水曜日, 12月 31, 2008

静かな未来

まるで年末年始のサンプルのように街は広告を備えている。
ゆっくりと新しいイメージは忍び寄ってくる。
数年前に無線LANなんて飛んでいなかったし、十年前には携帯がまだ普及し始めた頃だった。
昨晩にテレビで「バックトゥザ・フューチャー2」(監督, ロバート・ゼメキス/マイケルJフォックス、/クリストファー・ロイド/1989)がやっていた。懐かしく見える未来観が新鮮だった。いまや 2015年にあんなメカスーツを着ている明るい未来を思い浮かべられない。ホバリングするスケボーくらいはあるか?

広告は変わらず、把握されやすいものして街に立っているはず。
格差に抑圧、テロ、ありとあらゆる相互無理解も続く。


何も変わらずに君は年老いる
何も伝えられずに君は去るしかない
何をするのにも窮屈だから
何もしないと君は言った
頭が良すぎると君に言う
頭が悪すぎると君が言う
何もできないものだよと
ついに疲れはて
ちっとも把握できない奥底へ
街を横切って行く
これは恋ではなく
衝動とも呼べない
すぐに陽が落ちて
また陽が昇る
一時の暗闇の間だけ
君はささやいてくれた
ここから逃れる手筈を
決して実行には移されない
静かな未来についてを

火曜日, 12月 30, 2008

森田芳光監督作品を二つ

今年のお正月にテレビでやっていた「間宮兄弟」(監督, 森田芳光/原作, 江國香織/佐々木蔵之介、塚地武雄、沢尻エリカ、常磐貴子/2006)を録画したままずっと見ていなかったので、それを数日に分けて見ていた。夜、缶ビール片手に布団に入りながら最後まで見た。これは缶ビールを飲みながら見たい映画だ。誠実さと、浮き足立つ気持ちが行き来するのがほろ苦い。僕にも弟がいるが、こんなに仲良く一緒に住んだりしていないし、できないだろう。村田兄弟はどのようなものかと思い出すと、親孝行しなきゃなぁ じゃないがちょっと詫びるような気持ちだ。
沢尻エリカは数年後に、大きく化けて登場しそうだなぁと下世話なことを思う。

こないだの日曜にはテレビで「椿三十郎」(監督, 森田芳光/織田裕二、豊川悦司、松山ケンイチ/2007)をやっていたのを見た。これもちょうど森田芳光監督作品である。バラエティに富んだ作品群だが、どれも丁寧で温かく安心させられる。賛否両論あろうが、原作を映画に昇華させる仕事に徹している印象だ。黒沢作品のリメイクである織田裕二版の椿三十郎は、映像感覚を現代的にフィットさせているのみにとどめ、脚本は触っていないということだった。できれば人を斬りたくない姿勢、ためらいが、ただのバイオレンスではないものを持っていて良い。オリジナル版を正月に見ようと思った。

http://www.mamiya-kyoudai.com
http://www.tsubaki-sanjuro.jp

月曜日, 12月 29, 2008

ブロークンイングリッシュ

伏見のミリオン座にて「ブロークンイングリッシュ」(監督, ゾエ・カサヴェテス/パーカー・ポージー、メルヴィル・プポー/2008)を見た。
日本の配給会社は恋愛映画だとパッケージングしているが、実際にはどこにも分類できない不可思議なシーンが多い「体験的な」映画に思えた。実際にあったことをそのまま持ってきているように感じられることから「体験的」と呼ぶ。恋に燃える勢いを全てとして本筋が進むのではなく、全く関係の無いような出来事も総体となって前進していく。実際の人生とはそんなノイズの中から「これっ!」という瞬間に辿り着くようなものであると思えた。
タイトルの「ブロークンイングリッシュ」は、「私の英語が壊れている」で、実に英語的な考え方の言葉だ。思っていることなどは既に自分の中で言葉になっている。しかしそれを英語として外に出すことができない。日本語的な言い方だと「言葉にできない」となるだろう。自分の英語を通して現すことのできる領域を超えている体験を指している。
キスとかパリとか嘘とか、人の数だけ体験があるという達観が流れているように思えた。

http://broken-english.jp
http://www.brokenenglishfilm.com

日曜日, 12月 28, 2008

良いお年を from 潜伏先より

昨晩から今日の昼にかけて福岡食堂にて忘年会が開かれた。
鮭酒粕鍋(シャケサケカスナベ)を囲んでの自我解放に明け暮れた宴だった。
突然の開催に、周囲に無茶なお誘いメールを送らせてもらう。
それらの返信とやり取りは、どれも「良いお年を」で締められた。
各自が大気圏に突入していくようだ。そんなふうに離れていく言葉みたいだなと思う。

今年も多く飲み食い、レコード、古本、物色、怒号にあるある、ないないをスクランブルし、ゲストも潜伏した食堂だった。
あんなにたらふく食べたのに、晩をまた迎える頃にはハラヘッタだ。酔いが回ってすぐに寝ていた。

土曜日, 12月 27, 2008

手持ちビデオカメラによるリアリティー

二ヶ月ほど前に DVD で見て、おしっこをちびりそうになった映画がある。
「クローバーフィールド/HAKAISHA」(監督, マット・リーヴス/マイケル・スタール=デヴィッド、マイク・ヴォーゲル/2008)という怪獣映画だ。
前知識のある状態では衝撃が半減してしまう内容ではあるが、この映画は全編手持ちビデオカメラで撮影した画面になっており、それが映像のみを通してリアリティーを感じさせるものになっている。ビデオカメラで撮影したことがある人なら、ぞわぞわする体感があると思う。前半はニンマリさせる演出だが、後半には僕を失禁寸前へ追い込んだ。
ディズニーランドのジャングルクルーズのように一つの視点だけでも世界や物語を描くことはできるということを教えられる。
そして実は、人間の視点自体も主観映像のみだけであり、メディアとは別の目を得るものであると考えられた。

