火曜日, 9月 30, 2008

アルカイダよ何処へ

告白はストレート。
絵に描いたような愛らしい勇気と、絵に描かれた情けない勇気。
勇気に包まれたこの部屋。
歓喜は儀式を超えて膨らみ、悲痛は儀式で収められようとする。
顔を描く姿。ストレートだろうが、勇気を欲する姿だった。
福岡食堂にて再宴す!
アルカイダよ何処へ。友の車は、砂漠を走っているのか。

月曜日, 9月 29, 2008

僕らのイコン

ケーブル一本で動かなくなる日と、段ボールの積み重ねで動き出す一日と。
僕らは僕らを意識した次の瞬間、僕らではないものを意識しはじめる。
彼女の甘えた言葉もやがて、背中を向くための断言になる。
僕の綴った精一杯のきれいごとはただの残酷だった。
日は動き続け、僕らのイコンは制作者不詳の栄光の許に着く。

日曜日, 9月 28, 2008

僕らは知らない

誰もいないところへ行くと彼は言う。
誰も止めないだろうと僕はうつむく。
彼の前には雨が降る。
傘は誰かの忘れ物だから、持って行けばいい。
誰にもさよならを言わずに行く柄でも無い。
僕らは知らない。
知らないから笑っていられて、知ることの怖さも恐れない。
素直過ぎて残酷だと、一拍置いて話された。
ごめんしか言わないのは癪だと思っているあたりが何の反省も無い。
誰にも気付かれずに、どこかへ行くなんて実はできない。
誰も止めないだろうと僕は続けた。
うつむいた先には、瓶ビールの空。
僕らは知らない。

土曜日, 9月 27, 2008

愛だの恋だの

何かとそれに忙しい。
それに尽きる一日。
ミューズをいつも探しているという話は、延々と続くのであった。

金曜日, 9月 26, 2008

メキシコのクラゲ、会田さんのカレー

メキシコで放送される番組を撮影に来たクルーは、スペイン人の四人組だった。
彼らはアーティストで、ロマンチスト、オープンマインドに話をしてくれた。どうやったら憧れの人や、かわいい女の子に話しかけられるかなども教えてくれた。
伝えたいと思ったときは、言葉は何に書いても良いんだということも、見せてくれた。
カメラは存在を手に入れるために、視線を呼ぶ。
会田さんがふるまってくれたカレーで美味しく賑わう。ごちそうさまは明日に持ち越してしまったけれど。

もらった URLから、「interior/exterior 外部/内部」(Tygre/2007)の紹介ビデオを見たら、クラゲがモチーフとして浮かんでいた。

http://www.tygre.com.mx/japon/
http://tygre.com.mx/

木曜日, 9月 25, 2008

憂歌団を今度 歌おう

弟がいちばん家族のことを思ってる。
姉貴が結婚するみたいなんで、いつまでも脛かじりじゃ続かないなって、歩きながら聞く。
次の曲がり角までのこの夜道、彼のおかげで助かる人はこれからもきっと たくさんと思う。
僕が自嘲的に家族のことを話しているうちに曲がり角が来てしまった。
じゃあ、またなーっ。
憂歌団をレンタルしてきて、Rに焼いてプレゼントした。
彼はすぐに自転車にまたがって走って行った。
レンタル屋へ返しに少しだけ回って帰るなと、僕は確認した。iPod の白いイヤホーンを耳にはめる。

http://jp.youtube.com/watch?v=64coFyo6jhI&feature=related

水曜日, 9月 24, 2008

一切合財世も末だ

首相が誰になろうとも、塞ぎ込むのはまっぴらごめんだ。
不自由は試される仕事だ。不自由を超えることが仕事なんだ。
「一切合財世も末だ」(詞,曲, 友川かずき/1981)を聴く。
この豊かさは壮絶だ。強くて美しい。

http://jp.youtube.com/watch?v=a1xry5szUKk&feature=related

火曜日, 9月 23, 2008

僕たちのいまは

残虐なことなんて起こって欲しくない。
どれだけ待ってたってデビューなんてできない。
いつまでたっても知識なんて完成しない。
どれだけ叩いても揺るがないものがある。
いくら悔いても言わなければ変わらない。
僕たちのいまは。

