月曜日, 7月 31, 2006

わからなくて理解できないけれどこの国を見ている

午後三時四十分に、旧師勝町郵便局にて飛行機代と保険代を含めた料金を振り込んだ。原付で急いでかけつけて間に合った。気づくとガソリンが少ないので、セ ルフ給油に入れに行く。四百円もした。晩は、お好み焼きでもして、福岡氏らを誘おうかと電話したら、逆におよばれにさせてもらった。真坂氏が bnap05 のカタログ原稿を印刷屋より受け取ってきてくれて、僕も一部預かる。作品ステイトメントの英訳や、各種文章の確認が次の仕事だ。ここのところの映画のよう な現実についてを断片的に話す。バイオレンス度は、これを受けて返された別の友人のエピソードのほうが壮絶だった。いまも理不尽にレバノンで爆撃を受けて いる人々はいるのだし、実親に殺められる子供もいるのだ。思考停止は悲しい。悲しいことに打ちひしがれている姿を、鏡に見ることができるのが人間だったは ず。学校や家族は何も言ってこなかったのか。僕自身の作品についてはあまり話さず、福岡食堂ならぬ夜の福岡亭で鯵などを頂く。僕らはワインと以前作った手 作り餃子の冷凍をお土産にした。めちゃくちゃな取り合わせで、何のとりとめもなく会話は中断と進行を行き来し、まだまだ Mac のイラストレーターの奥は深いのだなと、マスク処理とかが出来ずムキになる。お酒の席でもポーンと起動するのは悪い癖かもしれなかったが、そんな外見の判 断ではなく、皆で今回の bnap06 のホームページを見て笑った。出品作家の顔写真や作品に履歴、昨年の bnap05 記録写真も数枚あるが、その写真がどこか偏っていて、クレイジーヤーパンなのである。

http://sitescenes.hfk-bremen.de/

日曜日, 7月 30, 2006

図書館、映画館、電車で眠る酔っぱらいと同じ格好

この町内にてもうひとつの夏祭りが開催されている。
西図書館に行く。
一年に二回ほど行われる「ブックリサイクル市」だ
この会場に入ると、本好きは腰を抜かしてしまう。僕は、大学に在学中の頃から通い続けていてこれで三回目になる。
図書館が不要になった本を、一人十冊まで無料で貰えるというもの。雑誌類に人気が集中するらしいが、それだけではない。この図書館が抱える人文書、科学、芸術、歴史資料の類いは幅広い。何より天文学類に関してが多く、星の位置を記録した数値表や月の暦報などが大量にある。
これらを前にして、打ち震えながら物色していると、一人十冊までという張り紙が「何冊でもご自由にお持ちください」と書かれた紙に張り替えられるのだから更に悶絶させられる。いつも友人周囲に凄いぞと宣伝している祭りなのだ。

今回は真坂氏に車を出してもらい、昼からの出陣となったので、着いた時には既に冊数無制限の無敵状態になっていた。「1-1の出発点からスターでピカピカ光ってるぜ〜っ!」と、頭の中にマリオがスターを取ったときの音楽が鳴り続ける。
あるわあるわのバカスカ、本採集。持ちきれないので机の端に積ませてもらって、更に回る。会場は広く、見落としたタイトルも多いのだ。一緒に来た面子も無言で本の背をチェックしている。
みんなが集まってくるまでの間、先に会場に来ていた川口さんとロビーで久々に話した。言葉自体が目的であるような会話だった。彼女は既に本を貰っていて、茶色のアミアミで伸び縮みする袋に入れていた。
こんなに放出してしまって、この図書館は大丈夫なのかと毎回思う。おそらく借りられている数、即ち人気度などから選ばれているのだろう。今回は市に合併し てから初めての放出だから、そこらへんも絡んでいるのかもしれない。旧西春町図書館のときは、天文学に力を入れるというコンセプトがあったはず。それが薄 れてきているとしたら、なんだか勿体なくも思う。このブックリサイクル市は大好きだし、本の収蔵量の限界もあろうが、図書館に置いておかなければならない 本もあるはずだからだ。
まぁ、若造にとやかく言われるほど馬鹿なこたぁない。この会場で受付の図書館職員に
「この本は図書館に置いておいて下さいっ!」とけしかける客はおそらく居ないが、そんな再現ならぬ未現VTR を想像してしまった。
僕らは一人三十冊余を手に入れ、ほくほく顔で戦果報告をまたロビーでし合った。リサイクル市会場の手前がロビーになっており、ジュースの自販機とテーブルに椅子、朝日新聞のニュース掲示板などが置かれている。
さっき持ちきれないからと会場内で机に本を積んでおいたとき、他の私物も置いておいたのに、つばのついたキャップを被った男にそれを物色されていた。福岡 氏がヤバいと教えてくれたが、僕自身は何故かことの成り行きに任せようといってそれを止めなかった。おかげで蛭子さんと ひさうちみちおの漫画が抜き取られてしまっていた。だが夏目房之介は残っていたので、まだまだ甘いなとひとりニンマリしてしまうのであった。

部屋に本を運んでもらってから、今度は単身で名古屋市内に出たりする間「何故、あのとき事の成り行きに任せるなんて言ったんだろう」とずっと思い返していた。だがその答えは分からなかった。

伏見のミリオン座にて、またもや浴衣売りのバイト帰りである彼女と映画を見た。彼女が浴衣を着ていたので偶然にも安く入ることができた。そんな浴衣キャン ペーンサービスの明記はネットにもどこにも載っていなかったと思うのだが、ラッキーだった。オレンジジュースとチョコレートドリンク(これは僕に)を買っ て館内へ。これら飲食物の値段が安めな気がした。

レイトショー、「ゆれる」(監督,西川美和/オダギリジョー、香川照之/2006)を見た。
僕には弟が一人居て、実家にいるので、それを思い出し続ける鑑賞となった。自分の家族についてのことを置いたままで、この映画については語れないと思った。
どこにでもあるのだけれど、見つめられることはなく流れていく、心の露になった姿。実際の家族は、これらを通り過ぎていく。家を去る者も、家に残る者も、どちらも責めることはできなかった。
分かることと、分かろうとしないこと、その間でゆれるという言葉も必ずかかってくるのであろう。オダギリが主人公で、彼は心が露にできるところへ向かっていった。
穏やかで賑やかな映像が奇麗だった。甘さがちょうどいいケーキのような。適切具合。

映画の前に、ドイツ行きの餞別だと彼女に靴を買ってもらう。黒のバンズのハイカット。頑張って色のついた紐も買ったけど、部屋に帰って畳の上で履いたら、先日の夏祭りの中ガキ生みたくお洒落してる感剥き出しなので、取りやめて普通の白い紐にした。
想像力が足りないぜ。買い物への免疫力がますます落下の極地だぜと我ながらしつこい。
貰ってきた本のうちの、数冊は彼女の仕事に良さそうなチョイス。
ダイアン・アーバスの評本は、写真が少ないからやめようと戻したら、速攻、真坂氏にゲットされてた。福岡氏も、部屋の置き場所がと言いつつも三十冊いってたぞ。
また、映画のストーリー読解力の低さ具合も露呈するときは、帰りの電車の中で、僕は横で体を広げて眠っている酔っぱらいと同じ格好をしていたそう。

http://www.city.kitanagoya.lg.jp/tanoshimu/tosyo/index.shtml

http://www.yureru.com

土曜日, 7月 29, 2006

既視感をスライドさせる

蒸し鶏と生姜のチキンライス。味噌ダレをかけて食べる。実に美味しい。

今日も昨夜と同じ夏祭りが催されていて、これは既視感ということではなく、現に二十四時間前も同じことが行われていたのだ。同じ中学生がわんさか行き来する。僕はまたバイト先でそれに遭遇する。退勤時間が異なるので、それだけを目指す。
「昨日と同じ一日だけは嫌だ」と言っていた芸能人の名前を思い出せない。その言葉だけを覚えていて、憧れたような、自慢めいていると呆れたような。

それから偶然にも浴衣売りのバイトをしている彼女の仕事あがりと時間を合わせて、中学生らのラブストーリーの間を横切って帰った。アンプで増幅された演歌 歌手の歌声より、和太鼓が鳴り響いているほうが疲れなかった。おじさんおばさんらのチームによる笑顔の踊り太鼓。これが更に緩むと「よさこいソーラン」に なっていくのだろうなと思った。その気は無いし、その空間も無いことがまだ良いのかもしれない。子供と大人の遊離具合は露呈されない。テキ屋の合間、合間 に商店街の各店が出店を出している。金物屋の前では水風船ヨーヨー二百円、文房具屋の前では靴下が三足で五百円。横の駐車場スペースにたむろして、いか焼 きをがっつく中学生たち。焦げ付いたソースの香り。
夏休みははじまったばかりだ。
誰が祭りの真っただ中で靴下なんぞ買うのだろう。しかも普通にも安くない値段で。

