木曜日, 11月 20, 2014

君との言語 add 言葉のフォーム

I will write my poem on the black board every day.
The black board is そういうもの。
そういうもの is every day.
Animal park is here 毎日動物園で drink a coffee with du.
君達は近く、私は遠い。
You and du is near, 私 so far.
ファー!

動物が芸を覚えてしまったようにして屋根裏部屋でいじけてURLを貼り付けているのだとしたらそれは sadd だ。ja だね。押す ja google 由来の。

http://ongaeshi-exchange.tumblr.com/

金曜日, 10月 03, 2014

会うために

昨晩は「詩からストリーム」に、画家の岡本健児氏と、アーティストの森田美里さんにゲストで出て頂き「絵と言葉について」と題して話した。岡本氏は個展のために描いた絵の数々に対し、「untitled」というタイトルから脱却していく意識の流れを話してくれた。森田さんは絵も描くけれど、最新作は立体で、でもその個展のタイトルが「山をつぶす人」という極めてポエティックなタイトルであったから、話は膨らんだ。拙くとも良いのだ。必要なことを話していれば。

毎回「詩からストリーム」ではトークの前後に詩を読む。その詩から始まり、詩に戻っていく流れだ。後で、今回読んだ即興詩を思い返していたので、録音を聞き直して書き出した。ここにそれを記しておこう。
今日はずっとデスクワークデイである。詩性を取り戻すため、音楽をかけるだけでなく、詩を書き出す。ブログなので横書きで。


会うために
               村田 仁
op.
会うために
待っている
月の大きさを伝える
今日は月がきれいで
部屋にずっといた
窓から屋根に降りることができる
一時からずっと、今日の月はきれいと知っていた
窓の前に紙を置き
吸えない煙草を置いておく
コーヒーの淹れ方を何度も訊く
君は電話に出てくれない
そのときつきあっていた彼女とこの映画を見に行った
ゆっくりと丁寧な自慢話を
月の前にしておく
月の終わりと月のはじめ
一枚隔てた私たちの背中
会うために
待っている
絵はどこへも行かない

ed.
会うために
月がきれいで
脳みそを開いて月を出したい
背中同士
一日の間
言わないでほしい
きれいなことを

窓の前に紙を置いて
紙を窓にして円を描く
描くまでの間に
きれいと言わず、
伝えようと
円を描く
これは円です
個室に君が入って来て円の在処を訊く
君の脳みそを描いたわけではない

会うために
月がきれいで
このビルで背中同士
一日の間
ずっと個室にいる
私の身体が横たわり
もう一度脳みそまで入っていく
扇風機がずっと私の身体を裂いていく
月は何度も降りてくる
絵にそれを何度も描く
個室はまだ終わらない
円のかたちをした
塊を放り込んで
絵は続く


http://www.ustream.tv/recorded/53478995

http://kenjiokamoto.jimdo.com/
http://www.n-mark.com/projects_morita.html

月曜日, 9月 15, 2014

「君との言語」について

いよいよあと、2ヶ月後の11月にはドイツ、ブレーメンからアーティストが来日する!そして、一宮市の ワーキングラボラトリー「つくる。」というスペースで、滞在制作と展覧会を 日本、名古屋のアーティストらと行うのだ。
以前からこの告知をしていたけれども、これは「ONGAESHI」というアートプロジェクトで、個人の実行委員会が主催するもの。僕はこれに参加している。

