日曜日, 8月 31, 2008

夏休みの友

小学生の時分には 8月31日というのは、非常にナーバスな日だった。宿題は終わらないし、工作も自由研究も間に合わない。「夏休みの友」という一日一頁学習するドリル本が 宿題として配布されていて、その空白を埋めるのに必死だ。漫画 ちびまる子ちゃんのなかで、31日にまる子が「お前なんか、友達じゃないやい」と夏休みの友を床に叩き付けるシーンが傑作だったのを覚えている。今現在の 自分も似たようなもので、昨日からカンヅメ状態で Macの友と化している。お前なんかと叩き付けたときは絶交になってしまうので我慢するが。たいがいは動いて下せぇますだと こちらが平謝りをする。
論点がずれた。
夏休みの友よろしく、夜にドイツの Gorg氏と Skype で話をした。彼はニュースで先日の豪雨を知っていて、大丈夫だった?と聞いてくれた。向こうは朝で、こっちは夜なのだが しばしの同じ時間を過ごす。いろいろ話して、俄然やる気が出た。
日曜で、とても天気が良いので外に出てくると IM が届く。
気合い入れて行く、ありがとうとレス。
何かに絡み付かれながら、何かをかろうじて繋げながら、こうして今日も動いている。

非常に恥ずかしい気もするが、半ばマジな気持ちで山下達郎のテープをデッキに入れてみよう。いまはクリックひとつで済む。でも同じ さよなら夏の日。
軟禁状態のオフィスから外に出て、夜道の自転車を思いっきりこぐぞ。

http://jp.youtube.com/watch?v=4zksu32RdHA&feature=related

土曜日, 8月 30, 2008

ナイトクルージング

君は泳ぐ
今夜はひとりきりどうし
お酒は一滴も飲まない
机の上に置いた窓を、ずっと見てる
流れる言葉の端切れに引っかかった、「ナイトクルージング」(作詞,曲 佐藤伸治/1995)を流す。
この部屋はずっと住処で
君は泳ぐ
雨の止んだ路面に気をつけて
誰もいないけど
クラブで言い過ぎるもへったくれもない
僕は年を数える
わざわざ爆音を選びながら
五階にある机の上から
夏の終わりくらいは
流してみせようよ
朝には誰もいないから
水族館で写真は撮ってこなかった
敢えてね
君は泳ぐ
僕は見てる

http://jp.youtube.com/watch?v=RB-jNaRWPkk&feature=related

金曜日, 8月 29, 2008

川に橋渡しをしながら、同時に国境線を意識する

「中華そば」と「ラーメン」は異なる。
伊勢から一時帰還してきた福岡氏は言った。今日も明日もどうやら雨だ。自転車を引いて家へ帰る。
勤め先は夕べ落雷したとかでブレーカーが逝ってしまっていた。中部電力が来てくれるまで直らないから皆帰ってと、管理職の方は苦笑いを浮かべて、携帯での やり取り忙しそう。夕べ、川になっていたコンビニではないが、安売りの処分品になっていたトルティーヤを開けて皆で食べる。オープンスペースの廊下に容赦 なく雨粒が叩きつけられている。
思ったより早く電気屋さんは来てくれて、復旧は完了した。皆、それぞれの仕事にあたることができて何よりだった。トルティーヤでは食い足らぬ僕は、チョコ レートひとつ買いにスーパーまで走っていってズボンの尻を濡らす。でもこんなときにサンダルは気楽でいい。もう穴が空いて限界だ。

そう、「中華そば」と「ラーメン」は違う。
「違う」と「異なる」も different である。
手話と日本語もまた隔てられた言葉であった。
川に橋渡しをしながら、同時に国境線を意識する。
大きな見解で、欲望すらも愛と呼び、細やかな情念を指の隙間から抜け落としていく。
九月になったら川は道に戻るだろう。
水平線の上にあった家も無い。
情念は排水路へ行ったのか。変電版でショートしているのか。廃棄弁当と化して空腹の果てに忘れられたのか。
福岡氏と、缶ビールと焼酎を数本飲んだ。
雨は降ったり止んだりを繰り返していた。

