水曜日, 1月 31, 2007

お世辞で子どもは笑わない

カツ屋で君に詩を見せた。
君はお世辞なんて言わない。

「お世辞?」
「お世辞だろ、言葉なんて」
「でも嬉しい」
「笑った顔が素敵ですね」
「奇麗な目をしてますね」

絵画教室は、風邪っぴきが二人休みで、本日はちょっぴり寂しい回に。
スライドプロジェクター持ち込み、透明フィルムへ直に絵を描いて映してみた。
大きな鳥が天井にわっさわっさと、タッチが剥き出しになっていた。

帰りにバイト先の休憩室の為に、袋チョコを買う。
198円の安物だけどね。

「イルコモンズのふた」で書かれていた「ぽんこつ大臣」に笑う。
目には目を、歯には歯を、それと同じ強さで言い返さなければいけないという話の実践。そうでなければ言葉は引き際を忘れる。いつまでも待ってしまっているのが、言葉の凄いところだ。
だから恐ろしいのと、仕事を見る夜更け。
こんな言葉には、お世辞も言えない。

http://illcomm.exblog.jp/4644549

火曜日, 1月 30, 2007

ヒミコは従える始祖の名前

自分の心で精いっぱい
人の心を満たしてあげられれば
私たちは塞ぎ込まなくても、大丈夫よ。
そう彼女達は言った。
そう僕たちは交わした。
塞ぎ込んだ名前を鬱と呼ぶ。猫の鬱は、今日も元気に爪を出してくる。やはり太っている。柔らかい肉片が折り重なっているところに、言葉の出元を押さえつける。力ごなしに、それでも撫でるくらいの強さを思い浮かべて。

整理されていない心境が生理現象そのものの具合で、家族は血と肉による名付け元だった。
その動き、そのままに人が従えれば、喜びを見ることができる。
家族の場所は、それであった。

「メゾン・ド・ヒミコ」(監督,犬童一心/柴崎コウ、オダギリ・ジョー/2005)を見て。

http://himiko-movie.com/

月曜日, 1月 29, 2007

身体と歌だけの関係

朝、駅に続く道に立って、ジャコメッティが映画館を出て彼女を見送ったときに、小さくなってゆく姿を見て、小さくなっていくと発見して感動したという話を思い出す。
空間がどうたらと言い出す前に、惚れていたんだ、大切だったんだその視界は!と我も一人で興奮した。それをより分かるようになるのは、日々を経ていきながらであろうと思う。理屈だけで理解は終始しない。言葉は理屈以外のことを内包している。

バイト先の、地下鉄の出口にスタバがあって、階段を上っていると既に匂いが向かってくる。吸い込まれるようだ。出退勤時はいつも、中で人が語らっているのを見る。
そして階段を下りて、地下鉄の窓に自分の顔を映し、しかめっ面をしてみる。
自転車に乗ってからは、爆音 iPod。
カエル色の手袋をつけて、早川義夫の「身体と歌だけの関係」(詞,曲/もりばやしみほ/1995)で走った。

http://www.youtube.com/watch?v=FYVNyNek0WM

日曜日, 1月 28, 2007

個展をする部屋は閉まっていた

名古屋市民ギャラリー矢田で行われていた「 他者のまなざし、他者へのまなざし -視線からつくられる私-」展を見に行った。相変わらず、ギャラリー矢田の周辺はすごい人だかりで、ドームもジャスコも休日イベント三昧かきいれどきのぞ ろぞろだった。現代美術など、どこ吹く風という感じ。自嘲めいても何も変わらないけど、他者の視線からつくられるのは私だと言っているように、ぞろぞろ買 い物をしていく方を無視していては「現代」の美術なんて無い。とは、余談めいた一般論。そうこれは一般論だった。「意味」はもう追いかけても無駄だった。 それはもう新しくない。そこでは生々しい葛藤も、いやらしい視線も打ち消され、予定調和なテーマだけが転がってしまう。

ならばてめぇの現代詩とやらはなんぼのもんなんじゃい!
と、殴り掴まれるようにいければいいのかしら。シンプルな話、それしかないわけで。

かのガストにて、いまのことについて。朝まで。

http://tasha.nobody.jp/index.html

土曜日, 1月 27, 2007

アニー・ホール

「アニー・ホール」(監督,ウディ・アレン/ダイアン・キートン/1977)は名作だ。

Alvy sits on his bed talking on the phone.

