金曜日, 10月 31, 2008

力の根源

図工室に降り注ぐ朝の光。
それに高速で向かう海の Yeah!
ゴミ溜めの晩に、欲望の比喩をまさしく生クリームにされた。
使えないのはケーブルだ。HDMI じゃない。VGA だ。DVI からと、口頭では読み取ることが困難で、電話では行方知らずになりがち。
明け方にバブルは弾け、ハロウィンはスリラーを待つ。
給食前の握手。
君は動きと動きの間に、力の根源を見た。
聞こえるのはモーター音。波間をつくり、光をもたらしている。

木曜日, 10月 30, 2008

文章にとっての食事とは何か?

ちゃんと食事をしておかないと、今日の激動には耐えられないぞと考えたのは正しかった。食べなければだめだ。歯医者にも、耳鼻科にも、税金も年金も、猫の 餌もちゃんとしないと悲しくなっちゃうから。だめだ。そこからなぞっていくといまの状態は相当に泣きわめいていてもおかしくない?・・いや、いつでもきっ とそんなもんだと思いながら、大丈夫さと気楽な長男を気取ってきた。こんなことを書いている時点でリアリティは無い。文頭だけが本物で、ちゃんと食べたか ら一日動くことができたという実感はある。文が進んでいくと、いろいろ言葉遣いが怪しくなっていく。だからすぐに言い切ってしまうことができるなら、それ にこしたことは無いんだ。一日の終わりと始まりの区別が要るように、文章にも区別が要る。すると、文章にも食事が要るのであろう。文章にとっての食事とは 何か?

水曜日, 10月 29, 2008

ユニクロック

哀Phone と 愛Phone の間を行ったり来たりしている我が端末。財布については惨劇が続いているが、それとは裏腹に見ているものは華やかになってきた。ユニクロが 「UNIQLOCK」(UNIQLO/2008)というアプリケーションを発表した。アプリ以前に、この楽しい仕掛け時計を僕は今まで知らなかった。賛否 両論あろうが、話題を集めるデザインだ。見事なイメージ戦略であると思う。
深夜、机の上に書類をぶちまけて一息つくとき、ぼーっと見るにはテレビより夢を見させてくれていい。ダンスの内容云々よりも、音と映像を時計に乗せるという発想が楽しい。それにちゃっかり、ユニクロの服を着ているなんて!

http://www.uniqlo.jp/uniqlock/

火曜日, 10月 28, 2008

悲しくもないのに心が泣く 可笑しくもないのに心が笑う

「何だ?このユーウツは!!」(詞, 鈴木慶一、鈴木博文/曲, E.D MORRISON/1986)聴く。なんか飛ぶ。どっか飛ぶ。

http://jp.youtube.com/watch?v=NSR_HQM6vQY

月曜日, 10月 27, 2008

崖の上のポニョから・2(夢)

「プロフェッショナル・スペシャル -宮崎駿の全て ポニョ密着300日-」(2008年8月5日放送分/NHK)の再放送を録画しておいたものを、晩に見て号泣してしまった。
ポニョは黒沢明の「夢」(1990)のように、宮崎駿の意識、存在に強く懸けて徹した作品であった。

あらゆる批評、感想は自由であると同時に、作家の努力には最大の敬意を払わなくてはならない。
このドキュメントは、最大級のアニメーション監督が成し遂げた最大級の仕事っぷりを撮っている。
ドラマや筋書きに泣いたのではなく、その仕事をしている姿に泣いたのだ。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.html
http://yaplog.jp/jinm/archive/1873

日曜日, 10月 26, 2008

後少しだけがある

交流は誰のものでもない。
故に祭りも世界も誰のものでもない。
だが、だからこそ誰もが私のものにしたいのである。
夜も、朝も、人は作り得ることを求めた。
記憶の中でそれは擬似的なものから本当の体験にすり替わるだろう。
きな臭い現実の制限は、何も大切にはされないだろう。
恥ずかしがり屋という店を考えた。
客との言葉をどこに設けるかで、右往左往する店なのだ。

すぐに祭りなど終わって、世界も終わる。いまは、後少しだけがある。
犬山のキワマリ荘に展示を見に行った。世界を あり余らせるか、強く欲し続けるかは私に寄るものだけであった。

http://honeya.hp.infoseek.co.jp/

土曜日, 10月 25, 2008

ブランデー・ランデブー

先住民族の来襲。「祭りと言えばジャンベでしょという間違えた判断で来たんですよ」と長髪の彼は言った。いや、謙遜しなくても、それは何も間違っていない。間違いだらけの〜は、基軸が実はどこにも無い。

