月曜日, 6月 30, 2008

前に出して、すぐに引いて、彼女と彼は

「KAN x MORISADA - NOTATION"」"桂勘(Butoh)コマツアイ(ダンス)臼井康浩(ギター)森定道広(コントラバス)openning act 幻燈ダンスholon[森田太朗(ダンス)/森田こころ(映像) "を、いりなかのライブバー58月で見た。

ダンスは夭折、舞踏は地団駄、楽器奏者は酔いどれで、投影されるものは布の揺らめきに集約される。豊かな広がりは、決まった瞬間の画を持っている。
終演後にお話をさせて頂いた。コントラバスを裸足で弾かれているのが、身体表現の舞台であることを強く意識させた。

http://www.geocities.jp/office_mizunoue/mizunoue.html

日曜日, 6月 29, 2008

僕達は下手だ僕達はキスもされない

昨晩のライヴでゴム毬のように飛び跳ねていた仏人のブリス氏より名刺をもらっていた。ミニDVテープと同じサイズのデザインで作られていて、彼が制作した 映像作品が見れるサイトも書いてある。YouTube みたいにアップできるところだと教えてくれた。DailyMotion、確かにそっくりだ。アクセスして「映像をつくりましょう」(Peter Jane, Brice Antoine/2007)を見る。ピーター氏との共作で、メディアのなかでそのメディアを語るというメタ的なテーマを扱い出すのだが、それを冷めた感じ でやっているのが面白い。欲を言えば、最後に映像とはこうだと突きつけてほしくなってしまうところだが、それが彼らの冷めた感じの味わいなのかもしれな い。
「僕達は下手だ僕達はキスもされない」と言い放つために、カメラを回すこと。それが僕らの映像だと。

http://www.dailymotion.com/burichan/video/x1l80w_let-s-make-a-movie_creation

土曜日, 6月 28, 2008

チカチカと言語

地元クラブイベント ミチクサナイト復活第一弾の夜はまたもや朝まで踊り狂う。
日中は睡魔と戦うなか、iPhoto を使ってメールのために画像を圧縮する方法を話した。知らないと使いこなせないことばかりだ。知らないと楽しめない日々がずっと営まれている。知らないこ とは罪ではない、知ろうとしないことが罪である。なんてアフォリズムに酔いながら、アルコールにも毎度の如く酔って踊るのであった。テクノポップユニット チカチカのライブが凄く盛り上がった。中山氏の DJ はとても硬派だった。久しぶりの旧友らと近況を話してダンシング。
失礼ですが、どちらの海外へ行かれるのですか。NY に四ヶ月ですか、Kern で四年語学をされているんですか。虹の色を何色と数えるかということが各言語の領域差を示す一つの指針になります。これは例えですが、日本では七色に分け られる色の領域が欧米では六色、仏などでは五色と認識されるように。そしてソファーで各言語の話をしました。ロシア語で、赤色は美しいという意味を持つと か。赤の広場は、美しい広場という意味合いで認識されているということなどを。

http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendID=1000725581
http://enkan.fc2web.com/zatu/18.html
http://uncle-sam.mo-blog.jp/photos/russia/rua03.html

金曜日, 6月 27, 2008

ノリと大人

こどもっぽいノリでもすっかり大人な言葉をかけられて、優しさは強さを伴う。部屋は熱く、DJ はどんどんヒット曲を流した。歩いて帰る。翌朝はよく顔を洗い、来週に来る詩人のために手筈を整える。手を挙げて描くんだ。猫の鬱を撫でる。食べた餌をも どしてしまっていたので よしよししてあげてから、キャットフードを皿にそそぐ。

