月曜日, 5月 31, 2010

iPad にそそられる

大きいことは良きことか、iPad。店でも外でも撫でさせてもらった。

YouTube 動画 「iPad の説明するけぇ、よう聞きんさい」は、広告記事を見せられるより 人にこれ良いでしょうと言われたほうが興味を持つ仕組みが広島弁という温かさで喚起される。爆笑してもっとそそられるのであった。もはや一種の色魔なり。林檎齧りやで。

http://www.youtube.com/watch?v=bh-sENPLd44&playnext_from=TL&videos=SDxAG-V2ja8

日曜日, 5月 30, 2010

物語り

監督は詩人だと神格化せずに見ようと挑んでも、否が応でも溢れてくる。
「紀子の食卓」(監督, 園子温/吹石一恵、吉高由里子、つぐみ、光石研/2006)を DVD で鑑賞した。
登場人物のそれぞれが独白をして物語っていく。
それは監督が詩人だと思い出させないわけにはいかない。一昨日 山口氏が僕に話してくれたのを思い出した。
そうだと思う。
語られていく声と 動きが混ざり合って深化する。
極めてシンプルな心理表現が「私」の存在を問うときには響いてくるのだ。

家族の姿が役割ゲームに墜ちたとき。
自分なんていなくていいと思ったとき。
自分はいていいんだと思ったとき。
とりあえず括り付けた名前を、朝の風に吹かすとき。
血は逆らえず、次の町を目指すには夜じゃなく朝が良いと思い出す。
忘れたくしゃみで思い出す。
演技ではなく、私ですらない私になることとは。
泣いたときには思いが溢れているのだから、思い出しなさいねと姉は言った。
妹は泣くだろうか。
父は泣くだろうか。
家族は想像する。私と関係して動いていくと想像する。

http://www.geocities.jp/anchorsline/film/noriko/index.html

土曜日, 5月 29, 2010

幻ランドにて

かつての空港は幻ランドと化していた。
滑走路に面した駐車場の解放感。乗り込みタラップを取り付けるための出っ張りが確認できる。
見送りで時間を潰したあとのエスカレーターはそのままあって、写真を撮ったところはそのままだ。
奥に行くのにパスポートは要らず、千円二枚でチケットも買える。外国からやって来た映画。免税もされずに飛び出してくるという触れ込みで見た。Twitter でアイコンを自分の顔にしている人は実際に会うと面倒な人だろうという Tweet にニヤニヤしていたら、映画にそれでいいんじゃないと言われたみたい。
帰りは当然 飛び立たない。遺跡でも腹は減る。おむすび食べてこう。

金曜日, 5月 28, 2010

私は絵描きで良かったと聞いて

描きたいものだけを描く絵には背景に真空が広がる。
真空は宇宙で、慈しむ対象だけが引っ張り出される。
それゆえに絵であるのだろう。
強烈に自分の顔をぶつける咆哮ではなく、あって欲しいものだけが炙り出されていく。
それは苦行に見られがちだが、常に喜びを迎えるよう。
宇宙は埋まらない。
愛すれば広がり続け、程度を見れば収縮を続ける。

木曜日, 5月 27, 2010

ちゃんと伝える

監督は詩人だということを神格化せずに見ようと挑んだ。
「ちゃんと伝える」(監督, 園子温/AKIRA、奥田瑛二、伊藤歩、高橋恵子/2009)。
日常のなかの深いところで 音もなく流れている地下水脈が、坦々と重ねられていく。その水は何かの折りに噴出する。それは些細な思いのさまによるもので、思っていることが変われば、同じ場面も全く異なって響くものだった。その思いを丁寧に動かすために、ちゃんと伝える時間が、人々にはあった。
その人々は家族である。ちゃんと伝え得るとき、家族である。

http://chantsuta.gaga.ne.jp/

水曜日, 5月 26, 2010

猫が食する音すらも Skype で

調停の為には Long Skype。
そちらにはまだ光が降り注いでいる。
こちらの台所シンクはまだ無事で、ラットップはカメラを動かして周囲を見せられるのが面白い。
iPad にもカメラが欲しいというのも分かるが、iPhone にもカメラはあるが Skype がカメラに対応していない。友人の機種が音も無く更新されスペックが上がったとの一報。
近くにいても全く会えず、遠くでもメールは届く。
時差を避けるには、同じ国に座るか、この国の時計を送りつけるか。