僕らがひとつだけ選んだのは葡萄飴、一ヶ二百円。薄い飴の中に本物の葡萄が入れてあり、食感の違いと甘味が重なる。食べながら歩いていると、おじさんが金魚をあげるとビニル袋を差し出された。もらっても猫の鬱の餌になっちゃうんで、断った。

蒸し鶏と生姜のチキンライスを食べて、携帯メール行き交う。幕を降ろせば、切りよく映画が終わるのが分かったと送る。スライドする既視感。数編に分かれていくこの頃。

金曜日, 7月 28, 2006

郊外の商店街夏祭り

ここぞとばかりに気合いが入った中学生のお洒落な出で立ちが、大勢詰めかけ大挙している。西春駅前商店街、北名古屋という郊外のお祭り縁日。祭る対象など 無い。お寺に続く道とか、山車が出るとか、そんなものは一切無い。みんなで、がやがやわいわいしているだけ。ナンパだ喧嘩だと欲望に余念無く、子供っぽい ことを必死で避けようとする子供っぽさの連中が騒いでいる。ぼったくりテキ屋が並ぶ道の終点はコンビニだった。一気に日常に戻ってしまい、覚めた目で要領 よく水分を補給する中学生たち。ところどころに高校生、専門学校生くらいのヤンキー。美大生は通りでボランティアに勤しんでいる。とんでもない人ゴミだっ た。ゴミを次から次へと捨てていた。何も見るもの、祭るものが無いから、彼らはあても無く彷徨っているだけだった。
浴衣姿のあの子にアタックし続けている男の子。
浴衣姿で缶ビール片手に駐車場の地ベタに座り込んだ女の子。
ショートホープの箱が散乱している。
レコード会社から派遣された演歌歌手のしつこい声がハウリングしている。飲んだくれと勝ち組夫婦に負け組息子たち。何度も何度も60円のパンを買いにくる。
楽しい雰囲気が楽しいのだろう。
だが、楽しいものはみんな知らない。それを求めている雰囲気そのものだけ。
ティーンズたちの夏はその葛藤が主を占めよう。
子供とは呼ばれたくない。

子供扱いされる大人、大人扱いされる子供、大人みたいな子供たち。一万円札が行き交う。
そして頭を下げ、うっすらと感動する。ありがたし。
助成団体をしらみ潰しにしたあとは、僕が助成団体にならねばいかぬ。
僕もかつてこんな中学生だった!
祭りを失ったままで、自己内祭りをしていた。

木曜日, 7月 27, 2006

ちょっとツラインダ

「まさしく ”家には帰れない” ですね!」
そう僕は電話で言い切ったが、そもそも浮遊する心にとって、ここが家ではないのだった。家が家に見えなくなるとき、世のお父さんは長距離切符を買ってしまう。「お父さんは心配症」(岡田あーみん/1983-88)、それは事実だ。
子供が独り立ちして居なくなった部屋は、二人だとがらんとしている。家族の言葉が話される前は、二人でも狭いと言っていたのに。
猫の鬱がずっと窓の外を見ていた。
僕はぽっかりと自らの胸に空いた穴を抱え、花を用意することでもできず。梅干しを天日干しにしたり、しまい込んだりした。
晩には言葉が返ってきて、ちょっと元気を取り戻した。
僕と彼女は、車を持っていない。
僕と彼女は、家族の言葉を持っている。
僕と彼女は、晩年を知らなかったはずなのに。
遠い目になってしまうのが悔しい。
もとの現実に戻されると急に映画の内容は、ドキュメントになる。
もともと、僕はそれだった。
用意された花、家族のような言葉、そのレベルに相当する暴力と狂気。家の中に散乱した生きるか死ぬかがやってきて、映画のように見え始めたのだ。
映画は人生の縮図だとか、映画を見ている間は全てが充実しているとか述べていた自分が、その中にいるようになるとは、人生は一皮剥ける度に、生きるか死ぬかだけが露になってくる。
大学での言葉が眠くなってしまうのは、それを保留しているからだ。学生映画にその突破口があることは、めんどくさがられて知られない。

昼間に部屋で一人聴く、鈴木慶一と高橋幸宏による「THE BEATNIKS」。これはネオビートニクを提唱していた?こんなに呑気に?
落ち込んだときにもめんどくさくない音楽。奏者も個性的でメロウでいいね。
梅干しがちゃんとしまってあるのを、猫の鬱と君が褒めてくれた。
僕らのキャラクターを認識して、これを脱ぎ捨て、映画やユニットワークに奔走しようか。手を繋いで単館系へ。
いまはパンツ一枚で畳に寝転ぶ私だけ。
「ちょっとツラインダ」(THE BEATNIKS/1987)。
君がイビキをかいている。

http://www.youtube.com/watch?v=7htU-hiCAGE&mode=related&sea

水曜日, 7月 26, 2006

メイドと夏休みの宿題

中学生の一部の男子が血気盛んにハマっていったパソコンのアダルトゲームの設定は、大概こんなものだったなと思った。
当時まだ不定形であったその願望図は、いまや一様式とも呼べるスタイルとなった。全国のオタク男子は夢のかたちを得たと同時に、世界の有り様を眺めることができる位置から転落し、自らの憎悪や欲望を認識することが難しくなったようだと考える。
その姿を嫌悪しながら、同感してしまう。
ただ、いま自分自身がメイドだなんだとはしゃいでみても、そこには想像力に裏打ちされた自分を認識するので、映画と現実、現実のような映画、これらを考えるのだ。
メイド萌えは甘くない。

汗をたくさんかいて、子供の髪の毛は終始べっちょりしていた。夏休みの宿題を頑張る。紙を買いに行って、アイスクリームをみんなで食べる。
展覧会に飾った絵を額ごとあげた。
お母さんが自転車の籠に入れて持って行った。おじいさんは半ズボンで元気だ。
宿題のポスター課題は、どれも実に白々しい。夏休みの夢を醒めさせる。そもそもそんな夢は、どこからやってくるのかを感じるための「絵画教室で作ったポスター」にせねば。

メイド萌えのキャラは梅干しを漬けることなんてせずドジっ子なようだが、梅干しはしっかり漬けて干されていた。
この現実のような映画は、いとも簡単にアニメと実写を行き来する 00年代を総称するユースカルチャーネクストメディアミックスポストロードリンクムービーだ!
また是枝監督の映画を借りた。
音楽もたくさんある。
このままドイツに行くのか?!
バルールが狂ってやいないか?
Jenny より作品のプランを送れと催促のメールがあった。前のメールでは、猫の鬱の写真を送って、お茶を濁してしまっていた。
今夜は、顔を描いて、それも送ろう。
映画と現実を遊離させたい。させたくない。

火曜日, 7月 25, 2006

誕生日パーティ、汗だくで

赤い太陽と車。
彷徨うガラスの横で、飲む水は何杯も。
この出来事は本になる。この出来事はそのまま映画化して、そのまま観客を絶句させることができる。
この映画はつまらない。
きっと最後は何も起こらないほうがいいのだが、たけし映画のように轟音が鳴って全員が死んだほうが手を叩いて喜ばれるかもしれない。
だがそれはあってはならない。
現実は水を飲んでトイレに行くことを繰り返す。

車を自転車に乗り換えて、アルバイトは新しく入った子に仕事を教えた。

部屋ではケーキが用意されていて、誕生日パーティの為に電気が消されていた。その行為はそれ故に秘密の姿となっている。
コンビニで耳打ちをした二人は、走り出したと聞く。
三人が四人になって、いよいよドイツとか次の展覧会や仕事のことが前に置かれた。
僕も秘密の仕事に関わろうと、かわいく墓穴を掘る。
帰ってきたら、いろんなところに宣言をする。
水を飲むと、どうなるかを考えて良かった。映画は映画のままにしておくべきなのだ。
汗を飲む。ワインによく酔わされ。

君が生まれて 26年。
26歳は何年前かと述べる。
コンビニ菓子で作ったケーキのクリームやチョコレートらが、台所のシンクで水に浸されていた。
君は顔を描いてと言っていた。
悔やむにはまだ早い。

