木曜日, 1月 31, 2008

みんな夢の中

HONZI が歌う「みんな夢の中」(作詞 作曲, 浜口庫之助/1969)を行きと帰りに聴いていた。とても優しい気持ちになれた。
それまでは、バスを乗り間違えたり、人生の選択とやらで呆れ返ってしまっていた。
とやかく言ってもはじまらず、目の前にあることを見れるかだけだねと思う。
猫がまるくなる温かいアトリエで、分厚い写真集めくりお茶を飲んでそう思う。

恋はみじかい 夢のようなものだけど
女心は 夢を見るのが好きなの
夢のくちづけ
夢の涙
喜びも悲しみも
みんな夢の中

優しい言葉で夢が始まったのね
いとしい人を夢で掴まえたのね
身も心もあげてしまったけど
なんで惜しかろう
どうせ夢の中

冷たい言葉で、暗くなった夢の中
見えない姿を追いかけてゆく私
なげかないで
泣かないで
消えていった面影も
みんな夢の中

http://www.youtube.com/watch?v=hS0sR-LbzI0



水曜日, 1月 30, 2008

三島由紀夫の演説

電車が遅れるだけで憤慨している。
ホームレスが紙パックのジュースをぶら下げながら車内を行き来しているのを見て、いやんなる。
そんなことに振り回されている場合ではないのに。英雄的な死を枯渇しているからこそ、自らが許容している倦怠を呪うのだな。これは憧れからの受け売りという生理現象だ。
三島由紀夫の演説を視聴する。NY のギャラリーに貼られた写真も続けて見る。
史実がどうだということではなく、実は今がどこから来てどこへ戻りたがっているかをまだ何も知らない。

http://www.youtube.com/watch?v=tzz1-ppIjOg&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=A5nhqEw3fx0

火曜日, 1月 29, 2008

私は確かにここにいる/いない?/いや、それはもはや第一義ではない。

愛知県立芸術大学 芸術資料館は打ちっぱなしのコンクリ壁が引き締まった空間で格好いい。そこで 愛知県立芸術大学 卒業 修了制作優秀作品展/研修生作品展で河村るみさんの作品「autoportrait」を見た。同時に彼女のアトリエでも作品「appearing surface-現れた表層- 」の展示を行っていたので、そこへも行く。
アトリエの壁面四方八方にある 釘を打った穴。それらを点結びの要領で描線で繋ぎ、多面体のような図形を何パターンも描き出した。衝撃はその後に訪れたと文章にはある。この図形に塗った 色層を拭ったとき、壁面の状態復帰の為に洗い落とそうとしたときに、いままで思ってもみなかった色やかたちのイメージが現れてきたという。この衝撃から意 図せずとも存在は残されていたと発見したのだった。
向かいの壁に概要の文章が貼られ、図形の色面を撮影した写真がある。実際のアトリエの壁はいま修復を終えた状態で、ぼんやりと跡を感じる程度になっている。その上に彼女が点結びをしたり消したりの映像がビデオプロジェクターで重ねて投影されているという展示であった。

私はここにいるということが、なぜに嬉しかったかという題目がはじまりそうだった。

私は確かにここにいる。
私は理由も条件も正常も異常も利己性も協調性も化学変化も大型出力も内定も蹴り上げも胃腸風邪も骨折も閉店も公募も年金も実家も徒歩もリニモも助手もジブ リも残業も三十も信心も作詞も朗読も鏡面も羊羹も神様も祖国もジェンダーも息子もニートも蜜柑も犬も猫も花々も紙コップの自動販売機も開会式も飲み会も キックオフもライターも三島由紀夫も煙も iPhone も政策も恋人も特急も往復も持っているだけのオイルパステルも八枚だけのクッキーも備えていなかったとしても、ここにいる。いや、いない?
いや、ここにいる行為は確かにここにいるのだから。
何が、何が嬉しいの?
私はここで何を歓ぶのでしょう。
今日は雨が降りそうだからと手に取った傘は見事に外れ、一人恥ずかしく携えながら。駅では誰も傘なんて持っていない。

話は意図的に長く遠回しにされている。

永田氏と少し話した。さっきまでいた学食で今度はホットのレモンを飲む。
美術はたいへん じゃなくて、美術もたいへん。

河村さんとエレベーターを乗り継ぎ、途中まで地下鉄を一緒に帰った。
安静にしていると不安になるという話を思い出す。
確か、学生運動の時代にノンポリでいられなかった若者たちの話ではなかったか。