   Listen, honey, Central Park's turning
   green ... Yeah, I sa-I saw that lunatic
   that we-where we used to see ... with
   the, uh, uh, pinwheel hat and, you know,
   and the roller skates? . . . Listen,
   I-I want you to come back here ... Well,
   I-I-then I'm gonna come out there and getcha.

アルビーはベッドに腰掛けて、アニーに電話で話している。

   ねぇ。セントラルパークは緑色になりはじめたよ。
   僕たちは見ただろう。覚えてるだろ?
   気狂いや、帽子を被った人々、
   ローラースケートをしていたり。
   ・・聞いてほしい。
   僕は、君がここに戻ってきてほしい。
   僕は、変わってみせるよ。

自分訳。
ユダヤ人への皮肉などを僕らは語れないかもしれないが、どうして卵を欲しがるかについては、僕らにも語ることができるだろう。

http://corky.net/scripts/annieHall.html

http://www.imdb.com/title/tt0075686/trailers-screenplay-E10940-10-

金曜日, 1月 26, 2007

自分次第

ファイファイトー!
思い浮かべて
いまも走っているよ高校生。
動く働く、進ませるのが熱を生む。
ダンケ、ゴー。
組み立て続ける。

木曜日, 1月 25, 2007

寂しすぎる風景

昨夜から思わぬ再会があって、部屋でいろんな話をした。大枚をはたいて持って来た一升瓶と、薄型黒のプレイステーション、それに木村カエラ似の映画のよう な話。ヒップホップが真夜中にこだました。近所迷惑かえりみず、ダイエットに良い体位は捏造された項だとスラムって寝た。男は本当に馬鹿ねと、言われれば まだらくだった。
ふらついた頭は、何もふっきれない。
寂しすぎることばかり思いつく、抱えている風景はどれも荒野のようである。
言葉で盛り返すときと同じく、言葉で盛り下がることが目の前にある。
やれやれ。
また村上春樹か。
アルバイトを早退して、bnap06 ミーティングへ。話すことは極僅か。如何に有終の美を飾れるかのみ。
bnap06 のドキュメント映画を撮影している、田中さんが東京から来た。僕はドイツでのカメラサービスを控え、いま聴こえてくる残酷な音楽に耳を傾けていた。気分が重くなるこの演奏は何かのサントラに思え、僕はカメラを構えている田中さんに話した。
煙草が何本か消えたあと、僕らはまた寂しすぎる風景を抱えていた。

それからようやく一人になって、目をつぶり、詩を書く。
原題は「抱きしめる」であったこの詩。
男の滑稽さを問題にしたくはないと思い立ち、名前から自由になれた。
やれやれ
も乗り越える。村上春樹の本をまた読めばいい。
誰か俺を抱きしめてくれ
は、際限無い。
女のパンチが
木を折った。

言葉よ、空虚を照らせ。

水曜日, 1月 24, 2007

林檎香る教室

二回目の木炭で、林檎を描く。
こどもののみこみはとても早く、既に濃淡を作る事を覚えた。
中山氏の日記に、僕らの一ヶ月は、こどもの一週間という言葉を見つける。
終わってから、よく手を洗って、みんなは林檎にかぶりついた。
かぶりつく横顔を僕は、ハンプという包み紙に描いた。そして、みんなが食べ残した軸を横に並べた。