月曜日, 7月 24, 2006

遅くには四人で笑えた

あらゆる場面が映画のように見える。

単館系のこれは、数カ所によるロードムービーで、病を背後に抱えていながらも穏やかな日常が続くというベタな脚本だ。
そのなかでも中盤か、後半に入れられるであろう山場を迎える。
ファミレスでたむろする金髪のギャルとチーマーをかいくぐって、お手洗いに行く。
そこで何人かが吐いていたという。
僕は用を足しただけだ。それから豪語してみたが、これはこれで終わってしまったのか。
彼女はうつむくだけではなくなっていたが、言葉は宙を舞う。言葉は矛盾を抱えた願望である。内的要因と外的要因という図を僕は書いた。
電話をしているうちに、机の上に紙と鉛筆を置いた。鉛筆には「地中美術館」と書いてある。
一言を吐くと、同時に一斉射撃が放たれる。内的にも外的にも、潜在的に高圧的に、互いを殺めたり救ったりする。
その姿を見て、もう立ち上がり、車を走らせた。
この映画の結末はどうなるのか。そもそも終わりなどあるのか。もしかしたら、場面のひとつひとつは分断されており、次という認識すら、無いのではないか。
実際に、編集に立ち会うとそれを実感する。
場面にはみな、一応に同じ色や音楽が使用されているから。
また、映画に多用される小道具も随所に散りばめられていた。

そして信頼に目を開く。
眠たいことを話しているのを知って、机を叩いた。
今日のロケ地は四カ所。自室での撮影は朝と深夜。
遅くには四人で笑えた。

日曜日, 7月 23, 2006

家族の言葉

心は言葉ひとつで浮き沈む。
おじいさんが僕を見つめながら話す。
子供絵画教室での展覧会。昨日と今日とで、おさや糸店の二階。新しく作られたギャラリースペース「かがよひ」は壁も天井も白く、窓には光が溢れている。

カンタンドリップと書かれたシールが貼られたままのコーヒーメーカーを見つけるまでに、三回ほど指で押さえようとして、豆を湯に飛散させたりとどんくさいことをする。
親御さんがたくさん来られるまでには、三杯分はつくっておいた。
写真を撮るお父さん。僕もお子さんと絵の前に並んだ。
おじいさんは、携帯メールで絵文字を多用することについてを話していた。
「言葉が基本ですよね」と熱っぽく返す。

順良く片付けて、すぐに原付を走らせ、掃除をしてもらった部屋に帰った。
自室は電気が落とされていて、彼女たちがソファーに座っていた。
メールの題名を「彼氏が作るカレー」にしたという話を持ち出して、買い物に出る。
確認しておいたはずの野菜ばかり買って、お肉を買い忘れて、彼女たちにお願いして、その間に少しファミコンをやっちゃう。
九時過ぎに出来たカレーはトマトが入った夏の味。
ブラウン管の色に照らされた彼女たちの顔。
トランプで大富豪。
一回だけババ抜き。
ババ引いた我。それを告げられる外での電話。

子供らの絵は、来週と再来週 教室がある。夏休みの宿題を一緒にするのだ。

土曜日, 7月 22, 2006

July, 2006 Kita Nagoya JAPAN、の夜

人間の特性をいくら考えたところで事態は解決しないけど、気持ちがらくになるのなら良いでしょうと彼は言った。
白い部屋に白いiPod に白いスピーカー、そして白い女に白い男。白いカップに入れられた白いコーヒーの白い味。
額縁の中だけが淀むことのできる敷地だ。
南の山間部で淀んだぶんだけ、北の平野にてまっさらな気持ちになることができた。絵とはそういうもので、僕は白い絵だけには気楽に頷けない。わざわざ白い 絵をドイツや東京にまで大枚をはたいて送ろうとする彼や彼女たちの話を聞く。オノヨーコがジョンと微笑み合った時代には真っ先に彼らが否定していたこと だ。

一瞬で散った、筆の先にある絵の具。これを指で弾いた子供たち。
赤や緑は天井に吊り下げられているタングステンライトにまで届く。
お酒を飲むと顔が爆発するようだと、Anna Jandt は笑った。
Sept, 2005 Nishiharu JAPAN。
記憶は言葉だ。

今夜は残り二週間に託された言葉が、記憶の面をして皿にいた。
草刈り機でお腹を切って、お腹が膨れていた。
パイナップルの輪切りに詰められた、脳味噌のような肉玉とあんかけ。
(bnap06の)みんなが苦く感じたかどうかは、聞いてみないと分からない。
この町でも雨が降り出しそうだと思い、雨が多い日本だとメールし、そういう記憶になり、パンパン詰めになったリュックから取り出した白い本を、路上に置くことができるかだ。
突きつけられた言葉は、信じることだけでしか、我々を人間に維持させることができない。白い本がみるみるうちに色を吐き出してくる。雨でインクや絵の具が溶け出してきているのだ。排水口に流れこんで、今夜の視界を深く炒る。
三人で素麺を食べた。
それは白い麺だったが、黒いつゆに入れる食べ物で、工場で炒られた胡麻をパックしたのをまぶして食べる。もし僕らに車があれば、実家の近くの畑まで今晩中にかっ飛ばし、長ネギをひっこ抜いてくることができた。
ついでに子供の絵を美術館に展示するという作戦も思いつく。守衛の目をかいくぐって、贋作と盗作の行間に、言葉にはならない声を掛けてくるのだ。
ワイヤーは面倒なので、釘を打ちつけてやる。
そのほうがかっこいい。
駅前のロータリーで土を払う。長ネギの根っこと、靴の裏に付着した土を同時に。
タクシー運転手と野良猫だけが目撃する可能性を持っていたが、どちらもよく寝ていた。
彼らの傍らに置かれた白い本は、ドバドバと泣いている。
白色がとても奇麗だ。

畑にて、パイナップルに話しかける農法があった。
横の畑では、長ネギに挨拶をされるそうだ。
草刈り機でお腹を切りませんように。
夜には素麺がちょうどいいと思う。

金曜日, 7月 21, 2006

ヒャー

昭和天皇が、靖国でのA級戦犯の合祀に批判を持っていたという事実の発覚が凄い。

ずっと日本テレビ版の「ドラえもん」(通称,旧ドラ/東京テレビ動画/1973)の、主題歌が頭から離れない。白いペンキが塗られた部屋に絵を掛ける作業をする。

駅の書店にて「ゴ−宣SPECIAL いわゆるA級戦犯」(著,小林よしのり/幻冬舎/2006)を立ち読みした。パール判事の件に胸を打つ。「パール博士の日本無罪論」(著,田中正明/1963)も読みたい。

白とか黒とかグレーとか、事実が問題なのではなく、いまこうして扱っている事実が真実として落下してきている。
不安は多くの負荷をかける。女の人を説得して、みんな疲れているように見えた。
合祀もへったくれもない。銃を突きつけ続けている男相手では何もできない。何もできないという意志を示すことは、逃げることではないはずだ。

You Tube で見ることができた旧ドラのオープニングムービーは、当時のアニメーションスタッフの方がネット上で厳粛に紹介していたものを、無断転載し公開したもののようである。
でも、不謹慎なようであるがとても嬉しい。
携帯メールに書いたりまでして、何度も何度も歌詞を口ずさんでしまう。
この作詞は藤子不二雄とある。

http://www.youtube.com/watch?v=mGv8SK9NZgY&search=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93

http://mcsammy.fc2web.com/

木曜日, 7月 20, 2006

味噌蔵の庭に出来た花畑

溜まりに溜まっていた味噌蔵の片付け仕事を朝から。
みんな慣れた調子で機材や道具を分別し、捨てたりまとめたり。谷澤氏に尽力してもらって、レンタカーのトラックでゴミ捨て場と往復する。この風景だけ切り取れば、昨年の味噌蔵の改修作業と何ら変わらない。
2006年の状況を述べれば多くに渡るが、今日はそれを述べない。汗をかいて、会議して、夜に時間給労働。ドイツより連絡のメールあり。
また、別件で良いニュースと悪いニュースがふたつあった。この言い回しは、「MOTHER3」(任天堂/2006)の第一章より引用する。ゲーム内では特に効果的に使われている台詞だと思った。
常に人間は、このように相反する渦にすっぽりと入り込み、流れに押し出されたり、沈み込んで溜まってしまったりしているのだ。

味噌蔵の庭に、花畑が出来ていた。
何かをかき混ぜる力を僕は見ていたくて携帯カメラの写真で撮った。
片付けの大半を無事に終え、安心すると共に淋しくもなる。

水曜日, 7月 19, 2006

正義と嘘

何をするにも短く、ほどほどにしてしまった行動で終始してしまったのは、昨晩ブログの日記を書き上げて眠ったところに、目覚めて更新をしようとしたら、まだ保存していなかった為に全てが消えてしまったことに端を発する。
そして今週はずっと雨だ。極楽とんぼの山本が未成年の女子と淫行をして訴えられ、吉本をクビになった。夜には、その事件を受けて欽ちゃんの社会人野球団 「ゴールデンゴールズ」が解散すると報じられたのを知った。「野球は好きだけど」という欽ちゃんの言葉が正直さを表していた。朝のニュース番組では、極楽 とんぼの加藤が泣きながら謝罪をしていたらしい。僕は裏の小倉さんが出ている番組で知ったので、これは YouTube で知った。残酷ながらダウンロードする。一度、思いとどまり、中断したが、少し考えて再開した。この涙の挨拶は彼の芸能生活史上、最も辛い瞬間だったろ う。
欽ちゃんは下ネタを絶対にやらないし、正義の人である。