「ブランデー・ランデブー」(詞, 藤井一喜、村田 仁/曲, 藤井一喜/2008)

夜 夢見るために 昼間働き続ける
夕方 太陽さよなら さなぎから 孵化した蝶
昼間はずっと背番号 夜はせつないお名前
砂上の楼閣 知ってて 今夜も明けるよパンドラの函

ネオンの灯りで輝く 誰もが羨むブランデー
蛍光灯の下では しびれてくれれば おかまいなしさ
何てブランド? 何てブランド?
ランデブランデ ランデブランデ

いつでも時代は変わる ディランが歌い続けてる
デモ行進おつかれ したたか逃げろよ ハチマキさん
お前を誰も買わない お前は誰にも売らない
いつでも昔は良かった それじゃ終わりよ 鉄管ビールだ

ネオンの灯りは何処へ 誰もが疑うビートニック
偽善者ばかりを集めて ブルジョワ気分に浸ろう
蛍光灯の明かりじゃ 輝かない 輝けない ブランデー
何てブランド? 何てブランド?
ランデブランデ ランデブランデ

夢見たくて 昼夜逆転
夢に追われて 昼夜逆転
実は自由さ 敵も知らない
アメリカですか この騒ぎは
ヒッピーもどきを 吊るしあげりゃ
ランデブランデ ランデブランデ
"早く、踊るんだ"
Fifty One!
Fifty One!
Fifty One!

金曜日, 10月 24, 2008

ブラックスカイ、ブルースカイ

僕らが流したのは、血ではなく、雨。
やがて流すものは、血ではなく、酒。
それからは流したくはない。
起きて、暫定的に走らせたかったけれども、それで彼女達は納得しない。これまでに触れた世界中のあらゆる空の化身を、覚悟しているのは彼女達なのだ。だから僕らは力を合わせ、ゴミ袋で黒い空を、ブルーシートで青い空を作った。
夜を我らに。
それが明け方に Early Fifty One が歌った三曲目だ。バーにはオスカー・ピーターソンがよく合うだろう。チャイナドレスで決めた徹夜麻雀も、バーテンメイドさんの図もある。三線で十九の春も。
恋や愛もおそらくあった。
僕らは目に見えないものを流している。
空には何もしみ込まない。
夜と朝を見た水が、帰って行くところだ。

木曜日, 10月 23, 2008

だんだん世界がとじてゆく

かつて「世界の縮図」と私が呼んだ祭。それを自讃しながら、今年も迎えた。
類に漏れず縮図であった。
超管理社会、先制封じ込め体勢が敷かれている。
自治などは有名無実の代物で、あらゆる迎合に誰も逆らえない。何が必要なことか、誰も一人ではわからない。
そんな地表の上の 60億などおかまいかなく、天から強い雨風が容赦なく降り注いでいた。
板とテントハウスで、難民収容所のようなユートピアを建ち上げるためなら、ずぶ濡れにでもなる。
これは「だんだん世界がとじてゆく」だと思った。
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僕らが世界の果てにたどりついたとき
僕らはどこへ行けばよいのだろう?
最後の空がついに尽き果てたとき
鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?
草木が最後の息を吐ききったとき
どこで眠りにつけばよいのだろう?

僕らはそのわずかな血で
僕らの名前を記すだろう
僕らはその翼をもぎとり
僕らの肉がうたう歌をききながら
その命を終えるだろう

最後に残されたこの小道の上で
そう ここで この土地で
僕らが流した血のうえに
ここからもあそこからも
オリーブの樹がなるだろう

「だんだん世界がとじてゆく」(原詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳詩:イルコモンズ)

http://illcomm.exblog.jp/7210465/
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200808102211.htm

