金曜日, 8月 31, 2007

狂った果実は本当に狂っていた

昨夜遅くに、second life でタイランドと交信。快調に楽しいと聞く。遠く離れていても、共通の空間を持って、いま共有できるものとできないものをテーブルの上に置いたようだった。実際にはタイピングによって、弾き出されていた。

雑用を終えてから、日中に「狂った果実」(監督,中平康/石原裕次郎、津川雅彦/1956)を レンタルDVDで見た。格好良くて、ノッタ。大胆なカット割りで一気に進む。古さは微塵も感じない。こんなふうにつるめたら、イイネ。なんて羨ましがるこ とができるから、石原裕次郎の人気が出たんだろうな。脂の乗った頃より、若くて青さのある石原裕次郎に惹かれる。ここらへんの日本映画も深いや。みんな早 口で何を言っているのか分からないのも魅力に感じてしまう。
平沢フランクこと、岡田真澄もまたイカしてる。津川雅彦も若くて幼いけれど、目つきが鋭さを秘めている。そんな表情と設定が充分に合致しているのも傑作の要因だろう。マドンナの北原三枝は、この四年後に石原裕次郎の妻になるのか!
石原慎太郎と長門洋之を叩きのめすという場面も ただの特別出演では無く、この物語が持っている「兄弟」という要素が含まれているのだなと、ニヤリ。
また、資料クレジットを見て驚いた。
撮影クランクインが 昭和31年6月4日で、クランクアップが 同年7月3日!初試写が 同年7月6日!公開が 同年7月12日!! 信じられないくらい速い!一瞬、誤植じゃないかと疑った。で、公開初日の集客は六千人代を全国で出している。当時の映画動員数をいまと簡単には比べられな いだろうけど、興行的にも成功していただろう。
当時はこれが当たり前だったのかもしれないが、凄い。こういった熱もフィルムに焼き付いているに違いない。ヌーヴェルバーグの先駆けは、本当に狂っていた。

DVD を返却しに行って、続いて「太陽の季節」(1956)を取るが、今日はセール日ではなかったのでレジでキャンセル。なにかとチマチマしているようだが、これもまた狂うための!

http://www.youtube.com/watch?v=SJZFNM5IsIs

木曜日, 8月 30, 2007

青春で大阪

まだ空が白んでいるうちに、僕はホテルを出て、駐車場で紙コップの珈琲を買っていた。始発に乗って一度自室へ戻り、身支度をしてまた駅へ戻った。青春 18きっぷで、JRに乗り換える。これでどこまでも行けるが、今日は大阪に向かった。一眠りすれば昼には到着する。
なんばグランド花月の前を歩く。ごちゃごちゃの繁華街で、たこ焼きとお好み焼きにありつく。店員が、さも軽快に鉄板の上でお好み焼きを焼いてくれているの を見ていた。カウンターで、具材がたっぷりのやつを頼んだ。店内の BGM に やしきたかじんの歌声が流れていて、やっぱ大阪と言えばたかじんやなぁ〜とうっとりしていたら、店員は有線のチャンネルを J-POP に変えてしまった。お好み焼きはふっくらしていて美味しかった。

国立国際美術館にて藤本由紀夫「+/ー」を鑑賞。さっきまでの雑踏のなかでは意識されなかった音へのスイッチングを自覚するが、この作品は、それだけで終 息しない。ビートルズのロッカーは、僕らが再生する音楽の有り様を示しているようにもとれた。そのロッカーが待ち構えている部屋そのものが、僕らの音楽史 に触れている空間であった。
恋は続く。
美術館のインフォメーションで場所を伺い、数分歩いてギャラリーのあるビルの二階へ。小原さんら大学院の二年生の三名が同時に個展をやっている。ポート フォリオも全部見て、とにかく達者であると思った。出入り口の天井に貼られた「美術取り扱い商」の認定証を壁の白ペンキが少しかすってしまっているのが、 ここが以前は白い空間では無かったことを思わせ、ここに至る過程を見る気がした。
皆でうどんを食し、挨拶をして解散した。また 18きっぷで同じ路線を逆に帰る。
名古屋駅に着いたとき、改札口で「31日分で入らせてください」と18きっぷを出して凄んでいる鉄道ファンらがいた。駅員が「まだ31日じゃないんで」と断っていた。時計を見ると、23:43。そりゃだめだろうと思った。

http://www.nmao.go.jp/
http://yaplog.jp/saeki/archive/642

水曜日, 8月 29, 2007

夢をこうしてまたひとつ

金沢で買った「陰翳礼賛」(著,谷崎潤一郎/1933)を読む。
日本家屋についての美が語られていて、ちょうど兼六園でお茶を飲んだ和室を思い起こす。厠は離れたところにあるのが、趣があって良く、漱石先生は毎朝用を 足すのを楽しみとしていたなんて。面白い。文体にその趣があって、日本家屋の邸宅に住みたくなる。これはゆっくり味わって読も。

友人の、結婚式の二次会へ加藤氏と行く。結婚されるおふたりは、どちらも仲の良いおふたりだ。奇跡が普通のことになるって、なんて素晴らしいことなのか。 僕は、嬉しくなって、周囲の OLさんにどん引きされつつもビールで酔っぱらい、アートスペースもバンドもたいへんだーっとか、ドバイはヤバイとか。楽しかった。
泊まらせてもらった日本家屋のホテルにて、くたばる前に「小学生のための日本万国博」(学研/1970)が何気なく置いてあるのを発見し、ついつい見入ってしまう。当時の人たちが如何に本気で万博を行い、子どもらとどんな未来を見ようかと考えたかが伝わってくる。
夢があるよ夢が!
夢をこうしてまたひとつ、離さない。

