日曜日, 7月 31, 2011

やたらめったら汗をかき

注文していた素材が届く。部屋が一気に狭くなり、いろいろ難しい。
やたらめったら汗をかき、目に見えた進行が無いために 急にやさぐれる。
些細なことで嬉しくもバッドにもなるもの。目の前のこともこなすとして、思い出して気を休めるときも要るだろう。

土曜日, 7月 30, 2011

蓄音館とオヨヨ

内なる声は鳴っているか。行列に間に合わなかった。朝は大雨のニュースを見ていた。市場から古書店から洞窟やら汗かきながら歩く。
以前に山口から来ていた藤井氏が絶賛していた「金沢蓄音館」へ行く。

ちょうど着いたときに蓄音機の聴き比べの時間で、種類別に音を聴くことができた。電気を使わない蓄音機の豊かな音が味わい深く、また、解説の方の語り口が落ち着いて豊かに感じられて良かった。
エジソンが作った筒型レコードをいま自作できないかなと思う。
録音も使い手がそのままできる構造だったらしいし、何より形状や短さが新鮮だ。
新鮮に感じながら帰りのバスに乗る。

ロング缶のビールひとつ。花火大会へ向かう浴衣姿の人々を横目に。それから歩いて行く方向は見えずに。古書店の名前はオヨヨ書林だった。再会を多く経る。

http://www.oyoyoshorin.jp/
http://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/

金曜日, 7月 29, 2011

雪の降る頃にまた来たい

金沢遠征。駅前の温泉リクエスト再度。サウナの温度がちょうど良くて快適。じゃらんの口コミに感想書き込む。
女性という括りにはどうも抵抗あり、真意はそれではないはず。来年始めの展覧会のことも話しながら。二年前に一度だけ行ったことのある極めて地元のお店へ。クリントイーストウッドの出てるファイヤーフォックスなる映画をかけていた。雪の降る頃にまた来たい。

木曜日, 7月 28, 2011

月がきれいですねアゲイン

家族ってやつは、みんな意識せずともなんかある。
一日立ちっぱなしだった帰り道にはそんなことも思い出す。
外でなら空も目に入る。ビルの多さに比例して焦るだろうと歌ったのは電気屋の息子だった。
それでも好きなことを選んでいたいし、しつこいくらいに話をやり直したい。途切らせていたのは当の自分だったりしても、本当にキレイと思っているのだから怒りゃあしない。週に一、二日、自分は電気屋で雇われの身だ。

水曜日, 7月 27, 2011

悩みこそ掲げられ

幾つになっても会話はたいへん。みんな褒めてほしいし、みんなけなしたい。
悩みに年齢相応も無いけどさ。
いざ相談なんてお願いされたらそんなことも考える。みんなの為の買い物頼まれたら相場を考えるのと同じ。自分一人なら幾らでもいい。幾つになっても一人じゃ寂しいのはもう分かる。

火曜日, 7月 26, 2011

乗り越えたこと

「コクリコ坂から」(監督, 宮崎吾朗/長澤まさみ、岡田准一/2011)見た。
みんな心がキレイ過ぎる気がしたけど、そんなの野暮なツッコミだった。
つじつまが合うことで皆から拍手されるけど、いちばん素敵ななことは乗り越えたこと。それに打たれる。

http://kokurikozaka.jp/

月曜日, 7月 25, 2011

デジアナ変換でさよなら言えず

アナログ放送終了まであと○日のカウントダウン表示が、本日正午には終了しますになっていた。警告表示をきっかけに ここ数日、最期を見届けようと番組を録画していた。いよいよ最終日となった昨日。正午に番組が終わり、25日になると共に電波も止まって砂嵐になるらしかった。
しかし自分はそれを見届けることができなかった。
昨日の午前二時、急に画面が切り替わり全ての放送が綺麗になったのである。よく見ると画面の上下が切れていて、番組の表記が右上に出ている。更にその上の帯に「デジアナ変換」とあるではないか。
調べると、ケーブル放送局がデジタルをアナログに変換してくれている対応らしい。総務省が地デジ難民に向けて決めた暫定処置で、2015年の 3月末まで行うという。
こんなこと、アナウンスしてたのか?
自分が情報に疎かったと言えばそれまでだが、砂嵐を見届けられず、さよならを言えなかったのでスッキリしない。
こんなものを録画し続けようとしていたくらいなので明らかだが、自分は終焉に強く反応してしまう。そしてこの警告は何も言わなければそのまま過ぎていく終了を、意識させ煽るものだった。
その煽り自体がテレビらしいと思う。まるで世界が終了するみたいと呟いてみる。アイディア由来でわざとらしく。
「デジアナ変換」は、実は終わっている世界を気付かれぬよう、当局に誤摩化されているようだ。