月曜日, 9月 22, 2008

君の知らないメロディー

本当に言いたいことを言って、僕たちは出会ってる?
口論なんてしたくない。ただ、向き合いたいだけなんだ。
全ては自由にあるはずなんだから。
翌朝、「GLAD ALL OVER 」( 忌野清志郎&仲井戸“CHABO”麗市/1994)をビデオで見た。
清志郎とCHABO は最高のダチだ。

http://jp.youtube.com/watch?v=CfD9mgOekWE&feature=related

日曜日, 9月 21, 2008

僕の言葉がどんなふうに取られているかなんて

昨夜、山田亘さんの写真展「Umbilical Sites アンビリカルサイツ・密接な場所」のオープニングで騒いだ。こちらを見ている彼女らの前にいた。
帰宅、ダニに刺されて、夜が明けて、それからナンシー関のハンコ展。会場内にずっとムーンライダーズ(火の玉ボーイ)流れているが、メンバーの顔ハンコ見 つからず歯痒い。コレクション展示の中にあった CDケースにライダーズがたくさん。最後の晩餐まである。青空百景を録音したカセットテープも横にあった。聴きながら彫ってたんだろうなぁ。
市内、矢場町の外れくらいにて「dot in LA PENSEE」というビル全館を使っての展示。今夜は最終日なのでライヴとパフォーマンスもある。ほのぼの&爆発&クールに興奮す。ジェット達は、小学校 のときの帰り道に空想で話すアドベンチャーRPGで遊んでいたのを思い出した。冒険の内容は全て僕の頭の中にあるから、聞いている方はそれを引き出そうと 頑張る。
大雨に降られ、ずぶ濡れになって地下鉄に乗り込む。
依然飲みながら、DVD で映画「グミチョコレートパイン」(監督,ケラリーノ・サンドロヴィッチ/石田卓也、黒川芽以、大森南朋、マギー、峯田和伸、鈴木慶一/2007)見る。 終わった頃には三時過ぎだが、ちっとも眠くならず感動して泣いた。現実にもあることなんですとこちらを見て告げられる。彼女はどこまでも素敵だから、僕は チョキで勝つ。
僕の言葉がどんなふうに取られているかなんて、いまのいままで見ることができなかった。

http://www.artinmino.com/dosei/index.html
http://www.bonken.co.jp/
http://yukie-monnai.blogspot.com/2008/09/dot-in-la-pensee.html
http://gumichoco.com/

土曜日, 9月 20, 2008

エクスタシー建設のはじまり

ノリと社長による「エクスタシー建設」初ライヴ。in 地下ギャラリーもぐら。
セットリストは以下の通り。
1, 宿はなし
2, 自転車に乗って

ふが耳わんちゃんと距離を保ってる。
日本酒を飲んで、昼間っから駅前でビールと、憧れのJR新快速での缶ビールデビュー。
本当に川のそば、土の上で宿はなし。テントと雑魚寝。
しゃっくりが止まらなくなって、やりてぇやりてぇやりてぇと iPod からスピーカーでかける。全く持って自分本位なるこの建設。ふが耳わんちゃんが可愛くて実家の犬をすぐに思い出した。電子楽器がギリギリ響く横の部屋で、赤ちゃんがギャアギャア泣いていた。

金曜日, 9月 19, 2008

聞き返す勇気を

ガラスみたいに突き刺して
フィルムみたいに忘れない

Everything is Nothing
Everything で Nothing
Everything is Nothing
9月の海はクラゲの海

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1994)より。

アンテナは高く、どん欲に馴染むことを覚え、忙しいことに愚痴はしない。
自分の見定めるもののために、嫌われることなど毛頭承知。
もはや山下清は憧れの結晶体だった。彼女は頷き、僕は逃げたのに、後で妙に悔しくなったりする。
そんな切なさを飼いならせるかな。
Everything で Nothing?
アダムに問うて、握手して、台風一過の夜道を帰る。
後悔ではなく検証だと称してもいいから、聞き返す勇気を。