火曜日, 8月 28, 2007

金沢礼賛

朝湯を浴びて、朝食は加賀野菜のバイキングをもりもり食べた。じゃがいもが甘くて美味しい。加賀れんこんもやわらかくて美味しい。ご飯もおかわり。食べ過 ぎたくらいで、出発する。生憎の雨に見舞われつつ、巡回バスで兼六園へ。雨にけぶる庭園もまた乙なもの。散策をして、園内にある時雨亭でお茶と小さな金鍔 を頂く、手入れが行き届いた庭をゆっくり楽しんだ。
他に 大きな池の上にせり出して建てられた夕顔亭という食事処があったけど、ちょうどお休み。
雨が止んでくれたので、兼六園から近江町市場へ歩く。
市場は活気があって、見ているだけで楽しい。イカの黒漬けなどを求めた。回転してるけど根本的にネタの基礎レベルが違う寿司を堪能し、珈琲豆屋で煎れたてを店先で飲む。

今度はどこまで乗っても百円の小さな電気モーターらしき小型バスに乗って、兼六園の方向へ戻る。雨がまた降り始めていた。停留所から走って、21世紀美術 館に着く。ここも人が多くて賑やかだ。次回企画の日比野克彦の作品がはじまっていて、美術館の周囲を朝顔のツタが覆っていた。
企画展「我が文明」グレイソン・ペリーと「パッション・コンプレックス:オルブライト=ノックス美術館コレクション」を見る。リッチな空間で見る豊かな作品群。
グレイソン・ペリーはイメージを混沌とさせる妙があって、それはそのまま私的な問題と公的な問題の合いまった妙である。最初は、何故に坪に描くのか首をか しげていたが、だんだん坪を見回すのが、面倒ではなく、深く入りこめるようになってきた。ぐるりと見回すという時間は、読むことのようで、言葉をひとつに させていくようである。女装したペリーはクレアという名になって、新しいイメージを見出す。それまでわからなかった人生のイメージを。彼、彼女は人生を嘆 くが、捨ててはいない。

プールに、穴に、緑の門と、光の空、21世紀に僕らは時間いっぱいまで居て、ダッシュで六時半のバス停へ向かう。外は、夕方の金沢市。2007年の。

「人間性のレシピ」という作品に縫い込まれたペリーの詩。

人は死に、人は独りである
王座に神はなく
人はこの世の無秩序におかれる
人生の意味はその人しだい
下に地獄はなく、上に天国もない
この人生を生き、愛とともにあれ

http://www.kanazawa21.jp/
http://blog.livedoor.jp/air2005_kanabi/
 

月曜日, 8月 27, 2007

音楽が降りてくる夜

金沢へバスで一泊二日の旅。
35ミリのフィルムカメラを小脇に抱えて、リュックひとつに一眠りすれば、すぐに金沢だ。でも、ずっといろいろ話していた。バスの中で、僕らの小さな声だけがあった。
お昼、香林坊という金沢の中心街で降りて。賑わいのなかを歩く。wiki で読んだとおりに高級ブランドショップの路面店が多い。
ハントンライスという、オムライスみたいな金沢名物の洋食をレストランで食べた。見た目よりボリュームがあって、白身魚の肉が凝縮フライになっていて卵と 混ざって美味しい。明日ゆっくり見る予定の 21世紀美術館のほうへ小道を歩いて行く。書店で「そらあるき」という小さな町歩き本を購入。金沢の若いお店の人たちが作っているようで、地図が見やすく て実用性もありつつ、読み物なども充実しているしっかりした素敵な本だった。

通りに面したジャズバーの窓を「どんなのをやってるのかな」と覗いてみたら、遠藤ミチロウの写真が額に入れてあるのを見かけ、「おっ」と思ってたら、すぐ 横のチラシに「早川義夫、HONZI ライブ・音楽が降りてくる夜」とある。「何っ?!」しかも今夜ではないか!!興奮し、開店前の店に入る。チケットがまだありますかと訊くと、あるので求め る。すごい偶然なんですとオーナーのおじさんに話してしまった。ここは、以前にライブ記事で名前を見たことがある「もっきりや」だったのだ。
「がんばれチヨジ」だよ!と一人うるさくなってしまう。

一度、ホテルにチェックインしてから、ライブに向かうことにした。ホテルは温泉のあるところにして良かった。うーんごくらく。この後にライブもあるかと思 うと、楽しみが重なって嬉しい。旅先で偶然にも早川義夫に HONZI、雰囲気のいいジャズバー、ごにょごにょごにょ。ホテルの部屋にあった左内正史の写真が、なんでもなくて良かった。

もっきりやの壁に「この七つの文字」と「There three words」が見えた。高松次郎だ。その手前に大きなピアノがある。お客さんととても近い。僕らが着いた頃は、もう満席に近かった。ビールとウインナーを頼んだ。
以前、早川義夫のライブを見に行ったのは名古屋のクワトロで一人だった。サングラスにスーツ、MC は何も無く「どうもありがとう」だけを言っていたのを覚えている。
今夜のライブは、話しかけるだけの間合いの MCがあって、HONZI が入ってからは、もっと優しく歌っていた。HONZI とMCを交わすことがなくても、音と歌は向き合って、深く大きな広がりを生み、そのままにあった。僕らは息を飲み、手を叩いて、また息を飲んだ。身体をゆ すって、心をえぐり出して、奥底を見つめた。開いたそれは風と水と沈黙が抜ける音楽だった。コンクリートの堤防に上って、海の近い川沿いから夕方の空を前 にしている気持ちになった。それらは生き死にを共にしていて、惨めで残酷で、優しくてきれいだった。そのままの言葉と音楽、そのままの歌だった。