僕は嘘をひっくるめて言葉について考えていた。
相次いで出版されたり、立ち上げられる日記本やブログを眺める。人は自分が見ている方向を見ていたい。
ちょうどレンタルで彼女が選んだ DVDが、この「嘘」について軽やかに魅せてくれた。彼女は途中で寝てしまったので、僕ひとりだけで最後まで見た。
前に借りてきた「真夜中の弥次さん喜多さん」(監督,宮藤宮九郎/長瀬智也、中村七之助/2005)はそれぞればらばらに見たのだ。でも感想はどちらもい まいちと一致した。テレビ枠ではなく、制限無く制作できたことが裏目に出たのではと僕は推察した。(クドカンはもっと切れ味があって面白いはず。途中、見 ているのがしんどくなってきてしまっていた。)
なので、今夜は並んで ぜんざいなどを食べながら見ることができたけど、遅い時間ということもあってそうなった。
YouTube の見過ぎになっていた僕の目には、映画の画面がとてもキレイに映った。
いや実際に、この映画は美術もカメラワークも、全てがキレイである。
「蛇イチゴ」(監督,西川美和/宮迫博之、つみきみほ/2005)という映画。
僕はなかなか選べないけど、僕が大ファンの つみきみほさんが出ていたので嬉しくなった。また、とても彼女が良い。僕は「愛はどうだ」(緒方拳、清水美沙、福山雅治/TBS/1992)のときから好 きである。緒形拳が妻に先立たれた男親で、子供が三姉妹という田村正和が広末らとやっていたドラマの前例となったようなドラマで、彼女は三姉妹の真ん中 だったと思う。福山雅治の俳優デビューだったような記憶がある。
この映画も家族の話なので、前半はその印象が先走って興奮するが、落ち着いた画面と重くならない音楽の組み合わせが気持ちよく、この西川美和監督の世界に入っていった。プロデュースに是枝裕和監督というのにも納得した。一場面、一場面の感触が美しく、素晴らしかった。

僕は、自分が持っていない要素として羨望観を持ちながら、00年代のカルチャーのキーワードは「軽やか」ではないかと考えている。「軽い」ではない。内容 が薄っぺらいのではなく、単純ではなく陰湿で複雑な問題を内包しているから「重い」のだ。だが、表面に出されてくるテクスチャーは、その「重い」を鬱蒼と 出してくるのではなく相反するように「軽やか」なのだ。「爽やか」と言葉の選択を迷うが、これだと青春めいた正しさを示しているかのような印象を受ける。 「軽やか」な表現は、こうあるべきだと強制を施さない。全ては自由自在に転がっているままにあると、前に置かれるだけだ。

正義や嘘、これらを思いながら「軽やか」というキーワードも思い出した。
そういえば是枝監督の「花よりもなほ」(監督,是枝裕和/岡田准一、宮沢りえ/2006)でも、この正義と嘘を多く思わせた。

彼女は嘘やでたらめを憎んでいるのか。
男は大切なものの為に嘘をつき、泣きながら老いる。

http://www.kore-eda.com/hebiichigo/

火曜日, 7月 18, 2006

雨の日に動くと、体がおかしくなるんですと彼は言った

「お足下が悪いなか、火曜特売にお越しいただきましてありがとうございます。」
アナウンスが響く。
これとこれで二百円、納豆は欠かせないから三百円と籠に放り込んで歩き回った。
秋田の児童殺害事件、週刊誌が呼び始めた「嫌われ鈴香」というネーミングは嫌いだが、あまりにもしっくりきていて困ってしまう。このスーパーにも、親子連れが多く来ているだろう。今週はずっと雨らしい。

八年前の自分のような、同じ大学に同じアルバイト先で絵を志す青年と話す。
勝ち組だろうが負け組だろうが、誰もが火曜特売にひれ伏していることを伝えた。
これとこれとこれを選んだことによる、苦楽についてを語りたかった。
バイトを終えて、すぐに手配しておいた作業の続き。

遅ればせながら、You Tube にある映像をパソコンに記録していく方法を知って、中高生のときからうごめいている映像欲を満たそうと再燃する。
若返った iBook にソフトを導入し、低画質専門の VJ マシーンにしてしまった。バイト中にもこれらの映像への変換作業が自動で行われるように組み込んでおき、ゴダールからファミコンの懐かしCM など、際限なく触手が延び出した。

月曜日, 7月 17, 2006

ガラスの虹、好きなようにしろという真実が転がる

ナンダカナー。
ナンダカナー。
ナンダカナーと出かけました。アルバイトは早めに終わり、依然、二行組みで進行する癖が抜けず、地下鉄の出入り口はとんでもない豪雨となっており、これで もかというくらい叩きつけられる。その数分後には静けさを取り戻しているのだからなんてことなく、面倒このうえない。この雨は酷くエロティックなのです。 そう You Tube でコメントしている鈴木慶一を見て反芻した限りです。都会では息をするだけで金がかかるというのは誰の言葉だったっけ。「日本では」だったか。
反省というものを何度差し出しても仕方のない出来事が散乱しているこの部屋で。
この路上で我慢するのではなく、解放するのではなく、脇道に入ることができないのか。
誰それという著名な詩人がやってくるとチラシを見た。
「地下街の人びと」(著,ジャック・ケルアック/1958)のように、若き詩人に感嘆の言葉を僕は吼えたい。
千種駅のロータリー前の喫茶店でソイラテを飲んだ。ノートに書き込まれた言葉を見つけて、ひとりで嬉しくなった。

http://www.youtube.com/watch?v=GPWiSNtqXrA&search=%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BA

日曜日, 7月 16, 2006

懸念表明。オールレンジだ 我がBook

バイトを終えて、西大須にある「アートフェチ」へ。企画展「Fetish and Bookish」を見る。昨晩はえらい雷雨だったが、本日の日中も酷い。本という作品形態による展覧会で、座して読むと見つめるの間で鑑賞している僕のズ ボンとサンダルは濡れて汚れていた。強烈な降りのときは逃れることができたが、駅からここまでは小雨が続いていたからだ。
作品の感想よりも、同じ空間内で、展覧会と別企画の本を売っている企画ブースがあることが解せなかった。こういうのは非常に甘くて、うまくミスマッチのよ うなものを構成しようとしているなら失敗しているし、あらゆる意識が削がれるので良くない。ミスマッチには相当に意識的でなければ醜いだけだ。今回の企画 展には丁寧な作品も多かっただけに残念で勿体無く思えた。言葉をゆっくり降ろしていこうという真横で、五月蝿い騒音をかき鳴らされた感じで、スペース自体 の根幹に関わる問題だろうと思った。受付に述べるべきだったが、帰宅してからその答えがはっきりした。

それからグッドウィルに行き、ようやく退院することとなった iBook を迎えた。修理の保障内で完全に完治することができて良かった。「それではこれで」と店員はビニル袋を二重にしてくれて去った。もう裸一貫の保険無しであ る。結局、画面のモニター自体が新品に換えてもらっており、ほとんど新品の 2001年 DUALUSB モデルと化した。「OS9 がネイティブで立ち上げられるので中古市場でも人気があるんですよ!」と、店員が一回目の入院のときにはしゃいでいたっけ。
というわけで、長きにわたった iBook の入退院の日々は終わった(はず) 。HD はそのままだったので、すぐに使いはじめることができた。五千円でオールレンジしてもらったと思えば結果オーライだ。
もう変なソフトを入れたり、サイトを見たりしないぞう。
いつまで続くかこの誓い。

ここで思考はわざと飛躍する。
本当の意味で自分の人生をアリコなどが完全保障してオールレンジしてくれるわけなどない。
もう馬鹿なことはしないと誓って、脳味噌だけそのままで、小学生から総とっかえの再起動をしても、似たような感じであろうと思う。
いや、再起動とは、やり直しではなく、プログラムを継続して実行する為の仕切りなおしの意味だと考え直せば。

http://artfeti.main.jp/

土曜日, 7月 15, 2006

悩むのが意味がないことと規定するな

中山氏に行くと話していたライブに行くことができなかった。
後悔と反省しきり。
アルバイトは次から次へと降りてくるだけ。
有線で何度も繰り返される曲に疲弊する。
音量をすごく小さくして、何事もなかったかのようにしている時に限って管理にあたる方がやってくる。先日のワールドカップの日本初戦のときもそうだった。
悪いことは悪いという論理で一時停止したまま。