木曜日, 6月 26, 2008

本屋さんと映画館のある町

お目当ての詩集が無くて本屋さんを三軒回ったが、やっぱり無かった。背表紙に並ぶ漢字を追いかけていると「続」の羅列に目眩がする。映画館の前でヤーチャ イカのチラシをもらう。あのETV 特集でやってたやつだ。ちょうど来週に渡すことができる詩集が必要なので、帰って印刷に勤しむ。編集作業よりも、プリンターへのスプールのほうが時間かか る。ヤーチャイカどうしようか。

http://yah-chaika.com/
http://yaplog.jp/jinm/archive/1395

水曜日, 6月 25, 2008

もう恥ずかしがることなどしない質(たち)の

男は誕生日を恥ずかしがった。
女は誕生日を知っていた。
頁はめくられるのを待っていた。
炎は燃え移るのをためらわない。
青年老いやすく、学 成り難しと説かれる。猫かぶりで乙女な発言を繰り返す。本当は謙遜を盾にした獣だ。もう恥ずかしがることなどしない質(たち)の。

火曜日, 6月 24, 2008

無学のタオル、生乾きの涙

涙を拭く私の指先は生乾きのタオルのせいで臭かった。
何も悲しいことなんて無い。忙しぶることなんて無い。
明日こそは机上スタジオへ行くんだ。
今日は「Cirque TZARA シルク・ツァラ」という本を頂いた。無学な自分にはトリスタン・ツァラははじめてなのである。情けなしや。「ツァラはかく語りき」のツァラか!と反射的に浮かぶが、それは「ツァラトゥスツァラはかく語りき」だった。ポツーン。
何も恐縮することなんて無い。無理することなんて無い。
そこをつらぬいて、タオルを洗いに帰ろう。
涙が止む。
机上から畑を望む。

http://home.t01.itscom.net/tzy/tristantzara.htm
http://home.t01.itscom.net/tzy/cirquetzara3.html

月曜日, 6月 23, 2008

「体系」なのだ

行き帰りの電車のなかでソシュールの研究を読もうが 読もまいが、彼女は柔らかい唇で笑っただろう。
これからは月曜の夜が土曜の夜になる。横になって録画しておいた おせんを見る。
三輪素麺を茹でて一袋をすぐにぺろり。お腹が足りずに、モスバーガーへ行く。銭湯は月曜定休で小銭が浮いたから。
日本をおかしくしているのは我々で、我々をおかしくしているのは日本である。
そう、「体系」なのだ。
いつもより早く寝たのは、君が先に寝たという相互の「体系」なのだ。

日曜日, 6月 22, 2008

we rec

書き留めて更新したらいいと聞く、食堂が営業再開するって。
雨が降るなかでデジカメを出した。鞄を濡らしながらで、いまいちのフレーミング。
雨が止んだのは翌朝。トリミングし直す。
迫力が欠けたので元に戻す。

賢い子供たちは講義を録音するらしい。
寂しい大人たちは性交を録画するらしい。

土曜日, 6月 21, 2008

騒ぎ

バスに乗っているとき、こんな騒ぎはもういやだと思った。
電車に乗っているとき、いつか騒ぎは終わると思った。
走り回っているとき、もう騒ぎはやめようと思った。
弁当を食べているとき、騒ぎを返上したらどうしようかと思った。
頭を下げているとき、騒ぎも過ぎれば力になると思った。
タイを外しているとき、騒ぎの姿など見たくもないと思った。
魚の煮付けと南瓜の竜田揚げを食べているとき、騒ぎはおさまっていた。
コーヒーを飲んでいるとき、騒ぎがたいへんだと話した。
雑誌を広げている彼女を見ているとき、騒ぎがもたらすものを思った。
エレベーターに身を預けて手を振ったとき、騒ぎはゆっくり帰ってきた。
車窓に自分の顔を映したとき、騒ぎとやっていくしかないと思った。
届いていた封書を開けたとき、騒ぎに向かいたくなった。
すぐに電話をしたとき、騒ぎは賑やかな音を立てようとしていた。
シャワーを浴びていたとき、騒ぎは汗の姿をしていた。
振り込み用紙を剥がしたとき、騒ぎは窮屈そうに僕を見てきた。
やがて布団に入るとき、騒ぎはきっと夢のなかにまで入ってくるはず。
僕の仕事は騒ぎが楽しくなるようにすることだ。
夢想めいた未来にあばよう。
そして騒ぎを遠くから見る。
本当はすぐそばに座っているのだが、同じところにいると見ることができないのだ。