月曜日, 1月 28, 2008

政治家ならば当然の、詩人ならば当然の

高校の教室で「夜の Boutique」(作詞 作曲, 鈴木慶一/1995)を横の席の奴と口ずさみ、自分の唇を震わせ闇世を物語る歓びを感じる。

唇がどうこうという表現は、コンビニで立ち読みして買おうと思い ポイントカードの付く書店に移動して買い求めた雑誌に特集されていた 阿久悠の言葉に引き寄せられたのかもしれない。

変な時間に寝てしまい変な時間に起きた。
ひとり台所でトマトとほうれん草にキノコのスパゲッティをつくって食べた。大阪 の橋下新知事は将来 国政に出ていきたいのではないかと見ている。これから数年に渡って実績があれば、今日はそのはじまりになるだろう。

高校の教室だったかあれは中学か、ただ顔ぶれは最近の人々に当てはめられてた。寸劇みたい。

日曜日, 1月 27, 2008

カリフォルニアの青いバカ

死ぬ前のラストパーティ 開こう!
アハハン!
カリフォルニアの青いバカ!
カリフォルニアの青いバカ!
カリフォルニ・ア・の・!青いバカ!

という大島渚イカ天デビュー曲がやたらめったら頭に浮かぶ。下品に語呂がハマるんだ。
くだらない夜更かしをしたくなっても、本気でバカやるのも出来ないのがほとんどなわけで。高尚ぶるのも 無知を晒すのももう同じバカのようなので、行ってしまおう。どんどん。空しくなる前に。バカでもいい。おもしろければ。スタローン氏談。

土曜日, 1月 26, 2008

Don't laugh at my romance.

幻想ではなく、切なさにくれる美大がそこにはあった。随所に出会ったことのある何かと同じものが息づいていた。
「人のセックスを笑うな」(監督,井口奈己/原作,山崎ナオコーラ/松山ケンイチ、永作博美、蒼井優、あがた森魚/2008)である。
「ただ19歳の僕にこんなロマンスは無かった」と書けばいかにもで収まりが良いけれど、自分自身のロマンスも笑ってはいけないという気持ちになる。そんな映画だ。みんなとても素敵だ。これはかつてといまの誰かだ。

大須界隈を歩き、上前津側のギャラリーフィナルテで 折本立身のドキュメント展を見る。折本さんに少し話を伺うことができて嬉しかった。日本でいま何が元気があるかいつも探しているというアンテナは鋭く力強 い。各国メディアで紹介されている「アートママ」は優しくこちらを見ている。名古屋芸大で二年前の芸祭のときに行われた個展でのボクシングパフォーマン ス、ゴールデンバンコクで踊った即興など最高にパワフルだった。

後ろ髪を引かれる思いで今度は大須の西側へ歩いて、アートフェチへ。伊藤正人氏の個展「 Royal Blue Mountain -sight hearing-」の 朗読に立ち会う。四方の壁面に書かれた文字の列は山の青に見立てられ、町を覆う影のようでもある。その真ん中に置いた丸椅子に座って、氏は文章を抜粋して 読んだ。言葉の限界性を見据えようという姿勢が声によって浮かべられるようだった。

たとえ言葉が信じられなくても、切り開いていくものは言葉によってであるし、言葉にならないと笑ってみせても、おどけてみせるのも言葉によってであると考えた。
だから言葉にして言っていかなくてははじまらないと思う。
頭にきたなら「人のセックスを笑うな」でいい。

