金曜日, 6月 30, 2006

ファイナルワランティ

バイト先が市内だと、都合の良いときがある。
壊れた次の日にグッドウィルへ修理を頼みに行くことができた。バイトが無かったらこれだけの為に840円。それはやってられないので、ずるずると遅くなってしまうのがパターンだった。
診断してもらい、入院が確定。補償は最後の適用となった。少しだけ足が出るけれど、ここで躊躇する余地は無い。頑張ってねと送り出した。アップルの修理代はどれだけ直しても定額らしいので、壊れているところを列挙する。
ハードディスクが起動しない。
CD-R が焼けない。
CD が読めない。よって CD立ち上げもできないし、iTunes に音楽を取り込めない。
トラックパットがときどき狂う。操作ができなくなる。
スリープからの立ち直りが遅い。
キーボードの中が猫の毛(フロム猫の鬱)だらけだ。

なんて苦労自慢。帰ってきたら、いたわってやろう。もう無理はさせない。

木曜日, 6月 29, 2006

最後の助成申請

いい映画を見た晩の、次の日の朝は気分がいい。
バイト先との往復にはゲームボーイをしていた。イヤホーンを猫の鬱に噛まれてしまったので、音楽は消しておく。なので少し物足りない。

夜七時より味噌蔵にて bnap06 定例会議。ドイツからメールが来ていたので報告する。それと、今週の月曜に担当の方と会ってきた助成申請について。福岡氏が航空会社にて必要書類を取ってきてくれた。今回の助成が、このプロジェクトにとって最後の申請となるだろう。
早めに切り上げて福岡事務所に移動し、この申請仕事にとりかかる。会計係の中田さんと吉澤さんに変更点などを修正してもらう。会計表はエクセルデータで作 られていて、彼女らは計算式などを表に入れこむことができるのだ。僕はオフィス系には弱い。その方法をまた教えてもらっていない。

こちらは、アドビ系だっ!と、通称イラレを立ち上げ、既に作っておいた名簿などを印刷しようとしたら、プリンタを認識しなかったので Mac の再起動をした。
すると、画面がつかない。あれ?と再々起動。グレー一色は出たが、まったく起動せず。耳をすますと、ハードディスクの回転が止まったことがわかった。
「調子悪いな〜」
と助成仕事する面子に言うが、さっきしようとしていた印刷が優先なのか、iBook を助けるのが先なのか判断がつかなくなり、冷静を装いつつも内心は慌てふためいていた。この傾向はヤバイ。確かに最近、調子は悪かった。いろいろ無理をさ せてきたのは承知している。もうこいつも4年目だし。いやでもやっぱりヤバイ。吉田氏もブログで iBook の死亡を書いていたっけ。まだグッドウィルの補償 残っていたかな〜。
ブログっぽい書き方だと「(泣)」となるであろう。
ハードディスクが立ち上がってくれないので、データを 抜き出すこともできない。iBook は休ませておき、ひとまず福岡事務所に常設の eMac でゼロから作り直して印刷する。さっきの会議のときに、味噌蔵でみんなに画面で見せて確認してもらってたときは問題なく動いてたのに。
助成はともかく、iBook そのものと、中身にあるバックアップのないデータが気になる。今年に入ってからのデジカメ写真は、まんまあったはず。メールも重要なもの以外はサーバーに残していないし。
書類まとめは、福岡氏が直筆で書く部分のみとなった。中田さん、吉澤さんは帰っていく。
僕の表情が優れないのを不安げに谷村さんも帰っていった。もちろん、先の二人も心配してくれた。この状態は「鬼に金棒」の逆か?「水を得た魚」の逆みた い。「Macを失ったむらじん」。いや、「弘法は筆を選ばず」の精神で、トラブル回避をやってのけるぜ。これらの諺は使い方が間違ってるな。

ネットで調べて「PRAMクリア」すると、アップルマークが出てくれたので「よっしゃ!」とガッツポーズ。だが、そこから動かず 静かになってしまう。
ポーン、ポーン、ポーンと三連ちゃんクリア。効き目なし、どころか! windows の起動画面みたいに文字列が剥き出しになって表示されてしまう。ビーッ!という聞いたことのない音。パワースイッチを数秒間押すか、リセットボタンという 警告文が画面中央に出た。OS9 だったら、泣き顔の Finder が表示される事態であろうか。通称「サッド・マック」だったか、あれが出たら本当にヤバいって聞いたことがある。僕は未見のまま OSX に移行した。
だいたい、G3に OSX 10.3.4 panther というのが無茶であった。各種アプリをぶちこめるだけぶちこみ、ついには先日、某共有ソフトを入れたばかり。ああ、あれが大きな負荷となったのだろうな。 あれは本当に重かった。調子に乗って入れたが、なにもできなかった。
ハードディスク死す。
2002年より使用しているこの iBook には二台目のハードディスクだった。もう限界だ。もう最新のソフトにはついていけない。
気分優れない横で、助成申請に必要な書類が完成した。確認してコンビニまで歩き、控えのコピーをとる。偶然、ブリスと会い、聞くとカイルが明日マレーシアに帰るので、囲んでいたそう。いま荷物詰めをやってるはずだと聞き、その足で宿泊先のアパートに立ち寄った。

缶ビールを空けて、帰国の前日の気持ちというのを思った。
明日早いそうだから、挨拶程度になってしまったけど、さよならを言えて良かった。
福岡事務所には、eMac とプロジェクト用の iBook、僕の壊れた iBook、さっきまで吉澤さんの Power Book があった。
ビールはロング缶一本でちょうどいい。

水曜日, 6月 28, 2006

美化しない輝き

マレーシアからの留学生カイル氏と大学で会った。今月まるまる一ヶ月、何名かとで来日してきていてグループ展も行っていたらしい。あいにく、今日は片付け の日となっていて、梱包している途中に彼らの作品を見せてもらう。握手をするとき、彼は、常に楽しんでいる目に見えた。僕もそれを伝えるだけで良かった。
その足で絵画教室のモチーフを買いに行く。マレーシア産などではないが、パイナップルが出ていたのでそれにする。下書きをせずに水彩絵の具でじっくり描 く。例のごとく黒の絵の具は使用禁止だ。すぐにそれに頼るからとい教えをずっと実行する。混色も必須項目。楽ちんに用意されたツールじゃなく、いろいろ取 り組めるようにと。
教室をしながら、絵は豊かな表現方法だと改めて思う。こどもらは三十分くらいだけど、パイナップルを描写した。その色は単色ではない。それを意識しても、 絵というものが、そこにある全ての種類の色を再現することが目的ではない。完全なるピクセル分解に憧れつつ、それへと至る中での行為が重要であった。そこ で行われることは個人によって見事に異なり、絵はそうやってあらわれてくる。意図することはその行為についてにしたい。

レンタルにて「アメリカン・スプレンダー」(監督, シャリ・スプリンガー・パーマン&ロバート・ブルチーニ/ハービー・ピーカー/米/2003)という映画を見た。主人公ハービー・パーカーは同じように言っている。
「絵と言葉があれば、なんだってできる!」
彼は現実の生活を漫画にするという表現をしている。お金を得る為の仕事は病院の書類整理係で、つまらなかった。同僚の連中を見ていても、自分の姿や言動を 見ていてもパッとしなかった。離婚したり、引き蘢ったりの、それなりのそれなりのダメダメのアメリカの郊外で。彼は既に中年となっていた。日本にでもあり ふれたような彼は、そんな日々を漫画にしようとする。実際にあったノンフィクションを基にした、ドキュメンタリー調も取り入れたフィクション映画だ。
劇中では俳優が演じるハービーと本物のハービーが出てくる。
アメリカの漫画文化は、コミック文化と呼んだほうがしっくりくる。
日本の漫画文化と大きく異なる点は、漫画家というひとりの人間が脚本と絵の全てを手がけないことでが挙げられる。脚本家と作画家が別にいて漫画を作るのが 当たり前なのだ。そしてひとつの脚本やキャラクターを、様々な作画家が描くということも多い。発表の形態として、漫画総合雑誌ではなく、はじめから単体の ペラ本を出版している。ハービー・パーカーのように画力が無い場合、日本では大変ではないかと思う。脚本と作画が別であるもので名作も多いし、小池一夫な どの大脚本家がいるのも事実だが、日本では軽視されている傾向があるからだ。映画を見つつ、前に竹熊健太郎のブログでこのことについて書かれていたのを思 い出した。
ハービー・パーカーは棒人間画をコマ割りの中に書いて漫画脚本を作り、雑誌を刊行した。
その雑誌名は「アメリカン・スプレンダー」。「スプレンダー(splendor)」とは「輝き」の意味がある。

彼が描いた漫画によって、彼の人生が変容して行く。
素晴らしいところは、単純なサクセス・ストーリーではなく、現状のままを否定せず、豊かに見つめようと姿勢が変わっていくことである。
勝ち組趣向にがんじがらめにさせられて、悲鳴をあげているいまどきの状況に風穴を開ける力があるのだ。自己満足の道化ではなく、漫画として成立したものを作る創造性がある。この映画もただの紹介という意思ではない。
等身大の姿を美化しないという姿勢が、映画の至るところで貫かれていて、コメディーのようでありながら中身は相当にマジだ。
「美化しない輝き」なんて、最高にカッコイイ。オタクもカッコイイ、笑い者ではなくて。