次の世紀には いまよりも 静かな音楽が流行ってほしい
「愛はただ乱調にある」(詞・鈴木慶一/1996)より

金曜日, 7月 14, 2006

女を習え

オノ・ヨーコは「オーシャン・チャイルド」と名付けられたとある。そうか、小野洋子だったのか。
「ただの私」(著,オノ・ヨーコ/編,飯村 隆彦/講談社/1986)で、インタビューの際に前置きとしてまとめられたオノ・ヨーコの半生についての文にそう書かれていた。この本の編集は飯村隆彦だ が、この紹介文自体はマーチン・ターゴフというインタビュアーが書いた。「オーシャン・チャイルド」なんて、漢字の分解が如何にも外国人だなという印象を 受ける。このような新鮮な視線が、かのジョン・レノンにもあったろうと、やや飛躍して思う。
この文庫本の所有者である、かの君が本日の夕方に ニキ・ド・サンファルの展覧会を見に行った。「女性作家」だねと携帯電話にメールを送る。

「女を習え」とオノ・ヨーコは言っていた。
自分はわざと遠い目をして、その言葉を反芻していた。そこまで言って、はじめて言葉になるのを思った。問題と同じくらいその言葉が問題とならなければなら ない。「殺すな」という岡本太郎の言葉は、ベトナム戦争時に言われたものだが、殺そうとしている力と同じ力で殺すなと言わなければ、届かないのだというこ とを思い出す。「イルコモンズ・トラベリングアカデミー」で教えられたことである。
わざと遠い目をして、言葉を反芻した次の瞬間には、自分が画面に出ている自作自演のドラマのワンシーンが残像として見える。

芸術系の大学が女性ばかりになっても、なかなかタフにはならない。虚栄で捏造された男たちの歴史と社会に迎合する女性という図を、超える言葉を放つことはできるのだろうか。
ずっと無意識に「男を習え」と言い続けてきた。ジョンに言わせれば、歴史が。
歴史だけが?
いや、いま僕もそれに片足を突っ込んでいる。歴史とは、気づいたときには、知ってか知らずかそうなっている暗黙に敷かれた草履だ。
だから男女で行われる議論は、それを見つめ直すように言葉をほどかなければ不毛と化す。
数年前、教室内でのとあるディスカッション。議題は「男と女」。
家庭内で、男が仕事をして女が家事をするという常識について移項していた。
部屋は小さく、本棚もぎゅうぎゅうで、人もぎゅうぎゅうだった。
議論は平行線となっていて、思い思いのことを皆が述べているのにとどまりつつあった。少し年上で、この集まりの主要人物である女性がずっと携帯電話の為に出入りする奴らにピリピリしているのが判った。
男がどうしたら男女が仲良くなれるのかと、カップル体験談のような話へ男が持っていこうとして、その方向が修正され、再び家庭内でのケースについて「男も料理を作るべきよ」という意見。
またガヤガヤしてきたところで、その主要人物の女性が仕切るように言った。
「でも、私の場合は、彼と同棲しているんだけど、料理は私が作るの。それは男女差別とかじゃなくて、彼は料理が下手だから、私が作ったほうが美味しいから。私もそれがいいの。」
一同が妙に納得した空気になった。
そのうちに時間を迎えて、予定通りに解散をした。
いま僕は、あれは議論の結びではなく、あれこそが出発点であったと強く抗議したい。

飯村隆彦は、メディアアーティストで、オノ・ヨーコと親交が深く、研究と評論の本を書いている。前記とは別のインタビューもしている飯村昭子は、妻ではな いかと推察する。彼女はオノ・ヨーコを尊敬と意気投合とで見つめ、話していた。だが飯村隆彦は、オノ・ヨーコを尊敬もしているだろうが、それだけではない と思った。彼には彼自身への視点も常に設定されている。
ここで視点という言葉をビデオカメラに置き換えれば、飯村隆彦のビデオ作品のように、優しくシリアスに見えてくる。
「ISEA 2002」というメディアアートの大規模な展覧会で、大量のビデオ作品を見て、僕が最も心を惹かれたのが飯村隆彦作品であった。
「トーキング・イン・ニューヨーク」(1980)などを見て、分けも判らず興奮した。

そろそろこの文庫本を読み終える。かの君に返そう。
ニキ・ド・サンファル展の詳細を聞き忘れたが、名古屋市美術館のチラシは最高にダサイ。キャッチコピーが酷い。

http://www.a-i-u.net/
http://www.takaiimura.com/
http://www.art-museum.city.nagoya.jp

木曜日, 7月 13, 2006

この汗は緊張の汗だ。

この汗は緊張の汗だ。
銀行のテレビ窓口で、遠く離れたコールセンターの受付の女性の動画と向かい合う。十センチ角ほどの画面の中でおじぎをする女性。彼女はオペレーターとして は優秀な成績を持っている。午後二時半に僕は汗だくで建物の中に入った。冷房がよく効いた銀行の、更にテレビ窓口という仕切られた囲いの中で、僕は盗撮さ れながら契約を行った。何のことはない。海外でも使うことができるようにキャッシュカードの口座を移項するだけの手続きである。コンマ五秒ほど遅れて動く 彼女の動画は明朗な声で僕を見てきて話しかける。彼女が動くのに合わせてひび割れのように起こるピクセルのブレが、おそらく僕の画面にもギザギザと刻まれ ている。僕は彼女の勤める銀行ととある契約をしたが、僕と彼女が会っているわけではなかった。

この汗は緊張の汗だ。
福岡事務所から味噌蔵へ移って定例会議をして、夕食をチェーン店でとった。恒例のコースを辿って、僕らは机に向かっていた。これからのことがどうなるかわ からないよねという話に尽きていた。チェーン店の台所は暖簾で仕切られていて見えない。バイトの女の子が洗いものをしている姿が見えたが、暖簾の位置が顔 にあたるので、首から下だけがせっせと動いているように見える。帰りの車中では、テレビで見た「マイ水筒のブーム」を小ネタとして話した。東京などでは、 カフェーにて水筒にお茶を入れてくれるサービスをしているらしい。水筒を作っている企業が若者達に広めようと仕掛けているのだ。名古屋でも一店舗がはじめ るらしいけど、詳細は教えてくれなかった。僕もこの頃 バイト先でよくペットボトルを消費してしまっているから、マイ水筒デビューをしたいと思っている。
彼女が、水かお茶のペットボトルを何度も使い回して水筒代わりにしているので、それは細菌とかが発生しちゃうからいかんよと教えた。この情報は大学院のと きに河合さんに教えてもらった情報である。あのとき、海外の各種ナチュラル水を飲むのがアトリエ内で流行っていて、洒落たデザインのペットボトルを捨てず に使っていたのだ。
この汗は緊張の汗だ。
電車がもう発車しようと していた。腰を上げて飛び出せば市街地であった。面倒な状況から逃れて、しばしの安息をとることができると思った。利己的で自由奔放に陰鬱さを兼ね備えた 自分の顔、向かいのガラスに映るのであった。電車が高速で地下の筒内を滑っている間はそうだ。乗り換えると、二人の男子中高生が足を大きく広げて横柄に何 やら愚痴をたれていた。チョコボールの袋の口を開けて足下の鞄の中に入れ、靴を脱いで椅子の上にふんぞり返っては、手を下に延ばしてチョコをつまんでい る。そのうちに一個のボールが指から転げ落ちた。彼らは止めようとしたが、向こうに行ってしまったので「まぁいいやな」と言って笑っていた。それから暫く して、地下を抜け出たあたりが上り坂になっているようで傾斜が起こり、さっきのチョコボールがコロコロと返ってきた。彼らは女子がどうしたとかいう話に夢 中で気付かない。ちょうどチョコボールは、コンバースのハイカットの向こうで止まった。

この汗は緊張の汗だ。
夜の窓枠に猫の鬱がいる。
外からの街灯に照らされ、シルエットになっている。扇風機は強。あと数週間でこの景色が恋しくなるかもしれない。
鬱がどすんと飛び降り、目を光らせた。
こっちに寄ってきてコードを噛む。
やめろう。
それからタイマーのボタンを押したのだ。

水曜日, 7月 12, 2006

強調したいところはしつこく描け!