http://www.cloverfieldmovie.com

金曜日, 12月 26, 2008

ロック誕生

「ロック誕生」(監督, 村兼明洋/監修, サミー前田/内田裕也、ミッキー・カーチス、近田春夫/2008)に上映時間ギリギリで駆け込む。
しかし、前半に流れる70年代当時のライヴ映像が、流れている曲を演奏しているものではなく見所的なクリップを詰め込んだものなので、画面と音楽が合っておらず、その時点で嫌な予感がする。サービス精神に溢れてはいるが、この映像感覚はまずいと。
その予感は当たっていた。ロックを日本語で歌うことは可能か否かという論争の話など、撫でるだけの印象で進む。初めて知る者には分かり難く、知っている者には物足りないのではなかろうか。これを入り口として広くて深い日本の元祖ロック世界に触れていってほしいという趣旨もあるだろうし、一時間半足らずで全てを補完することは困難だとは思うがどうも歯痒い。
英語で歌うことで欧米に評価されなくては日本のロックの誕生は無いと信じた内田裕也と、日本語で歌うことを貫いた はっぴいえんど、遠藤賢司。どちらも誕生とそこからの波ではあるが、この映画は内田裕也を主にして語られているため、例えばジャックスの存在などは出てこない。時代背景の描写もイメージ映像だけで考察に乏しい。もっと深く突っ込んで訴えてもいいのではないかと思ってしまった。
前述の通り、この映像感覚は当時の素材を多く紹介するというサービス精神を基にしていて、異なる意見を挟もうとはしていない。言わば、DJ感覚だ。監修のサミー前田は昭和歌謡やロックを回すDJである。流れるロックはどれも格好いい。

近田晴夫のインタビューに一番しびれた。
アングラなだけじゃだめ、貧乏臭いから。メジャーなだけでもビジネスライクだからだめ。その二つが共存する瞬間があるんだと。

http://www.rock-tanjo.jp

木曜日, 12月 25, 2008

プレカリアートを理由にしてても、きりがないんじゃないかと考えてみる

この暮れに、左側で行列を組む者も、年が明ければ知事になっていたりして、間違えるな辞めさせるなと罵り合うことも、みんなすぐに帰っていってしまうだろう。
風が吹けば、だ。

ツリーが片付けられて、門松が出てきた。
「セレブもボロを着ればホームレスに見えるのよ」と失業者の支援をしている方がテレビで答えていたのを思い出す。ならばその逆も成り立つのではと考えてみる。
「王子とこじき」(著, マーク・トゥエイン/1881)だ。

水曜日, 12月 24, 2008

2008歳のイエス・キリストは何を思ったか

駅へ向かうときに思ったのは、数年前の深夜放送で「戦場のメリークリスマス」(監督, 大島渚/坂本龍一、ビートたけし、デヴィット・ボウイ/1983)がやっていたのを VHS で録っていて、それを HDD に移して DVD-R に焼いた。あのディスクはいまどこにやったか。難しい感じがしたけれど、最後の最後にグッときた。何故にあの映画にクリスマスが出てきたのかということを思っていた。
そしてもうひとつ思ったのは、何故か名古屋駅の構内にイエス・キリストが降り立っていて、様々な現代人を巡っていくという安い深夜ドラマの構想。というか妄想。
それから「明石家サンタ」が面白いのは、生放送でこの夜を繋げているように感じられるからではないかと思った。
今夜、2008歳のイエス・キリストは何を思ったか。

http://jp.youtube.com/watch?v=5mfyCI82lWM&feature=related

火曜日, 12月 23, 2008

Round and Round

ムーンライダーズの新譜「Tokyo,Round and Round」(詞, 鈴木慶一/曲, 岡田徹/2008)のPVが可愛らしい。歌詞は賑やかにしながらの妬み嫉みで開き直りの空元気だ!一人抜けてもまた戻ってネ!
Tokyo だけじゃなく Nagoya でも笑いながら、何度も何処へでも Round して行くーーー。

http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=48510073

月曜日, 12月 22, 2008

JOY SOUND

JOY SOUND で「クリスマスイブ」(詞,曲, 山下達郎/1983)。
フォーク・ソングとWヤマトの闊歩。連帯も現代語訳すれば「仲良し」なり。
明日は待ってくれず、来年も待ってくれない。
しかし数行で私は変わることができる!
私たちの望むものはと、各国の食事処を巡りながら。

http://jp.youtube.com/watch?v=1FmK0_bCBAI&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=kjAI9V1G6bA&feature=related

日曜日, 12月 21, 2008

オウオウとえぐっていく

お昼前に起きたとき、ノリクンが「サヨナラCOLOR」(詞, 曲, 永積タカシ/2001)を歌った。

名古屋大学にて「 “観られる身体、読まれる欲望、多様化する家族 - ジェンダーの事象と表象”」という国際シンポジウムがあり、アーティスト 高木正勝の映像作品の上映と講演を聴く。
光と闇の合間、音階の合間に、微笑みと嘆きの合間が行き交う。
自然はいつもそれで、立ち上がるものを求めていた。

肥大しきった自分を恥ずかしがろうと帰る。布団に入ってそれを落ち着ける。
そこから、鏡の前に立って詩を書くのを想定。
オウオウとえぐっていく。

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bodies
http://jp.youtube.com/watch?v=YXTRLuVz6pc&feature=related
http://www.takagimasakatsu.com

土曜日, 12月 20, 2008

予約が無かったことにされたけど、美味しいので吹っ飛んだ

女子大通りのタイ料理屋から、忘年会と誕生日会と引っ越し祝い会を兼ねて朝まで騒ぐ。
「30の抱負は、40まで生きること」
に、一同苦笑することも無く、押し黙る。
結婚の知らせ、川の字になる前に聞いて夢のなか。
欠落した者の姿を思い浮かべる。校長になっている友人の姿も思い浮かべる。
帰りの指定席と、サバイブの日々が重なる。遠いところでしょげている姿も。