だがしかし、本編終了後に DVD特典に収録されている日本版予告編を見て、背筋に悪寒が走った。映画にある硬質な大人向けのアメコミ感は排除され、やけにピンクの装飾が施されてい るではないか。予告編に CG で入れられたハートマークに目眩がした。ハービーとその妻となるジョイスの間に挿入されたのだ。絶句。
「オイオイオイ。まったくもってだいなしだぜ。」
この映画の本質的なテーマを完全に覆い隠して、ありふれた「女の子向け胸キュンラブストーリー」ものに紹介していやがるのだ。商業主義に溺れた日本の映画 配給会社っ!邦題を作ったり、いろいろあるのだろうけど、この予告編によるねじ曲げは酷い。逆に恋愛ものを期待して入ってくる子には中途半端な印象となろ う。映画の中で、ハービーとジョイスの愛は深く描かれているが、それは中高生のような浮ついた「胸キュンラブ」とは異なる。
ジョイスとハービーが出会って結婚して、いろいろあって、互いの言動が優しく変化していくさまが、ここには描かれているのだ。二人が求めているのは、栄光 でも成功でも漫画芸術でもなく、幸せな生活である。こうやって、英語が読めないからといって中身の程度が落とされているのを知ると本当に腹立たしく思う。
これが、制作者の手を離れて海の向こうで発表されるという問題点だ。日本映画が、アメリカ公開時に受けがいいように変えられていることもあるだろう。文化 が生のままで輸入されることは、できるだけ避けられるように施されているのだ。それは本当に恐ろしい衝突や反応を起こすからである。

「アメリカン・スプレンダー」はいまも刊行されているんだろうなぁ と思って調べたら、なんと米国版の公式ページからハービーらのブログを発見してしまった!養娘のダニエルのもある!
日本版の公式ページは上記の予告編と同様である。

この映画が初監督だというシャリ・スプリンガー・パーマン&ロバート・ブルチーニが、男女のペアだというのにも注目したい。

以上を熱弁して寝た。

http://www.americansplendormovie.com
http://www.amesp.jp/

火曜日, 6月 27, 2006

アルバイトの人、そうじゃない人

日が暮れるのと同時に、新しくはじめたバイトから、前からやっているバイトに移行する。帰ってきてから、メールやアプリケーションを触る。どこへ行って も、パソコン画面とにらめっこをしていた。四桁のピクセルかける三桁のピクセルであろう電光表示で埋め尽くされた色と文字を追って、目がジリジリと押さえ つけられた。
お金を降ろすときにも、画面の数字を凝視している。
新しいバイト先の社員食堂は古くさい。
二百円のチャーハンをトレイに乗せると、財布は空になった。
サークルKの ATM に降ろしに行く。平日日中なら手数料タダだし。ボタンを押すときに音がでかいのが恥ずかしいけど。地下鉄の出入り口に近かったので便利だった。
二百円のチャーハンに無料の紅生姜を多くぶっかけてやった。
改めて語らずとも、大小様々な画面で埋め尽くされている。近い将来「画面アレルギー」や「画面恐怖症」なる人が現れるかもしれない。

女子大生の誘拐事件が報じられ、無事に助かったとも知る。被害者の母親はテレビにもよく出ているという資産家らしく、犯人はそこに目をつけたらしい。事件解決後の取材の場で、その母親のコメントを何気なく聞いていたら、不可思議な違和感を覚えた。確か、こうである。
「日本の警察を信じなければいけなくなって。・・娘の無事をいくら祈っても、いまはこの警察の人たちにすがるしかないんだなと思いました。(事件が解決したあと)日本の警察はすばらしいなと。」

月曜日, 6月 26, 2006

何度もこうやって

昨晩まとめた助成の下書きを確認してもらいに、助成団体へ直接訪問をするインザ名古屋市中区。丁寧に不備部分や不安点をアドバイスしてもらう。こんな順番 で進行していかなくちゃいけないなんてことも、このアートプロジェクトをはじめる前には分からなかった。そういう意味ではいろいろ勉強となる経験が多いと 自負したい bnap06。その代償もいろいろあるか。リスク無き選択など無いというのも事実。何度も文句を垂れながら、何度も安心を迎えて行く。
その対応仕事なども含めて、四時過ぎには解散した。僕はそのまま栄の方向に歩き、必要な物資の買い物をする。それから書店をぶらりとして、気持ちをそわそ わさせることに成功した。お腹が空いたので通りかかった漫画喫茶店でハヤシライスを食べる。近くに座る韓国人の女の子のハングルがはしゃいで聞こえてく る。こんな成り行きな街歩きで何かが解放される。ちゃんとトイレにも行っておく。
夜は別件のミーティングだ。
すごくうまくいく展開ができれば、すごくうまくいくと思っている。
歩き回って思い返す。そこに着いたのは先述の書店においてだ。
雑誌 「STUDIO VOICE」(株式会社インファス/1999-)の特集は「写真を撮る方法」。
僕はかつてバイトをしていた店とよく似た漫画喫茶で、目を閉じて、見渡すべきものやことについてを、何度も繰り返し挙げていく。

有線で 90年代のJポップが流れる。朝も夜も変わらないこの空間。雑誌にとりあげられることもない。とりたてて、書くこともない。ただの背景。
「詩人」と刷った名刺を見る。
今夜、部屋に帰ってから写真を更新しよう。

http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/sv.html

日曜日, 6月 25, 2006

がっつかないで、常に自身の姿よ

相変わらず「ドラゴンボールZ超サイヤ人伝説」(バンダイ/1992)がバグを連発してしまうので先に進めない。もう諦めることにした。リクームとグルドを倒したところで画面が止まる。封印だ、封印。証拠は押さえておこうと HDDに低解像度で記録しておいた。

布袋の「+ギャラリー」ではじまった、北山美那子さんの企画「School Bar Eight 2006 "8+8"」を見に行く。夜八時。名鉄電車で向かうと、既にオープニングこと開校式がはじまっていた。この企画は所謂オープンスクールや教え合いワーク ショップといった言葉で形容できそうな感じであるが、そう呼んで安心できない触手が見え隠れして惹きつけられる。8の字カウンターを囲んで、ワインにオー ガニック類の料理が美味しかった。人参サラダにポテトチップとシーチキンに玉葱のサラダは、今度 真似してみようと思った。二階に展示された、いままでの「School Eight」のドキュメントや「エイト教材タイトル」なども楽しい。今回の展開も楽しみ。スケジュールと相談して周囲も誘って向かいたい。
「8」という数字が気楽にさせてくれるキー。意味があるとかないとかではなく、そう見えてくることに軽妙さがあって、視野を広げてくれる。そういう力を感じる。

夜十時に北名古屋市に戻り、偶然 駅前のコンビニで中田さんと遭遇し、そのまま福岡事務所に歩いて bnap06 仕事。果てしなく続く助成申請リレー。
会計関係のサポートで吉澤さんも来てくれた。南蛮漬け食べたりしながら書類をまとめる。プリンターの調子より、僕のパソコンの調子が悪い。処理、遅し。
でも、なんとか。
深夜に雨が降り始めて、原付でベチョベチョになって走る。
著作権関連グレーゾーンと思われる共有アプリケーション「Lime Wire」(Lime Wire LLC/2004-)教えてもらった。なんじゃこりゃ〜!

http://yaplog.jp/schoolbar8/

土曜日, 6月 24, 2006

スパゲッティーのあとチョコミント

今朝 アマゾンから本が届いて、ロゴに描かれたニンマリした口の描線だけを見届けてまた寝てしまった。
テレビに「サッカー」(任天堂/1985)映せば、それは概念を絵に描いた画面だった。
よく見ればピッチには六名ずつしかいない。国を選んでも服の色が変わるだけ。
現実は国ごとに歴然とした差や違いがあり、スピードも速く、様々な駆け引きが行われていた。

書き出しておいた作業メモを眺めて、スパゲッティーにキムチと豚肉にチーズとキャベツ、豆乳、唐辛子和えて頂く。
缶ビール空ける。
優しい思い出について顔を赤くする。

ドイツとスウェーデンの試合に興奮した。バックパスやオーバーヘッドの応酬。
決めるところを卒なく決めるレベルに口をぽっかり。
見ながら食べていたアイスクリームがちょうどアルデンテ。

金曜日, 6月 23, 2006

侍ブルー

言葉遊びをしている場合ではなかった。中田英寿が目を隠している。朝六時、愛知県岩倉市某所。僕らは西山氏宅に集い、横型の液晶テレビを見ていた。
ベッドの上に散乱しているスナック菓子、コンビニより集められたこれらを、走り回ってビールを飲んで頭を回している。
遊びではなくて本気だった。Jリーグ出来て十年とちょっと。あの頃はサッカー選手と言えばチャラチャラしたイメージで、日本はやっぱり野球だとか冷たいこ とをよく言っていたっけ。整備しきられたマスコットキャラクターに違和感を覚え、J2だJ3だとか、どれだけ無尽蔵にチームが増えるんだよとか、文句ばか り、本当に自分は頭が固い。
「韓国はうまくやってるんだよ!」
帰宅後、就寝前につけたテレビ「スッキリ!!」(日本テレビ/2006-)でテリー伊藤がこう叫んでいた。ブラジル級の選手やチームをJリーグに呼んで、 ハイレベルなサッカーをもっとして、選手だけでなく観戦する側のレベルを上げなくてはいけないと。僕らが野球にあれだけ文句を言うのは、試合やプレイを見 る目が肥えているからなんだと。
これにはすっきりさせてもらった。いままでただ煽っていただけの盲信的なマスコミの踊り文句は、サッカーを語るレベルが低いからであった。ああだこうだと 言うこと自体で日常的に楽しめる日が近くなるかどうかは、Jリーグ次第、見直されているという「toto」次第だ。「ワールドカップでサッカーに興味を 持ってもらって良かった」なんていうお決まり文句で終わったら勿体ない。
同じくアートを語るレベルも低く、文化にどうこう語る喜びについても類似していると捉えることができる。これは何次第なのか?アートプロジェクトだとか言って、がやがややっている自分にもあろう。サッカーを楽しんで盛り上げるのも同じく。

