水曜日, 8月 31, 2011

八月の仕事

「また楽しくやりたい」と綴り終えた自分の日記で、聴いていた歌の CD を買った。
いままでは YouTube で聴いていたのみだった。ベストアルバムにも入っていたけど、その名前が付いているアルバムを選んだ。
嵐の前の静けさを、いまは見ている。
夜中に机を運び出せないし、ギターを壊すこともできない。文字は五月蝿くないので、本棚を崩すことはできるけども、夜中と文字は危ない関係なのでいまはやめよう。
目隠しをして次にする。
サングラスが目隠しにならないことは自分が良く分かった。
夜中には CD を聴いて、寝るに限る。
「確かな光」(高野寛/2004)。

その前の日記は去年の二月だった。
今年の夏は三年にいっぺんの CUBE 展で、自分は七月にあったアナログテレビ放送終了の放送をきっかけに「世界の終了ではない」を作って出した。
続きの詩を書くのが、九月の仕事だ。

http://jinmurata.blogspot.com/2010/02/blog-post.html
http://jinmurata.jpn.org/301/101/sekainosyuryoudehanai.html

火曜日, 8月 30, 2011

フラグ湯

晩に ミチクサの長老 中山氏ことマーキーと温泉へ行く。少し遠出して、守山区にある竜泉寺の湯へ。広くて綺麗で良好。炭酸泉とミストサウナが良かった。眠気との戦いとなる入湯になっていた。
やたら小中学生が多くて、無邪気に洗いっこなどをしている。
ミストじゃないほうのサウナを出て、子どもらを見つめていたら「そうか。今日、明日で夏休みの最後だ。」と気付いた。
暑かった夏休み。よく汗を流して。
我々は既にえらい歳だ。
ミチクサ二階で このごろのニコ動事情などを聞くけど、呑んでもいないのにすぐ寝てしまった。

「(寝る)だろうと思ったよ。」
「フラグ立ってた?」

豚足も食べたので、やたら美容ツアーになったとも繰り返す。
「太った」は口に出さずに繰り返す。

日曜日, 8月 28, 2011

けんちく体操

ナディアパーク・アトリウムにて、ファミリーワークショップ「けんちく体操」 が行われた。

始めて見た「けんちく体操」は 面倒な説明をすっ飛ばして、体感して楽しめるものだった。形態模写であり、読み取りであり、連想であるが、そんなことは体を動かして気付くのだ。
子どもだけでなく感じられるものであって、規則や理屈にがんじがらめになるものではない。
理屈っぽい顔した博士がいちばん柔軟で、自由が欲しいと歌舞く集団がいちばん決まり事に五月蝿くて堅かったりする。柔軟なものはどこまでも創造を広げ、堅いものは決められた場所で暴れ歌う。
などとは自分の思ったことです。

「どまつり」で踊った帰りの家族が、通りがかって参加された。その瞬間に拍手が起こっていたのが感動的だった。そして最後まで 建築を自分の体でつくっていた。

http://www.creative-nagoya.jp/whatnew/201108001.html

土曜日, 8月 27, 2011

許せないものに怒りをぶつけること

「怒り」を伝えるのは難しい。
「批判」とも違う。批判は冷静にもできる。怒っていなくても批判はできる。
「怒り」そのものは正当性を目指さない。
ただ、コミュニケーションの重要な要素だ。
私はあなたに怒っているのだと。
「冷静に怒る」っていうことができるか。

それこそ原発問題への政府の対応はどうだ。批判し出せばきりがない。怒りが止まらない人は多いはず。日本では、テロや暴動は起こらないものだと思い込まれてる。だからこそうまくガス抜きが機能しているのか。怒り狂って暴れたところで、放射能が無くなるわけでもないことを分かってしまっている。
冷静に怒り、批判するなんてこれまたお行儀の良い姿勢が要るのか。
いや、怒っていいのだ。
冷静かどうか分からない。傷つけたら謝るしかない。傷つけたくないものを避けて、許せないものに怒りをぶつけることは必要だ。
怒りが相手と自分にどう受け止められて、どう働くか。
そこに懸かっている。