水曜日, 10月 22, 2008

アニー・ホール 再び

また「アニー・ホール」(監督,ウディ・アレン/ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ/1977)を見た。
一人で、チャプターをスキップして斜め見をしても、グッときてしまう。
鑑賞者に向かって自嘲的に語ってくるのは、ウディ・アレン演じるアニーの心境だが、男女関係のなかで、このような独り語りは男だけに限らずあるものだ。馬鹿みたいに思えて、もう一人の自分に話しかける。そういった可笑しみが輝いている映画だと思う。

http://jp.youtube.com/watch?v=EfKCYRsUnnQ
http://yaplog.jp/jinm/daily/200701/27/

火曜日, 10月 21, 2008

いつか

昨日に追記する今日なり。
早川義夫の音楽のことを書こうとすると、言葉遣いが真似をしているようになる。意識をしてみても、そこに行き着くと とても座りが良い。素人の感想文だと言えばそれまでだが。作り手の言葉は強い。そして特に氏は、自分の気持ちを最も批評的に語っていると思う。「批評家は 何を生み出しているのでしうか」(2002)という歌も歌っていた。既に語り、批評できないところへと歌っていくのがその音楽であった。
こうも YouTube で簡単に聴けてしまうことにためらいもする。「いつか」(1994/「いい人はいいね、音楽が透き通っているもの。」2002. 8. 29 南青山マンダラ)に震える。
あらゆる感情の形容できないもの、雄弁に語ることよりも、歌うことへ。これは熱だ。

http://jp.youtube.com/watch?v=pmmt6TtAMgI

月曜日, 10月 20, 2008

あの娘が好きだから

「 I LOVE HONZI 」(早川義夫 + 佐久間正英 + HONZI /2008)愛聴。
のびやかできれいで強い。
いろんな願いを歌う。
気持ちのままにあらわれる音と言葉。
そのままにあらわすための動きはとてもシンプルだ。

YouTube に早川義夫のライヴが追加アップされている。
「あの娘が好きだから」(「いい人はいいね、音楽が透き通っているもの。」2002. 8. 29 南青山マンダラ)。はじめて聴く。かっこいい。

http://www15.ocn.ne.jp/~h440/
http://jp.youtube.com/watch?v=_0b3QZ1GkU0&feature=related

日曜日, 10月 19, 2008

オタク映画の巨塔

テレビ放映時に録画していた「キサラギ」(監督, 佐藤祐市/小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之/2007)を鑑賞。終始、にやにやと楽しむ。良い脚本と良い俳優陣。ネタは賞 味期限がありそうな題材だが、映画自体は衰えることのない良い舞台になっている。ネットのオフ会を描いた映画という意味でも新鮮だった。
それから、MacBook の新しいラインナップを鼻息荒くしながら見る。こういうデジタルオタクの映画っていうのも面白いかもねと自嘲的に思い浮かべる。小栗旬は格好いい。香川照之はいつも良いなぁ。

http://kisaragi-movie.com/

土曜日, 10月 18, 2008

実は一点素心で

日本でも韓国でも暮らしはたいへんだ。住めば都だよとは、言うのは易し行うは難しだ。
猫の鬱を撫でる。トイレを奇麗にしてあげなきゃ可哀想だと怒られ、その通りで眉をしかめる。
午前中にまたもやの事務的な対応に呆れ、呆れるだけ損なので、隙が無いように完全な動きで対応するしかないと決め込む。あらゆる可能性に対し、深夜放送でやっていた 007 のように。第十作目をテレビでやっていた。どれだけ人が死んで、セックスが正気でやれているんだ。恐ろしい映画だ。
いや、007 のように完全なアクションでやってのける。その点だけ意識して。実は一点素心で。どこの国でも、お金あってのものだねだが。

