土曜日, 7月 29, 2006

既視感をスライドさせる

蒸し鶏と生姜のチキンライス。味噌ダレをかけて食べる。実に美味しい。

今日も昨夜と同じ夏祭りが催されていて、これは既視感ということではなく、現に二十四時間前も同じことが行われていたのだ。同じ中学生がわんさか行き来する。僕はまたバイト先でそれに遭遇する。退勤時間が異なるので、それだけを目指す。
「昨日と同じ一日だけは嫌だ」と言っていた芸能人の名前を思い出せない。その言葉だけを覚えていて、憧れたような、自慢めいていると呆れたような。

それから偶然にも浴衣売りのバイトをしている彼女の仕事あがりと時間を合わせて、中学生らのラブストーリーの間を横切って帰った。アンプで増幅された演歌 歌手の歌声より、和太鼓が鳴り響いているほうが疲れなかった。おじさんおばさんらのチームによる笑顔の踊り太鼓。これが更に緩むと「よさこいソーラン」に なっていくのだろうなと思った。その気は無いし、その空間も無いことがまだ良いのかもしれない。子供と大人の遊離具合は露呈されない。テキ屋の合間、合間 に商店街の各店が出店を出している。金物屋の前では水風船ヨーヨー二百円、文房具屋の前では靴下が三足で五百円。横の駐車場スペースにたむろして、いか焼 きをがっつく中学生たち。焦げ付いたソースの香り。
夏休みははじまったばかりだ。
誰が祭りの真っただ中で靴下なんぞ買うのだろう。しかも普通にも安くない値段で。

僕らがひとつだけ選んだのは葡萄飴、一ヶ二百円。薄い飴の中に本物の葡萄が入れてあり、食感の違いと甘味が重なる。食べながら歩いていると、おじさんが金魚をあげるとビニル袋を差し出された。もらっても猫の鬱の餌になっちゃうんで、断った。

蒸し鶏と生姜のチキンライスを食べて、携帯メール行き交う。幕を降ろせば、切りよく映画が終わるのが分かったと送る。スライドする既視感。数編に分かれていくこの頃。