水曜日, 9月 17, 2008

崖の上のポニョから・1(もののけ姫以後の世界)

「崖の上のポニョ」(監督, 宮崎駿/長嶋一茂、山口智子、奈良柚莉愛、所ジョージ/2008)は、半月ほど前に見た。その感想を書こうと考えていたが、これはしっかりとした論述を 持って書きたいと身構えてしまい、なかなか書くことができずにいた。それからいろいろあって(どんなときもいろいろあるものなんだけど)、勿体ぶっている うちに何も書けなくなってしまうのがオチかなと思った。あれはああじゃないんだ、あれはこうなんだと誰も聞いてくれない愚痴を寂れた酒場でこぼす構図に なってしまうのはいやだ。

「ポニョ」にそこまで入れ込む必然も無いのかもしれない。ジブリ作品だからといって目くじらを立てるのは馬鹿げているし、自分にとって大リスペクトをする べき物語が宣言されて立ちはだかってきたわけではない。ただ、この映画には今まで僕が もやもやと思っていた「もののけ姫」以後「千と千尋の神隠し」からの宮崎駿をハッキリと見ることができた。
それは、極めて個人的な思いや願いがあらわされているということ。エンターテイメントとしての起承転結に捕われぬ、それ故に強引とも取れる展開。宮崎駿本 人が眠ったときに見た夢をそのまま見せられているかのような場面の数々。ポニョではそれが更に深化し、洗練されていた。そして、人とはその判断を試される ときが来るという視点が一貫している。主人公に託される試練は、人間への希望である。ありとあらゆる異なる存在を肯定する打算の無い心。それは恋愛という よりは、愛情に近く、実はよく言う「愛」でも無い。五歳の子供が持っている希望。人間が持ち得る全てが、五歳にはあると確か言っていた。大人になると計算 のある判断が基になっていく。その希望が確認されたからこそ、世界はまた誰にも気付かれずに救われた。海の表現は画面の全てが動く。キャラクターだけでは なく画面の全て 世界を動かしたいと宮崎駿は言っていた。これはいまのキャラ中心に展開しているアニメへの皮肉とも取れる。そしてそんなに世界が救われたとされる世界なん てのも、いささか小さすぎるのではじゃないかと僕は思ってしまう。「ハウルの動く城」で、主人公が試練を乗り越えてめでたしめでたしと同時に、戦争も終わ るという世界と同じだ。「もののけ姫」の世界は、あれだけ人が無力であり、主人公らが命を懸けることで、壮大に世界が輪廻を繰り返すことが示されたのに。
そこを、小さいと呼ばず、世界の全てがこの出来事のなかにあると捉えれば、小さいという否定的な観点にはならない。起こっていることが巨大兵器や神々との 争いか、個人の純粋なところへ降りて行くことかどうかの違いだ。画面には映らない遥か向こうに世界はあるのではなく、いまここに全ての世界が映っている。 僕にはまだ、世界とは遥か向こうに大きく流れているものだという認識が消えない。それは消すとか守るとかいう問題ではなくて、自然に変化していくものだと 思う。
「崖の上のポニョ」ではその変化が明らかに思えた。
(2へつづく)

http://www.ghibli.jp/ponyo/