木曜日, 8月 28, 2008

豪雨の男

コンビニ前はもう川だ。
縁石の場所がわからないので入るのをやめる。
空はストロボを焚いたように何度も光り、映画のベタな演出効果を思い出させた。
留学生の送別会を焼き鳥屋で開いていたら、電線がやられたようで停電した。
真っ暗になった席には空いた中ジョッキが並んでいた。明日、名古屋を発つ英国からのアダム氏が「End of the world.」とケラケラ言った。
僕はそれまで「濡れ場」とか「縛り」とかオヤジくさいことばかり言って、失笑を買っていた。
自転車で帰れるような状況ではないので、横井氏の車で送ってもらう。
岩倉まで西山氏らを届けたあと、煙草を求めて入ろうとしたコンビニの前がもう川だったのだ。
横井氏はカーステの音量ダイヤルをひねった。サムクックが鳴り響く。
「ファンキーなのが好きなんですよ」
じゃぶじゃぶと車は走ったのである。

男はだめと言われたのを
覚えているこの豪雨の中
暗くて撮れないと自責を
置いては続けた
弱味は忘れたい
だめと言われた
とき目を閉じた

http://jp.youtube.com/watch?v=kz63grgFPqc&feature=related

水曜日, 8月 27, 2008

Sweet and Crazy Girl meets MONONOKE! - Bitter and Think different Men'll meets it!

もうどこにもいなくなった妖怪を見るために、僕は僕の方法で働きかけたのである。
彼女は彼女の言葉で、血と悲しみから解放することを語っていた。
それは陰鬱な伝説から旅立つ仕事であって、どの国にもある力だ。彼女は日本のそれを見落とすことなどしなかった。彼女は親子に声をかけて微笑んだ。妖怪は首もとに光った。
そしてまたある彼女は親子という水平線に向かって紙人形を並べた。
生け贄代わりの兵馬俑も、ここにないものをあると信じる力によって作られたのだ。
恐怖は見えないものを見せる働きをし、それを捉えた人間は混沌へと増幅する方法を覚える。
私たちの風土はこうして定着していった。教科書にあるしらじらしさとは大きくかけ離れた苦楽である。
もうどこにもいなくなった妖怪を見るために、僕は惨劇を喜劇に変える方法を考えた。
彼女たちが向かい合う机の上に、言葉を運んできたのだ。ウエイターのバイト経験も生かして。
言葉で競技の取り決めを確認することができた。
誰も憎むことなく、化けて出たいと思う。
封筒に仕込まれたカミソリで指を切ったとしても。
ラジオ体操でもいいから、体を動かして恐怖を化かしたい。
野球場に並べられた机の上で、手と頭を動かして色を塗っていた。

火曜日, 8月 26, 2008

君の顔が好きだ

彼女との出会いは最悪で、こんなことはじめてだよというくらいの意地をはった喧嘩をした。
床に並んだ緑のエビスを伝えることができるまでに、二年を要したことになる。
いったいあの町からの帰りのバスで、必死に論じたものは何だったのか。

詩は置いておくことで醸造するようだと、実はまだよくわかっていないけれど。

君といると落ち着くというのは本当のことだ。
「君の顔が好きだ」(作詞,曲,斉藤和義/1994)は真摯な歌である。本当のことはどこから見てもかっこいい。

http://jp.youtube.com/watch?v=jjVzzLYiYBU

月曜日, 8月 25, 2008

いちにちだけの金沢

文字通りまだ夜も明けきらぬ頃に、駅まで弟に送ってもらった。考えてみれば、弟も車を運転できるわけだ。数時間前に歩いた道を超えて行く。始発で名古屋に 戻る。そのまま高速バスセンターで合流して、金沢へ向かった。いろんな勘違いがあったけれど、大切な顔ぶれだったから大切な時間にしたくて、ずんずん行っ た。

おまつを飾ったお寺に、兼六園の周囲にある金物屋に古書店。
近江町市場で回転寿司。青のりを手のひらに乗せてもらってもぐもぐ。
堅町のアンティーク店でお話をし、教えて頂いた 純喫茶ローレンスに行く。五木寛之が小説を執筆をしていて直木賞を受賞した瞬間もこのお店だという。いつもここで書いていましたという席で、当時 一杯で五時間はねばっていましたというコーヒーを飲んだ。
アルバムを見せて頂くと、たくさんの著名人の顔ぶれが。橋本治も来てる。桃尻娘の撮影もしてたのか。