金曜日, 10月 17, 2008

オルマエヨ?と聞く声

最終日。朝八時から行動開始。速攻で南大門に買いそびれたものを求めて。石焼ピビンバムと納豆汁を裏通りで食べる。そろそろ食べ残すことに抵抗も感じなくなってきた。
四年前に来たとき、南大門はまだあった。それが放火によって全焼してしまった。今年の二月だった。犯人の詳細は知らないが、韓国にも貧富の差や、都会生活の狂気性が起こっているのだろうとやはり考える。いまの南大門は壁で覆われ、中が少し覗き込めるようになっている。少し覗いたが、ほとんど無いように見えた。残念だ。
ソウル駅横のロッテマートに行く。駅の回りにはホームレス風の中年と老人が赤ら顔でふらふらしている。ロッテマートに入ると、裕福そうな買い物客が大きなカートを引いていた。
チェックアウト。荷物を預かってもらい、Gorg とソウルタワーのある南山に。ケーブルカーで行く。速い。あいにくの曇り空で霧も出ていて、市内を見渡すことはできなかった。それと、タワー周辺のフェンスというフェンスに南京錠がめちゃくちゃ取り付けられていて、向こう側を見ることが難しくなっている。何これ?と、よく見ると、どうもカップルが愛の証に取り付けていくのが流行っているらしい。テレビドラマでそういうシーンがあったらしい。二つの錠前を取り付けて、鍵をお互いが持っているようにするとか。ハート型に並べてあったり、互いの名前や甘い言葉。プリクラなども貼ってある。どこも同じやなぁ〜と呆れてみる。フェンス横に看板があり「もうこれ以上鍵を付けないで下さい。フェンスが鍵の重みで倒れるかもしれません」とハングルと英語で書いてあるのに笑った。その鍵フェンスの前にて、Gorg の買ってくれた餅菓子を食べる。彼が撮ってきた韓国の写真を見る。ケーブルカーの乗車券は往復で買ってたけど、帰りは歩いて降りた。時間ちょうどにホテルの前に着いた。僕たちはハグをして別れた。迎えの添乗員さんが早くして下さい〜とマイクロバスの入り口を案内している。

仁川空港、六時半の便。ATM が空港内に無く、持ち金が少なくて困る。日本円も使えるカフェで軽食。店員の女の子は完全にアルバイトで、友達感覚で対応をしていた。でも怠慢という嫌な感じではなく、楽しく仕事をしている学園祭のマジメなお店という印象で可愛く感じられた。食事済みのトレイを返すときに「マシッソヨ」と言うと、笑顔で答えてくれた。
またね!とテュウース!
飛行機の中で、明洞での待ち合わせに間に合わせなきゃと焦る夢を見た。
オルマエヨ?とゆっくり聞く声も響いていた。





木曜日, 10月 16, 2008

龍山、忠武路、宗廟、北漢山、弘大

全日フリーのソウル歩き回り。昨晩、食事のときに教えてもらった龍山駅近くにあるというスパを朝攻めする。オンドル式で温かい階を裸足で歩き回る。渡されたシャツとトレパンで良いというのが楽しい。サウナや仮眠室では人がごろごろ死んだように転がっている。ソウル市民の激しい生活の分だけ、激しい休息が行われている。キムチとオンドルで彼らの体力は養われているのだろう。僕はピラミッド内でウトウトした。
Gorg と合流し、忠武路 という小さな印刷屋がひしめきあっている通りを歩く。そのまま、北上してかつての秋葉原のような電子街を抜ける。ここにナムジュン・パイクもパーツを買いに来ただろうねと話す。
お年寄りだらけの公園を過ぎると、宗廟(チョンミョ)という朝鮮王朝の王様達の霊を守っている建物群が出てきた。入場料1000ウォン。韓国の中学校、修学旅行生らに紛れて見学。みんな髪型が決められているのか、女の子はパッツンのワンレンである。眼鏡も流行か、みんな四角い。太った子をほとんど見ない。食べるものにはあぶれているけれど、韓国料理はヘルシーなのだ。
Gumhee と合流し、北漢山を登る。夕刻からなので、途中まで。暗くなってきたところで引き返す。下山して ソジュを飲みに行こうと、バスで Gumhee の大学近くの繁華街へ行く。ソウルの北東から南西に突っ切ったことになる。バスはジェットコースターのように激しく揺れて恐ろしい。チェーン店ばかりになってしまったという通りを回って、内蔵系専門の鍋屋に入る。小さい構えで混雑しているのが良い。食道を煮た鍋とソジュで乾杯。この食道が最高に美味い。臭みとコクが深い。そこにスッと切れるソジュが爽やかに合う。マジでマシッソヨ!
アイスクリームを買い食いしながら大学のスタジアム席に座る。酔いも回ってきたところで帰ろうということに。明日は Geumhee が来れないから、プリクラを撮る。機械は日本のを完全ハングル翻訳してあった。モデルさんも韓国の女の子になっている。さすがだ。撮影後、店員のおばさんが切ってくれる。シートでコーティングを施してから、裁断機でザックザック。凄いや。慣れた手つきで四分割してくれた。





