土曜日, 9月 30, 2006

まけんきのつよいおなごじゃ

偶然バイト先に真坂氏が立ち寄ってくれたので、久々の再会にハグをする。帰国してすぐの反動に体がフラフラしているようだったが、他の皆も無事に帰ってきたということで良かったと笑う。

帰宅後、ワインなどを開けてレンタルの映画を見た。
「カンゾー先生」(監督,今村昌平/柄本明、麻生久美子/1998)。
日本の隠蔽体質にこれでもかとまとわりついていくのだが、それがしつこくなく、常に爽やかに明るく描かれているところが凄く面白い。
愛情が貫かれている。
麻生久美子が魅力的で見入ってしまう。

金曜日, 9月 29, 2006

詩人の良識に逃げるな

バイトに行く前に「まっている」という詩を書いた。
鉛筆で紙に書いたあとで手紙のように机に置いておき、続いてホームページのタイトルにも載せた。タイピングをするときに、句読点を抜き取ることにした。
すごく単純で素直に語ることがいちばん難しいと思った。

いまだテレビに細木和子が出ていて、良識の押し売りをしているのを見て嫌な気分になる。
いつだったかの詩の朗読イベントで、僕が人の詩を読んだら、舞台に上がってきて「自分の言葉を読めよ」と迫られたのを思い出す。
正しい詩人とそうでない詩人について、いまだに納得がいっていないのは僕自身のせいなのか!

木曜日, 9月 28, 2006

君が言葉を追いつめてくれている

日々は濃厚。ドイツで、100%ジュースは「saft(ザフト)」と呼んだ。とても美味しくて、僕はそれが大好きだった。「自分100%」は既に当たり 前。いまや、気持ちは何を見てもザフトと呼ばせる。濃縮還元で無理に満たすのではなく、自然に濃い。そしてこれからまだまだ美味しくなるだろう。

ゲオーグにメールを送る。ノリクンにメールを送る。mixi 内をうろうろしてみる。原付でフィルム現像をお店に出しに行く。英語で現像出しを何て言うのか分からなくなる。駅ビルのデパートが改装して、ダイソーが 入っていた。もうこれでセリアという既存の百円ショップには行かん!と豪語する。中山氏らは知っているであろうか。本屋もレコード屋も大きくなっていた が、一番のトピックスはダイソーの登場だ。こりゃあ、セリアは厳しいぜ。パッとしなかったもん。
とかなんとか、やはりしつこい。

一つの鍋に味噌煮込みうどんを作って二人でつつく。

1954年、詩人の黒田三郎が「ひとりの女に」という詩集を出版した。それは夫人となった女性との恋愛を綴ったもので、優れて美しい詩集であったが。
その女性は、自分一人に捧げてくれたらいいのだけれど、公表してしまったと言って、プンプン怒ってしまったらしい。(※1)

「自分のためだけにでもひとつの本を作ったら」という彼女の言葉を聞いて。
その話を思い出す。

僕はおそらくまだ、セックスをセックスとでしか捉えていない。
これはレジャーやスポーツの類いではない。ひとつの本を作るとき、僕は黒田三郎に憧れるだろう。これはアートの為にはインスタレーションみたいなことをすればいいと考えている節を蹴散らす。
詩人とは何であるかを忘れる為に、綴じられた頁をめくる為に、花柄の布団で包む為に、僕は言葉を待っているのだ。
その方法がようやく、こねくり回すだけの段階を終え、オーブンに入れたり、沸騰した湯に浸けてみようかという発見に繋がっていた。
君が運を追いつめてくれている。(※2)

※1、名著「詩のこころを読む」(著,茨木のり子/1979)より。
※2、「運命の遺伝子UNA」(著,赤瀬川源平/2005)より。

水曜日, 9月 27, 2006

ぼくたちの方法(トランプを描いて)

子どもらの間で、遊戯王なんとかマスターカードが流行りだした。遊んでいるのを横目で見ていて、面白い部分は理解できたが、同時にシンプルではないゲーム の構造に首をかしげた。相当にややこしいルールが継ぎ足されているようなゲームで、すぐに諍いの原因となるような遊びである。商品として売り続けていくと いう時点で、ゲームとしての精度より、キャラクターやレア度の魅力で引っ張っていくしかないという印象である。80年代の「ビックリマン」、「カードダ ス」の類いにゲーム性は極めて希薄であった。「ビックリマン」など「貼って、貼られて、貼り返されて!?」という文句でしか遊びが提示されていない。切手 収集のような想像のゲームだ。いまの子どもは数値とか効果みたいなところに考えが行ってしまいがちになるかも。ならば数値や規則のもっとディープなところ に行こうぜと「トランプ」を前に出す。大富豪 知ってる?と聞くと、低学年の二人は知らなかったのだが、ルールを教えるとすぐに覚えた。