金曜日, 8月 26, 2011

ガス抜き by テレビ

紳助騒動の恐れるべきはシラケさせることで何かが忘れさられ、見えなくさせる操作なのだと今日 話を聞いた。
謝って潔白にしなければキャンペーンがもたらすのはもっと白々しい世界。
皆で、辞めればいいんだバカバカしいと遠い目で無視したい。

東海テレビのテロップ誤放送事件も、韓流偏向と騒がれるフジテレビ批判も、みんなメディアによる高度な情報操作と考えてみる。
テロップ事件は意図的に入れないとシステム上、うっかりは起こらないだろうという話も映像制作の友人と以前にしていた。
偏向して放送させてブームを作りあげるなんてのは、フジに限らずメディアはやっている。もともと怒りが起こりやすい政治傾向の要素に絡めて巧妙に着火し、怒りが拡散されないように礼儀正しく暴れて頂く。日本ではロンドンのように無軌道に暴徒化しない。(と判断されている。)
そもそも何から怒りの鉾先を外させて、ガス抜きしているのか。

やはり原発問題だろう。とにかく東電を守って国策を批判されないようにと。

節電をするなら 図体のでかい地デジを消すのが効果的なのに、それはテレビで言わない。ネットを見られると暴かれてしまう。テレビは右に習えで、がんばれ日本の熱血論と優しさ涙で馬鹿のひとつ覚えをさせるのだ。思えば、紳助の最後の仕事はその究極、「24時間テレビ」だった。チャリティ風バラエティーだあれは。
こうしてガス抜き洗脳は続く。
ここからドロップアウトするには!

木曜日, 8月 25, 2011

When we lose.

突っ走る車両のシャーシに乗っていられるわけがない。
どれだけ強がっても馬鹿にし合って仲が良くなるとは思えない。
ただ、過ぎ去って消える流れよりは、自分の弱みを見たわけだから、影のかたちくらい覚えていく。
満員電車よりも覚えていく。

水曜日, 8月 24, 2011

虚空へ呼べば

夏の路地でよく見る上半身裸のおじさんをやってみた。
すぐそこの自販機まで。
背中や腹を夜風が包んでくれる。
月が煙のような雲のなかにあった。
思えばコメ ント欄やここに吐けと書いたり言ったりと言葉をぶつける前提の場所にばかり向かっていた気がする。
皆、うんうん唸っているような晩。
八月第四週。

火曜日, 8月 23, 2011

誰も読んでいないきれいごと

「相手を否定することだけはせずに、尊 重し合って話し合うのが重要です。どんなバカバカしい意見でも、 皆で話し合ったからこそ有効に働くタイミングもあります。一人で 思い詰めてしまうと生まれない発想があるかもしれません。逆に邪魔くさいことも起こりえますが、そこは互いに尊重し合えるかです。ダメと言うのは意見に対してであって、個人に対してではありません。」

理想を語り続ける者は必要だが、何を語っているかが伝わらなければ不要になる。

月曜日, 8月 22, 2011

祖母も鰻好きで、自分は猫のアテレコをする

今回の帰省にて、津で食べた鰻が美味しくて美味しくて、お昼も思い出していた。
スーパーで鰻丼半額になっていて買おうと思ったが、鰻担当の舌が肥えているはずと踏みとどまった。きっとがっかりしてしまうだろう。あの味にゃあ勝てん。母方の祖母も鰻が好きだ。食いっ気はおうせい。「津餃子より鰻だニャア!」と、ラムちゃんの腕をつかんでナレーション。「猫はそんなこと言っていない」とはじめて怒られたのは大学院の終わりごろ。それまで勝手に言葉を付けることにツッコミは入らなかった。これは自分の重要なバックボーンだ。ねんがらねんじゅう、猫の鬱のアテレコをしている。

日曜日, 8月 21, 2011

ラムちゃん

実家の猫、ラムちゃんはてんかん持ちだが、強くたくましい。犬に負けないワイルドキャットだ。
三重の田舎の田畑を駆け回って、ときどき住居に帰って生きている。
ずっと家猫の、我が愛猫 鬱などパチンである。

CUBE 展の最終日、搬出は車を頼んでいた関係で 控え室掃除の段階に失礼をさせて頂いた。
真空管テレビ台を運びきって、ひとまずの解放。ラムちゃんが上で寝るだろう。
夜は弟に久しぶりに会って、泣きじゃくる甥と笑う姪とピザを食べた。近鉄で名古屋へ戻る。