僕だけが名古屋への帰路に就くため、バス停で見送ってもらった。最後の最後になって大切な話というのは話さなくてはと、かたちになってくるみたいだ。その 思いからは目を離すことができない。僕はそれから一人で座席のベルトをして起きれば朝のつもりで眠ったが、これは深夜バスではないから十時台には着いた。

名鉄で帰宅し、プリンを買いにコンビニへ行った。
路上で歯を磨いていた隣人のおやじさんが「お前も俺に似てお人好しなんだよ」と言ってきた。どこかわざとらしい映画のようだと思った。いや、いろいろ眠るまでに言葉をたぐろうとしたが、お人好しで自分勝手なのは両立すると結論に至る。
やさしい顔を撫でる思いに、そのまま向かおう。
いろいろ思い出すことを。


日曜日, 8月 24, 2008

夕日は昇る

松阪駅から出ている、どこまで乗っても百円の市営巡回バスで CUBE展の会場へ向かった。
公開講評会の後で搬出作業へ移る。
講評会では、シンプルではない部分が意識されるのだ。
十年間同じ仕事を続けているならば信用できると頷く。
思いのある絵。そして言葉を。
それから懇親会の後にビールを飲んだ。終わり際には寂しいなァ〜を連呼していた。
夜遅くに家へ帰り、数時間だけ横になった。
久しぶりに歩いた通学路は真っ暗で、誰もいない。
「夕日は昇る」(詞,曲,友部正人/1993)を聴こう。

http://jp.youtube.com/watch?v=pJrctOqnAGY

土曜日, 8月 23, 2008

ホケーキョホケキョと鳴いていた

日本野球、残念。400Mリレーの金メダルは嬉しい。片田舎でオリンピックに一喜一憂。くつろぎ倒したのちにゆっくり駅へ向かった。
名古屋へ移動し、上前津の「Shupnc Shupnc」にてノリ氏の三線ライヴへ行く。バンド、ツクモクの方がゲストでポップスような展開も、かけがえない感じで聴かせる。
沖縄民謡では「十九の春」が社長は好きだ。
終始 上機嫌の演奏で、そのまま夜は友人宅に集まって飲んで雑魚寝する。
翌朝にはまた電車の中で幾つかの歌を聴いた。

金曜日, 8月 22, 2008

松阪(まっつぁか)の一日

昨晩のオリンピック、女子ソフトには感動した。ゲームが決まった瞬間、解説の宇津木 元監督が「やったぁ・・本当に良かった」と涙声だったのにグッときてしまった。

起きて、ゆっくりしてから松阪市へ繰り出し CUBE展の会場に家族を連れて、そして市内を歩き回った。教えてもらった喫茶店はポルノ映画館の近くにあって、店内には一癖も二癖もありそうなおじさんが小さいテーブルを囲んでいた。コーヒーアイスを頼んだ。
ホルモン屋の駐車場を探して、なんだか慣れないビールも頂いて、田んぼが延々と続く道を滑走して帰る。犬はみんな女の子。頭を撫でてやると、腋の下がアトピーで痒いんだワンと掻きだす。

気づいたんなら、遅すぎることも早すぎることも無いんかな。





木曜日, 8月 21, 2008

日中には夢ばかり見てる

とあるシャンデリアの下から
とあるミーティングの末に
とある急行に座り込んで
とある木造家屋に眠り込む
人生の台本はまたゆっくりめくられている
夜中に車が帰って来て、打ち明け話の後で
ゆっくり寝ることにした
猫も犬も家で寝静まった
日中には夢ばかり見てる

水曜日, 8月 20, 2008

月の下と線香花火と缶ビールを並べて

昨晩すぐに名古屋へ戻って来た。
開放感にまかせていろんな話を並べる。
「夢の中で会えるでしょう」(詞,曲,高野寛/1994)。なんて挙げてみる。
コンビニで買ってきた線香花火をする。
今夜はとても月の光が強い。
缶ビールはちょっと多すぎた。
理性だけでつくった言葉なんてつまらないよと、咄嗟に言った。