金曜日, 6月 20, 2008

高層ビルの上で背筋を伸ばしても、そのまま

作家は待ち続けていた。無垢な絵描きは待つことの表明すらしない。恐ろしいほどの時間が過ぎた。美術と呼ばれる価値観は停止したままだった。聴こえる声は 爽やかではあった。しかしもっと大きな問題が実はある。高騰した絵画と、紙くずの間を行き来するのは無垢な少女であった。少女が裏のある言葉を発して、無 垢でも何でも無いということが見え透いたとしても、僕たちは無垢な少女だと五月蝿く書いた。写真はいびつに固まりつつある。僕は和服の女性に話しかけるの がはじめてだった。高層ビルの上部にある石庭に降り続ける雨を見るのも。鬱積した行いをどう諌め、どう慰めるか。雨降りと雨降りの間にある少しの夜道を散 歩した。待ち続けていたことに礼を告げるのは僕の希望だ。今夜も机上スタジオへは行けない。依然、美術と呼ぼうとする価値観は停止したままだ。

木曜日, 6月 19, 2008

無垢な絵描きの建物を目指した

完全に醒めてしまった利口な絵描きたちの建物を昇り降りした。木炭がついた食パンを食えというのかよと男は罵った。男は無邪気に正直ではあるが、無垢では 無い。よってこの建物は醒めている。呆れ返るほどの号泣にはほど遠いところで、号泣のために絵具を買い揃えるのか。その修練に終わりは無い。それは事実 だったが、気には留めない。私にはもっと描きたいものがある。踏みつけられてそれを再認識できれば安いものかもしれないと思う。しかし踏みつけ返したいと 考えてしまう節だけが残念だ。必要なことを溜めるために、無垢な絵描きの建物を目指した。私はあの建物に居たら窒息してしまう。詩の修練は修練を忘れると ころにある。

水曜日, 6月 18, 2008

朝焼けが燃えているので、窓から招き入れると

きみのなやみはなにとよべるか
またあいたい
あたまいたい
はもいたい
かみあいたい
ぼくのちょうしのいいことばはおいておかねば
しらないところへいくためには

「終わりの季節」(作詞,曲,細野晴臣/1973)を聴く。
今頃は何と呼ぶか。それが我が課題だ。

http://jp.youtube.com/watch?v=nmb44zmmXVU&NR=1

火曜日, 6月 17, 2008

二次元に落とし込み、眺めを巡らし

わからないということがあって、それを知るのは会話の端々である。面と向かって、ぼくはきみのことがわからないとは言えない。それが言える関係も素敵だとは思うけれど、憧れだけかもしれない。
猫の鬱が、お前のことはわからへんけど しっかりしろニャー。と言ってくれてるような気がする。
わからないということが互いの瑞々しさで、それを埋めようとするのは私の感じる限りのものだ。
ぼくはきみのことを信じていると埋め合っている。二次元に落とし込み、眺めを巡らし。

月曜日, 6月 16, 2008

高次元幾何学は己のイマジネーションとの戦いだ

建築家 阿竹克人先生の講義を聴講した。テーマは「高次元幾何学」。
人間が存在している三次元より高い、四次元や五次元などをどう捉えていくか。
イマジネーションの限界は確実にあって、それを超えようとする働きも確実にあると思う。そのための勉強なのであった。現代の小学校では理科の授業が不十分 なため、小学生の四割が天動説を信じているというのは、馬鹿だと嘆いて終わる話ではなく、人が視覚として認識しているものを、学んだ知識で補って世界を捉 えていることを示している。
高次元を捉える考え方が興味深い。四次元は見えないから 二次元と三次元の関係をふまえてそれを三次元と四次元に持っていく。三次元空間での正多面体を捉え、四次元空間での正多胞体を捉える。うーん 頭がこんごらがってきた。刺激が絶えない。想像が難しい。
ドラえもんで紙を曲げてワープ工法を説明す場面も取り上げられた。