重さがあって手が汚れる紙粘土を選んだ。大学の画材屋で数個購入。軽量や匂い付きのものは大人向けだ。子供には自分がこねくり回しているものの正体が掴めることが重要だ。
ワニやら孔雀やら、チョウチンアンコウやらを彼らは作った。
時間ぎりぎりまで潰してやり直したりを繰り返していた。

どこにも寄らないとメールで宣言して、原付で帰って、今日返さなければいけないレンタルの DVDを再生する。洗濯や洗い物など細々した雑務を入れながら「パッチギ!」(監督,井筒和幸/塩谷瞬、沢尻エリカ/2004)を鑑賞した。京都の朝鮮学 校、差別と喧嘩。恋愛と友情。1968年付けの青春映画。この時代設定が大きな要素。
相当に強引な話の展開をするが、しつこいくらい強調シーンの描写が重複しており、言葉ではなく映像体験としてごつごつとした感触を受ける映画だった。ああ だこうだの筋はあるが、実際のところは理屈ではなく感覚で描く部分に長けている監督だと思った。そのしつこいくらいの強調シーンとは、喧嘩、時代背景、家 族愛、それを守る為のそれ故に喧嘩と音楽である。つまり汗と涙、濃厚である。最終的には大団円となっているが、実際の諸問題を安直な物語の解決に帰結させ ず、スクリーンの外に放っているところも好感が持てた。それが 1968年であるとされているからこそ、抵抗なく進んでいく気がした。学生運動に対する呆れた態度の描き方などが楽しい。そして映画そのものでもある主題 曲「イムジン河」(ザ・フォーク・クルセダーズ/1968)が最高に美しく、1968年に加藤和彦が歌ったところから、現在に流れてくるという感じで気持 ちよい。
見終わってから何度も口ずさみ、歩いて DVD を返しに行った。
2004年に訪れた、韓国ソウルでのことを思った。楽しい思い出しかない。

台所にはタピオカを煮詰めて、水に入れておいた。帰りに牛乳を買って混ぜてドリンクにしようと話していた。近くの店は毎週水曜日がサービスデーなので、今日も二本ずつ借りようと話して、帰宅して僕が選んだ一本を我慢できずにプレイヤーに入れた。
牛乳にタピオカ、そして蜂蜜をコップに入れて混ぜる。机や椅子はそのままで鑑賞用の配置で。
その映画の名は「TAKESHI'S」(監督,脚本,編集,主演,北野武/2005)。
劇場公開のときから見たかった一本であった。キャッチコピーは「500% TAKESHI!」。いやはやまさにその通り。さっき見た映画とは打って変わって、荒んで内向的に病みを孕んだ映画。しかしこの映画も筋ではなく、実にしつこい強調シーンの連続重複フルコースだ!
「自分!自分!自分!俺!俺!俺!ME!ME!ME!タケシ!タケシ!タケシ!」
これでもかと続く強迫観念から逃れるのは、自分だけしかないのだが、その強迫観念そのものを生み出しているのは自分であるという根本矛盾が描かれる。それ はタケシ映画の中で常に見せられているものであり、その為にタケシは自分の無能である(ただの一人の男としての)才能が、もはや一滴も残らないくらいの枯 渇状態まで絞り出してみせた。タケシのイマジネーションに突き抜けた飛躍は無い。彼に前衛思考や、カオスに満ちた興奮は作ることはできない。彼は神経質に 言葉を選び、静かにその己の無能さに喘ぐだけである。彼自身がその矛盾をおそらくよく判っている。だが常にその声が現役として(五月蝿くとも)観客の耳に 聴こえるように、ステージに立つことを欲している。それだけが、彼を彼にさせている根本なのだ。
スローモーションで撃ち合われる銃撃シーンと、かつてたけしが「北野ファンクラブ」(フジ/1991-96)などで言いたい放題 高田文夫と講釈をたれていたシーンが同じように見えたのだ。
ここまでに自分を裸にしてみせる彼が格好良かった。
ここで、北野武のことを「彼」と書くのには違和感も感じるが、彼の存在は多層構造になっており「北野武」と「ビートたけし」に代表されるように表記の仕方 ひとつで解釈が変わってしまうからである。この映画自体がだからこそ「TAKESI'S」と題され、更に多層的に一人の男を描いているのだが、実はこの映 画の中で多層的なのは彼一人ではない。映し出されるもの、登場する人物は全て彼の心の中の現実把握の象徴であるから、その他の人物全てが多層的に扱われて いるのだ。

井筒監督の作り方、北野監督の作り方。二人は仲が良いのではないかと思った。居酒屋のイメージを想像する。
羨ましがっている場合ではない!
僕はすぐに感化される。始末に負えないしつこい奴だ。

http://www.flix.co.jp/page/A0000758
http://www.office-kitano.co.jp/takeshis/

火曜日, 7月 11, 2006

無言の驚異

もう電気を消して、何もすることはない。そのぶん早く起きて、明日に動ければいい。土用の丑を一足早くほおばった。冷水のシャワー浴びて就寝す。本日実に 蒸し暑く、勤務地から別勤務地への往来だけでも汗をかいた。地下鉄の車中で本を読み、そのぶん押し出された行動として寝る前にゲームボーイをする。それで も二十分ほどでやられてしまい、丁度いいくらいだったので目を閉じた。
二十年ほど前のお菓子のオマケで、暗いところで光る消しゴム人形があって、それを布団の中に大量に持ち込めば、布団の中で親に気付かれぬように本などを読 むことができるなとほくそ笑んだことがあった。いま思えば蓄光塗料を塗り込まれたそれは、かすかにぼんやりと明るくなっていただけだったろうなと思う。
市内某所ビルの階段を上り、昼休みを終えるときに知人の詩について考えた。禁句を設ければどうなるかと思った。その矢先に自分にもそれが返ってきて、多くの言葉が締め出されたのだ。
何層かに渡る行いが、浴槽内での行水で終えられた。

月曜日, 7月 10, 2006

暑い部屋で Mac を取り巻く男女。iBook の再入院。

グッドウィルの店員は深々と頭を下げた。
さすがに、この状態の客にいくらパソコン蘊蓄を述べても無駄だと判断したようだ。すぐ真横の修理カウンターでは、女子大生とその母親が怪訝そうな顔でリストアができないんですと訴えている。
「え〜そのような場合ですね。二つのパターンがありまして、一つはお客様がお使いになろうとしているリストアCD の裏面に傷などがある場合。もう一つは、コンピューターの情報を記録する保存装置であるハードディスクが何らかの理由で起動しない場合となります。」
二人の女性は顔を固くして聞いている。「で、それで直るんですか。早くして下さい。」とでも言いたげな母親。僕のほうは、語られることなどない。修理した ての四日後に iBook の再入院が決まって、預かり証などに記入をするだけだった。別にこの店が悪いわけじゃなく、Apple なのか何なのか分らないが、今回の修理補償対象内にねじ込んでみますと返してくれたから僕は期待をするだけである。こういうときに、店で買うということは 心強い。

身体が重くて、バイトをズル休み。休ませて下さいと電話を入れる。
晩は、市内某所で某ミーティング。業者さんが営業で来てくれたときに、予算の算出などをその場でしてくれた。その手には書類と Power Book の 12インチがあった。会議出席者の視線がみんなそこに集まったように思う。
本体の裏面に冷却ファンみたいなものが付けてあり、傾斜がつくようになっていた。

電車の中で、「ただの私」(著,オノ・ヨーコ/編,飯村 隆彦/講談社/1986)を読み、男と女が惹かれることと反発することについて考えた。体現して早めに眠る。

日曜日, 7月 09, 2006

総合的に再起動が要る。iBook、再死。

この頃、起きるとゲップが止まらない。
胃が悪いのだと言われて、不摂生な生活が原因ですよと。
眠りながら出勤をして、乗り換えの駅でだけ目を覚ます。日曜でも朝の出勤組になった。お昼休みを早くとって、社食でカツカレー。少し元気を取り戻したなと感じていたら、すぐに終わりの時間になってくれた。
福岡氏から今晩より来朝にかけて集まって、ワールドカップの決勝を見ようという誘いを受ける。
でもこの頃はやはり体調が優れないので、電話では前向きに考えたいと言いつつも休むことにした。
行ったら盛り上がることが分っているのだけど。

夕食は、元気を出るものをと彼女が持ちかけてくれ、餃子を作った。
彼女が出かけているうちに台所で薄力粉に胡麻油などを混ぜる。市販の皮とは異なり、粉からこねあげた皮はもっちりしていて強い。大量に作れるのも嬉しい。
生地を常温で寝かせるときに iBook に各種インストール作業。
カリッと揚げてふっくらジャンボ餃子となってくれた。皮がしっかりしているので、肉汁が逃げず最高。餃子の最も美味しい瞬間を堪能することができた。
ウマウマと言っているうちに眠くなり、横になってしまった。深夜過ぎに起きて皿を片付けて洗った。
食後に iBook でしようと思っていた仕事はまだ手つかずだった。
このチョイ寝から起きたときも、ゲップが止まらない。
またこの話題で少し言い合う。

