月曜日, 8月 20, 2007

火事

家族からの電話。誰か、芸能人が亡くなったよね? と訊かれるが、わからず。また改めて電話を返すと告げると、ちょうど真後ろで火事の通報を受け、向かう消防車が発進するところに出くわした。友人は俺も手 伝いますと自ら後ろの荷台に乗り込んだ。慌てて後を追いかけるが、見失う。
数十分後に、焼け跡に着いた。煙ではなく、湯気が立っていた。ありがとうごぜえますだと地元に住む老夫婦が寄りかかってきている。友人は何も言わなかっ た。おそらく彼が乗り込むとか乗り込まないとかやっていた数秒間のロスは、この消火活動に何らかの支障を与えていた。そう直感として感じてしまったから、 自分も何も言わなかった。この老夫婦たちは、燃え尽きた家の住人ではないようだし、この全焼ぶりは明らかだ。空港での事故も信じられないが、この顛末にも 絶句する。こういうときにフォローする言葉をかけても、それはフォローとして迎えられて、後始末をしている消防隊員らには、ずいぶん面倒な話に覚えられて しまうかもしれない。否応無しに、帰路は用意された。友人はようやく、こっちの車に乗り込んだ。いまは、あらゆるものが分担制である。彼の仕事は何だった か。彼の下の名前は何だったか。まぁ今はよそう。帰ってから、部屋でゆっくり話せばいいのだ。すぐに眠くなるのも予想されるが、今は話したくない。考えた くない。勝手なもんだ。友人の他は、皆 ただの野次馬だった。でも仕方ない。どちらが正しいとか振りかざして大きな声で威嚇している場合ではない。朝、起きてパソコンを点ける。山口小夜子が亡く なったことを知る。

私は、あなたのことがわからない。
それだけが不安。
それだけが動機。