テレビカメラはずっと、倒れたままの中田を見ていた。黄色のユニフォームで目を覆う沈黙。四年間が、短いのか長いのか。中村俊輔のインタビューがキレそうで良かった。
川口は無かった。キレていて手がつけられないんだと、冗談ではなく本気で。
中田が起き上がる背中をバックに、NHK であるから、中継放送の「終」というテロップが表示される。あまりにも完璧すぎる映像構成に驚く。

あとはシンドロームな一日であった。
入れたときは最高。
入れられたときは最低。

木曜日, 6月 22, 2006

奴隷ならばそれを通帳に潜ませちゃる

雨はめんどう。
容赦なく降られて、傘を買うのは悔しいので、市バスを選ぶことにする。
二百円で身を任せることができた。
ただ時間だけを要し、どちらかといえば社会の中で弱者となってしまうであろう方が多く乗り込んでくる。
バスが名古屋駅に到着すると、面々は散りじりとなって、どこかの公共交通機関に綱渡りしていった。僕も例外に漏れず、やはり町は遠い。
辿り着くまでの間に下から補助を出してもらう。タカシマヤの地下でジェラートにありつく。このビルは、文房具も衣服も相変わらず高価で高級志向だ。夕方の賑わいをジェラート屋の店内から眺めて、こうも勝ち組衆はいるのかと思う。
いや、このジェラート代の三百円強を払う為に、何か携帯電話代みたいな費用を節約したとしたら。誰もが気風だけはまとって、したり顔でここに通うことがで きるかもしれない。ギャルソンに僕がリュックを背負って覗いても、追い返しはしない店員の対応を見るとき、僕の財布の中で眠るクレジットカードを思うの だ。
ならば何故、市バスの中は弱者ばかりに見えたのか。

地下街は常に、ゴミを一時的に収容する部屋を持っている。その部屋の通用口が、階段の踊り場から見えた。ステンレスの棚に積まれた半透明黄色の大袋の山!
レタリングを施されたスローライフとロハスが席巻し、早急にものを買わせていた。
緩急の無い人生を嘆きたい。強要される速度!
町の、よってたかっての暴力が、町自身をリンチしている。追いつめられたこの場所から、救い出してくれる蜘蛛の糸は、福沢諭吉が操縦するヘリコプターだけか?
手錠がかけられていても、足だけでも戦おうとする自分の姿を思い浮かべたい。
上からは、土俵のようなヘリポートに書かれた字が読めるだろう。
その字が組み合わされて、数が意味される。

儲けすぎた人間は、それを返す仕事をするか、それに押し潰される仕事をしている。
「ap bank」という銀行のことを知って、思った。
町は自浄作用も演じることができて、それを自覚させる。
お金は「きっかけ」を生む力。福沢諭吉は、人が生きる為に学問を説いた。
図書館は町の良心。
大学には良い図書館が要る。そこでカポエラの歴史と、サッカーのルールを読むんだ。

http://www.apbank.jp

水曜日, 6月 21, 2006

教室をほぐすぞ

何をやっても「つまんない」。
そう思えば、なんでもそうさ。
先生にもできないことを怒っている。無様な寝癖が残ったまま、机をバン!とするのはもうしないでおこう。
真面目な子供ほど、大人が要求しているものを分ってしまうから、つまらなくなる。指導方針を貫き通した教員は、電気を消して布団に横になってから不安になる。眠る数分前だけ、恐ろしくて涙を流す。
学校の先生が力をつける為の大学院ができたと 「クローズアップ現代」(NHK/1993-)でやっていた。真面目な先生ほど、指導要綱と保護者の要望の板挟みになって多忙となる。身を削ってダウンし退職してしまう。
この大学院では授業の指導力だけではなく、クラス内にはびこる いじめや様々な問題を解決していく力を養成することを目的としている。一度、教職に就いてから、ここに通い出す先生。
また、文部科学省がこのような働きかけを多くの大学にしているようだ。
現場に散らかった問題を編纂するのが学問の役割だ。
机上でしか検討できないこともたくさんある。その逆も然り。

写真や絵の模写は今回の教室で一旦終了で、来月の中旬に行う展覧会に向けて予定を組み直す。
仕事で疲れきって帰ってきた身体をほぐすのは、眠る前の時間のみ。すぐ寝る。
夕食はゴーヤと豚肉にトマトと豆腐にオクラとズッキーニを入れたカレー。
タフでなければ、先生なんてやれない。

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/yousei.htm

火曜日, 6月 20, 2006

木のイメージを見る

朝帰りのコンビニで、チョコレートを買って自転車 走らせたら、車道の脇にぐちゃぐちゃになった猫の死体があった。
目を伏せたけれども、視界にボカシなんてかかってくれないから、ああこんなふうになっているんだなという感じで、通った。
全ての部位が、明るく照らし出されていた。

僕と福岡氏は辛い表情をしていただろう。
僕らは朝マックには行かずに、焼酎に身を任せたままだった。
昨晩、我々が馬鹿騒ぎしていたときにでも敷かれていたわけか。
決まって深夜は車がかっ飛ばされる。横から飛び出してきた猫を、避けられなかった。
一眠りして目覚めると、携帯電話に不在着信とメールがあって、河井さんらから昼食にモスバーガーでもという内容だった。
僕はその時間、完全に夢の中で、樹歴二十年ほどの木の幹が持っている温度を手探りで知りはじめた最中だった。木は葉をつけ、夜のうちに水を吸い、朝になったらエネルギーとなる熱を生み、昼にはそれを用いて光合成、夕方は何もせずに黙っている。
午後二時、裸で目覚め、ひとり鼻水をたらす。
こんな部屋の中でこそ、詩が生まれると訴える。
誰もいない画面の向こうに。

原付の調子は最高だ。
三段階切り替えのマニュアルギアーもお手のもの。
この町は走り尽くしたぜ。よその町には行かないぜ。
先週の絵画教室で撮影した 35mm フィルムの現像を取りにいった。その店で、bnap06 出品作家の谷澤氏が働いている。彼は写真を使用した作品を作っているという偶然。
挨拶に終始した今晩のアルバイト。
良いピンボケと悪いピンボケはどこで判断されるのかと、事務室で考えていた。
カメラの画面の向こうには、誰かがいるのであった。

抹茶のアイスクリームをお土産に持って帰ったら、小さなチーズケーキが冷蔵庫に入ってた。
猫の鬱が葉っぱをまた噛んでいる。
同じようにまた深夜がやってきた。
自衛隊はイラクから完全撤退するらしい。最後に植樹をしていそうだと思った。

月曜日, 6月 19, 2006

次はラブソングである

何気なくコンビニで買ったチョコレートがすごく美味しく、気分コンディション調子良く仕事する。終電まではいかなかったが、地下鉄で行き来して、またもや アートと称される行為の置き位置を考える。サッカーに例えれば、まだ0対0の前半戦。均衡状態はただ疲弊させることだと恐れる。

帰ってくると同時に、鈴木氏らより電話有り。どうやら予告なく中山氏宅で集まって呑んでいるということで、前に計画していたのが頓挫していたのを思い出し、このタイミングで行っておかなければ次はまた先になってしまうと駆けつける。
丑三つ時に数名で近況に日本酒や焼酎など、お菓子ばかり並べていたのをみかねたのか、福岡氏が魚のホッケを持ってきてくれて、すぐに焼いてふるまってくれた。
常に誰かがコップをこかす。その度にパソコンが濡れた、ケータイが濡れたと大慌て。朝まで止まらなかった。
先日のサッカー観戦弾圧事件の背景には、相当にハメを外していた経緯もあるらしい。でもこれはやはり悪循環だから、警備と自由のバランスは社会の命題だと 思う。困った先輩が横行をけしかけて、どんどん学校の自由性を奪っていくのかと想像すると、参ったなと考える。状況は変わっていく、遊び場は勝ち取ってい かなければいけなかった。
中山氏に次の新曲は「ラブソング」でいこうぜ!と絡む。
いろんなことをひっくるめて声をあげることができる歌を、僕は求めていた。酔いに任せたままでは、遠い目になってしまいそうで。その先には願望めいた対象があって、手が届かないと位置づけているのを聞いて。
絡んだ理由は僕自身の課題だったのは明らか。

日曜日, 6月 18, 2006

中止させられたサッカー観戦

日本時間 22:00 から行われるワールドカップ日本対クロアチア戦を、張り切って応援しようぜと周囲で話していた。前回のオーストラリア戦のときは、大学にてプロジェクター を配備し盛り上がっていたらしいと聞いていたので、よし今回はそれに乗っちゃうぞとミーハーに意気込む。
ドイツの陽射しは強いだろう。bnap05 のときに名古屋に来た面々も向こうで見ているかもしれない。日本は強くなったねと褒められた言葉も聞いている。こちとらサッカーのプロリーグなど歴史は浅 いかもしれないが、なめられたもんだと言い返す。言い返せるのは実際の試合で示すのみ。勝ち負けばかり言いたくないが、本場にもしびれさせるサッカーを見 せてくれ。

とかなんとか言っちゃって、大学に着いたと同時に福岡氏から電話を受ける。
観戦できなくなったと聞く。「ええっ!?」と驚き、見ると学生や皆々が落胆して出てくる。現場の話によると、プロジェクターを完備して、皆で観戦しようと していたところ、キックオフの瞬間に警備の人間が現れ、プロジェクターの前に仁王立ち。皆の顔を懐中電灯で照らしては、やめろと圧倒し、電源も落としてし まったらしい。
なんたる圧力!そりゃないぜ。学生らの反論も完全に弾き返した始末。
彼、 彼女らはその弾圧に戦う以前に、試合を見たいから友人宅やテレビのあるところへと急いで散りはじめた。キックオフしてから中止になるなんて、またタイミン グが悪いなぁ。いや、それよりもこんなふうに封じ込められること自体が前代未聞であった。現代の、限り無き管理社会化と重なる現象だ。またしてもどんどん 自由は失われていく。大学の学生自治といった美談などはもうどこにもない。アンダーグラウンドは一掃され、学生らの自由な交流の場、あらゆるものを生みだ す土壌は焼き払われる。関西方面の某美術大学は、夕方五時に完全施錠されるという話を思い出す。いずれ、我が母校もそうなって、大学院生だろうが、何だろ うが、何の交流も関係も持たなくなって、みんな ただ通うだけのところになってしまうのだ。
騒音の問題など、検討し合われ、議論される余地はどこにも用意されない。暴力的な鎮圧をくらった学生らが、この場で何か面白いことをはじめようと考えるわけもない。疲れるだけで、勘弁だ。誰もが個室に帰っていく。