二学期は、この「トランプ」を各自が一つずつマークを担当して作ることをする。
これは継続企画として作り続けて、毎回別に各モチーフの絵を描くこともしていく。十二月までに完成するようにして、年末年始は家族でトランプしてねという 感じに流していく行程だ。ようやく子どもらに無理なく絵を描くことを導入していく方法が分かってきた気がする。教室を特別扱いさせないように。

五時半から半時間だけ、図書館横の公園で遊ぶ。鬼ゴ(鬼ごっこの略)をして走る。ドイツでプリーらとしたサッカーのときと同じく、僕はサンダルでドンくさくダッシュ。

彼女と英語だけで話す時間をつくった。
ムーンライダーズの新譜が発表された。「ゆうがたフレンド(公園にて)」(作詞,糸井重里、作曲,白井良明/2006)。
とっくに夕方を終えた道を、ビデオを借りに二人で歩く。

http://www.1101.com/friend/index.html

火曜日, 9月 26, 2006

この夏で会得した計り知れないこと

彼女が録画していた「タモリ倶楽部」を見てひとり爆笑する。赤瀬川源平が NHK に出ていたものも続けて見る。安西肇とみうらじゅんは本当に仲がいいなぁ〜。
ニッポンのサブカル美味しい処だなっと思う。ピーターがプラスギャラリーで泊まり込みの企画展をズッキーらとしていたときに、毎週末は「探偵ナイトスクープ!」と「タモリ倶楽部」を続けて見ていて「一番好きな番組だ」と話していたのを思い出す。
赤瀬川源平は半端ナイし、いま彼女のマイブームで赤瀬川本にハマっているようなので便乗して僕も読んでみようかと思う。
ドイツであれだけ口が酸っぱくなるほど話していた村上春樹の抱きしめる「充電」場面が、何故か発見できず、読んでいればいつか出てくるだろうと気長に小説をめくっているのも少し疲れてきた。
感傷的な気分は過ぎて、いまは実際に何を見て何を食べて、何を聴き、何を読んでいるかに意識を持ってきている。それは子どものように、目の前にあるもの、 いまの自分が立っているところに何があって、ここで自分はどう遊べるかという実践だけであった。言いたいことを言いあう先が、互いに傷つけ合ってしまった というところに辿り着けば、そこからなんとか分かり合えるのかもしれない。だからひとり勝ちしているいまのアメリカはまずいのだと思う。返り血の苦しみを 向こうの詩人は唱えているかもしれない。
と、相変わらず暴走トークをしていたら彼女に、
「やっと日本に帰ってきたね」
と言われた。

力強く抱きしめることを覚えた bnap06 面子たち。「彼女と会ってすぐに抱きしめました。もちろん人前で」という谷さんの携帯メールに勇気づけられる。

久しぶりに自分のホームページを更新した。今回、ドイツで制作した作品「鉛筆はミサイルとロケットを持っている」の記録を載せた。
向こうで作ってきた NTSC形式の DVD もちゃんと見れたのでバッチリだ。

バイトから帰ってきて、猫の鬱に味付け海苔をあげる。この夏で、猫らしく甘える方法を会得していた。

月曜日, 9月 25, 2006

二度と手に入らないものを食べて生きている

本当の心だけしか伝えることはできない
伝わってくるものも、本当の心だけ
もしも嘘をつけば
その嘘は伝わらずに
汚れた息づかいが
伝わってしまうだけ

「恥ずかしい僕の人生」(早川義夫/1997)



でも後悔とかではなく、すごく嬉しくは思っているんだ。
あらゆる気持ちが嘘ではない。この全てを受け入れていくことはおそろしくタフなことだ。
そんな無理までして、何を掴みたいのか。
僕は君に気持ちを話したということで、らくになっている自分を実感している。
本当に「抱きしめる」という主題で作品を作ろうと考えている。帰りの飛行機のなかで、僕はいままでつきあってきた女性のことをずっと考えていた。
あほですな。
あわてふためいてとっ散らかしていろんなことがよく分かった。
クリアな視点が続いていく。
この国にも、どの町にもそれはある。
変わらないものとして。
もう太らない。
二度と手に入らないものを食べて生きている。

