木曜日, 12月 31, 2009

今年よさようなら

肝に落ち着く大晦日。
雪が飛び散る駅の駐車場は 20分まで無料。挨拶をして走る。

紅白の裏で トキワ無双の年越しリレー漫画。
今年、いやもっと前から輝く星に歌う。

http://tokiwamuso.blog84.fc2.com/blog-category-15.html
http://www.youtube.com/watch?v=mh5rh6Chv8I&feature=related

水曜日, 12月 30, 2009

空き地に面して

飲酒を進める喧噪のさなか
待合室の裏手に潰れた店舗の空洞。
居間の窓を閉めていても、空き地は部屋を照らしてくれる。
向こうにあなたがいて
私はまだ夢にもがく
空き地に面して
タイプすることもなく

火曜日, 12月 29, 2009

発着までは30分余りあった

バスに揺られているとき、まだどこへも向かっていない。
麓で走っているとき、もよおすのはどこでもない。

声は私のところ
あらゆるものを過ぎて
暗くなる前に思う

月曜日, 12月 28, 2009

マンデーリレーレ マンデーリーレーレー

忘年会@09 まちなかのモンゴル蜃気楼立ちこめる。飲むほどに来年がぼんやりと見える。
春はおろか、夏や秋の予定を話すよ。とても楽しいさと。

日曜日, 12月 27, 2009

猫の鬱の背

皿は何べんも風呂につかる
向こうを向いていると案配が見え隠れ
帰ってきたら壁に掛ける虎縞からベタまでを
ファンヒーターの奥は虹色
油は暑い陽を受けて漂った
伸びていければと思いながら
君は白い上に寝そべるはず

土曜日, 12月 26, 2009

視界に入りきらない大きな四角

東京都現代美術館で レベッカ・ホルン展「静かな叛乱 鴉と鯨の対話」鑑賞。
自動機械を用いた立体、映像、パフォーマンス、全てが真摯な詩心に溢れていて強い。文明批評と人間観察、自身への冷ややかな視点と、貶めることも奢ることもない自意識。
その一筋が自然に通った感触は、全く他の作家や他の展示の作品の印象を薄めるほどだった。
エントランスにあった井上雄彦の企画展示は漫画として面白いけど、美術作品の深みという要素は低い。漫画家の仕事だからそれでいいのかもしれないが。
こうした異なる作家の仕事を見比べることによって、構造の本質が見えてくる。

恵比寿の magical, ARTROOM にて「WORM HOLE episode12」なる企画展を見る。これには bnap05-06 へ共に参加していた西山弘洋氏が出している。昨夜も共にお邪魔していた。氏の作品は四角のキャンバスだけでなくクラフト紙の切れ端や、木っ端などにも絵を描き、壁面上で複数作品によって構成展示したもの。四角のほうが まとまった印象に見えるものだから、一部屋のなかに他の作家の四角い作品が多いと、どうも氏の展示が荒れたように見えてしまう気がした。本当はとても穏やかな選択を持っていると思うので、余計に思う。
木々の間を飛び交う描線の速度は 遅いのか速いのか、どうとでも見える。
あらゆる解釈は委ねられた。視界に入りきらない大きな四角を感じられるかだ。

焚き火に当たっていた24時間後には、名古屋へ戻る。新幹線の時間まで、皆で食事。渋谷に丸太小屋食堂なる店を発見。温かい感じで良かった。

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/107/
http://www.rebecca-horn.de/index.html
http://www.magical-artroom.com/exhibitions/12wormhole/index.php
http://hirominishiyama.com

金曜日, 12月 25, 2009

東京にも焚き火

寝坊の大幅ロスにめげることなく東京へ移動。新幹線はあまりにも早く、東京まで来た感覚にならない。
このごろ薦められて読んでいた「貧乏人の逆襲」(著, 松本哉/2008)の現場である高円寺に行く。軽快なこの本で語られているのは二極化問題、管理社会、現代ではどこの町にでも当てはまるのだが、著者の松本氏が経営しているリサイクルショップ「素人の乱」は高円寺にあり、この素人の乱 自体が我慢ならない問題へアクションを懸ける現場なのである。
高円寺にまでも一瞬だ。ここの動きを体験するにはカフェやバーが開いている夜に来るのが適しているのだろう。先約があるので、ショップを見て DVDを買うに留める。ちゃぶ台三千円は安かった。近所なら買ってた。

高円寺を後にして、夜は中心から少し離れた郊外へ。画家Oさんのアトリエで行われる展覧会のオープニングプライベートパーティ。
たくさんの方が見えていた。絵描きにジャズピアニスト、詩人に主婦、体力のある方々。素晴らしき出会いに何度も乾杯した。
焚き火理論よろしく、皆で火を囲む。ありがたし。

http://trio4.nobody.jp/keita/

木曜日, 12月 24, 2009

寝転んで届くのは

トツギーノのガチャガチャやったその晩に火燵で絵の具を開いてる。
ちょうど猫の鬱が紙の前で寝ていたから、その背を描く。
そんな自然なことがいいと思った。
大きなアトリエに吹き抜ける風を、船内で思い浮かべるギフトのよう。

水曜日, 12月 23, 2009

prunus

名古屋市の frorist_gallery N で詫間のり子さんの個展「sink or swim」を見る。
写真であっても画像には層が起こっていた。
それは一般的には時間に左右されるものだろうけど、詫間さんの場合は気持ちで起こしていくのだろう。遥か彼方へ飛んでいった層の前で、誰かはずっと誰かになった。

駅からギャラリーへ歩く間、道に面した学校の敷地に季節外れの桜が芽吹いているのを見つけた。ケータイで撮ろうと手を伸ばしている我々の息は白い。このあたりの団地は丘を切り崩して家を建てているので、どの家も長い階段を持っている。

http://web.me.com/yurika7/
http://ppp00.web.fc2.com/

火曜日, 12月 22, 2009

この部屋にて何をするか

棚卸しのつもりが大掃除へ発展。似たようなものだけど際限なく奇麗にしたくなるので終わらない。ある程度でやっていかないと割に合わないと考えるが、環境こそは手を抜くと低いところへすぐ行く。厳しい仕事をする為には机の上から見ていかなければいけない。パソコンと天板の間に敷いた透明ビニルに、いつかの展覧会案内状を挟み込んでいる。それらひとつひとつが愛でられる環境を、如何に効率良く作るかが鍵だ。この部屋にて何をするか。

月曜日, 12月 21, 2009

誰かが導くとして

彼女は廊下でインスタレーションを取り組んでいた。
悔しがっているわけではないのだろうけど、音楽はブルーハーツで そこで思いをぶちまけていた。
鍵盤ひとつ押さえるのに苦労をしょいこむ教室を思う。
廊下は過ぎ去ることのできるところ。
彼女が何をしているのか。誰かが尋ねるとして、それは誰か。

ジョン・ゾーン提案による即興演奏システム「コブラ」を初めて行う。自分は声を変換させる。窮屈なことはなく、ゆるやかな輪郭が引かれるという感触。走り方が見えるときは楽しい。プロンプターのセンスが問われるのだろう。

これは音楽なのか。誰かが尋ねるとして、それは誰か。
そして彼女は何を話す。

http://www.youtube.com/watch?v=1m1pjR1AQbc&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=8QO8atT1Sqc&feature=related

日曜日, 12月 20, 2009

だいぶ昔のことのような

安宿の理不尽さが許されるのは安いからで、高速インターの脇に辿り着くのは寝床を求めるがあまり。雪が振る前には雷が鳴ると知った。朝焼けとドラえもんのファミレスは長靴を履いた客が行き交う。チーズフォンデュを付ける温野菜を器用に取る。

金沢市内の ひがし茶屋街近くの古本屋さん「あうん堂本舗」に自身の詩集を置いて頂く。
二階で造園設計 中村彩さんとガラス作家 今井美智さんによる「雪の匂い展」が行われていた。室内に しいの実とガラス。窓一面は向かいの屋根に積もった雪で真っ白だった。雪は余分な音を吸い込むから、ガラスは静まり返っていた。

金沢駅の駅ビルで治部煮と共にビールらで乾杯。あっという間に帰る時間が来てしまった。途中、踏切に落雷が相次ぎ、何度も止められる。米原での新幹線乗り換えは乗客皆が走っていた。なんとか終電までには名古屋に間に合う。ホーム上で詫間さんと会うことができた。夏のことなのに、だいぶ昔のことのような話をした。

http://www.aun-do.info/


土曜日, 12月 19, 2009

編み込み合う

八月以来の金沢へ。
よりによっての大雪で、東名高速が止まったのでバスではなく電車で向かう。JR 名古屋駅は吹雪。特急しらさぎ号の到着が遅れていた。ホーム端の立ち食い蕎麦屋で朝食。向かいのホームで三脚を立てた男達もしらさぎ号を待っていた。今日一日ここで粘れば、良い画は撮れるだろう。出発する僕らの顔など撮りはしない。僕らの顔は僕ら自身で撮ろう。ひととおりの近況を話し、雪のなかをしらさぎは走って行く。
福井から石川は積雪が多かった。
金沢の町は路面に付けられた除雪用の噴射水もあって、池がそこらじゅうに出来ていた。
靴はすぐにずぶ濡れだ。

21世紀美術館のニットカフェで、広瀬光治さんの「歌とニット〜トーク&ミニコンサート」を見る。話しと歌は交互に、互いを呼んでいて 気持ちは穏やかになっていく。

オラファー・エリアソン「あなたが出会うとき」から感覚を揺さぶられる。色相で満たされた部屋に入るとき、向こうにいる人が色のなかに消えていく。それを追う自分もまた消えていく人で、赤色にいるときに赤色を見ているわけではなく、見ているもには反対色である。色は視覚に位置しながら周辺感覚に領域を伸ばしていることを思った。

夏以来の金沢はお世話になった方々との再会もでき、短い時間でも意識を立ち上がらせることになった。
あらゆる行為が編み込み合う。雪道の土壌には夏のことがある。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=461
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=460

金曜日, 12月 18, 2009

うまくしなければ何のポイントも無い

昨夜はクリスマスカードを作った。最初は面倒がっていたけど、二つ折りを開くと絵が飛び出してくるように仕込むことにしたので、適当に作ってもうまくできないと観念し、けっこう本腰を入れた。三時間くらいかけて完成。今日の日中に投函。間に合うだろう。

日中の雑務は際限の無い連鎖で、クリスマスカードのように放たれるギフトではない。キャッチボールでもないしブーメランでもない。確実にと滑らせていくカーリングだろうか。うまくしなければ何のポイントも無い。
定刻通りで途中置きして、夜は持ち込み形式の忘年会へ行く。ワイン一本で顰蹙。
クリスマスはいつから恋人のものになったのかという話は、日本だけの異様な認識であろうし、根っこの無い文化行事は解釈が気楽なので商売として都合が良いわけで、いまはハロウィンが同じような広がり方をしようとしている・・とか。作品のプレゼンテーションという場は、作家が他者と対話ができるかどうかに懸かっているとか。緩急織り交ぜの一夜。終電にて帰宅。ワインの空き瓶を持ち帰った。ゴミが置いていかれると嫌な感触がするのを思い出した。

木曜日, 12月 17, 2009

こんなにくそ寒い夜

とにかく進めなきゃと思って無軌道に市内を歩き回る。そんなときほど収穫無く、愛に憂うばかり。憂いは愛の起こりか。なんだかやけに冷え込むぞ。12月が心配するなよと顔を出して来た。

どんな機種のiPod にしても「Pissin' till I die.」(詞, 鈴木慶一/曲, 白井良明、鈴木慶一/1999)は入れちゃう。99年の当時にダウンロード方式で発売してて、いろんな形式で聴き比べができるようになってた。いまは何ので聴いているんだろう。YouTube に載ったら、FLV で、音は落ちるんだろうけどそんなに気にならない。スピーカーがショボイからあまり変わらないんだな。
歌い出しの「こんなにくそ寒い夜」になってきた。つべこべ言っても、愛を憂いだ分だけ動いてる。

http://www.youtube.com/watch?v=QR8FkcaX1wY

水曜日, 12月 16, 2009

画室の就寝

48色入り色鉛筆ケースの蓋が 猫の鬱の寝ているところへ覆い被さった。人様のせいでこうもひどい目に合うのかと顔をしかめる鬱は、今日にはじまったことじゃない。48色のどれくらいを掴んで君を描いているのか。鬱は白黒だけじゃない。どこか青く、緑と、内に赤を持って体を伸ばしている。ケースを少し手前にして鬱が寝やすいようにして、また描き続けよう。水で伸ばしたりもできる。ケースに筆が入っていなくても。

火曜日, 12月 15, 2009

織り混ざってくる

早めの忘年会があり、鍋やら飲み放題やらで制限時間付きの店だった。何かと飲む機会が多いが、今夜はしっかり話したいんだと強く言われていた。店では食事に走ってしまって、落ち着かず。かといって、飲みはじめの感じが見えてくると変調が出来ない流れになってきて、どうも何かを語ろうとできない。そんな無理して出来てくるものではなく、自然と織り混ざってくるものだろうと思い、時間内は美味しく頂く。
気付いたときには明日も早いからと解散する一行。ローソンでアイスクリームを買って帰る。身体的にはシメだ。普段は忘れるのに、こんなときに限ってポイントカードをしっかり提示したりする。

月曜日, 12月 14, 2009

Sense or

音はどんな楽器で膨らむのか、気持ち巡らす間もなく一週間は経つだろう。
ヒカシューの「パイク」(詞, 巻上公一/曲, 山下康/1980)演奏のVを見ていると、そんなに大手を降るものではないと思う。可笑しみと背中合わせが反応でポンプを押すのだと。
Sense に or と Sensor 降って。

http://www.youtube.com/watch?v=UK49vuHnKqs&feature=related

日曜日, 12月 13, 2009

Twitter 一考

昨夜 某企画への漫画の受け取りで駅のほうには出ていたが、買い物はできなかったので 改めて市内へ出た。
転落して傷だらけになってしまった iPhone に、いいかげんケースを付けなければと思い立ちミラータイプのプラを購入。そのままのデザインが一番良いという志向から、付けるならば別要素が欲しいという志向へ。透明ケースというのはどうも妥協的な感じが拭えない。
展覧会を見ようと離れた別の町へも行くが、着いたときには閉場してしまっていた。道すがら Twitter でつぶやき続けていて、それが時間などの判断をさせないようになっていた。危ないなぁと言いながらもそこまで悔やまない。
日曜まで食い込んで来た雑用を済ませて、電車内で偶然会った福岡氏と食堂でパスタ。缶ビール大を二本。最新 Mac と最新作品への制作を聞く。多難なれどやるしかないっ!という仕切りになってしまう。
昨夜 受け取った漫画は個性的であるという点で勝っていた。
Twitter の中毒性は安心して個性的であろうとできる小さな枠の存在だろう。
140文字の中に詩はあるのではなく、一本のタイムラインを ばらばらの言葉が流れていく姿にある。この流れを意識させる文字の現れ方はあるはずだ。コンサートで無言のMC をするわけではなく、日々の動きに。

土曜日, 12月 12, 2009

かっこいいがため

ラッキープレイだと撃ち殺しているんだから非道にも思われよう。惨くともゲームはゲームで、仮想のものだとする割り切りが大人のビデオゲームにはつきものだ。割り切りそのものが想像力の使い方である。でも子どもたちには、想像力があると言いながらも はなっから割り切りを要求するのは惨たらしい。
レンタルで見た「紅の豚」(監督, 宮崎駿/森山周一郎、加藤登紀子/1992)は、大人向けというテイストながら、子どもに対して割り切りを押しつけるものではなかった。飛行艇で空中戦をしておきながら非道なところは無い。それでいて軍ものうんちく欲は満たしてくれる。大人の恋の割り切りも描かれているようで実は無い。むしろ子どものほうが、恋を割り切る強さを持っていると描かれている。宮崎駿の興味はあまり歌姫には無いだろう。姫は除いた「歌」にはある。
「時には昔の話を」(詞, 曲, 加藤登紀子/1987)に散りばめられた、サンテグジュペリへのオマージュの豊かさを宮崎駿が語り込んでいることに比べれば、ただ かっこいいがための「大人の女」はささやかだ。