ライブが終わって、そういう気持ちを話せばよかったのに、僕は要らない余計なことを話してしまった。緊張のあまり、早口になって蛇足に落ち込むのが悪い癖で、これは僕自身の社会性や、表現能力に深く関わる問題の一端なのだと帰り道に思う。
でも早川さんに感動しましたと言えて、嬉しかった。
大切な人と、大切な歌を聴くことができて嬉しかった。
HONZI のソロCD を部屋で聴こうと盛り上がって歩いたが、プレイヤーだと思っていたのはテレビのチューナーだった。でもまた聴くことができる。
もっきりやにまた行こうと話すだろう。

http://www.soraaruki.com/
http://www.spacelan.ne.jp/~mokkiriya/
http://www15.ocn.ne.jp/~h440/
 

日曜日, 8月 26, 2007

蝉よさらば

物干竿の下にある
木製の白い台座の上で
抜け殻になっていたのを
発見した。
誰もいなくて、全てを終えたあとだった。
後日、あるなと思っていたのに、シャツを干してすぐに足を後ろにやったとき、バリリと踏んでしまった。
何も言わずに、箒でそれを履き、今夏はようやく秋に向かいつつある。

針路を決めよ。そなたは鉛筆で定めよ。
蝉よさらば。



土曜日, 8月 25, 2007

常滑焼きまつり

ガラスの向こうで、競艇用ボートが旋回を続けている。
回る回数は決められているだろうし、選手もそれを数えているだろう。けれども、ガラスのこちら側からは、あての無い運動にそれは見えた。
スタンド席で、焼きそばとどて焼きを食べた。案内の地図がわかりにくくて売店があることがわからず、屋台の出店で買ってしまった。ボートを目で追いかけながら、僕らの運動についてを話した。ここにガラスは見えない。無い。
これからはじまるレースのために、旋回運動はあったのだ。献血を断られたのは、あなたに倒れられてしまっては困るから。本末転倒だ。
競艇場で行われている「第41回 常滑焼きまつり」に行った。ここで既製品を買うのも本末転倒な気がする。でもいま欲しいという自信があるのなら、それでもいいというのも頷ける。促される 社会規範や、自己規制はときにリアルな本能を見失わさせる。昨晩 話していた「私的/公的」の問題はここにあるのだろうなと思い直す。
公的に用意されたまつりを、私的に楽しむ僕ら。交通安全を促すスーパーマリオのアニメに釘付けだ。大型工房での市もいいけど、若手作家コーナーに反応して しまう。またぶり返してきた陽射しの下で、テント出店しているのはすぐに汗だくだ。そんな姿も若く、それを選ぶお客さんらも若さに喜んでいた。「くさのう つわ」という陶器が素敵だったのを覚えている。

まつり会場を後にして まねき猫のレリーフ前を通り、散歩道のほうに出て、閉店間際のお店を物色。
そこで偶然通りかかった「rin」という大学の工房と併設したスペース前で谷澤氏にばったり。しかもいまから展覧会のオープニングパーティもあるというの で、それに参加することに。丹羽康博さんの個展「ひくとみちる」を見る。常滑に一ヶ月 滞在制作をしたもの。歩き回ったりして拾い集めたものを、見せるという仕事だった。ウレタンフォームで作られた石も拾ってきたそれだったのだが、僕はてっ きり作ったものだと思ってしまった。
貝殻のウェーブが奇麗だ。「ただ見せる」だけに徹しようとする仕事は進む切り口だと思った。
オープニングで肉じゃがなどをたくさん頂き、そこに居合わせた面々と話をした。秋に多くが参加する企画展があるらしく、元焼き釜のスペースや工房跡地を広く使うものになるらしい。
さっきまでいた常滑焼きまつりでの花火が打ち上がった。rin は高台にあるので、窓から花火を望むことができる。
駅に向かう間も、花火は続き、光の後はドンッという音が衝撃となって路地に響いていた。



http://www.toko.or.jp/maturi/maturi.html
http://blog.goo.ne.jp/tokonameyasuhiro
 

金曜日, 8月 24, 2007

冷凍庫の霜取りは、ほほえみの国への前夜祭のために

ほほえみの国に向かう御一行様の一名は、更にほほえみを求めていてどこまでも追いかけるんだとやって来た。崩壊寸前の雑居ビルにボロアパートは、それを聞いて自癒本能を発揮し出す。
寝起きに冷凍庫の霜取りをはじめた。内壁にこびりついた、食べることのできない氷を剥がしとるために、できるだけ少ないお湯と短い時間できれいにしたい。 大型鋏をコンロの火で熱してから壁との間に差し込んでみる「ファイヤーソード!」と叫んでみるが、敵にはあまり効果が無かった。加熱補助の無いかたちで も、鋏での執拗な攻撃が一番いいようだった。お湯を部分的にかけて、そこからじわじわガリガリやる。溶け出すものは、何かのメタファーであると思えた。何 かのメタファーになり得る作業であった。霜の固まりがボゴッと剥がれ落ちる瞬間は実に呆気ない。急所を刺す一発まで、冷凍庫の中身と、上に置いてあった電 子レンジに小物類をよそに動かしておき、コンセントを抜いていた。早くしないと冷蔵庫の中身が危ないぞと自分を急かす。剥がれ落ちた敵のボディの固まりを 台所のシンクに並べ、手に入れた経験値を勘定しているとき、久々に西山氏が部屋に訪れた。足下が濡れていると思うと告げた。

彼より地元のお土産を頂き、先日の絵画教室の報告、作品のコンセプトについてを話す。新しく出たばかりの「あいどんわなだい」(銀杏BOYZ/2007)を聴かせてもらう。ジャケに写るちひろちゃん(?)を見ていると、すぐに喉がカラカラになる。