日曜日, 9月 24, 2006

あらゆる正攻法の嘘をつかぬ癒し

猫の鬱が日向ぼっこをしていたので、それを写真に撮ろうとしたら、僕のより彼女のほうが良かった。「女は近づいて撮らないと」と言われた。猫の鬱はメスで、実際にそれだけで良くなる気がした。
そんな簡単なことが一番難しい。

電車に乗って、犬山のキワマリ荘「アートドラッグセンター」最後の展覧会へ行く。デートにはちょうどいい距離で、遅くまでやっているのも嬉しい。道ばたにデジカメを向けて、ごろ寝している猫や、植木などを撮る。
有馬さんの個展「キワマリ荘の住人Ⅴ楽画鬼の引っ越し」を見る。十年間に渡る作品群。実際に絵の数は多いのだけれど量に圧倒されるという感じではなく、もっと一貫して同じ絵を見ている感じ。
可愛い奇形児に愉快な蛆蟲。生き物の中身は優しくない。だから優しくしようとする。そこに言葉が書かれて、生き物はようやく落ち着いて目をつぶることができる気がした。
あらゆる正攻法の嘘をつかぬ癒しを僕はこのアパートで見た。夜にみんなで食べにいった中華料理屋で、彼女は胃を痛めてしまったけれど。「楽しかったね」と言って帰った。
有馬さんより藤井貞和の詩集を頂いた。

僕は引っ越しについて考える。それは同時に、あらゆる正攻法の嘘をつかぬ人生についてだ。
そうやって言葉ははじまっていた。







土曜日, 9月 23, 2006

夜の散歩

愛を模索する旅。
本当はその只中にいる。
気付かない展開は心の常。
言葉は消せない。言葉を直す為に言葉を書くのだ。
ドイツの巻き煙草を彼女と吸った。
二本目くらいで、奇麗に巻いていた。
夜に猫の鬱に首輪をつけて散歩に出ようとするが、鬱は怖がってしまい玄関先で転がるだけだ。
臆病な理由を並べていた。
味噌蔵の裏を二人で歩いた。
夕食の親子丼はとても美味しかった。
それぞれが歩いて、つきあうということをしている。
顔を向かわせる言葉だけが本当のこと。

金曜日, 9月 22, 2006

何かが、まだ来ない

一ヶ月半の間に凝固してしまった氷の塊。それが少しずつ溶け始めていた。
私は言葉を選び、言葉を捨てることを行おうとする。
リハビリ内リハビリのように、帰ってきてから初のアルバイト。ナーバスな気分になって、クラクラする。ドイツのチョコレートは冷凍庫に眠らせて、帰る。
一人で、いまだ片付けない荷物の前で横になる。
何かが、まだ来ない。

それは海にあるのさ。男が唄っていた。

木曜日, 9月 21, 2006

next station はどこ?

なんでこんな寂しい街になってしまうんだろう。
人々はとにかく急いでいる。愛に飢えている。
栄駅の構内にたむろするホストたち。彼らが最も生き生きしているように見えてしまった。でもそれは錯覚だとすぐ意識する。彼らの背後にある金銭という理由、後ろ盾。それを踏み倒している者はおそらく少なからずいるだろう。テレビの密着ドキュメントなどは、その姿を求めているから見るのだ。
いまはまだ、僕には行き先があるから良い。
行き先だけのための街だった。
この街に広場は無い。

名古屋市民芸術祭2006「next station」という企画展のカタログ編集会議に出席。
雑誌の形態をしたカタログが発行される。僕は編集に関わりつつ、ドイツに行っていたので非常に御迷惑をおかけしてしまった次第。
詩「次の駅」を書いた。
頭を垂れる。

http://www.bunka758.or.jp/ga/art/art1018.html

水曜日, 9月 20, 2006

また会えて嬉しい

久々にみんなに会う。子どもたちはやっぱり日に焼けて元気だった。良かったと笑ってお土産なんぞを渡す。
「せんせい、トラブルとかあった?」
と聞かれて、たいへんだったよ~ん。と笑う。空港で荷物の重量オーバーしてしまった話をした。
鈍った手を慣らそうと、顔をまた描いた。みんないい絵を描いていた。どんなにうるさく騒いだとしても、ちゃんとしなくちゃいけないところでちゃんとしてくれていたら、むげに怒る必要はないなと素で思えた。
夜は彼女とグリーンカレーを食べた。