会社で経理を散々やってから、高次元のことを考えたくなったり、現代における純粋絵画について思いを巡らせたり、イマジネーションの枯渇は社会に出てからのほうが感じてしまうから、学びたいと思っている社会人は多いだろう。

http://www.atake-i.com/indexj.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%AC%A1%E5%85%83%E8%B6%85%E7%AB%8B%E6%96%B9%E4%BD%93

日曜日, 6月 15, 2008

ひとつの眺めとたくさんの目。

二晩でつくりあげたグループによるプレビュー展示。正味、作業は六時間くらいの、公開時間も六時間だ。自分で説明しておきながらもっとこの部屋を使いこなしたいなと思う。再撮は続く。
日曜にも関わらず見に来てくれた顔ぶれと、立ち話や座り話をした。
いよいよ化けの皮が剥がれてくる頃。「先生」とは呼ばれなくなってきて、鼻高々かな。
「たくさんの目」が特定数になって、たくさんという言葉以上に具体感を持つようにならねばと思う。
テレビで「二十四の瞳」の背表紙を見てそう思う。

土曜日, 6月 14, 2008

本当のカメラ

照れ隠しで暴走する若い先生と十の瞳。一人は娑婆に片足を突っ込んだ気持ちで、もうこんな雑居ビルには来たくないんだと考えている。しかしそれがいまの自分にある現実である。
「デジカメの特性は何ですか?」
「撮ったらすぐに見れる」
「家でプリントできる」
「フィルムカメラの特性は何ですか?」
「35mm はもう少ない」
「家でプリントは難しい」
・・・「本当のカメラ」。

予備校生たちの間を歩く。彼や彼女がいま学んでいるものを疑うことがあっても、その教科書を捨てることはない。一度預かってくれる家があるときに、その疑いに向き合えればいい。

金曜日, 6月 13, 2008

One view and a lot of eyes.

"One view and a lot of the eyes.
ひとつの眺めとたくさんの目。"

と編んだ。夜遅くに。
本音はわいわいしたいだけで、さぞかし深刻ぶって。
いろいろ見て、ひとつを選ぶの?
それ自体のなかで。それ自体を通して。

木曜日, 6月 12, 2008

それならば居直れ!

「さよなら絶望先生」(原作,久米田康治/2005-)のアニメを DVD で見ていた。
テンポが良く、知的好奇心をくすぐる展開が絶えない。
すぐにあらゆるものに絶望してしまい、自殺しようとする絶望先生に群がるアクの強い個性の学生たち。ハイスクール奇面組のようなネーミングと構造を持っている。
オープニングテーマの「人として軸がぶれている」(作詞, 大槻ケンヂ/作曲, NARASAKI/2007)で「それならば居直れ!」と唄うのが本質を突いていて良い。
絶望を笑い飛ばせるかどうかだね!と中山氏とガッツポーズをした。