日曜日, 7月 24, 2011

とろい背中

車に乗せてもらって、暮らしの端へ。
それにはたくさんのを陽当たりを見るべきですよと教えてもらう。
そうしようと思っていたことを言ってもらえたとき、背中を押してもらえたと形容する。
そう、背中を押してもらえた。
遅い足並み。さっさと言えば とろい背中。
形容に断りなど要らぬ、さっさと言えばいい。
とろい背中押せば手足はもげ よく転がっていく。

土曜日, 7月 23, 2011

了承済みのところから

夜、藤ケ丘駅の高架近く、黄色く巨大な看板の中華料理屋さんで詫間さんに再会。女子会に紛れ込んだようなところから男子会へ。先日購入した充電バッテリーの自慢は男子会でしかウケない。了承済みで終電で帰宅。洋食屋さんで御飯は食べずにビールだけ頼んだ。地下でハグするのを多く見る週末。

金曜日, 7月 22, 2011

焦りに伴うものならば

何かに追われる気持ちは何故か。
本当は落ち着いていろんなことを見つめることができるはず。
涼しく、いや寒くなったくらい、流れに任せて試みを引き起こそう。
動き出したのはもっと前。国の僅かなところで。
これからまた暑くなるからたくさん使ってもらえますね。と笑ってもらえた。背中は汗だく。終えよう。焦りに伴うものならば。

木曜日, 7月 21, 2011

まだ見ぬアート

雑巾になるのをまぬがれた CNN を着て、アイウェイウェイの BBC が良いと聞く。
ああ、またタイへ行きたい!タノームさんを囲んでの会。レモングラス入のスープ美味し。
これからのことを思うと目が回ると聞くけど、きっともっと楽しいこと。

http://www.umbilicalsites.com/2011/04/30/missing-ai-wei-wei-未だ不明のアイ-ウェイウェイ/

水曜日, 7月 20, 2011

雷には打たれるし、嵐が来ることもある

台風 6号通過。ここいらは朝のダイヤが乱れるだけでやり過ごす。駅では台風の影響でとアナウンスしているそばから 空が晴れてきているのでバツが悪い。ダイヤの修正はどこかの時間帯に泣いてもらって仕切り直すのだろうか。

レンタルDVD で「ベンジャミンバトン 数奇な人生」(監督, デヴィット・フィンチャー/ブラッド・ピッド、ケイト・ブランシェット/2008)を見た。
若返っていく人生はどのようなものかと想像して作られたこの映画は、定規を逆さにして人生を計り直す試みで、逆でも長さは同じで、思うことや出来ることも同じかもしれないということが分かった。

素晴らしきかな我が人生というトーンではなく、その数奇さ故に かけがえのない時間を想い、永遠は存在するのかと問い続ける。何かを成し遂げるなどの激しい達成感は無く、どこか移ろいに任せる印象。
雷には打たれるし、嵐が来ることもある。
俯瞰で見れば、人生はそういうものなのだろう。しかし流されるだけではなく、彼と彼女は 永遠を問い続けて愛を全うした。
その集大成として伝記の聞き手に、人生を良く生きよと語り継ぐ。
映画の中の聞き手はベンジャミンの日記を読む娘で、この映画の鑑賞者はそこに同席している。

http://wwws.warnerbros.co.jp/benjaminbutton/

火曜日, 7月 19, 2011

女子サッカーワールドカップ 日本優勝!に思うこと

昨日の早朝、pd をいじりながら 女子サッカーワールドカップを見ていた。一点先制され、それでも諦めずに一点 追いついたところで、pd は放っておいてテレビに齧りつく。王者アメリカは確かに強く、身長からして圧倒的な差だが、日本は諦めず じりじりと攻めよっていき、そのまま 延長同点を決め PK まで持ち込んだ!
見ているこちらは興奮しているが、選手らは極めて冷静である。
延長前から解説らが言っていた「サッカーを楽しんでほしい」という言葉が引っかかっていた。PK の前の佐々木監督の笑顔を受けて、それが肯定されたかのように語られていたが、自分はあの笑顔は楽しむとかそんな甘い次元のものではないように見え、怒ってツィートする。
笑顔はもっと戦略なのだ。追われるアメリカ、追う日本という心境へ 空気を持っていき、優勝!!
一人でガッツポーズ。感涙。