割り切りながらも胸を痛めている自分を想像させんがため、顔は絶対に見せない。

http://www.youtube.com/watch?v=HqOhAQbo5yE&feature=related

金曜日, 12月 11, 2009

codnw2

以前から やろうやろうと言っていたゲーム大会の日。先週までタイトで順延していたもの。名鉄犬山線を北上した山岡食堂の一室で「Call of Duty Modern Warfare 2」(X Box360/Infinity Ward/2009)をプレイ。二年ぶりくらいに X Box のコントローラーを握る丸腰だろうが構わずプレイ。蜂の巣となって駆け巡る。朝まで立ち回りをやり合っているのはおかしなものだが、やられると悔しくなってむやみに動き回ってしまう。なんて「男」なゲームなんだと連呼していると女性もゲーマーはいるという話になってしまうが、そうではなくこのゲームが持っている要素そのものが実に「男」の喜びそうな内容に満ちあふれているのだ。今夜の朝までコースには女性が一人もいない。ゲーマーにするべくここで朝までとか思う。いつもの愚痴を垂れるべくの酒瓶を傾けているくらいなら・・。面倒なのをやっつけるべく立ち回ったほうがいいと思う。僕自身のプレイは面倒な極地でチーム戦では足を引っ張り、個人戦では復活と同時にやられる有様。時々訪れるラッキープレイを少しでも増やそうと躍起になった。

http://modernwarfare2.infinityward.com/agegate.php

木曜日, 12月 10, 2009

B級お色気おバカ映画のご都合主義にはお国柄が出てくるのだろう

「貧困ボーイズ やりすぎエレジー」(原題, Sex Up 2 - ich könnt schon wieder/監督, フロライン・ガートナー/アンドレ・カミンスキー、 ヨーナス・ヤーガー・メイル、ヤコブ・マッシェンツ、トーステン・フェレ/2005)鑑賞。字数の無い映画紹介欄なら、B級お色気おバカドイツ映画と小見出しをタイプしておけば足りる。
ベルリンが舞台だが、あまりドイツらしい特徴も出て来ないのが残念だった。クラブバーのトイレではコンドームの自販機があるところとか、冗談の交わし方とか、義理堅く遊ぶところとか、何も無くて物足りない。登場人物に同性愛者が自然と描かれているところや、細かく見ていけば他の国では無いというものなのだろう。欧米から見れば韓国と日本は近い描写にされてしまうように、日本から見ればドイツもイギリスも似てしまう。実際は映る画も違うのだろうけど。
BGM で「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」が流れていたのが寸違いだなと思っていた。どうやらテレビシリーズでも放送されていた内容らしく、そこでも BGM が使われていた様子。お決まりな王道チョイスということか。
映画の後半にあるアクションシーンは、素人が戦うという要素から逸脱しない程度のアクションで好感が持てた。軍人でも無いのに銃に長けていたり、殴る蹴るがこなせるなんてご都合ドラマ過ぎて「特命係長 只野仁」じゃないんだから。大筋はご都合主義で来ておきながら、アクションになるとけっこう弱いという感じが良かった。
只野仁はB級お色気おバカ日本映画だなぁ。テレビシリーズが元になっているのも同じだ。ドイツで DVD吹き替えで出てるかな。

水曜日, 12月 09, 2009

町やな!と叫ぶおばさん、町というかコロニー!とつぶやく おにい。

夕方に電車で一駅の大型ショッピングモールへ行く。大型という敬称より、巨大と書いたほうが正しい。購買意欲をごまかすケチな自分にも、何かを買わなきゃと思わせる圧倒感がモールにはあった。
吹き抜けのエントランスに二階分の高さもあるクリスマスツリーのバルーンオブジェがあり、天井からキラキラ光る玉や星が吊り下げられていた。そのオブジェの四方には覗き窓が備え付けられていて、子供らがそれを覗いていた。このバルーンの中の空間を利用して何か仕掛けを設けているのだろうと思い、子供に紛れて覗き込んでみるとそこには小型モニターが取り付けられており、何のことないテレビCMが流れていたのであった。がっかりすると同時にショッピングモールが求めているオブジェは美術作品では無く、賑わいとしての飾りなのだということを認識する。モール自体から発せられるメッセージの徹底されたブレの無さ。ここでは買うことが居心地の良いことだ。
この場をお道化てくすぐっても、何も出て来ない。
モールは善良に映るが、商店街や地域社会を崩壊させている要素があるのも事実だろう。しかし同時にこれだけの品揃えと雇用、利便性の享受を楽しんでいるのも事実。中間層に向けたひとつの価値観に満ち足りている。僕の好きな女性タレントも笑顔で宣伝している。
でも毎日行くのはちょっと疲れるかなと思う。
分からないままに買い物は進行して行き、必要なものや欲しかったものを手に入れることができた。

火曜日, 12月 08, 2009

そこそこなチョイス

修羅場と化した作業室の掃除を少しだけ。同じくひっくり返っていた部屋の掃除も少しだけ。着なくなった衣服をまとめて捨てる。どれも金にはならない。夏服を天袋に入れる。こんなことを十二月になってからやっているなんて。自分がずぼらなだけでなく、ようやく寒くなってきたというのもある。先日の高山では雪すら見なかった。暖冬は寂しく、冷夏は悲しい。
仕事そこそこに夜 思いつきでレンタルビデオ屋へ。小一時間は居座って物色した。
「東のエデン」(監督, 神山健治/木村良平、早見沙織/2009)を一巻だけ見る。絵はハチクロで お話はシリアスというのが段々癖になってくるんだろうなぁと思い始めたところで終わった。一本に二話しか入ってないというのは厳しい。アニメは全話分借りてくるのが良いと再確認。借りられてたので そこそこなチョイス。根を詰めすぎないスタンスで身体を和らげ、動ける姿勢を取り戻そうと思う。

月曜日, 12月 07, 2009

火燵布団浴

記憶が曖昧なのだけれど 私は何故だか自室の火燵の天板を捨ててしまっていた。なので昨年は天板無しの火燵で過ごしていた。古い漫画に出てくる こんもりした形状の布団であるそれは、飲み物が入ったコップを置くことも難しく、食事はおろか物書きもできない。それでは不便極まり無いと 今年は、夏に使用していた折り畳み机を天板代わりに乗せてみた。足を畳んでやると足の分だけ高くなるが、ちょうど熱も伝わってこない作りになって使用はできる。天板よりは小さいので布団と毛布の部分ができるけど、まぁいいかと使いはじめてみた。
その布団部分の上で このごろ、猫の鬱が寝るのである。
夕食時などには気持ち良さそうに伸びている。ホットカーペット状態になっていて、熱伝導がちょうど良い頃合いなのだろう。溶けたかのように寝ている彼女は、ふわふわでとろとろだ。火燵の中では熱過ぎる。畳上ではすぐに冷えてしまう。岩盤浴のごとし火燵布団浴にて、猫の鬱は安らぎの中心だった。
人間様も火燵に入ったまま寝てしまったりすると逆に疲れてしまうのが常だ。火燵布団浴ぐらいが良いのだろうと学んだ。やはり猫は快適な場所を見つける天才だ。

日曜日, 12月 06, 2009

冬眠を享受しつつ夏の〆日を聴く

information です。
■ 金沢21世紀美術館ポッドキャスティング まるびぃ on the RADIO にて、
  「愛についての 100 の物語」、村田仁インタビューと、
  村田仁と詫間のり子さん(同展出品作家 写真家)の対談が公開されました。
  展覧会終了後の八月末に収録したものです。

村田仁 インタビュー
村田仁 × 詫間のり子 対談


兎に角 眠り倒す。人の身体の回復には眠り以上のものは無いと判断する間も無く、寝ていた。アパートの裏にある家屋が立ち退きで取り壊されるので、ご迷惑をおかけしますと粉洗剤の粗品一つ。年の明ける頃には通りから吹きっさらしが吹いてきそう。Googleストリートビューにだけ空き地が写っている。

土曜日, 12月 05, 2009

輪ニメーション09 覚醒編

仮眠なれど大きく、覚醒しJRに乗る朝。スイッチバックひとつ二時間ほどで着く飛騨高山。駅からすぐにセンターへ飛ぶ。数時間前に書き出されたディスクの再生確認をして、問題無く完了。オペレート室の階下にある手洗いで解放されたのは尿意に限った思いではなく高揚感であった。そして間もなく子どもらの前での上映。飛び交う私のが出ているという声に救われる。

気がついたらまた高山の駅前にいて、焼きそば名物であろう食堂で 小池さんよろしくラーメンをすすっていた。帰りのJR内でメルヘンアニメコンテストの受賞作家の方々と相席をさせて頂く。話の隅々に情熱が感じられ、疲れを忘れさせてくれた。

http://www.hida-anime.jp/top.html

金曜日, 12月 04, 2009

Robot not sleep, be finish.

紅葉見下ろす、見下されたわけじゃないのに何も言えない。庭でがめつさのまま走る不節操。
Kraftwerk「The Robots」(1977)如クディスク焼ク。オエル。

http://www.youtube.com/watch?v=VXa9tXcMhXQ&feature=PlayList&p=456EDED76BE6E7F0&playnext=1&playnext_from=PL&index=4

木曜日, 12月 03, 2009

冷静さを取り取り戻すため

よーやく山場は超えた。けれども画面比率が変わってしまったりしてうまく最終アウトプットまで持っていけず焦る。

冷静さを取り戻すため、五時半で一度切り上げる。アプリケーションは、根性で動かない。いまの仕事は、出来る人は一瞬で出来る領域だと判断。なんとかなると自分に言い聞かせる。
・・そんな、ヒーヒー言いながら触ったアプリや仕事は身体にこびりつくほど覚えるが、ストレスフルなのは間違いない。終わったら一人静かに反省をするつもり。とか言いつつ、Blog と Twitter で公開する孤独恐怖症。
Twitter はつぶやき記録だから、心メモだな。公開の。共有することを前提としたつぶやき・・。詩とは似て非なるものか、似て同じものか、全く非なるものか。いや、Twitter に詩も宿ろう。カテゴライズのなかには収まらないこそ詩であるから。

一日の変わり目も分からなくなった。空が薄明るいとき、自転車置き場は施錠されて入れず、自室に戻るのは億劫だったが歩いて帰ることにする。携帯電話の充電コードを無意味に持ってきていたのも帰る理由のひとつ。でも本当は少しでも寝て、冷静さを取り戻すためだ。などと同じ言葉を連呼している時点で、何も冷静さは無かった。しっかりと明るくなった廊下でまた仕事場の鍵を開けるとき、Twitter に今日の運勢がフォローされる。心が落ち着き、Mac は静かにファンを回す。触ればとても熱いのに 無言で処理をしていた。山場は超えたんだからとつぶやき、無駄な手を見つけては置くことに務める。

水曜日, 12月 02, 2009

Is it happening what?

何をすればいいのだろう。
それがすぐに分かれば
追いつけたるや 追い越せるや
すると言い、
聴こえなくなる。
小石だろうが巨大な岩だろうが、いくら凝視しても動かない。
Mac はただ知識に基づくことがほとんどで、勘も基づいているものがほとんど。スクリーンセーバーが何べんも映る。なかなか辿り着かない悟空のような夜。
What's happeing? じゃなく、Is it happening what? な Twitter の側面、もう終えたいばかりに。

Twitter は140文字しか打てない紹介されたけど、140文字も打てるよ!とか思う。英語では、短いつぶやきというコンセプトになるだろうけど・・。日本語では、50文字くらいが妥当なのではないだろうか。

火曜日, 12月 01, 2009

コンポジションオーバー

この頃は 何をするにしてもこの映像作業をやり切らなければという念が頭から拭えず、常に焦っている状態で、落ち着かず、冷静さが無い。すぐにリミッターは切れ、Mac も落ちていないのに再起動をしかけるのは人間側だ。After Efects は素晴らしいソフトだと理解する。一日のほとんどを編集画面の前で過ごし、レンタリングまではまだ遠い。気がつけば「あとちょっとなんだけどなー」が口癖になっている。それでも期日までには一日くらいの余裕を持って仕上げられそうな気がしていた。それでも正確な数 235もあったキャラクターを全員登場させるというのはただ並べればいいものではないから、何かと選択が要る。脇役キャラをあらかじめ一つのレイヤーにまとめておくという案を、自転車での深夜帰宅途中に思いつく。作業効率も上がるし、構成をするにおいても把握しやすいだろうと意図する。

月曜日, 11月 30, 2009

編集なう

昨年も企画制作に携わっていた「輪ニメーション」の編集を大詰めで行う。Twitter 片手に一日中 AfterEfects で取り組む。タイムラインについてを理解していく。その段階に比例するかたちでアニメートが充実していくのが分かった。そして作業進行度に比例して これはたいへんだという思いが溢れ出てくる。昨年よりも倍多い二百余キャラをどうコンポジットしていくか。泊まりだ泊まりだと言いながら、遅くに帰宅。Mac よりも人様が倒れそうだ「なう」と語尾付けのは「now」からだろうと推察で行く。

日曜日, 11月 29, 2009

一人でもギターを弾いてるぜ

元はちみつぱい 本多信介のソロライヴ@源。文学の奴等は月へ向かい、体力理系はインプロビゼーションなる地平へ発った。88年の復刻ライヴから更に十余年経ち、蔵出しもいいところの九枚組が出ていた。金欠の我はまだ手に入れていないが、なんとしてでも欲しい。ネット通販をする旨。日中にはハイエナ犬のごとく皿を取り囲む同窓生の群衆へ、元気に自らの仕事を突きつけるだけだ。この音はこれで良い!と言う朝へ、何度行き来できるだろう。いい女だからと言っても名前を忘れているようじゃだめだな。なんにも話はしないけど僕は僕は僕は・・続けて。

http://lab.vg/
http://diskunion.net/jp/ct/detail/IND3800

土曜日, 11月 28, 2009

Space+での展覧会「less was more」のオープニングへ行った。韓国のアーティストらによる企画展。Space+(当時 +Gallery)は、駅前の区画整理があり、今回の展示が最終企画となるらしい。2004年に韓国での「Energetic Extension」時には企画を進めて頂いた。昨年、真坂氏の個展オープニングで詩の朗読をした。そして何より布袋という名古屋市郊外の地において、世界発信を展開していく存在は大きかった。
オルタナティブスペースが減っていくと嘆くことは容易い。何故、減っていくかが論じられるだろう。得ていたものが何であったかが語られる。

http://homepage3.nifty.com/plusgallery/

金曜日, 11月 27, 2009

街角を行き交う、すぐに残った朝

国際若手デザイナーワークショップのプレゼンテーション。
「名古屋なるへそ新聞」とうとう版を重ね始める。

ポカはとっくに重ね続けていた。
日中は銀のカーテンにシグナルを隠し、ノイズをかき分ける。
おそらくはかき分けきれない。地下鉄の特急は無く、懇親会から吊り上げても。
おそらくはかき分けきれない。明らかにさえずったとしても。

実際問題、いきなり大きな変化は無い。 死にそうになりながら、紙面を書き、言葉を綴り、タクシーを捕まえて、僕らはここまで来た。大きな変化は無くても、行き着くところがあるんだと信じてここ まで来てる。それは、恐ろしいくらいに懸命なこと。綺麗ごとではなく、衣服のように感覚に寄り添いたいと。

木曜日, 11月 26, 2009

自身のセンスそのものへ

帝冠様式の市庁舎にて輪転機と格闘。自身の意志や身動きとも格闘。
つぶやく間もなく次から次へと確認や確認に大あらわ。皆、全力の協力さは良い。
明朝は国際若手デザイナーワークショップのプレゼンテーションと、授業内での「S/N」上映がある。見守るばかり。まずはひとつめの大団円だ!

http://www.creative-nagoya.jp/cdcn2009/index.html
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/shicho03.html
http://www.youtube.com/watch?v=8fpw6EYOEig&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=B-mQo1_N9Yg

水曜日, 11月 25, 2009

どこでも は、はたして

information です。
■ Twitter はじめました。

http://twitter.com/murajin79


この場は何だろう。
この場から起こってくるものは。
言葉の端切れは 速度や利便に比例するのか。
補完されない場に ますます価値が出てくる。

火曜日, 11月 24, 2009

雨の紳士、その場にて

雨の紳士は安請け合いをしない。場の言葉を受け止めながら、その場を構築していく。
ラジオの声はその場に合わせていただけではなかったか。
ブログは、ミクシィは、新聞は、同じことでもどう語っていたか。
言葉はその場へ着地する為に 自ら姿勢を変容する。
同じことを語っているつもりでも、その姿勢故に着地する場は違っているものだ。
詩はその動きの重なりと連続を縦横無尽に意識したもの。
私に根差して自由なものだ。
会話は自由であると共に、互いが場を探るやり取りだ。一人だけが降り立とうとするときもあれば、思いも寄らぬところへ行けるときもある。

月曜日, 11月 23, 2009

理解のための誤解

歩き回っているこの町の名前を放射する。

誤解をさせる為に理解をする。
この町の名前と、なぜに歩き回っているのか。
インポータントはいつも変わる。既にまとめられきった黒板のプレゼンをまる写し、音声スキャナー及び pdf にして一括送信できれば勉強したというのは まやかしだと思う。

理解をさせるために誤解を経由する。
放射されるのは、この町に留まらぬこと。

日曜日, 11月 22, 2009

date

取材敢行。二人になって歩くの図。日を過ごすと書いてデートだと中学生のときから思っていた。誰からも触れられないように籠る為の部屋を、セイタカワダチソウの生い茂る地に見ていた。思いは静かな地に降りる。つかの間にある町の隙間に 誰かを浮かべて。

土曜日, 11月 21, 2009

始まりが半分だ

韓国の諺で「始まりが半分だ」というのを聞く。
帰宅して調べると「시작이 반이다」と出る。
物事が始まるということに、その物事の半分以上は含まれているということだと解釈する。
韓国人らしいパワフルな姿勢だなと思うと同時に、そうだなと思う。それだけ、物事を始めるという地点がたいへんなんだ。うまく始められれば、半分以上がうまく行ったも同然。

金曜日, 11月 20, 2009

彼女と彼女

手巻き寿司を食べながら、これからの毎週末、年明けまで飲むようだなぁと話す。
少し大きな気持ちになれそうだったが、明朝早いということもあり、そこそこにしようと切り上げた。でもその時点で既に二時を過ぎていた。
鳥の思い出を話してくれた彼女は 愚痴をこぼしにきた中学校の先生の寝顔に落書きをする彼女と、仲良しだ。
手巻き寿司を食べながらは、みんなで共有する感覚が大きくていい。餃子も皮を取り出してみんなでこさえたりする手持ち無沙汰感が無くていい。海苔を持ちながら話していたんだ。
部屋から一人 先に帰る夜道ではずっと携帯のメールを打つ。誰かが追い超して行っても気付かなかったやも。