今晩の会に、西山氏も誘ったが、夜に別件があるからと帰り、iTunes には銀杏が残った。
ほほえみの国への前夜祭は、ぶっちゃけ壮行会で、取り締まり対象。純粋な根拠としての彼氏彼女自作との関係性が、はじめて語られていたように思う。
ミュートで流しっぱなしにしていたのは「ラブ&ポップ」(監督,庵野秀明/三輪明日美/1998)。
ほほえみの国へ行くには。
冷凍庫の中に潜んでいた憎むべき霜を倒しても、そのメタファーを効果的に引用しなければ、それは表現にはならない。でも、手続きに終止するだけのものは、姑息に感じられる。どこまでも ほほえみを求める者は、それ故にぶっ倒れていたのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=iG5bMLgN7j4
http://www.gainax.co.jp/anime/pop/index.html
 

木曜日, 8月 23, 2007

水曜日, 8月 22, 2007

いつまで待ちわびられているんだ?

「昨日は一日中、家にいたから今日は出かけよう。」
「せっかくの休みだから、美術館に行きましょう。」

ネットからプリントアウトした割引券分で、ナンバーズを買おうという提案を忘れた。
暑さは少し収まってきてくれていたが、公園の子どもが遊ぶ水場には 水が全く無かった。
その横を通り抜けて、名古屋市美術館でやっている 中村宏展「図画事件 1953-2007」を見た。サインの移り変わりを見てとり、引き込ませる動きに酔う。
それからずっと、甘い覚え書きと、噛み潰した苦虫の存在が交互に続いた。
書店で、出たばかりの森山大道のヌード写真集を手に取る。古屋誠一の、ヴァンジ彫刻庭園美術館で行われた展覧会の写真集も。

どれだけの時間を置いているのか。
僕たちが共有しているものを並べようとした。
それらは、みんな墓の中まで持って行くものだ。
光、色と、音、どこかで言葉に聞こえ。
たったいまも「僕たち」と呼んでいる。
「いつまで待ちわびられているんだ?」

http://zugajiken.jp/index.php
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2007/nakamura/index.html
http://www.powershovelbooks.com/kagero/
http://www.vangi-museum.jp/002_kikaku/furuya.html
 

火曜日, 8月 21, 2007

シャンプー

猫の鬱をシャンプーした。彼女がいままで生きてきたうちで、二回目となる入浴だった。彼女は家のなかにずっといるので、突然の夕立に打たれたりしたような 経験がない。ビショビショになって浴室から出たが、すぐに日向でゴロゴロし始め、グルーミングを入念に行っていた。数時間後にはそこで飲み込みすぎた自ら の毛を吐き出すだろう。すぐに乾いて、ふっくらした毛並みに戻っていく。彼女の今日一日の仕事は終わった。
近づくと、美容院の香りと、仏壇に立てられた線香の匂いがする。シャンプーを選んできた僕のセンスが非難された。いろんなその他のことに比べたら、たわい もない失敗だったので、気軽に流した。行いが蓄積され、いまの顔をつくりあげている。今日もその一部である。寝ても覚めても、世界中で事件が起こってい る。猫の鬱がシャワーの勢いで抜け落とした毛は、排水口の毛止めに溜まって、指先で掴める大きさになっていた。

月曜日, 8月 20, 2007

火事

家族からの電話。誰か、芸能人が亡くなったよね? と訊かれるが、わからず。また改めて電話を返すと告げると、ちょうど真後ろで火事の通報を受け、向かう消防車が発進するところに出くわした。友人は俺も手 伝いますと自ら後ろの荷台に乗り込んだ。慌てて後を追いかけるが、見失う。
数十分後に、焼け跡に着いた。煙ではなく、湯気が立っていた。ありがとうごぜえますだと地元に住む老夫婦が寄りかかってきている。友人は何も言わなかっ た。おそらく彼が乗り込むとか乗り込まないとかやっていた数秒間のロスは、この消火活動に何らかの支障を与えていた。そう直感として感じてしまったから、 自分も何も言わなかった。この老夫婦たちは、燃え尽きた家の住人ではないようだし、この全焼ぶりは明らかだ。空港での事故も信じられないが、この顛末にも 絶句する。こういうときにフォローする言葉をかけても、それはフォローとして迎えられて、後始末をしている消防隊員らには、ずいぶん面倒な話に覚えられて しまうかもしれない。否応無しに、帰路は用意された。友人はようやく、こっちの車に乗り込んだ。いまは、あらゆるものが分担制である。彼の仕事は何だった か。彼の下の名前は何だったか。まぁ今はよそう。帰ってから、部屋でゆっくり話せばいいのだ。すぐに眠くなるのも予想されるが、今は話したくない。考えた くない。勝手なもんだ。友人の他は、皆 ただの野次馬だった。でも仕方ない。どちらが正しいとか振りかざして大きな声で威嚇している場合ではない。朝、起きてパソコンを点ける。山口小夜子が亡く なったことを知る。

私は、あなたのことがわからない。
それだけが不安。
それだけが動機。

日曜日, 8月 19, 2007

家族の物語

来年の為のミーティングで、十年ぶりに母校の美術室へ行った。
モチーフとか、設備とか、何も変わっていないように見えた。汗を拭いながら絵を描く高校生らも変わっていないと思った。
全ては目に焼き付いた残像なのかもしれないと思えたほどだ。

行き帰りの電車の中で「家族解散」(著,糸井重里/新潮社/1989)を読む。
傑作で、楽しい。
この前後あたりに「MOTHER」を作っていたのかと思うと、感慨もひとしお。
読み終えると、名古屋に着くまで熟睡してしまった。
名駅タカシマヤの書店で、久しぶりに雑誌「CONTINUE」(太田出版/2001-)を購入。表紙は綾波レイ、エヴァンゲリオン特集。新作前に、また見たい。