木曜日, 9月 18, 2008

どんどん食べる

今度は自分の駄文に呆れ、こうじゃないんだ、あれはああなんだとまたうじうじ言うなんて頭をよぎる。イヤホーン付けて爆音で自転車滑走すればとりあえずは と次へ進む。「このままでいいのか」「誰か止められるか」と歌う「Creaks」(詞, 高橋幸宏/曲, 権藤知彦、高橋幸宏/pupa/2008)を何度も選ぶ。説教ではなくかっこいい。天国とか、"きしみ" とか、心の傷についてを英語と日本語で。

呆れている暇もなく状況はめぐる。鉄板の火は消さない。傷などは、信じているものとの連なりで どんな形状をしているのか。どんどん食べる。

水曜日, 9月 17, 2008

崖の上のポニョから・1(もののけ姫以後の世界)

「崖の上のポニョ」(監督, 宮崎駿/長嶋一茂、山口智子、奈良柚莉愛、所ジョージ/2008)は、半月ほど前に見た。その感想を書こうと考えていたが、これはしっかりとした論述を 持って書きたいと身構えてしまい、なかなか書くことができずにいた。それからいろいろあって(どんなときもいろいろあるものなんだけど)、勿体ぶっている うちに何も書けなくなってしまうのがオチかなと思った。あれはああじゃないんだ、あれはこうなんだと誰も聞いてくれない愚痴を寂れた酒場でこぼす構図に なってしまうのはいやだ。

「ポニョ」にそこまで入れ込む必然も無いのかもしれない。ジブリ作品だからといって目くじらを立てるのは馬鹿げているし、自分にとって大リスペクトをする べき物語が宣言されて立ちはだかってきたわけではない。ただ、この映画には今まで僕が もやもやと思っていた「もののけ姫」以後「千と千尋の神隠し」からの宮崎駿をハッキリと見ることができた。
それは、極めて個人的な思いや願いがあらわされているということ。エンターテイメントとしての起承転結に捕われぬ、それ故に強引とも取れる展開。宮崎駿本 人が眠ったときに見た夢をそのまま見せられているかのような場面の数々。ポニョではそれが更に深化し、洗練されていた。そして、人とはその判断を試される ときが来るという視点が一貫している。主人公に託される試練は、人間への希望である。ありとあらゆる異なる存在を肯定する打算の無い心。それは恋愛という よりは、愛情に近く、実はよく言う「愛」でも無い。五歳の子供が持っている希望。人間が持ち得る全てが、五歳にはあると確か言っていた。大人になると計算 のある判断が基になっていく。その希望が確認されたからこそ、世界はまた誰にも気付かれずに救われた。海の表現は画面の全てが動く。キャラクターだけでは なく画面の全て 世界を動かしたいと宮崎駿は言っていた。これはいまのキャラ中心に展開しているアニメへの皮肉とも取れる。そしてそんなに世界が救われたとされる世界なん てのも、いささか小さすぎるのではじゃないかと僕は思ってしまう。「ハウルの動く城」で、主人公が試練を乗り越えてめでたしめでたしと同時に、戦争も終わ るという世界と同じだ。「もののけ姫」の世界は、あれだけ人が無力であり、主人公らが命を懸けることで、壮大に世界が輪廻を繰り返すことが示されたのに。
そこを、小さいと呼ばず、世界の全てがこの出来事のなかにあると捉えれば、小さいという否定的な観点にはならない。起こっていることが巨大兵器や神々との 争いか、個人の純粋なところへ降りて行くことかどうかの違いだ。画面には映らない遥か向こうに世界はあるのではなく、いまここに全ての世界が映っている。 僕にはまだ、世界とは遥か向こうに大きく流れているものだという認識が消えない。それは消すとか守るとかいう問題ではなくて、自然に変化していくものだと 思う。
「崖の上のポニョ」ではその変化が明らかに思えた。
(2へつづく)

http://www.ghibli.jp/ponyo/

火曜日, 9月 16, 2008

僕はあのフェス以来、怒りやすくなっている!