水曜日, 10月 15, 2008

アニョハセヨとグーテンターク

四年ぶりの韓国、ソウル三日間の旅。初のツアーパック。二回目のソウルだ。Gorg と Geumhee に会う。Energetic Extension. のときの面子は欧州への留学とメアドが分からなくなってしまっていた。Jimin は、ロンドンで二回目のオンライン展を開いていて、案内が届いていた。
午前中のフライトでお昼に仁川国際空港に着。四年前はこんなにソウルから離れていたか覚えていない。帰りに Pyo と Jion に車で送ってもらったのは覚えている。あれはビデオに撮っていた。
ツアーのマイクロバスで空港からソウル市内へ。高層ビルの間を押せ押せで車が走っている。そこに突然の警報と交通が停止。ガイドさんは、訓練とだけ答えた。「避難訓練か?ぐ、軍隊か?ガイドさん!」とおじさんが聞く。「毎月15日の午後二時には、三十分間戦争に備えての民間防衛訓練があるのです。皆さん、良かったですね。訓練ができて。」と冷めた冗談を言うガイドさん。車を端に寄せて戦車が通れるようにするとか、空襲に備えた動きとかいろいろあるのだろうが、実際のところは、外に出ないようにしたり、こうして交通が一時停止したりするだけになっているようだ。しかし、毎月の訓練は、韓国が休戦状態であることの証であるし、意識下に深く根付いているのだと思う。海外経験の長い韓国の女性らは、男性がやっていることだからよくわからないと答えていたが、そんなバランスで展開している。

ホテルのロビーで Gorg と Geumhee に合流。二人は既に韓国入りしていて、田舎もたくさん廻っている。今回、僕らは光州ビエンナーレに行きたいと考えていたのだが、遠くて難しいと取りやめ、ソウル市内での周遊に全力を尽くすことになった。
初日は着いた頃には四時だったので、南大門市場で買い物。カオスな間を行き来し、帽子やら鍋やらを物色。戻って、コリアハウスにて韓国料理のバイキング。Geumhee の高校の友人ら女性四名と席を共にした。
Gorg は変わらず気さくで紳士だ。僕は眠気に苦しんでいたが、韓国の友人らとの合流により目を覚ます。三十代前半の彼女たちはそれぞれ働いていたり、結婚を控えていたりした。食事を終えた我々は明洞のカラオケに行く。K-POP も J-POP も備えている店内は、客と店員の見分けがつかない。上田正樹の悲しい色やねをかます。大阪の海をソウルの海に変えて歌うオヤジ性はなんとか自重した。でも彼女らの一人は大阪に行ったことがあるらしいので、丁度良かったかな。
Gorg のリクエストで 上を向いて歩こう を二人で歌う。なんだか泣けてきた。




火曜日, 10月 14, 2008

「シベリアからの手紙」Opening Act にて

information です。
「シベリアからの手紙」
関谷友加里カルテット × Kino Kugel
即興とオリジナルの作曲、振り付けによる、音と動きの響宴。
Opening Act にて、詩の朗読をします。

日時・2008年11月8日(土)
開場・17:30 開演・18:00

会場・K・D Japon(ケーディ・ハポン)
   名古屋市中区千代田五丁目12-7
料金・予約 1800円、当日 2000円
※入場時に1ドリンクオーダー500円が別途必要になります。

【Opening Act】村田 仁(詩)
■関谷友加里カルテット
関谷友加里(ピアノ)森定道広(コントラバス)
橋本達哉(ドラムス)前田実(アルト&バリトンサックス)
■Kino Kugel
PECO(ダンス)円(ダンス)コマツアイ(ダンス)


ごはんを食べる姿と、葉書を渡しに、おしめをかえて、一睡もできずに、何が何だかわからなくなり果てそうになって。でも、本当は嬉しくて仕方ない。

月曜日, 10月 13, 2008

絵は詩と違って、一瞬なんだよ

池下のライブハウス「源」にて、斉藤哲夫のライヴを見る。70年代から歌い続ける URC発のフォークシンガー、若き哲学者、斉藤哲夫。
ライヴ後の打ち上げに、当時からのファンの方々と同席させて頂く。知識だけの自分には、とてもじゃないがついていけないけれど、それがまたたまらず良かった。
斉藤哲夫さんに、詩をまとめた作品集を見て頂く。
プロとアマの違いや、絵は詩と違って一瞬に伝わるということ。洞察は鋭く、胸元に向かってきた。
帰りは「バイバイ・グッバイ・サラバイ」(1973)を口ずさむ。人通りも気にせずに。

http://jp.youtube.com/watch?v=A86Orq-n88I&feature=related
http://live-gen.musical.to/

