金曜日, 6月 24, 2016

詩人の仕事

「詩は役に立つ!役に立った!」
教室の帰り際に、そう伝えて頂いた。
中原中也も、ランボーも、無茶苦茶な人だったが、我々を惹き付けてやまない。アニメや漫画になろうが、なるまいが、詩は色褪せない。へっちゃらで綺麗な明朝体に託している。
1999年に始めた 小松亮一氏との「ブルーマヨネーズ」の 詩の展覧会が アートラボあいち長者町ではじまった。最初はアーカイブ的な展示を考えていたけれど、つまらないよねという話になり、2フロアある展示室を連携させた作品となった。個々の部屋に名前をつけ、それらを続けて読むのが、タイトルとなった。「letters, readings」となる。
ずーっと仕事が続いている。
採算度外視という言葉が既に外枠で転がっているもんだから、ランボーの労働を拒否という年表の言葉に痺れた。憧れは石ころすら緑色に発光させる。
思えば、中原中也もイクメンだった。
中也も「私たち」だと見つめることができたのだ。多くの現代の読者は「中也と私」という関係を想定する。突き付けられた詩が 自然と そうさせる。
あまり好きではない言葉だけど「イクメン」を持ち込めば、私たちという連帯をもって 中也を見ることができるかも。そう思った瞬間、するりと 中也は私だけの孤独へ去ってしまった。誰もその悲しみを理解はできない。
そう、誰も 他者を理解することはできない。
「あおさ」は孤独。あるときは なんとかなるさと言い、また あるときは 頭を抱え込む。
小松氏の詩「BAD BYE」から始まった「letters, readings」。これは17年目の仕事だ。

月曜日, 5月 30, 2016

お湯美と 5月、我を見つけてくれたなら

5月の末。日本は朝 2時。感覚的には深夜。連休ではじまった今月ももう終わる。判ってはいたが、異様に忙しい月だった。
なんとかうまくやろうと、GTD 発、モレスキンLOVE 便、yPad 経由の Trello 着なんてぐるぐるで、周囲に自慢しては yPad 買わせる展開まであったのだが、自分は使わなくなってしまって、3月に購入した Moto360 が当たり前の感覚になってきて、いよいよここからかなと考えている。モレスキンを使い終えた。昨年の 11月末に買ったと中表紙に書いてあるので、半年は使ったということか。二冊組のカラフルなモレスキンにしようかなとも思うけど、黒のシンプルさが良いんだろうな。お気に入りのリサイクルショップに レゴブロックが表紙のタイプのモレスキンがあるらしいけど、飽きる気がする。
なんだかんだで、三十七故か、使うものの好みが自分でわかってくる。今更か。

「Group works and Collaborations」という どストレートタイトルの展覧会(これはタイトルと呼んでいいの?と突っ込まれそう。)で、小松氏とのブルーマヨネーズを行うことになった。打ち合わせをしてから随分時間が経ってしまったのに、一向に自分の詩作が進まない。自分で持ちかけておきながら、自分で遅れさせている。
GTD の中に、自分で決めたリマインダーを守れないということは、自分で自分の約束を裏切ったからだと 確か書かれていて、それを思い出す。当たり前のことだけど(そもそも、GTD に書かれていることは全て当たり前だけど意識して考えたりしていないことだった)、意識する。
相手を意識して、詩を読むこと。
ところかまわず ツィートしたり、いいねを押したりする言葉に方向は無く、自己言及でもなければ、生やさしい時間なのだ。
それはそれで要るのだとも思う。
猫の鬱に名前がまた増えた。「お湯美」である。いつもお湯ばかり好んで飲んでいるから。ようやく、鬱なんていう不幸な名前から、本来の自分を見つけてもらえたのかもしれない。勝手な飼い主に反抗していた頃もあった。トイレのシートを買うようにと、カレンダーの下に付箋で貼ってある。
泣いている猫の絵を描いて。
今日は、なんとか時間をつくって絵を描いた。
6月はこの絵からはじまりそうである。そして、9日から搬入で、三日間は注力し、12日の日曜にはブルーマヨネーズについてのことを話す時間もある。その前に 6月5日には「町に眠る詩」という題で一人トークも行う。諸々は「お知らせ」をご覧ください。
5月最後の日は、ずっと雨かもしれない。
倉岡先生の絵が使用されているという映画を見に行きたい。
ボーイにまた突っ込まれそうだ。そうだ、今日はピースあいちに SEALDs の奥田さんが来られていたらしい。そんな余裕は無いものの。
部屋の電気をつけようとしたら、テーブルの上にあったワイングラスに手が当たってしまい、見事に割ってしまった。
そんな事件ひとつでも どんな言葉を選び、どのような順序で語るのか。そんな要素も詩作のトレーニングには要るのだろうな。
5月最後の日は、朝から NHK名古屋文化センターで教室である。

http://gc.jpn.org/

金曜日, 4月 01, 2016

ふたりはともだち

冬の終了。春ではじまれ。
がまくん、かえるくん、君はどっち。言い合って。
「蛙の国会、人の町」の蔵へまた行きたいと聞く。
それらは嬉しかった。
四月一日だけ調子に乗らせて。他のどこにも書き込まないから。

蛙の国会が行われているから、蔵の中に入ることはできない。気づく者しか覗き込むことはない。そう、小野氏が跳躍に気づいたようにね。

たけしの挑戦状のエンディング画面「えらいっ!」は最高。そういう一言で言い切る力は必要。
絵の具よ「具」になれよ。
「花の絵を描くのではない、絵の花を描くのだ 棟方志功」をとことん引用する。山崎さんの引用の更に引用。もともと棟方志功だということに甘えて。
だから 絵の具よ「具」になれよ。

「ふたりはともだち」(作, アーノルド・ローベル 訳, 三木 卓 / 1987)読む。
おきなよ。
僕らは手紙を読んでいる。