金曜日, 12月 19, 2008

ガンダム鍋会

車座になっていたクリスマス会から、ガンダム鍋会へ移行。
そのまんま、ガンダムを見ながら鍋をつつくという忘年会だ。
映画三部作でも 全部見ると六時間かかってしまうし、終電にも間に合わせなければいけないので、重要なポイントのみ押さえていく。
三時間で サイド7からアバ・オアクーまで突っ切る。
後半は名場面集みたいになっていたが、皆で見たという達成感で盛り上がった。
鍋は、山岡氏にプロデュースしてもらう。皆でペロリとたいらげた。
感謝感激のまま、これで宇宙世紀0009 を迎えられますとタイピング。

木曜日, 12月 18, 2008

光っているひらがなを見たいと思った

愛着のある「ひらがな」を邪魔に思うのもどうかと感じたけれど、完全に不要な表記になっていると思えて、ミーハーなこだわり感覚で MacBook に USキーボード を選んでいた。
日本語タイプは英文タイプに比べて手間がかかる。漢字変換と、ひらがな、カタカナ、英数文字の混在。これらの切り替え、選択と確定を何とも多くやっているのだなと実感する。
正直、使いにくくてもやもやするが、これで意識的に文章を打つことができるとか、手技に頼らないとか、新しいことに挑戦しているんだと騒いでみせた。
ここからのメリットがあるのか自問し続ける。こいつは自己満足だ。
これはもう最初から英語の詩を書くしかない。完全にかたちから入るぞ。

水曜日, 12月 17, 2008

アプローチとレスポンス

ひとつのことで、納得のいくアプローチができたなら、それを信じて近づくしかない。
属性を全て引っさげて、同時に「私」が立っている。
そのどれかを持ち上げて「私」の理由にはできない。
いつもの店を出て、いつもと違う話を聞く。
場を進ませるのは「私」の力だった。
納得のいくことを返せたかどうかも。

火曜日, 12月 16, 2008

まおまお

日曜にフィギュアの浅田真央が逆転優勝したのを見て、もらい泣きした。
韓国のキム・ヨナとのプレッシャー対決だった。
テレビの前に座っていた僕らも、泣いてなんかないよという対決をちょっとした。

月曜日, 12月 15, 2008

ソレを我慢できない

昨晩、「男はソレを我慢できない」(監督, 信藤三雄/竹中直人、鈴木京香、小池栄子/2006)をDVD で見た。
古い映画フィルムの質感と丸ゴシックのカラフルエフェクトがミスマッチで楽しい。だらだらしていながらも品があるってのは気配りから来るんだろうなぁ、とか思う。余談ながら この映画を見ようと思ったのは、YouTube で竹中直人とワタナベイビーが今夜はブギーバックを歌っているのを見たからだった。それはこの映画の主題歌で、エンディングに流れる。流れ出す瞬間は、格好良かった。
偶然、とある学生演劇を見た。
やりたい要素を我慢できずに、いろいろ上乗せしまくって何が何だか分からなくなっていた。
我慢できない気持ちは重々承知のうえだが、ソレが我慢のしどころだろうと思った。
などと自戒を持ち、我慢して鑑賞。
横の焼き鳥屋でビール。寝ているところを叩き起こして福岡食堂でカレー。
なんて次から次へと書き足すのも我慢できてない。

日曜日, 12月 14, 2008

君と僕を変えていた

住宅展示場も車売り場も、みんな賑やかにしたいわけではない。
それならば生きた証を求めて、内職で飾り立てた茶店が勝ろう。
ここにしかない広がりで、ここでしかない話をしたい。
メールや skype では済まなくて、居ても立ってもいられない。
そこに立ち会わなければ、生きたここちがしないところへ。
クリスマスは日付が空間を変える。
読みはじめた瞬間から変わっていく。
君の言葉は僕のいつもそれを変え、
身体は疲れを忘れる。
たった数滴のインクを垂らすために画面の光と睨み合う。
おやすみと表示されて、次は A HAPPY NEW YEAR か。
昨日 見た ミシャ・クパルの光は文句など一言も言わず、君と僕を変えていた。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2008/temporary/mischa.html

土曜日, 12月 13, 2008

写真をもらって、ブログを引っ越す

information です。
本ブログを引っ越します。
新しいURLは、http://jinmurata.blogspot.com です。
お手数ですが、ブックマーク、RSS の変更をお願い致します。

・ ブログ内検索機能が付きました。ページ左上部の検索欄で使用できます。
・ 現在、移転中のため、06年5月31日以前は過去のブログを参照下さい。


小沢健二はいま何をしてるの?って、何度も話してる。何度聴いても素敵なように。

金曜日, 12月 12, 2008

別れの一本杉

「別れの一本杉」(詞, 高野公男/曲, 船村徹/唄, 春日八郎/1955) をお前はわかってない!
とどやされても、わかるわけもなく、しみじみ聞くのみ。
耐え忍び酔っている作家様の嘆き何にもならず、別れを告げて葉書を投げよ。

http://jp.youtube.com/watch?v=xrAsXknqchA&feature=related

木曜日, 12月 11, 2008

ロックで頼んで

バーのカウンターでは懺悔などしない。
人生のことを書き連ね、いま現在を思い出すときを想定する。
お前は何をしたいんだ?と、路地裏に引き連れられ、声を返す。
それがまた生意気で酒臭い。

水曜日, 12月 10, 2008

OVER

Digtial revolution is over. になぞらえて言えば、
Experience revolution is not over. なのだろうけど。
今夜はちょっくら OVER。
深夜に突然押し掛けさせてもらって、伊藤氏に感謝。
99ショップが近いのは羨ましい。
感覚を解放できるのも羨ましい。

火曜日, 12月 09, 2008

この餃子を一つ食べたら行きなよ

「この餃子を一つ食べたら行きなよ」
そう 女の子は男の子を急かした。

政治家もくだらなければ、それを叩くマスコミもくだらなく、踊らされる我々は既にみんな くだらないということを覚えている。それが大前提だ。
そこから何ができるかが話されている。
ああ! アクティビストと、あくびする人は音がよく似ている。
めげることが無いよう、立ち方を告白しに行く。ナルシーでも何でもいい。