日曜日, 10月 12, 2008

常滑フィールド・トリップに共鳴(?)するかのタイミングで

朝ご飯をしっかり頂き、長男はまた電車で発った。向かうは伊勢湾をぐるりと回っての、常滑であった。船なら40分のところを、二時間ほどかけて移動。金銭面と、そこまで急いでいないという時間的判断からそうした。空港へ急いでいるときはいいだろうけどなぁ〜とぼやく。
駅から歩き、臨海緑地と呼ばれる人工海岸へ。送られてきた告知メールによると、永田氏率いるニュースペーパーズが、いま常滑で行われているまちなか系アー トの展示「常滑フィールド・トリップ」に共鳴(?)するかのタイミングでライヴをやっているらしいので、それを聴きに。こっちでいいのかと不安になりなが らも歩いて行くと、ドラム音が聴こえてきて、サークル状に組まれたバンドが出現したではないか!
おおっ!と驚き、唸りながらデジカメで勢い良く撮影する。
音楽も絵面も即興的でカッコイイ。
何よりも良いと思ったのは、客に媚びない姿勢である。
弾いている顔が良い。顔で弾いているとは鈴木氏が敬愛するミュージシャンに言った言葉だった。そうだなと思う。すると、そこに常滑在住のアフリカ人らが二人やってきて、ジャンベやボンゴに参加する!
まさかの素敵なロケーションに満ち足りた気持ちになった。
楽しいので、予定時間より砂浜に長く居過ぎてしまう。
展示も見たい。
まだライヴは続いていたが、展示を見ていないという面子の車に乗せてもらい、アートスペース rin へ。展示の案内地図を貰い、福岡氏らとも合流。歩いて、散策のようにまちなかに散らばっているアート作品を見に行く。
横井彰氏の「絵を描く」は、常滑商店街に住まれている方々の顔を絵に描き、紙を民家の部屋中に貼り出した展示で、ストレートな表現が憎めない。いろいろ美 術とはなんたるかという講釈をしようとしても、作家の純粋な気持ちを見せられると「その姿勢を否定するわけではないが」と、確認したくなる印象だ。描く思 いをそのまま言葉にできるかが問われるだろう。
その近くで展示している 伊藤正人氏は「note house」という作品で、言葉を用いている。彼の作品はアートフェチでの個展から続けて見ているが、今回も言葉で絵を描くという形態が続いているように 感じられた。具体的に稜線や町並みの形状をしていなくても、言葉で壁を満たすときに、そういった操作は現れてくるようだ。日が落ちてからの鑑賞だったの で、蝋燭を手に取って壁面を照らしながら言葉を読む。それは泳ぐような感触だった。夜の海は怖いが、どこか温かい。

横井氏の車で、夜の人工海岸へ戻る。ライヴが見たいと彼は飛ばしたが、着いた頃には既に撤収作業をしているところだった。コンクリに座って缶ビールを飲んで、歩いて帰る。十月の海だが、寒くはなかった。

http://www.rin2005.com/blog/schedule/index.html
http://royalbluemountain.blogspot.com/



土曜日, 10月 11, 2008

出会いということの不思議さと、猫のラムが好きな男と

それは重く苦しいものではなく、広く解き放つ決意だ。
気付いたときには人生はいつも半分以上を過ぎている。
なんて格好良いことを言えるような柄ではないが、兄弟も、姉妹も、肉親も、義理の親も、友人も、みな意識をする。
こんな海辺の、陽がそそぐ式場にでもいたら。
その後の宴は知らない。
ただ、僕にはビデオとスチルのカメラを交互に切り替えることが仕事だった。そのニッチに食い込むことが自分の意識だと既に確信してやってきているのは自分の心境に向けて、言わずもがなだ。
おめでとうおふたりをまた詠む。
何度でも意識を確かめていい。

金曜日, 10月 10, 2008

あの人は寂しいんだなと思われたら悲しいよねという話を聞いた

火の車で急行に逃げる。何がなんだか判別できない状態が続いてしまっていて、甘え過ぎたり、強がったり。でも最後にはご勘弁を願う情けなさで、転がり倒し て八起きを狙う所存なり。そんな本音はすぐに見抜かれているようだ。あの人は寂しいんだなと思われたら悲しいよねという話を思い出し、意識し過ぎて恐くな る。
パソコンに齧りつこうとしていたところに声をかけて頂き、連日連夜のご馳走にありつく。酔いながら終電で帰省。着いた頃には日を超えていて、酔いもすっかり醒めていた。