延長後半に2点へ追いついた フリーキックからの澤選手のシュートが凄すぎる。体の向きがゴールのほうを向いていない。あの状況で決めることのできる強さに感動。これまたツィート。

今日は、選手らが 帰国して総理に報告を行っていた。帰国当日に総理に呼ばれるのは異例らしく、人気の政治利用だという うがった批判もあったが 、スポーツ振興金が事業仕分けでカットされたり、男子サッカーよりスポンサーが少なく収入が厳しい状況の 女子サッカーが注目される瞬間でもあるわけで、いちばんこの機会を活かしているのは、実は佐々木監督率いる彼女たちなのではないかと考える。
また、スポーツの人気に乗じて政治家が盛り上げに関わるのはそんなに悪いことではないのではないかと思う。オバマも Twitter で観戦を発信していたし、メリケルだって決勝戦を見に来ている。管総理が試合中にどうしてたかは発信されていないけど、テレビで見ていたらしい。そこらへん同時に発信する巧妙さが欲しい気もする。その印象が スポーツ振興金の事業仕分けと重なって「何の応援もしていなかったのに優勝したら急に掌変えやがって」と批判されることに繋がるのだ。

いや、でもそれを言い出せば自分もいままで女子サッカーに注目していたわけではなく、今回の状況に便乗しているだけのゲンキンさである。日本代表に選ばれていながらも、アルバイトをしないとやっていけない状況だと報じられている。似たような苦労をしているスポーツ選手らはごまんといるだろう。芸術の分野でもきりはない。
世間はゲンキンになるものだ。
陽の目を見ないときでも 努力を続けていることが強さに繋がることを、見せつけられた気がする。
被災地の為に頑張ってくれたと感動することもできる。
サッカーを楽しんで欲しいとも言える。
ただ、選手は攻めていく。馬鹿騒ぎをせずに冷静なのは強いからだ。強さは見ている人を自由にさせる。

月曜日, 7月 18, 2011

神p

本日は海の日。pure data による「純粋データ」ライヴ。名古屋造形大学 先端表現コース沖ゼミにて。
参加メンバー十組。pure data 使用は五組ほど。

自分のパフォーマンスタイトルは「神様を pd で」。
サンプルプログラムを繋ぎ合わせたり、同時に立ち上げたりして制作。pd 自体がパフォーマンス向きであることに納得す。

He called the god to us at 41 years ago.
Because He sang about us.
オーケー。純粋さの前にだけ神を。

http://de-dicto.net/pd/

日曜日, 7月 17, 2011

ソラニンからのラーメンからのアイスからのチャイからの

DVD で「ソラニン」(監督, 三木孝浩/宮崎あおい、高良健吾/2010)流しながら pd いじる。キレイ過ぎて食傷気味な印象。
大学を六年間続けたバンドマンの彼が就職すると決めて、本当にそれでいいの?と困惑する彼女の間が収穫だった。それは本編ではないところである。

ラーメン、アイス、チャイ。これからのよろしくと。あとソラニンのタイトルの由来が良かった。from wikipedia。月見煙草。今夜はまだ涼し。

http://solanin-movie.jp/

土曜日, 7月 16, 2011

ヤンチャリカの歌

月が丸くて低いところにあるのを、止まって見る。
カップあずき氷飲んでやってくる太めの男性を、からかって話す女性社員とで、バス停からこの頃の仕事の話をしていた。

その足でノリクン率いる民謡バンド ジリリタのライヴ、新栄きてみてやへ。
ほぼ終わりかけながらいろいろ歌ってくれていた。久々の方と、初めての方と話す。映画のこと、絵本の読み聞かせのこと。
即興でかまされた ヤンチャリカの歌はノリクンの妙に柔らかい声色がくすぐったし。