土曜日, 8月 20, 2011

これからあることなのかもしれない

CUBE 展 会場へ。津駅から美術館まで歩くときに、暑さがひいていることを実感。らくに歩ける。いままでだったら汗だくの半死に状態で向かっていたことを思えば、相当涼しくなってきてくれた。

県民ギャラリーのすぐ前にある木製椅子に座って、稲垣さんと仕事やビールの話。
林さんには言葉のテンポの感想を聞く。
秋に津である展覧会のことを倉岡先生は話していた。夜にある懇親会の前に、らんぷという喫茶店に行ってチケットでごちそうになった。店へ行くのに、iPad を出して地図を出しては自慢げに向かったが、google マップでの特定位置が「おおよその場所」という表示で、結局迷ってしまった。UQ WiMAX は津市内でも接続が不安定で、再検索ができない。繋がるときに先に web でもチェックしておくべきだったのだ。

後輩の実行委員らが懇親会のレストランを準備してくれていた。向かうときに雨が降り出し、予定の時間を超えて騒いだ後にも雨は降っていた。
地元の駅まで送ってもらう。絵を描き続けていられるのは楽しいと聞く。
急に雨が降ってきて、大慌てでキャンバスをしまうような風景を思い浮かべた。実際に高校のときに美術部の合宿であったことかどうかも思い出せない。思い出に戻ろうとしているのではなくて、続いていく面子で新しいことをしているわけで、もしかしたらこれからあることなのかもしれない。


金曜日, 8月 19, 2011

気分だけケン

iPhone アプリ「カプコンアーケード」(CAPCOM/2010-)が 知らないうちにバージョンアップを重ねていて、どんどん新しい筐体が追加されていた。いまや「スーパーパズルファイターX」(1996)という微かに存在を知っているパロディ的なパズルゲームまで置いてある。
このごろ、電車の移動時にはこのパズルファイターをやっている。
キリの良い短い時間で遊ぶことができるのがちょうど良い。最初は偶然だった連鎖も作れるようになって、じょじょに巧くなってきたのが自分でも分かる。まぁ、そんなに威張って書くほど難しいゲームでもない。おそらく落ちものパズルのジャンルのなかではあまり巧妙に作られたほうではないだろう。カプコンのキャラで押しきって成立させている。キャラクターが対戦として出てくるだけで、パズルの内容的にはパロディになってはいない。キャラを変えて相手へ落ちる攻撃ジャムの色順などが変わったとしても、そんなに変化が実感できなくて、絵柄や声や動きだけで、もう気分でしかない。自分はストII 同様、ケンを使っている。
今日、とうとうハードモードでもクリアをすることができた。味気ないエンドロールを見ながら、ほのぼのしていた。過度に派手すぎない演出で、これくらいがちょうどいいと感じる。シンプル・イズ・ベスト。プレイ時間だけでなく、ほど良いボリューム。なんでもやりこみ前提じゃなくてもいいだろう。特に携帯で遊ぶものは気軽でないと。

http://www.youtube.com/watch?v=EBHXr-u6kvE
http://jinmurata.blogspot.com/2010/10/blog-post_3772.html

木曜日, 8月 18, 2011

終了って言葉、さみしいと感じました。

「終了って言葉、さみしいと感じました。」

Twitter で伊藤さんへしつこくフォローして聞き出した、出品作「世界の終了ではない」の感想。
丁寧に言葉にしてくれて嬉しい。

温度は勝手に起こるのが良い。

水曜日, 8月 17, 2011

運命は知ることができないから

山下達郎の歌声がラジオでよく流れていた。チューニングが良くなくても あの夏の向こうに と聴き取れる。新曲かなと思っていたら、そうではなく「僕らの夏の夢」(2009) だった。爽やかなアニメ映画の主題歌だ。フリーペーパー「R25」のインタビュー記事によると六年ぶりにアルバムを出すらしい。録音機材や、CD からダウンロード形式への音楽の流通状況の変化、それによるライヴの再評価、若いドラマーを入れてのバンド再編成などが語られていた。

歌詞は、あの夏の向こうにではなく、あの丘の向こうにだった。
山下達郎といえば、クリスマスソングで名を馳せているが、実は夏の歌もある。かつての「さよなら夏の日」(1991)も切なくて気もち良い。