http://jp.youtube.com/watch?v=Mh4qgYzSftU&feature=related

http://www.starchild.co.jp/special/zetsubou/top.html

水曜日, 6月 11, 2008

ただいま上映された言葉は、みんな嘘でみんな本当ですね

何かを恐れると同時に、何かを消滅させようと剥き出しにしているようだ。
華やかな叙情に満ちた言葉で払拭されるものは今日への不安かもしれないが、言葉は常に語られていないものを浮かび上がらせる。愛故に憎。美故に醜。虚と実 の入れ替わりの果てに、舞台からこちら側へ外れる動きや、スクリーンから映画監督を名指しで嫌いだと独白することがある。それが言葉の働きを伴って語られ ていることに着目したい。
宴席を進ませながら「天井桟敷の人々(原題, Les Enfants du Paradis)」(監督, マルセル・カルネ/アルレッティ、ジャン・ルイ・バロー/1945)を鑑賞した。
最後は寝てしまったが。
水野晴郎の訃報を聞き、いまや映画番組の前後に語りをつける評論家は居なくなりましたねという話をして、それは本当にそうだなと思う。映画の後の余韻を殺 さぬように言葉を選ぶ語り手はもういない。誰もが一人言を書き込みし、それを 無言で ROMるだけである。共有される言葉が無くなったのではなく、変容している。映画評論家の最後の言葉を、画面から言いたいと思った。
「ただいま上映された言葉は、みんな嘘でみんな本当ですね。」

余談だが「天井桟敷の人々」の原題「Les Enfants du Paradis」は英語直訳すると「The Children of the Paradise」になる。「Enfants」には children より広い人間への呼称がありそうだし、「Paradis」は劇中であの天井桟敷をそう呼んでいるのかもしれない。どう訳していくかは学の要るところだが、 この邦題には「楽園の子供たち」のような華やかさが消えているようにも思う。寺山修司はこの「子供たち」からも着想を得ているのだろう。水野晴郎は直訳で はない邦題をつけはじめた第一人者である。「映画って本当にいいものですね」と、配慮のある言葉をそこに織り交ぜていた。

http://jp.youtube.com/watch?v=UJIIrguLzDw&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=Bly9o0MS5po

火曜日, 6月 10, 2008

無常の先も無いが

無常なのだろうけど。
僕は現世の俗人であるからして
悲しい思いが去来する。
寝込みを襲われそうになっていることに気付き、寝ているふりをして不意打ちしてやろうと、布団を脱ぎ捨てチョップを繰り出した。それは悪夢で、空をチョップしながら起きた。
とても辛いことがあって、
優しさを求める文言は置かれたままであるとき
どう呼んだらいいんだろう。
無常に行き着くのは道理かもしれないけれど。

月曜日, 6月 09, 2008

それを思い出すことができなければ、悲しい男は、悲しい男のままだ。

起きるとノリ氏は既に旅立っていた。部屋には缶ビールのケースが二つ残った。
パソコンを立ち上げ、吉田氏のブログ 6/9付を読む。「象徴」という言葉がしっくりきてしまう。更にニュースを見て、掲示板に残された犯人の実況書き込みなどを知り、その文言ひとつひとつに 悲しくなる。許すまじき犯人より悲しいのは被害者であって、本当に痛ましい。こんな事件が二度と起こってほしくないという言葉は重く、こんな事件が多く なってきているこの世界に、何が必要なのかを思う。生活費だ年金だ何だと貧乏に必死で奉仕も啓蒙も無く、エコブームにも懐疑的で連帯にも冷めた私には何が できるのか。
ひとまずはあまりにも「象徴」的なものを「象徴」と呼びきってしまわないように考えるか。
今日は車で送ってもらって、大学やギャラリーを行き来した。猫の話も少しした。