金曜日, 7月 15, 2011

選挙 で盛り上がるのはアイドルんときだけで後は疲弊

Berlin Naruheso Weltzeitung、略して BNW の報告会 in 名古屋芸大 for 洋画コース及び大学院。夕方より一時間半。来て頂いた皆様、ありがとうございました。反省点は以後に生かすと誓う終了後の飲酒。
自分の作品の紹介は紹介で また行いたいとだだをこねる次第。

木曜日, 7月 14, 2011

オススメミュージック

タイ、バンコクから大学を通して交流している先生方が来られる。昨夜はそれで飲み会。今年の日本はとびきり猛暑だと騒ぐ。タイより湿気が多いとのこと。Aout 氏のことを聞く。彼は最近、FaceBook でいつもオススメ音楽をアップしている。これが おかしなひょうきんさを持った若者ノリで楽しい。そんななから一曲、「radar detector」(darwin deez / 2010)。アメリカ発ねー。

http://www.youtube.com/watch?v=8pbdLqTh_x4&feature=BFa&list=AVAYMcY2vx8GRBqjblbg2GEbkBHdVWkVxi&index=1

水曜日, 7月 13, 2011

18年前、想定から外されていた

今朝の「とくダネ!」で小倉さんが取りあげて驚く。
想定外だと騒いでいた震災による全電源喪失の原発事故だが、実は 18年前に事故の可能性を想定検討する機会が原子力安全委員会のワークグループによって設けられていたというもの。その書類には「そんな事故は考えなくていい」という内容が書かれていたのだ。
想定外は不可抗力ではなく、「想定から外す」という意図的なものであったことになる。
安全委員会は 安全を監視するのではなく、安全であると言い続けることを監視し続け、なんとか原子力発電の体制を続けたいだけなのだろう。
この事実は 市民の怒りの導火線に火を点けそうなものだが、哀しいかなどこか麻痺してしまっているのと、猛暑になって電気の必要さが身にしみてしまい、原発容認の声もまた戻ってきているようなのだ。できるだけ騒がれることのないよう書類を保守していたのかもしれない。
福島原発が全電源喪失してしまい制御不能になったのは津波のせいではなく、地震だということも同じくスルーされているようだ。浜岡原発に津波除けの高い壁を設けたところで何の意味も無い。
停止はしたけれど、廃炉をはじめないと浜岡原発の燃料は同じく地震で面倒なことになるだろう。だが廃炉まで至らないのは、それを認めた瞬間、日本で原発は駄目ではないかと 論調がなるのを避けているだけだ。

認める、認めないではなく、事実 福島はたいへんなことになっているのだから。
脱原発へ舵を切るべきだ。
自分も麻痺を解かなければいけない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011071302000208.html

火曜日, 7月 12, 2011

マクドナルドに滞在す

時間を勘違いして早く着く。マクドナルドでコーヒーひとつ頼み、フリー WiFi に繋いでみる。何の障害も無く繋がる。電源もあるのでブラウジングには最適だ。これで椅子が柔らかかったらいくらでも居れてしまう。昼も夜もハンバーガーになってしまう依存症気味の方もいるだろう。マクドナルドのやり方などは好きではないが、町中で安く居座れるという点では最高のコストパフォーマンスである。以前、Twitter で「マクドナルドは高級ブランド店だ」というやりとりをしていたのを思い出す。「安い」と思わせる高級ブランド店だ。落ち着いてみると冷房はそこまで強くかけられていない。節電体制を受けてだろう。巧妙さと付き合っていくのを要求された、いち消費者たち。

月曜日, 7月 11, 2011

紆余曲折した自画自賛

深夜に突然部屋掃除。たくさん捨てる。「pure data」の組み立てが分からない。ずーっと配線いじりをしてる感じ。自分のプログラム能力、ツールに限らずあらゆる仕事の対応も同じだ。句読点が多過ぎる文章だと指導されてきた。岡山のギャラリーで貰ってきた小冊子に 原発事故と絡めて森鴎外の脚気対策について語られているのを読む。Wiki で調べる。森鴎外の文章も句読点多いかも。文豪ってみんな多い気がする。紆余曲折した自画自賛。プログラムはシンプルなほうが問題無く動くし、句読点の乱用は読みにくさに繋がる。流れが悪くなる。だけど 半角空けはテンポが良くなるとか思っている。森鴎外、人でなしかもしれぬ。麦飯効果認めず、三万人ほど兵を脚気死から守れず、自分の理論と権威を守るとは。句読点、厳しくあらな刺されるやも。