http://www.hitoseku.com/

http://www.finarte.net/

http://www.technogallery.com/tatsumi-orimoto/index00.htm

http://artfeti.main.jp/EXHIBITION.html#next01

金曜日, 1月 25, 2008

しましまのしまじゃないところ

新栄 カフェパルル「しましまのしまじゃないところ」展の最終日パーティへ遊びに行った。
京都造形芸術大学ゼミにて制作された同題名の映像DVDを配布することを意図して開かれていて、それに併せて名古屋勢の作家らがパフォーマンスやワーク ショップ、ハプニング、つまりは上映の合間に出し物をしていくという賑やかな会だった。上映中も照明を完全には落とさず、フランクに話していたりもすると いう感じも良かった。
特筆すべきは、河村陽介さんによるビニルハウス内に鑑賞者を入れ、煙が充満したところに光を当て、散乱現象を起こすという作品。視界は完全に白の点滅となり、トランスする。身体感覚が麻痺することへの拒否反応のように「すげー!」と自然に声を張り上げた。
そのあと、老人部のシッポナール演奏で一気になごみまくる。カトウトクハル氏のツルツルミカンワークショップもコツコツと盛り上がった。蜜柑の皮の白いと ころを取っていくという一人で燃える仕事を、他の人と共有できる感じは面白可笑しい。今度は火燵でやりたい。世界中のジュースを混ぜた岡川卓詩さんのグ ローバルジュースは、アジアから眺めた世界の甘味感であった。ストローで同時に吸い込んで飲む図に一興した。
そして瀬戸口未来さんの映像作品「ははのははもまたそのははもその娘も」(2005)に見入る。温もりのあるテンポで続く言葉と、ねっとりと動くイメージが合わさって語られる視線は力強かった。

お腹いっぱいになって、終電で帰る。DVD を家で見るのも楽しみ。尾崎裕太さんの絶対に完成しない「付録」を切り取って、無理矢理 何かに見立ててみようかな。

http://www.kawarasaki.com/simasima/index.html

木曜日, 1月 24, 2008

風が怒っているみたい

通路で居合わせたときに聞いた
「風が怒っているみたい」
という比喩に驚く。
何かうまく言わなくてはいけないという責務とは別の次元から顔を出された気分になる。
責務感だけでは本領発揮といかないのだろう。

カレー二日目。自分の仕事で自分を助けている。生理的にそれを実感していると言えるのだろうか。

水曜日, 1月 23, 2008

がみがみ辛口のおじいさんカレー(まだ見ぬタイ国と見知ったユーストアによってもたらされた)

ユーストアの火曜特売で買ってきた野菜とお肉を用いてカレーをつくった。煮込むときにタイのウー君にもらった赤い香辛料を入れる。万能ダシみたいにコクが 出るけれども、科学旨味調味料でもない。おかげで短時間で濃厚カレーの完成。ガミガミ辛口のおじいさん風カレー。僕はルーを少なく、白ごはんとのコントラ ストを楽しむのが好きだ。しゃぶしゃぶではなくどっぷりなおじいさんカレー。なんでおじいさんなのか分からないけれど、自分でしっくりきちゃってる。これ で明日の晩ご飯も安泰だ。

火曜日, 1月 22, 2008

日本以外全部沈没

「日本以外全部沈没」(監督,河崎実/原作, 筒井康隆/原典, 小松左京/村野武範、藤岡弘、、小橋賢児/2006)をひとり鑑賞。
ブラックな批評精神(筒井康隆)に悪ノリのB級テイスト(河崎実)が合わさって、もう誰も止められない。これを外人と一緒に見ることができたなら、更に仲 良くなれるだろう。北の独裁者たちと最後の火を見つめるところでは不覚にもグッときてしまった。人間はみんな幸せを求めてこうしているのだと。
ひれ伏してすぐにシッポを振ってもいけないし、利己的に自国のことばかり言っているのもおかしい。株が大荒れだという報道など聞き流し、今日も地球はなんとか回ってくれていた。

http://meta.yahoo-streaming.jp/cgi-bin/yahoo/movies.asx?cid=20061225003it0000movie1m

月曜日, 1月 21, 2008

音韻

名古屋造形大学 U8project コンテナスペースにて学内企画ライヴ「音韻」に参加。ほとんど野外での会となっていて、極寒の厳しい環境だった。でも多く集まって頂く。立ち見の観客は震えているのかノッているのかおそらく自分でも分からない。
はじめの登場は男子二人女子一人による「秘密楽器」。みんな違う機種のラップトップを駆使していた。続いて、沖啓介さん EVI、山田亘さん 篳篥、村田仁 詩による即興。十分ほど後に静寂。臼井康浩さんのエレキギター、インプロビゼーション。最後は全員で。終わって、今度は四月にお会いしましょうと挨拶。大 学は春休みに入るのだ。