火曜日, 5月 25, 2010

勝手に生きろ

監督は詩人だということを神格化せずに見ようと挑んだ。
「自殺サークル」(監督, 園子温/石橋凌、永瀬正敏、麿赤児、ROLLY、萩原明/2002)は、手に汗握る "恐怖 vs 意味" だ。
観客は刑事を手がかりに意味を追いかけ、恐怖という敵を明るみに出そうとする。カルトがおそらくその意味に最も都合がいいのだが、劇中でも彼らは滑稽に描かれる。
もっと恐ろしい 連鎖は、誰かと関係し続けるための方法なのだ。

「死ぬのはいつも他人ばかり」というデュシャンの言葉を思い出す。荒川修作の訃報を聞いて、氏の「私は決して死なない」と照らし合わせようとしていた。
自殺は文言を用いなくとも死に向き合うことのできる方法だったのだ。
劇中、十代の人気アイドルユニット「デザート」は解散宣言をする。それは恐怖から解放させる恍惚感のある言葉であった。
方法はとらない。
私が私の関係者で無いとされても、事件はまっぴらだ。

http://www.geocities.jp/anchorsline/film/jisatsu/index.html

月曜日, 5月 24, 2010

具体詩はそれだけでしかなく、看板にはずっとあって過ごしていた

論理が足りなくとも
構造把握ができなくとも
マルチタスクじゃなくたって
総合的には面白い人が素敵さ。
何をしているの?一人で何かしたいまま放ってる。帰ってから愛犬のブログ見てた。明朝部屋掃除。ゴミ出しは今宵のうち。

日曜日, 5月 23, 2010

立ち振る舞いの勉強みたいな

雨とビルの降る日。場外馬券売り場からの帰りに iPhone を触る男はおらず、スーツは保留。飲んだのは水でも珈琲でもない。駅前のブラジルに寄りたかった。
何もしないで見ていただけなのはボーダーのおじさんにスーツの方に僕の名称。
砂浜はここでなかった。
本屋に寄りたいにしても、鞄にも無い本だらけだから いまは無印も置いておく。

将来のことをどうしようと話す面々らとカードゲーム「カタン」「操り人形」をした。
立ち振る舞いの勉強みたいなもんだと思った。いざというときを見つけるかの。

土曜日, 5月 22, 2010

明け方に行こうよ

それからは「頼りない天使」(詞, 曲, 佐藤伸治/1998)の振り付けに合わせた日々。
冷蔵庫のなかで缶を冷やす。
ドラム音で言葉を溜めるよう、振り向いて。
橋を渡るのは翌朝。
よく取引した男らの火燵。FX ならもう飽きよ。

http://www.youtube.com/watch?v=YZ_aPr-6KAs&feature=related

金曜日, 5月 21, 2010

夏目漱石の意訳を思い出せば

夢ギドラまだ聴いている。アルバムのほうには女性コーラスが入っている。
風邪は突然に来た。月に帰るのも突然来るように。
夏目漱石の意訳を思い出せれば、君は静かなふりをする。
三つの個体は揺れていた。
風呂場からわざと蒸気を放ち、気分は南国のように。
浅黒い上に絹をかけ、のぼせて座ったまま。
本が濡れないように用意したタオルが無駄。漫画のコマも落ちる。どこまでが肌の線で、どこから口なのか。
三つとも二時間だけ寝た。

木曜日, 5月 20, 2010

行き来の後で

「夢ギドラ 85'」(詞, 曲, 白井良明/2004)は歌唱の後にギターで広がっていく。
君との気持ちも騒然とした行き来の後だ。

http://www.youtube.com/watch?v=zY18ULcw_gY&playnext_from=TL&videos=RSTn_t222pg

水曜日, 5月 19, 2010

何を為しに行くのかばかり

スーツケースのタイヤ修復にハンズでゴムを買ってきて、タイヤの形状に鋏で切断。瞬間接着剤でくっつけて乾燥を 24時間してみるがどうだろう。
この頃は朝起きると銀行の ATM を覗く。これからはウッフィーだとの講釈を読んでも動き回れるだけの手持ちも無くっちゃあ。
何を為しに行くのかばかり思いつくけれども。