追い求めるもののために、どこまでできるかが問われている。
ここで降りた以上、それはいつものことだ。
駅まで歩きながら 漫画「デトロイトメタルシティ」(作, 若杉公徳/2005-)を読んだ。主人公の心境に共感してしまう。

P-MODEL の「美術館で会った人だろ」(詞, 曲, 平沢進/1979)を聴く。
やりたいことが見つかったなら、人生半分合格。それを仕事にできたのなら、恵まれてなんかいなくたって人生完成だよと 北野武がフロムエーのインタビューで答えていた。
これは P-MODEL のデビュー曲だったらしい。80年代、テクノポップの騎手として騒がれた平沢進、追い求めていた音楽はテクノの範疇を踏み越えた唯一の存在だった。それはジャンルに入らない。
「僕がやりたかった音楽は・・」と悩む少年の姿と誰かを重ねる。

http://jp.youtube.com/watch?v=W4xKfaFh5DY
http://www.younganimal.com/dmc/

月曜日, 9月 15, 2008

きみのいるところ

敬老の日、朝は快晴。
豊田市美術館での「Blooming : ブラジルー日本 きみのいるところ」を見に行く。
布や紐、繊細なタッチの絵や情緒的な画面づくりが、大胆な空間使用のなかに置かれているので、息苦しくはなく、荒っぽい感じもしない。おおらかで広い人生 観が思われる。島袋を路上で唄うリミックス、マレッペの砂糖のわた雲を食べる写真とビデオ、川内倫子の写真とビデオスライドショーまで、微笑みの眼差しが 着陸していくようだった。市街を望む廊下を無言で歩き、小窓から階下のエルネスト・ネト「ぼくらの霧は神話の中へ」を少し見る。思い返す印象がきれいで、 静かに残っていく。
同じ顔だぁと嬉しくなって困っちゃうくらい笑い返す彼女と、あなたたちは頑張りんしゃいと杖で押し返す彼女。喫茶店を物色する彼女は、今日はATM が閉まってることを忘れてた。僕はみんなに会って、自分の仕事まで送ってもらう。
敬老の日、夜は少し雨。
月曜日だけれど、祝日だから美術館は空いていた。
ブラジルはいちばん遠いんだけどね。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2008/special/000319.html

日曜日, 9月 14, 2008

Anywhere, she use by water.

ガラスの城に水をかける彼女を見ていた。
ホースを上に向けて、彼女と僕たちは崩れるときを待った。
やがて音を立てて、割れることはなかった。それは重なるときに響く音だった。
そこだけが雨が降ったようになっていて、後は路上に座る男らが、書類を広げていた。
順当に後片付けをこなし、少し寝た。
久しぶりに机上スタジオで起き、今夜はしっかり仕事をすることにする。先日購入した pupa がとてもいい。落ち着きながらふわふわときめく音楽だ。そしてバンドというのは楽しく豊かになるものだということを改めて教えてくれる。
エアコンを調整して、後でコーヒーを買いがてら、雨が降った前を通ることにする。
彼女はホースを束ねたが、城は崩れ去っていない。
ガラスの上をいろんなものがつたい、反射していく。
翌朝には、どこかへ。

http://www.floatingpupa.com

土曜日, 9月 13, 2008

私が動いたこと

オフになったので、布団から出ずに漫画を読みふけるという昼間を過ごした。
部屋の掃除をしようしようしようと繰り返し唱えて、結局 暗くなるまでしなかった。
洗濯機のなかには回転したあとに動けずに絡まったままのシャツらが固まっている。
少しビール。
映画「アワー・ミュージック」(監督,JLG/2004)のちに、録画しておいた「菅野美穂 インド・ヨガ聖地への旅」(NHK/2007)を見る。菅野美穂が等身大でインドを旅し、ヨガの原点に触れて行くというもの。ビートルズが修行をして有名 になったという寺にて、泊まりこんでのヨガ修行。そして祖のチダナンダ(92歳)に接見する。テレビならではのいい仕事だなぁ、なんてにくまれ口も吹っ飛 ぶくらい、この チダナンダの言動が神々しい。異なる宗教、信仰も受け入れ、ヨガはインドが生んだ古代科学であると言う。世界がより良くあるためにそれは使われる財産なの だと。
そのまま雑魚寝を決め込んだ不健康極まり無い私は、心と身体を離別させたまま解放されない夢を見ていた。「アワー・ミュージック」に流れる色彩を取り込みたくなる。窓の外には秋の風が吹いているはずなのだけれど、それに気づくことなく、画面に焦がれるのみ。