http://jp.youtube.com/watch?v=RjL87omwiUk&feature=related

火曜日, 8月 19, 2008

夏に覚えたこと

母校、三重県久居高校の美術部 卒業生、在校生らの合同展覧会「CUBE展」は三年毎に行われている。
「CUBE」とは、久居高校美術部を略して「久美」が「きゅうび」と読めることと、求める美と書いての「求美」でもあるし、キューブでもあると聞いた。確か。
その熱に感化されることの十二年間はいまの自分の根源的な記憶である。うまくこなせることも、まったくのどんくさいところもみな同じだ。こっぱずかしいとかの感情を超えて、覚えたことを数える。今日は朝から三重入りし、ギャラリーでの搬入展示作業だった。今回は「窓の前で」という絵を出品。終わってから少しだけ 先生、先輩らと喫茶店で談笑する。とても懐かしいようでいながら現在進行形中の覚えていくことがある。
今年の夏はあとちょっとだけ暑い。

http://jinmurata.blogspot.com/2008/07/cube.html

月曜日, 8月 18, 2008

早く、くつろげる部屋を作りたい

空のペットボトルが溜まる。貰い煙草をもみ消したのが積もっている。猫缶の空き缶が灰皿代わりだ。早く、くつろげる部屋を作りたい。いまの自分の周りのこと。言わばぐるりのことが思うことの全てで。あれを掴めばこれを忘れ、これに手をかければあれを見落とす。大人になるとノイズが多くなるよと聞いていたのは十代のころ。あのとき、言葉は誘惑を持っていて、絵は憧れとして立ちはだかっていた。壁は未だに振りかざされているが、いまの僕には何も無い。詩人という文句で無言を決め込み、何にも属さぬ者として言葉も、絵もそのままでと囁いている。それは融合でもなんでもなく、ただ前にあるものだ。それが最も困難であることを思い、ただあることを選択したい。いくらでも面倒なプリンターやカメラ、ガジェットに酔いしれて偏屈ソフトを使い込もう。最後にはただ紙に刷り出すだけだ。いや、プリントアウトもせずに画面を見て、鉛筆で描いたりする。それもみなぐるりのことだ。早く、くつろげる部屋を作りたい。終戦記念日は遊びほうけていた。平和を、謳歌していた。僕らはキルドレのようで、本当はそうではないことを知っている。即ち、"大人になってしまう" 子供だ。永遠の側に立てば終わりを乞い、死に至る病を知れば不死を妄信する。いま足りないと書き出すものはいま充足しているものの裏返しか?充足しているものは何だろう?持ち帰った風景はどこに溜めて、どこに持っていくのか。言葉や絵はそこで漂着されるのを待っている。そこからいま映し出されるものは、ぐるりのこと。希望も絶望もみんなここにある。早く、くつろげる部屋を作りたいとブツブツ言う不精が見ている窓でしかない。何も無茶なことなど願っていない。翌朝には眠たい身体と元気な気持ちを持って、電車に乗りたいだけだ。

日曜日, 8月 17, 2008

べったら漬け

べったら漬けにご飯を炊いて朝を迎えた。完全に全員が雑魚寝をして、猫の鬱はいつもの机の上で寝ていた。マラソン中継を横目にしながら解散する。身支度をしたらすぐに仕事だった。
夕方からとても忙しくしている同期面子のアシストで印刷機をフル回転させる。意外とやれるもんだねと連呼されるのを聞く。食べに行こうということになったが、行きたい隠れ家的なお店はあいにくの満席のため駅前の大衆居酒屋へ。飛び切りの持ち札を前に出せば、机上にある良い捨て札は相手の手中に収まってしまう。そんな展開も、何かの構造上においては訪れるものだろうと思った。行き帰りのタクシーが偶然にも同じ運転手さんで、近くまで送って頂き、歩いて帰る。猫の鬱は外に出たがすぐに帰って来た。朝の余りでラップしてくれてあったべったら漬けをぱりぽり食べる。伊勢で味わった魚介類があまりにも美味しかったので、居酒屋で安い刺身など注文しなかった。何かお土産に買ってくれば良かった。高速のサービスエリアでノリクンが買ってくれたこの べったら漬けだけだった。