2005、6年に「sitescenes」というアートプロジェクトに参加した。これも ドイツ ブレーメンとの国際交流展だったが、主催は名古屋芸大によるもので、規模ももっと大きかった。アーティストの福岡寛之氏こと、福ちゃんとは このときから仲良くなった。実は大学生のときは一度 家に遊びに行ったことがあるくらいなのである。そのときは、福岡食堂の一軒隣のクラブ状態の民家だったが、おそらく食堂的であったのだろう。とにかく彼のつくる料理は美味しかった。
話がそれた。そう、「sitescenes」も「ONGAESHI」も、ブレーメンと名古屋を行き交う取り組みである。もともとドイツで作品発表をしないと!と焦ったわけではないが、こうなっていった。ドイツ語は話せない。周囲は勉強しているけれど、自分は聞いているだけだ。特有の言い回しを聞いていると、8年前の渡独のときなど、いろんな出会った人とのことが思い浮かぶ。ブレーメンで、公園で、詩を読んでもらった。古本屋の店主のおばさんに褒められた。詩は、強引にドイツ語に訳していた。
そう、詩は翻訳できない表現のはずだ。
だから 8年後のいまは、多言語で詩をつくろうと思った。それは翻訳の必要が無い。そういう姿をしている詩だから。
タイトルは「君との言語」と決めた。
多言語による詩は「マカロニック詩」と言うらしい。wikipedeia によると、14世紀に起こり、主に滑稽な詩が多いという。社会のなかで上位者らだけが使っていたラテン語を軽蔑する意図がそうさせた。
21世紀は識字率も格段に向上していて、言語は様々に飛び交っていて、翻訳ツールは豊かなはずだ。
けれども分かり合えず、いろんなことになる。同じ言語を使う者どうしでも、いろんなことはおこる。
「sitescenes 」の2004年 日本展のときに行った詩は「明るい夜」。参加作家のクリスチャン・ニルス・ハーケにドイツ語版も読んでもらった。西春商店街の街頭放送からそれは流れた。2009年に山田亘さんとベルリンに「ベルリンなるへそ世界新聞」を行いに渡独したとき、ブレーメンにも遊びに行ったのだが、GAK というギャラリーで、クリスチャンの個展を見ることができた。
地下街のミニチュアを撮影したような映像と、その一部の門構えが人間サイズであって、鑑賞者はそれをくぐって映像を前にする。現実と虚構などと書くと陳腐だ。そんな印象では決してないことを強調しておきたい。
2006年には「鉛筆はミサイルとロケットを持っている」という詩の朗読を初老の男性 オルガさんに行ってもらうというビデオ作品を作った。同じく参加作家のジェニー・クロップにサポートをしてもらい、オルガさんを紹介してもらったのだ。
そのビデオ撮影時の試し撮りのときに、ジェニーが僕のアイディアを聞いて、即興で行った振りが、そこから作成された作品よりも、本質的に内容を捉えていた。それに気付くのは数年後。
日本でもブレーメンと同じくらい雪が降る町があるんだよと、教えたくなるくらいの日だった。長靴を履いてこないなど自殺行為だと僕は古本屋でたしなめられた。
二作は連動していないように思える。

2014年11月「ONGAESHI」日本展では「君との言語」。詩の形態はこれから探る。2015年3月 ドイツ展も「君との言語」を行う。タイトルは、少し変えてゆく。

http://ongaeshi-exchange.tumblr.com/

日曜日, 8月 24, 2014

<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ> はとても俳句らしい俳句なのだ

俳人 金子兜太と 作家 いとうせいこうの、終戦記念日対談を読んだ。

「戦前」の空気を利用する権力下の連中も現れて、権力者と共に権力を強化していく と書いてあるのが 昭和十五年にもあった。
新しい俳句運動が弾圧されたとき、権力者が動くのではない。新しい俳句運動をよしと思わない俳句内部からだったと。その翌年に日米開戦。

七月に、さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だより で、
<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ> という市民の句を公民館の月報に載せないとされた事件があった。市からの理由は「世論を二分するテーマはそぐわない」。それは「リスク回避」の自粛判断。昭和十五年と似ている。こうやって権力が強化されるのに一役かっていく。

思うのだけれど、・・そもそも、この句はデモ賛成の内容ではないだろう。見たものを詠んだだけ。俳句らしい表現であるはず。
テーマがそぐわないからという理由ではなく、作品として良くないという審査として載せないようにされてしまえば、問題視すらされず進んでいく。この月報はおそらく無審査形式。投稿された句は載せていくかたちなのだろう。審査形式のところなら、リスク回避はいくらでも内部で可能で、誰も気付かない。選者一人が、表現の自由を貫けるか、既に権力に迎合しているかだ。