http://jp.youtube.com/watch?v=wGoVlic2xPg

金曜日, 9月 12, 2008

夏休みの終了、かつて私達が並べたソファーから

気軽に深刻ぶっている最低な立ち回りが板に付いて来ていて、深刻な状態だが気軽に振る舞うことのできる崇高さを忘れている。整理整頓ばかりを言い回す。日 記とはそんなものだから、そもそも公開するなんておかしいんであると続けた。くつろげる部屋はすぐに訪れる。週間予報のとおり、陽射しは穏やか。地震なん て来ない。誰も本気で思ってやなんかしない。気軽な噂になっているのがドラマやアニメを見ているみたいだ。
深刻なのは地震よりも、自分の軽薄な言葉だ。
椅子から立ち上がるタイミングは僕がかけることができたが。
遠い国の友人にも、同じ国の君にも、まだ言えずにいる。
「Where we go?」
公園に君は座った。夜風には、深刻も気軽も関係無い。

木曜日, 9月 11, 2008

イカれたパーティはいかほど

テロなんて忘れたい。
そして怒りや悲しみはどうやって伝えたらいいのかと悩む。
嬉しいことは笑って返す。申し訳ないことは頭を下げる。
身勝手なことや、見下すようなことには、悲しくなる。
何よりも自分に返ってくることを、忘れかけている。
テロなんて忘れたい。
アートもメイドもみんな優しくあるためにあるんさ。
楽しい思いをみんなしたい。
一日中、町中をパーティで歩き回って、そんなことを再確認する夜明けに辿り着いた。
歯磨きをしながら、自転車をこいでいく彼女を見ていた。

いまや返り血と乾杯だけが取りあげられている。
静かになると騒ぎたくなり、騒ぐと静かになりたい、そんな心境だけでやっているこの自称イカれたパーティ。いかほどかと尋ねると、どうなんだろう。どうっ てことないと返すとラクだな。それはそれほどくらい返ってくるだけ、か。本当はテロもただのネタなんだから、ちゃんと忘れて、本当に怖いものを思い出そ う。

水曜日, 9月 10, 2008

青空のマリー〜花火の後で

その歌のなかで語られている文句と、同じようなシチュエーションがあったとしても、同じ姿勢でいるかどうかは全く違う。
ムーンライダーズの持つニヒルな姿勢は、切なさの裏返しだ。
「青空のマリー」(詞, サエキけんぞう/曲, 白井良明/1982)
を朝まで。

僕は傍観する姿勢を見え隠れさせていたが、それを卑怯な方向にシフトさせている。
無邪気になれず、無垢にもなれなければ、危ない。
そんな花火の後で、青空があってくれた。

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=622280

火曜日, 9月 09, 2008

Broadcast From Heaven

はじめて Amazon で買い物をした。探しても無かった CD は一瞬で見つかって、中古で安かった。先日、CUBE の会合のときに先輩が多用しているという話を聞いて、すぐ使ってみた。便利で快適でハマりそうだ。

隠れ家の店をリストアップしていると聞き、そこでのビールはどんな味ですかと聞く。この町にある隠れ家としていた店も、もう既によく知られてしまった。部 屋が開くまで本屋とコンビニで時間を潰す。その間にも注文した CD は郵送されてきているわけだ。民営化した郵便局はかなり安く、それもいい。ただ一人の男のむせび泣くのに対面させるだけのために、送られてくる事実は社会 の流れになっている。青果倉庫の横をくぐり、その音楽を誰かに聴かせることもできるわけだと思う。講釈ばかり出てくる。夜遅くに果物が積み降ろしされてい る。俯いた女性の顔を鉛筆で描くとき、いろいろとりつくろうと線が多くなって老けていってしまう。朝起きても手紙はあるからと話し、声も消えないと繰り返 す。60億の天国は聴いたことがあった。正直なことが優しさでは無いんだよと教えられ、隠れ家には一人で行くと聞く。必ず一人だから、君とは行かない。誰 ともだよと。夜の淵はそこか。そこに連れていく歌が入った CD を、僕もAmazon なんぞで買っているとしよう。背中を意識した歩き方はかっこ悪い。朝に果物はまた出て行く。男らしさが何かわからないけど、大人かどうかはわかる。隠れ家 なんて無くても。