日曜日, 7月 10, 2011

団扇のひとつ受け取ってくれたっていいじゃんという空気

西陽が殺人的に強くて部屋が熱される。猫の鬱が外に出て、玄関先の日影で寝転んでいたまでは確認していたのだが、三十分ほどしても帰って来ず、参った。出かけられないと苛立っているところに空腹なので、止むを得ず戸を開けたまま出た。
駅向こうのスーパーへ徒歩で向かう。立体橋のところで空港利用促進キャンペーンをやっていて五人の隊列が団扇を配っている。団扇と言ってもボール紙を円形に切って、持ち手の円をくり抜いてあるイベント用の団扇だ。
懸命のアピールにも関わらず断る。スーパーで買い物を終えてからの帰りにも 隊列の前を通らなければならない。遠回りして違う道で帰ろうかとも考える。それだけの為にこに炎天下を長く歩かなければいけないなんて、負けたようで腹立たしい。そうすると、公的な顔をしているが、キャンペーン自体が図々しいものだなとも思えてきた。空港を使おうと言われて 使うものだろうか? キャンペーンの対象は 出張などで 新幹線か国内線 という選択肢の起こる人だろう。駅で訴えかけるより、もっと効果的にピンポイントな動きはないものか。
などと言ってくる人も居るだろうなぁと立体橋へ。
頭を下げて通り過ぎる。団扇のひとつ受け取ってくれたっていいじゃんという空気。こんな地方の駅前に陣取ることがキャンペーン隊の判断ではないことは分かっている。県の雇用促進事業で進められている仕事だ。もしかしたら自分がそこで声を上げているのもありえた。
猫の鬱は 部屋に帰ってきていた。フローリングの床にへばりついて溶けていた。

土曜日, 7月 09, 2011

I want U back soooooon!

ノリクンだけが君のためにと言って歌ったさー。
君のために怒ったり笑ったりしているのはどれくらい。自分のためさておき。I want you back. は 帰りたいのか、帰って来てほしいのか。

http://www.youtube.com/watch?v=zN6W82kyMAE&feature=fvwrel

金曜日, 7月 08, 2011

He can look a his way only.

英語だけに徹して 私はかの国から来た人に。U've a GAIJIN Power アゲイン。
彼女が見ている人生の可能性ほど、彼には見えていない常を語る。私を「どや顔」と言うらしい。

木曜日, 7月 07, 2011

映画は君のもの

「Supr8」(監督, J.J エイブラムス/ジョエル・コートニー、エル・ファニング/2011)を映画館で鑑賞。
舞台は 1979年アメリカ。自分が生まれた年は、スリーマイル島事件のあった年だったのか。ET をスケールアップしたようだが、おそらく違う。もっと現代に去来している、大人ですらも無力なものに振り回される空気に満ちている。時代設定は 80年代へ向かうところでも、カラッと明るくはない。

スピルバーグへのオマージュという趣旨は先に宣伝されていた。何がどうオマージュなのかは、衣装ではない。恐怖の描き方にある。画面の構図、パン、脚本、ありとあらゆる要素を用いて恐怖の実態を明かさずに引っ張って行く。観客は恐怖が何であるのかを薄々分かりながらもその誘導に身を任せる。かつてジェットコースタームービーと形容されたそれがポリシーを持って発進した。そして恐怖をやり過ごした後には、危機を助け合い、分かち合うことのできた 良い表情の顔がアップになる。人々が何に惹かれて、楽しみ続けるのかがずっと考えられてきた。味が長続きするガムのよう。無駄に消費することはなく、面倒な思考の手続きもいらない。恐怖とその分かち合い。実は直感的なそれを、技術を駆使して よくできたお話として撮ることが、映画だと彼らは言っていた。