火曜日, 1月 23, 2007

さよなら COLOR

僕が死んで
少しでも栄養になるなら
食べたくなくても
食べてほしいな

「さよなら COLOR」(監督,竹中直人/原田知世、段田安則/2004)より。

清志郎の声、永積タカシの声。合わさって美しい。
海辺に立つ姿、歩いていく女、情けない男、優しい男、愛する日々。

http://www.zaziefilms.com/sayonara-color/

月曜日, 1月 22, 2007

言葉の向こう

正直な違和感を伝えてくれてありがとう。
木漏れ陽を拭ってしまったら、
それこそ何をやっているのかわからないから。
これが全ての生き方に向かうものだ。

日曜日, 1月 21, 2007

わけあえるもの・ツィゴイネルワイゼン

「ツィゴイネルワイゼン」(監督,鈴木清順/原田芳雄、藤田敏八/1980)をビデオで見た。
二人の男は欲望と知性の存在だ。相反しながらの交友は命を懸けて艶かしい。
「俺がまともだったことなど、産まれてこのかた、あったことがあるか!」
叫ぶ男の影が恐ろしい。
女の生き死には、もっと恐ろしい。
演奏中に吹き込まれてしまった言葉を、聞き取れない二人の男は、そのSPを貴重だと滑稽に悩む。
生き死にを分け合った二人の女も、そのSP を返してと滑稽に悩む。
舐められた眼球は痛い。
ねっとりと、光と影による川の前だ。
はたして何と言っていたのか。

飲んで、起きてヨガをやった。
なのでか、身体が軽く、嬉しい。
部屋掃除をしながら、考える。
迷いはないが、声と光が、どこまで届くかが不安だ。
そして映画を見てから、
不安そのものを見る。
まだ見ぬ空間、そのもの。
温かさを以て。

http://www7.plala.or.jp/tenderness/cinema-4.html

土曜日, 1月 20, 2007

わけあえるもの・S1

静かなリニモに乗って、愛知万博記念公園内にある愛知児童総合センターへ行った。「メディアセレクトの感覚ツアー」という展覧会が企画で行われている。山 田亘さんの作品を読む。それからゲームで遊んだ。OSX を使って、8ビットの蕎麦を食べに行った。機械仕掛けで遊ばれてはかなわんと、僕らはつきつけられている。

大人は、まず目をそむける。
それからゆっくりと握るのだ。
明らかに書かれたものを。

http://www.acc-aichi.org/asobi_program/index.html

金曜日, 1月 19, 2007

改造

また公園を見つけた。
うどん屋の後で、横断歩道を越えて。
文字の位置についてあれやこれ。
日々の位置についていろはにほへと。

帰って食パン齧りながら DVD で「カスタムメイド10.30」(監督,ANIKI/木村カエラ、奥田民生/2005)を見て、目を潤ませちゃう。
サブカル臭がするかなと、見くびっておりました。若造がっ。
カエラの魅力はもとより、西門えりかというヒロインにも魅せられる。
一見 混沌なんだけどトータルの包み方で、全てが音楽になっていく。これはラブが無いとできないっすよ。若造ながらに思ってしまうわけだ。
それで、この楽しいところを見たり聴いたりしていたいなと思うわけです。感じるわけです。
やっぱり無気力と厭世観のなかに落ち込んで行くのはつまらなく、だめなんだな。僕は。
そうなりたくないのだ。忌み嫌うこそ、その頭の中に興味も持つと考える。
愛しいものと憎むべきものを、表裏に捉えている。
それをああしたいから。

http://www.cm1030.jp/

木曜日, 1月 18, 2007

メールで読んだもの

出かけるときにアパートの前で「今日は空が高いから、雪が降るぞ」と言われ、それをずっと覚えていたが、雪どころか、いつもより暖かい気候の一日だった。 なんだったのか。空を見上げていたおじさんは、鈍感なほうではない。どちらかというと何事にもこだわる、敏感なほうだと思うのだが。
僕はそれをメールに書いて送った。
僕らは毎日、携帯電話でメールをやりとりしている。
あらゆるものを読み合う。
この毎日には、敏感なほうの目と鈍感なほうの目が入り混じっている。

バイト後の晩、幾つかの話をして、そんなことを教えられた。
「みんな、分かり合うのは難しい
 誰それとかではなくて、さ。」
と呟き、自転車で帰る。自分で言ったことを取り戻すかのように。
iPod に、くるりのアルバムを入れた。
「TOWER OF MUSIC LOVER」(2006)。
いまごろになって、聴くわけだ。
どこにも正解なんて無くね?
そう綴っていくよ。

http://www1.odn.ne.jp/b.mayo/bnap06/news.html

http://www.quruli.net/

水曜日, 1月 17, 2007

はじめての木炭

からりとした午後に、木炭紙を運ぶ。
自転車に乗って、音楽を聴いていました。
子ども達は、すぐに、食パンで消すんだと気付きました。
布はあまり使わず、ちぎって、こすって、ぼろぼろこぼしていました。
炭もいっしょに落ちたけれど、パンのしっとり具合が足りなかったのか、鮮やかに白くなってくれませんでした。
瓶を描いたり、ルイージを描いたり。
大切なことはハードでもソフトでも、そのどちらかでもない。
二つの関係そのものにあるのだと、
僕は「はじめての木炭」と宣言することで知りました。