前々から、見たいと切望していた 映画を借りていた。
「極私的エロス・恋歌1974」(監督,原一男/1974)だ。
じっくり見る。
度肝を抜かれた。
愛故に殴り合い、惹かれて分かち合っていた。

並べてしまえば、どれも家族の物語だった。
家族は、最初で最後の場所だ。

http://www.ohtabooks.com/continue/index.shtml
http://docudocu.jp/movie.php?no=3
 

土曜日, 8月 18, 2007

その男、凶暴につき

うまく場を生かすことができない。テーマは続く。
地下鉄の駅から、家まで歩き倒す。

「その男、凶暴につき」(監督,北野武/ビートたけし、川上麻衣子/1989)をビデオで見た。とても後味が悪いが、つまらないのではなく、薄気味悪さに 震えたのだ。この美学は危険だ。川上麻衣子が可哀想だと、お芝居なのに思った。たけしは、どうしようもなくヤバい人だ。居合わせたくない危険人物。この徹 し方は、異様だ。

人から異様と思われるほど、語り倒し、このテーマは続く。

http://www.youtube.com/watch?v=1C2hTZ4RKhU
http://www.office-kitano.co.jp/contents/MOVIE/WORK/first.html
 

金曜日, 8月 17, 2007

Summer when something is requested.

いま、僕たちは、日本でいちばん暑い夏に生きてる。
この暑さに倒れぬよう、
逃げて。
これは天災と同じ。
まともに動くことができる暑さではないよ。
「死ぬ〜!」
とよく言うけれど。
冗談にならない。
これも地球温暖化のひとつなのでしょーか。そこらへんの見解を知りたし。
もう暑さで考えるのも億劫だ。
何か飲もう。何か食べよう。
何か見よう。何か聴こう。

http://www.youtube.com/watch?v=oE5LB3CkvVc
http://www.youtube.com/watch?v=gG47bDXoDcY
 

木曜日, 8月 16, 2007

幻の季節

お盆で帰省している 現在の先生の替わりに、午前中は絵画教室のピンチヒッターをした。防火と緑化のポスターを描く夏休みの宿題を見た。水彩で塗り進めるのは、ときに鬱陶しく 感じることもあるだろうと、色鉛筆やパステルの併用も提案する。消防車から吹き出す水は、これの白色で炎まで軌跡を描いてやれと。水は青色なんてしていな いぜと。
教室後、僕らの残してきた癖と仕事をフローリングの床に並べた。
陽射しは今日も恐ろしく強い。タオルケットを窓に重ねて、日除けを更に強くする。扇風機は部屋にいるあいだ、回しっぱなしだ。僕らは降りてきた山のことを話しながら、目の前にある海を見ていた。
握手をして別れる。夜道は火照ったままで、車が絶えないカーブを、閉店間際のジャスコまで歩いて、曽我部恵一の歌を呟いた。

「幻の季節」(曽我部恵一/2006)。
人参のスープとジンジャーと茄子の肉炒め、美味しかった。

http://www.youtube.com/watch?v=V4ImJ1i7ZMs&mode=related&search=

水曜日, 8月 15, 2007

終戦の日

言いたかった言葉は、いつまでも残る。
数日どころか、五、六十年経っても残っている。
言葉でなくても、伝えられることもたくさんあるが、やっぱり言いたかった。詩人でなくとも、人はそうだと思う。言葉は基であり、全てだ。
今日は終戦記念日だ。六十二年目の言葉が、古ぼけたものに聞こえぬよう、今どきの言い回しに迎合ばかりせぬように。
郡上おどり は「英霊を慰める」と言って、終戦日にも軍の中止命令を跳ね返して踊ったそうだ。だから今日も徹夜踊りをしているだろう。
お家から頂いた野菜を用いて、ゴーヤカレーを食べた。元気を出して、暑さを乗り切らねば。
録画しておいた戦争関連の番組を見た。
「鬼太郎が見た玉砕」(NHK/2007)は、とても良かった。滑稽なくらい悲惨な視点が、何の媚を売ることもなく語られていた。原作となった漫画も読もうと思う。
同じく NHK から録画しておいた歌番組にて、元ちとせが広島の原爆ドーム前から歌う企画があり、その曲は坂本龍一と手がけた「死んだ女の子」だった。高石友也も歌って いた、トルコの詩人 ナジム・ヒクメットが広島で死んだ女の子のことを書いた詩「KIZ COCUGU」(1956)を歌にしたものだ。原題は「小さな女の子」らしいが、「死んだ女の子」という訳は強くて惹き付けられる。読み上げる度に、口元 がヒクつくような鋭さを持っているのが、この詩の凄みだ。
そして、歌も良かったが、坂本龍一が NYのグラウンド・ゼロの前で挨拶をしていて、WTC より大きなビルの建設が決まったというここに鳴り響いている工事の音がうるさく、この音は希望の音なのかと問いかけ、「僕には復讐の音に聞こえてしまう」 と言っていたのが良かった。
広島、長崎の グラウンド・ゼロ はそう呼ばないようにされていく。
誰も望んでいないことが続いている。
いくらニュースが速く届いても、誰が酷いか分かったとしても。
動かせなければ同じになってしまう。

http://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/
http://www.youtube.com/watch?v=EmsRNQ57f1M
http://www.geocities.jp/livanelistkyj/hikmet.html
 