結局、自室で見た試合は歯痒い結果に。
続いてブラジル対オーストラリア戦まで見ちゃう。貫禄というか、落ち着いた試合に見える。日本みたく難産じゃなく、常にヒヤヒヤしていない。これが中田選手の言う「緩急のあるサッカー」なのか?
「絶対に勝て!」とかもう悲鳴あげちゃうメンタリティって、日本なのかな。他の国での自チームへの報道はどんな感じなんだろう。
日本では野球にはあるように思えるが、サッカーにおいては批評的な報道は少なく、多くは熱血論だ。オリンピックもそう。種目関係無く、国際舞台のものには規模が大きくなる分、そうなるのか。
フジテレビで、明石家さんまだけが「このままブラジル、オーストラリアで決勝進出行く感じが強いでしょう」と、ひとつ踏み込んだ発言をしていた。言った後に、画面端でイシシとほくそ笑んでいた。

NHK にすると「よさこいソーラン」の大会を録画でやっていた。僕はこれが大嫌いである。何故にこれが好きになれないのかを福岡氏と談義する。
たとえば大学で「よさこいソーラン」するからと言って、晩に踊っていても怒られなさそうだなと思った。そんなダサイ感覚で謳歌している学生ばっかりになったら、もう美大でも何でもないと僕は更に落胆するだろう。

土曜日, 6月 17, 2006

相合い傘の有無で、ありがたく御座候

電話で起こしてもらって、新規バイトに出勤した。緊張や不安もあるが、行ってしまえばどうにか頑張れるだろうと思い、気をもむことを忘れて向かう。以前、 派遣のアルバイトをやっていたとき、毎回 仕事先が異なることにストレスを溜めていた。行ったことのない町で話したことのない人と会い、分りきった仕事をするのは苦痛であった。そのときの、社会常 識みたいなものを試される感じが、この漠然とした不安と似ている。
今回のは、それではないし、僕もあれからはいろいろ軽妙になった。
大丈夫だと自分に言い聞かせ、案ずるよりも小野ヤスシ。
くよくよしたメールと、励ましのメール。そして安堵へと、平凡な土曜日は過ぎて行った。

帰宅途中に、名古屋駅の「御座候」で今川焼き 数個求む。名古屋に来てからずっと好きだ。目にも止まらぬ速さで今川焼きを箱に入れて包むおばさんとすぐ横のレジおばさんとの協力タッグに、個数を聞かれ お会計を済まし受け取ると、ぐっと押し出されるようにお客さんの列から自分が飛び出る。その瞬間、僕は誠実に生活を営んでいる一市民であると、なんとも清 く誇れる気分になるのだ。
おばさんらはプロで、僕も選択し購入することでより良いものを目指す消費者のプロであった。

今朝、起こしてくれてありがとうと思って差し出した。
久しぶりにゆっくりと煎茶。今日は天気予報が外れたらしい。名古屋駅に着いた頃は雨で、やたら右翼の街宣車が走っていた。はた迷惑な。西春に戻ってからは、傘をちゃんと持って買い物をした。
晩には福岡氏宅で bnap06 関連。skype 環境ようやく配備完了す。
自分は、横行してくる、誇ることができないものには無言で通過しているようだ。

http://www.gozasoro.co.jp

金曜日, 6月 16, 2006

ユリイカ=分ったの意・任天堂/Nintendo 遊びの哲学

昨日購入した「ユリイカ」(特集 任天堂/Nintendo 遊びの哲学/青土社/1969-)を読む。
いまゲーム業界では、第三次次世代機戦争が始まらんとしている。
今年末に、「Wii」(任天堂/2006)と「プレイステーション3」(ソニー/2006)が出陣するのだ。

だが、既に人々はハイスペックだけを追い求めていく家電競争みたいなゲームに飽きて、いま一度「遊び」に戻ろうと気付き始めていたところである。それを先に体現しているのが「Nintendo DS」(任天堂/2004-)の大流行であった。

任天堂の持つ「遊び」を考察する内容。一般のゲーム雑誌よりも、しつこいほどに解体を続ける文章が並ぶ。
解釈しようと読むと、ほとんど同じ結論に行き着くような気がして、時間だけを浪費した気分になってしまった。
拙作「mario inframation of the middle ear.」(2002)のときから調べたり考えたりしているファミコン考察との類似点もあるが、触れられていないところもあった。横井軍平の逸話は、前に 調べたものとほぼ同一だった。おそらく文献などのソースが少ないのだろう。
横井軍平こそが任天堂の志を芽生えさせたという、目頭が熱くなる逸話がたくさん。
新幹線の中で暇つぶしに電卓をいじって遊んでいたサラ リーマンを見て、ゲームウオッチを思いついたとか、「十字キー」という直感的なインターフェースを生みだしたことなど、プロジェクトXにはならなかったの か。宮本茂といい、岩田社長といい、顔が見える会社となっている。良くも悪くも堅気な性格の会社である。
京都だからと考えると落ち着くのだけど、本当に馬鹿をやっても上品なのだ。

僕は完全に任天堂チルドレンで、いま風に称すれば「信者」だろう。中古ゲームの類いも任天堂を基本軸にして遊んでいる。ファミコンが与えてくれたものははかりしれず、また失わせたものもはかりしれないのだろうと思う。
上品で堅実で知的な遊び。
「Wii」は「We」を連想させ、それは「ファミリーコンピューター」という名前と同じことを言っている。トレンドに合わせて表層が変わっているだけだ。
特集対談の中で、ブルボン小林氏がゲーム機の名前から考察しているのが面白かった。
主格についてとか、興味深い視点。

戦争によってのみでしか、次世代に移項できないこの状況を「Wii」で打開してほしい。
遊んで、面白いならば、私達は笑顔でそれを支持する。そしていま、面白そうだと思っている。

ネットで検索していて「ユリイカ」は、分ったを意味する「Eureka」なのだとはじめて知った。
実は、京都の任天堂本社に行ったことがある。
会社のビルのかたちが、上から見たら「ゲームキューブ」(任天堂/2001)になっていた。

それからそれから、そのあたりから、ずっと頭の淵に「ファミコンプロジェクト」というのがあって、いつか本腰を入れなきゃと思っていて、この機体に向かい 合ってえぐり出さなきゃと考えている。一度作りかけた webページは放りっぱなしで残骸となっていて、いまやお洒落な安定イメージアイコンと化したマリオが居る。
「暫く、思い出話をしてもいいかい?」

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%C7%A4%C5%B7%C6%B2%A1%BF%A3%CE%A3%E9%A3%EE%A3%F4%A3%E5%A3%EE%A3%E4%A3%EF
http://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/phy_plo.html
http://www.nintendo.co.jp/n10/e3_2006/index.html
http://www1.odn.ne.jp/b.mayo/101/writing-fcproject.html

水曜日, 6月 14, 2006

世界に響く声

路上撮影会となった、我らが岩倉の絵画教室。本日はぞろぞろと、お寺の境内まで歩いてパシャリ。この御時世に、子供が一人でカメラを持ってうろつくことも 難しい。最近、絵画教室を呼ぶときに「子供」という言葉を入れるか入れないかを操作するようになってきた。来月の終盤に、彼らと展覧会を行う予定にしたの だが、そのときはその言葉を強調しないようにしようと思ったことがきっかけだ。絵にまとわりつくものは拭い去って展示するためだ。相当に気合いの入った DMを作ろうと思う。

教室の終了後、駅からそのまま市内に滑り込んで一気に新栄まで向かう。カフェパルル
へ。以前、映画「アワーミュージック」(監督,ジャン・リュック・ゴダール/原題「Notre Musique」/仏/2004)を見たときに、周辺で意欲的な文章の発表や、トークショー、詩の朗読などをしている方を発見して、それから面白いなとブ ログなども見ている「イルコモンズ」氏が今晩ここでオープンスクールをするのでやってきたのだ。
「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー」と題した この講義は、民俗学、文化人類学を基礎とした氏からの無報酬による、旅先に立ち寄って行われる「ギフト・アカデミー」。貨幣のみで交換される状況へのささ やかな抵抗手段であって、講義内容はグローバリゼーションとナショナリズムについてを、多くの映像を紹介し、教えるもの。この教えるは「teach」ので はなく「inform」の教えるだと言われた。

予定より延長して講義は行われたが、もっと見ていたいという気持ちで後ろ髪引かれつつ、終電に駆け込んだ。名古屋の夜はホントに早い。

欧米中心の大企業による不当搾取や大量リストラ、原油の為の戦争など、グローバリゼーションの横行と、それに抵抗するアクションやビデオメッセージの配 信。それから最後に詩の朗読が行われた「アザーミュージック」(イルコモンズ/2006)と「1946年のあたらしい前衛憲法」(旧文部省制作/イルコモ ンズ復刻版)。
世界が締め上げられているいまにこそ、素手の感覚や、肉声、自由な言葉である詩が意識されるという指摘に、僕は強く頷いた。

http://illcomm.exblog.jp
http://illcommonz.exblog.jp/
http://www.godard.jp/ourmusic/ourmusicbakuretsutalkshow3.htm
http://www.tententen.net/korosuna/index_s.html