土曜日, 8月 16, 2008

伊勢福岡ツアー〜モルツで後夜祭

朝から海に出るのは最高に気持ちよく、台風の影響で五カ所湾の出口付近は波のうねりが強くて怖いくらいだった。船のさきっちょに足をかけて格好をつける。社長似合わないね〜と、リアル社長の前でわいわい。港のそばの定食屋でラーメンと半分寿司セットを食べる。このラーメンがやさしい味で美味しい。昨晩、お世話になった美術館スタッフの方に挨拶し、そしてまた福岡氏は展示室に消えて行った。握手をし、車中の CDをハナレグミからバカボンに変える。CD-Rのノイズがあるのですぐに止める。地図上は近いが、おっそろしく山道の剣峠を超えて伊勢神宮へ行く。この道の選択はまずかった。対向車が来たらどうすることもできない道だった。ノリクンの緊張感ドライビングで乗り越える。伊勢神宮参拝後、おかげ横丁の数カ所で知り合いの方に偶然会う。赤福氷を求めて並ぶのはたいへんだったが、あんのコクが美味しい。不祥事以来顔を見なくなった赤太郎にも会うことができた。そして高速に乗って帰宅。途中渋滞に巻き込まれるが、名古屋市到着時に四方八方で打ち上げられた花火を見ることができた。長島と一宮と刈谷だ。歓迎のようだねと言い、降りてあんかけスパを食べる。地域ものを食するのはいいなぁ。
サーバーを酒屋に返却して、間髪入れずに瓶ビール買い込む。車中で真心のモルツが何度も流れていたからモルツにしよう。反省会ならぬ後夜祭。星野ジャパン対韓国の試合観戦。逆転ならず悔しく、次々とダウン。いやまだリーグだ。根拠は無いけれど勝つぞと声を合わせる。

金曜日, 8月 15, 2008

伊勢福岡ツアー〜ニクイぐらいに

鈴木観光で行く「suiheisenn no ue no ie : Hiroyuki Hukuoka」展へのツアー(通称, 伊勢福岡ツアー)を予定どおり決行。前夜祭の疲れも何のその。プリントアウトしておいた道路の地図を忘れても3G で現在位置確認する。タイ旅行のときの助手席経験が効いてる。順調に伊勢現代美術館へ着。現地滞在中の福岡氏と合流。真っ黒になっていた。アーティスト トークの時間に合わせて人が集まってくる。それまで海の見えるテラスでアイスコーヒーを飲む。他の面子は離れたところで持ち込んだサーバーよりビールを飲 む。美術館内の展示、現地の小学生らとのワークショップ展示。そして海の上の筏に建てられた家へゴムボートで氏に連れて行ってもらい、みんなそこで思い思 いに過ごす。釣りをする。ひとりずつ往復。最後に自分で漕ごうとするが全く進まず。釣果もナッシング。
開館時間終了後、ぎゅーとらで食料品、魚屋で貝や刺身を買い込む。福岡氏が交流している現地の方の御好意に甘え、別荘地にてバーベキューをさせて頂く。 アッパッパー貝はとてつもなくンマーイ。作家は年上の人間と交流することが大事だからと聞く。サーバーを開ける。夜通し AMラジオで60年代のヒット曲が流れていた。テーマは海だった。ニクイぐらいにゴジャースだ。

http://ise-muse.com/exhibit/fukuoka.html
http://www.ise-muse.com/blog/




水曜日, 8月 13, 2008

救済の後に修復を

サルベージに成功するも、君のガラスがバラバラ。
汗だくで気持ちを繋ぐも、香水ではなく体臭に焦がれている。
泣き出しそうになっている証明写真を、一度だけ大きく描いた。
一度だけだ。冷房のよく効いた部屋で、ずっと微調整。何も創造性は発揮されない。問題は部屋の構造。運気ではなく、単純なレイアウト。いまの机上で唯一身 のこなしを成しているものはモバイル機器だけだ。海の上に気持ちを放り出したくなるのも頷けるが、実質のイロハはどこもかわらないと思う。ハンバーグラー にはなりきれず、おむすびを求める。レモンを飲んで、三つの椅子を並べてベッド代わりにして寝た。ひとまずは次の妖怪に慕った日まで。この部屋を去ろう。 サルベージはいつかの目標。根を詰めても何も生まれませんよと言ってくれたのかしら。ガラスに向かう人はいつも、向こう側の前にいる。

