月曜日, 8月 18, 2008

早く、くつろげる部屋を作りたい

空のペットボトルが溜まる。貰い煙草をもみ消したのが積もっている。猫缶の空き缶が灰皿代わりだ。早く、くつろげる部屋を作りたい。いまの自分の周りのこと。言わばぐるりのことが思うことの全てで。あれを掴めばこれを忘れ、これに手をかければあれを見落とす。大人になるとノイズが多くなるよと聞いていたのは十代のころ。あのとき、言葉は誘惑を持っていて、絵は憧れとして立ちはだかっていた。壁は未だに振りかざされているが、いまの僕には何も無い。詩人という文句で無言を決め込み、何にも属さぬ者として言葉も、絵もそのままでと囁いている。それは融合でもなんでもなく、ただ前にあるものだ。それが最も困難であることを思い、ただあることを選択したい。いくらでも面倒なプリンターやカメラ、ガジェットに酔いしれて偏屈ソフトを使い込もう。最後にはただ紙に刷り出すだけだ。いや、プリントアウトもせずに画面を見て、鉛筆で描いたりする。それもみなぐるりのことだ。早く、くつろげる部屋を作りたい。終戦記念日は遊びほうけていた。平和を、謳歌していた。僕らはキルドレのようで、本当はそうではないことを知っている。即ち、"大人になってしまう" 子供だ。永遠の側に立てば終わりを乞い、死に至る病を知れば不死を妄信する。いま足りないと書き出すものはいま充足しているものの裏返しか?充足しているものは何だろう?持ち帰った風景はどこに溜めて、どこに持っていくのか。言葉や絵はそこで漂着されるのを待っている。そこからいま映し出されるものは、ぐるりのこと。希望も絶望もみんなここにある。早く、くつろげる部屋を作りたいとブツブツ言う不精が見ている窓でしかない。何も無茶なことなど願っていない。翌朝には眠たい身体と元気な気持ちを持って、電車に乗りたいだけだ。