木曜日, 11月 19, 2009

そこで頑張れ forever

国はどこもたいへん。板挟みはどこも止まらぬ。
「GYM」(詞, 曲, 鈴木慶一/1984)のよーな気分。
事務機器の前で唸っても 刷り切ったものは起こらない。
ビールジョッキにひしょげても 間違え切った目は起こらない。
そこで頑張れ forever なんて恐ろしい。

http://www.youtube.com/watch?v=QDo941Od02Y

水曜日, 11月 18, 2009

そこは意志でカバーだ

ついに自転車のワイヤー鍵を切断できた。これで星空サイクリングだ。ワークショップの準備仕事も一段落するところに座礁した。湯たんぽも起動、必要なアプリケーションの使い方も調べてもらえて分かってきた。なんとかなるやも、助かり備えて就寝だ。しかし寒い。布団へ辿り着くまでのサイクリング。ラジオペンチで切ることができるワイヤー鍵ってのは心細いな。アプリの使い方ひとつ分からないのにメイキングしようとする自分も、いやそこは意志でカバーだ。
星が見えにくい夜にこそ「星空サイクリング」(作詞, 作曲, ヴァージンVS/1982)を。

http://www.youtube.com/watch?v=XflCV_ekMMg&feature=related

火曜日, 11月 17, 2009

格好良くなくなったようなもの

自転車に付けておいたワイヤーの鍵が壊れてしまって、この頃の行き帰りは歩き。
歩き出すまでは面倒で嫌になるが、歩き出してしまうと意外とすぐに過ぎる。ほとんど携帯メールを打っているか、電話しているかなので 歩くことで思考がまとまってくるとかいう教訓めいた話でもない。今日なんてのは雨降りなのだけど、傘さしながらメール打って歩いていた。iPhone が濡れないようにとだけ気を使う。先日のア"ーッ!ラジオのときはポケットに入れたつもりが入っていなくてそのまま地面に落としてしまい上部のボディが凹んだ。充電コネクタ部分は割れてしまったし。いいかげんケースを装着したほうが得策かもしれない。壊れてしまったは何にもならない。デザインは絶対にそのままが一番 格好良いと思うからこそなのだが。
壊れた鍵のせいで走れなくなった自転車も、車輪の少し小さいデザイン風なのだけれど、いまは何も格好良くなくなったようなものだし。
語りもしない詩人は格好悪い。苦悩しない哲学者も、絵を捨てる写真家も、誇り無きドランカーも。
雨のせいでかなり冷え込んでいた。
指先も口先も、かさぶただらけで 死なないように動いていた。

月曜日, 11月 16, 2009

未来スコープへカレー食べるGさん

information です。
■国際若手デザイナーワークショップ2009 に参加します。

「国際若手デザイナーワークショップ2009」
テーマ「未来スコープ」

ワークショップディレクター 山田 亘氏 とディレクターとして、オリジナルワークショップを行います。内容は追って発表。
ワークショップ後の成果報告を国際デザインフォーラムで公開で行います。

日時・11月27日(金)10:00-12:30(ワークショップ報告)
会場・国際デザインセンター3F デザインホール
   名古屋市中区栄3-18-1ナディアパーク・デザインセンタービル3F
参加定員・300名(要事前申し込み)入場無料
申し込み → 国際デザインフォーラム申し込みフォーム
企画詳細 → 「未来スコープ」ホームページ


フラリンコの上にフラリンコが重なり、ダメポとか言ってしまう失態ひとつ、残りは思考の及ばぬところ。カレーを食べたおかげで徹夜してもタフに動ける。

日曜日, 11月 15, 2009

楽しいさ

何かをするんだというなかで、声をかけられるのは幸せっていう怪物だ。
家族にちょっかいを出されながらアトリエに籠る画家は、放っておいてくれよと言いながら描けるようになるんだ。そう思いたくなった一日だ。
「MY LIFE」(作詞, 作曲, 佐藤伸治/1998)は、いー。

http://www.youtube.com/watch?v=72A9CoDvSvM&feature=related

土曜日, 11月 14, 2009

強くなるしかないんだよしかないんだよ

何もかも忘れて一日中 "反復" している。これはそういうもので、俗物なのよ人はと、たくさん言われたとしても、帰りの路地に伸びている側溝のドブに映る太陽を見て思ってみたんだ。強くなるしかないんだって。あらゆるもののそれ以上に青くなるしか。いまはないのと。そうタイプしようとしたら、自動入力システムが働いて "反復" した。
強くなるしかないんだよないんだよって表示されて、まぁいいかと。
それだけしつこい性格が詩とかしっくりこさせているんだろ、突っ伏して寝ているところに囁かれる。悪魔なんておらず、天使も知らない。仕事のローテも決められないまま明日は来るんだ。

金曜日, 11月 13, 2009

Don't と、言ってくれる音楽ばかり聴くのさ

libertines の「Don't Look Back into the Sun」(作詞, 作曲, Carl Barat、Peter Doherty /2003)はリバイバルロックとか呼ばれるかもしれないけど。

陽を見るしかないときもあるように思う。
訳も無く陽を浴びたくないときもある。
十代の終わりは夜が長い。
生きて来た長さに比例するのと同じで、割合が伸びていく。
三十ではまだ少しあるけれど
すぐ朝になってしまうことも多くなってきた。
長さに寄りかかるとすぐだ。

陽を浴びたら しぼんでひらく
駅までは すぐ
果てるまでも すぐ
君が三十になるのも すぐ
すぐだから
よく寝れば
轍をつたって
前に行くよ
固まっていたのを やわらげて また固くした

君は夜を続ける。
Don't と、言ってくれる音楽ばかり聴くのさ。

http://www.youtube.com/watch?v=_g207eTzVw0

木曜日, 11月 12, 2009

コンパスは違えど皆で向かう

連夜の出勤で少し軌道に乗る様子。コンパスは違えど皆で向かう。
足並みはそろえなくていいんじゃないかと話すのは、誤解も起こす。
齟齬はたいへんだけれど、言って出し合わにゃ起こらん。
鉛筆と針のつがいは早朝のうちに東京へ向かうバスを、夜のうちに乗っているような離れ方をしていた。

水曜日, 11月 11, 2009

会社未満

親父さんは機嫌良く、机に足を投げ出してワインを飲みはじめた。
昼には、やっと追加分のコーヒー粉を買いに行けた。
手が機敏には動かず、かすはずの CDアルバムも渡せない。
夕方に話したのは、ダムタイプについて。
夜は紙面に穴を開けないことを話す。
映画は難航。監督は一人。会社は二人以上だろう。

火曜日, 11月 10, 2009

They walking to the station.

駅まで歩く間に、彼女たちは何を話したのだろう。
恋人のこと、雨がいつ止むかと、開けた酒瓶の本数、いや。
抱きしめて、朝は昼へ移る。ようやく吹き出物もみんなに笑っていた。

月曜日, 11月 09, 2009

res paper

新聞社再編成の動きに乗じて、何も無いとされていた土地にあった石は石だとうごめきはじめたのだ。
全ては簡潔に行く。純粋さのみで満足でき得ぬ欲望を裏打ちする魂胆。意図の糸。墨を塗って打つ。

日曜日, 11月 08, 2009

取り囲む者へ、読み上げようとするとき。

彼の背中に立ち会う。
絵は今日までの勇み足と弱音の帰着点だ。
黒いシャツを着て、僕らは並ぶ。
手には林檎を持ち、雨漏りに備えてバケツまで抱えている者もいる。
うつらうつらと垂れる頭に立ち会ったのは彼。
雨の止んだ庭を横切って行く。
祝い言を内ポケットに潜めていたのを 忘れているのか、敢えて見ないのか分からない。
既に演者であった。取り囲む者へ、読み上げようとするとき。

土曜日, 11月 07, 2009

クリームたち

ソフトクリームひとつ食べるために出かけて、デパートの五階で買い求めたけれど、ここは空気が淀んでいるからとロータリーまで出たんだ。その移動の最中にどれだけの埃を通過して行ったんだろう。いつの間にか 150円になっていたソフトは舌の動きに沿って丸くなる。君は停泊する便を見届けたいと言いたそうに思う。それから従事の後も、どこか咥内に触覚が残っていて、食べただろうに今度はアイスクリームを買っていた。一人で 100円分の食券を差し出す。

金曜日, 11月 06, 2009

dry C

続いて顎から唇周りが荒れる。部屋の換気に対して、異様に敏感になっている。窓を開けるだけではなく、霧吹きでも常備したい。アルコールの撒布で気持ちが悪くなる。肌水と乳液を買い求めねば。続けて昼夜塗り満たせよ。何の欠落か?野菜。おそらくCが語尾のもの。やっぱり辿り着きたいC。いまは映画になり得ぬ。断片ばかりを並べている段階。ファンタジア見るにしても、幻のテイクは日本では難しそう。NHK にて、世界で一番寒い村のドキュメントを見た。温泉に入りたくなった。人々がとても温かそうに映っていたから。

木曜日, 11月 05, 2009

映画なのは指先のようなもの

「My favorite things」を集めるの。と言われると、じゃあ、尽きることは無いじゃんと話し。
僕のいまここに至るまでの構えはみんなそんなもの。ラクになろうと置いてきたり、要らないかもしれないがと、しょいこんだり。君とそうやって部屋で鍋を煮ている。箸の影を写す役目をしてくれるテレビを、今夜はやっと担ぎ込むことができた。近くに映画を見たい。最近は見れていないから。小さい画面でも泣けてくるような映画を、そして大画面で見たくなる映画を。
乾燥した空気のせいか、人差し指にできたささくれが割れてしまって痛い。何かを掴もうとするとき、キーボードをタイプするときにも気を使う。バンドエイドを貼ったら、いつもの速さで字が書けなかった。これではいかんと引きちぎってオロナインを塗るだけにした。ここから私が私足り得るのと君が寝ていた。猫の鬱は餌を食べ切ると、火燵のなかでとろけている。

水曜日, 11月 04, 2009

月は回る

information 更新 ver です。
■ タテタカコさんとライヴパフォーマンスを行います。
  フライヤーができました。
  以前に告知したものの訂正部分があります。失礼致しました。


「タテタカコと詩の世界が広がるコンサート ”心音(こころね)”」
日時・2010年1月16日(土)
   open・18:30 start・19:00
会場・名古屋市千種文化小劇場
  (地下鉄桜通線吹上駅7番出口より北へ徒歩3分)
   名古屋市千種区千種3丁目6-10 webmap
入場料・前売 3800円 当日 4300円

出演・タテタカコ(シンガーソングライター)web
   村田 仁(詩人)
opening act・わたなべゆう(ギタリスト)web

主催・源の友の会
予約、問い合わせ・電話 052-751-2550(源)web
         メール live-gen@musical.to


また満月みたいになってる。こう冷え込むと、小さいときの感じで匂いを嗅ぐ。水まわりとか。
昨夜のおかげで、火燵登場。いろんな顔もきっと。

案内チラシ pdf (1MB)


火曜日, 11月 03, 2009

妻〜! 妻〜!

「うちの妻ってどうでしょう?」(著, 福満しげゆき/2008-)は可笑しくも、愛らしい漫画だ。
観察も、辛抱も、同じ音頭で伴って、君と広げていく世界。
部屋の中で二人だけ。嫌味や、嫉妬をどれだけ語ったとしても。
君となら細やかに、そして豊かに広げることができる。
ぼこすか殴るほど怒らせる、我が儘のままに。

http://webaction.jp/title/28.php

月曜日, 11月 02, 2009

冬の滑空

次の手札を出す前に、部屋には冷えきった風が充満した。
十一月はもう年の暮れに身を寄せる。
あんまりだと ぞっとした。
風は駅前からで、鳥肌は僕だけではない。
暮れの存在として君臨せんがため、押し入れを片付ける。
滑空していくのは裸だろう。
毛布を広げてのムササビはが 季節外れだとしても。

日曜日, 11月 01, 2009

何ものかのために

「for maria concert version Keiichiro Shibuya playing piano solo tour 2009」
出演|渋谷慶一郎 (Piano)、高谷史郎 (visuals)
による 初日、京都芸術センターでの公演へ。

青に溶けていく文字は結晶となり、気持ちは何ものかのために。

京都は雨。白い部屋から、木造の床を踏む。校舎内でシナモン紅茶を飲んだ。
また新幹線で帰る。駅弁と缶ビール。目を閉じるとレイヤーが返ってくる。ピアノに跪くごとき体と共に。

http://openers.jp/culture/lounge_interview/ATAK-KeiichiroShibuya_for-maria-concert-version.html

土曜日, 10月 31, 2009

楽器は何処に

工事員にラブレターが手渡された日。
言えないことが積み重なると
静かな声でも傷つけることもあった。
君は何か言っていたようだけど、実は割れそうな自分自身を見ていただけ。
それだけが大事だろと鳴り響く。
後は使わなかった口で、歌うだけだよ。

金曜日, 10月 30, 2009

You are BIC than others.

世界はいったん幕を閉じて
君が帰ってくるまで眠る

朝露と横たわる段ボールと
ビールが気化するバラックの
黒髪が立ち上がるしぶとさ
おもちゃの聴診器で君の心を聴くと言う
一粒ずつ巻き上げられ
高校生めいた吐露は
君が帰ってこないのを
知り得ない
心はじゅうぶん おもちゃのふりをする

世界は眠ったままなので
君はどこにも帰れない
高校生だけが無邪気に下校していく

木曜日, 10月 29, 2009

前夜祭にしてはアンニュイな

屋上から彼は声をあげ
入り込んで行った者々のために
携帯電話に滑り込んできた甘えは
一度置いておいて
必要とされている?と自問すれば
いまはここにいてと
騒ぎを続ける勇敢か無謀は何を経て焚き付けられるのか
後は知らないと彼は言うだろう
前に後が見えるなんて嫌だ
馬鹿をするには早過ぎる
愚痴を過ぎるにも

水曜日, 10月 28, 2009

窓は開けられていたのに

ため息を何べん語られても変容は無かった。
人格者は自分中心にして周囲を無下にする。必要が尽きたときがあるなど、言わずに語っている有様で。
もう一皮ぶんのために。
一人で何かやるとして、本能の動機に帰ろうとする。
窓を開けたなら、皮もため息も吹き抜けよ!

火曜日, 10月 27, 2009

そのままのものになろうとしている

趣ある喫茶店でモーニングと洒落込みたかったけれど、ビジネスホテルの簡素な朝食バイキングで過ごす。狭い食堂に、フランス人の老夫婦は自らの巨体がたいへんそう。自分の置かれている現状に不満げな白人の少年も欧米から来ているのだろうか。ずっと鋭い目で周囲に向かっている。それから、それから、それから。それぞれを見入る時間も無く、お土産もそこそこに、名古屋へ戻って従事した。偶然のいろんな条件が揃って、私たちはここにいると考えられ得る。居眠りから起きては、紙コップの珈琲を飲み干す。何度も愚痴だと宣言しあって、理不尽な雇用へ如何にカウンターを繰り出せるかまで話したい。詩は正直にある。そのままのものになろうとしている。つまりとは言わない。そのままだから つまりを言う必要がない。京都と名古屋間の新幹線はリッチで速い。快適、快適。あーあーあー。

月曜日, 10月 26, 2009

そうあってほしいと思えたもの

乗り換えを走ったりして、間に合った京都へのバス。
着き次第、餅麩を食べに行く。
かつての出会いはまだゆったりと続いていて、味わいは穏やかにやってくる。

「タムくん × 谷川俊太郎さん = 詩とアニメ」、京都国際マンガミュージアムにて。
ウィスット・ポンニミット氏 こと、タムくんのアニメは残酷で優しい。谷川さんの詩は、柔らかい色をしながら堅牢な石の彫刻のよう、目方は重いに徹して苦しくはない。
タムくんの可笑しさは崇高さへの信じ方が気軽なところだと思った。忘れることはなく身に染みているから、ふざけても大切なことを言うのに戻るのだ。机から離れて遊んでいても、休み時間の前には 起立、気をつけ、礼をする子どもみたいに。谷川さんも、そう回ってる。偉さをふるまうことの白々しさに付き合わないタフネスを持って。言葉から託している。そうあってほしいと思えた。みみをすますに耳をすまし、目をすましながら。

礼をしたあと、詫間さんと藤井さんとの三人で少し飲んだ。
みんな肩が軽くなっていたと思う。

http://www.shin-bi.jp/modules/wordpress3/index.php?p=74

日曜日, 10月 25, 2009

ピコピコ、ピコ

昼過ぎまでごろごろし、餃子を頂き、帰宅して雑務を進ませようとするも、「ピコピコゲーム」(やまガメ/2009)という iPhone/iPod Touch 用アプリをやり込んでしまった。

ゲームの中でだけは好調なアイテムばかり拾うことができる。いままで出来なかったエンディングを全て迎えることができた。
終えたときに睡魔に押さえつけられ、ゲームと夢の外へ戻ると、腹は減るわ。アイテムも資格も無いわで、うめく暇が惜しいと部屋を出たのだった。
すっかり暗くなってしまった道を抜けて、構想の部屋で紙を切っていると、電話が鳴り、明るい声で Macの購入相談を受ける。
階を動きながら出たのは、買い方のバリエーションの豊富さとは裏腹に、アウトプットの少なさよ。ピコピコからの出口はやり尽くすのみか。果てるまで取り戻すことはできないみたいだ。
ああ、そこは切り開かなければいけないでしょうとアイディアの人が言う。

http://yamagame.secret.jp/picopico.html

土曜日, 10月 24, 2009

バラードのために憧れよ

はじめて一本 吸ったという煙草は 街頭販売の売り子から手渡された。
どきどきした。

はじめて手を握られたのは自転車を二人乗りしたとき、風が強い日ではなかった。
しっかりした。

はじめて揺すられたのは 朝と夜の間を見つけたすぐ、彼の泣いた顔を見たことがない。
しずかだった。

はじめて渡されたのは、まだだと思っている。何も掲げられる言葉が出てこなくて、ただ同じ感嘆を述べていただけ。鼻息だけが荒く、歌になると饒舌で、批判することで大切なんだと身を立たせていた。
やわらかかった。

はじめてお酒を飲んだのは、枝豆の山を見せつけられた流れ。
美術室の天井まで再現してやろうと思うときに、優しくなるための歌をかけたのさ。
硬い上履きを伸ばして、君は好きになってくれたのか。
はあはあした。

金曜日, 10月 23, 2009

You dispersed.