火曜日, 1月 16, 2007

摘み取った言葉を夜に透かす

いつの間にやらバイトは肉体労働。こだわり求められつつ、要るのは身体の動き。
案内状や何やらと作るのも同じように。それらから成り立つ。
詩作も例外ではない。
「文系の生徒こそ、スポーツが要り、体育会系の奴らこそ本を読むべきだ」
との言葉を思い出す。
美術部は運動部だ。

しかし夜だけに詩を綴るのでは
先には行けぬ。
休憩中に、見返したら、
ありゃ
となる。

月曜日, 1月 15, 2007

月光は冷たく熱い楽団を

「いまこのときを大切にしたい。」
ということを
詩に書こうとして
興奮して眠れなかった。
今日から市内で新しいバイトをし始めたのであるが、この興奮を以てすれば、体当たりしていけるのだった。休憩時間に、公園こそ無いが、スタバでも何でも選び放題である。初日だけだぞと、最も安い二百八十円のホットマグで読書と手帳を開く時間だ。女子高生が背伸びしていた。
働き終えて、甘味求めてコンビニなんぞ。
個展の案内状を作る。
イヤホンで「The Worst of MOONRIDERS」(1986)の二枚目をじっくり聴く。「月の酒場」から終わりまでの流れは何時も美しい。
高校のときテープに録音して、寝るときにずっと聴いていた。

何気なく、ネットを見てぬおっ!
「Passion Maniacs マニアの受難」(監督,白井康彦/2006)が名古屋シネマテークに来ると載っているではないか!!しかも三月から!これは得三がらみでイベントなんぞも期待できるんじゃないだろうか!!・・は、鼻血が。
くオーッ、たまらん。よくやってくれたい。
個展の案内をシネマテークに置かなければ!
もうごっちゃであるが。
昨年の三十周年祭りに乗り遅れていたのが悔しかった。サントラは最高だったが。昨晩は CSフジでドキュメントがあったらしいけど、これはどうやって見れるんだ?ネットで録画代行サービスは高価だし。かといって、周囲に環境は無いし。当分、幻 行きは避けられぬ。
しっかり働いて、太い根を生やす場所を見つけて、熱に浮かれたい。これこそ受難。
興奮し過ぎない目を以て、詩を書きたい。
温かい言葉で、穏やかな気持ちを言いあらわしたい。
月光は冷たく
熱い。
楽団よ
ラァーララララ
ラー
アアアー
「とにかくここがパラダイス」(曲,武川雅寛)より。
そして「スカンピン」(詞,曲,鈴木慶一)へと降りて行く。
まだお前が
闇に息を潜めているのを
ブルーカラーで
靴を鳴らす僕たちか。
かけてよ。B面戻して。君のためにミュージック。
顔を洗って
歯を磨いて
いってきます。

http://passion-maniacs.com/

日曜日, 1月 14, 2007

サクリファイス

A,T は映画を以て詩人であった。
祈りであった。
肉体的恐怖から救ってくださいと。
主よと。
独白される。

猫よ
寝息を以て
膝の上に
来てください

僕は
花を以て
家へ歩いた。

空は光る青を持っていた。

http://www.acs.ucalgary.ca/~tstronds/nostalghia.com/TheTopics/Offret

土曜日, 1月 13, 2007

空は/僕の涙腺ではもうない

昨晩、筑紫さんのニュース番組に突然、空の写真が映った。続いて、誰とは言わずに言葉が読み上げられた。名前が後から出るのは良いと思った。荒木経惟と谷 川俊太郎が対談し、朗読が行われた。江戸東京博物館で行われた企画のレポートである。スタジオに戻ると「写真ノ中ノ空」(アートン/2006)をアナウン サーが持っている。「みなさん、最近、空を見ていますか?」という口あたりの良い言葉で締めくくられた。筑紫さんが「見てないなァ。ま、今日はそんなとこ ろです」と言って番組が終わった。
写真も詩も、悲しくて痛かった。
奔放に見えるようで、荒木経惟は「空だけの写真ではグッとこない」と語る。
また理路整然と言葉をまとめているようで、谷川俊太郎は「ごめんね空」と呼びかける。空は人間の比喩でも、誰のものでもなく、ただ空だ。そこに何かを見ているのはこちらの勝手。
どこまでもどこまでもどこまでも勝手。
だから悲しくて痛いのかと思う。
思ってみる。