火曜日, 8月 14, 2007

白鳥おどり

友だちのお家にお泊まりで、はじめて岐阜県の郡上、白鳥おどりへ行った。
郡上八幡と白鳥という二つの地域でやっているらしく、白鳥おどりのほうがテンポが速くて若者向けらしい。友だちは白鳥の出身なので、そこへ向かうことができた。
浴衣と下駄に決め込んだ面々で向かうと、駅前からの一本の道に輪ができている。山車のようなやぐらが出ていて、上には複数の奏者が太鼓と三味線、そして踊 りの唄を歌い上げる浴衣のおじさんと兄ちゃんがいた。誰が入ってもよく、うまい下手で下ろされることもない。「シッチョイ」、「源助さん」「猫の手」「神 代(ドッコイサ)」と、踊りの種類は幾つかあり、やぐらに取り付けられている表示板に次の踊りが示されている。
輪に入って、見よう見まねでテンポに合わせて踊っていると、なんとか合わせられるようになってくる。延々と踊りのハイを味わっているうちに、曲が変わって しまい、またヨタヨタとなってしまう。友だちはすぐに身体が反応して、次の踊りに入っていた。僕らもその後ろについていく。輪をつくっているのは、地元の 見知った顔ばかりらしい。踊りの節に唄われる言葉は祈りの内容であるように聞こえた。歯切れ良く、小気味良い。はじめは、唄い手が即興で作っているのかと 思い、その滑らかさを堪能していた。
訊ねると、歌詞は決まっているそうで、聞いていればいつ終わるかが分かるそうだ。何度も何度も繰り返す踊りに、トランス状態になっても苦しくならないのは、前へ前へと進んで行く歌詞があるからだと思えた。繰り返す主旋律の奥で進行するメロディの構造だ。
この輪はいつまでも続く。
踊ることで、祭りがあった。勝ち負けを決めるものでも、見せ物でもない。
伝承される節には、ギトギトした添加物など入っていない。
朝の三時まで踊る。



http://senshohamada.hp.infoseek.co.jp/minyou/minnyou-sirotoriodori.
 

月曜日, 8月 13, 2007

導入不足のゲド戦記

昨日に引き続き、今日も一日中 掃除。またこれも昨日に引き続き、モスバーガーに焦がれつつ、スーパーで おつとめ品のパンを買った。一人でモスバーガーを買いに行くという行為がどうも勿体なく思えて仕方ない。外で食べに行く機会に取っておく貧乏性。

掃除が一段落したところで 晩に、レンタルで「ゲド戦記」(監督,宮崎吾朗/声,岡田准一、手嶌葵/2006)を見た。
映画公開時に周囲の感想などを聞いていたので、それに振り回されないように見ようと思ったが、周囲の感想に納得してしまった。全くグッと来ず、消化不良で 終わった。肩に力が入っていて、理屈のみで伝えようとしている。原作はファンタジーの名作で、扱おうとしている題材は魅力のあるものだと思う。
しかし冒頭のシーンが呆気なさ過ぎて、ファンタジーの世界に引き込まれていくことができなかった。それから続く魅力ある要素の連続に、ぞくぞくすることができない。既にどこかで見知った物語の類似品に思え、それらは劣化コピーで、白々しい。
問題は、導入不足だ。ついていくことができないのは、マニアック路線で行くならそれでもいいとは思うが、おそらくこの映画は広くやろうとしているだろう。 「宮崎駿の妄想ノート」(大日本絵画/1984-1990)を思い出す。マニア雑誌に連載されたそれは軍事マニアっぷり全開で、導入など知ったことではな かった。その徹底が逆に引き込む要素であったりした。宮崎駿の映画は己のマニア熱をうまく調整して、一般に広く受け入れられるように、それでも媚を売るわ けではなく上質に昇華している。その舵取りの良さこそが、宮崎駿のプロとしての凄さなのだと思う。やはり比べてしまっているのだが、比べらても仕方ない作 品だと思う。
数日前に、ビデオ屋で「ゲドを読む」(スタジオジブリ/2007)という文庫本のフリーペーパーを手に取っていた。これは宣伝パンフなのだが、監修が糸井 重里で、ブックデザインが佐藤可士和、執筆陣も中沢新一や河合隼雄など凄い。内容は薄い感触もあるが、この宣伝としての導入はとても巧みだと思う。
「ゲド戦記というのは今回の映画で判断がくだされるような代物ではなく、あれはあくまで一パターン、原作は偉大なんだよ」と言っているように読んだ。糸井重里と言えば、「導入」を仕事としたプロ中のプロではないか。

http://club.buenavista.jp/ghibli/special/ged/about.jsp

日曜日, 8月 12, 2007

暑さを共有したい

一日中 部屋の掃除。模様替えをしたくて考え込む。暑さにやられて、料理をするのも億劫になり、モスバーガーでも食べたいと出かけるが、勿体ない気がしてドラッグ ストアでパンや廉価菓子を買って済ます。食べながら頭のなかではモスバーガーのことを考えている。生活食料品を買うときに、自分でも怖いくらに迷って、店 内を行ったり来たりしてしまう。不審な客と思われていることだろう。家政婦の猫村さんのように うまい買い物を目指すが故だ。買い物ひとつにもコンセプトが重要である。いや、買い物とはコンセプトと向き合うことである。

昨晩に引き続き、second life で話し込む。音声チャットを試すが、まだ動きが鈍いので止める。
試したことで、テキストチャットのほうが良いなと思った。相手を読むということが、コミュニケーションにはあると仮定する。
second life もリアルも、総じて現実だ。
人と人が向き合うとき、それはあるだろう。こうした日記を読んで誰かと向き合うように。

土曜日, 8月 11, 2007

銀と黒の私は、大きく見せる天才です

もう吹っ切れて
取り返すべきもののために走るように
冷静で適切な助言を聞いて
朝のうちに勤めを終え
無人駅でブラジル人と親子連れに挟まれ
だらだらと汗を流しながら
スーツのズボンが冬ものなのを悔い、ペットボトルの水を飲み干す。
ズボンよりも悔いているものは!