さよならは一人言ではない。
本当はさよならを誰に投げていたんだ?!
それを思い出すことができなければ、悲しい男は、悲しい男のままだ。

http://blog.alt-nagoya.com/?eid=776796

日曜日, 6月 08, 2008

豊かな世界とは何かを考える事態だ

早朝解散。正午まで寝て、起きてみんなで定食屋で昼をとる。おばちゃん一人でやっている店で、客は座敷に我々が四人と、テーブル席に作業着のおやじ一人。 文字通り昼間っからビールを飲んでいて、おばちゃんに大きな声で何やら愚痴を言っていた。安くて量があり美味しいと評判のこの店は学生の頃はよく行ってい た。今日は久しぶりだ。店のテレビに速報の音が鳴っていたが、テーブル席の向こうにあるのでそれを読むことができなかった。
更に解散しノリ氏と二人で自室に戻り再度寝る。夜に市内で Prof,Thanom 氏らの送別飲み会があるので、早めに出て市内での展覧会などを見ようと話していたのだが、時間ギリギリまで寝てしまって展覧会鑑賞は無理となった。世界の 山ちゃんにて十余名で宴席。またバンコクに来いよう、行くようと賑やかに交わす。握手をして別れる。しっかりと笑う。
タクシーで名駅へ高速帰還。駅前に号外が貼ってあり、秋葉原での通り魔事件が載っていた。それから乗り込んだ終電は先の路線で起こった人身事故で途中停止し、待たされることになった。
ようやく辿り着いて、テレビでニュースを見る。怒りと悔しさと情けなさが入り交じり、呆れたり恐れたりした。同じ世界に生きていながら、全く異なった世界を見ていることを思った。豊かな世界とは何かを考える事態だ。
ノリ氏は翌朝早いのもあり、横になるとすぐに寝た。僕は落ち着かない心境を抱えたが、飲み会続きの疲れが起こってきて徐々に眠りに入っていった。無力感に苛まれる思いがした。

土曜日, 6月 07, 2008

torot

見える術は君による。
私は言葉で呼び、
私たちで光をぶら下げた。
ステップについてを持っていた。
雨が降り、私の足どりは早くなる。
翌朝まで絶えることなく、お菓子を肴に飲む。


金曜日, 6月 06, 2008

切なくなっても金は無い

こんなところで行ったり来たりしても、この廊下はもう会えない。
海外へ行ってしまったらしいし、賞も取りまくってヨイショの嵐だったらしいから。
かつての友達が雑誌の表紙になってこっちを見ている。僕は缶ビールひとつを懇親会からくすねてきた程度で懐を温かくして、何かと優しくなれないかと、まだ模索している。
寝不足分を取り戻したいな。
何を聴きながら寝ようかしら。
すぐに ちゃちゃが入るのはもう承知の上だ。飽食の漂着先で腹を満たす。切なくなっても金は無いし、金が無いからもっと切なくなるし、金があっても切なくなるのは変わらないんだろうけど。ごまかすことができない分だけいいかなと負け惜しみを言ってる。

木曜日, 6月 05, 2008

生活の柄

そんなにお金にならなくても、やる価値のあることでしょうかと問う。
問うているうちに雨が降ってきて洗濯物が濡れ、電話代がかさむ。
ゆっくりと部屋の掃除。ありとあらゆる生活必需品の高騰化でこれは本当にみんな苦しいなと、スーパーで頭を重くした。どうにかして押さえていかないとなぁ。
みんな同じく苦しいのを忘れない。
夜は、高田渡の歌でほのぼのする。

http://jp.youtube.com/watch?v=EEFb9WUp8Ps&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=XJ799Zu5xpI&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=mzK9yHJ3UD0&feature=related