火曜日, 6月 13, 2006

僕が 18 でここに勤めて、君が 18 とき、僕と出会って

いよいよ新規アルバイトの開始日。新規の短期アルバイト。某所にて研修を受ける。他にも様々な理由を抱えた同世代風の者が数名。決まりきった研修内容を連 呼する社員。冗談を織り交ぜようとしているのはいいのだけれど、女子へセクハラまがいの冗談まで手を伸ばすものだから、面倒くさくなる。そこらへんには無 反応というか、冷たい視線を発射。ちょっくらユーウツ。まぁなんとかなるさと気軽に。そそくさと終えて夜には継続中の既存バイトへ。
フリーター三昧続く。陽射しが強く汗をかく。
さっきの研修室で、私服 OKとはいえ、黒づくめのジャケットを着ていた男性には驚いた。彼も暑苦しそうだった。黒づくめの男から見れば、僕は くたびれたTシャツの男。
さっきセクハラ発言を受けた女子が地下鉄へ降りて行く。
雑多に行き来している電車やバスに自家用車。
本日は疲弊する平日だった。
僕よりひとまわり下の、18歳の青年が既存バイト先に新しく入ってきた。さっきの研修のように、今度は僕が教える状況になる。彼は僕のことが面倒だと思っ ているかもしれない。それは雑多なストレスが彼を襲っているから仕方ない。セクハラ発言だけはしないようにして、日中の研修員を反面教師とする。
彼は軽やかに「(ワールドカップの)日本ヤバいっすねぇ」と言った。

月曜日, 6月 12, 2006

音だけで、繋がる

行動を計画するのに失敗してしまっており、みんなで盛り上がって観戦したかったのだが、ワールドカップの日本戦の時間を、バイトしなくてはいけないことに てしまった。より以前から、周囲は段取りをしていたわけだ。日中には同級生の鈴木氏が、今夜は集まってプロジェクターで見るんだと鼻息が荒かった。丁度、 2002年の試合を、同じように見た覚えがあって、あのときから楽しかったように思う。1993年「ドーハの悲劇」の頃は、ちら見程度だった。このワール ドカップ観戦のことに関して、非常に僕はミーハーで乗っちゃったもん勝ちなところに立っている。世間の盛り上がりと同じく、にわかファンでいいじゃないか いと楽しんでいる。
これが逆のケースや別のジャンルであったときに、目くじらを立て出すような自分の講釈などを少し想像してしまう。同時に、その批判はつまらないものだということを自戒する。やはりオタクは面倒なのだ。

苦肉の策として、バイト先に流れる有線をラジオに合わせて、ラジオ中継で日本戦を応援することにした。
サッカーは、野球よりもラジオ中継で楽しむのが難しいと思っていたが、ここではこのバイト先が全く無縁の空間になることが嫌だったのだ。強引でも、繋がっていたかった。
小売店内に、ドイツのスタジアムの中であげられている声援が届く。グラウンドの芝生を、強い陽射しが青く光らせているという。
キックオフまでの間、行き交うお客さんらも、この放送 が日本戦の中継だということはすぐ分っているようだった。君が代が流れたりして、僕にはこのとき、放送というものが持つ、ひとつの世界との連帯感を実感と 共に思い出した。ラジオ中継は、音だけが異界とのリレーションで、視界が現在位置に残されるから、そういった連帯感が強く意識できる。テレビでは、連帯以 前に画面の中に個々や現在位置までもが埋没してしまうことが多く難しい。
この連帯感は昨年の作品「明るい夜」「言葉で願う夜」(2005)に通じる主題である。詩も、世界を見渡そうとすることであると、僕は常に意識している。

試合結果は悔しく残念だったけれど、初めてのラジオ中継で応援することができた。
聴きながら、頭の中でシュートなどのハイライトを想像する。時差マイナス七時間にサマータイム制をしているような遠く離れた国でのサッカーを、いつもと変わらぬ仕事をしながら思い浮かべている。
実はけっこう、これはこれでリッチなサポーターなのかもしれない。
ひとりほくそ笑んで、帰宅後に録っておいた試合を見た。
やっぱり、ラジオ中継という方法では、試合の詳細がまったく分らないことを確信した。ゴールが決まったときに、一緒に盛り上がれるだけ。それも瞬間の詳細は分らない。テレビならすぐに分る。

リッチな にわかサポーターは、音だけで、繋がることを優先していた。

日曜日, 6月 11, 2006

この社会では、アートと呼ばれるものを点す仕事と呼ばれている。読まそうとしている。

昼の一時より味噌蔵にてアーティストトーク会が行われた。公開イベントの甲斐あって、来場者の方も多く来て頂く。出品者各自が自身の作品についてを皆の前 で話し、質疑応答をする。こういうとき僕はあくまでも自分自身の感想をベースに、批評とでも何とでも解釈されていいスタンスをとりたいと考えている。

雨を待つ湯のみたち。
幸せの青い鳥のカーテンと名付けられたレイ。
ブラインド、パフォーマンス。君が見ようとするのを見る。
大きく引き延ばして、穴を掘るなかで、稚拙でありがちな議論に落ち込まないように。
僕は話した。常に自身の仕事を省みる機会を伺いながら。

終わって、真坂氏らの車に乗せてもらって五人で大須のアートフェチに向かう。伊藤正人氏の個展「tea on the sea.」を見る。一階のスペースのみでの展示ということもあって、鑑賞欲求は満たされず。もっと見たいと思ってしまった。地図だという意味付けが、言葉 のみで成立させようとしていると見えてしまい、既成事実として作品に参加をすることになってしまう方法だった。アクションを要する作品は、襲いかかってく る力がもっと必要だろう。氏がコラボレーションで展開されているフリーペーパーのような作品「名称未設定の手紙」や、一連の作品がまとめられているテイス トは好きなので、どこか歯痒かった。
と、ブログだけで言いたいことを書いているわけではなく、実際に話してもいた。

七時前に解散して、僕は大須にてとある打ち合わせ会。
夜は少しビールなどを御馳走になった。
日曜日の終電間際の大須商店街は暗く、ゴミ袋が店の前に出されている。数々のアートと自称するもの、されるもの、それらを点そうとしている我々の仕事。僕の仕事。じゃあ、その舞台であるこの社会や、そもそもアートって何?って、疑いはじめて話がはじまっていた。
なんなんだろうね。
何の根拠もないけれど、少なくとも僕や君にとっての答えが、世界のそれであると信じながら、パソコンに表示される言葉の前で それらは連日問われている。

土曜日, 6月 10, 2006

ドラゴンボール話で自爆する

bnap06 プラン展の 2nd がこの土日に味噌蔵で開かれる。午前中に向かうと、昨晩会場に泊まり込んで作業をしていたという面子がふらふらしていた。頼まれていた展示見取り図をプリ ントアウトして持参し、小話をする。明日のお昼にトーク会があるので、そこで詳しくはするつもり。携帯電話に実家より大きくなってきた子犬の写メあり。ふ がふがしていて可愛くて良い。併せて「可愛良い」と呼ぶ。元気そうで良かった。猫の鬱の写メを絶え間なく送りたい所存。

バイト先ににて、スーパーファミコンカセット「ドラゴンボールZ超サイヤ人伝説」(バンダイ/1992)を借りる。同じくバイトをされている方で、前から ドラゴンボール話で盛り上がっていたのだ。非常に詳しく、劇場版も網羅されているらしい。僕はアニメなどの原作から外れたシリーズには、いつも苦笑いをし て楽しむ。ファミコンシリーズもまさしくそうだ。バンダイによるドラゴンボールのねじ曲げ方は苦笑いをさせる傑作が揃っている。なんともいえない穏やかな テンポとテイストには、原作へのこだわりと切り捨てが入り交じった編集が見られる。漫画原作に追いつかないように毎週長く引き延ばしてとにかくゆっくり進 むアニメと、カセット一本に入る容量では足りないから、修業のストーリーなどは端折って駆け足で進むファミコンシリーズ。殆ど言葉で進行してったりする。 どちらも漫画原作を別メディアに移植するときにおこる壁で苦しんだ結果だ。程度の落ちる勝手なサブストーリーが付け加えられたりしている。
子供たちはその退屈さに呆れながらも、ドラゴンボールが好きだから頑張って遊んでいるうちに親しみをもっていたのだろうなと思った。いまの奇麗に要領よく移植された3D格闘ものなんかには、逆に物足りなく感じたりするのだ。 バイト後に遊んでみると、このゲームはファミコンのと きにあったカードバトルRPG を、発展改良したシステムでドラゴンボールZのストーリーを追えることがすぐ理解できた。おおっ!さすがはスーパーファミコン!と身を乗り出す。その発展 改良とは、通常のマップ移動にもカードに書かれた数字を使用して双六のように進まなければいけなかったところを無くし、カードは戦闘だけに使うという変更 だ。当時、ファミコン版の双六みたいな仕様に苛立っていたものだった。バンダイの作り出すドラゴンボールには、常に子供騙しの姿勢が漂っていたから。スー パーファミコンに移行したくらいから、少し本格志向というか、おそらくゲーマーの中高生拡大と同時に、対象年齢も上に設定されたのだろう。この発展改良は 支持されたのではないか。