ちょうど、詩の教室「詩から」で「詩」と「俳句」「短歌」の違いに取り組みたいと考えていたところだった。大きくまとめれば全て「詩(うた)」であるが、そう <梅雨空に『九条守れ』の女性デモ> はとても俳句らしい俳句なのだ。

木曜日, 8月 21, 2014

こどもを私たちが描いている

母校の美術部の展覧会だからこそ、母が子を描くという素朴な絵を出そうと思った。 母の絵が二枚並ぶ。額を分けて、でも繋げて 祖母が叔父を抱いている絵を、写真を見ながら自分は描いた。 絵は放っておいても、こっちにやってくる。 詩は待っている。 それらが集まるのは絵手紙や、絵葉書や、絵日記や、色紙や絵本や挿絵や新聞や。いや、文字は余計なのだ。意味を放ちはじめてしまうと、急にありがた迷惑がはじまる。「こども」と題したそれはこれからの仕事に続く。 展覧会の打ち上げ、懇親会の挨拶で自分はその胸中と、在校生にラブコールを送った。 三年は長いようですぐだ。 台風もまた来るだろう。 告白とパエリヤと猫の散歩とフィナーレに向けて、「こども」を私たちが描いている。

http://jinmurata.jpn.org/poems/kodomo/index.html

日曜日, 8月 10, 2014

大浦先生のこと

大浦先生、怖かった。中学校の同級生が津新町に親戚がいて、中学で大浦先生の教室に通っていた。四狂のY氏! 油絵が描けるんだと自慢されて、BSでやっていた ボブの絵画教室のビデオを見せられて、それ通りに絵を描こうと見たこともないヨーロッパの風景を描いて、扇型の筆をはじめて使って。津新町の画材屋アドックで筆を買った。川沿いに歩くと模型店があって、久画廊も、中学のときの美術部の女性部長とたこ焼きを食べたりして。 それから久居高校の美術部に入ってから、話に聞いていた教室に遊びに行って、子供らの靴が玄関にたくさん並んでいて、ラベンダーの香りがするオイルが花の絵に使われていて、F0号の愛でるサイズで。名芸に入ってから、僕が 詩の展覧会をしたときに、先生がちょうど大須のギャラリーで個展をされていて、こんなことをやっていますと自慢気にチラシを持って行ったら、シャンシャン飲み会になるだけの発表は何の意義も無いぞと叱られて。そこから、けしかけられた通りに、待っているだけでなくて、こちらから声にしろと、朗読をしはじめました。 高校のときの美術部の合宿のとき、夜の講評会にて、絵は一瞬で分かる瞬間芸術で、音楽や文章は時間を経て分かる時間軸の芸術なんだと話されていたのを覚えていて、ちょうど「詩」の表現をするなら、そのことを意識するべきだと叱られたのです。翌日、朗読をしはじめましたと、刷り足したチラシをまたギャラリーに持っていきました。絵画は音楽に憧れる。それを聞いていたのだと、いま思い出しています。

日曜日, 8月 03, 2014

ここの日記にまた改めて書くと

このお盆は、三年に一度行っている展覧会がある。母校の久居高校美術部による在校生と卒業生の合同展。「CUBE 展」。自分は97年から参加していて、これは Facebook にも書いたのだけれど、今の自分がこうしているのは、久居高校美術部のおかげである。
こんな私に誰がしたと続くところまでそらで浮かぶ。
ただの同窓会展じゃあないという気合いを当時から感じていた。そう、常に自分自身へえぐり返す活動であった。それが 表現への強い衝動であったと・・!
これも Twiiter に書いたのですが、八回目となる今回も、過去の作品でお茶を濁すのではなく、新作を発表します。いまの自分のリアルへ対峙する作品を。