二つの歌を聴いて思う。
両方の歌詞に「運命がここからどこへ向かおうと」「どんな未来おとずれたとしても」と、希望に媚びない姿勢が語られていて、それが爽やかだ。この風がメロディに響くのだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=4jw_4d8XQGI
http://nicoviewer.net/sm7632002

火曜日, 8月 16, 2011

車を出してもらう

CUBE 展の搬入に、ユーシクンに車を出してもらう。三月まで同じ職場で、それ以来 会っていなかった。車中ではあれからの生活について話す。割の良いバイトのこと。住居のこと。ここいら周囲のアートシーン話とか、結局は タブレットは iPad2 の一人勝ちで、Android のタブレットは重いし値段も同じくらいで (むしろ高くて) アプリもタブレット用は少なくて 勝負にならんという話になった。いやほとんど僕が騒いでいただけだ。
彼にはギャラリーの搬入口まで運んでもらい、とても助かった。

無事に搬入を終えて、実家まで徳田さんに送って頂く。
津から久居、一志へと旧道で抜けたので、十五年ぶりに見た風景が新鮮だった。旧道の店はあまり変わっていなかった。
夜、映像の手直しを子供部屋、現 仕事部屋でレンダリング。

月曜日, 8月 15, 2011

66年前

終戦記念日。66度目だ。その夏も今日のように暑かったのだろうか。
ノーカットで玉音放送を YouTube で聴くことができた。同時現代語訳付きである。意味が分かってくるといたたまれない。

いろんなことを放り投げて、ばらばらになった街を王様は闊歩するしかない。賢者は瓦礫から煌めく石を拾うだろう。それを錬金できるまでは時を要する。

先日、自分は炎天下の路上で生命の危機を感じた。雨が降っていたら傘をささなければいけないという判断と同じように 対策が要るということを思い知った。熱線が降り注ぐ午後三時。この国はたいへんで、自分たちを取り戻そうとヒステリックになる者も現れる。冷静ぶる者もそれはそれで気持ち悪い。みんな気持ち悪いじゃんと文句だけの奴は一人なのだ。いつの世も。

日曜日, 8月 14, 2011

打ち上げ花火

打ち上げ花火のち中華。
民 (たみ) から集めた金で打ち上げて、バスに乗って持ち帰って行く。
一瞬を歌う歌を思い出せど、別れも入ってるからあんまり大声で歌えない。

ロッテリアでイチゴシェーキ百円。
待つ間に、詩作。なんてうまくいくわきゃあない。
駅ビルのレストランからは見えない。
だからここに来た。
だからここに来た。
大切なことだから二度ならずに何度も打ち上げよ。

土曜日, 8月 13, 2011

世界の終了ではないを制作

編集仕切り直し。考え方を変えなきゃということを考えこんでしまう。取り込み方法を簡略化。文字の表示方法を幾つか試す。Live Type を併用するのをやめる。理由はアニメーションがそこまで激しくないのと、タイプライターアニメに違和感を持ったから。欲しいのはテレビのバラエティー番組での文字区切り関係なく出る引き戸アニメ。こちらのほうが重くないし、タイプのように入力しているのではなくて、声に出していることという印象になる。重くないテイストというのはこの作品にとって重要だ。タイトルは「世界の終了ではない」。映すのにと購入した真空管テレビは動かなくなってしまった。完全修理には日にちが足りない。

金曜日, 8月 12, 2011

皆で電話する

お金が無いからという反論の余地が無い理由で、急遽 会場が変更になってニュッキュパ居酒屋に集まる。崩れたポリゴンのようなツギハギのビルをくぐって、なんだかんだと集まった十余名。
気付けばすぐに終電で、三人になっていた。十二時の閉店までねばるなか、そうだ彼に電話しようという話が起こって、マーキーの iPhoneから発信する。

マーキーの iPhone は、先日、海に行った帰りに無くなってしまって、僕は停止させたほうがいいと言って、ソフトバンクに止めてもらったら、載せてもらっていた車の方が座席奥より発見し、あやうく捨てられるところだったという経緯のある機体だ。