火曜日, 9月 19, 2006

世界にファミレスから

亘さんと落ち合って、ファミレスでだべる。
タイ、マレーシア、ドイツ。世界は常に未知だ。同じく人生も未知だ。
「ADOLF」(Osamu Tezuka/1963-83)をプレゼント。タイのルームパンツを頂く。
これがドイツ語訳されているなんて、天国で手塚先生は喜んでいるだろう。
でも「MANGA」がオタクイメージと判断されて「COMIC」でないと、まともに取り扱ってもらえないという言葉の現状には残念がるなと、亘さんは言った。

http://en-f.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m103/m103_01.html

月曜日, 9月 18, 2006

帰還

「日本へ旅行する」と言って僕はみんなと別れた。見送りに来てくれた皆とハグをして、握手をした。
嘘みたいに飛行機は空に浮き上がり、僕ら(僕と谷澤氏と田中さん)はバラバラの席に座った。フランクフルト空港ではまったく時間が無く、買おうと思っていた免税チョコが買えなかった。いろんなものを鵜呑みにし過ぎていたようである。昨晩、マレーナが話してくれた「TOKIO HOTEL」というドイツ版ジャニーズJr, が載っている雑誌を買う。紙媒体ばかり買っていることに気付き、寂しくなる。

国際線の機内で、横になったドイツ人のおじさんと話をした。相当に込み入った個人的な話までしてしまった。英語を使いたくて仕方がなかった。おじさんはとても優しく、ライターを生産している日本企業のドイツ支部局長らしかった。ビジネスで一週間ほどの滞在らしい。日本人とは会議が難しいんだという話に笑った。彼らは何でもすぐに決めることができないとおじさんは言った。
笑顔で別れることができて、僕はおじさんが眠っている間に「ダビィンチ・コード」(監督,ロン・ハワード/トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ/2006)を見ることもできた。充実したフライトだった。機内食で食べた白米に、ほろりときて、終わりの食事はドイツ料理風というのも演出が効いていた。

成田で田中さんと別れる。谷澤氏と二人で小さな飛行機に乗り込む。機体までは送迎バスに乗って向かう。上空から東京湾に東京が見てとれた。平日の夕方、雲は木曽山脈のほうから流れてくる。台風は反れていってくれた。皇居のところだけ黒く見えた。あの街に大勢の人々が居て、あの仕切られた空間に天皇が居て、これから向かう街に彼女が居て、いままで居た国にまたみんながいるのかと思うと気が遠くなった。

中部国際空港の出口で彼女を抱きしめた。
僕たちは信じられない世界に居る。全てが奇跡の産物だった。







日曜日, 9月 17, 2006

Ich komme wieder

クンストラハウスへキャリーバッグを転がして向かう。福岡氏のお誘い。
偶然にもそこで今回出会った多くの人に会えた。アーティストが各個室でレジデンス制作をしていて、昨日と今日が一般公開日なのだ。
前に、ニコライの個展のオープニングに一緒に行った方に偶然会い、アーティストだったのを知る。多くの人に刷ってきたカタログをプレゼントする。

空港まで福岡氏と向かい、二人でいままでのプロジェクトのことなどを。
We talked about the "bnap05-06".
誰も何も軽蔑しない。もういろんなことは経験となって降りた。
僕のトランクケースが 20kg を超えていたので、急遽開いて手荷物に移す。執念で 90ユーロを浮かした。
プリーとイナ、ノリコさん、中田さんに石黒さんも来てくれた。
入り口前のカフェで少し話しているうちに、あっという間に時間がやってきた。
僕は「Ich komme werde. また参ります。」と言ったけど、照れてしまった。

http://www.kuenstlerhausbremen.de/

土曜日, 9月 16, 2006

だきしめたい

デニスと遊んだ。音楽を共有した。世界のサカモト、YMO をあげるときに「このアルバムのタイトルは何という意味?」と聞かれて「浮気なぼくら」という展開が凄かった。もう笑ってしまった。彼はとてもいい奴で、僕らは通り沿いで握手をして別れた。
彼がくれたたくさんの音楽は、iPod に入れてある。