もう一気にやってやれと、メールチェックをひとまずして、ミクシィを覗いていたら、マイミク登録をしている友人らの顔写真が薄くなっているように見えた。
「んんっ?」
「目が疲れてきたのかな?えっ、えっええ?」
丁度 アンプから流していた「FOLOW ME」(伊藤君子/2004)に合わせるかのようにゆっくりと彼らの顔写真が光に包まれていく。手を延ばす思いで、フェードアウトを止めねばと急いで再起 動をかけた。嫌な夢を見ていたときに自分の頬をつねって現実に起きる術を、僕は小学生のときに会得していた。そのように緊急脱出をかけた。やがて年齢を経 たとき、その脱出方法では夢から出られないことも多くあったのを追記したい。
再起動がかかった後の、起動画面は荘厳だった。画面四隅の端から光が溢れはじめ、じんわりと全体が明るくなっていく。そして真っ白の光に包まれて、青色が滲んでくる。縦横に何本かストライプが走る。それはまるで良く出来たスクリーンセーバーのようであった。
ハードディスクは正常に回転しているようだし、音量キーなどもちゃんと反応した。
この瞬間、またもや我が iBook 死す。
一気に落胆する。ガクーッと来た。もう駄目かもしんないと思った。買い替えろってことか。
何かの報いか、呪縛か天命か。考えを改めなければいけない気がした。理屈では分っていたことだけど、そのぬるま湯に浸かり過ぎていたのだと思った。
デジタルデータなど信用できぬのだ。
それは「ある(1)」か「ない(0)」に過ぎないのだから。
そういう根本に全てを寄りかからせておくことの生活態度自体を危惧するべきかもしれないと思った。
既に試合がはじまりそうな時間だった。
福 岡氏が誘ってくれた観戦会場に駆けつけようかとも思ったが、睡魔が忍び寄ってきたので寝ることにする。彼女の Mac で仕事はきりをつけて、それからしぶとく iBookのこのクラッシュについてを調べていたら、既にこれと同じような症状が他でも起こっていることを知った。
根本的にこの iBook(2001LATE/DUAL USB)という機種における構造不良のようである。初期出荷で見舞われた方も多いようだ。僕のは初めてなので、今回の修理作業でおかしくなったのかもしれない(と考えたい)。
どうなることやら。
既にこの不良点に対しての Apple 純正補償「iBookロジックボードリペアエクステンションプログラム」は終了しているし、これが今回の修理補償内になってくれなければ、購入店の長期補 償ワランティも終わっている現状では、モニター修理にプラス四万円強を払わなければいけない。そこまで払って、リハビリめいた iBookを使うのも辛い。かといってここで新しいのに乗り換える財力もないし、黒の intel Mac には憧れるけど、いまの最新 Mac市場は少し様子見の段階なんじゃないかと僕は判断していた。
さてしぶとくもザオリクが効くか?
いまの気分はザオラルだな。

悔し紛れにふて寝をする。
兎に角、ストレスを溜めないようにデジタルライフの方向からもアプローチが必要だと訴えられてきていた。あらゆる方向からの操作や移動が相まって、ライフという総体があるように考えた。

http://violent.oops.jp/blog/archives/000168.html

土曜日, 7月 08, 2006

画面内で二大ファーストフードが喧嘩していないんだと知って、iBook 復活。

朝から晩までアルバイティーデー。立ち仕事故に、スニーカーが破れてきてしまった。小指が見えてしまっている。
昨夜の七夕は討論で終わってしまったが、中山氏からの携帯メールで「何を願った?」と聞かれたので「世界平和」と答えた。

iBook の修理補償を確認していたら「カーネルパニックの場合、リストアで直る場合があります」とある。そういえば、起動しない文字列が表示されるとき、 「karnel」と「panic」という単語があったのを思い出した。カーネルは人名で、開発者か何かだと思っていたが、パソコン上級者の某氏によると 「ケンタッキーじゃないんだから!」と的確な指摘を受ける。カーネルとは、パソコン用語で OSのベースとなるところという意味合いらしい。win などではよく使用するらしい。僕は初めて耳にして、確かに指摘通り、マクドナルドと同じ音となる Macとカーネル・サンダースことフライドチキンを絡めて勝手に想像していたのは事実であった。
もしやと思い、リストア作業にあたる。データが全部消えるわけだが、もともと修理で HD交換してきたばかりだ。先日の環境設定くらいだ。十分ほどで問題なく完了。リストアCD だとCD起動が反応してくれた。たいしたものだ。
不安は残るが、復活完了。七転び八起きか。こんなの説明書が無ければまた手間をかけていたよなぁ。
まだまだパソコンの世界は不親切である。

イワシの揚げ物を食べて人間も体力回復。猫の鬱が欲しいと鳴いた。
Mac 日記になってしまっているのだが、いまは重要な出来事なのだ。

http://til.info.apple.co.jp/cgi-bin/WebObjects/TechInfo.woa/wa/showTIL?id=106227

金曜日, 7月 07, 2006

iBook 直ってないじゃん!

髪を切ってもらった。
鏡を見ると少し恥ずかしい。
iBook も新品同様で帰ってきてくれて小気味良いし、いろいろな仕事も整理できそうだと思った。
ドイツから展覧会のポスターデータなどが送られてきた。
一日に二つのバイトをやっていて、その合間に部屋に戻って腰をおろした。ポスターを刷り出そうとアプリケーション類をインストールしようと電源スイッチを 押す。「ポーン」と音が鳴り、画面が灯るが、OSX のはずなのに 何故か OS9 のマックが表示され、大量のプログラム英文と共に警告文となってしまった。「まじで?」何度も再起動などを試みるが、全く直らない。何もしていないのに一 日でだめになってしまった。これは修理が不完全なのだろう。修理自体の補償があるからいいものの。「また店まで持っていくのが面倒だぁ〜」。
なので印刷以前の段階でストップしてしまった。
ストレスを持って、次のバイトへ向かう。
そこの社員の方に髪型が独特だと笑われた。

昨晩のバーバーに感謝。
やはり北朝鮮のミサイル問題から議論がはじまった「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日/1987-)を見る。マスコミが如何に不安感を煽っているだけなのかということが分った。世論が冷静にならないと、損をしそうだ。
昨日の日記に書いた、ペンシルをミサイルに見立てた教授は 森本敏氏(拓殖大学海外事情研究所所長)であった。この番組でも落ち着いた語り口だった。

http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/index.html

木曜日, 7月 06, 2006

iBook の退院、教授の私物であろうペンシル

朝起きてすぐにテレビをつけると、よく「朝生」や「たかじん」の番組に出ているテレビ論客とでも言うべき方々のオンパレードだった。大学教授に軍事評論 家、遠回りで断言を避けるコメントも多く聞かれた。兎に角、事態は緊迫していて面倒なことになっている。だがここで脅威に降伏していてはいけないのだと、 毅然とした態度をとるべきだと締めくくられた。
それから息も止まらぬ速さで駅のホームに滑り込んで、出勤してパソコン打って帰宅する。簡易な言葉で形容すれば、同じ行動をした日本人が大勢いたであろう。
ミサイルは本当に勘弁である。奇しくもアメリカの独立記念日。
近くには、同じライン上の技術でスペースシャトルもまた打ち上げられていたのだ。
大学教授は、ワイドショーの机に肘をつき平行に並べた。そして左手に持っていた赤いサインペンを軽く立てて、右手でペンの蓋を外した。ポン、キュッと蓋を ペンのお尻に差し込む。それは画面の中でテポドンとされて、話が始まった。失敗したというミサイルは推進力を持つ装置とうまく連動できなかったのだと、蓋 を右手で取って下に動かしてみせる。蓋の取れたままのペン本体は、そのまま日本海へ落ちた。

bnap06 の集まりのときもミサイル問題が話題になった。事態が最悪な方向へ転ぶと渡航が怪しいし、それ以前に恐ろしい。滞在中の旅行保険や銀行口座の手配など。展覧会関連に不安は尽きない。

だが僕自身は呑気なもので、自分の作品のことしか考えていないのであった。
今日もプロジェクト仕事を保留させてもらって、福岡事務所出勤をキャンセルし、早期の退院となった 我が iBook(2001LATE)をいじるのを優先させてもらった。
もともとプロジェクト関連の書類作業には、身動き取れる状態でこれが要るしね。
夜通しで環境設定をした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE
http://www.nasa.gov/mission_pages/shuttle/main/index.html