空気へ横ばい。
地面に沿わず、視線は起き上がってきてしまうから、どんどん空に近くなってしまう。
結果、かなり ありきたりな目に。
一つの兎も何とやらで次のシフト先が表示される。
結婚式で飲んだくれるのも次から次へだ。
果たして、地面に沈むのも、空へ近づくのも、どこが違ったのか。
論点は無く、ただ身構えが肥大化するだけ。

爪を爪でちぎるような癖が目に付いたら、君を親しく感じるだろう。
いくつかの町に 浮遊したかけらが重なってくれる。
ボトルのなかで海を見れるよ。

木曜日, 10月 22, 2009

小鳥とチュルチュル拘り

大きく刷り上げられる拘りの図。寒くなる前にストーブを出しておきたいのも また拘りだ。灯油でないとネと微笑まれる。息も白くならないうちに醤油チュルチュルを持つ今年の冬だった。もう電波は飛んでいない。いつもどおりの強力なやつが画面を光らせている。コントラストが急で、輪郭線が見える不気味なリアルさのよう。ノイズに潜った肉声は相手をくすぐらせた。目の中にどれだけ星が入れられているかでは気持ち悪くもならない。安心しかしなくて、手も引かないだろう。手に取られた小型ラジオにはみんな期待した。鞄を占有する働き者のラップトップよりも、そわそわさせる。仕事の相棒というよりは、肩にちょこんと乗った小鳥みたいなキャラだ。いろんな話をさせてくれる ラジオ。今年の冬という言葉は、大晦日までを指したあと、2月の終わりくらいまで指すようにシフトする。苦しそうな顔も温められて移項する。

水曜日, 10月 21, 2009

あっけらかんとした

「博士とマッキ〜の妖怪お悩み道場」には急遽、山ちゃん(学生)も飛び入りで、妖怪の悩み相談に答えていた。答えがどれだけ明らかになろうと、博士にだけ悩みを聞いてもらいたいと妖怪は湿っぽい。そんなにネクラな妖怪ばかりでもないだろうけど、たまたま今日の放送局には疲れた妖怪が電話をしてきていた。

あっけらかんとした声。恋の話に花はもれなく咲くのか。男同士の漫画談義には鼻を刺す花粉をまき散らす花が、豪快に咲いた。リクエストも絶えない。あらゆるアートの在り方についての話しもケリがついてしまえば、アートなどもう無かった。受け入れながら疑い、疑念と共に見守った私たちの名前。あっけらかんとしていこう。絵本を読み、泣きそうになる前にギターは弾かれ、もう六時には寒いなと思っていたら、ガッツある画学生がキャンバスに張り手をしていて、静かな歌と重なっていく。
理論上、電波は消えないらしいが、消えていったと見えてしまう。消えたそれは絵になって帰ってくるんだと彼女は言った。白く曇った空の下に、ようやく座ることのできるだけの大きさの家が描かれていた。
ラジオは家の中で聴かれていて、家からも発信されている。

http://kappaseico.blog66.fc2.com/#entry24

火曜日, 10月 20, 2009

連動する刺激へ

美術家 小山田徹さんを迎えての、ア"ーッ!ラジオはトーク番組をしながら、大ギャラリーで「S/N」(1992 - 1996)を流すという「どっちを見ればいいの?」という同時進行だったが、どちらもが連動しあって周囲に刺激光を放つような、豊かな場になっていた。

電波がよく入るようにと、一度高く突き上げたアンテナを今日の昼には手前に傾けるように切り替える。同じくして、僕は僕で 水口智之氏と「sample」と題したパフォーマンスを行う。スタジオ内で「聴こえていた音」を操作し、「聴こえなかった音」へ向かう行為。詩は、まだもがいている様相の、これは一例を重ね続けるべき 音の呼び合い。

夜は GoGoNext 。幕の内弁当が並ぶクラブイベントは初めてで、異様な滑稽さに可笑しくなる。ダサイと切り捨てそうな面を見ると、これを楽しんで行ってみよー!と五月蝿いオヤジになっちゃう。でも、踊らにゃ損で、猫手のニャンニャンダンスは 心の中で踊ってるんだとは、モテないクンの言うことだった。決めつけて解決してしまってはいけない。
刺激へ。そう刺激へ。聴こえてるー?

http://aaartsradio.jpn.org/programs/20_sample.html

http://aaartsradio.jpn.org/programs/20_koyamada.html


月曜日, 10月 19, 2009

ラジオは日暮れより強く流れる

「あの素晴らしい愛をもう一度」(詞, 北山修/曲, 加藤和彦/1971)は、中学校三年生時の音楽の時間で、歌唱テストの選択課題曲で選んだら、男子は僕だけということが判明して、先生に、女子のなかで一人唄うのは恥ずかしいだろうから別の歌にしたらと言われたことがある。それで別のにしたけれど、いま思えば 本当は歌っても大丈夫だったんだろうなと思う。

歌いたい歌を歌って、聴きたい曲をかけて、聴かせたい音楽を届け、話したいことを話す。
そんな当たり前のことをわざわざ電波に乗せて、ああ、ああ、騒ぐのだ。

Ko Yamada の骨伝導ラジオ 〜 お茶パフォーマンスS.O.S(鈴木+お茶+杉戸)の後で、もう一度と歌いたくなった者達が局の周りで弾き語りをしはじめた。
ラジオは日暮れより強く流れる。

http://www.youtube.com/watch?v=QU37WHOkSPc&feature=related

http://aaartsradio.jpn.org/

日曜日, 10月 18, 2009

放送前夜のアンサーソング

こないだの秋祭りの互いを見せ合って、ビールを一缶だけ。琥珀のを試す。ガンプラ付きのカップヌードルは買わない。明日はいよいよ「ア"ーッ!ラジオ/a"aarts! radio」の放送初日。いままで FMトランスミッターと ああでもないこうでもないやっていた。ハンダ付けまでやって、火傷せずに済む。それから F1 を見ていたとのこと。Mac つけっぱなしで寝ていた。寝冷えもせずに済んでくれた。何かが要る?・・としたら、ここまでの歩み寄りか。かきわけて見えてくるものに、もっと早く寄るために。

土曜日, 10月 17, 2009

ここまでの、思いのまま

大型のスキャナー。アルマイトの弁当箱。洗濯機のなかでからまったシャツの袖をほどいて、明け方までああでもないこうでもないをする。みんな置いていってしまってて、よくわからなくなる。どこかが抜けている状態なので、何か言葉を言い出す前に主語を一度捉えることにする。静かな箱が窓の前にできる。底上げに尽くされた。ここまでの、思いのまま。

金曜日, 10月 16, 2009

Bye Bye Television

さようならテレビ
こんにちはラジオ
少しだけそばにいて
君は帰らない
部屋には鋏が残された。
梱包をほどいてから荷台に腰掛けるまではどれだけだったろう。
前世紀からの話でもないのに、鮮明でもない。
空に溶け込んでいった、42という縁起でもない光の広さは。

木曜日, 10月 15, 2009

ア"ーッ!ラジオ 内で パフォーマンス「sample」

information です。
◆「ア"ーッ!ラジオ/a"aarts ! radio」内でパフォーマンス「sample」を水口智之氏と行います。

パフォーマンス「sample」
日時・10月20日(火)
   16:00-16:30
ア"ーッ!ラジオ・FM 88.8MHz(電波内)
会場・Art & Design Center

テキスト・
 目まぐるしく変わる厖大な情報。
 表面化されてゆくコミュニケーション。
 リアルとは一体どこにあるのだろうか。
 僕は "sample ミーティング" を開催することにした。

 水口 智之


 私には聴こえない音があった。
 何も聴こえなかったのに、あったと知る。
 耳はスピーカーの数だけしかない。
 それは、私の夢の一部を応援するように聴こえるという。

 多層の表層による放送詩。同時行為〜ひとつの事故。

 村田 仁

◆「ア"ーッ!ラジオ/a"arts ! radio」は、名古屋芸術大学洋画コース構想領域研究室が主催する自由ラジオ放送局です。10月19日(月)から 21日(水)までの三日間、12:00-18:00に、特設スタジオより公開生放送を行い、様々なイベントや展示、ライブ、トーク、番組を行います。現場にて FMラジオをチューニングし、実際に体験下さい。

http://aaartsradio.jpn.org/

水曜日, 10月 14, 2009

のちに

夜、淺井 裕介さんの部屋でアーティストトークののちに、室内からの詩。
非公式の反射神経で、絵描きの淺井さんと、写真/メディア表現の山田亘氏、身体表現の門倉緑さんとで、続く行為。途切れたりは公式を求める "読み" だけ。線は本来、約束されぬ向こうへの動き。ロケットの発射ボタンを押すのは四十を過ぎるとできなくなるという。そこの係は三十代まで。お茶ののちにワイン。運転ののちに笑いと会釈。書くことも読むことも、じりじりといく。

http://d.hatena.ne.jp/asaiyusuke/20091014

火曜日, 10月 13, 2009

教える日にこそ

また高速道路に乗っていた。今日は北の方角へ。山奥は同じだが、まだ道は昨日より広かった。輪ニメーションのワークショップで、歴史ある若者の合宿所に来たのだ。そこでは、教える若者を教える構造があって、僕はその横で教えられるきっかけを得ようとする若者だ。若者であろうとする限り、四十年経っても若者だ。食堂は取り放題の定食バイキング。偏食と煙草にあぶれた大人たちは若いときもある。机は四十年前 頑丈な鉄で、文句が止まらないほど重かった。鉄はいま、携帯電話にすら使われていない。片手で、トンネルを抜ける。人生が2コマだとするなら、生きる、死ぬか。全体であり部分である動き。四十年前も きっと文句を言っていた。教える日にこそ教えられ、教えられる日には忘れてしまう。それもまた若さ故か。山奥からまた日帰りをする。

月曜日, 10月 12, 2009

バラックは誰が立てて、誰が無くす

車の中では鼻水をすすっていて、おおっぴらにかむことをせず、お下品な歌をエフェクトをかけまくって聴く。山梨県にて「Regreen Arts!」を見に。
山奥の集落にある急こう配の坂を上りきると「Regreen」という民家をベースにしたギャラリーとカフェがある。この場はおそらくいろいろ行っているのであろうという土壌と気品が感じられた。
今回からはじまる五カ年をかけての長期プロジェクト作品に、若いアーティストが夏に滞在するなかで作り上げた作品たち。招待によるビデオ作品らがあった。

「7枚のドローイングのための7戸のBARRACK」は、滞在作品で、ゲスト作家の O JUN さんと7人のアーティストによるバラックの出現とドローイングの混在展開だった。山のなかでは全てがみずみずしくそよぎ、熟れている。バラックはとてもか弱いようでいて台風でも吹き飛ばないように建てられていた。

http://www.regreenarts.jp/

日曜日, 10月 11, 2009

パロディーではないキス

「学生画廊」からの面々が集まった結婚式の二次会は、学生のときのキワマリ荘の二階建てや、ギャラリー引き出しの五階建てよりも、ずっと高いフロアで行われた。映画「卒業」のパロディーで飛び込んでくるウェディングドレスはいつものノリで だんだん好かれてくる。人生は続く。御礼の後で、見送られる。喧嘩するほど仲が良いという話をしながら車で送ってもらう。接吻は何度しても会場を湧かせた。

土曜日, 10月 10, 2009

可愛がっている

洋食屋 とんとんHOUSE で番組収録。男三名でおばさんと話す。
すっかり遅くなってしまった。このお店にはずっと来ている。濃厚オレンジジュースが定食に付いていたときから。最後には笑ってしまう話ばかりだ。

缶ビールを二本だけ買い、友人宅でのたこ焼きパーティへ。誕生日会と、近況の激励会のようだった。いろいろ声を録音させてもらって、そろそろ帰ろうかと思ったが「作品について言葉で話すこと」についての話がはじまったため、面白くなって朝まで居てしまった。互いを尊敬しあう話し方が素敵だった。多くは相手をだし抜いてでも自分を上に立たせようとしているから。それがこの頃の予定調和的罵倒調を呼んでいるのだろうと思う。愛に枯渇する声は悔しがっていて、愛を生み出す声は甘えではない。可愛がっている。

金曜日, 10月 09, 2009

姿勢をとって

来年のあいちトリエンナーレのプレ企画「長者町プロジェクト2009」へ行った。オープニング、ジェット達。人は多く、関係者多く、二列目でも立ち上がってデジカメを撮っていた。これから連続していろんなことが起こってくるぞという姿勢をとって。

この町で、淺井裕介さんが絵を描きはじめている部屋があり、道端で出会って案内してもらう。淺井さんに詩人だと告げると、それは何かここでしたいですねと聞く。
淺井さんの絵は、どこにでも描いていけることを予感させる絵だ。詩の行もつたって、風呂敷紙になるかもしれない。

http://aichitriennale.jp/chojamachi/

木曜日, 10月 08, 2009

六時過ぎには電気を点けた

眠っていたら、左足が濡れて目が覚めた。
天井から雨漏り。昨夜、帰ってきたときは風が強いかなと思ってくらいだったが、明け方には激しい雨風の音が響いている。
布団をずらして、ボウルたちを持ってくるまで、電気をつけずに小さなコップだけで受け止められるかをやっていた。水が畳を打つ音と、手のひらが濡れる場所をたよりに。
六時過ぎには電気を点けた。台所から持ち出して、ビニールも敷いた。
水は木の色に染まっていた。

水曜日, 10月 07, 2009

すごい男

「すごい男の唄」(詞, 中畑貴志/曲, 服部克久/1991)を聴かせてもらった。
小学六年生のときに CM でこれを聴いて、他の国でも聴いたんだと。
CM では柳ジョージが唄ってて、LP は三好鉄生だ。三十になってどちらも YouTube で聴く。唄うのは自分。

#すごい男がいたもんだ〜
 唄われる顔がいないのに、男たちが集ってる
 雨風吹こうが飲みに来る

http://www.youtube.com/watch?v=r19hM2eKJGQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Y_iiapqDPw8&translated=1

火曜日, 10月 06, 2009

僕らはいつかきっとラジオに出る/聞いたことも見たことないけれど

ア"ーッ!の輪郭を掻きむしったホワイトボードは持っていかれた。会議室では構想より理想が舞いはじめる。悲しく、報われない思いは、前にされる。机には何でもできるさと灯る。誰かが叫び出す前に、何にもならない嗚呼を抱きとめてくれるのは小さな機械か。どこにも売っていない思いを、どこかに浮かび上がらせるための。
* 題は「Chic Piratesよ、永遠なれ」(詞, 鈴木慶一/曲, Peace-K/2009)「シーシック ・セイラーズ登場」より。

http://www.tsutaya.co.jp/works/20231080.html

月曜日, 10月 05, 2009

Narrative

すぐに手に入れられないものに囲まれ、キンブルには誰かが手に入れていたものが並ぶ。
何でもみんなそうか。

ぶら下げられた二体の形状は人体をしていて、値札と共に何かを訴えているか、つぶやいているか、言っているように見える。
見えるのは私自身の事だろう。帰りに「Narrative」という言葉をもらい、それは何かの専門用語で収まるものではなさそうだった。

日曜日, 10月 04, 2009

歳を聞いてくれる誰かと

駅前から歩くとき、男は文句を絶やさない。
たかが小さな帰り道だけひとつ、どこを寝床にするかをひとつ。

大きくなっていろんな人に会った。怒ったり、なだめたりを続けていろんな言葉を拾ってきた。
集めたものを、みんな鍋に入れられたのだろうか。煙草は外で吸って。

「帰れない二人」(詞,曲, 井上陽水、忌野清志郎/1973)はとても切ない。明るくなってしまうと、もっと。
切なくなる前にタクシーで帰る男は一人に浮かれている。
文句を置いていかれた道を引き払うのは、聞いてくれる誰かとしようと思っている。

http://www.youtube.com/watch?v=UsLLSQIIAkc&feature=related

土曜日, 10月 03, 2009

満月にて

information です。
■ タテタカコさんとライヴパフォーマンスを行います。

「タテタカコと詩の世界が広がるコンサート ”心音(こころね)”」

日時・2010年1月16日(土)
   open・18:30 start・19:00
会場・名古屋市千種文化小劇場
  (地下鉄桜通線吹上駅7番出口より北へ徒歩3分)
   名古屋市千種区千種3丁目6-10 webmap
入場料・前売 3800円 当日 4300円