火曜日, 5月 18, 2010

猫か、猫でも見なくちゃやっていけないよな

映画「ネコナデ」(監督, 大森美香/大杉蓮、青山倫子、黒川芽以、入山法子/2008)を見た。
画面構図が常に深刻なので、哀しくも可笑しい現代のドラマは残酷に映る。
これが藤子A漫画ならドーン!と落下していく。ネコナデでの救いは漫画タッチではなくて猫だ。
猫が何をしたわけでもない。待っていてくれていたから嬉しかった。
駅前で社歌を大声で歌い切ったときも、猫はきっと寝ていたろう。

http://nekonade.info/

月曜日, 5月 17, 2010

ひなたぼっこの逆

綾波レイのトルソ型ペットボトル水を頂いて、テレビの上に立たせていた。
その前で愛の為にはぶん殴るしかないと騒いで、その下で猫の鬱が体を伸ばして寝ていた。

日中の陽射し、溜め込まれたカーペットを引き継いで。
寂しさを告げるだけの言葉を引きずって。
何か歌える?

日曜日, 5月 16, 2010

目玉クリップで止めて

泰はたいへんだと聞き、いや独でもたいへんだと誰もが何もかもが。

タイヤのゴムがすり減ったスーツケースの修理に、店へ出さずにゴムと瞬間接着剤を買ってみる。
ゴムをタイヤの形状に合わせてカッティングして貼付けた。固定して一時間待ちへ。

夕食時、名古屋へ来ていた詫間さんに会った。大阪で企画展に出しているらしいのだが、今月は行けず・・。でも今年もいろいろ動くよと話す。

接着剤が固まるまでタイヤを何かで固定しないといけなかったが、あいにく目玉クリップが無い。
テレビではF1。モナコはとびきりたいへんか。いやモナコもここも。

http://ppp00.web.fc2.com/

土曜日, 5月 15, 2010

深さに寄っていく

名古屋市新栄にあるギャラリー「hinten」にて坂本和也 個展「a ripple」を見た。

氏の絵画を以前に見たことはあったが、てっきりエアブラシで描いていると思い込んでいた。筆先に付けた絵の具を指で弾いて描いているという。大きな画面にかける労力に感心すると同時に、波紋を描いているようで、飛沫は深さに寄っていくのだろうと思う。
静寂な深さに居てこそ、真上に浮かんでいる水面の輪を見つけられる。
夜中、皆が帰った後のギャラリーに絵と居れば、いつもと違った話ができる気がする。

きっとビールを飲むほうが今は楽しくて。
誰かに会えるのだけれど。

開店したてのゴルフ用品店の前にある花輪が人々に抜き取られ、道路に散っていた。

http://www.hintenhinten.net/

金曜日, 5月 14, 2010

For "a"arts!RADIO 1". video archive.

今年度も「ア"ーッ!ラジオ/a"aarts ! radio」を行うことが確定されたので、昨年から保留状態となっていた記録映像の制作を、ここ一週間の夕方に山口氏と行っていた。
テロップを入れておおかた見れる段階まで来たので書き出す。ディスクを二人分 焼いて、各自自室のテレビで見ようということになった。
就寝前に 14インチのブラウン管に入れたところ、不安だった画質は何の問題もなく奇麗だった。ちょうど放送をやっていた探偵ナイトスクープのロケ画質に全く見劣りしない。しかし進行のテンポは圧倒的に悪い。テレビ番組とイベントの記録映像は異なるが見飽きるようにはしたくない意図である。少々のカット部分をメモして来週に備える。企画関係者面々へメールなども使って確認をしてもらう予定。

http://aaartsradio.jpn.org/

木曜日, 5月 13, 2010

アーカイヴワークはいきなりの DVD-BOX でいく。
袋管理では整然と見通しが効かない。数多ある全巻ものが、DVD-BAG や DVD-PACK ではなくて BOX と名付けられる所以は箱管理の補完した感覚からだ。
袋はもっと流動的な動くときのもので、愛蔵版には箱なのだ。
着物は桐の箱に仕舞うと落ち着き、本も箱形の本棚に並べると定着する。