本日、部屋に籠って、自分の作品ファイルまとめ。とあるコンペに出す為のもの。籠るのはまずいなと、夕方に宅配便の店へ行って帰るときに携帯のカメラでパシャリ。
頭のなかで言葉にならないものが疼いているのであろう。
いま思い返せば。
夜に、電話口でそれらが溢れ出る。

この部屋はお外と同じくらい寒い
待たせているのは
もう同じだ
涙は
熱湯になるのか
ぐらぐらと
冴え渡って
見せてくれないか
この部屋はお外と同じくらい寒い
膝こぞうに
湯たんぽを
のっけてあげたい
湯たんぽのなかで
猫の鬱がのぼせるよ
顔だけすぽっと
出してくれる
明日は
詩を
書く
一日に
します
空は
僕の涙腺ではもうない
空は
空だ
声が
聴こえると
温かく
空が
見えるのに
喜ぶ

金曜日, 1月 12, 2007

麦ふみクーツェ

一日中、どこにいても「麦ふみクーツェ」(著,いしいしんじ/理論社、新潮文庫/2002、2005)を読んだ。心を清算するように、一日の終わりには読み終えた。
この文章は世界への慈しみ。文章は各パートとして合奏される。
僕が好きなのはちょうちょおじさんで、憧れるのはみどり色。用務員のおじさんも、先生もおじいちゃんも大好きだ。でもおそらく僕がキャスティングされるなら、ねずみ男こと素数に取り憑かれたお父さんなのだ。臭気を放って、実験を、大雨の川に、冷たい晩に。
あああ
これは
えらく
大切な
物語だ
じゃないか
小学校一年生のときに、僕は読書感想文を「あんぱんまん」(著,やなせたかし/フレーベル館/1976)で書いて、そこに面白いのでテレビにしてください と書いて、落選したことを覚えているが、それと同じことを思ってしまった。ちなみに読書感想文のマイエピソードは話せば長くなる。小学校二年生のときは 「スーホの白い馬」(福音館書店/1967)で入選した。国語の教科書に載っていて、本を読む時間がなかったので好きだったそれにして書いた覚えがある。 入選したことに調子に乗って、三年生は意気込み過ぎて落選。何で書いたかも覚えていない。四年生は課題図書の「学校一のいたずらっ子エリザベス」(著, イーニッド・ブライトン/新学社/1987)で書いて、入選して自信を取り戻す。いま見ると明らかに女子生徒向けの本であるが、何も解らず喜んで選んで読 んだ覚えがある。五年生はまただめで、六年生は平和もので書いたと思う。中学一年のときは「夢で会いましょう」(著,村上春樹、糸井重里/講談社 /1986)を選んだ。背伸びしすぎて、よくわからぬまま書いたその文章は、確か落選した。

余談ではなく、僕はそれを書くことで救われていた。いまも同じで、「麦ふみクーツェ」はそれを思い出させてくれた。ブラッド・ベリが書いていたとかはつまらぬ理屈だし、それこそ厭世観だ。

そんなことは
どうでもいい
きみは
ここから
やっていくしか
ないんだよ
じんせいは
はじめて
ばかり
みぬかないで
おくれ

http://www.webdokusho.com/shinkan/0208/t_6.htm

http://www.shinchosha.co.jp/book/106922/

木曜日, 1月 11, 2007

おだやかな暮らし

「LOVER ALBUM」というクラムボンのカバーアルバムに入っている「おだやかな暮らし」という歌を聴く。

何から話せばいいんだろう
どこまで話をしたんだろう
何度も繰り返しては
二人の恋は終わったの
それともまだ始まってもないの
ほしいものは
おだやかな暮らし
あたりまえの
太い根をはやし
好きな人の
手のひらがすぐ
そこにある
そんな毎日

(詞,曲,おおはた雄一/2005)