もはや常連と化した春日井駅前の飲み屋で打ち上げ。ビールジョッキ二杯飲む。注文が遅くてお腹空く。クジラのベーコンを食べるときに シーシェパードの話をした。自惚れだ あれはと。
ライヴをビデオ撮影してくれていたので、YouTube に上げてねっ!と勝手にお願いしてしまった。僕は、秘密楽器のリハーサルを少しケータイムービーで撮っていた。

http://jp.youtube.com/watch?v=S7HjYcSyNWI

日曜日, 1月 20, 2008

ゆっくり眠って

つぶやきだとしても、どうでもいいものじゃない。
玄関先で猫の鬱がキャットフードを胃からもどしている。
君はボールペンで e-price のらくがき帳に顔を描いた。
撫でると擦り寄ってくる。冬は猫の可愛さが倍増する。本当に。
胃腸風邪だったんだとメールで知る。お大事にという言葉を返信する。
君が生きてきた年月を数える前に、歯を磨いて髭を剃ることにする。

雑誌「SWITCH」に、鈴木慶一と曽我部恵一の対談記事あり。JRの書店で立ち読みした。生まれてはじめて唇が荒れて痛かったので、生まれてはじめてメ ントールのリップを購入した。マツモトキヨシで 98円。オリジナルものっぽい。塗るだけで断然良くなる。夕食は水炊きを頂く。チューブの柚子胡椒とポン酢。長野の地ビールがすっきりしていて美味しい。 白銀に光る髪はふさふさと揺れた。パソコンはスピーカーを切り捨て茶の間に君臨するという常識は毎週同じ時間にやってくる姫様みたいなものだ。ダブルケイ イチのレコードセレクション。こちらを見てくる二人の男。僕ではなく俺、ときにワシ。アタシも使い分ける軟弱なポリシーは見極める耳を持つ。もうとっくの 昔に跳ねっ返りの聴力は失われたという。ガラス板がステージ上には置かれる。姫の歌を。僕はまだ犬の歌を。その晩は、猫と犬を連れて家族で旅行をする夢を 見た。

土曜日, 1月 19, 2008

There’s something in the air.

電話口で「あれはコンセプトマシンですよ!」と興奮して言った。
驚愕の新モデル、Mac Book Air のことである。まさに未来を示唆して作り上げられている。昨晩の帰りにガソリンスタンドが道に無いときに、これはワイヤレスで入れるんだという冗談を言っ ていた。出先で DVD を焼くことはできないが、そのかわり空気の如く軽い機体を手に入れることができる。買わなくてもこの刺激がアップルの楽しさだわ。ボロは着ててもパソコン はマック。

http://www.apple.com/jp/macbookair/#ad

金曜日, 1月 18, 2008

裏打ちされた自信とそうでない部分を交錯する

名古屋芸大で会田誠の講演会があり、日中はそれを見に行く。さすがに大勢の聴講者が詰めかけて来ていた。会田さんはとても正直な心境を語っていた。それは そのまま自分がこういう有り様を見ようとする自信だった。自信からはじまった意識は実現に向かう。フェイクでもポーズでもなくそのまま露骨に向かう限界地 での戦いだと思う。

夜、藤が丘の直指天ギャラリーにて永田圭氏と友清ちさとさんの二人展「PART TIME GOD」のオーンプニングで詩を朗読した。ニュースペーパーズとのインプロビゼーション、紙をまるめたり開いたりしながら繰り返す。言葉の波打ちぎわ。裏 打ちされた自信とそうでない部分を交錯する。
二十分ほどのライヴのあと、立ち話をして、同じビルに入っているカフェで来てくれた面子とお茶をした。ライヴ自体が良い感触であったことを皆の反応を聞いて感じ、嬉しい。
帰りは マーキー号 オリーブ II に乗り合わせた。途中、ガソリン切れになりそうな事態があったり、食事に入ったサイゼリヤで頼んだワインが酷かったりで、わあわあ言いながら飲む。今日で 昨年末から日本に来ていたセバ氏ともお別れ。家の前でハグをして握手をする。不味いワインが残った口には煙草と水でゆすぐと良いよと少し吸わせてくれた。 彼の紳士な姿勢がいろんなものを穏やかに進ませているように思った。