格好をつけるのが、裏打ちされているのがいい。
格好よくなりたいと仕事をするのがいい。

ハルカリ氏に感謝。決めたら早い。ここからはじめるのだ。Mid 2007 (MA876J/A) 求める。移項と共有を終え、ある意味で終わった。
ああだこうだと思案すべきことはまたどんどん湧き上がる。
行けよ。
本棚の部屋から。

金曜日, 8月 10, 2007

呼びかけられた人は、呼びかけた人を見る

スタッフ参加した伊藤氏とそのままか帰って爆睡。まさしく 眠っていいとも してしまった。暑さに目が覚める。夢のなかで いいとものテロップサウンドが鳴っていた。

ウエストベスコヅカで中野克俊さんの個展を見る。
目に見えないだけで、人は擬態しているようなもの。それをアーティストは見えているんだというわけではなく、見ようとしているというのが作品だった。帰りにそんな青いことを思い返す。いや、マジな話。
人形たちはどこを見ているのだろうか。自らの擬態には気づいていない、知ろうともしていないようにどこかを見ている。ほんとうは、ここはいつでも、どこでもない。

帰って、録画しておいた「ぼくらの」(GONZO/2007-)を見た。
病んでいるとか、悲しいとか、一人であまり言うとそれでどうでもよくなって吸収されてしまうんだなと思った。
嘆く顔で叫んでいても、それは一人言に思われたらそれまで。
ぼそぼそと聞こえなくても、それが響く言葉であることもある。

http://www.japan-net.ne.jp/~shouken/
http://bokurano.jp/
 

木曜日, 8月 09, 2007

眠っていいとも!

転げても、震えても、読み上げても、もういっちょ!

昼には うんずステーション入り。
零時からの番組「山田 KOアワー 眠っていいとも!」。
テレフォンショッキングに、コーナーは眠談。CM は熱田神宮会館。
あっという間の三十分。生放送はたいへんで楽しい。
全体のエンディング間際に古池さんとの即興ヤクザ寸劇。
うんずステーションのキャスト、スタッフの皆様に感謝。
放送をご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
後日、また録画したものを掲載します。
改めて、放送というものは面白いと感じた。

水曜日, 8月 08, 2007

0809深夜!インターネット・ストリーミングライブ TV・うんずステーション!夏休みスペシャル!

information です。
急ですが、明日(8/9)の深夜(日付上は 8/10)に web上でのストリーミングライブ放送に参加します。


「うんずステーション6時間生スペシャル」内 番組

日時・2007年 8月10日(金)早朝 0:00〜0:30(生放送の為、少し時間が前後する場合があります)
視聴方法・http://www.nzu.ac.jp/%7Esouzou/LIVE/live.html
にて視聴可。無料。
※Mac での視聴は、ブラウザ Safari を使用して下さい。要 Real player。
※サーバーが混み合ったとき、接続しにくい場合があります。

「うんずステーション」の全体は、8月9日(木)の、21:00〜 翌朝3:00 の6時間生放送で、様々な番組が企画されています!
その中での一番組に参加します。番組名、内容は放送までのお楽しみ!


自分がすべき仕事を考える日。
たくさんの声を頂き、ありがたく、省みる。深呼吸。

火曜日, 8月 07, 2007

独り夕暮れ族

今年の八月は実に八月らしい気がする。ここのところ毎日、かんかん照りだ。
辿り着いた先の、駅前のブックオフはショボかった。帰りにはカレーを食べ、放心状態で、窓から空を眺めていた。
そしてまた単線を乗り継ぎに、屋外へ出た。

「夕暮まで」(著,吉行淳之介/1978)を読み終え、その綿密でねっとりとした場面の連続に酔う。
自らの口の中で、
「厄介なことになったな」と
「厭ねぇ」
を繰り返し呟く。

月曜日, 8月 06, 2007

62年前の今日

ば、彼らは都合良く許していってしまうだろう。
炎天下を歩きながら、62年前に人々を引き裂いたものを考えた。
いまの僕らと何も変わらぬものが、散り散りになってしまった。
戦後の今日が、戦前の今日にならぬように。
全ては解釈によって、たやすくはじまる。

日曜日, 8月 05, 2007

強い日にうだる

お中元解体セールにて買ったキムチラーメン。静岡のスーパーでワゴン売りされていたパインのシリアル。どちらも五十円也。強い日にうだる。いろんなものを 奪う暑さ。牛乳と CCレモンと米を買い、今夏はちゃんと食べる。安くても足りなくてはだめ。吉行淳之介 読む。半分ほど。

土曜日, 8月 04, 2007

時間が惜しくなり途中退場する

ほとんど寝ていないという昨晩の面子らと、愛知芸文センターでやっている「アート・アニメーションフェスティバル」を見に行った。だが、プログラムの確認を怠ってしまっていて、今日は以前に見た作品と重複が多かった。時間が惜しくなり途中退場する。
喫茶ユリの後に、アートフェチで近藤さん、渡辺氏らの個展を見る。「clipping」とは、視点がテーマになってくる絵画だった。実際に見ているものか、見ていたものか、見ようとするものか。

http://www.aac.pref.aichi.jp/bunjyo/jishyu/2007/animation/index.html
http://artfeti.main.jp/EXHIBITION.html
 

金曜日, 8月 03, 2007

ようやくのようやくで

車を返して、自転車乗って、ようやくのようやくで幾つかの打ち合わせ。
胃が小さくなったみたい。
岩倉ガストのドリンクバーですぐに飲めなくなった。閃きや想像力もいまいち震わないが、それでも仕切り直して、繋がるように考える。
部屋の仕切りは外して、風通しをよくした。猫の鬱が嬉しそうに転がりだした。
鬱の胃袋も小さくなったのか、静岡に出ていた日数分と盛っておいたキャットフードを残していたから。
晩は、ノリクンも来て先生のお土産を囲んでの飲み会。
ホッケが美味しい。伊藤氏らと上機嫌。
墓場の鬼太郎から美術収集家についてと、浮かれた話。