思えば遅い時刻だったのに、しかも飲んだ勢いで電話してくるなんていうう暴挙だったのに、彼は静かに話してくれた。

もういまは野球してないんかと実家で親に聞かれたことを思い出した。
そしてニュッキュパだからと言って安くあがるわけでもない気がした。

木曜日, 8月 11, 2011

ジワジワ編集

Mac 数台同時に使わせてもらって、今月の CUBE 展に出す作品の映像編集。編集時に必要だと思う勢いの良さが、どうも起こらない。バッサリいかずにジワジワ切り刻む。ひとつの意味で決め切らず、囲いこむように問い詰める。時間がかかってしまうのがあまり歓迎できない状況で、少し焦る。焦っても仕方なく、何をするべきかなのと、何ができるかを冷静に見極めるしかない。なんてことの繰り返しだ。いい時間で終了。今回の作品の原案をもたらしてくれた 桑さんに編集の技術的なことも教えて頂く。Final Cut Express だとやっぱりか弱いのね。遅くまでやっている中華料理屋で満腹。

水曜日, 8月 10, 2011

パープル・ケース

先の渡独時に借りていて その荷物の重さと長時間タイル上を走ったことにより大破したスーツケース車輪を修理に出していた。安物だったら新しいのが買えるくらいの代金がかかってしまったけれど、このケースは二回も かの地を踏んでいる。いや、現地で購入したらしいから来日しているのか。またこいつで行きたいと思うのだ。修理を終えたやつを引き取りに行く。せっかく車輪が綺麗になったのだからと、帰り道で傷つかないように袋に入れてもらう。

火曜日, 8月 09, 2011

プロの姿勢に

自分にはここまで話せるのだいうプロの姿勢に感動。
そして、それぞれができることをやればいいんだという気持ちにも。

Ustream にて、児玉龍彦 (東大先端研教授) × 津田大介 (ジャーナリスト) 現代ビジネス。

http://www.ustream.tv/recorded/16442790

月曜日, 8月 08, 2011

カオティックな画面に流れている見えないもの

テレビ画面はアナログ放送終了までのカウントダウンが編集され繋がって行く。声が画面に立っていく。声の列を 視聴者は追いかける。
世界について何かを言えば、目を覚ますしかなく、目をこすって行く笑顔と共に、交錯するしかなく、そういった方法でしか 世界を見れない。これだけが世界でないというのは常で、これだけが世界だというのも常だ。否定は常に肯定を持ち合わせている。
世界がいまここだというのは気分が良く、私なんて端の人間と言うのも誇り高い。
ガチマジで長い詩は とにかく全てを語ろうとする。全てこそが世界で、混沌を抜けて戻っての繰り返し。
土夜日 に描く混沌を ここに。
最後の晩餐萌えに徹する。

メモを携帯に。
それから地下でメール打ち込んでおいて、地上に出たと同時にまとめて送信処理をかける。

日曜日, 8月 07, 2011

庭のサイズ

名古屋城近くのホテルで行われていたアートフェアへ。その足で市政資料館の展覧会も見る。その間を徒歩で行ったとき、夕方だったが異様に暑く。苦しかった。やや生命の危機を感じて入ったローソンで三矢サイダーを買った。アートフェアでは見る専門だった。フェアは買う気で行かないと楽しめないものだと分かった。金沢から遠征して来ている画家の中谷さんにお会いすることができた。またサイズの話をする。ホテルの個室で展示するということもあってか、小作品が多い。買いやすいという理由が主かな。小作品でも空間の引きは欲しくなるなとも思った。フェアはそんなことあまり考えないものか。バーゼルのインスタレーション部門のフェアはどうなんだろう。更に歩いて大須でパーツ買い出し。帰りにイオンでトンカツ食べる。食べながら日々の労働に感謝の祈り。詩作しようと思いながらすぐ寝た。詩のフェアは武道館でやってたコミケならぬ ぽえけっとかな。なんか広い庭で行う詩の何かとか考えようか。

土曜日, 8月 06, 2011

黙り、騒ぐ

朝八時起床。テレビをつけ、広島からの平和式典中継見る。黙祷。広島市長の平和宣言に政府へのエネルギー問題言及が盛り込まれていた。

夜八時、仕事の後に本山の Frolist Gallery N へ。詫間さんらの企画展オープニング。立ち話故にクリアコップにビール二杯程度で酔いが回る。小さい作品だとここちよくなるきらいがあるという点は、スキルではないと思う。小ささを凌駕することができるかだと帰りにピーピー騒ぐ。