「箱」という漢字を紙に書いてみた。「竹」と「木」と「目」で構成されているなと分解してみた。
その前に「机」と「窓」とも書いた。

水曜日, 5月 12, 2010

どう読んでいるか

検索サイトで 如何に目的の内容を調べられるかもスキルだという話を聞いたことがあった。
いまや何をするにもネットで検索をかけてからという向きがとても多い。誰が調べても同じだろうと思われがちだが、それもスキルのうちだというのには頷ける。非常に些細なスキルのように思えて、実は情報処理の小さくて大きな一歩なのではとも予感する。大きな図書館に放たれた学生らが、制限時間内にある固有のお題に対してどれだけ情報を収集できるかというゲームをするとしたら、そう想像すればネットでも同じだろう。検索ツールでどう泳ぐかだ。複数人で同一仕事に当たる際のチームワークの取り方もそれに関連してくるはず。ベンチからの応援も 五月蝿いか 盛り上げるかのスキルだ。いまの戦いをどう読んでいるか。

火曜日, 5月 11, 2010

ビデオは見なくちゃわからない

段ボールにしまい込んであったミニDVテープを机上に出す。内容毎に分けて並べる。中身を確認するだけでも労を要するだろう。
なかにはカセットテープのケースに凝ったのと同じ要領でジャケットまで作ってある。自作 CD-R で iTunes のアルバムアートワークまで作ってるのと同じ。

自分自身の仕事を振り返るアーカイヴワークが自分で楽しみだ。
映画「A2」(監督, 森達也/2001)で、オウムらが報道されたテレビを全て録画していて、その大量のビデオを倉庫から運び出して、全部見るのが仕事ですと言っていたシーンがあったが、あれと何も変わらないかもなと思った。これらは自分にとって強く意義を持つであろうというブラックボックスなのだ。第三者へ渡す為には、語り口が要る。

月曜日, 5月 10, 2010

一寸

書類ひとつで事後が決まる。言わないようにして題名は守られる。遊んでいる頭が目立つ、窮屈な頭には。
就寝前の三島由紀夫でダンディズムの達観に落ち着くふりをする。「一寸」という漢字表記に揺られる。

日曜日, 5月 09, 2010

公園へ歩く

同じ重さでも、どこへ行くかで変わるよう。
重過ぎて歩きにくいか、
買えなくて進めないか。



土曜日, 5月 08, 2010

カメラ・アイ

韓国土産の粉を用いて焼くチヂミで ささやかな宴。
独のS氏と Skype で繋ぎ、食を進める。
向こうの強い夕焼けをラップトップのカメラで撮ることはできず、白飛びした画面にフィルタをかけても輝きは消えなかった。
鳥が高く鳴いているのが聴こえた。
一人で画面に映る身を想像すると寂しくなり、僕も画面から離れて映る気がした。黙っているだけでもいいのだ。

金曜日, 5月 07, 2010

For "a"arts!RADIO 2".

今年も「ア"ーッ!ラジオ/a"arts ! RADIO」をやろうという話が出ていて、その為に試験放送を今月にはしようということになり、その試験放送の為に告知ビラを作ろうと夜に集まっていた。
それぞれに満たしたいところはあって、これから充分に示し合うのが仕事だ。
紙に書いていく。画面は流れていってしまうし。

真っ暗の廊下にビラを貼る。風が吹いてももう寒くない。

木曜日, 5月 06, 2010

塗り薬と精製水

不摂生たたりで左頬を中心に肌荒れが激しく
誰に殴られたんだ?といつもノリ氏には聞かれる。
今朝はようやく、連休明けには行く行くと言っていた皮膚科へ駆け込む。
三千円分の塗り薬を手に入れた。
これからは朝晩塗り込もう。
カット綿に精製水を染み込ませて頬に浸す自己流を指導頂き、併せて気持ち良く寝に入る。