水曜日, 7月 05, 2006

やさしい嘘

昨晩くっちゃべっていた頃に、ミサイルが発射されていたらしい。昼過ぎに起きてそれを知る。
「明日には私たちはいないかもしれないんだね」
という言葉に
「着弾は無いさ!」
と根拠があるのか、ないのか。
我ながら、93年のノドンから始まっていた悪夢だったなんて。みんな知ったこっちゃないって様子で、過ごしていた。
黙っている場合じゃないよとテレビが騒いでいた。
その通りだったが、今日は絵画教室の仕事がある。
今月の第三週の土日に、教室の子供たちの展覧会をすることになった。場所は教室を行っている「おさや手芸店」の二階に新しくできるカフェのような多目的スペースである。
それに出品しようという絵をみんなで描いた。
アカデミックもへったくれもない絵ができた。
強雨という予報を聞いていたので、少し早めに教室の時間を終えて子供たちを帰した。お迎えの挨拶をして、僕は原付で家路につく。
なんだか久しぶりにゆっくりすることができた。
その他の雑種2を開けつつ、アサリにトマトのリゾット、それと大蒜を塗り込んだバケットを焼いて食べ、三つほどに輪切りにしたトウモロコシを茹でた。サラ ダは大根の短冊切りに、キューピーのフレンチドレッシングだ。夕方にもまた一発撃ちやがったらしい。テレビもとうとう絶句しだした。

食べながら、映画「やさしい嘘」(監督,ジュリーベルトゥチェリ/エステール・ゴランタン/仏/2004)を静かに鑑賞した。おばあさんが主人公の映画で ある。少しぽぅちゃりした感じや、優しくも小憎らしい家族内での位置を見ていると、自分の祖母をダブって思い出した。映画の舞台はグルジアというソ連から 独立した小国であるということが、途中で分かった。そうやって徐々に描かれている世界が見えてくる。改めて、映画は前知識があまり無いほうが楽しめる気が した。映画の種類などにもよるだろうが、僕はこのごろ、この考えを強くしている。
陳腐な言葉で形容されると興ざめしてしまう。繊細な色彩と画面が続く。見ていて言葉を飲む。
DVD の特典メニューで、本編には削除したシーンの紹介があって、監督自らがコメントを話してくれていた。その中で、ラストの伏線になるというシーンが消された ことを知り、そっちのほうが映画に奥行きが出ると感心した。ただあらすじを追うものでないほうがずっと良い。グルジアにパリ、多くの歴史文化の事情にまと わりつかれながら人々は過ごしているという意味合いがそこには強く見ることができたからだ。

ミサイル防衛を徹底する前に、北朝鮮にやさしい力をかけることはできないものか。
哀れんでしまう。例えば嘘とか。
ウルトラマンは来ない。
もし経済制裁を行ったら、本当にやばいのではないかと思った。
かといって話し合いに応じる相手ではない。
もはや万事窮すなのか?
笑みを浮かべながら案じている私たち。

火曜日, 7月 04, 2006

二十七歳、フニャフニャに

iBook を入院させているので、メールのやりとりはほとんど携帯で行っている。
朝夕の連続バイトという最中、bnap06 のメーリングリストが激しく行き交っていた。
スポーツ新聞で中田英寿の引退を知った。
爽やかな判断だとサッカーの会長が述べていた。僕には歯がゆくも思えるが、それはあのピッチに倒れ込んだ中田が全て表しているのだろう。
深夜二時、中山氏宅にてインターネット作成話。最新アプリケーションのシリアル番号は一度間違えれば蓋を閉じたりと厳しく、手詰まりとなる。
長く話される skype電話の横で、河合さんと近況話。シリアルロックを解除する為の某ツールを検索しながら。
外には雨が降ってきていた。帰りは始発の駅まで、濡れながら歩いた。
自分が二十七歳ということは分っていたが、同級生の周囲までもが二十七歳ということが信じられないという話に頷く。
中田は全部泣いたのであろう。同窓会は四年後に行われる。スタジアムの放送席で彼はまた涙ぐむ。

眠たさのせいか、堅苦しいことを言ってしまっていたのを反省した。
寝転びながら猫の鬱を持ち上げて、操って自分を罵った。

月曜日, 7月 03, 2006

優しさのために

空き巣が眠り粉をまいていったよう。
君は口を開けて寝ていた。
電気が消えた部屋。
その闇の中に、もう一層の闇を見ている。
猫の鬱が起きてきた。
倒され、倒したことを話さずに今夜は寝ることになる。

思えばここ数日、君はとても動いていた。
ブランケットの手触りに包まれて僕も沈んでいきたい。
邪念のように、電子画面が頭部を掴み引っ張りあげてきてしまう。自分の流儀を見つけたい、作りたい。が故に。優しさを通して。
猫の鬱がお気に入りの椅子でまた眠る。
音楽は無い。iPod の電池は既に無くなっていた。
窓からは冷気。
舌の火照りを冷ましてくれそう。

日曜日, 7月 02, 2006

ただこのまま

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢う為の遠い約束
夢のいた場所に未練残しても
心寒いだけさ
このまま 何時間でも抱いていたいけど
ただこのまま 冷たい頬をあたためたいけど
「夢の途中」(作詞,来世えつこ/作曲,来世たかお/編曲,星勝/1981)

昨晩、ポルトガルとイングランドの死闘は PK戦となった。PK というのはとにかく決着をつける為だけのものだなと酷な印象を受ける。野球にはこのようなシステムはない。延長に継ぐ延長をしたとしても、ホームラン合戦みたいなものはない。
「新日曜美術館」(NHK/1997-)でジャコメッティの回。千葉県から巡回展がはじまったらしく、近くでは兵庫県で十月にある。これは是非、見たい。 番組は数年前の矢内原との特集回と重複しつつも良質なものであった。ゲストの東大教授 小林康夫氏が熱っぽく語るのが面白かった。すごくよくわかったからだ。

映画「セーラー服と機関銃」(監督,相米慎二/薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦/1981)に感動した。
この映画は格好良い。80年代云々で収集がつけられない凄みを持っている。主題歌「夢の途中」もまさしく主題を歌っているという堅実さが、豪快でいて繊細な内容にフィット!角川春樹、恐るべし。

ラストシーンだけを夕御飯の後に見た。ハヤシライスかチャーハンかで少し喧嘩をした後で。

土曜日, 7月 01, 2006

母子のエトセトライフ

バイトの休憩中にグラビア雑誌を凝視していた。
家賃などを振り込んで、今朝は歯医者で磨き残しのチェックも受けた。それをしてくれたのは女性の助手。メイン医師が男性ということが多いのは、規則など無いのだろうけど、歯科医というものが機械いじり的な要素を強く持つからではないかなと推察する。
山崎真美の表紙に期待したのだけれど、今回はいまいち写真がすっきりしておらず残念だった。なかなかグラビアアイドルってのも共同作業だから大変である。 アイドル本人にとっては、仕事を多く行って知名度を上げると共に写真家との出会いを求めているのではないか。これもまた下積みを要するだろう。個性を持た なければ消費されてしまう世界だ。
昼過ぎ、お借りしていたドラゴンボールを返した。
完全にバグで進めなくなった物語。Z戦士は悲鳴もあげることができない。
それからバイト後に部屋でいろいろしていたら、偶然 テレビで障害者の自立についてをやっていた。施設から抜け出して、一人暮らしをはじめた方のドキュメント。自立した一人暮らしに必要不可欠な介護者との出 会いが、本当にかけがえのないものだと思っているのが伝わってきた。介護を受けている障害者だけではなく、介護者の方も そう思っているという発言にも納得できた。
失敗をすることがない施設での暮らしでは、つまらなくむなしい。出かける段取りを間違えたりすることが本当の自分の生活であって、だからこそ楽しい。当たり障りないテイストに終始されることが多い障害者関連の番組において、内容は独立する強さを持っていて面白かった。

「School Bar Eight 2006 "8+8"」に遅れて登校。本日は「言語学」。
帰宅した後、前回の絵画教室で使ったパイナップルを切って冷やす。お風呂の後でそれを一皿つまみながら、DVD で「ミトン」(原題,Варежка(手袋)/監督, ロマン・カチャーノフ/ソ連/1967)見る。えぐ味で舌が痺れたが、全体的に甘いので美味しい。
授業は面白い。黒板があると引き締まる。

http://www.nhk.or.jp/kira/04program/04.html
http://www.he-artcinema.com/heart/mitten/index.html
http://yaplog.jp/schoolbar8/