「1%の関係」(詞, 鈴木慶一/曲, 高橋幸宏/1995)from Amazon だ。天国からじゃない。

http://jp.youtube.com/watch?v=HyqKlhxedNQ

月曜日, 9月 08, 2008

思い出しながら、傘の絵を描く。

手紙を書くべきだと言ってもらって数日。
風が吹いてきていると、
それはどんな風だとまだ書けない。
部屋を掃除しなきゃと言ってもらって数日。
ゴミの城かという ありさまで、ようやく空き缶類を捨てに行く。
まだまだであって、歯医者も耳鼻科も、とりあえずの命からがらに理由つけて。
ソフトバンクどうしだからいまは無料だよねと電話もらって数日。
どんな風だと読み上げるのが、僕の術だ。
それだけをまず決めた。
絶叫そよ風とか、ささやき暴風雨とか。
これから数日は晴天が続くもよう。
思い出しながら、傘の絵を描く。

日曜日, 9月 07, 2008

頑張れよ

三年後は 2011年、どうなっているかわかないけれど頑張りたいと話した。
それはそれで尊重されうるものだけれど。
やれることしかできない。
やれること以上に頑張ってくれているんだという現実の構造があった。
今日は数年ぶりにあの美術室にいる。
生きることはさわぎだとディランが歌っていて、それを描くことはもっと さわぎだ。キャンバスには「さわぎ」と三文字 置かれる。
少し離れて、黙った目になる。
絵を描くときは、ときどき離れて見なくてはいけないと学んだ。

三重県から名古屋に帰ろうとすると、なんと踏切事故が起こっていて、近鉄の上下線とも止まっている。帰ることができないので今夜は実家に帰る。車中で頑張 らんかいよと聞き、弟と wii やPS3 をして、頑張れよと偉そうにも言う。全て本音だ。言いたいときに言うしかない。ソファーベッドを倒て就寝。

土曜日, 9月 06, 2008

歩いて、静かになろうとする

お昼前に出かけ、多くのギャラリー、画廊をはしごした。めずらしく時間を守れており、土日対応の一日乗車券なんてのもちゃっかり購入できていた。昼は寿司屋でランチ寿司セット。丸の内のオフィス街にあるので、価格と釣り合いのとれた安定感があって美味しい。
歩きながら空の様子を気にしていた。
僕は、雲にも天使にも出会うことができず。
言葉をねじくって、なんとか静かになりたいと何度も何度も自分でも呆れてしまってたりする。
でも、あきらめた気持ちとは違う。

日が暮れて、池下のライブハウス「源」へ。
タテタカコのコンサートを見る。
ピアノひとつで、マイクは無く
背すじをのばして、声ものびて
まっすぐになろうとする言葉を持って、
かけがえのない歌だった。それでいて窮屈ではなく、何も飾らず、聴きながら いろんなことを思っていいと思えた。
ライブ後に一緒に写真を撮って頂いた。嬉しい。
帰りは少し遠回りをし、ストリートミュージシャンの気持ちと、路上詩人の気持ちの間に座った。
そこで僕は、僕自身のなかにあるはずの目を思った。

http://tate.navelfactory.jp
http://live-gen.musical.to

金曜日, 9月 05, 2008

祖母、笑う

久方ぶりに祖母に会いに行く。
まったく親孝行より縁遠い、罰当たりな行為はどこの家族でもいろいろあるもの。サザエさんはテレビの中だ。
自販機で小さなお茶のペットボトルを買って頂き、それにカーネーションを入れて頂いた。
祖母は働けようと笑い、生来の金勘定なども元気にする。
数時間の後に帰路の駅へ着く。雨がまた降り出してきていて、傘を指しながらではまたと。
帰りの車内で眠りたかったけれど、すぐに着いた。
晩は伊勢から仕事を終えてきた福岡氏の労い会。
家族に至る話も聞いた。