火曜日, 8月 12, 2008

これはバイタリティだ

参ったなぁー。なんとも番狂わせな夏休みだ。そもそも基盤となる番自体在って無いようなものなんだけれど。この数日しかいまの自分にはターンが無いわけ で、まぁ冷静になれば持ち駒(金)だって底が見えてる。あらゆる状態のリカバリーにはいろんな動きが要る。何もせずにぼーっとしてるだけの日も必要だろ う。ひとまず今日は、春から先送りしていた某研究室のアップグレードを進めたのと、視力検査に英訳依頼、それも全部メールで下さいとスムーズに行ったので なんとか持ち直すベースは出て来ているが、どうも本調子では無い。異様に何かを求め、異様にだるい。これは暑さのせいではないと思う。勝負脳は一流から超 一流への必須項目らしい。この机上スタジオに持ち込みたい信条だな。すぐにくじけてしまっても、駄目だということは決して思わないようにしよう。これでい いのだ。これは信心ではない。これはバイタリティだ。最後には続けている人が見えないところまで辿り着いてしまうのだと読む。人は上り下りのリズムに乗っ て生きてるとは吉本ばななのエッセイで読む。昨夜はまたいちばん静かな海を流して、見ながら寝てしまった。起きるとテレビは消えている。オフタイマーがあ るのか。機械が人間を助けるように考えてある一例だが、たいがいの場合はその逆だ。機械は無情で融通が効かず、正確のみに動く。人は正確には動けないけれ ども、哀れに思ったり惚れ込んだりして無理を効かせてくれるのだ。コンソールを操作する部屋に座して、明日も何かをタイプするだろう。夏休みのペースを何 度も思い返す。調子が悪くならないように週に一度は再起動をしたほうがいいですよと iPhone のユーザー同士が書く掲示板にあるのを見た。

月曜日, 8月 11, 2008

スカイクロラ

思春期の姿のまま
永遠に生き続ける彼らを
人々は <キルドレ> と呼んだ。*

「スカイクロラ」(監督,押井守/原作,森博嗣/脚本,伊藤ちひろ/加瀬亮、菊地凛子/2008)を駅前の映画館で鑑賞。開始数分、名前が着陸していくのを黙視したとき、細部までの気合いを感じてしびれる。
乾いた空を切り、緑の瓶ビールをぐびつく。
他人の人生に干渉することを覚え、何かを変えることを待つ。しかし死なない彼らには待つという感触が無い。だけれども、思春期は探す春。放り出された言葉は風に消える。
その晩、キルドレと称してベックスビールを手に取った。
(* コピーより)

http://sky.crawlers.jp

日曜日, 8月 10, 2008

窓の前で

机の上で並べる妄想及び回想。小さいと感じた肩の大きさについてを描写する。画と言葉によって詩を引き起こすことを考える。画とは窓だと考えていて、言葉も窓だと気付いた。だから窓を造ることが仕事だと思うに至る。窓の前で僕たちはまた窓を造る。
五輪がはじまったと同時に戦争もはじまり、どちらも窓の向こうの話。オグシオは美しく、全力で懸ける姿のフィールドを、戦争を算段した者は勘違いしている 様。地デジのハイビジョンで彼女たちの汗が映るように、飛び散る薬莢や残骸も必ず映る。スタジオで振り落とされた絵筆からの飛沫も、弁当をかきこんで悩ん だふりの抜け毛も、もれなく映るよ。

エンドレスサマーヌード

夏だからはじけたい気持ちなのと、彼女は大人っぽくなっていた。タクシーで行き来していた道を歩いてみた。これで最後だと思うと少しくらいは行ける。でも 終わるわけじゃないでしょう。そう返して欲しいのが本音だ。「ENDLESS SUMMER NUDE」(詞,桜井秀俊、倉持陽一/曲.桜井秀俊/1997)歌え。今夜も、フーテンのノリ先生とついさっきまで派遣社長は、雑魚寝上等で呑むのであっ た。世界の五輪にもオグシオが可愛いとか、柔道ではじめて日本から金をもぎとった欧州の元選手が表彰してるとか、うんちく対象となっているので、黙って感 動せんかいと叱咤される。いや、されたい。なんだか慰めあってるなんて言いたかない。バカボンのパパがメダルをかけて喜んでいる絵を描いて NHK にファックスした。画面に映ったかどうかは見てない。それからすぐにサッカーの録画がはじまってしまったから。これでいいのだと上に大きく書いた。恍惚な 寝姿だねと思われて解散。開けていない発泡酒はまだ冷蔵庫に保管します。