木曜日, 10月 09, 2008

Early Fifty One

鰻をご馳走になった。
瓶ビールも二本。ひつまぶしにして一杯。
単身、顔を赤く火照らせて、ブルースを一曲頂く。
書き下ろしの歌い初め。
Early Fifty One と決める。
ディランとビートルズについてを聞く。録音して、なかなかに渋いなと更に悪酔いす。

水曜日, 10月 08, 2008

Keep on Rockin そんでそんで

奈良美智のTシャツに着替えて頑張る。
しかしこれが我ながら似合わない。トイレに行く度に鏡の前で、こっ恥ずかしい。
ロッキン・オン ジャパンフェス2002 のシャツで、Keep on Rockin と書いた紙を持っている女の子が目を光らせてるやつで、キバもちらっと覗かせてる。気持ちは Keep on Rockin ながら、スカッとした仕事ができずにはいたけれど、エンジンはかかった。
夕食は、豚骨ラーメンと餃子に御飯で 650円という安い定食屋でとって、お腹も膨れたしね。
ほかにもなんかいろいろあった気がする。
寝る前には何か聴きたいな。

http://harappa-h.org/AtoZ/modules/popnupblog/index.php?param=2
http://jp.youtube.com/watch?v=020ALWgw7QQ&feature=rec-fresh

火曜日, 10月 07, 2008

芸術の柄

ぼんやりと「アキレスと亀」の場面を思い出す。途端に死んでしまうこと。またすぐに諦めること。弱さと崇高さ。あの残酷な物語は夫婦愛でもなく、身勝手な画家を志す、甲斐性のない男の話だ。
芸術とは何だと暴れる日々もどこかで醒め、財布の中に何も無ければ絵の具ひとつ買えない。電気が止められてしまって、何も書けなくなる。ああいやだ。そん なのはいやだよお。という苦しみから、逃れる方法がただ就職しろとかそういうふうにも思えずにいる。どっちつかずで、あっちへふらふらこっちへふらふら 行っているようじゃあ、絶対にだめだ。縛られたいならMですと公言し、詩を書いているなら詩人だと名刺に刷ろう。あの世に逝ってしまった人たちのことは、 知っているところまでしか言えない。むごたらしい方法で生き延びている奴のことは、いくらでも馬鹿にできる。馬鹿にしたあとで、いつかどつきまわされる。 ペィンティングナイフで刺されたら痛くて、そのままうずくまると思う。それはさけないと。世界では祝杯と暴動が起きているようであり、体内では衰退と欲望 が渦巻いているのである。泣き言は言わない。全てそのままのシンプルな構造に落とし込むことを、ただ私が成せるかである。絵を描いたり詩を描く時間がまだ こんなにあるでしょう。

月曜日, 10月 06, 2008

俺は飛べない

何一つ、どこにすらも俺は決めることができない?
手を抜いたら終わりさと格好をつけたところで。

「モダンラヴァーズ」(作詞, 鈴木博文/作曲, 岡田徹、鈴木博文/1979)で今夜を超えろ。

http://jp.youtube.com/watch?v=o9UGoLY4Ln4&feature=related

日曜日, 10月 05, 2008

おめでとうおふたり・二〇〇八年十月五日

ふたりは玉砂利ふみしめる
意味があるとされた声を
前にした

猫が眠っているうちに
鳴き声が聞き取れないんだと
彼女の家に尋ねることができれば

ロビーからその事情を回線越しに通す
さっきまで隠れて小走りをかましていた男が
座して、言った
小さいけれどしっかり聞き取ることができた声だった
おめでとうおふたり、と

