自分の心で精いっぱい
人の心を満たしてあげられれば
私たちは塞ぎ込まなくても、大丈夫よ。
そう彼女達は言った。
そう僕たちは交わした。
塞ぎ込んだ名前を鬱と呼ぶ。猫の鬱は、今日も元気に爪を出してくる。やはり太っている。柔らかい肉片が折り重なっているところに、言葉の出元を押さえつける。力ごなしに、それでも撫でるくらいの強さを思い浮かべて。
整理されていない心境が生理現象そのものの具合で、家族は血と肉による名付け元だった。
その動き、そのままに人が従えれば、喜びを見ることができる。
家族の場所は、それであった。
「メゾン・ド・ヒミコ」(監督,犬童一心/柴崎コウ、オダギリ・ジョー/2005)を見て。
http://himiko-movie.com/