終電も無くなって飲み会がお開きになった。後は、大人なのでなんとかなるだろうということになった。

月曜日, 12月 08, 2008

冬の電車内 ばらの花

「ばらの花」(詞,曲, 岸田繁/2001)を矢野顕子が演奏しているのが、またグッとくる。

あと一時間早ければ 要領良く走らせられた用件があって、こんな調子だからすぐに切羽詰まりやすくなるのだと一人言を言う。
JR で横の席になった女子高生らはおそらく朝帰りをしてしまったようで、親にばれたら叱られると言いながらメイクを落としていた。そのメイク落としの匂いがきつくて、顔をそむける。冬の電車内は空気がこもりやすい。
一時間の余裕は作れなかったけれど、この JR に乗れて良かった。これでバスに間に合う。少ない本数のバスに。

http://jp.youtube.com/watch?v=lSF8acaXgpE&feature=related

日曜日, 12月 07, 2008

ひとつだけ

布団を背負った虫みたいになってよく寝た。
こないだの NHK に出ていた矢野顕子の録画を見た。
大貫妙子と一緒に並んで歌っているのを見て、素敵だなぁと思う。
「ひとつだけ」(詞, 曲, 矢野顕子/1980)も、やっぱり良いなぁ。
袋ラーメンを鍋で煮て一食だけ。
いろいろあるけれど、猫の鬱とこうして眠れることに感謝しつつ。

http://jp.youtube.com/watch?v=fLNtJzjEu4w&feature=related

土曜日, 12月 06, 2008

アニメート!

岐阜県の飛騨高山で行われる「飛騨国際メルヘンアニメ祭」にて、一般参加のワークショップでアニメートしたものを一本のアニメーション作品にするという企 画「輪ニメーション」があり、ワークショップ構成から制作に関わっていた。今日はその上映会で、参加してくれた子らの前に流すことになった。その子が作っ たキャラが登場すると歓声があがるのが嬉しい。ワークショップでの動きを生かすことや、映像自体の流れなど多々考えられる点は山積みだが、ひとまずは完了 の途に着いた。多く感謝。
祭の主企画である「メルヘンアニメコンテスト」の入賞作品の上映があり、審査員長の小田部羊一さんにお話と批評を頂く。特別企画展示の岡本忠成展に感動する。
パンダコパンダにスーパーマリオ、メトロポリタンミュージアム!
動きの喜びに溢れているアニメートばかりだ。
終電で名古屋駅まで帰ってきてから、みんなで駅前の屋台ラーメンを食べた。

http://www.hida-anime.jp/
http://jp.youtube.com/watch?v=DZwI0dbhhLQ&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=wPdc8v-lzvg

金曜日, 12月 05, 2008

sky not art poem

「snap」最終日。
昨晩のうちに目薬をさしておくと、朝 目がラクでいい。

冬の寒空の下に椅子を置いてやる。
それを眺めるための窓を紙で書く。
空は詩じゃない。
空は詩である。

懇親会があった。
作品の感想、質問、日頃考えていることなどを伺い、楽しかった。
純粋さをたくましくするために、どうすればいいかがいつも課題だ。

木曜日, 12月 04, 2008

ずっと edit mode

ずっと edit mode で、完成がステージの上でも限りなく近いだけのものとして あらわられてくる。
これは、iPod なの? をお土産に頂く。早速活用。誰とでも仲良く手をつないで踊れちゃう。
まだ edit version なんだよ。でも、いい加減らくになりたいとかの人も言っていた。いやいやこれからもまだまだ edit 三昧でしょう。なら、嬉しい。それに見合った持続ができればいいだけさね。

水曜日, 12月 03, 2008

銀杏と Mac 達

いろいろな思いが降りてきて、部屋が拡張されていく。
何が、どう、いろいろであるかを語ろう。
ひとつは保守と推進という対極なる流れである。曲がっている川の外側は速く、内側は遅い。岩石の削られる具合は大きく違う。保守がどちらで推進がどちらだろうか。
青年とアルバイト女性の間にも 川の流れがきっとある。どちらかがいっぽうの岩石の上に立ち、どちらかが飛び込んで向こう岸にいる彼か彼女を抱きしめようと焦っている。いつか川が枯れるときが来るなどとは、二人とも考えない。
日夜応酬されるメールの嵐。頭上で吹き荒れ、すぐに忘れられてしまう。誰それの顔を思い出し、メールでかろうじて断片に触れた気持ちになっている。そう やって渡されたバトンをひとつひとつ丁寧に渡していければ、ゴールもそう遠いものじゃないなと思えてきた。真夜中に、このままじゃだめだ!と怒号が鳴り響 いたのは少し格好良かったと思う。
畳に突っ伏して寝た自分は、ここ数日で老けたということに同意する。髪を切っても、何か吹っ切ることができず、目の前には白いもやが かかっていた。仕事は楽しくさ、笑顔が推進力になるんだよと電話で言ってくれたT先生。年賀メールを送ろうと思う。bnap の面子にも。
先日の、snap 初日に来てくれた友人と「もう今年は終わってもらっていい」という話で盛り上がった。もうじゅうぶんじゃないか。もうじゅうぶんだよって。いや、この一ヶ 月で価値観や人生が大きく変わることだってあるのを知りながらだ。気持ちは来年へのカタパルトデッキに向かうアムロなのである。楽しい年末年始になります ように。タイでようやく空港封鎖が解かれたらしいけれど、首相が退陣したり、いろいろ素直に喜べない。いやその何がどう いろいろなのかを語っているところで「いろいろ」という言葉を使うのは我ながら矛盾してやいないか。と、自己批評すること自体もまた矛盾か。まぁ、矛盾で いいじゃん。一杯飲もうやと誰かが言葉をかけてくれることによって、アムロは今日もザクを撃ち落とせるのであった。
一瞬ではあるが 銀杏を眺め、長くつき合うであろう Mac 達を撫でる。
いろいろな思いが降りてきて、部屋が拡張されていく。