八月の二日は第一土曜日で、詩の教室「詩から」をアートセンター[Yojo-Han]  で開講。前回に続いてテーマは「吠える」。詩を持ち寄るものの、なかなか難しい。これも「詩から」の教室報告ブログに書いてあるのだが、「詩の真実の意味を示すもの」として「折り句」を用いる。これによって、ただ吠えれば良いというだけでなく、より冷静に吠える術を考えることとなる。見事に教室で書いた 全員の詩は、少し脅迫めいたような強さを持った折り句が並んだ。次回は読書感想詩を持ち寄ることにする。詳細はここでは省略。リンク誘導が基本のはずなんだ。

ここの日記にまた改めて書くと、見渡せるんだ。見渡せる。スマホからタブレットに変えたように、見渡せる。いろんなことがあるから、よく分からなくなりがちだ。カンカン照りの汗だくのなかで。

http://hisaicube.tumblr.com/

http://si-ka-ra.tumblr.com/post/93587352783

火曜日, 7月 01, 2014

集団的自衛権賛成派と反対派の意見を交互に読む

自分が小学生高学年で習った憲法のことなどが、あっけなく変わっていく。今日は70年間、貫いていた「集団的自衛権は行使できない」という憲法解釈を180度変え、行使できるように閣議決定してしまった。そして今日は自衛隊創立60周年の日だったとも知り、これは偶然ではないだろうと恐ろしくなる。
首相官邸前には反対する国民が集まってデモをしていると知る。案の定、NHKなどメディアはデモそのものを報じない。デモで取りやめをすることはないだろう。それは誰もが分かっている。小さな積み重ねで、国民の間に意識が広がっていくことを進める。パフォーマンスとも言える。
午後六時、安倍首相の会見。タブレットのワンセグ放送で見る。大きな字幕に白々しい言葉が並んだ。戦争をより促進してしまうのではないか。
偏った意見ばかりも発展しにくいと考え、賛成されている方の論説を読む。「中国の脅威」と具体的に書かれていて分かりやすかった。真相はまだ分からないし、そもそも戦争をしないという努力を怠っているというか、放棄しているだろう。まず戦争は絶対にしない、関わらないとするならば「集団的自衛権、武力行使の可能性を持つ、親米強化。」以外の方法で進めようと取り組むはず。
会見の合間で、自衛官募集の TVCM が流れた。AKBのぱるるが出演している。怖っ!安い特撮SFドラマのなかで流れているテレビのようだった。異様に露骨だ。
首相官邸前のデモを Ustream の中継で見たら、ドラムビートに合わせてラッパーが「ファシズムくたばれ」と連呼していた。ここで呆れてしまわれると、反対派は頭の中がお花畑ということになってしまう。
そして賛成派が普及させようと描かれた漫画をネット上で読む。これまた気持ち悪い。
しかし先の論説は分かりやすかった。唸って考えこんでしまう内容である。

原発問題と同じく、賛成派 反対派の密室的対立だけでは何も変わらない。相手の言い分はそういうことかと唸って、吟味できれば、問題はより豊かに見えてくる。デマや焼身自殺で人を引きつける方法を採った場合、やはり反対者には分かってもらえないという対立を生むだけだ。

木曜日, 6月 26, 2014

・・そいつと、の声で引き止める

あ、このCM 良いなと思ったら 監督が中島哲也だった。ちょっとしたシーンに詰まった描写が重なって、短時間にあざといくらいに魅せてくれる。
いつからか、CM はこういうものだというイメージを一般市民が共有していた。この感覚はおそらく、中島哲也以前に要因があるではないかと推察される。

「ドコモ d ビデオ CM ⑤」(監督, 中島哲也/石井杏奈、小松菜奈)まで連続リピート。主人公の彼女が「・・そいつと」で語り始める声は、やたら五月蝿い CM市場において新鮮だ。声はお客を引き止めて、一瞬で映像の鑑賞者へと変えてしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=Q3BMFDNMxD0