http://jp.youtube.com/watch?v=bETZS9c65VY&feature=related

土曜日, 8月 09, 2008

サマーヌード

そしてフーテンのノリ先生とサギ派遣社長は呑むのであった。
日中は「サマーヌード」(詞,倉持陽一/曲,桜井秀俊/1995)を熱唱していたらしい。冷房の効いた個室にて、画面のなかの広い海辺を見ていたんだろう。僕はずっと突っ立って口八丁で、帰りの駅前で、画面のなかで殴り合った。
汗は畳に染み込み、猫の鬱は完全夏毛モードで軽やかだ。この頃は外で遊んで帰ってくる。

http://jp.youtube.com/watch?v=dkWGbc6hydE&feature=related

金曜日, 8月 08, 2008

A LOST VACATION

「A LONG VACATION」(大瀧詠一/1981)のアルバムジャケットを
「A LOST VACATION」に書き換える行為が何かを切り開くことになる
かしらと思いつき、あのキラキラ眩しい名曲たちを新しく言い換えるな
んていう暴挙を考えてしまったのさ。
これは何かの前触れであって、イメージへの挑戦なのよと言い聞かせる。
超えることではなく、疑っては取り込んでいくこと。

http://jp.youtube.com/watch?v=uY2YS7Zqmhs&feature=related

木曜日, 8月 07, 2008

あの夏、いちばん静かな海

「あの夏、いちばん静かな海」(監督, 北野武/真木蔵人、大島弘子、寺島進/1991)をテレビで鑑賞した。
それはほんとうに静かだった。
久石譲の音楽がきれいだ。Silent Love という。
この夏の、いちばん静かな海はどこにあるだろう。
彼女が座り込み、貼付けた写真はどこにいっただろう。
ただそのままに撮られた映像は、たじろくぐらいそのままだ。ただそのままにずっと残る。

http://www.office-kitano.co.jp/contents/MOVIE/WORK/third.html

水曜日, 8月 06, 2008

今朝から今夜までのオフィスで

男は努力を理由にしていた。ビールを飲むことをいとわず、オフィスでの解放を求めた。窓のずっと向こうでは航空機が飛んでいるらしかったが、それ自体を撃 ち落としたという憶測も聞かれる。書店を出て、男は海が映っているディスクを手にしていた。いろんな物音が最悪のタイミングで鳴り響いた今朝。男はまだそ のディスクを探そうとは思っていなかった。それはノックと着信音とすすり泣きとドスの効いた教訓と過ちを認識したという脳内の切り替えスイッチの同時だっ た。次のコマでは立ち去る足音と鼻水の垂れる音、溜め息と無力な安堵に移行した。発泡酒とビールの区別がつかなかったなんて嘘だ。男は一人、オフィスでそ う思う。完全にすれ違いというかというと、そうでもなく、馬鹿げているわけでもない。言い分には筋が通っている。筋、すじとはなんぞや。移行した音たちの 背中を吊るす一本の規律か。音階に範囲を限定してしまえば、なんとも拙い。それらを全て無かったことにした業を未だ男は認識できずにいる。あらゆる影の前 に立ち、いまの生を語ることができたなら男は報われよう。発泡酒一本で、男はかつての科学者をぶん殴りに行く気持ちになってしまい、やがて撃墜されるかさ れないか。その前に、ディスクを読み込むのが先だ。読み込むのが。読み込むのが。読み込むのが。
オフィス・・。ここを解放せよ。男の中に建てられた仕様もない幻想の正論。全ては無かったことにされた。小さな裏切りさえも全て詫びることのできない朝に押し込められてしまった。
男、ならびにこれを読む、いや書く者は何を察し、何に成すべきなのか。分からない。分からないが、ひとまずは発泡酒を発泡酒として飲むことに尽くす。ビー ルは知らない。もう忘れた。彼女の顔も、全て、全て無かったことにされたのは何故だ。自然に、理由は無いと男は続けた。テレビは弾圧に負けてすぐに腰を折 ることを言う。いや理由は、男の努力により、いつどこで何がそうさせたかはもう知らないが、男が海の映っているディスクを手にしたことによる。もう、何の 努力も全て集結されるときになる。全てのあらゆる物音が無かったことになるか、恐るべき壮大な音響となって男を消し飛ばすかだ。男は消えたいと願ってい る。読み込むという存在だけになって、男が男たる由縁の、つまり理由に着陸するまでを数えている。それは不毛だと誰かが言うかもしれない。でもまた別の誰 かは何かが起こると期して待つだろう。そんなふうに広場は埋まっていく。オフィスからの窓で、朝も夜も無く、悲しいも嬉しいも無かった。男は読み込むため に、海の見えるディスクを手にしていた。それは男の見極めであり、努力であったろう。自然のなかでは理由など毛頭無かったのであるが。いや、男はそれを既 に周知していながらも敢えて私に述べたに違いないのだ。