火曜日, 12月 02, 2008

眠気にまかせて

眠気にまかせて むにゃむにゃむにゃ
眠気にまかせて コチコチコチ
眠気にまかせて チュクチュクチュク
眠気にまかせて もちもちもち
眠気にまかせて あーあーあー
眠気にまかせて ングングング
眠気にまかせて パパッパー
眠気にまかせて タリラリラーン
眠気にまかせて トツトツトツ
眠気にまかせて ウォウウォウウォウ
眠気にまかせて ピクピクピク
眠気にまかせて 言ってしまう
眠気にまかせて ぐるぐるぐる

ラーティッタープップルプリピッパッヨゥー!
パッツルンプン、ショッタラジャンダラリン!
コッタコッタコッタコッタ!カタリルパー!
プオオ〜!プオオ〜!
角笛じゃなかったホラ貝を吹く音の口まね。突撃するときの。
わーわーわー
眠気にまかせて 再見を夢見る人

月曜日, 12月 01, 2008

詩の鼻

「snap」初日。
目薬をさそうとしたら、ちょっと口に入って飲んでしまった。

淑徳大学の星ヶ丘キャンパスで、ムラシバアサカによる「ジグソーパズル」(パフォーマンス/2008)が行われた。愛知淑徳大学の卒業生、加藤聖子さんの詩(同題)からイメージをふくらませ、紙芝居、映像、身体によって構成していた。
各色が折り重なっていく。小さな女の子の絵が少しだけ浮かんだ。

言葉は広がりもするし、閉じもする。
その変幻自在の豊かさが詩だ。
そのために、詩はどこから呼吸をしているのだろう。
その仕組み、「詩の鼻」なるものがあると考えてみたい。

夜、鼻水が酷く、たくさんかむ。
寒いはずだよ 12月。コンビニで稲垣潤一流れてた。

http://jinmurata.jpn.org/301/101_information_6_snap.html

日曜日, 11月 30, 2008

埋め立てられる光

先日伺ったビルは まだ一部工事中の新しいものだった。通路にはまだ広告を入れる前の表示パネルがあって、ずっとブルー画面が表示されていた。

土曜日, 11月 29, 2008

ほしいものがほしいわ

本屋で BRUTUS の「YouTube 特集」を立ち読み。ネットの情報を本で買うというのはどうも「負けた」感がしてしまうので、いつも購入を控えてしまう。ムックの「杉本博司を知っています か?」(マガジンハウス/2008)のほうが、本でしか手に入れられない喜びがあって良い。今度は写真集との比較検討に入る。買うならば良いものを。
買い物に勤しむ季節になってきた。
米国ではブラックフライデーというものがあるらしく、感謝祭明けの翌金曜日が買い物をする日らしい。年末商戦の幕開け日に当たるという。ちょうど昨日がそのブラックフライデーで、米国のアップルストアでも1日限りの割引をしていた。
そしてそれに合わせるように翌土曜日の今日は「バイ・ナッシングデー(無買日)」というのを、アクティビストらが行っている。(「イルコモンズのふた」より)
「まだ世界に、バイ・ナッシングデーは広まっていない」という言葉が、記念日のグローバル化という問題を皮肉に捉えていて巧妙だ。
自分に根付いている資本主義の享楽を冷静に見ること。
糸井重里の名コピーにはそれもあるのだろうと読む。

ほしいものはいつでも
あるんだけどない
ほしいものはいつでも
ないんだけどある
ほんとうにほしいものがあると
それだけでうれしい
それだけはほしいとおもう
ほしいものがほしいわ

(糸井重里/西武百貨店のポスターのコピー ※実際のポスター上には全文が小さく印刷されているらしい。/1980)より。

などと往来したのち、セブンイレブンでサンデー マガジンの絵が載っているというだけのキャンペーン品、チロルチョコを差し入れに買う喜びよ。これは食べるのがもったいないわ。

http://magazineworld.jp/books/8545/read/
http://illcomm.exblog.jp/8956505/
http://www.sej.co.jp/cmp/sanmaga02.html

金曜日, 11月 28, 2008

純粋さは鍛えられる

改めて言い訳をすることでもないが、馬鹿の上塗りという言葉も成立するであろう。
純粋な悪意には何を施すことができるだろうか。
後ろめたさが無いわけではない。これはこういうものだと思ってしまった者はそこまでである。
言い訳でそこを取り囲んでも、上塗りは呆気なく崩壊している。
調子にのっている者は塀にまで積み上げてしまい、その上で何もできずに立ち往生する。
塀の中で守っているのはがらくたばかりで、やがて偽善的な顔をしはじめる。
「War & Peace」(曲, 坂本龍一/2004)HAS の演奏を、何度もリピート。
人が集まるところで、とても私的なところから生まれた意識を出す。
そうして純粋さは鍛えられる。

http://jp.youtube.com/watch?v=cAvq8MrfYcU&feature=related

木曜日, 11月 27, 2008

16:9化 + HD 末尾に &fmt=22 を

YouTube が 16:9 のワイド画面対応仕様になった。いままでのものは 4:3 の映像がほとんどだから、やや手持ち無沙汰感はある。
16:9 だと、テレビを流しっぱなしにするというよりは 映画館のように凝視してしまうところがあるように思う。無視することができずに、眼球が無理矢理引っ張られて、眺め渡らせられるとでも言おうか。
YouTube はそれだけではなく、高画質の HD(High Definition)にも対応しはじめた。恥ずかしながら、最近知ったのだが、HD 対応形式でアップしてある映像にアクセスし、URL の末尾に「&fmt=22」を入力して再読み込みしてやると、なんと HD 形式で見ることができるのだ。再生できるパソコン環境なども細かくあるかもしれないが、これがめちゃ綺麗!音も圧倒的にいい!恥ずかしながら、 Perfume いい!NHK で空き缶と踊っていたとき即座に録画しておりました。いや、これは本当にマジで綺麗。どっちが?どっちも!
YouTube は「小さいテレビ」のみであるという認識から、「大きいテレビ」にもなるという可能性も持ち始めたということだろう。