水曜日, 6月 25, 2014

マルチタスクでナンボの日々

マルチタスクでナンボの日々。メールにSNS、挙げれば切りの無いインプットの押収だ。アウトプットの機会が実は少ない。次から次へと要求される。「はい」「いいえ」くらいかな。勇者のごときアウトプット。Google の新サービス発表会のイベントタイトルが「I/O」だった。冷静で優しい気持ちが無いとどちらもうまく流れない。火曜にラジオで聞いた プッシュ通知を切る判断は正しい。放っておいてもインプットの洪水が押し寄せて、それにはノイズも混じっている。その反応だけでとても時間がかかる。消費は癖になりやすい。アウトプットも癖にしないと。いま現在進行中のプロジェクト毎にメモを書く。こまめに進めるしかなさそうに感じている。まとまった時間は貴重だ。昨日と今日で差し出す顔が違うのだ。行き帰りに本を読んで中間に戻る。
複数のデバイスを持ち運ぶ者は、常に忘れていないかという不安と、充電の手間に追われているようだ。それは実生活の姿と似ている。

日曜日, 6月 22, 2014

いまはその「どうして」の期間である。

2014年6月20日、日本の与党である自民党は「集団安全保障」への参加は認められるという憲法解釈を示した。
「どうしてこうなった。」というネットスラングのような言葉があるが、まさしくそうで、いまはその「どうして」の期間である。どんどんどん、きな臭くなっている。
兎に角、なんとかして武力行使がしたいようだ。軍需産業を潤したいのか、アメリカに良い顔をしたいのか、いろんなストレスを全てそこへ集結させて お涙頂戴にしたいのか。
18歳以下が国民投票に投票できるようになっていた。そして最低投票率は決まっていない。
戦争へ向かっていくあの頃のようだと、戦中世代が話しているというのを何かで読んだ。あの頃のようだとしたら、あの頃に 表現者は何をしていたのだろう。
反戦詩を書いた詩人は 皆 投獄されていったのだろうか。戦争讃美の絵を描いた画家は苦悩したはず。絵の具が配給される時代とはどんな空気なのか。

イメージで語ることは危うい。
そこから学び取れる時間はまだあるだろう。既に「どうしてこうなった」を日本は経たのに。

2020年×月、東京オリンピックと共に徴兵制がはじまる。ある国が挑発をやった、やらないの水かけ論の末、他の国とグルになって 平和の為に戦争をはじめる。僕たちの子どもが銃を持って猟り出されていく。
画面に映る撃ち合いを見ているときに呟いてももう遅い。
「どうしてこうなった。」

木曜日, 6月 19, 2014

30分でも詩を書けるか

高校の美術部のときに、卒業した先輩らと先生が話していたこと。勤めを終えて、くたくたになって帰宅してから、家のアトリエで 30分でも絵を描けるか。そこが分かれ目だ。
いま自分は三十余歳で、まさしくその状況、いや、あのときに話していた先輩より歳をとっている。そう、勤めを終えてからはビールが無性に飲みたくなり、飲んだらもう寝るだけだ。あのときの先輩と先生が飲酒の欲望に勝たねばと話していたかは疑わしいが。いま、30分でも詩を書けるか?
一眠りして、早くに起きてノートを開くのが良いだろう。

土曜日, 6月 14, 2014

呼吸がはじまる

病室から高速道路が見えたのが嬉しかった。ピアノの曲をかけて、自販機の紙コップコーヒーをすすり、MacBookAir を開く。Nexus7 でその様子をビデオ撮影する。
あらゆる環境は変わっていた。ようやく自分は小さいときから苦しんでいた鼻づまりを解消できると思った。手術の前日。

そして迎えに行く前日。
父の日のプレゼントを買いにジャスコへ行っていた。帰りにハードオフ。偽物っぽいけど、偽物なんて作られていないような気がするミナペルホネンのバッグを購入していた。生春巻きをつくって、仕事はひと段落していた。

名前は先に決まっていたっけ。たどたどしい運転もそのときは役に立った。痛いですかと聞かれて、痛いと答えたら静脈じゃないところに刺したとかで打ち直しになって、頭の後ろから甘ったるいニューミュージックが流れているのが分かった。ラジカセかな。いや、今日び iPhone だろうな。お医者さんの私物だったりして。新しい名字を元気に呼ばれて。

私物、そう私。
私はそうして、ここにいた。
今夜、おはよう。
呼吸がはじまる。