原田郁子さんの歌声に心を温められる。
当たり前のことが、どこまでも力を与えてくれることを
思う。

同じように
優しい言葉に
思う。

http://www.yuichiohata.com/

http://www.clammbon.com/

水曜日, 1月 10, 2007

書いてください

カレー食う
夜だけ春みたい
証明写真を
同じ袋に入れるだけ
こちらを
見ている
顔を

一時間半
教室
トランプ向き合って
林檎描けず
置く

火曜日, 1月 09, 2007

さよならは夜明けの夢に

おやすみのキスは
まだ
夜明けまでに
荷物まとめてドアを
そっと
開ければ
いつものように
星空に月は笑う

窓には指で描いた
すきとおる
書き置き残し
ドアを
そっと
閉じれば
思い出だけが
流れる
夜露と
なって

見捨てられた パパとママ
もう何もかも
好きにさせたのに
あの娘は
遠い
ところ

レモネードに
パイの

髪を撫でる
大きな手の
パパの
ジンの匂いを
忘れたのかい
さよならは
夜明けの
夢に

さよならは
夜明けの
夢に

(詞,鈴木博文、曲,岡田徹/1977)

http://www.youtube.com/watch?v=6QD0K1LbAps

http://www.jasrac.or.jp/sakka/moon_inner1.html

月曜日, 1月 08, 2007

夜露死苦現代詩

「夜露死苦現代詩」(著,都築響一/新潮社/2006)にやられる。鬱積していたジレンマを横すっぽ叩かれた。
職業詩人、一握りの特権階級面は如何ほどか。
詩人は超越しつつ人の心を掴んで離さない技をやってのけなければいけない。
できなければ詩人ではない。
自己満足のコミュニティに陥るのが関の山。
そもそも文壇や画壇がまともに機能していた時代からのフィードバックはもう面倒だ。
現代詩のフィールドがなんであるかを論じるのは空しいことになっていく。
鬱積していたジレンマとは言葉へのしがらみや世間体でしかなかった。そんなものは吹き飛ばして、生きるための言葉はやってくる。
ちくしょ〜。
超越した凄みをみせつけあいたいぜ。
情けないことはもうやめて、
俺は自然に愛した言葉で紡ぎだすよ。
ギョーカイより抜きに出るんだ。
なにがなんでも抜きに出るんだ。
って、いう思考自体が既にみみっちい。生きるための言葉はそんなカテゴリめいたものではない。
そう読む。
モテたいだけでは足下にも及ばない。
そんな極少からの一歩でもましか。
さあシュプレヒコール。
現代詩を夜露死苦!
マフラーをよろしく!
少女をよろしく!
少年でよろしく!
帰っていく言葉によろしく!

日曜日, 1月 07, 2007

言葉をやってこさせる人

わからんもんは、わからない。
逃げる言葉は、逃げる姿をしている。
向かう言葉は、向かう姿を。

女の顔
その前に描いた言葉

男の顔
その前で笑う背筋

君と泣く
僕は消える
紙につくられた窓のなか
言葉がやってくる

はたして
どう
向かい合うの?

それが
てめえの、なんだよ。

土曜日, 1月 06, 2007

手紙よ、詩よ、雨よ、降れ

「おじいさんの思い出」(著,トルーマンカポーティ/訳,村上春樹/銅版画,山本容子/文藝春秋/1988)と共に。

手紙は詩を呼び、詩は手紙を呼ぶ。

業務用エレベーター、地下鉄一日乗車券、高速で去り、シーチキンのサンドイッチ、ギャルソン、ハワイ、スタバ、東京、無印良品、励まされ、雨が降ったり止んだり、仕事ができるはずというこの無根拠な自信を、語ろう。羨ましがらせられるか?
昇降音、メールの着信音、スカイプのログイン音、寝息、溜め息、傘がない、傘が売ってない、またあの住宅の残骸跡地につくられた駐車場。自転車で帰る。帰るんだ。iPod でまた爆音で。

金曜日, 1月 05, 2007

No Future Cool!再び

詩を書いて、それを包むための封筒を探していた。
またコメダで落ち合って、温かくなるのを待っていた。この詩はまだ終わっておらず、紙の尾っぽに「つづく」と書いたのだ。手をあげる数分前のひらめきだった。