http://www.mizuma-art.co.jp/artist/0010/

http://artholicfreepaper.blogspot.com/2008/01/part-time-god.html

http://soviet1917.wordpress.com/

木曜日, 1月 17, 2008

異常へと遂げるもの

地球温暖化の反動で冬もきっと異常に冷えたりするのではないか。
異常気象とは前例の無い現象なのだから、説明が追いつかないはず。
前例があるのに繰り返すのは不毛な男の為せる愚の骨頂。「このままでは何も変わらないよ」と自分で返した言葉を反芻する。そう、何も変わらない。
朝起きて、頭痛はおさまってくれていたが 心にはぽっかりと空洞があった。陳腐な表現のようだが、ぽっかりという言葉が浮かぶ。説明が追いつかないのではなくて、分かりきっていることを見ようとし ないだけ。今夜はちゃんとデロンギヒーターをつけて温かくする。日中にしかできないことを整理し、いましか守ることのできないものを語るのだ。

水曜日, 1月 16, 2008

凍える行い

部屋のなかで凍死してしまいそうなくらい寒い。夜は何もできない。手がかじかんでキーボードもケータイも打ちにくい。猫の鬱がおとなしくなってくっついて くる。お湯のシャワーをたくさん出して、もくもく湯気で視界が真っ白になるのを受け止める。全身で自らを省みて、痛感する。足りない意識が降りてくる。頭 痛がしてきたのでノーシンの類いを飲む。ぼんやりとしたまま寝た。

火曜日, 1月 15, 2008

戦いの化身

昨年末のハッスルなんて真剣に見ている場合じゃないんだが、高田総統の「戦いの化身」という ザ・エスペランサーは完全に格闘ゲームのノリでおかしくなってしまい最後まで見てしまった。見えない飛び道具レーザービターンとか、ネーミングセンスが悪 のり趣味全開なのもマッチしてる。無邪気に興奮する場面には、単純明快な解釈が良いのかも。「戦いの化身」は何体も存在していて、本体はいつまでも倒れな いという特撮ヒーローものの設定にも唖然とする。僕の「戦いの化身」は何という名前だ!?

http://www.youtube.com/watch?v=AkSsjTKClQQ

月曜日, 1月 14, 2008

おわり、はじまるこよみ

昨年は伺うことができなかったのだけれども「こよみのよぶね 2007」のエンディング、左義長へ。岐阜の長良天神にてしめ縄や書き初めを燃やす。二日に書いた僕らのも放り込むと半紙は一瞬で黒く縮んでいった。昨年 長良川をながれた暦の数が軸になっていて、それが火のなかに入る。日比野さんが「こよみのよぶねのこころ」を読まれた。
空は白く、煙は木よりも高く見えなくなっていく。
遅い初詣とおみくじはふたりして同じ大吉だった。
それから料亭宿の一室で新年会に座らせて頂く。舌鼓、賛礼。今年の暦について話しているうちにすぐ帰る時間になる。
移動中も仮眠をとって夜の別地での打ち合わせに備えさせてもらう。その帰りも車で送って頂く。深夜なので がらがらの国道を飛ばす。

http://www.dnaand.org/blog/index.php?itemid=346

http://www.dnaand.org/blog/index.php?itemid=344

日曜日, 1月 13, 2008

姫は素のまま呆れ返って我々をあしらいたもうた

帰りが遅くなったというのに眠ることをしない野郎たち。なかなか陥落せず粘っていたおかげで、唯一のソファーは姫に取られた。しかしアトリエ発動と同時に またもや最低の極みを見せつけあったものである。明け方、お腹が空いたのでコンビニに行く。銀杏をひとり歌っている間に口内炎が出来たみたいだ。しかし蹴 散らしてとうとう走り出した。

「眠り姫」(監督,七里圭/つぐみ、西島秀俊/2007)に詩人が出会うという朗読会に行くことができなかった。

http://www.nemurihime.info/

土曜日, 1月 12, 2008

人を愛した喜びや 心が通わぬ悲しみや

雨が止んでも空気は冷えきったままの日。

池中玄太80キロの西田敏行は、アラレちゃんのセンベイさんのモデルかも。
「もしもピアノが弾けたなら」(作詞, 阿久悠/作曲, 坂田 晃一/1981)は二番の歌詞のほうが好きだ。