スーパー8のカメラで、君へ送るものを作る。よくできたお話は、恐れ、涙した君が信じて映画になる。だから映画は君のものだ。

http://www.super8-movie.jp/
http://www.super8-movie.com

水曜日, 7月 06, 2011

帽子が並べば

結果的にみんな百円ショップでおそろの帽子。
言われてたことと違うなんて社会ではてりめーよと担架きられる汗が充満するのは避けよう。
数をこなす日を経て、そろそろ「CUBE」の作品にとりかからんば。いや全くの白紙だ。
絵を描きたいなーと思ってる。
高嶺格「在日の恋人」を電車の中で読む。日記の文体に顕著に現れる。単純。バスが来ないので駅まで歩いた。
書いてみて離れ業が分かる。帽子が並べば意義が分かる。


火曜日, 7月 05, 2011

オートに潜り込んでみる

雑居ビルの入り口にドイツ国旗があって、ドイツ料理の店だった。ビールを推してた。暑い日の後は飲みたくなる。昨日の大雨も手伝ってか、まだ涼しくは感じる。何階に居ても同じで 紙にサインを繰り返して退室だ。挨拶はそこそこなどではなく、要求されない都合の良さで通されるらしい。制度次第で人は勝手にも真面目にもなる。ならばその制度に踏み込んでみればいいのかも。満員電車で吐きそうになる身で、そんな簡単なことは言ってられないか。豆腐と和えてつくる調味料に手を出してみた。窓を開けるとかなり涼しい風が入って来る。この部屋は一階。二階にはもっと強い風が。

月曜日, 7月 04, 2011

魔女狩りで何も良くならない

暑さにまかせて踏み込むなんてできなくて、憂鬱に流れ着くのがほとんど。
列記すればきりがない手がかりの数。テレビとのお別れ。iPad 充電器兼ワンセグ買えば良いと言われ。
大雨でふて寝。FaceBook で少しチャット。Skype でも少し話す。姿勢の確認。魔女狩りで何も良くならない。

日曜日, 7月 03, 2011

CUBE8

information です。

◆母校の美術部企画展に参加します。

第8回「CUBE」久居高校 美術部 在校生 卒業生 合同展

会期・2011年 8月17日(水) - 8月21日(日)
   9:30 - 17:00 (入館は16:30まで。最終日21日は15:00まで)
   会期中無休、入場無料
会場・三重県立美術館 県民ギャラリー
    三重県津市大谷町11(map)(チラシ PDF 348KB

三年に一度行われる母校の合同展「CUBE」に参加します。
今回で8回目となる「CUBE」は 1987年からはじまっています。村田は第5回目から出品しています。新作を展示します。
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犬の安らぎと同じくらい、夏は返していく。遊びぢゃない。
次の帰省は8月。8回目で。

土曜日, 7月 02, 2011

砂嵐まで

昨日からテレビ画面の左下にでかでかと警告文字が表示されるようになった。
「アナログ放送 終了まであと22日」
と今日はある。そう、今月には地上デジタル放送の完全移行があるので、その警告だ。以前から画面の上下が黒くなって 16:9 の画面にさせられ、テロップも流れていたが、今回は画面内に食い込んできている。急に画面が一定時間 砂嵐になって、24日からこうなりますと呈示してくる告知まである。これからもっと激しくなってくるだろう。
このカウントダウンを録画して何かしよーぜいとメール来たり。自分の改造 iPhone ではロングメールでが受信できなかったので、Eメールで再送してもらう。
砂嵐まで、何を見届けよう。

http://www.youtube.com/watch?v=EQ5xTXG7SD8&NR=1
http://www.dpa.or.jp/genki/song/01swf/01.html

金曜日, 7月 01, 2011

この絵を描く眼だけ

伏見のギャラリー名芳洞にて、倉岡雅先生の個展「女・鏡 - KAZENOKEI」を見た。
横たわったり椅子に座した女性と、静物などを携えている 静止しているような要素が、大鏡に映ることで動的な画面になっていく。超細密ではなく大きな流れがあって、細やかな筆を太い筆が内包していた。立っているであろう角度の位置に画家の姿は映っていない。これは絵だから、映していない。
きっと、この絵を描く眼だけがあるのだろう。

http://blog.atake-i.com/?eid=1234308