火曜日, 8月 05, 2008

まだまだ指は求める

長谷川順也さんの個展と、中野克俊さんの個展をそれぞれ見た。
勝手な見解なのは百も承知だけれど、改めて「病み」というのは必要なエネルギー源だと思った。
「ボクは病んでなんかいないから! だめなんですか?!」と悩む青年は、既にその悩み方が病んでいるので心配しなくていい。
生き死にについてと、性の葛藤と不遇、社会の方向と個人の欲望。それらを列記しているうちに病みは退いていってくれるのだろうか。いや、振り幅を増していけば、気持ちよい景色を創造する源になると思う。なんて甘い妄想。

http://inugoya100.hp.infoseek.co.jp
http://www.japan-net.ne.jp/〜shouken

月曜日, 8月 04, 2008

china ink

中国でテロがあった。原始社会と上流社会があると危機管理長は流暢な日本語で答えていた。セキュリティ強化の皺寄せで、民工と呼ばれる出稼ぎ労働者が北京 から追い出されているらしい。古館キャスターは正論を続けた。都市は既に化け物で、国家は面倒な足かせなんだと繰り返していたのを思い出した。僕が大枚は たけば北京で喜ばれる立派な日本人観光客だろう。えらいときに作品を送りつける企画を横目で見ている。四年目に向けて計画された書類と、瞬間の感応で降り た筆。それには数年間+α なんだとまた悟られるな。テロも一日にして成らず。くすぶり倒した末にそんな選択へ転ぶなんざ、悲劇だ。しかし梱包テープでぐるぐる巻きにすればするほ ど、封じ込められた怒りは膨らんでくる。無人殺人機械同志が互いの鬱積を糧に撃ち合うのを横目にしている。そういえばストリートファイター4の IDカードを購入した。路上で喧嘩する者の身分証明書だなんて皮肉が効いていて笑える。

日曜日, 8月 03, 2008

光を借りた

朝が来て僕らは台を離れる。帰省先でも同じように腰掛けるだろう。彼女らはプレイを重ねるごとに上手くなった。僕は何杯飲んでも生中の一杯目にはかなわな いねと話す。入り口は二階で、出口は一階。外はリアルな世界で、家出少女がしゃがみこみ、アイスノンで頬をあてがっていた。僕らは家へ帰る。ロックンロー ルは上昇を見せる。男は叫ぶのを思い出す。ホーム上に波が叩き付けてくる。温泉の後で空の上へ。全てはリアルなんだって。横にしゃがみこんで囁くこともで きるんだって。

土曜日, 8月 02, 2008

これでいいのだ

何をやってもヘマをやらかす だめ人間でやっている。
うじうじ言ってばかりのところでは理解が伝わらない。
帰宅して赤塚不二夫の訃報を知る。
猫の竹千代をシェーさせている写真を見る。
「これでいいのだ」
と言ってみる。
だめ人間が言ってみる。
赤塚不二夫がトキワ荘で漫画を描き始めたとき、人生がはじまったんだとインタビューで答えていた。
先日、とある行政が運営するレンタルビデオの棚に「自己肯定感獲得DVD」なるタイトルがあって、なんだこれはと凝視していたのだが、なんてことはない。
きっとバカボンが入っているんだろう。

http://jp.youtube.com/watch?v=u87RybiVVWw

金曜日, 8月 01, 2008

見限られ、見極め返し

言葉はまじないである。互いに何も言わないときは ずっとそのままだ。
野郎と腐女子に二分された飲み会で思いの丈をずっと聞く。
詫びることと共に、不可能なことを述べる。
帰国した眼差しの前にいた。修羅場などこんなもんじゃないやねと笑う。見限られたなら仕方ないのだけれど、理不尽に理不尽で返すのは息苦しい。それを告げる覚悟だけが散乱していたもんだから。