金曜日, 8月 05, 2011

エクセルハイを理由に

定期券売り場で石碑の話。女性駅員さんは「お客さんが経由したいと言ったからこの経路にしたんです」と ごもっとものことを言ってくれた。
自分は入金された嬉しさで調子にのっていたのだ。
おつとめ品のお弁当を狙って夕方に買いに行こうなんてツィートして。ろくに音楽も座り心地も確かめず、エクセルに打ち込むのを没頭していた。

木曜日, 8月 04, 2011

ピーカンテレビ・コンプライアンス

東海テレビ、ピーカンテレビの誤放送問題。これぞ叱られるべき 不謹慎である。
制作会社は その忙しさや繰り返しから、放送することの意義とか影響とか麻痺していたのであろう。擁護ではなく、どんな現場でも麻痺は起こる。それを防ぐ為にチェック機能とかコンプライアンス諸々があるはずで、血相を変えてでも消去すべきデータだった。だいたい震災で苦しんでいる人のことを少しでも考えている人ならリハーサルの段階で憤慨し許されない内容である。その程度の意識で放送が作られていたということだ。

なら自分の胸に手を当てて、自身の仕事への意識はどうか。コンプライアンスはどこにあるか。詩人ですか、アーティストですかデザイナーですか芸人ですか。いーや詩人です。自粛しない詩人。自称から自他共にを経て、人に言わせればへ行く。麻痺に気付け。

この頃、やたらフジテレビ批判がネットで目立つ。東海テレビもフジ系なので今回の問題もそのまま批判を強めることになっている。実際は問題を追求すべき要素はそれぞれ別なのだけど、テレビ局の嫌なところが集結している感は否めない。大衆が ざっくりと怒りをぶつけられるという状況になっていると思う。アナログ放送終了時にフジが放送した 27時間テレビ内で起こった笑えない虐めバラエティーも酷かった。「テレビばかり見ていると頭が悪くなる」という PTA的な言葉も頷ける。まぁ、ネットばかり見ていても頭が悪くなるとも思うが。テレビが受け身で情報を浴びせられるのに対しで、ネットは能動的に情報を得ていくメディアだという意識もあっての言葉なのだろう。

水曜日, 8月 03, 2011

世界の終わりじゃない

ファミレスに行くことをやめたのは 時間じゃなく金銭的な節約。バスで見送ったら、思いのほか早く着いたとメール。帰宅後、CUBE に出品する作品を進ませたいが見事に寝てしまう。

本作は「THE END OF THE WORLD」(詞、曲, 槇原敬之/1996)と同じ題名になりそうなところを走っていった。ありふれた言葉の否定で始めてみようと思っている。

http://www.youtube.com/watch?v=of0j702dxZI&feature=related

火曜日, 8月 02, 2011

おそいひとのラストシーン

潰れることが決まった USV で最後に借りた DVD「おそいひと」(監督, 柴田剛/住田雅清、とりいまり、堀田直蔵/2007)を鑑賞した。
ラストの野外シーンに一番惹きつけられた。説明要素をすっ飛ばして来た違和感がラストに解放される感じ。筋書きの納得がいくのではなく、こんなシーンに行くまでなら納得する。
障害者の犯罪というタブーを扱っているのが目玉だけど、重要なのはドキュメントタッチの撮り方とクラブサウンド、モノクロ画面の入り組んだ構造にあると思う。この作りをしていなければ生々し過ぎて、見ていて辛くなってくるだろう。かといって嘘事のお話テイストにもしない。絶妙のところを走っていると言える。国内で問題視された後、海外公開して評価されてから日本に逆輸入して大きく公開へ至るというのも巧妙だ。タブーに取りかかる時点で頭をひねっているのだ。ちっともおそくない。

http://osoihito.jp/

月曜日, 8月 01, 2011

割愛多き

裁断機で汗をかく。今月 汗をかくのは基本的な設定なので当分はこの表現を割愛しよう。
昼飯後に歯を磨くことも今月の課題。それは書かないけど行うこととして。
アートとデザインを分けて教えられた者の弊害は根深いぜ。
脳内コンフリクトの地ならし始まりそう。Twitter のアカウント写真変える。ブログ左上部に載せていた写真も同じく。