出演・タテタカコ(シンガーソングライター)web
   村田 仁(詩人)
opening act・わたなべゆう(ギタリスト)web

主催・源の友の会
予約、問い合わせ・電話 052-751-2550(源)web
         メール live-gen@musical.to


源にて、タテさんの歌を聴く。言葉は声と音をまとう。満月にて月光浴を後でしようと話すのは。

金曜日, 10月 02, 2009

現代詩手帖を手に

information です。
◆ 現代詩手帖10月号、連載「インターポエティクス」安川奈緒氏に
 「徘徊する詩 "愛の前"」をとりあげて頂いております。

"散文のように孤独に「インターポエティクス」10"
『「耳」と「眼」と「全身」との係争』安川奈緒(詩人)
124-5頁


詩人の顔写真が並んでいる間にいると、外国の小説の裏表紙が著者の顔写真が多いというのを思い出す。原材料を私が栽培していますとこちらを見ている農家の方のように、言葉を私が抱え込んでいた、もぎたてを。

http://www.amazon.co.jp/現代詩手帖-2009年-10月号-雑誌/dp/B002P4V4KO

木曜日, 10月 01, 2009

十月のハンバーグ

夕食はハンバーグに決めたから、お日様が出ているうちにスーパーへ行く。
ATM キャッシャーが店のすぐ前にあって、多くが並んでいる。月末で給料日だった人が多いから。引き落としをする機械は二台で、入り口の自動ドアにシールが数種類、貼ってある。日焼けしたそれは、振り込め詐欺や ここが警察の立寄所であることを示す数カ国の言語があった。監視カメラで撮られているとは英語で MONITOR AREA か。地震が怖い。恐慌が怖い。知らない人とは離れて話さなければいけないと言う公園の看板が怖い。すぐにひっくり返らないでねと船の上でグラスは当たる。
夕食のハンバーグは焼き過ぎた? 飲み過ぎてはいない。日が落ちてから、Mac に溜め込んだデータを整理する。最近は日が出ているかどうかで仕事への気力が大きく変わる。
猫の鬱のトイレの砂を交換する。次は一ヶ月後、いろんなことの後。

水曜日, 9月 30, 2009

あの娘が好きだから

答えにするのは大人じゃない。
答えを見据えたままで 息を潜めている大人。
愛は何かと語りあい続けている。
自己愛より打ち寄せて、そしてこれからも。

「あの娘が好きだから」(詞, 曲, 早川義夫/2005)を唄いながら帰ろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=_0b3QZ1GkU0&feature=related

火曜日, 9月 29, 2009

公園から遠く離れて

九月は焦るばかり
夏は取り戻せず
冬ほど貯えるほどでもなく
窓を開けて部屋に風を吹き込ませながら
秋にすり寄るようにする
ラジオのダイアルをひねれば、君や猫の声がするのを
待ちわびていよう
パソコンより離れるためにパソコンを点ける
戦車に乗りたい
戦車を空き地へやりたい
そこは駐車場で
セイタカワダチソウが高くそびえている

月曜日, 9月 28, 2009

いろんな再学習

朝早くに車を出して頂き、「輪ニメーション」のワークショップを図工室にて。これから十二月に向けて怒濤の編集ラッシュがある。
お酒に酔って、財布を置いたまま店を出て行ってしまった浮浪者は無銭飲食だと叩かれたらしいが、いやそれは財布ごと支払って行ったんだよとなだめる。やがて浮浪者は一時定着し、代金分以外は引き取りに来て謝ったと聞く。

夕刻に名古屋市内で映像編集の書き出し作業にあたる。解像度の設定項目についてを再学習。腹八分目についても学び直し、どれだけ大きな画面でも奇麗に見えたらいいのにと思う。光学ズーム、レンズは偉大だ。偉大なのは優しさで、仕事はそうやって支えられた。帰りに高架下を通ったらサカナクションのチケットを手売りしているツナギの連中がわんさかいた。

日曜日, 9月 27, 2009

男たちの口

誰も買い出しに行かないので、茶っ葉はあるけど濾すのがなくて飲めない。日本酒だけはとびきりのを飲みたいんだと折れずに言葉を買いに行く男がいた。

「つ・き・あ・い・た・い」(詞,曲, 忌野清志郎/1982)が流れるなか、雑魚寝風になっている。まだ八時とかそんな時間にすら、手を打つために言葉を押し車にする男がいた。

煙草を吸う前に、放り出した両足を踏み越えていくスカートの両足を追っていた。
台所で開けるために軽く成形されたビールの缶と、たいした賜物だと捧げるために大きくなる瓶ビール。
瓶を選びながら、ブログやメールが無くても暗がりに言葉は棲んでいたはずだと男は言っていた。

今夜は、できるだけ彼女たちと笑って、朝は早く起きたいと口を揃える。

http://www.youtube.com/watch?v=5ImwE0pGcz8

土曜日, 9月 26, 2009

土産もので落ち着く

彦根城まんじゅうとバウムクーヘンをお土産に頂いているとき、そういえば 堂島ロールというのが美味しかったという話をしていた。連休を泳がせていた癖も徐々に収まってくる。自転車はパンクとフレームの変形で、買ったほうが安くつくと言われてから騙し続けて乗っているけど、腰はどこかで痛いと言うやも。職場の人にもらったと 堂島ロールの四分の一を頂く。甘さに悶絶しながら畳の上で 来月のア"ーッ!ラジオのための諸作業。

金曜日, 9月 25, 2009

青空を投げる

体育館に絵を並べている図がそもそも独特の不可思議なシチュエーション。
夕方になって慌ただしく壁にかけまくっているのも異様で、選んだ色味だけが かろうじて呼吸を合わせている。いつもの不協和音の調子じゃないとこが新鮮だった。
自分でそんな反芻をして秋冬の労働に向けての励みビールごちそうになる。ぎりぎりの点についてを繰り返す。歩いて帰る途中で福岡食堂へ青空を投げる。空気が変わったぶんの距離を測るのは翌朝までのこと。

木曜日, 9月 24, 2009

夏のぶり返しに

葛藤を追い返すのは、言葉の実感だから、この夏は俺にとって大きかった。と、男は自分よりもっとネガティヴな男に言う。男には、マイナスどうしならプラスになるというくさいことを言った。車を前にして、どの荷物もうまく積み込めない朝。これはパズルで、彼女はお酒を飲みたがっている。祝うタイミングを失った。悲しむ拍子も。でもまだ、きっと呼べば帰ってくる。声の前には、書くことで、文字の前には、口にすることで。私たちは見渡す朝に呼ぶ。次のピースはちょっと厄介な形状をしているだけ。隣りの猫を描いたシャツを着て、男は夏の前より元気だねと言われた。ブルーレイに初めて触れたからじゃない。まぁそんなもんでしょと言われたい。

水曜日, 9月 23, 2009

早く大人になりたいと聞く

皆、朝になるまで語り明かしていた。僕はうつらうつら聞いていただけだったけれど。
車で泰から近所まで送ってもらってから、少しお茶をしたときに目が覚めた。
自分は早く大人になりたいと聞いた。
言葉に追いつけない自分はいないはずだった。
それを言っている時点で、常に覚悟だと思う癖が、僕にはある。
それから昨夜の分を眠るとき、高速道路と飛行場には連休を遠くで謳歌した大人たちがごったがえしていた。子どもたちは、拡張現実の機能を持ったカメラアプリが iPhone についに出たという騒ぎをしていた。大人になるほど人生は楽しくなるものだよと、キヨシローも言っていて、それに勇気づけられたという話は良いなと思った。同じく僕も楽しいんでしょうと言われる。金さえあれば、今すぐ泰にでも行くさ。大人は何だってできるんだからねと返す。この店でしかダウンロードできないからと、DS をかざす子どもたち。カビ臭い布団を画室に敷いて寝た。大人になっても車が運転できなくて、散乱したホイールを踏んでしまって、レンタカーの修理費に怯える夢を見た。寝オチかよと批判される夢も。

起きたときには夜で、社長の早退を告げるとメール打つ。中学生の英語と、大人の詩。届いたMD から「私たちの子ども」の録音を聴いた。詩と音楽は一生かかるだろうと聞く。

火曜日, 9月 22, 2009

犬 in 泰 ロードムービー

今夏タイランドにて展覧会&旅行に行って来た先生方による思い出共有飲み会に大勢で押し掛けた。緑と赤のカレーが餅米で美味しい。全力で猛突進する犬は、微笑みかけられるまで無心に前を見ている。
二年前にも強行されたバンコクからの往来旅の映像。まさにロードムービーも見た。画面のなかに出てくる誰もが若く見えた。微笑みの国だから若くなるのを差し引いてもまだ若い。ハイビジョンだと皺もよく見える分、表情の僅かな違いも見えるのか。崖の上から見る向こうの国の緑は雄大だった。思いを馳せる間を経て、私たちはこの国でこうして啼く。

http://fofa.swu.ac.th/FAIC/

月曜日, 9月 21, 2009

夜に Sunny

郊外のボックス式盛り場でカラオケ。00年代にも十代を息吹かせる享楽のコロニー。
ここは暗くならない。どれだけシリアスに抱えていても。
思いもよらずに再会し、思い渡らせる間もなく酔う。
最後は「Sunny」(詞,曲, Bobby Habb/1966)が高らかに歌い上げられた。

http://www.youtube.com/watch?v=IbUl_E-R91Q&feature=PlayList&p=92470D0536B7019A&playnext=1&playnext_from=PL&index=63

日曜日, 9月 20, 2009

When if you can write a text about your problem, it's clear.

開店前の食堂が 今夜限りはたこ焼きで営業をするというので、夜に伺う。限定だからと店名が変わっていた。先日の九州での物見遊山や、夏の外人バーについてを話す。
それでも愛は何処にあるんだよと言われているうちに、皮肉に疲れたり、正直なもがき口に同情したり。僕が好きな言葉は「問題はこうだと文に書くことができた時点で、答えは明らかだ」だと、英語で言おうと頑張った。また早口だと叱られたが。

土曜日, 9月 19, 2009

目的語を後にする

三十にして、中学生のためのペーパーテストを受けた。英語の文法を順序立てて勉強すれば、もっと良くなるでしょうと微笑みかけられる。先生は自分より少し上か。大人たちは嘆くことをやめて、教室を設け、なんとかいい学校へ入れようと回していたのだった。寝たきりのような若者だけが文句を言う場所を覚えていて、ダムなんて要らないと言っていられる。私たちの言葉が行き交う場所はどこにあるのだろう。構想領域を掃除しながら考えた。windows のセットアップは後日にする。折り合いを付けるのに必死なポートフォリオを間に合わせで作るのはどうかと話し、ペーパーテストの採点結果を知ることはできない。回転と文句の狭間に足がはさまってしまってもがいているのか。これは運動なのだと言う。目的語を後にする。

金曜日, 9月 18, 2009

鳥と木こりは私たちの会話沿いに座っていたけれど

起き抜けに体育館へ呼び出され、作品の写真撮影を手伝う。いつも思ってしまうことだが、大きな絵で、キャンバスが数枚に分かれている場合、その区切りに線が出てしまうのがどうも気になる。それをも活かすような絵があるだろう。自分が紙を張り合わせて詩を書くときもそうだ。観念的に紙はあるのではなく、実体としてある。

夕食と共に、Cafe&Diner shupnc shupnc にて、川口淳子さんと谷村朝美さんの展覧会「The river of the valley in the west end of this country.」を見る。
タコライスは多めで、お腹いっぱいになった。
鳥と木こりは私たちの会話沿いに座っていたけれど、聞かれてもかまわないと話した。
葡萄を頂いて帰る。

http://www.wa.commufa.jp/~pan/

木曜日, 9月 17, 2009

何が起こるんだろう

「しんぼる」(監督, 松本人志/2009)をミッドランドシネマで見た。初めて行ったけど、ゴジャースな金持ち感ムンムンの映画館だ。そんなところで パジャマが一張羅の男の映画を見るというのが可笑しい。
まさしくシンボルの連続。真っ白のギャラリーに並ぶ記号は一つずつで、みんな関係しあってる。結び付けるのは人。明らか過ぎるくらいの語り方は、アイディアありき過ぎて 少し淡白な気もしてしまったけれど、何が起こるのかという興味は惹かれる。精神鑑定のような物語だけれど、実はすごく希望を見ていると思った。生真面目で楽しい監督だなと。

http://symbol-movie.jp/

水曜日, 9月 16, 2009

骨太の人が聴く

名古屋市内を歩き回る用事のリレー。
地下鉄のユリカをすぐ無くしてしまう癖に大損をこいている。
上前津のレコード屋、サウンドベイにてムーンライダーズの新譜「Tokyo7」(2009)を購入。
そのまま歩いて、金山で帰りの待ち合わせ。
夜遅くにヘッドフォンで新譜を聴く。小さい音だとよく分からず、転調部分とか細部が面白いんだろうなと思う。探りにこれからのヘビーローテ。財布が軽くても動じない、骨太の人が聴く。

http://www.moonriders.net/tokyo7/

火曜日, 9月 15, 2009

映画における詩人

映画のなかで「詩人」はどう描かれているか。超越的で分かりにくい場合も多い気がするが、その映画のキーになってくるのではないかと思う。「ワンダーラスト(原題, Filth & Wisdom)」(監督, マドンナ/ユージンハッツ、ホリー・ウエストン、ヴィッキー・マクルーア/2008)にも詩人が出てきた。
邦題の「ワンダーラスト」は、主人公のユージンハッツが憧れる劇中詩人が書いた詩から歌にする題で、「ワンダーラストキング」。更に「欲望の王」という訳が付く。
この歌自体はユージンハッツが実際にジプシーバンドの「ゴーゴル・ボルデーロ」にて歌っている歌だ。そのまま映画のなかでもライヴをするという構造で、監督マドンナの、ミュージシャンらしい発想だと思う。映画自体もミュージシャンライクな発想だ。
カメラの引きが少なく、全体的にバストアップで寄りの画が多い。状況や風景をじっくり見たり、見渡す視線は少ない。
通りのシーンを撮っても、目線は常に人物へ向けられているので、常にその者との距離が近い。総じればこれは、顔の表情を重視しているつくりで、MTV風だと言える。歌手の顔がどのようなものであるか。鑑賞者を見据えて歌う(威嚇、挑発、同情・・)。演者のパフォーマンスだけで描こうとするものなのだ。歌手を画面のなかで演者にしこんだのが MTV だとするなら、俳優らを表情だけで語らせるように歌わせるのはマドンナの映画だろう。どちらも同じ感覚から来ている。
話が少しそれた。劇中詩人の描く「ワンダーラスト」は、大きな役割ではある。その訳のとおり、映画に出てくる彼、彼女らは皆 自身の欲望を裏切ることができない。それ故に葛藤する。最終的なその昇華点が「ワンダーラストキング」だと歌い上げるところにあるのだ。
しかし原題の「Filth & Wisdom」は訳すると「汚物と知恵」であり、言わば「聖と俗」である。この題名を付ける監督の視線は、映画自体が群衆劇であるということを示している。「ワンダーラスト」が題では、完全にユージンハッツが主人公の視線だけになってしまう。実際に群衆劇のなかの主人公として描かれているから重なってしまうのだが、この映画で重要な流れは埃を被っていて誰にも知られていなかった詩が歌になって皆に聴かされるというところであり、「欲望の王」として君臨することではないだろう。群衆劇だとする視線は見渡している視線だから、これは実はかなり重要である。題を付ける監督の目は引きのカメラワークをしていたのだ。

映画における詩人とは、題名を付ける監督にある。
映像の要素をどう結びつけて呼ぶのか。超越的でなくても、みんなそこにある。

http://www.youtube.com/watch?v=H9nx6YW3qAI&translated=1

月曜日, 9月 14, 2009

大人になっても髪立ててると見えるもんもある

扱う容量が上がっているから、パソコンの使用感覚は変わっていないと思っていたけど、いざ五年前の Mac を触ってみると もったり感は否めない。目に見えないところでスキップできるようになっていると思った。働き方もそんなものだ。

「少年メリケンサック」(監督, 宮藤官九郎/宮崎あおい、佐藤浩市、木村祐一、田口トモロヲ、三宅弘成/2009)を DVD で鑑賞。

ディティールに目がいく。勢い良く開け閉めされるパソコンとか、飛び散る血の切っ先までシメられている感じ。トムとジェリーのように小気味良い。
パンクバンドを主題にした映画でありながら、その実は夢と現実への営み=労働というのをちゃっちいメッセージに留めず、印象になっていて良いなと思った。聖と俗の見え隠れの語り口は得意とするところだろう。大人になっても髪立てると見えるもんもあるというか。この形容はちゃっちいかもしれないが。
先日の博多での朝にテレビで「未来講師めぐる」(脚本, 宮藤官九郎/深田恭子、勝地涼/2008)の再放送がやっていて、面白く、見入ってチェックアウトに遅れるところだった。
勝地涼はメリケンサックにも出ていて、どちらも夢見男の泣き笑いである。

http://www.meriken-movie.jp/

http://www.tv-asahi.co.jp/meguru/index_top.html

日曜日, 9月 13, 2009

詩集 綴じる

information です。
◆ いままでの幾つかの作品を収録した詩集を発行しました。

収録作品
言葉で願う夜
言葉は窓
記憶の星座化
おじいさんに会いに行く、冬。
徘徊する詩 愛の前

「村田 仁/murata jin」
第二版 2009年8月22日発行(初版15部)
編集 発行人・村田 仁
印刷・机上
定価 千円(税別)

取り扱い店舗
金沢21世紀美術館 ミュージアムショップ
ナディッフ愛知


一枚ずつプリンターで刷り、自ら鳩目綴じをして作る。昨晩、同じく新幹線で横断してきて終電で戻り、やはりワープ感覚。ゆっくりしようと言いながら十部ほど綴じる。二匹は壁にへばりつく。猫の鬱はいぶかしげ。

土曜日, 9月 12, 2009

ドンタコスおじさんと横顔の猫が行く!