別れる前に入った書店で、とびっきりの詩集を買った。
これはとびっきりだ。
とびっきりの気持ちになっていたし、もっともっとなりたい。

それから、雨が降り出してしまった中を走って、またお茶を飲んで転がって、新栄のクラブへ。「四葉のクローバー」というイベント。福岡氏がレコードを回していた。バンドとダンスと生ジャズに踊る。

「瀧口修造の詩的実験 1927〜1937」(思潮社/2003)
タクシーが左折をし過ぎて、雨にみんな流れていった。
アルコールは飲んでいたが、頭はすっきりしていた。
あの書店で立ち読みしたバロウズの文章は、しらふじゃあない匂いがした。
「No Future Cool!」再び。
はなむけを自ら。

木曜日, 1月 04, 2007

それだけに懸けられた

ドイツからメールが届いた。昨年ブレーメンで行った展覧会のカタログ見本。PDF データで。
すぐに正誤確認してほしいとある。僕の詩を撮影した写真が横向きにされていた。日本語は縦書きなのでとタイプし、感謝の言葉も添える。たいへんな作業量で あったことは想像できる。日本側での bnap05カタログと、今回の bnap06カタログ、この対比は面白いはずだとのメールも受ける。賛同して面白がる。アートドキュメントへの考え方の違いを見る。いや、学んだことの違 いだ。正しいとか間違っているとかではなくて、これを並べることに姿は生まれてくるなと、それだけに懸ける。福岡氏宅で事務的な確認と、夕食を頂く。親鳥 の柚胡椒揚げと白米に薩摩芋の味噌汁。美味しかった。

帰宅し、電話をする。さっきあったことから、生まれる前のことまで。今年の動き、明日の動き。僕の仕事は詩を書くことだけが残されていて、それだけに懸けられている。
自分の理由はどうでもいい。何が読まれているかである。
それをどう汲みとることができるかが、問われているのだ。

水曜日, 1月 03, 2007

渇望している

名古屋帰還。小松氏とドライヴ。
満たされた者は踊らないし、詩も書かない。
補完された部屋はどこかから冷えてきていた。
渇望している熱を探して、僕らは混み合う道をかいくぐる。量販店はごった返していて、それは旧年からの続きであった。話すお題から新年の温度が放たれていた。

「カイト」(いとうゆうこ/1998)を iPod に入れさせてもらった。発売していた当時によく聴いていたアルバムだ。彼女はもう歌っていない。歌う必要が無くなったのだろう。
僕らは、右と左に別れた車輪でドライヴしている。
こころとあたま、感覚と意味。
互いの距離は年齢を経るごとに離れていくのではないかと小松氏は言った。

僕はそれからココアを飲んだ。
車輪をつなぐものについてを考えた。
それは言葉だと思う。
補完して黙ることを言葉は求めていない。
言わなければいけないことを求めているだけだ。

http://www.aaaa.co.jp/item/00000168065.html

火曜日, 1月 02, 2007

湯たんぽの術

同郷の友人らとの年始会合を、地元のコメダ珈琲にて。
新しい顔は眠ったまま、イノセントの極地としてある。
覗き込む僕らは、小一時間ばかり確かめ合う。

サイテーの極地のなかで眠る、強みをこれから誇る術は?
猫のフウキチとモクとラムに挟まれて、焼き肉になって蓄える。
湯たんぽの術を学ぶ。

月曜日, 1月 01, 2007

imagine

温かい朝。
あけましておめでとう。
今年もよろしくお願いします。
元日の空は清い。
三重に向かう近鉄電車のなかで、昨晩の紅白で布施明が歌っていた「イマジン」(1971)についてを思っていた。
バックに流れるイラク戦争の紋切り型な惨劇映像のせいで流してしまう印象を受けたけど、歌の強さは何も損なわれない。
「イマジン」が素晴らしいのは、平和への願いとか根拠の無い祈りではなくて、世界は人が思い描くものによって変わっていくという「力」についてを歌っているところにある。
晴れの日、雨の日、あらゆる未来を想像することができるのは、人が未来をつくる根源的な力なのだなと、思った。
家では犬と猫とで、美空ひばりを聴いていた。
美空ひばりは目に涙を浮かべて歌っていた。