金曜日, 5月 07, 2021

緊急事態条項で万事うまくいく特効薬だとするのは改憲派のいつもの手

国民投票法の改正が通った。
コロナ対策がうまくいかないのは、憲法に私権制限の術が無く、緊急権が無いミス故だという理屈で、改憲して「緊急事態条項」を入れれば万事うまくいくとゴリ押ししてくる。

これは 9条改正を進めるより、理解を得やすい 改憲の方法論だと憲法学者の石川健治氏が語っていた。(Choose Life Project 5月3日放送分)

ドイツ思想家の藤崎剛人氏は、「『コロナ』危機に乗じた改憲を許すな」とストレートに書いた。政府は「コロナ対策にやる気が無い」と、明快で強いメッセージだった。(Newsweek 5月3日)

曲解で改憲が必要と持ってくるあたり、無理矢理ねじ込んでくるくせに、利権団体のために、五輪を開催するために、コロナの件はとにかくスルーしたがっている日本政府。それにあわせて国民側も、スルーして聖火リレーも連休もちゃっかり遊び、政府の思惑どおり。
安倍氏が次の 100代目 内閣総理大臣に返ってきて、改憲を成し遂げるというドラマの脚本はとっくにあるんじゃないか。
五輪の開催にこぎつけたら、国民は感動して支持率はアップする。「なんだかんだでコロナ禍でも開催してくれて良かった!感動をありがとう。」と騒ぐ影で、罹患してしまう人は 運が悪かったねとされ、医療現場はより苦しむ。そこは知らぬ顔で、緊急事態条項があればうまくいくとしてくる。
ブルーインパルスを より多く飛ばされるだけだ。
そもそも、人々の健康的で文化的な生活を平等にキープしようとする気が無いだけなんだ。
自分たちに投票してくれる団体に返すだけ。それが政治だとしているのだから。
選挙で負かして、政権交代をして、拙くなっても、人権なり、生活なりを重視する勢力を強くしないと、ほんとうに殺されそう。
何度もここに返ってくるけど、でも選挙に そもそもみんな行かないのだから、そんな国民が決めたことになっているんだから、仕方ないとも言えてしまう。
なんで選挙に行かない、行きにくくされているかは極めて巧妙なシステムの調整があるのではないか。だから、今回の国民投票法の改正で、18歳が投票できたところを補強するかたちで、海上での投票も可能にするとか、やたら細かいのではないか。
立憲民主党の譲歩要件にある、メディアでの宣伝の制限などが果たされなかったら、高校生向けのキャンペーンが芸能人を使って行われるだろう。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210506/k10013014891000.html

https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/05/post-8.php

 https://www.youtube.com/watch?v=MEslk3-BjAI

木曜日, 5月 06, 2021

ゴジラの住む世界と同じ心理で

  もう無理だとはみんな思っているけど、なんとか大丈夫だろうとも思っている。思っていなければ暮らしていけない心理は、ゴジラが攻めてくるなかでも社交ダンスをしていた人々とそう変わらない。はかなさの美学に酔う暇も無く、何もできないまま地震を待つようだ。

 止まない雨は無いけれど、日照り続ける晴れも無いかもしれない。お天道様がどうであれ、空の下で人間は枯れたり、水浸しで転覆してしまう。最後は神頼みで世界が終わることを受け入れるようなこの国の癖はとても根深い。生きにくいのは誰のせいだろうか。面倒だと投票に行かず、文句を送りあう小市民のせいだろうか。文句が文句を呼び、何も許せなくなった使命感の足かせか。いろいろ理由をつけて仕事を成さなかった自分のせいか。全部自分のせいにできれば格好良かった。全部人のせいにするのも気楽だった。全ては数え切れない所作で補完しあっていて、目に見えない大きさで引っ張り合った先の均衡が今日なのだろう。

 Wi-Fiネットワークに繋げられないだけで、この文章も先へ進むことになった。担当している専攻の学生たちは、いまは放っておいても書き進められるように見える。何か飲めなくても、一定の距離は走ることができると笑っていた。それが尽きる前に、補給地点なり、走り方のフォームなりを点検していきたい。いまの状態は、ただ泳がせているだけ。楽しい気分はそのうち醒める。

 文章が社会を変える事例を挙げよう。詩が社会を動かした事件を。そんなものがあると信じているけれど、具体的には何年何月何日なのか。コピーはいつから唱えられた? プレゼンって何で必要なのか。小中高の、見よう見まねの授業で癖がついている。先生の言うことを聞きましょうと。

 授業準備に追われて何もできないことになりそうだ。解決策を持たないと手詰まりである。小遣い稼ぎの仕事で時間を取られていてはいけない。仕事のカードを作成し、それを貼り出して共有する。ストレスを壁に、それだけで緊張感が適度に漏れる。一年生のうちにその癖を付けさせないといけない。

水曜日, 5月 05, 2021

ママがいい

  改札で幼児が大泣きしていた。母親が怒りながら抱きかかえる。母親はもう一人、小さな子をおんぶ紐で抱えている。何かで上の子はぐずっているらしく、聞き取れないが、嫌だぁという声が響いていた。

自分の子、三歳もこういうとき、とても頑固で大変だ。保育園で他の子が大泣きするときに「ママがいい」と言うのをを聞き覚えているので、いつもはママなんて言わず、お母さんと呼んでいるのに、泣くときは「ママがいい」と繰り返す。ママという単語では認識されていないだろう。そして殴り、抓り、蹴っては怒り狂う。スーパーなど店先でやられたときはヘトヘトになる。

 さっきの母子に出くわしたとき、通行人には何ができるか。どうすれば効果的に見守ることができようか。幼児言葉で近づきたくなるけれど、母親に話しかけるのが良いだろう。自分だと、子供を守る警戒心も発生してしまうから。助けられるかどうかはわからないけれど、私は「ママがいい」のママではないというコンセンサスが助かるのではないか。

 とポメラで書いていたら、こないだ 子供は「お母さんがいい」と泣いていた。「ママ」の意味を理解したのか。全体的にアップデートされたのかは不明だ。だが、言葉は大人に聞かれて、体得される。