お昼にコンビニ弁当をチンして食堂に座ってみた。
前を見ると、窓は 16:9 どころではないワイドな比率だ。
これが綺麗でたまらないものになるかは、何をアップロードするかによる。
いままではあくまでもハードの話。
いろいろできるんだなと知りながら、ソフトは貧しいのが常。
ハードとソフトの両者が最良の関係になるには、かなりの研究努力が要る。

http://jp.youtube.com/watch?v=GmH0_qPiGwg&fmt=22

水曜日, 11月 26, 2008

どたばた症

「どたばた症」というものがあるとしたら、僕は確実に父方の祖母が持っていたそれを受け継いでしまっていて、要領が悪く血圧が急に跳ね上がり大損をする質 であろう。それを自覚はするが、治るあても無い。おそらく幾つかのことが頓挫して打ち上げられたとき、それをゆっくり数えることができる。それに懸けた い。そういうことをしみじみ思う。祖母は痴呆の防止にと絵を描いていた。確か、鳥を色鉛筆で描いていた。あれは図鑑を見て描いたのか。次回の帰省時にそれ を見よう。

タイ王国の情勢が心配だ。報道や情報サイトを見ると、反政府グループ 市民民主化同盟(PAD)らは、空港封鎖に爆弾騒ぎなど、方法を選ばぬテロリズム的である。しかしそれを鎮圧しようとする政府側も催涙弾の大量投下などで 負傷者を出してしまい、問題になっているようだ。そしてこれは想像してしまえるのだが、そんなことは他所にでもしているかのように日常の市民生活は変わら ず平穏に営まれているらしい。抗議行動が行われている所だけで騒ぎが深刻化しているような印象を受ける。これはあくまでも個人的に情報を読んだ限りだが。

あの、前に会ったことがあるかのような皆が、おそらく動乱を横目で見ている。
30年前、もう大昔に地面の蝋石を投げていたんだということを僕らは日本で聞いている。
何も変わらずに人々は美味しそうなところへ向かうだろう。
何も変わらずに皆で僕らと呼び、絵を描いているかだ。
突っ走る車の横で僕らはまたビールを飲んでいた。
ほとぼりの醒めたあとで、ここが爆発の中心地だよだなんて都合良く居たくはないと思う。
だからといってそこへ正義をかざしていかなくてはというわけじゃない。僕らはまた会うだけだ。

http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=7

火曜日, 11月 25, 2008

あえて・・・、寝るっ!!

「燃えよペン」(作, 島本 和彦/1990〜)は未読であるが、その教えのとおり

「あえて・・・、寝るっ!!」

を決行。
布団は怖いくらい やわらかく温かい。
夢のなかで夢を語るのだという言葉、反芻する。

月曜日, 11月 24, 2008

さよなら人類(静寂な混沌)

目薬購入。猫の鬱抱擁。さよなら人類。コンピューター毎日起動。一行も書こうとしない。精神と時の部屋の説明を読んだ。一生のうちに48時間しかいること ができないけれど、一時間が一年にあたるらしい。そしてこれはすっかり忘れていたが、冷たくて重力も強いという過酷な環境である。外部との連絡も絶たれて いる。しかし、ピッコロはテレパシーで話していたって。wiki は、便利だけど、たくさんの天才が記したものだと思うと「学がある」とは尊いことだなと思わされる。理路整然とした研究は推奨されなければいけない。むや みやったらだと、頑張れよくらいはもらえるだろう。インテリコンプレックスかよと笑われてもいい。「うまくやれよ」と自分に小声で話しかける瞬間のことを 考えていたんだ。理路整然の前には、意識があるんだ。ここはこうしたいという意識が。
混沌を僕は愛す。
同時に静寂に焦がれる。
静寂と混沌は対義語では無い。
だから、静寂な混沌を求めていることになる。
小難しい書き方はやめて、静かなカオス? だめだ学が無い。
なんだかよくわからなくなったということがわかった。
誰かの文章にあったぞ。これ!
wikiじゃあない!
「さよなら人類」(詞, 曲, 柳原陽一郎/編曲. たま、高浪敬太郎/1990)友部正人とたま!
目薬さす。だめだ泣ける。

http://jp.youtube.com/watch?v=TunJ0InRLFI

日曜日, 11月 23, 2008

自己カンヅメ

私の拡張子は健康状態と非常に密接な関係だ。
カンヅメ状態を自分から設けても、発想力や建設的な思考が育つとは限らない。
しかし、がっちり集中しないと進まない箇所というものも、確実にある。
夕食はココイチでカレーにした。この前、鶴舞で朗読の後に入った以来だ。けっこう行ってる計算になる。冬にもカレーはいい。
福岡氏が「月の夜 projector」というブログを立ち上げたと聞く。早速覗いてみる。
窓の外は既に暗い。
研究と制作と構想が同一化しようと惹かれ合い、凄まじい速度で衝突するという淡い期待!
必要な言葉だけしか残らないはず。

http://d.hatena.ne.jp/schwerkraft/

土曜日, 11月 22, 2008

MYRE

今夜は、WIRE じゃあなく、MYRE。身内内最大級のレイヴで、くたくたに踊った。あまりにも踊りが自由奔放なため、生理的な拒否反応を示す異性多数。Mな触手が照れてしまうのであった。
YouTube の語意は「あなたのテレビ」。
WIRE はワイヤー?そして、MYRE は、私の・・?

