流れも起こる。最後はオフィシャルサイトへ流れていくのだが、そこで興味を持っている人をガッチリ掴めるかだ。
今回もまた、大学内の FM 電波だけでなく、Ustream でも放送する。オフィシャルサイトのトップにそのウインドウを組み込む。
早いもので「ア"ーッ!ラジオ」4年目かっ!?

金曜日, 10月 07, 2011

あらゆる伝説がリレーションしている

Twiiter を筆頭に、ありとあらゆる SNS でジョブス氏の訃報が回っていく。
あまりにも出来過ぎたタイミングで、ドラマチックなこの流れに、4S は for Steve の略じゃないかと言われ出している。いや、彼は 5 を見たかったのではと別の方向から聞く。

ゲームセンターあらしの漫画家 すがやみつる氏による「アップルストーリー」(1984)が紹介されているのを Tumblr で見つけた。少年向けにこんな漫画がつくられるということは、当時の小学館の編集者のなかにアップル信者が居たということだ。ジャンプもそうではなかったか。堀井雄二らはそこで動いていたはず。
あらゆる伝説がリレーションしている。
たとえ SNS があってもなくても、惹かれ合う者はいると思う。
SNS では、その速度が上がっていくのか。離れるのへも?

木曜日, 10月 06, 2011

どんな言葉が正しいのかは誰にも分からない

10月6日 名古屋駅のハローワークへ引越しの手続きに行く間、手もとの Twitterに、スティーブ・ジョブズの訃報が入って来た。

Twitterは 訃報と相性が良い。
遠く離れた人々が TL上で 驚き、嘆き、悲しみを分かち合う。
ある者は お悔やみを申し上げ、またある者は思い出動画を紐解く。
悲しみには差があるから、誰かの冷めた言葉に辟易することもある。
しかし、どんな言葉が正しいのかは誰にも分からない。
ただ、消えない言葉がTLに浮遊して行く。
亡くなった者だけがそれを読むことはできず、その者が語られる。

ハローワークから出勤する途中、九時四十分くらいに、アップルストア栄の前へ行ってみた。
開店は十時からなので、まだ自動ドアは閉まっていたが、Macたちの画面は点いていた。

昼休み、職場の方に アップルストアみてきたら と気遣ってもらい、行く。自分がオタクだということをカミングアウトした以上、動きは機敏になる。なんて大げさで、前から明らかだったけど。とにかくアップルストア栄へまた行った。ちょうどアメリカのアップルストアの窓に Thank you Steave とリップで書かれた献花の写真がツイートされていた。十二時半頃、花は無い。店に入る。青地に白のアップルマークの男性スタッフが話しかけて来た。「何かお探しで?」急なことで、咄嗟に 白の iPod touch 出てますか?と聞いた。「まだ、来ていなくて、12日以降なんですよ」と返してくれる。スタッフの目が潤んでいた。

御礼を言って 黒の touch を触る。今度は女性スタッフが話しかけて来た。touch でも日本語フリック入力できるか尋ねる。以前に touch はキーボード入力しかできないような印象を持っていたのだ。できますよと教えてくれて、実際にメモアプリを立ち上げてフリック入力を出してくれた。「白、楽しみですよね」女性スタッフの目が潤んでいた。

夕方、アップルストア栄の前に献花があったというツイートを見た。

水曜日, 10月 05, 2011

Yes. Japanese handy phone companies so big changing by United states one company.

5ならず!4Sと来た。昨晩のガクーッ!をまともに受けて、日中ああでもないこうでもないと考え続ける。その考える喜びが昨夜はもたらされたわけである。
siri の自由も、iCloud と iTunes Match も、存分に機能することは日本では当分ないだろう。携帯電話会社がソフトバンク独占から、au も参入するという、ユーザーにとっては面白くなる可能性を持ちはじめた喜びである。
昨晩のアップルは生放送をしなかったため、現地の取材記者からアップされる写真と英文テキストを翻訳していくサイトを追って見届けた。
翻訳にワンテンポ遅れて理解するように、日本の我々はハードとソフトを遅れて使いはじめるのだった。
携帯電話会社の問題は、日本は決して不幸な状況ではないと聞く。そう言われても不自由に感じ続けている。4Sにすればいいっていう解放感はあまり無い。

火曜日, 10月 04, 2011

吉増剛造トーク

月曜の晩。千種正文館で 吉増剛造 トーク。「キセキ」を見ながら 芭蕉について。
決して留まらず、動き続けていた。
OHPの芭蕉に、ゴッホに、眼を透かして歩いていた。

我々は、線路を渡ったところにあるピビンバの店で食す。
吉増剛造は、肉食であろう!

月曜日, 10月 03, 2011

天井に最も近い鬱

とても甘いケーキをお土産に。
本をどこに並べるかと考え出して日が過ぎる。

日曜日, 10月 02, 2011

友部正人の持っていない CD のタイトルをこのころいつも思い出し

一時的な圧縮は過去のもの。
広がる光の受け皿のごとし、畳と壁は、そのまま時間への希望であった。
そこに解凍を巻いていくことで、生活ははじまるらしい。
すぐにまた暑くなる。

土曜日, 10月 01, 2011

ドント・クライ・スカイ

画家 横井彰氏の個展、ギャラリーAPA で見た。人の顔だけを熱く描いている。絵を描くのは孤独なことだけど、肖像画なら誰かとずっと居ることができるという意の言葉に頷く。
暑苦しくはない。
昨晩、炭酸のなかでなかで見た のっちがラブラドールレトリーバー犬を引き取ってもらいながらエンディングテロップのシーンは、悲しかった。爽やかに演出してあったぶんだけ、酷くて悲しかった。
朝には、ドント・クライ・スカイ。