http://www.youtube.com/watch?v=cBe_IXSy-Ek&feature=related

金曜日, 1月 11, 2008

んちゃんちゃ あたしのりまきあられ くるくるめがねのおんなのこ ほんとは、これナイショ ロボットよ

アラレちゃんの終わりの歌はとてもせつない。
ロボットが人間に焦がれる寂しさとアラレちゃんの甘い声とが合わさって、せつなさ倍増である。何故かときどき急に思い出す。アニメが終わってしまった寂しさとも合わさって小学生のときに見ていた。
基本的にアニメのエンディングテーマはセンチな感じのが多いと思う。いっきゅうさん然り、ガンダム然り・・。短くてすぐに終わる歌に思いが凝縮されている。
口ずさむとまたせつない。
雨の降る夜道でとぼとぼ歌う。
映画「学校」(監督, 山田洋次/西田敏行、萩原聖人、裕木奈江/1993)のなかで、とぼとぼ歌う名場面があった。終わりの歌ではないけれど、アトムだったはずだ。あれはとぼとぼソングのせつなさ満点もんである。

アラレちゃんの歌に戻ると、なんて唐突に終わる自己紹介なんだ!とまたグッときてしまった。すごく彼女と距離が縮まった感じがする。でもロボット!相容れないのかって 不憫に思えてくる。

http://www.youtube.com/watch?v=r4VS_X8ceBU&feature=related

木曜日, 1月 10, 2008

「重曹」をまく

年が明けてから大掃除をしている。浴室やトイレ、流し周り用と別個に洗剤を買うのが嫌なので何か良いものはないかと話していたら「重曹」が良いと教えら れ、先日購入してみた。これが驚くほどよく落ちる。安いし、体にも安全で、環境にも良い。汚れに触れるようにまんべんなくふりかけておいて、十分ほど経っ てからこすると 簡単にぴかぴかだ。もう洗剤は要らんなこりゃ。いままで茶しぶ落とし用くらいのものと思っていたのは浅はかな知識だった。洗剤メーカーは「重曹」の存在を 知られないようにしているんじゃないかと冗談ながら話す。

名古屋市内の問屋街にあるエビスアートラボで「Plants」というタイトルの展覧会オープニングパーティへ行く。新年の挨拶みたいな感じ。柴田さんと、 落合氏が出品していた。あけましておめでとう。あまりゆっくりできなかったけれど、作品の額が皆 同じものに統一してありサイズも近かったので、フラットにまとまった印象がある。カオスでモサモサッとした感触にやや焦がれる。

そのあとガストの駐車場で同郷話に花が咲いた。
帰宅してまた「重曹」をまく。

http://www.artlabo.net/gallery.htm

水曜日, 1月 09, 2008

1・18 "PART TIME GOD" 展、オープニングにてライヴ参加、詩の朗読

information です。展覧会のオープニングにて、ライヴに参加します。

■"PART TIME GOD"
  友清ちさと 永田 圭
  展覧会オープニングセレモニーにてライヴ。詩の朗読。

日時・2008年1月18日(金)19:00より
   入場無料
(展覧会は、1月31日まで開催。15:00-20:00 会期中無休)

会場・ART GALLERY 直指天
   名古屋市名東区藤が丘116 askビル 2F
   ※地下鉄東山線藤が丘駅 下車 徒歩2分
   http://ask.gdad.jp/access/


夕飯、水炊きを食べていたら、ためしてガッテンで水炊きの特集をちょうどやりはじめた。なんだかおかしくて美味しかった。食べ過ぎか少し腹痛。でも嬉しい。

火曜日, 1月 08, 2008

ネットカフェで死ぬのはいやだ

昨晩遅くに再放送していた「ネットカフェ漂流」(ディレクター, 高橋龍平/フジテレビ/2007)というドキュメントは凄かった。他人事には思えず、録画しながら見入った。

日雇い派遣で働くネットカフェ難民たち。家は無く、一時間百円の激安ネットカフェに泊まり込む。その金も無い夜、野宿ができない冬ならば、夜通し歩き通して始発が出るまでやり過ごし山の手線に入り込んで寝る。東京はもはや金の無い者も飲み込んで動いているのだ。
そこには現実から逃げ惑う生活があるように見えた。何の潤いも無い日々が延々と繰り返されていく。悪いのは本人に限ったことではなく、不運と不遇。そこに塞ぎ込んだ一瞬のことが閉塞的にさせていた。それには可哀想だと同情する。
何もそこまでして東京にしがみつくことはなかろうにと思うところもあるが、ならばお前もそこまでして詩など書くことなかろうにと繋がるわけで、しみじみ画 面を凝視したのであった。どんなセレブでも、無一文で頼るところも一切無くなって放り出されればネットカフェに行くだろう。
取材を受けていた難民の男性の歩く速度はせわしない速さだ。話しかけることができない、威圧的な歩き方である。文句を抱え込んでるのはそれに出ている。東京を恨む目はそのまま自分に還ってくる。東京をそうさせているのは自分なのだ。
夜は長く、朝は悲惨である。ネットカフェで死ぬのはいやだ。
豊かなリクライニングシート、貧しい眠り。夢なんて見れない。