水曜日, 6月 04, 2008

孫さん、ジョブスとお友達

文字通り、朝から晩まで Mac 触ってる。今日は不意打ちの一報がやってきた。やっと iPhone が日本に来る!しかもなんとソフトバンクから出ることが決まった。偽物みたいな機種が他社から出ていたからソフトバンクは無いだろうと思っていたら、つい 先日にドコモでも亜種のタッチパネルケータイを出していた。これはあまりにも似ている。iPhone 確定をネットのニュースで知り、思わず声をあげたが周囲の誰も興味が無く、高価だろうにそんなの手が出せるのかと冷静なツッコミを頂く。わかっちゃいるけ ど手にしたい。3G モデルがどう来るのか目が離せない。ドコモだと iモードと重なってしまって、黄色いウネウネではじまる iPhone では格好悪い。「i」はあくまでもさりげなくあらねば。・・孫さんとも、ジョブスともお友達か。さらば au? 学割全盛期の浅野忠信もいまやドコモだし、仲間由紀恵はなんだか安牌な印象だと思う。そんな、CM 芸能人では選んでいないつもりだけど。人気だというソフトバンクの犬のCM をイマイチ面白いと思えない。同窓会でかつて人間だったという設定が出てきたのにも興醒め感が増した。誰も犬であることを気にしないのが面白かったのに、 一気に世界観が小さくなったと感じた。個人的には非難を浴びていた初期の頃のCM がソフトバンクの本質だと思っている。あのえげつなさが新規参入企業の意地ではないだろうか。NTT にトヨタ、古参大企業に立ち向かう IT系という図。こう考えていくと、総合的にイメージで携帯会社を捉えていることは否めないと思えてきた。iPhone の CM は外タレ起用だろうか。犬に替わって猫になったようなので、ディスプレイを猫の肉球でタッチする大ウケ間違い無しのかわいい〜ものになりそう。そうか。犬 から猫へのシフトは対 iPhone 用だったのか!読みが甘かった。なんて一人一喜一憂しているうちにすっかり深夜である。もはや時代遅れの AppleTalk 接続から、ICP/TP 接続に切り替えないと OSX 10.5 ではプリンタドライバが機能せず、結局 一般的なポストスクリプトプリンタで走るしかないので、A3 が刷れないという状況を理解はできたが、解決ができない。しかしこの AppleTalk という名前はいいなと思う。iPhone よりも温かい印象がある。今度、業者に聞くことにして切り上げる。帰りに、美味しいと教えてもらったギンビスの枝豆スナックを買う。確かに美味しいわぁ。 包装に「本物の枝豆に似ていながら別世界のおいしさ」と書いてあるのが可笑しい。

http://www.softbankmobile.co.jp/ja/news/press/2008/20080604_01/
http://www.sharp.co.jp/products/sb921sh/index.html
http://www.sharp.co.jp/products/cm/tv/tv137.html
http://jp.youtube.com/watch?v=0SKF54N0e6Y&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=lcB8CKa73B0
http://www.ginbis.co.jp/syohin/edamametsumami.htm

火曜日, 6月 03, 2008

ジャングルはどこだ?

Prof, Thanom 氏による世界の美術の流れとタイの現代美術への批評的考察。タイトル固いですがフランクに質問して頂いて良いです。柔らかくなろうとする中年たちの裏で、固くなろうとする若者たち。
敵対構図に持って行く必要など無くて、騒いでいるうちにチャンスは失われて行く。フレンドリーに、笑顔でやってくる彼はまたひとつ突っ込んで 場をゲットしただろう。
かつてのタイでマオ思想ら共産主義にかぶれた若者らは、ジャングルに潜伏して戦っていたことを知る。中国女タイ版か。政府はジャングルを伐採して彼らを追 い出した。いまでは共産主義者の活動を揶揄するジョークとして「ジャングルはどこだ?」と言うらしい。日本では 安田大講堂はどこだ? 山荘はどこだ? と言っても、まだ健在だからジョークとしてはキレが悪い。
分かり合えないことを上空から見たい。
その箇所にアンダーラインを引きはじめたら、すぐにカラフルな地図になってしまう。

月曜日, 6月 02, 2008

返信のときに考えた

さっきは電話で強く言ってしまったかなぁと気になって、メールじゃなくて電話にするとか、そんなことは誰でも日常的にあるものだ。
言語が通じない友人に なんとか言葉を交わし合おうとする僕は、言語が通じる者には雑に触れてしまう感もある。言葉はそこに残り、いつまでも思い出される。
だからここにいてほしいという言葉をどうにかして伝えようとする。
何の保証もないけれど、もっとたくさんの話がある。
見知った言葉たちは全く知らない言葉だったのか!と思い知らされるのを 僕はいつも期待している。

日曜日, 6月 01, 2008

言って、場を引き止める

すぐに察知してすぐに返答する力が要る。
つかまえる方法はひとつだけではないが、場は流れているので一手しか打てない。
rin 主催、とこなめ探訪に参加した。
常滑を歩く。坂道はこの場のみなもと。

http://www.rin2005.com/blog/schedule/index.html#entry-22385983