木曜日, 9月 04, 2008

前世紀の少年

中山氏とレイトショーそれもスペシャル恩恵割にて、「20世紀少年」(監督,堤幸彦/原作,浦沢直樹/唐沢寿明、常磐貴子、豊川悦司、香川照之、石塚英 彦、宇梶剛士、佐々木蔵之介、生瀬勝久、小日向文世/音楽,白井良明/2008)を見る。原作の漫画を未読なので、似ているという感慨も無ければ、こんな んじゃない!という文句もおこらない。ある意味では寂しいような、ストレスがたまらないから良いような。後日 漫画喫茶で読めば同じことであろうし、そもそも漫画と映画を比較してどうこう言う労力に興味は無いと思わせてくれるほど、エンターテイメントとして昇華し ている感を持つ。しかし原作の持っている「20世紀に俺たちはいたんだ」というぬぐい去る事のできない、いや、誇りと自負の念がこの作品の崇高さであると 感じる。それはすなわち放送室をジャックして T-Rex を爆音でかける実感であり、友達を信じる実感と繋がっていく。俺たちの手でこのマークを取り戻そう。ただのサンデーのノンブルとギョロ目に返してやろうと する気持ちは実感に対して忠実であろうとする奮い立ちだ。洗脳された奴らには負けない。実感をどこかに置いてはいけない。前世紀の少年は。今世紀の中年た ちに捧がれる。中山氏とジュースを集めてニヤニヤする。それからまた仕事場まで送って頂く。彼の車を見送る。コンビニからアルカイダまで、無力な俺たちは 前世紀の少年で、今世紀は中年、いや少年と呼ばれる?

http://www.20thboys.com

水曜日, 9月 03, 2008

再び、ときどき川

不意打ちの雨で駐車場との間がまた川になってしまった。
正午から快晴に向かう。
だが気持ちは優れず、仕事はそこそこに。ソファーで横になる。
ジーパンは濡れたままのものが乾くだろうとしていて、現にそうなっていた。
総菜コーナーで買った天丼のお弁当が美味しかった。紙パックのマンゴージュースも飲む。
髭だけ剃りたくて、T字剃刀の置いてある部屋まで上る。
それぞれの仕事場が浮き島のようにあって、物資も連絡も、そこそこにしかいっていない。

火曜日, 9月 02, 2008

子供みたいに愛しても

僕のこと何も話さずに
僕のこと全部伝えたい
I wont You wont I wont!
あまりにも君が気になって
そのくせにいつも傷つける
I don't You don't I don't!
子供みたいに愛しても
大人みたいに許したい

Everything is Nothing
Everything で Nothing
Everything is Nothing
僕らの海はクラゲの海

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1986)より。

堅いグレーの空から、ぱらぱらと雨が振り出した。
猫の鬱を撫でていた名残りがTシャツにくっついている。白と黒のふわ毛たち。
iPhone を濡らさないように背中を丸めて自転車を飛ばす。クラゲの海が止まらないように。
僕に残った術はそのまま話すことだけ。
嘘でもはったりでもいいから、本音を話すことだけ。
君が優しい言葉を返してくれた。・・と反芻する。
猫の鬱の餌が切れていたのも返ってきた。帰りのコンビニで買って行くことにする。
感情は増える。ただ増え続けるんだ。
空が暗くなって、雨が止んでいた。

月曜日, 9月 01, 2008

君のこと何も知らないよ

君のこと何も知らないよ
君のこと全て感じてる
グッドディ、グッドナイト、グッドディ
君のこといつも見つめてて
君のこと何も見ていない
ワンディ、ワンナイト、ワンディ
ガラスみたいに透明で
フィルムみたいに泳いでる

Everyrhing is Nothing
Everything で Nothing
Everything is Nothing
9月の海はクラゲの海

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1986)より。

待っていたものが流れこむ。
街の外れを探して、ワインでも空でも、淵をいつも選んで。
君のこと何も知らないよと、歌いはじめて。