番組ディレクターは、彼が自分と同世代だということを意識する。
社会復帰を支援するボランティア団体を紹介すると、一時は すねられたものの、なんとか相談に行き、だめもとで頑張ろうかなと言う。僅かな光明を覗かせて番組は終わった。
自己中心的で恥ずかしい感想のようだが、自分がいまこうしていられる境遇に感謝する気持ちになった。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/16th/07-174.html

月曜日, 1月 07, 2008

猫の鬱はイケメンが好きだ

社歌が流れるなか遅刻する社長。休憩時間は彼女と電話しっぱなし。
らしいわよと聞く。気にしてらんないよ。ヤフーのトップニュースは過ぎ去って流れてくれるからラクだ。

残業帰りに、駅で肩を叩かれて「オッ」と声を出してしまう。

新年仕事はじめの日に入る居酒屋はガラガラで、若い主婦のパート仲間みたいな一組が騒いでいるだけだった。鯛の煮付けが美味しくて、箸でほじくる。しっかり目ん玉を二つ食う。目ん玉は目にいいはず!と英語で力説す。

今年ももう一週間経ってしまったんだなと、毎度ながらの感慨を思う。時は金なり。光陰矢の如し。見る前に飛べ。泣く顔も描け、自画像なら。明日も早いよ おやすミトコンドリア。

追伸・猫の鬱はイケメンが好きだ。やっぱりそうだった。今日、長髪が色っぽいセバ氏に会ったら、指にすりすりして おすまししてやんの。帰ったら、僕にガブーッ!

日曜日, 1月 06, 2008

あるリアリティのために(仮)

彼女のお父さんは犬が自然に口にする雑草についてを研究していた。壁が全て本棚になっているのが書斎と呼ばれるゆえんで、腰より下に位置するところにある 全集の一冊を押し込むと、それは深く動いて奥の部屋に移動できる仕組みになっていたのだ。こんなからくりのある家はそうないはずだと彼女は思った。これは 007 の中の構造であって、この現実空間はスクリーンではないと続けた。正月休み最後の日曜の今日は、お父さんがその奥の部屋に籠っている。そこでは労働ではな く、休暇というものが行われているはずである。近くの駅に並ぶ高校生たちは、冬休みに行われる弓道大会に出るため隣り町の知らない高校まで向かう。部活の 先輩が言うには、そこの射的場の設備はうちのより断然良いらしい。先輩はそこで何度も苦渋を飲んだらしい。苦渋とは汗だけではなく、血も混じっている。彼 女にはそれを信じる純粋さがまだ残っていた。隣町に向かう電車のなかで、先輩は中吊り広告に印刷されている浅尾美和の笑顔をずっと見上げていた。浅尾美和 は赤いビキニを着て爽やかに笑っていた。よくグラビアアイドルがする男を誘う計算高くいやらしい目とは違うなと対比してそれは先輩の目に映った。車両には 弓道部員の同級生二人と後輩が一人、見上げている先輩が一人。それと向こうの席に青いジャンパーを着た男の人が一人だけいた。もうすぐ隣町の駅に着く。彼 女のお父さんはその瞬間も奥の部屋にいた。ずっと、こんど家にやってくる犬の名前を考えていたのだ。部屋には手前の書斎と同じように壁は本棚になってい る。奥の部屋だからといって、猥褻な本があるわけではない。研究分野は同じで地続きの本が並ぶ。こんど家にやってくる犬もメスだ。お父さんの携帯電話が 鳴った。娘からのメールである。高校に入ったら何部に入ろうかと迷っているらしい。文末には困った風にあんぐり口を開ける猫の絵文字が動いている。お父さ んは手前の書斎に戻って、そこでラップトップから携帯電話のメールアドレスに返事を打ち始めた。無線が奥の部屋には届かないのだ。