起きると大雨。チェックアウトの時間にロビーでは人が多く待ちぼうけをしていた。そこにあった傘の自販機には手を出さず、ホテル向かいのコンビニまで走って、そこで買う。同じ値段でジャンボ仕様のを得られた。バス停まで行き、移動。
福岡アジア美術館で、アジアトリエンナーレ を見る。多い!
インドのマルチビジョンによる映像や、比嘉豊光の沖縄の写真が強かった。
美術館から少し離れたスペースで行っていた「西京人」(小沢剛、チェン・シャオション、ギムホンソックによるアーティストユニット)の展示も面白い。

金沢で出会った牛島さんと会う。名古屋名物 カエルまんじゅうと詩の本を二冊献上。拙書と「詩のこころを読む」(著, 茨木のり子/1979)。拉麺 食べる。にこにこ。

福岡市美術館にて「コレクション/コネクション 福岡市美術館の 30年」を鑑賞。めちゃ多い!
オーギカナエさんのキッズコーナー「森のたね」にてワークショップ「ふわふわペットを作ろう」で作る。手袋で横顔の猫に挑み、いかつい口になった。ドンタコスおじさんはセンスあって可愛気だったが。
所狭しと作品が並ぶ。中学生が学芸員体験として、企画展を考えプレゼンをして実際に展示も行われる「ジュニアキュレーター見参!」の直接解説も偶然受けた。作品は同じでも語られ方は異なることができるという大きな取り組みで良いなと思った。
武蔵を超え、ダリを超え、野村誠さんの楽譜を集めているうちに閉館の時刻になる。
牛島さんとは展示を見る前に、別れていた。またどこでも会えればと思う。
雨のなか送ってもらった車内では、CD を最初から聴く、停めるでのやり取りが楽しかった。
そこに住む人と話すとほっとするという感触を思い出したんだ。

http://www.ft2009.org/jpn/index.html
http://xijingmen.net/
http://www.fukuoka-art-museum.jp/jb/html/jb01/2009/anv30/col_con1.html



金曜日, 9月 11, 2009

花・風景

乗り遅れると、パアになるという条件なので安いという宿付き新幹線チケットを見つけ、九州へ行くことにした。
昨夜は遠足前の興奮で眠れず、三時間程度の睡眠の後に乗り込む。車内で寝ているうちに着く。実感は無いが、福岡駅だ。そのまま乗り換えて熊本へ移動。熊本駅からは路面電車に乗るので、そこで一気に違う町へ来たという感じがした。だいぶ前には岐阜にもあった。まちなかの雰囲気が出て好きだなぁ。
熊本市現代美術館の前で降りて、「花・風景」展を見る。
モネと現代日本のアーティストたちが副題に付いている展覧会で、花をモチーフにした現代美術作家が三名出ている。大巻伸嗣のインスタレーション。蜷川実花の写真作品。名知聡子の絵画だ。個人的にはもっと混ぜた展示でも面白いんじゃないかなと思ったけど、ひとつひとつをじっくり見ることはできた。名知さんの絵は、愚直な思いが真正面にある。そこを引き止めたら何にもならないじゃんと言われているよう。
美術館に併設されている図書館にはタレル作品や、草間弥生作品が常設してあって充実していて面白い。横尾忠則展もここでやってたのを知る。

アーケード街をぶらぶらしたのちに「夏目漱石内坪井旧居」へ行く。住宅地のなかにあって、入ると、近くの中学校の武道場からの活気が聞こえてくる。家屋はほぼそのままで穏やかな空気が流れている。解説パネルが並べられていて、写真撮影可になっている。お客さんは皆デジカメで撮っていた。製造四枚目の夏目漱石千円札とか、骨格から作った漱石の声をラジカセのテープで聞いたりとか、はては実物大(?)のからくり人形まで!お茶目なものも展示されている。漱石先生が執筆していたと思しき部屋に、現行刊の「坊ちゃん」らが並んでいるのも感慨深い。漱石は引っ越し魔だったらしく、ここは熊本で五番目の家らしい。ここで新婚生活と娘の誕生を過ごしたらしいので最も長く住んでいたとのこと。それでも、一年と八ヶ月だというのだから、あんまり長居できない性格なのだろうか。「それから」それからと次々に移っていくことが活力であったのかな。

熊本城の石垣を見上げ、交通センターで おてもやんと会い、辛子蓮根を購入。また路面電車で戻り、特急の割引券で博多へ。
戻りの路面電車は、床が板張りで風情があって良かった。留学生風の外国人が多く乗っていて、住居区のような駅に一人ずつ降りていった。

着いたらすっかり暗い。宿でお風呂に入ったあと、天神の川沿い 屋台街で食べる。ビールともつ鍋をつついていたら、ビジネスマンのおじさん団体と相席になり、既に酔っていらっしゃるので一緒に飲む。一人の方が 白iPhone だったのに反応し、僕も iPhone 黒の安いのですけどと見せると、今日そこのアップルストアで買ってきたんだと 出たばかりの iPod nano を見せてもらう。動画しか撮れないんだと教えられる。ここは何時まで開いているの?と聞かれて、よそ者なんですと答えたら、おじさんらもそうだと。すぐにじゃあねと去って行かれた。我々はもう一件だけ小さな餃子店で少し食べて、親子でやっている姿にグッと見入ってしまった。テレビにて今日は9.11だとのドラマがやっていた。24時間営業のダイエーで明日の朝食などを求める。辛子蓮根を冷蔵庫に入れておく。
花より団子というシメではなく、花と風景のごった煮という感じだ。

http://www.camk.or.jp/event/exhibition/flower/
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=79





木曜日, 9月 10, 2009

光をどれだけ見ているか

部屋に持ち帰れるクラゲを見つけた。
天ぷらとビールを頂く。
政権交代で大丈夫なん?というのは尽きないだろうけど、僕は期待する。
海まで離れて、一度 この町を見てみるといろいろ思えるはず。
クラゲは光の反射によって見えたり、見えにくくなったりする。
言うべき事もそんなふうかもしれない。
光をどれだけ見ているかは事の次第だ。

水曜日, 9月 09, 2009

多元的ワル

昨晩は朝まで飲み明かす次第。
「多元的ワル」という言葉が出てきた途端、スウィッチが入った。
あらゆるものは同時進行で、多元的に連動している。
ワルの位置に立つと見渡しやすいのでそーなる。

昼過ぎに起きて今日も構想領域の整理整頓と掃除。今週の平日はずっとこれっぽい。
「something」(詞,曲, George Harrison/1969)を聴く。
ビートルズのリマスタリングが出るらしい。また?という感じだけど、今回の押しはオリジナルがモノラルであったアルバムは、モノラルでCD化するということ。ステレオだから良いというわけではなく、モノの良さがあるという話が面白い。一元的に突き進むだけの貧しさが明らかにされているのだろう。なんてこじつけ考察し、全く関係の無い散らかったコードの束ね軸とか、蝶番とかどこにしまおうなんて思ってみる。

http://www.youtube.com/watch?v=XDTi_La94Uo&feature=PlayList&p=BF830BC4FF11F2B8&playnext=1&playnext_from=PL&index=1

火曜日, 9月 08, 2009

Go Go Next!(次、行ってみよー)

日中より「ア"ーッ!ラジオ/a"arts!RADIO」のミーティング。
やろうとすることと、制作時間の釣り合いに不安になるが・・・・、そうこう言っている間に動けというところか。
三日間の中日(なかび)に行うクラブイベントの会場押さえも、親睦会の後に行った。ドリフに八時集合だ。こりゃ皆でハッピ着て並ぶか。
ティーティーテッテテ テッケ・・・・、ノリクンシムケンだな。

月曜日, 9月 07, 2009

君のこと全て感じてる

福満しげゆき先生の漫画が中古でかなと思って、近所のブックオフもどきの店をチェックした。福満先生は無かったけど、山本直樹先生!のアンソロジーがあって、買おうかどうしようか迷ったあげくに止めた。

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1994)のリピート。
一日中、手伝ってもらいながら構想領域の掃除をする。梱包したままの機材類のなかには机もあったので組み立ててもらう。
三人がかりだとすぐに出来た。

すぐにここに来て、いろんなことののちに通い出すだろう。
君のことを聞いている? 知らないよと言う前に。
いや、君のこと全て感じてると言っているから、そうなんだ。
海に行って、写真を撮りたい。
一日中、パソコンを行き来させているとそんな気持ちにもなる。
ネットサーフィンという言葉には、強い願望があるんだよと講釈をたれようとしたらもう手伝い面子はいなかった。

http://www.youtube.com/watch?v=24z_v0IM3Sg

日曜日, 9月 06, 2009

みんなここまで故さ

声はいつも前にある。いろんな姿がひっきりなしにあるから。思わず飛び越えたくなるけれど、いまここにこうして座っているのも、キャラメルを舐めているのも、みんなここまで故さ。

それから皆で少し飲んだ。鈴木氏はいつも一升瓶の日本酒を買う。中山氏と緑のジンジャーエールを飲む。福岡氏はお好み焼きを作ってきてくれた。僕はビールを瓶で買うことを覚えた。この夏は。

土曜日, 9月 05, 2009

その場しのぎの空気

あっちまでいって、帰ってこなきゃいけない。
あっちまでいって、あっちのままだと、いつもこっちだけになる。
どこへ行くのではなく、どう帰るか。
時間はかけらになって帰ってくる。
「ある光」(詞,曲, 小沢健二/1997)はテレビでも歌っていたのかと知った。

自転車が完全にパンクしていたので、お店まで引いていったら、もうフレーム自体が逝ってしまっているので新しいのを買ったほうが安いよと言われる。チェーンも外れたりするのは納得だった。持ち合わせも無いので、考えますと言ってその場しのぎの空気だけ入れてもらって帰る。帰りは引かずに乗ってみた。
がったん、がったん言いながら走る。
中学生のときに友人ら三人で参加した釣り大会で、釣れないからと言って勝手に帰ったことがあった。
大会本部では川に落ちたんじゃないかと捜索がはじまる寸前だったらしい。
帰って、叱られた。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=P6gGIzeFP7c&fmt=18

金曜日, 9月 04, 2009

くれない埠頭

海へ行く日まで、塩を机の上に置く。
写真を整理するように書いた詩をまとめるには時間がかかりそうだ。
「くれない埠頭」(詞,曲, 鈴木博文/1982)を口ずさみたい、部屋で一人。
夏の前に一時停止していた事を再生できるように物をあっちへこっちへ動かす。

http://www.youtube.com/watch?v=gZ-8ZgxqPuo&feature=related

木曜日, 9月 03, 2009

手の中の幾何学

豊田市美術館にてジュゼッペ・ペノーネ展を見る。
「宝石箱」(2007)は実際の大きさよりも広がっていく姿を想像させる。「手の中の幾何学」(2007)で、有機的ななかにかたちと秩序を見つける目を魅せられた。無限の目があらわれるかどうかで大きく変わってくると思う。
大きさは必然。定まっていればずっと広がる。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2009/special/giuseppe_penone.html

水曜日, 9月 02, 2009

僕の小規模な生活を愛読している

金沢の滞在していた部屋から自分で送った荷物をほどく。
詩集の刷り損じなども出す。
シャンプーやトイレットペーパーなどはそのまま自室で使う。
食器類を百円ショップにしなくて良かった。暫定的使用だと、すぐに捨ててしまうことになる。包丁だけはやけにしっかりしていたので、唯一 百円店で購入したもの。
それから、何故か金沢で購入し異様にハマってしまった 福満しげゆきの漫画「僕の小規模な生活」(著, 福満しげゆき/2006-)を本棚へ入れる。実直な愛が語られていて、面白い。一人で泣きわめくくだりにグッと来た。実家の描写感なども絶妙なのである。
室生犀星の本も机上に置く。きっと馴染んでいくだろう。

http://www.k5.dion.ne.jp/~fukuyuki/

火曜日, 9月 01, 2009

ぶつ美・アゲイン

おかげさまで猫の鬱は元気。
女の子なので呼び名は、鬱子とか鬱美とか、太ってきたのに合わせて濁音になって、「ぶつ美」と呼ばれている。
愛称は小さいときから好きだ。
御飯をばくばく食べる。

月曜日, 8月 31, 2009

雨を抜けて パ・ド・ドゥ!

一夜明けて、一気に部屋掃除と荷物まとめ。自分でもびっくりするくらい部屋に物は増えていたが、これまたびっくりするくらい要領良くまとめることに成功する。宅配便を頼んで、来るまでの間にビール瓶を酒屋へ持って行き、瓶の駄賃をもらって、それでパンを買って昼食にしたり、段ボールにあらゆる紙と本を詰める。鞄には満タンの酒瓶を。プリンターは向こうでも働いてもらわないと。
いちばん働いてもらわないといけないのは当の自分。
昼過ぎに詫間さんと話す。
「よう話しとるわ」と京都弁?で言われ、赤面少し。

すぐに夕方の、バスの時間近くになる。詫間さんと別れ、桑さんに車を出して頂く。不動産屋さんへ鍵を返しに行っては、荷物を引いてバス停へ。
ちょうど雨が降っていたので デパートを抜けて地下道を通る。駐車場に帰ることができるかとか、仕事の話をした。
人が多くなってきた頃に、バスがやって来た。
OK!パ・ド・ドゥ!
そういう歌があって、誰も知らなくて、見ていなくても歌っている。
高速バスの窓のなかで、闇が流れていた。

日曜日, 8月 30, 2009

愛の前 present

大きな吹き出しが開く。窓の前で詩を書く。
「ラファエル・ロサノ=ヘメル《パルス・ルーム》+ 島田英明 ヴァイオリン&ライヴ・エレクトロニクス」の 奏する間に島田さんが持つマイクに読んだ。
何と戦い、何と踊るのだろう。
意味、は必要無い。意義だけが知らないところで起こってくると思った。
六年前、誕生日じゃなくてもあなたを喜びたいと書いたように。
それはいつまでも続いてほしい鼓動だった。

パルス・ルームで横になって、二人で、笑ったあと、静けさを前にするのよと話してくれた。

「山本基《100の迷宮》海に還る」へ。
山本さんは海へいざなってくれた。
迷宮では思いがどれだけでも動き回る。守ってきた思いはどれだけでも募る。
袋いっぱいに塩を詰めた。

以前に美術館やライヴでお会いした方から、お隣の猫を描いたという絵を刷ってくれた素敵なTシャツを頂いた。嬉しくて、着替えた。
お隣同士の猫を愛でて、静かになるのを待つことができたら、どんなに素敵だろう。

いままで見守ってくれた方々と会釈。
見守って、やってきたのは互いのことかもしれない。これからを語る日は少し待って。
猫のキスは鼻どうし。
鳥が飛んでいって、
鳥を撮りたかった。
目を合わせて日を前にする。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=657

http://www.myspace.com/hideakishimada
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=658
http://www.motoi.biz/

土曜日, 8月 29, 2009

Water overflows.

道の上に人があふれていて、お祭りみたいになっていた。
朝起きて、ごろごろして珈琲でも飲みに行こうと話して、確かこっちに喫茶店がと言っていたら。
メロンとか、炭酸とか、婦人部のカレーなどを買ってきて食べた。
新竪町から 21世紀美術館へいろんな道を通って行こう。

「ラファエル・ロサノ=ヘメル《パルス・ルーム》+ ビー・バンジー ラップ・サウンズ・イン・プログレス」の中へ。徘徊は寝転ぶ。音はひとつ、鼓動があふれさせる。

詩を手に取った方と話をさせて頂く。こういった出会い方が嬉しい。

夜遅く、片町にある8HALL というクラブへ行った。
横に座っていいですか?とおそるおそる女の子に聞くと、小さいリュックを背負ったその子は無視を決め込んで、席を立って行った。めげずに五時くらいまでうろうろ踊る。
ビーバンジー氏とスクランブル交差点で別れた。
真顔で空が明るくなってきている。
お祭りのなかで飲み食いしたものは、そのお祭りのなかで汗になっていく。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=656
http://www.eighthall.com/

金曜日, 8月 28, 2009

思いの足りぬ夜を終える

思いが足りないことにもっと切なくなって。
声を上げることも、下げることもごちゃ混ぜにして前へ出して。
背中を出したくてシャツを脱ぐ。
最上階の映画館には行けなかった。雨に備えていつも傘を折り畳んでいると聞く。
タレルの部屋で明るくなるのを待ち、夜を真正面から横切った。
僕は降ってきたら、降ってきたで、楽譜を鞄に入れたままで。
くしゃくしゃにならないようにしている。
もっと守ることに切なくならなくちゃいけないでしょうと、鞭撻される。夢と混ぜこぜになって。またワインを飲んでいた。背中を掻きむしっていたのは塗り薬と温泉のおかげで治ってくれた。
先生と温泉に行けなかったのが心残り。
金沢は銭湯が温泉なの。
愛知の住む町の近所には、入れ墨でも入れる銭湯があって。
背中を出したくてシャツを脱ぐ。
もっと守ることに切なくならんと。
ベッドの上で横になり、思いの足りぬ夜を終える。
泉は朝に届くのか?