だが小一時間遊んだだけで、僕にはこの変更点を「発展改良」と呼ぶことができないかもしれないと思いはじめた。言わばコンセプトにおいて、移動を普通の RPGのように自由にしてしまったがために、カードを用いるゲームという一貫性が無くなり、戦闘のだけカードを使うというのが面倒になってくる。だった ら、戦闘も普通のコマンド制でいいじゃんと。でもそれはただの普通の RPGで、ドラゴンボールなだけだ。おそらく、そこまでバンダイも変更する気は無かった。当時同じくバンダイから発売していたドラゴンボールのカードダス と相乗効果で売り込む為にも、このカードは、ドラゴンボールのメディアミックス戦略において必要不可欠なシンボルだったと思われる。
なんとも我が儘なもので、わずらわしかった双六システムは、カードシステムへの愛着を子供にもたらしていたのだ。僕などは、このスーファミ版で、カードが 裏返ったり並べ送られたりするアニメーションが表示されない点に、妙なストレスを感じさえしてしまう。戦闘時に悟空らがみせる、みみっちいパンチやキッ ク、吹っ飛ばされたりするアニメーションのお遊戯めいたテンポには満足しているのだが。
この戦闘アニメーションは早送りできないものかと思うが、早送りできるとまた何かを失ってつまらなくなるのかも。
確かこのスーファミ版以降、カードシステムを使用した続編は出ていないはずだ。いま発売されている新作で使われているカードとはまた別仕様である。メディ アミックスの要素としては受け継がれていると言えるが、おそらくこの スーファミ版で、同時期に盛り上がってきた格闘アクションもの「武闘伝シリーズ」にメインストリームが移行していったのだろう。
ドラゴンボールの原作が終了したことにも関係していそうだ。
人気の要素がストーリーよりもキャラクターに移項してきているのかも。原作を知らないようないまの小学生なんかも、いまのゲームで遊んでいたりする。
僕は、Z戦士のなかで一番好きなチャオズで遊べるゲームが少ないので、この「超サイヤ伝説」は嬉しい。
ゲーム内で使える必殺技「サイコアタック」はあきらかにナッパに繰り出して何も効かなかった、あの自爆だ。
「チャオズーッ!」
「天さん・・!」
カッ!


http://comics-news.shueisha.co.jp/common/dragonball/index.html

金曜日, 6月 09, 2006

やさしい社会でないからみんな荒れ狂う。いや、社会がやさしくなれたことなんてあるんかい

コンビニのレジにて、物を買いながら有線の曲に合わせて歌っている女子高生を、ありえないと批判するのは容易い。
幼き子供に向かって八つ当たりをした母親を、狂気の沙汰だと批判するのも容易い。
ありとあらゆる法律違反者は批判、罵倒されていた。
引っかからないようにだけやりすごそうと、人々は身を縮めてコミニティという隠れ家に隠れ潜む。いつかそこにレーザー誘導弾が打ち込まれるのではないかと恐れながら。
気付けば 2006年の日本は、やさしくない社会になっている。
公共空間の私物化を、批判しているだけでは対話ははじまらず、女子高生は省みることなどしない。彼女達は手錠をかいくぐる術を持ち得ているし、とんずらこける若さがある。そして同時にそれについて言い返す若さも持っている。
法律だけが厳しくなり、公共空間で個人の空間が保証されているかすら怪しくなってきた。
僕は相変わらず自室でビデオのダビングをしていた。以前、「昭和慢画テレビ局(昭和79)」を行ったときに友達から大量に借りた昔の VHSビデオを、DVDにダビングするという作業である。90年代のバブル期の度を超した派手なバラエティー番組群。ウッチャンナンチャン、ダウンタウ ン・・目眩がするくらいうるさく騒がしい。画面に映るのは、面白いものや楽しいものが飽和状態で悲鳴を押し黙っている様だった。
人々はいいかげん、飽きていたが、まだおふざけをしていたかった。

90年代のはじめには、まだ路上でギターを弾いたり、詩を読むことが働いただろう。
公共空間を公共のままに戦ったのはフォークゲリラで、個人のものにして独善したのがオウムたち。テレビに映る馬鹿騒ぎの後ろで、たくさんの辛いことがあった。そしてそこからはじまっていたんだと考える、ことができる。いまは容易い定義を。
昔は良かったとは言いたくない。だけどその前みたいな、やさしい社会、やさしい公共空間は取り戻せないのだろうか。
有線に合わせて歌う女子高生に、さげずむでもなく、無視するでもなく、微笑ましく思えていたような頃は存在しえなかったか。嫌いな言葉だがハプニングとで も呼び、互いの個々を受容し得た公共空間は。仮想だとしてもありえなかったかと思う。この考えは公共性なんて皆が仮想にそれを持つことなんじゃないのかと なる。
アートのコミュニティ、ポエトリーリディングのコミュニティ、ゲーマーのコミュニティ、社会運動のコミニュティ・・・。
みんなぶちまけて言葉にして出し合っている広場はもう無い。そもそもそれを仮定でも想像できない。しらじらしい空想のように思えたら、それが必要かすらを問うことからはじめるしかない。
・・・はじめてみればいい。

はぐらかすのが詩人ではないと思い返し、このネット上にはそれが残っているかもしれないと考え、公共空間が厳しくなっていることを今一度持ち上げる。
ずっと持ち上げて話題とするだろう。
90年代の終わりに、とある自由参加の詩の朗読会を主催していた男性は、僕よりひとまわり上の世代だった。彼は君たちの若さが羨ましいと言って続けた。
「渋谷のスクランブル交差点の真ん中でキスしたりもしたよ」

ハードディスクに録画した映像は何度早送りや巻き戻し、コマ送りをしても劣化しない。何度でも回転させた後、まとめて DVDに焼き出すのだ。
ダ ウンタウンの浜ちゃんと、坂本龍一が歌舞伎町で遊んでいる企画コーナーを見る。教授の髪は金髪だった。「非戦」(監修,坂本龍一/幻冬社/2001)とか ははじまっていないけれど、この頃は「gut」レーベルをはじめた頃か。本当に浜ちゃんとぶらついている坂本龍一は気楽そうで、楽しかったように見える。
やがて番組は松ちゃんのコント「やすしくん」の後に、間髪入れず「Merry Christmas Mr Lawrence」がはじまってエンディングだった。
電飾の施された公園をバックに、ピアノを弾く坂本龍一の顔はどこか悲しげに見えた。

気になって web で調べたら、いまは青森県六ヶ所村での核再処理施設に対しての反対活動「STOP ROKKASHO」をしているという。

社会がやさしくいてくれたのは、景気がなだめてくれていたからか。
それだけなのか。

http://stop-rokkasho.org

木曜日, 6月 08, 2006

ザルカウィの死に顔、いま最も華やかに注目されるドイツ

海外旅行のガイドブックに付いている歴史コーナーでドイツ史を読む。
八ページほどで、ハンザ同盟からベルリンの壁崩壊まで一気に。眠気誘う。読み手の想像力が試される。
学校での歴史の授業はつまらなかったのに、いまになって歴史が面白く感じられるのは、当時の人々の考えや行動を、いまの時代と比べて考えることができるようになったから。
型にはめ込んだ歴史はつまらない。歴史はいま生きている我々に向かって襲いかかってくるもの。僕はいわゆる昭和ノスタルジーに溺れたくない。岐阜県の昭和村や、長久手にあるサツキとメイの家なんて冴えないぜと思う。昭和は取り繕わなくても受け継がれているはずだ。

bnap06 定例会議後、帰宅しテレビつけると、アメリカがアルカイダ派のザルカウィを殺したと言っている。会見の席で、死んだ顔写真が額に入れられている。大きく引き延ばしてあり、それを記者らが撮っていた。まさしく現代の「さらし首」だ。
アメリカは標的を吹っ飛ばしてバラバラにしないように殺す誘導ミサイルみたいな兵器を持っているのだろうな。指紋判定に入れ墨確認、DNA判定も勿論す る。日本人の香田氏を殺害した集団の声明を言っていたザルカウィ。多くのテロを煽った実力者を無くしたことは、イラク国民にも目先の悪者が無くなったこと として支持されるかもしれないが、根本的には何も変わっていないことも明白で、しらじらしい筋書きを思わせた。
歴史がまとめられるのは常に後だ。当の本人らはみんな死に絶えてから、自分の生まれた国の罪を謝ったり、責めたりしていく。不思議なことに思えるが、人はそうやって歴史を受け継ぐことができ、その恩恵を受けることができるのだ。

その次のニュースは米軍の日系士官がイラク出兵を拒否したという凄いものだったのだけれど、これは他のソースで見かけない。僕の探し方がおかしい のか、筑紫さんのテレビが意識的なのか。イラク戦争は不当だとして、断固、国や軍と争う姿勢で、裁判ではイラク戦争自体を問うことにするというのだ。なん とこの士官の父親もかつてベトナム戦争時に米軍におり、同じようにこの戦争は不当だとして出兵拒否を行っていたらしい。これは凄い。アメリカにとっては手 面倒な件だから、日本の報道も自主規制気味なのではないか?
しっかり歴史を見ている者は常にいるということか。
食っちゃ寝している場合じゃないない。

bnap06 の作品は一気に歴史蘊蓄入りまくり?!・・・それはヤダナ。

http://news.yahoo.com/photo/060608/481/b85459066a1f426db3b57e339d29ef18/print;_ylt=Ao_q1dPjPsu.orf6APlULFHlWMcF;_ylu=
http://www.excite.co.jp/News/photo_news/reuters/photo/?image=Reuters/JAPAN-216497-1_picture-83219_thumbnail.jpg
http://www.tm-a.co.jp/cityInfo/Germanhistory.html

水曜日, 6月 07, 2006

一部が全部

靴を脱いで、靴下を脱いで、自分の足を描いて。
なかなか行わない時間でしょ。しっかり描いてくださいまし。初夏の気温となった日中に、絵画教室の冷房をドライモードだけにして動かした。
足や手を描くとき、それを中心に配置するとしても、どこまで描くかということは難しい。描き手や描くものによってそれへの判断は様々だが、腕を途中でぶつ 切りにして、ここから先は完全に描きませんとパーツのように描く子がいたので、それへの修正をどう伝えるかに迷った。そもそも修正と呼ぶのはおかしいが、 視野を分断して描こうとするのを良しとはしたくない。おそらくスケッチブックの紙面全体を画面として捉える意識。それが世界に対し、全部を見渡して生きよ うとする姿勢になると考える。