金曜日, 11月 21, 2008

snap

information です。
愛知淑徳大学と、名古屋芸術大学の有志らによる合同アートプロジェクト「snap」に出品参加します。

■「snap」
これは、愛知淑徳大学・名古屋芸術大学——2つの大学の出会いが生み出した、ちょっとステキな合同プロジェクト。
舞台は淑徳、星が丘キャンパス。
白い壁に囲まれた建物を、映像、絵画、オブジェ…ときにパフォーマンスが彩ります。
大学というある種の日常空間に芽生える、二大学有志によるアートプロジェクト「snap」。
いつもと違う空間が、見る人全てに一風変わった幸せをお届けします。
(案内文より)

開催日時・2008年12月1日(月)- 12月5日(金)12:00 -19:00
     会期中無休、入場無料
     (パフォーマンス作品の時間詳細は下記案内参照)
親睦会・2008年12月5日(金)16:40 - 18:10

会場・愛知淑徳大学 星ヶ丘キャンパス
   (星ヶ丘キャンパスが会場です。長久手キャンパスではありませんので御注意下さい。)
交通アクセス・名古屋駅より地下鉄東山線「星ヶ丘」まで18分
       星ヶ丘(3番出口)より徒歩3分
〒464-8671 愛知県名古屋市千種区桜が丘23

主催・愛知淑徳大学文化創造学部表現文化専攻 表現文化学会
問い合わせ先・愛知淑徳大学文化創造学部表現文化専攻
       052-781-1151(代) 学部等事務室
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出品作家、作品題、概要

syukutoku members
・A&C「無題」クレイアニメーション
・OZ「学生」立体作品
・古久根 幹「MICHELLE」舞踊
 (12月3日(水)4日(木)12:30〜12:40)
・なぞの世界いっしゅう劇団「なぞの世界いっしゅう劇団」人形劇
 (12月4日(木)5日(金)12:30〜)

meigei members
・杉山 和之/伊串 優浩「stain」映像作品
・江川 貴央/小田 祐輝「変景」写真作品
・小島 良介「イタズラ」映像作品
・小西 佐世子「stars」インスタレーション
・後藤 美香「pteratrip」平面作品
・佐藤 美代「untitled/覗き見野郎!シリーズ」映像作品/インスタレーション
・ムラシバアサカ(永下山由香/河村るみ/柴田さやか/谷村朝美)「ジグソーパズル」映像、パフォーマンス、紙芝居、詩/加藤聖子
        (12月1日(月)16:30〜/18:30〜)
・村田 仁「窓の前で」詩
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案内詳細 PDF(1.4MB)
http://jinmurata.jpn.org/301/101_information.html




雪が降っていたということが噂になっていた。部屋の中では暗くして、光を浮かばせる男女。
野外では火が焚かれている。画面の中にはまだ息づいていない。机の上も怪しい。
しかし何も思いつかない。今夜は猫の鬱に会うんだということだけを決めた。

木曜日, 11月 20, 2008

さようなら世界夫人よ

世界は がらくたの中に横たわり
かつてはとても愛していたのに
今 僕等にとって死神はもはや
それほど恐ろしくはないさ

さようなら世界夫人よ さあまた
若くつやつやと身を飾れ
僕等は 君の泣き声と 君の笑い声には
もう飽きた

世界は 僕らに愛と涙を
絶えまなく与え続けてくれた
でも 僕等は君の魔法には
もう夢など持っちゃいない

さようなら世界夫人よ さあまた
若くつやつやと身を飾れ
僕等は 君の泣き声と 君の笑い声には
もう飽きた

「さようなら世界夫人よ」(作詞, ヘルマン・ヘッセ <1941>、PANTA/曲, PANTA/1972)

凍えながら早朝に歩いたとき、しっくりきた。
ぶっ倒れる夜にも、歌っていれたなら最高だ。
艶かしく、挑みかかろうとするこの言葉!これぞ豊かなポエジ−だ。そう書くと、ポエジーとは逃げていこうとするものだが、この豊かさはそれくらいでは消え ない。的確に述べることができない僕の至らなさが浮き彫りになるだけだ。銃を取れ!と叫んだあとに この美しさを持ってくる頭脳警察は、世界への欲求を肌身を持って切実に感じている。だから、こんなに愛おしさを前に出して歌えるのだろう。知識や批評のみ で反体制を捉える者に、この歌は歌えない。

http://jp.youtube.com/watch?v=VnnS8lmgiYE&feature=related

水曜日, 11月 19, 2008

愉快な机の力を使え

身勝手なものごとがいつも互いにタイプされている
自分の思い通りに
動くとされている
机の上に慣れてしまった
実は何も起こっていないのに
起こっていると示してくれる
愉快な机
極端な言葉に振り乱され
大きな言葉も言えず
帰り道は嘘つきだ
ピロートークになって謝り出す
全ての欲望を先に呈示する力を、強引さではなく愛情として持っていれば、表も裏も無くなる
机の上には洗濯物が溜まるかもしれないが
それが構造である
本当に悪いものは
悪いものの顔をしていない
本当に悪いものは
ただ純粋に間違っているのだ
間違ったまま突っ走っているもの
それを引き止めるのは容易ではない
洗濯物の山が
前に表示されるよう、仕組む
愉快な机の、力を使え

火曜日, 11月 18, 2008

WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜

廃墟となった街を抜け、コンビニの空殻を抜ける。
内戦も無いが、向き合うことも無い。
ギャグか、狂気でしか実感の持てない社会。
いやそもそも、外から自分へ返ってくるものに名前をつけることが難しく、奇跡だった。
「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」(詞,曲、小室哲哉/1995)で騒ぐ。

http://jp.youtube.com/watch?v=Rx68TDfqcbE&feature=related

月曜日, 11月 17, 2008

金魚の埋葬

ドアを開けると猫が飛び出した。
帰ってくるまで開けてやらなければいけないので、このごろはとても寒い。
人間様は身勝手に動き回っていた。
どうして寝る間も惜しんでごそごそやっているのだろう。
よく分からなくなって、おかしくなっていたところに
温かい音楽が届いた。
それでなんとか
それよりもっと
動こうと思えたのです。

午後六時前あたり、亡くなってしまった金魚を皆で埋葬しました。
さっきまで鮮やかな赤色をしていたひらひらは、土の中で泳ぐのだと、夢を見ることもほんの少し、残酷なのは何の為だと机を叩かなければ、何もうかばれないでしょう。
猫が掘り返してむしゃむしゃ食べているか、根元に埋めた木が緑の葉を付けるか。
何にしろ、この世は何の感嘆も無く過ぎていくようなので、せめてもの音楽を奏でるかでもしないと、何もやっていけないだろう。
信じられるものはそれらの響きです。