木曜日, 8月 02, 2007

朝と夜、静岡にて

昨日の朝ーーーー
目が覚めると安堵に包まれ、富士山麓のガストでドラえもんホテルと千円札を二枚拾う。突き返される期限付きの海老煎餅は僕のものではないが、いま拾ったよ うに僕が扱える代物と化していった。次から次へと人に会い、現状調査を重ねる毎に優しくなっていく。一人ではこうはいかない。

昨日の晩ーーーー
閉場間際の砂浜で、時間いっぱいまで海に入っているサーファーらを見ていた。立て続けで車中泊は辛いから、民宿で素泊まりをする。地元の居酒屋で酒は飲ま ず料理だけ。昼に続けてお刺身。遅くまでやっているスーパーで静岡産の食材を買う。クリームを挟んだどら焼きがとても美味しかった。テレビで阿久悠が亡く なったことを知る。

今日の朝、昼ーーーー
早々に仕事を終えて、御前崎から遊泳禁止の砂丘を回る。
地図帳で見つけた「ねむの木こども美術館」へ着いたが、それは以前の場所だった。北上し、掛川市の「ねむの木村」へ。森の中に立つ美術館は美しく、地面か ら生えているよう。建築家 藤森照信のよる通称「どんぐり」。そのなかは温かい白で、絵は四季と愛情の色を持っていた。その広がりのある色を見ていると、四季だと呼びたくなる。気持 ちを露にしながら、整いのある構えだ。
続けて、村内にある「吉行淳之介文学館」へ。横に並べられた赤と黒の椅子を見た。愛用の机と椅子にモビールが、渋くも愛嬌のある男を垣間見させた。

そして今日の夕方と夜ーーーー
愛知に急行し、用事の後、蒲郡で温泉に入る。男と女は互いの人生を懸けて理想を具現するのだなと思う。
サウナにテレビが無いのが良くて、落ち着くことができた。
高速のサービスエリアでカレーを食う。
降りると、台風の風を感じる。見知った町を走る。
翌朝レンタカーを返す為に、ガソリンを入れたり、車内を掃除したりする。
落ちるように深く寝た。







http://www.nemunoki.or.jp/
 

水曜日, 8月 01, 2007

どんぶりくん

蕎麦を食べたのは昨日、今日は清水港で海鮮ものをと市場へ行くが、あいにくの定休日で市場の建物が閉まっていた。
だが、駐車場の脇隅のトイレ奥から 地元のサラリーマンや漁師らが出入りするのを見つけた。壁に手書きで「どんぶりくん」と店名がある。これは行かねば!

入るなり、おばちゃんがまくしたててくる。
「そこカウンター、入り口だから座れないから、空いてるとこに座って!」
「下の白い紙のメニューはすぐ出来る。上の色が付いた紙のメニューは時間かかるよ。」
「言って!言って!」

店内はおじさんらで満席。給仕のおばちゃん、調理と会計係のおばちゃん、カウンター前で洗い物をするおばちゃん、Tシャツにキャップで調理をする小太りの おっちゃんがせわしなく動いている。給仕のおばちゃんが「言って!」と急かすのは注文だが、要求しながらも我々の近くにはおらず、別のお客さんに提供をを しながら聞いている。
恐る恐る大きな声で言うと、注文が通った。
「バチにシラスひとつずつー!」
おばちゃんの大きな声。バチマグロ定食と、シラス丼。どちらも下段に並ぶ、早くできるというもの。よく出ているだろうから、これらが一番ベストだろう。
しかしメニューをよく見ると、シラス定食という類似した料理があったり、海鮮ものに混じってハンバーグ定食や、カレーライスまである。どんぶりくんと言っているわりには丼が少ない。
と思っていたら、中年のサラリーマンが、上の段にあるコロッケカレーを頼んだ。
「コロッケカレー、時間かかるよ!」
おばちゃんの声色が強くなった。
「コロッケするのー?」
台所から おっちゃんが聞いてくる。フライパンに油を入れる手前で止めながらだ。
客は注文を変えた。
「コロッケしないよー!」

バチマグロ定食は人気だ。それからバチの連呼だった。
「バチなくなったよー!」
慌てて、おばちゃんがバチマグロの紙を外す。しかしそれからすぐして別の客に、
「バチのこりひとつで終わりねー」
と提供していた。先にバチを注文した客には行かず、後注文の客に出してしまっていた。おばちゃんは威勢良く動き回っているから、凄いのかと思いきや・・。
さっきから皿が足りないという声が聞こえる。カウンター前のおばちゃんは無言でせっせと洗っている。食器洗浄機など無いので、たいへんそうだ。いや、食器が足りなさ過ぎるのだろう。一つのメニューには小鉢がたくさん並べられている。
「バチ!バチ!」
と言う声のなか、食べたバチマグロとシラス丼は実に美味しい。シラスは山盛りで、イクラと相性も良く、バチマグロは脂がのっていた。
「言って!言って!」
「カキフライ時間かかるよー!」
途中、入ってきながら止めると出ていった客がまた入ってくるという迷惑な展開があり、追い返しているような場面も。
しかしいや、本当に美味しいので、この状況も活気なのだ。
調理補助のおばちゃんがホールに出てきたりと、次から次へと限界ギリギリのオペレーションが続いていた。
食べ終えて会計を済ましたとき、僕は気付かなかったのだが、壁には おばちゃんたちが富士高原で笑う爽やかな記念写真が飾ってあったという。

店を出てからも、頭から「バチ!」が離れなかった。