本日はお昼に照り焼きチキン丼。夜は炊き込み御飯、コンニャクと茸のオイスターソース炒め。美味しくたまらん。そんでもって「ぐびなま」(その他の雑種 2/アサヒ/2006)を共に飲んだ。アサヒの味だねと講釈をたれていたら、一缶の半分も飲まないうちに顔が赤くなり、畳にごろ寝。猫の寝言を聞く。そろ そろ扇風機を出す?
なかなかない時間を試むことができるかな。

火曜日, 6月 06, 2006

私は詩人と名乗ろう。君がそれを問えば良い。

「詩を書く なぜ私は詩をつくるか」(著,谷川俊太郎/詩の森文庫、思潮社/2006)を読んだ。氏が立って体現している詩人の姿についての直接的な文章 であった。書くことが神格化されるのを取り除き、どういう感じがするのかという素の感想から考えがはじまっていく。文章、詩、短歌、童謡、これらへの素の 姿勢は、言葉についてを考えることであった。クラッシック音楽からはやしうたまで、氏の詩という図鑑には入っている。手塚治虫と類似点を感じると改めて思 う。手塚もまた、谷川のような点があるだろう。
神様と呼ばれ、生まれ育ちが良く、そのインテリ性を自ら乗り越えようとした結果、大衆性が意識された表現や、高度な芸術実験まで幅広くプロフェッショナルにこなしている。幅広い歴史観、未来観、人間観を持って、地球中心の世界を描き出す。宇宙は常にそのテーマだ。
思えば、鉄腕アトムの主題歌は谷川俊太郎の作詞である。
これについては研究している方もいるのではないだろうかと考える。しかし手塚治虫の漫画は群衆劇を基本にしていると思うのだが、谷川俊太郎の詩はどうなだろうかと考えた。「ぼく」や「私」でよく語られているから「群衆劇ではない」とは言えないだろう。
本書のなかには「アノニム」という言葉がよく出てくる。
意味がわからなかったので辞書をひいてみると「アノニマス」しか載っていない。「アノニマス」の意味は「作者不詳の。匿名の。」なので、おそらくこれと似たような意味であろうと考える。文章に当てはめてもしっくりくる。
詩は誰それが書いたかどうかで判断されるものではなく、アノニムになっていければと。
言葉は常に語り手によって意図や方向を持っていると思うが、それが名前ではなくアノニムな人間であればいいだけだ。
僕が手塚だ谷川だと言う先にも、最後はアノニムな記憶や体験になればと考える。優れたものは常にそうだ。売名行為でもなんでもいいと思った。
図書館で借りてきた「泉谷しげるのひとりフォークゲリラ お前ら募金しろ!」(著,泉谷しげる/読売新聞社/1994)を読んでいて、その「アノニム」が重なって考えられた。
93年、北海道西沖での大地震で被災した奥尻島を助けようと、泉谷しげるが街頭でギターをかき鳴らし募金を集めたという活動のドキュメントエッセイ本。売 名行為ではないかというマスコミのツッコミに対し「あーそーだよ、オレはよ、売名行為でやってんだ。なぜならよ、有名じゃなきゃ金は集まらんだろォー。」 と返したという。
これに吹き出す。正論だもの。
売名行為でつきつけても、人の心に訴える核はアノニムだ。常にそれは剥き出しにされている。

http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_tanigawa.html
http://www.wagasha.co.jp/

月曜日, 6月 05, 2006

いい匂いがしますね

数日前の NHK に宮沢りえが出ていたのを録画しておいた。
夕食後に寝転んでそれを見た。
先日の、中谷美紀と個性を比較していた考えを照らしながら。
分析など本当はするべきではなく、また積極的にしたくもない。ただ新作映画の「花よりもなほ」(監督,是枝裕和/岡田准一、宮沢りえ/2006)を見てみたい。そうやって日本の女優最前線である二人の魅力に酔いしれてみたいと思った。
宮沢りえの趣味は絵を描くことだと、プライベートの話があった。BSでやっていたという彼女の特集では、アフリカのアトリエでスケッチブックを散乱させて、クレヨンや水彩や、絵の具を直接手で伸ばして描いていた。無邪気なその絵を並べて、アフリカで個展を開いたらしい。
彼女は表現者で、NHK アナウンサーのおじさんはずっと顔を緩ませていた。何せ、スタジオに宮沢りえを招き入れたときの第一声が「いい匂いがしますね」だったのがおかしくてしょ うがない。丁寧なアナウンサーの言葉遣いでコメントしているけど、内容は極めて男の心情だった。
僕もアナウンサーに同感しつつ、ブラウン管を凝視していた。
宮沢りえにしろ、中谷美紀にしろ、考えていけば女性でなくてもいいのだが、品の良さは何によって培われるのだろうと思った。
芸術報奨まで行き着いた盗作騒動の洋画家に品の良さなど微塵も感じられず、知性はただの社会的地位の高いインテリにだけ備わるものだから、私の絵画にひざまづいていればいいのだと言っており、更にそれに対してマスコミも政府も専門家に任せようと逃げ腰だ。
馬鹿言っちゃいけない、宮沢りえをポーッと憧れの目で見るときに専門家を呼んで判断をあおぐ奴なんているか。素人目ながら、今回の映画で女優は魅力的で あった。それだけで良く、それだけしかないのだ。盗作だゴミだと言えば数分で終わることを、長丁場に騒いで引き延ばし、週刊誌の頁数やワイドショーの放送 時間を盛り込み、数をとろうとしているだけなのだ。
本当のことは、分っているけど専門家に任せて、並べ仕立てた段階で終わりだ。評価は海外がしてくれる。偉いぜ日本と頭を撫でてくれる。それで売れることとなる女優や美術作品。
「盗作だとしても関係ないわ!この絵がいいんじゃい」と審査員の誰か一人でも言い出せば面白かった。一石を投じるだけでもこの騒動に意義が持てたのでは。 確かに、審査員らも誰もが騙されていただけだし、それが盗作でなくオマージュであったとしても、疑われる程度の絵画であっただけにすぎない。宮沢りえが誰 の影響を受けて演技をしているかどうかは魅力の妨げにはならない。彼女が彼女であろうと純粋に生きている姿、それだけが釘付けにさせる。

猫の鬱と並んで眠る。
言葉の通じない国で個展を開くことを思った。
日本でも言葉を忘れるようにさせられれば、いいんだ。
猫が話す内容を書き留めるように写真を撮った。
夜中に蚊取り線香をつけた。bnap05 のとき、ドイツ人らに「Mosquito Killer」と話していた。
彼を画家と呼ぶのをやめる。

http://www.geocities.jp/miyazawasite/

日曜日, 6月 04, 2006

君の誇りを汚すものから、君を守っていたい。偽りだらけの この世界で愛をまだ信じてる。

自分自身の仕事を B6サイズの小冊子で語ろうとする。
昨晩は明るくなってから帰った。雑務の傍らで飲んだドイツワインが調子良く饒舌にさせた。頭が冴えていたような気がする。原付での帰りは新聞配達だけが対向車だったので、気持ち良く飛ばせた。
例えば歌番組で、歌詞がテロップで表示されるかどうかを何度も気にして、再印刷を繰り返していた。言葉を用いている僕の作品には作品概要の文章をどう配置 するかが難しい。ホームページはそこらへんラクだ。スライドショー状態で見ることになるからである。紙面での情報伝達とは構造が違う。
この小冊子制作を通して、いまの自分自身の状態を知るようであった。
昨晩はこの仕事ではなく、bnap06 のことだった。

撮り終わったフィルムの現像出しに、お昼も原付で行こうと思ったが、鍵が見当たらないので自転車にした。
部屋を出たい気分のときは、うやむやにせず出ることを優先したほうが良い。
その後の精神状態。本当に必要な仕事へ向かうことができるようにコンディションを整えること。そのための意識的な行動を、今日は心がけてみた。
おそらく二十七歳の自分には、既にいくつかの日曜日の過ごし方リストがある。
だがそれを選ぶ前に、大前提である己の姿、鏡に映るニート紛いの現状を思い浮かべて、より良くあれればと思ったのだ。
漫然と iPod をシャッフル状態にして部屋にかけるのも、なんとなく選択された意識の場所を模索する試みだが、今日はその楽曲にすら、張りつめて意識していた。
このまま文句ばかりを日夜考えるブログの人になりたくはない。
詩を書こうとする気持ちは、いろいろな試みの偶然であると思う。
それを「奇跡」と呼ぶメンタリティ、及び定義付けのことについてを、そのキーワードの選択を僕はしないだけだ。
いつだったか、小松氏と話していた「どのような作品も、詩であると出せば良い」ということを考える。
いろいろ続けて、夕ご飯直前まで作業をしていた。

イントロがはじまったときから、いまの気持ちに合っている感じがして、良いなと思った。
少々ポップ過ぎる感じでありつつ、知性を感じさせる音だった。「MIND CIRCUS」(中谷美紀/作詞,売野雅勇、作曲,編曲,坂本龍一/1996)という歌だった。
今晩は、鰹のお刺身とアボガドのお刺身と、福岡氏より頂いたクレオパトラ豆の赤米御飯。共謀罪のことを話した。このポップソングの歌詞は、こんにちの日本 の世相を思い浮かべさせる。意志のある女性の声だった。中谷美紀には意志を常に感じる。近寄り難い類いのものでは、実は無い。何もお高くはとまっていな い。
そんな考えは、何故か宮沢りえとの相違点という話題になっていってしまった。どちらも魅力のある好きな女優さんだから。