土曜日, 1月 05, 2008

ペンギン村を深読みするのはやめて、ここだと言ってしまおう。好きな言葉だから。

河童の肉は緑色をしているらしい。
大いなる母は、なんでも段ボールで進ませる。ゴミは出さない。みんな食べることができるようにしてあるという。
僕らは雑魚寝専門の素人専門だ。いつも楽しくなりたくって仕方ない。メールを弾いては呼んでいる。ここに温泉が湧いているよと。
ペンギン村を深読みするのはやめて、ここだと言ってしまおう。好きな言葉だから。

金曜日, 1月 04, 2008

ボラティリティが上がろうとしていた

警視庁公認のおもちゃが僕らを見ていた。ちゃんと駐車場に停めて、駐車券も取ってきたのはさすがで成熟度を意識させるものであったが。
今年もよろしくと切り出す前に、既にタレコミが動き始めていたのだ。夜の、ある時間に備えて、ボラティリティが上がろうとしていた。これは覚えたての言葉という歓びだった。
暗転、即ちブラックアウトの瞬間にだけ 生きているという実感を強く受ける。僕らはおかまいなしにラーメンをすする。ずるずると音が鳴る。この歓びに備えて、またボラティリティが。

木曜日, 1月 03, 2008

野郎たちのおもちゃは日本製

新しく開設された私的映画館にて「トランスフォーマー」(監督, マイケル・ベイ/シャイア・ラブーフ/2007)を男子三名で鑑賞する。
当初 四名の男子で見る予定だったが、デートの約束があるからと上映前に帰ってしまい三名となった。トランスフォーマーではロマンティックにはなれない。
はなっから、あらすじや展開などどうでもよい。そんなものはアメリカお得意の宇宙人来襲戦争なのだから。用意された明らかな正義の前に現れるのは、うっと りするくらいカッコイイ僕らのおもちゃ トランスフォーマー日本製である。キュイキュイ、シャキーンと美麗に変形変身なめらかトランスフォームの連続がこの映画のキモ。なんでわざわざ市街地で戦 うのかなんて突っ込んじゃいけない。町中にコンボイ、ドバババッ!と手で超合金を握って遊んでいる気分になるから。あ、タカラだから超合金ではないけれ ど。そんなオタクなツッコミを、米軍協力のもと最新機も揃い踏みで撃ち込みまくるのであった。パツキンねーちゃんもどうしてそんなに勇ましいんだ。逃げた り隠れたりするトランスフォームなんてはなっから無かったか。ドジ踏む役のビートルも見たくなった。野郎たちのおもちゃは、車にロボットに女に戦争。シュ プレヒコールで呼べよコンボイ。同じスクリーンでコンボイの謎に繋ぎたかったけど、監督のコメンタリーを聴きながら寝てしまった。このおもちゃは脅威じゃ なくて、虜にさせたんだね。

http://www.transformersmovie.com/

http://www.youtube.com/watch?v=wl2k37U3vcs&feature=related

水曜日, 1月 02, 2008

マフラーに焦がれる神様

家族が笑うのはマフラー。
手で結び、編まれたマフラー。
おせちの食べ歩きをしているみたいだ。
バス停をチェックをしては、いろんな眠気を口ずさむ。
猫は刺身の匂いに気付く。
マフラーにそばえて、すぐ横になる。
誰も正しいことを押しつけることはできない。実は神様がいちばん寂しがりやなのだ。
深夜映画では、語ることをやめないぞという気概が語られていた。
僕らはぼーっと見ながら梅酒を飲んでいた。
トイレでは常に一人だと主張していた友人はどこで正月を過ごしているのだろう。
猫の鬱は布団に潜り込んでいるかしら。
騙した者への報いについて、映画は続けた。

火曜日, 1月 01, 2008

外は正月みたいな空

あけましておめでとうございます。
2008年も、よろしくお願い致します。

「青空のマリー」(作詞, 佐伯健三、ムーンライダーズ/作曲, 白井良明/1982)を聴く。
走る電車のなかでずっと眠って、これを聴いていたら iPod が壊れた。
きっと切な過ぎたんだと思われる。
猫の鬱と新年の挨拶。今年もブニャッとね!