木曜日, 8月 27, 2009

蟻と満月

牛乳に惹かれて蟻がやってくる。
指先をひとまわりして、聞こえないふりをしている。
空を眺めたり、足下を見つめたり、牛乳も飲むし、お金も使う。
声がやってきてくれればと、待っている。
プールの横で自由になれればいいな。
手渡すことは全てを前にすること。
私たちの贈り物は知らない顔をしていく。
聞こえているふりもする。
牛乳を届けるふりも、部屋の中に置いていってもらうふりも。
私はここからいなくなって、また帰ってくるかもしれないし、また帰ってきたいと思っている。
七月の終わり、自室では猫の鬱の餌入れに蟻がたかってくるという事態が起こっていた。キャットフードに惹かれて蟻が栄養を付けていた。
八月の金沢は名古屋よりずっと涼しく感じられたけど、部屋の床を這っていた蟻は大きかった。指先を牛乳に漬けて、惹かれるようにするまで蟻は床と布団の間に隠れていた。
川沿いから満月は見えない。
もう三日で九月だねと話すころ、もう三時間足らずで夜が明けるところだった。
部屋の冷蔵庫には梅酒が残っている。
しんのすけさんに運んでもらった瓶ビールは全て空き瓶になっていた。
ビール瓶の中を 蟻はくぐっていかないのか少し思い浮かべる。
確証よりも心配から、蟻は牛乳を月まで持っていくだろうと思う。
そうすると、ビール瓶に牛乳を入れたらどうなるかなんて思ってしまう。
台所の壁のでっぱりに名古屋市科学館でもらった月の早見表を立てかけていて、それを見ては川沿いに出たつもりになっていた。
蟻は川も知ってるか。怪我も ときどきして。
少し前に絵本を読んでいた。
牛乳は東京ストアーで求め、猫の鬱の写真を送ってもらった。太ってた。

水曜日, 8月 26, 2009

ヤー 運転手は君だ。車掌は君だ。

徘徊のなかで、みかん電鉄の最終運行に乗ることができた。
じゃんけんで一時期 運転手にも、車掌にもなることもできた。
運転手は君だ。車掌は君だ。
芝生まで出ていくと、いろんな人が微笑みかけ、いつか一人になったときもそれは思い出すことができる。おしゃべりを経て。

昨夜は、先生とヤッホー茶漬けへ行った。開いていないと聞いたが諦めきれず、帰り道だからと覗いてみたら開いていた。
ヤッホー
もはや、ヤー
他には何も言わないで。
ヤー
ヤッホ
ヤッホッホ
ヤホーッ
ヤァー

七百円のお釣りねヤホー。と言われ、悔しいよと五月蝿く歩く。
君はいろんなことを話してどこへ君を連れて行く。
ずっとヤッホーを返し合っている。
丘を経れば君に会える。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=660

火曜日, 8月 25, 2009

楽譜を呼んでくれて

蝉が鳴いていた。
多くの人々が詩を取り囲み、通り過ぎ合って行った。
手で渡してくれる人が、声で渡してくれる。
私たちの周りは散らかし放題で、
誰かがメロディを見つける。調律の前に。

市内の公民館でピアノを聴く。
いつか僕が書いた詩に楽譜を呼んでくれて、渡してくれた。
僕は楽譜が読めないので、今晩にそれを聴かせてもらったのだ。
「私たちの子ども」
という仮題を付けてその詩を呼ぶ。
詩のなかに 私たちの子ども という言葉が出てくるから。
夜の公民館にも蝉の鳴く声が入ってきていた。
僕はピアノと詩を読んだ。
アメージンググレイスの伴奏抜きを聴き、そこでつくった詩も。
ベートーベンにも。
玄関を出ると海があって、その前に緑の光が靴の中に注いでいた。
私たちは魚介類を、まだかろうじて開いていた市場の店で食べた。
padol でワイン飲む。
昨日から来られた 先生と、一本頼んで分け合い、瓶を漬ける氷を下さいと言う。
social で社会人の部活をやっていて、今夜は美術部(!)らしいので覗き込む。調子に乗って、先生に紹介までして頂く。
夜に夜を描くという正攻法は好きだ。

月曜日, 8月 24, 2009

道はつながっているんだから

もっと気軽に僕は座っていた。
もっと深刻に本を開くべきだったのだろうか。
川沿いの魚介類を出す飲み屋さんや、お茶屋さんにて飲ませて頂くまで、いろんなところを回った。
東山から坂を上って、街を見下ろした後に 猫のおしっこ臭がしてくる空き家の猫屋敷を見つけたり、家族ぐるみで通っているという うどん屋さんでご挨拶をしては恋人の出現を聞いたり。

海は近いようで遠く、
外は静かなようでうるさい。
中毒をして生きていくことのできなくなった若者は、
次はどこの国へ行くか分からない高速船に乗って吐きでもしたら、きっと少しらくになる。

道はつながっているんだから。

日曜日, 8月 23, 2009

探しまわった

夜遅くから帰って鉢合わせで驚きあってしまった。
犬の散歩をして 元気だと聞こえてきた。
午前中に、兼六園を超えたところにある kapo へ。「Hokuriku Art Table × 萃展」を見る。
kapo は、小さな部屋の雑居ビルではなく、大きく開けているフロアが魅力のアーティストランスペースだった。大掛かりな作品展開とかもできそう。
一階のカフェでカレーを食べる。名古屋から来てくれた美大生の子とお昼。
美術館で徘徊をしているときに出会えたらいいねと話す。

午後一時、不満合唱団の発表があり、力強かった。前日に他の国での不満合唱団を映像で見ていたので、思い入れも強くなった。不満を歌えば、何を不満に思っているのかが明らかに共有できるから。これは知恵のある、市民革命のきっかけを持った作品だ。不満を与える側にも、受ける側にもいくらでも立つことがある。
にこやかに歌い、拍手をした。道路では選挙活動が熱弁されている頃だっただろう。
二時からは湯浅誠さんの講演「つながりの中で生きるために」。
反貧困ネットワークの活動を語られた。貧困と貧乏は異なる。利権のあるところから ありとあらゆる抑圧が重ねられ、底辺ほどすぐには自由でない状態に追いやられている。人が自由になるためには抑圧と不条理を理解する必要がある。その為に学ばなければならなかったのだ。
ナイキ公園の問題も挙げられていた。ホームレスのことなど放っておけという思考が、自分が負け組になった途端に自分を責めて自殺に追いやる構造を呼ぶとリンクさせて聞いた。
反貧困バッジを頂いたので、それを付けて徘徊をしたが、閉館間際になってどこかに落としてしまったことに気付く。「貧困は見えないかたちで潜んでいる」「貧困を見つける為の取り組み」などの話のように、さっきまで歩いてきた道を戻り、反貧困を探しまわった。
名古屋からの美大生の子、他にも来てくれた面々はどこかですれ違っていた。

http://www.kapolog.com/
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=655
http://www.complaintschoir.org/
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=654
http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/

土曜日, 8月 22, 2009

とても素敵だじ

詩集の第二版を発行した。自分で構成をし、部屋でプリンターを用いて刷って綴じたもので、金沢21世紀美術館のショップで扱って頂く。
「徘徊する詩 "愛の前"」だけでなく、「言葉で願う夜」なども収録した。

初版を求めてくれたということを、その方から直接聞き、嬉しい。
宇宙軒食堂は、飲み屋ではなくてしっかり食べるところで、本当に食堂だった。どこか近未来なレイアウトに感じられる店内だった。結局は、飲み歩きに回った。
つまらない話を強要する男と 恋人であろうとする話を強要する男が、同一人物であるからいろいろ面倒だ。犬と牛乳は静かに繋がる。朝が来て自転車は駐輪場から運んできておいたのですぐに出発できる。方言の話と血液型の話は嫌いだと学生のときに豪語していた自分だったが、方言をみっちり教え合うとしたら良いかもしれないと揺らいだ。犬がなついてくるかがここにかかっている。犬と牛乳を愛する眼差しはとても素敵だじと口に出してみる。
詩集、良いじと言われ、嬉しい。

金曜日, 8月 21, 2009

雨と海と薔薇と右目を左目で見る駅前

美大卒業一年組は郊外のホテルを取っていたので、彼女らと落ち合う為に分かりやすいポイントへ行こうと室生犀星記念碑へ出る。でも結局はそのメンバーの中で、海へ行きたい者と美術館でまたじっくり見たい者、金沢市内を散策したい者に分かれていて、もう合流しないということになる。マイペースな連中に真剣に対応していると こっちが疲れるとは、京都や直島へ行った多くの卒業旅行の要領の悪い展開で充分に学んでいたところである。こちらもマイペースに向かえば気楽なもの。室生犀星の あんずよ花着け も、気楽な姿勢が豊かだ。
徘徊をしていると雨が降ってきて、大きな窓にたくさん雨粒が付く。風も吹いているようで、粒が増える面が移動している。
海に行った連中は相当降られてしまったのではないかと心配になる。

広瀬光治さんと西山美なコさんの「ニットカフェ・イン・マイルーム」で、はじめて編んだ。
ゆび編みを丁寧に教えてもらうことで、薔薇を作ることができた。
教えてくれた方が丁寧なのは、ずっとつきっきりではなく、ある程度教えたら離れて、ちょうどいいところでまたヘルプをしてくれるという距離感にあったように思う。
次はひとつ上の かぎ編みだと言っていたら、一緒に行っていた馬場さんは かぎ編みで星型の花を作り上げていた。彼女は編みものを用いた作品を作っているんじゃないか。どうりで。

みかん電鉄にも皆で乗車した。みかん飴で、「右目を左目で見る」というゲームは確か TAMAラジオで乗車した時に、村井さんが考案していたものだった!
皆で輪になれば 右目で左目を見ることができるよと馬場さんか、伊藤さんが思いついてくれたので、そうした。

雨は強くなり、タレルの部屋が凄いと子どもたちが石の上を行進していた。
海に行っていた彼女たちが帰ってきて、ターミナル駅前で落ち合った。
そして、レンタカーの返却があるからと帰って行った。
僕は手を降り、また 詩に出会おうとする。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=461

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=660

木曜日, 8月 20, 2009

室生犀星記念館へ行く

室生犀星記念館を朝に観覧した。
二階にあるボタンを押すと、室生犀星自身による詩の朗読が聴くことができて、それがとても良かった。
詩の姿勢と声が同じだったから。
萩原朔太郎との深い交流からだろう、犀星の詩集も装丁を版画家の恩地考四郎が行っていた。
「愛の詩集」(1918)の、装丁は情熱と切実さに溢れた赤色で目を惹く。
いま新刊で出ている復刻版は似せている印象だけで、違う意匠と薄い赤色なのが残念。
「抒情小曲集」(1918)の自筆原稿の復刻版を買った。
本にする直前の原稿なので、犀星自身の線で削除印とか ペケが引いてあるままを見れるのが良い。

昼の美術館へ向かうため、犀川の橋を渡った。
夜は みかん電鉄の大橋さん 宮武さんと、美大卒業一年組とで padol で飲む。そこに行くまでに、喫茶ローレンスと魚介類の飲み屋さんを梯子していた。
翌朝は犀星の記念碑へ行こうとぶつぶつ。padol では わぁわぁ。

http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/saisei/

水曜日, 8月 19, 2009

もはや足音を消さない

中に行くというメールも届く。
草むらに座っていた日の写真が添付されていた。
それでも変わらずに私はやり続けるという話をずっとしていた。
男の話は互いに長く、思いは燻りはじめた頃からずっと変わらないはずだった。
猫の名前を教え合い、携帯に入っているお気に入りショットを見せ合う。
帰ったら玄関まで向かえに来てくれる猫は、もはや足音を消さない。

dota dota dota

フローリングの床に散乱する紙は所在を求める文字たちが行き交う。紙の上を滑走する私の目玉は、文字があるべき位置で発する深み、総体としての言葉へずぶずぶと入っていくのを待っている。

火曜日, 8月 18, 2009

ずっと思い続けている時間

超南と星から葉書が届く。
手書きの文字は声のよう、一文字ずつがあなたの顔。並ぶ顔を見渡すのは言葉と言葉の間で揺れ動く表情を見ること。
あなたは笑っているばかりじゃなく伸び値縮みをしている。
そちらの陽射しは熱いけど、湿気が無くて気持ち良くて、急に雨が降ってきたり。
こちらは日本海の方に向かって水が流れていて、同じく突然の雨が多いから、折り畳み傘は必需品だそう。
シャッターを押すことや、声を出しはじめることに至るまで、文字を書き始め、投函するに至るまではずっと思い続けている時間である。あなたが写真を取り込むまでの間、ずっと心のなかに丸めてあったフィルムだ。

月曜日, 8月 17, 2009

オンのまま、オフを持ち

夕べは social にて太鼓のライヴ「ンダナ(N'DANA)」と絵描きの ミツル・カメリアーノさんのライヴを見た。ステージから降りて、観客と同じ高さで地続きになって、アフリカの民族に伝わっている 精霊と交信する為のリズムが叩かれる。
それは憑依だった。
自分がオンであるか、オフであるか、帰って来れなくなることはないのか。
夜道で語るうちにどこへ向かっていたのか。

起きて、月曜日は金沢駅へ。
桑さんとセバを見送りに行く。
駅構内にある喫茶店で、どこからどこまで徘徊する詩だという括りは無いんだ と話した。
ライムサイダーに入れられた 1/4切りのライムにはライムのブランドシールが貼りっぱなしだった。客がトレイを返す形式なので、客が運んでいても店員は声ひとつかけてこない。レジは向こうを使えと、チーフはきつい口調だ。あんなチーフだからシールが入ったりするんだと短時間で文句を言い、二人を見送った。
「おやこ刑事」(作, 林律雄/画, 大島やすいち/1977-1981)の続巻と、おにぎりを頂いた。
紙袋に入れてもらったそれを見ながら、来た道を歩いた。

人でなくなる!戻ってこれなくなるわよ!と叫んだ赤木博士のシーンを反芻。

http://www.k5.dion.ne.jp/~yamakita/ndana_profile.htm

http://web.mac.com/ukichido/iWeb/Site/74B40140-321C-41ED-AE83-928124439163.html


日曜日, 8月 16, 2009

柄よりも形容し呼ぶことができたとき

午前中に、犀川を超えた向こうにある「妙立寺」人呼んで 忍者寺を見た。
「死者の間」が一度も使われなかったから、いま私たちは寺を見ることができた。
親切な案内はいま目の前で行われ、ここで想定されていたのは巧妙な戦いだっだ。

美術館の床は昨日の熱を帯びているようであった。

ちょうちょが窓に停まる頃、その羽根の色を柄よりも形容し呼ぶことができたとき。

http://www.myouryuji.or.jp/

土曜日, 8月 15, 2009

もっとうごめきに近い

イトーターリさんの「ひとつの応答」に出会った。

私たちが見ているものは、私たちの前にある荒野。
私が向かう分だけ、荒野はその暴れを見せる。
コンクリートの床の下にうごめく行い。
床の上で書くとき、机の上より、もっとうごめきに近い。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=653
http://itotari.com/

金曜日, 8月 14, 2009

草むらに座る

私たちは出会って
草むらに座る
珈琲と古いカメラは相性が良い
詩と写真も相性が良い
どんな風に写っているか楽しみだねとおじさんは言った
それが良いやねと続け
週末はすぐに時間が経つけれど
いろんな時間が同じく流れていて
姉妹のように歩いて旅立って行った
弟だけが文句を言い
そのうちに何をやっているのか問いつめはじめるだけ
そんな意味ばかり追いかけるのなら
文句を言わずに追いかけて
草むらが川の前に広がっているのを読んで
どんな風に吹かれるか楽しみだねと
言い合えるかな




木曜日, 8月 13, 2009

心を静かにして読むのよ

タイソン氏、金沢入りした藤井さんと、三人でターバンカレーをお昼に食べて別れる。

日中、写真家の藤井さんと徘徊。
記録撮影ではなく、見ているものとの距離として撮るようになったと話す。
もっきりやで珈琲を飲む。
お盆で人が多い。ここは静かで落ち着く。
プールのなかは混み合っていた。
通りに置いていった詩に、「心を静かにして読むのよ」と連れに言う女性の声があった。

金沢が地元の桑さん姉妹と、セバ氏と合流して夜に会食。セバと将棋指す。日本人破れる。
桑さんにお借りした大判コミック「おやこ刑事」(作, 林律雄/画, 大島やすいち/1977-1981)の第一巻に、主人公の親子が、療養先の旅館で刑事という素性を偽って「棋士」と「詩人」と名乗る話があり、僕とセバじゃん!と一人で興奮した。後に桑さんにメール。知らなかったと驚く。棋士と詩人はそこの若女将にデレデレという展開。

http://turban.hp.infoseek.co.jp/
http://www.spacelan.ne.jp/~mokkiriya/



水曜日, 8月 12, 2009

くせっ毛

日を重ね、語るべきことが明るみになる。
言葉の行き交いは身体を通されたもの。
指先だけでも、身体を通すもの。
あらゆる物事は動きを持って出会う。

海鮮ものを飲み食いし、「puddle」に流れた。「sosial」で開かれていたチクチク部を覗かせてもらった。楽しげでいいな。犀川沿いの部屋は物で溢れてきたのであった。事を通しての物だ。
藤井氏ことタイソン氏が部屋に絵を描いてくれた。「インスタント沼」のチラシにあった麻生久美子を見て、女子を描いたという。どこかに言葉を一筆と言われたので、鏡文字で「くせっ毛」と入れる。部活の先輩がくせっ毛だったとよく見ていた絵描き。事を覚えては物へ。

http://www.puddlesocial.com/


火曜日, 8月 11, 2009

応援する

はじめて僕の作品に触れる 両親は、置いてけぼりの詩が風で吹き飛ばないように百円ライターを置いた。禁煙を決めたわけじゃない。吸わなくちゃやっていけないようなおとうさんだ。けたたましい選挙の演説が聞こえてくる。いろんなことが変わろう変わろうと口を合わせていた。
日帰りでゆっくりはいられなかったけど、ポテトサラダとか豆の煮物とか差し入れをして下さった。美術館の駐車場まで見送りに行くと、エレベーターのところでいいからと手を振った。ちゃんと仕事しなきゃなと。笑っていた。