水曜日, 5月 05, 2010

辛い顔をしているわけじゃないが 笑っているわけでもない

尾張一宮にあるギャラリーDebut での「犬飼千絵 × 永下山由香 展」を見る。
たくさんの気持ちは絵に滲み出る。
ゆっくりとした思いを丁寧に重ねる。
テーブルの上にお茶とお菓子を並べて。

続きは「Fight the Blues」(詞, 曲, Hikaru Utada/2008)をかけながら話そう。
半袖で過ごす一日。今日も夏日。

http://www.debut-art.com/exhibition.html
http://www.youtube.com/watch?v=rSULW8Dfv7Q&feature=related

火曜日, 5月 04, 2010

赤馬牧場で遊ぶ

愛知県幡豆郡幡豆町にある「吉良の赤馬牧場」一周年記念イベントへ遊びに行く。
夏日のなか、かとうさんの写真展示にノリクンの三線ライヴ、妖怪博士 河井聖子さんの青空妖怪教室「鬼」を受けた。
そして赤馬に乗せてもらって引き馬を体験した。のどかな光景に胸を伸ばす。
最初は怖いけれど慣れてきたら手を降る男の子を見る。

与えられるのではなくて、自分たちで遊べるのは最高に楽しい。
赤馬は優しい目をしていた。

http://akaumabokujyou.blog63.fc2.com/

月曜日, 5月 03, 2010

森の中で

美濃加茂文化の森で行われている「Woods Land Gallery」という企画展を見に行く。多くの若い作家、美大生らが森の中に作品展示をするというもの。
実験的要素を組み込んで行われるものだが、敷地をロープで区切ってチーム式による展示で、個々をギャラリーとして見立てているのは 作品が萎縮してしまう印象で残念だった。

森は多様な空間だった。
この中で何ができるかということを考えながら回るだけで一日は過ぎる。

昨夜も夕食会をした友人らと、JR の駅でお別れをした。
丁寧な見方と語り方を思う。
晩にはまた銭湯へ行き、この頃の肌の不調へ対策を練る次第だ。
藁半紙にペンで猫の絵を描いて就寝する。

http://woodslandgallery2010.web.fc2.com/

日曜日, 5月 02, 2010

再/び会い

寝っ転がったときに積んであった本の
背表紙の底に
「詩/のページとは?」
とあるのが
目に引っかかり、
開いたのは「ペ/ージ論」(著, 高橋昭八郎/2009)。

ビジュアルポエトリーの
一詩人としてめくっていたが、
「穴の風景」(初出, 「gui」1号/1979, 3月)は
煌々とした丘からの宣言だ。

紙と紙の間
文字と文字の間に立つ
指と指の間
影と影の間に座る
/を挿入するのは置くであるという
思慮と思慮の間を
滑る音

飛行機が降り出来事は追いかけてくる。
君を迎える寝起きと机の上に置いておく。
意味に介されぬ呈示。
?への同意。
!への同意。
雨の降らない雨マークは、絶対に表示されないことになっているので、
鼻をかみながら
連休明けには耳鼻科へ行くと約束する。
寝っ転がるときに
寝っ転がれるよう。
しばし手で行き来する。
本から君はやって来たし、やって行く。
部屋は静かで、やさしく踊っていた。

土曜日, 5月 01, 2010

番組名が爆問学問だとばかり思っていた

録画していた「爆笑問題のニッポンの教養」をまとめて五本ほど見る。
続けて見ると、展開が一定のパターンのなかでも変化を付けているのが分かった。
定番的要素を保ちながら、飽きないようにと画面運びの連続である。
爆笑問題-太田の発言の軸はいつも同じで、自分がいつもそこにいる。
そういう意味では、自分のブログの構成がいつも同じだと気を揉むこともないのかもしれない。

歌舞伎とドストエフスキーとゲーム理論と哲学は更に読もうと思った。
それらを経て、視野を深めるほうが構造をただ変化球にかけるより有効だ。

http://www.nhk.or.jp/bakumon/