※題は津坂 治男氏の同名題詩より引用

土曜日, 10月 04, 2008

やり直したい

「トウキョウソナタ」(監督,黒沢清/香川照之、小泉今日子、井之脇海、小柳友、役所広司/2008)と「アキレスと亀」(監督,北野武/北野武、樋口可 南子、柳優怜、麻生久美子/2008)を続けて映画館で見た。終わった頃には四時。嫌な疲労感は無く、不思議な達成感があった。
一色担に語ることは間違っていると言われるが、今夜の映画体験は繋がっていて、それはそっくりそのまま自分に向かってきていた。
「トウキョウソナタ」は丁寧に綴られ織られた美。「アキレスと亀」は絵の具をぶつけた美だった。なんてそのままの感想だが、どちらにもその実直さに涙した。
最後の最後で人は残念な存在にも、貴重な存在にもなる。その紙一重を見る。
「アキレスと亀」の後半では、ずっと笑い泣きに近く、荒っぽい乱雑なプロットの映画なのだけれど、居た堪れない気持ちになってしまう。麻生久美子、樋口可南子と奇麗だ。たけしは覚悟を魅せる。謎掛けは止まぬ。
「トウキョウソナタ」は啓示的な言葉の独白が、カッチリとした構図で映し出される。ゴダールを思い出す。急に映画であることに満ち足りてくる。海岸、小泉今日子が光る。役所広司は狂気で、香川照之は切ない。
終映後、僕たちはそれぞれの車に乗って、二時間ばかしの睡眠時間のために走り出した。

http://tokyosonata.com/index.html
http://www.office-kitano.co.jp/akiresu/

金曜日, 10月 03, 2008

恥はどこまでも僕のものだ

理路整然。いや、感情起伏の赴くままにが混在し、言葉は私をあきらかにするためのもの。
私はいつまでも明らかにならない世界だから、そのための努力は惜しまない。
そう伝えられた。まったく関係の無い遊びのなかに本質を捉える意識があって、そのままにぶつかったら愚痴になってしまう。愚痴に整合性が与えられたら、それは批評かもしれないと仮定してみる。恥はどこまでも僕のものだ。

木曜日, 10月 02, 2008

森と温泉、おでんのように

みのかも文化の森 美濃加茂市市民ミュージアムにて渡辺英司 展「図鑑庭園 The Garden of the Name」を見る。天気が良く、暑いくらいで半袖にした。森にちょうど合うような、茸と蝶々の旅立ち。森の中で本を開く。それだけでドラマだ。僕らはお弁 当を広げる。夜はおでんを頂く。昭和だと宣言を止めない温泉でおでんのように茹で上がり、英気を養った。急に眠くなったりしたけど、ぽかぽかと帰ってき た。
そう、君は明らかにはしゃいでいたし、僕も明らかに浮ついていた。森は言葉を置いていく作用をもたらしてくれるようだった。久しぶりの、秋の日。

http://www.forest.minokamo.gifu.jp/tenrankai/20/watanabe_eiji.html

水曜日, 10月 01, 2008

夢がかなう10月 We meets MA again mix

そして夢がかなう10月へ。クラゲの海は明日に持ち越した。温泉くらいにしよう。茹であがってクラゲ刺せない、ゆらゆら打ち上げられ、かき集められた僕ら の抜け毛。動いた末のイコンの下にあるミキサー革命。名古屋をゴミ事件に終始させない。まだ何も終わっていないし、始まってもいない。全ては進行形で動き 続けている。楽しいですと返して、カラオケを阻止していた。あれは音楽大学の教授か何かだろう。アジフライが美味しいと言っていた。刺身には首を曲げ、萌 えるという感情が、私のOSのネイティブには入っていないとは、まだ言えずにいる。ヒールの修理はうまくいったのだろうか。エロ本はまだ刷りはじめること ができない。僕のせいで、いらぬものは擦っているけれど、ラップはできない詩人。アカデミックぶりやがって、と指を刺されてもいい、ここにしか自分の場所 を見出すことができない君のために、僕のために、明日からも動く。本が開かれる。投げ出すように名前から蒸気。怒ってるのかもしれない。もしくは高速を走 るトラックの排気。勢い良く吹き出る。老後の飛距離。猫の湿った鼻頭にリズムよく触れる僕の指が、鉱石を探している。夢の島をかき分け。CDを待つ。ス カートが揺れる。カーテンも、風さえ来れば。サービスじゃない。天使ぢゃなくて社長。せこい経営で死ぬなんて勿体なくて、個室ビデオも漫画喫茶も悲し過ぎ て。そして夢がかなう10月へ。イコンは走る。イコンへ走る。忘れることができて夢になる。
(「夢がかなう10月」は友部正人の同題アルバムより題名のみ引用)