マレーナを囲んで食事をし、それからロンリープラネットというクラブへ行く。クラブと言ってもターンテーブルがあって音楽が大きいだけのバーという感じで、充分にゆっくり座って話すことができる。そこにみんなが集まってきて、ラストシーンとなった。
僕はゾンヤと話をし、自己紹介遊びをした。ビエーテは実に元気で、目が力強かった。クリスチャン・シュッパンは、クラブのある二階の窓から路上の人々を眺めていた。
「ここからなら、誰もが愛おしく見える」
そう彼は言い、下に降りてしまえば誰もが愚かで憎悪の対象になると続けた。それはすぐに了解できたから、僕もここから路上の人々を愛するようにした。黒人たちがたむろしているのと、トラムバスの中に座る乗客が見てとれた。向かいのケバブ屋に客が列を作っていた。

僕らはハグをして別れた。バスは定刻通りに行き先へ向かう。
帰ってから、部屋の大きなベッドで横になって手帳に詩のようなものを書いた。


飼い殺しだ
そんなめにあっても
私は私達という言葉を
使いたがる
森の中、
森の外、
町に戻るとき
私達はたくさんのものを落とした
それは何であるか
夢を今夜は見ない
今夜は気持ちの中で
過ごす
今夜は滞った
光の排気管を
下るよう

姿はもうない
何も覚えていない
君の目が姿を
戻してくれる
夢の中に
誰もが今夜を
喜んでいるのを
知った
待ちきれない全て
また戻るわけにはいかない
この夜を超えて
私達は小さなドアを
開ける
その先にはゆるやかで
とめどなく溢れている
泉がある
はやくあいたい
はやくあって
だきしめたい
ほほをあわせて
口づけをする
声は待っている
声を待っている
もう旅立つ頃だ
最後の最後で
じゃない
愛するということは
信じる術
その術には
傷ついてもいいと書いてある

金曜日, 9月 15, 2006

森の中~作品の搬出

祭りのあとの部屋を掃除した。谷澤氏と西山氏と三人で、テキパキ行った。
昼前には正常復帰できて、居間にて煙草を吸う。
相変わらず村上春樹の話題があがったような覚えがある。僕は誰かが忘れていった「地球の歩き方」の背表紙を見て、出かけようと思った。
男勢が集結して、ああだこうだ長くなる前に部屋を出た。

ドムサイデ駅で待ち合わせて、少し歩くと森の中だった。
生活は街にあり、獣は森に居た。
この森は人が開拓したものであり、人工の自然では無いかもしれなかったが、獣が住み着くことができるのは良いことに思えた。人は生のままの自然の恐怖を忘れることはできない。それをオブラートに包み圧殺するのではなく、認め、それを獣として生かすこと。我々はこの時間だけで何匹の犬を見たか。あの飼いならされた犬たち。我々の中に潜む獣は、犬か猫か、いや人間の姿をしている。
彼らは裸になって、お互いが生きていることを讃え、嘆き、抱き合っている。

川の前で、我々は草の上に腰掛け、生活のことを思った。
言語ではなく言葉についてを考えた。
そして我々は街に帰らなければいけなかった。街には公園があり、サッカーをして汗をかくことができるのだ。
現に僕はそうやって汗だくになった。プリーのボールさばきがうまかった。
それからみんなで展覧会の搬出作業をした。

木曜日, 9月 14, 2006

パーティ

アパートの僕と谷澤氏の部屋で、名古屋メンバー主催のパーティをした。iBook で何か日本の曲をかけようと企てていたが、大勢で何も聴こえない。でも良かった。最後は ohana におちついた。
僕の部屋の大きなベッドを折り畳み、ソファーにして「まったりくつろぎ部屋」に。
真坂氏が「どうぞ楽しく談話してください」という言い回しのドイツ語を紙に書いて、それを入り口に貼った。トイレには「お手洗」のみだ。
谷澤氏の部屋は荷物ロッカー、パーティを成功させるのに重要な部屋。
みんなベランダや廊下に溢れ、思い思いに料理をつまみ、談笑をした。感慨深い思いに、僕はなっていた。
ビエーテから展覧会のカタログをもらう。ジョージにスーパーマリオのガムテープをあげた。ジョージの友人のデザインチームの連中はとても頭がキレて、僕の作品の「明るい夜」の話をしたら、暗闇の体験についてを話してくれた。
マルグリットらがカラオケをしはじめて、苦情が来てしまったのか、警察に注意されてしまった。それからは静かに楽しむ。
ジョージにまた遊ぼうぜとハグをして、別れた。
気付けば数名のみで、そのうちに酔い潰れて眠る福岡氏と僕だけになっていた。