本日の夕方、蚊取り線香の横でパソコンをタイプしていたときに、中谷美紀の歌を聞き取って、僕はホロッとさせられた。

http://www.roomsnakatani.com/

土曜日, 6月 03, 2006

愛知県のトラウマを反面教師にするぞ

情報誌によると、昨年万博を行った長久手の会場を「愛・地球博記念公園(愛称、モリコロパーク」としてオープンするらしい。
表向きは自然保護と文化の施設を作るというわけだが、万博で人気だったロボットやステージを再現したり、遊園地が併設されるなど、先日のマンモス展示とい い、サツキとメイの家の継続といい、昨年あれだけ人を並ばせて呼び込んだのはなんだったのだろう。僕は行っていないが、ネタを何度も垂れ流すのは見苦しく 感じる。
これから数年間、愛知県は万博シンドロームに捕われてしまいそうだ。
それだけ大規模な事業だったし、成功もしたんだろうが、ここには新しく文化を創造しようとする姿勢はない。万博人気によって予測される分をコンパクトに回収していくとう大きなマニュアルに沿っていくだけを、こなしていくだけだろうなと思う。
子供もそのうち飽きちゃうやい。

その万博開催期に行った、我らが「ブレーメン・ナゴヤアートプロジェクト2005」(省略表記、bnap05)というドイツとの国際交流企画も、引き続い て「bnap06」に。前回、ドイツ作家らを迎えたのとは逆に、こっちがブレーメンに向かう企画となった。どうなんざましょ。モリコロパークみたく、もう ええよと囁かれたりはしていないか。
どうかモリコロパークでは、二番煎じ、三番煎じだという期待を払拭するほどの懸命さがあるように。bnap06 も、それに負けぬよう。奮闘と反芻をする姿勢である。
既に、今年も半分経った。
本日はアルバイトの後に、寝転んで頭巡らす。夜は福岡事務所でプチ作業をする。

http://www.pref.aichi.jp/koen/AI_CHIKYU/ai-top.htm

金曜日, 6月 02, 2006

歴史は笑いものにされる為のものではない

今日もお昼のワイドショーで盗作疑惑が報じられていた。どんどん疑惑の作品が増えていく。インターネットを巡れば、大学在籍時の悪評が当時の学生だった方 によって語られていた。ワイドショーの司会をしていたホンジャマカの恵氏は、「この事件、月曜にも動きがありそうです」と最後に締めた。僕はそれを見て、 なんでそんなことが言い切れるんだ?と思った。まるで、月曜にも報道を準備しているみたいじゃないか。動きはあるかもしれないが、月曜だとは断定できない はず。制裁は行われるだろうが、ネタの新鮮味も薄れていくのでは。いや、いやつまりこれはおそらく、簡単な検索でその悪評出てくるくらいだから、月曜には 全国ネットで母校での黒歴史が報じられるのではないか。マスコミは大学関連、名古屋の美術社会の周囲をあらっているはずだ。
恐ろしい。罪は罪だし、許されないことは許されない。だが、多くの心優しき大学での恩師らが面倒なことに巻き込まれたりしてやいないかと心配だ。マスコミ の美味しい餌になってしまう。そのマスコミの恩恵で楽しんでいるのは自分でもそうなのだが、リテラシーは持っているつもりだ。彼をのさばらせてしまった大 学に責任が無いとは言い切れないが、被害に追われるだけで消化され、レッテルを貼られるのは辛い。名誉挽回や評価は簡単に達せられないし、報じられない。

盗作疑惑の報道にまみれて、ある法案が今日の国会にて、後少しのところで通らなかったと言われていた。犯罪を抑止する為の法案って、感じでテレビには出て いたようだったが、これもネットで調べると、おいおいおい。ヤバイんじゃないか。またこれ。この頃の日本政治はとことんキナ臭い方向に。どんどん実際の戦 争が行えるように進んでいる。
前回の「朝生」を思い出す。僕は憲法九条が必要だと思っているのだが、何を言われてもヒステリックに憲法九条を掲げる社民党と共産党には呆れてしまった。
盲目的に護憲を叫ぶだけでは何も進まない現実になっているはずだ。あんな無知で低レベルな態度だから、護憲派は馬鹿にされてしまうと思った。
自衛隊を自衛軍にする案もでそうだ。そもそもいま自衛隊に何が課せられているのか、冷静さが欠けている。「対テロ」という大義の前に、全てがなし崩しに流れていってしまっていいのか。これらを話し合い、勉強する必要がある。
今日の国会で通りかけ、野党と与党の対立が理由で審議に持ち越されたけど、見直しに入ったわけではないその法案の名は「共謀罪」。

犯罪をとり行うと計画や打ち合わせをしているだけで罪として捕まえることができる法案だと解釈している。現行法でも、殺人や強盗などの準備段階で 捕まえることはできるらしいのだが、この「共謀罪」はもっと前の段階や、様々なシチュエーションに応用できるものらしい。オウム事件のときの「破防法」が 連想される。あれは確か、破壊活動を防止するという枠があった。たとえばサリンを作っていたら、ピストルを生産していたらとか。あれより、もっとハードル が低い。あのときに「破防法」をなんとか食い止めた世論の対立があった頃より、もっとあやふやに事は進んで決められようとしている。「共謀罪」は、警察が 犯罪を共謀していると断定すれば、捕まえることができるのだから、警察=体制にとって都合の悪い集団や社会的活動は全て封じ込めることができてしまう。そ れは、太平洋戦争時の言論統制やアカ狩り、恐怖政治のはじまりだ。森達也氏も反対集会に出られていたそうだ。mixi で読んだ。
他の「愛国心教育」や「障害者自立支援法」もヤバイが、こいつはもっとヤバイ。
どんどんどんどん、住みにくい自由の無い社会になっていく。

駐車違反の民営取り締まりや罰則強化の件でも思ったことだが、法律の制限を増強させることで、犯罪が抑止されるのではない。逆に、犯罪と定義される(法に 触れる)人の行為の対象が増えてしまうわけだから、犯罪件数は増えるのではなかろうか。逆に法律を緩めれば、犯罪は少なくなる。勿論これはあくまで書類上 での数値のトリックだ。犯罪と定義されないだけ。人の行為の理由は、法ではない。
我慢している部分はどこかに押し出されてツケが来る。逆に、法によってがんじがらめにされた憎悪がいつか爆発する日を呼んでしまうのでは。そして国の暴走 が止まらなくなってしまう。誰にも知られずに、戦争をはじめてしまうことだって。その為に「共謀罪」を用いて、冤罪を発生しまくれば、面倒な識者やマスコ ミは封じ込められる。

「歴史は繰り返す」なんてニヒルな言葉は言いたくない。
嫌いな言葉だが、ただ、繰り返す可能性を持ってしまっているという教えだと思う。

http://kyobo.syuriken.jp/case.htm
http://www.jlaf.jp/iken/2004/iken_20040115_02.html

木曜日, 6月 01, 2006

いまの気持ちにフィットするように、表現を転がすこと

毎月一日は映画が千円ということで、自転車でジャスコのシネコンに行った。期待値高めに「嫌われ松子の一生」(監督,中島哲也/中谷美紀、瑛太 /2006)を見る。昨晩、テレビでやっていたものを録画しておき、「下妻物語」(同監督/深田恭子、土屋アンナ/2004)も見たのだ。
この監督は出し惜しみをしない。
ありとあらゆる要素を、効果的に料理するという正攻法を知っている。全シーンに渡って即答してくる映画だ。こまっしゃくれた比喩は語らず、理屈抜きに持っていく。
漫画ならば大きなフキダシに大きな活字で書かれるであろう、意志のある答えのような台詞を、鑑賞者にしっかりと言い聞かせるかたちで、登場人物が言う。 CMのコピー並みの速度で出されるが、コピーではなく台詞なので、やや理屈や説教臭くなる印象を持つ。その言葉を鑑賞者が言葉のままでこねくり回すのは映 画の後にして下さいというように、魅力的な映像表現で理屈っぽくなるところと折り合いをつけ、総合性を持ち、それを言葉だけではなくさせるのだ。劇場の外 に持ち帰る台詞は、映画そのもの。言葉のままで解釈することは不可能になっている。CMコピーが映像とあいまって視聴者に届くのとその速度が似ている。
「嫌われ松子の一生」では、ミュージカルとしてそれを多用。歌詞は人生の背景で、常に人々の気持ちを代弁する。いまの気持ちにフィットするように、表現を転がすことが、一番重要なことだなと思った。
そのために生きている人間像を、原色のリアルで描いている。
強烈なコントラスト。人間の網膜は印象的にそれを残す。ロリータとヤンキーのコスプレ、幸せを求めすぎる故に不幸になる女、どれも剥き出しの原色。
人の一生に価値付けなど存在しない。でも、人は自分の一生に意味を見出したいから、様々な理由を探す。その理由が他者に合否されるものでは、本当はない。
誰が見ても頷きそうな、第三国でのボランティアを理由づけに掲げるのではなく、自分の生きるこの直接の周囲、この日本の町にある、誰もがさげずむ者にも一生の理由はあるのだと、男は見た。

自由を求めてと書けばたやすい。その為に戦争をするだけでは能がない。直接に、触れられる抵抗が、画面に映る。電車や車にぶつかる瞬間まで描くこと、企業や団体名、商品名などを正式名称で登場させること、登場人物の名前の連呼。
これら直接的な視野を以て、現代の姿無き戦争が起こっていると浮かび上がる。

帰宅してテレビを見れば、本日より駐車違反の民営取り締まり開始。ゴミ屋敷を奇麗にしろと、マスコミが奇麗な顔しておじさんを追い回す。何も直視することができぬよう、洪水状の表現にして現実の映像はもみ消されていた。
中島監督の映画は、カット数やCGは多いが、流れ去る洪水ではない。表現についての正攻法は激しくこびりつく。網膜、身体に。現代に通用する、元気なんだよなと考えた。

http://www.shimotsuma-movie.jp
http://kiraware.goo.ne.jp