土曜日, 11月 21, 2015

中川運河の詩からⅡ'

9月に中川運河リミコライン・アートプロジェクトで行った ポエトリーフィールドワークのドキュメント展を11月に行う。
なんともカタカナが多く、分かりにくい気もする。ポエトリーフィールドワークというのはフィールドワークにポエトリーを付けた造語であり、これにタイトル「中川運河の詩からⅡ」と付けていて、一見 同じことを繰り返しているようにも思える。考えさせるネーミングは元々 拘っているところだ。
更によく見ると、今年で二回目ということもあり「Ⅱ」と付けている。更に更に、11月のドキュメント展に向かうこと自体も ポエトリーフィールドワークの体験となるという構造を持っていて、今回の取り組みを「Ⅱ'」とした。次はそのまま「Ⅲ」ではなく「TURBO」か「ZERO」か。「SUPER」だろうか。そうなると、そんなに拘っているようにはならない。
ドキュメント展の会場は「圓松寺」というお寺の一室である。本会場から徒歩五分くらいだろうか。「madras」のネオンが頭上にある。ご住職に「s」の下だとよく話すと伺った。自分は既に「Ⅱ'」のごあんないに「madrasの足下に詩は眠る」と書いていた。


水曜日, 11月 11, 2015

思考の道具、詩の道具。

昼食後、喫茶店へ移動し、私とミーティングをしている男性。MVNO(モバイル・ヴァーチャル・ネットワーク)の SIM を通信に使用する ミドルレンジの格安スマホと、百円均一ショップで購入したスケジュール帳を重ねていた。スケジュール帳は革風のコーティングがしてあり、安っぽくない。どちらもコストパーフォーマンスが抜群だねと、私はツッコんだ。私の手元には ASUS製の、Nexus7 2013 と、無印良品のスケジュール帳、同じく無印良品の落書き帳。伊東豊雄デザインのレタリングペンが並んでいた。そんな高級というわけでもないが、彼のコスパ重視の装備を前にすると、やや気が引けた。いや、価値をどこに置くかであり、書き味や使い心地、耐久性など、いろいろなところでパフォーマンスの評価は分かれるのだから、何も無駄な贅沢をしていると恥じたり、悔しがることはない筈である。悔やむならば Mac ユーザーは辞めよう。
そして、そんな二人が 何についてミーティングしているかというと「詩集」のことである。これ以上に贅沢なことがあるか!

この頃の自分は、デジタルガジェットへの興味が増してくると共に、文房具へも鼻息を荒くするようになった。それは、思考を進める道具であり、絵描きが絵の具や筆という道具を用いるように、詩の道具と言えるのだ。何で書いても同じということではない。
モレスキンのガイドブックを、文句を言いながらも読み、ラージサイズを購入しようと決めて店に行けば、三千円近くする。さっきのスケジュール帳が三十冊買えてしまう。それだけ価値のあることを書き、表現することができて、充実した思考をもたらしてくれるはずだと考える。プライドというか、張り合いみたいなものだ。三千円そこらで取り戻せるなら安いものだ。いま、そう考えている。

彼と私は「いつでもどこでも言葉を受け止めるため、筆記用具は持ち運ぶべき必需品」と語る若き詩人と、記事にして頂いたことがある!
ああ、あの新聞記者 ○○さんの手帳は何だったろう!モレスキン?いや、社の支給品か。見れば良かった。スマホがまだ無かった頃なのは確実だな。