晩には、数日後に金沢入りの予定をしている藤井さんに電話で報告をした。
藤井氏こと通称タイソン氏と、東京ストアーで弁当を買って、頂いたタッパーも並べて、昨日の瓶ビールといっしょに食した。
NHK で「東京大学応援部」のドキュメントをやっていて、二人して興奮した。

月曜日, 8月 10, 2009

特別な

詩集の印刷に必要なインクを求め、しんのすけさんに車を出して頂く。
「仁さんが知らない金沢、きっとその時出現注意ですよ!
ヤバイかも・・・・・」
と書き込みの真意が徐々に明らかになっていくドライブデー。
道中は日々のこれまでなどを聞いた。
カーステには、Misia。

お好み焼きを食べ、湯涌温泉ふもとの足湯でくつろぐ。家電量販店でインクと紙を買った後は、瓶ビールの黄色いケースも一つ買って運んで頂く。湯涌から金沢城まで石を引っ張ってきたという「石引」のあたりを走りながら、人力だけで瓶ビールのケース一つ運ぶのも一苦労だという話をした。
その足で、成巽閣に連れて行って頂く。前田家の奥方を住まわせていたお屋敷で、言わば兼六園を庭にしていたわけか・・。労を惜しまぬ工芸と、最上級の品の良さが全体を満たしていた。
まだまだヤバイ!ところはそんな一日じゃ足りません!と、今日は部屋まで送って頂いた。感謝しきり。

昨夜から美大卒の藤井氏、通称タイソン氏が金沢入りしているので、夜は彼と飲みに行く。卒業一年目がいちばんたいへんだよねと話す。
彼は金沢を歩き回るので、地図もあるからとミニコミ誌の「そらあるき 09号」を渡していた。一日目にして既にボロくなっていたのが嬉しかった。

http://www.seisonkaku.com/

http://www.soraaruki.com/
http://www.youtube.com/watch?v=JeYJnSuYgrs

日曜日, 8月 09, 2009

ぐるぐる動きを絶やさない

朝十時、牛島さんが帰られるので、古本とカフェの「あうん堂」で卓を囲み ご挨拶。
店の前の一本道をずっと背中は歩いて行った。
詫間さんと、東山茶屋街を歩く。案内ボランティアのおじいさんが窓の造りや、江戸時代からある銭湯などを多く教えて頂く。茶屋街にある洋食屋さんでお昼にオムライスを食べた。持ち金が無いので詫間さんに一時お借りする。ありがたし。
昼一時より美術館内を徘徊。
三時に 美術館友の会のツアーにて、アーティスト・トーク。島袋さんと奥田扇久さんのトークは楽しかった。

空から地下へとぐるぐる動きを絶やさない。
夜は詫間さんが終電で帰る ぎりぎりまで食事。
西から東へとぐるぐる動きを絶やさない。
タクシーは出て、今朝に牛島さんが並んだのと違うホームか同じホームに皆並び、あったことを持って行く。これからすることが前にあり、あったことも前にある。

日中から「するめ小学生」と始め出した詩を読んでいた。

http://dameno1135.blog50.fc2.com/blog-date-20090809.html

土曜日, 8月 08, 2009

詩人用

徘徊のさなか、出会う物事 数知れず。

玉ラジオにてアコーディオンとバイオリンの間で読む。さっきまでいた詩人はすぐにいなくなる。水中カメラで追いかけられたのは気持ちで、漫画よりも手をつないだままの二人も夜の町へいなくなった。
光庭にてひょうたんオーケストラに耳をすました。音量が小さいから、みんなで音を立てないようにして耳をすましたのが良かった。

無力を論じる男に理解はするが、同情はできない。
「詩人用」と書かれたチョコワッフルを贈られて、犬用 猫用みたいだねと嬉しくなり、そこから歩き出した思いは数多くあると思うんだ。

金曜日, 8月 07, 2009

TAMA TAMA RADIO YAHOO CHYADUKE

玉玉ニュースには 粉川哲夫さんを受信している発信文が載っていた。
黄色いシャツを着てまた徘徊を続ける。

ラジオドラマ《いたって平均的な私の一日》第二回に、詫間さんと声の出演をした。僕は女たらしの たくや役で、詫間さんは OL(おそらく)の みなみ役だ。
局にて公開で掛け合いをしているうちに、特別完全即興ドラマ《いたって平凡な私の一日》をする。台本無しで たくやとみなみの会話は続く。音楽は何が流れていたのだろう。恋のときめきが聴きたいと聞いた。
「人生は一回きりだから、楽しめ」なんて勝手じゃない?と問いかけられ、三十過ぎは黙ってしまう。

その晩は日本語が崩壊したお茶漬け屋さんに連れていってもらった。
壊してしまったほうが、黙ることも壊せて分かり合えるのかもしれない。
山彦の嵐に笑った。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=651

木曜日, 8月 06, 2009

社会的行為

詩集を売り出すのは社会的行為だ。編集、印刷、発行人は詩人本人である。

徘徊のさなか、牛嶋均さんのラジオ放送局「TAMA」の番組制作に参加させて頂く。
温泉を二件はしごする収録。終わったころにはもう茹でダコ。
一緒に餃子の王将で夕食。少しビール。餃子とソフトクリームも頼んでスガキヤスタイル。これから原稿作りと編集とのこと。放送は明日だ。
放送こそ社会的行為だと認識されやすいが、その公共の電波に個人発信を持ち込むのが面白い。

水曜日, 8月 05, 2009

幻のコーヒーミルクゼリー

床に置いていった詩は、今日も椅子の上に座していく。お昼一時の空は鰯雲だった。魚を浮かべて飛びつく猫になり、恋を思い、背中に塗り薬を塗るときの、逆流する鯉を流れに戻すようだと、指先の思いになった。
純喫茶ローレンスで幻のコーヒーミルクゼリーを頂く。バニラアイスが上に乗っていて絶妙で、とても美味しかった。
近くにプリント紙を扱っている店を見つけたので、買い込み、早く帰って詩集の印刷にあたる。所謂ポートフォリオのような雰囲気の、これは詩集である。いままで暫定的にレーザープリンターで刷っていたものには入れていなかった「おじいさんに会いに行く冬。」の詩を部分ではなく、全編収録することにした。試し刷りを読んだときに自分で、詩の部分では物足りなく思ったからだ。昨夜はビートたけしの悪ノリ番組を見てしまい、夜更かししていたが、今日は若者のドキュメンタリーを流しながら印刷をする。昨夜は「ソラニン」(著, 浅野いにお/2005-6)も読了していた。爽やかなんだけど、やりきれない思いになった。なんだか ずるいとか思ってしまった。思い出すとそこまでずるくはないかとも思う。青春はどれも理不尽なものだから、ずるくていいのかもしれない。詩こそ、純粋にずるいものもないだろうと勝手な自問をし、黙々と印刷する。プリンターが言うこと聞いてくれるうちに走り切ってしまおう。深夜に犀川のほとりで詩集を刷る男がいるなんて、室生犀星は思ったかしら。室生犀星もそんな感じだったかな? いまこそ室生犀星の本を読むべしだ。現在形の言葉を持つためには名作を読んでこそ、携帯メールに手を抜かぬこそだ。
昨日の昼間に ひょうたんの緑が溢れている光庭で詩を書いていたところを撮られていた。インクジェットで印刷してもらったものを頂く。それを紙の上に置いて更に撮影する。どちらも詩だ。合わせたこの一枚が詩だ。ひとつずつ続いていく。
今日は緑を反射する LOVE の音楽を耳に付けて詩を書いた。ビーバンジー氏の歌もずっと続く。今月末にはまた会えると知る。
ローレンスには久しぶりに会った後輩と行った。彼女は芸術って何なのかと悩んでいると言った。
今日は幻のコーヒーミルクゼリーを食べることができたんだ。

火曜日, 8月 04, 2009

風を受ける詩

プールサイドにて風を受ける詩を見つめていた。
雑民党のアイウォンチュ〜を前にした後で、岸本清子さんが名古屋のどこで発表していたなどを後藤泰洋さんに聞く。後藤さんは飛んでいた詩を持ってきてくれた。僕が床に置いていった詩は、どれも椅子の上に動かしてくれてあった。誰かは知らない。
それから、また別の椅子の上に、誰かが置いていった鉛筆を拾って詩を書いた。三菱ユニの臙脂色塗装の4B。僕がいままで用いていたのは三菱の緑色塗装のHBだ。四年前、ブレーメン滞在制作時に「鉛筆はミサイルとロケットを持っている」という作品を制作しているときに送ってもらったもの。今回、金沢の部屋にはそのときの1ダースの金色塗装の箱を持ってきている。机上スタジオが広がった。
閉館時間まで浮いたり止まったりを繰り返していた詩は、家族連れの方が掴まえてくれた。

月曜日, 8月 03, 2009

現実、語るべき方法について

部屋で行うべきは新しい作品集を刷り上げ、生産すること。そのためにプリンターも名古屋から宅急便で送った。
しかし刷り上げるための紙が足りないので、周辺へ売っている店を探しに行く。
ダイソーで消耗品を少し買い、無印良品まで歩いて、マルチパンとコップを買う。既に両手は塞がっていたが、その足で東京ストアーというスーパーマーケットへ行った。地下一階、地上二階の入り組んだ構造になっていて、地下には魚や肉、冷凍食品が売られている。なんだかアジアな雰囲気にわくわくする。インスタントラーメンやペリエを買い、重い重いと部屋へ戻った。プリント紙が見つかっていないので、郊外の家電量販店へ行くかと調べると、これがかなりの遠出になることが分かり、地図を見ながら声を出して笑ってしまった。ネットで買うしかないかと迷っているうちに、眠気が訪れる。
夕方から夜にかけて仮眠。起きて、ラーメン。今朝、押し入れにしまいこんだテレビを引っ張り出してきて、点けて、NHK で沖縄戦のドキュメンタリーをかけながら作業。途中から見入る。現実、語るべき方法についてが続く。

日曜日, 8月 02, 2009

笑っても、欠けない

千円でたっぷり食べられる喫茶店を見つけて、閉店の九時まで話し込む。
笑ったことは、自分でも可笑しかったが、失うものではなく、それも受け入れていく。
朝も晩も、部屋のレイアウトが決まらずに落ち着かない。
彼氏らしき男の人と、金沢までやって来た彼女はとても嬉しそうだった。
彼を何と呼ぶかはきっと分かっていて、帰りの車でも話が止まらないそうだ。
橋の上にて笑って別れた。一人で入ったコンビニで何故か芸能人のワル伝説とかいう安い漫画を読み込んでしまった。

土曜日, 8月 01, 2009

詩は細かく場所を探っていく

昨日の日中は、とても美味しいキャンデーを貰った。舐め終わるまでにしなければならないことをする。体育館は蒸し暑い。クロネコヤマトに段ボール箱を取りに来てもらう。自力で持って行くことを考えればすごく便利だ。感謝しつつ体育館は後で行くことして、ギャラリーではなく この町のお店の空きスペースで展示されている個展を二つ見に行く。個人病院では萬未来子さんのインスタレーション。布でつくった万華鏡が吊り下げられていて、仄かな色だった。洋菓子屋さんでは三枝由季さんの「僕はキラキラさんのためにつなげるだよ」と言葉を綴る展示。キラキラさんはどこにあらわれるのだろう。どちらも誠実に全力だった。体育館へ着いた頃には既に大きな絵が並べられ、来年には何かあるんじゃないかという気持ちを少しは持てたか。

今日の朝は、新幹線と特急を乗り継いで金沢へ向かった。
今月に金沢で滞在する部屋の鍵をもらう。開け閉めの方法を聞き、雨のなか不動産屋さんの車で移動し、美術館の前で下ろしてもらった。
今日は川で花火があるらしく、夕方が近づくにつれて地響きが聴こえてきた。詩は細かく場所を探っていく。

金曜日, 7月 31, 2009

一文字目を出す声で 自らを起き上がらせるような

荷物を急いでかつぎ、地下鉄に急いで乗る。今池の Tokuzo で早川義夫 佐久間正英ライヴ。オープニングアクトはミラーボールズ。
一杯のビールで酔った分は歌で明らかになっていった。
一文字目を出す声で 自らを起き上がらせるような早川さんの歌。哀愁の中で渦巻く思いが、佐久間さんのギターで暴れた。
明日からの僕は徘徊する詩の連続がはじまる。時折、早川さんの歌い出しを思い出すと思う。

http://www15.ocn.ne.jp/~h440/

木曜日, 7月 30, 2009

トキメキのメディア

名古屋の妖怪博士は「最近 ラジオづいている」と言っていた。それは自分自身のことなのだけれど、世界はトキメキのメディアを テレビでもネットでもなく、ラジオだと言っている節があるように感じる。トキメキのメディアとは、実用性とか利便性を追求するベクトルとは異なって、心ときめかせる存在だ。蛇足に説明的だが、トキメキのメディアは形而上的に君臨していくだろう。ラジオはその時間だけに流れて、私たちの手を止められるかと鳴っている。
シーシック・セイラーズもラジオ放送を軸にした世界だった。忌野清志郎の Oh! RADIO に胸を打つ。トランジスタラジオを持って来させて世界を思うべく、アーッ!ラジオ a"arts!RADIO を行う。この秋、十月の半ばにだ。この夏はラジオを聴きながら起きようと思う。テレビもネットも点く部屋で、ラジオだけで繋がろうとすることを思う。「トキメキのメディア」という定義が体験に変わるか。

http://kappaseico.blog66.fc2.com
http://www.youtube.com/watch?v=J0LlDVYyUpU

水曜日, 7月 29, 2009

贈り物がはじまったという はてしなきところを目指す

大須商店街のドトールコーヒーで開店を待ちながらお話。上前津のレコード店 サウンドベイで「シーシック・セイラーズ登場! Pirate Radio Seasick」(鈴木慶一 Captain HATE and The Seasick Sailors プロデュース 曽我部恵一/2009)を求める。映画も付いてる初回盤を。

東京タワーの立つ世界より、はてしなきところを目指す。
愛と憎しみの酔いどれ船員たち。
みんな海賊ラジオを聴いている。
メロディ。それは慈しみの眼差し。顔を振り返る姿も、みんな前へ向かわせる。
愛憎は父からの贈り物から分かれて生まれた。
音の広がりは彼女を含めた僕らから起こる。はてしなきところを目指す限りは。

聴いてはくり返す波のように、諸作業にまみれてもしっかり聴こえていた。贈り物が返ってきていた。
いや、これは贈り物の返し、はじまりだ。

http://e-days.cc/music/feature/tunein/200906/27637.php?page=1

火曜日, 7月 28, 2009

ハードコア記念日

博士と娘たち、新キャラと新世紀詩人らでビューティアンドヘルシーな、いつにない夜。野菜とワインの間にある口のざわめきは計って突き立てたタワーでは聴こえないぞ。このままじゃ。リアルタイムじゃないけど一世を風靡したと教科書に聞いてた。俵万智。いまやチョコレートにたかる蟻を毎日見る。ダリの映画みたいと一人わめいている。焼きが足りなかった29年目のプリンを皆ですくって食べる。ダリは口のなかにゴキブリを入れて来たって、先生から聞いた。川の字にはならず寝る。フラグなど立てては倒すためにあるぜ。名古屋タワーをどこに立てる?

この中心が堅いねと君が言ったから7月28日はハードコア記念日

月曜日, 7月 27, 2009

見届けた後の皆なら

良いとか悪いとか考える前にどんどん進んで行くのは社会、即ち自分。

「ディア・ターリ」(監督, 山上千恵子/2001)のDVD を何人かで見る。
同性愛の当事者が抱える問題は、異性愛の者にとっても新しい観点をもたらしてくれる有意義なものだと語る東京都写真美術館の学芸員の方の言葉が強かった。
イトーさんの動きは 留まらないじたばたで、振るい出す動きに見えた。
観賞後に皆で話したことはマイノリティについて思うこと。アートはやもすると自分たちだけ分かればいいとなる場合についてなど。

来ると言って来れなかった面子が焼き肉をしているというので、マンションの一室へ移動する。
話の続きもするが、性についての話は誰もが思い入れが強く、皆で一点を見ることができない。それが自由なあり方だとは言えるが 寂しい気もする。性についてを誠実に語ることは、自分についてを語ることだから。
焼き肉は美味しかった。
「ディア・ターリ」の最後の場面は、緑の芝生の上でワインを飲んで語らう女性たちだった。
見届けた後、僕らは自分のこととして語ることができたのだと思う。
酒、ここではビールだけを理由にはできない。

http://itotari.com

日曜日, 7月 26, 2009

思いをむさぼっては反芻する

ぎりぎりのモーニング。過ぎると大雨まで本屋と茶店でゆっくり物色できる。確か大きい本屋だったなと覚えていて向かったら、今月いっぱいまでと看板が出ていた。空っぽの棚も並び、洋書が70%オフになっていた。寂しくて嬉しいハイエナになっていろいろ買う。茶店で戦利品を撫でて、徘徊は大雨だった。
紫色の傘を買ったが、詩はよく濡れてしまった。
窓にはこちらと向こうがあって、雨はどちらに降っていたか。
壁際で並び、たたずんでいた。
夕方が来て終わっても、これからはじまる前ぶれだった。雨はまた降るのだ。
思いをむさぼっては反芻する。