日曜日, 11月 16, 2008

Train Colors

誰かの声をいつも待っていて、
誰かと確認したいのをいつも待っていて、
昨夜に流れていた波は去り、やがて音も無く夕方を迎えた。
地下鉄は青い。
家には帰りたくないと聞く。
その気持ちを理屈ではない方法で、広げてあげたい。
すぐに終電は無くなって、
朝になって乗り込んでもまだ青くって、
音が返ってくるのを意識すると、街が立ち上がってくる。今度は白の新幹線で家へ。
いや君には、ドクターイエローだ。
僕に、乗ったことは無いけれど。

土曜日, 11月 15, 2008

寄り道が、寄り道になるように

「旅する空間 庄司達 1968—1978」にて、8ミリ映像作品「浜辺にて」、「フレームについて」を見る。
いろいろ試しても、それについてしっかり何なのかを語ろうとしなければ、何にもならないと思った。
それを許さない姿勢が、作家なのだと思う。
夜遅くまで飲んで騒いだりしたけれど、寄り道が寄り道になるようにちゃんと帰った。

http://www.nua.ac.jp/prog07/details.php?key=975

金曜日, 11月 14, 2008

I nned you.

数えきれないやり取りは掃き掃除へ向かう高らかな宣言。
ムーンライダーズのカバーで歌う「I need you.」(原曲/ビートルズ/1573)。
そうだ。やっぱり一言で言えるんだよ。

http://jp.youtube.com/watch?v=qD8dZi1ShOs

木曜日, 11月 13, 2008

優秀だなと実感する

特急車両内で吸う煙草はとても美味しいらしい。
終わりかけの紅葉と、奥には雪のかかった山を望む一服も、また格別とのこと。
裸の女性を肩に乗せ、悪い社長を気取ってみるのも、そうかもしれない。
充電は満ちていなくとも、すぐに最近のは動いてくれる。
そして大丈夫ですかと何度も心配してくれた。
優秀だなと実感する。
果たして自分はそうだろうか。最終的には良かったと思えるように動いているのだろうか。
部屋はまだ散乱したままである。
出しそびれていた手紙は、メールに移行しても 下書きトレイに大きく「1」を表示しているだけだ。
星座占いは全てが当たっていた。
全てを読んだあと、自分にとって重要なことだけを覚えているので、それが全てになっていく。

最近、ますます書くセンテンスが短くなっている。メールを書くからだよと聞くが。確信は持てない。
「、」を相変わらず多用する。
誰かの詩を読んで、真似てみようと「、」で書いてしまうところを「 」にした。
そしたらなんだかおとなしくなってしまった。書くことが足りないと詩に言われたのだろう。

水曜日, 11月 12, 2008

ワインと言わん

いろんなことが終わって、いろんなことが始まる。
愚痴を言っては戻り、言っては戻り、勇気が無いんだよに辿り着いた。
最上階からは町並みが見え、晩には家たちが寝静まっている。
それは分かっていたことじゃあないか。
誰かが言っていた。
ワインでもビールでも同じ酔い方をしているうちはガキんちょだとも言われた気がする。

火曜日, 11月 11, 2008

お前らの作品は所詮コピーだ

CS4 が発表されても、誤字脱字を見つけるのは変わらない。

「お前らの作品は所詮コピーだ」
富野由悠季の言葉を思い出す。
熱い奴が熱くさせる。
優しい人が優しくさせる。
なーんて思う。
はやくモビルスーツに乗りたい!

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/31/news118.html
http://jp.youtube.com/watch?v=R6-X-IORvVo

月曜日, 11月 10, 2008

Hey Jude

「Hey Jude」(作詞,曲, Lennon-McCartney/1968)が流れる居酒屋で、メジャーなるものとマイナーなるもの、変わらず作り続けているものの話を聞く。
続けるためには、不足してはいけないものがあり、それを過信しても卑下してもいけない。それを具体的に現せるかしかない。見えるのなら、近づいていくしかない。
ここからは一人だよと言われるまでの桟橋がまだ見える。幾つかの島を渡って行く。船は大きくないけれど、オーケストラの皆が集まってきてくれたら嬉しい。

http://jp.youtube.com/watch?v=YXG83p2nkHw

日曜日, 11月 09, 2008

映画は所詮、光と影だと思います。

「犬神家の一族」(監督,市川崑/石坂浩二、松嶋菜々子、尾上菊之助、奥菜恵、深田恭子/2006)を市川監督追悼企画としてテレビで放送していたものの、録画で鑑賞した。
オリジナルのおおもと自体がパロディに思えてしまう。「ほほぅこれが、あの噂の場面ですな」と、名所を見学するようである。監督自身によるリメイクでもあ るので、オリジナルとは言い難いかもしれない。目を惹く場面とは別に、地味だけれど映画の感触を決める繋ぎが多くあるのだろうと思った。全体に上質感が満 ちている。それが、筋を追うだけではないものとして魅せてくれているはずだ。

昨晩の写真をメールで頂く。感謝。金田一みたいにフケを落としても慕われる存在になれたらいいな。公言したらなれないわけだが。
終幕後「映画は所詮、光と影だと思います。」という監督の手書き文字が映し出された。かっこいい言い切りだ。

http://www.inugamike.com/

土曜日, 11月 08, 2008

JR の高架下

関谷友加里カルテット × Kino Kugel、「シベリアからの手紙」in K・D Japon の、Opening Act で「夜の公園」という詩を読んだ。

暗転しても動きは止まなかった。
電車が走ると、涙はおさまった。
猫の鳴き真似をすれば、魔法にかかったように眠る。
JR の高架下は懐かしく、何度歩いても何かを思い出す。

http://jinmurata.jpn.org/301/101/siberiakaranotegami.html

金曜日, 11月 07, 2008

君からの手紙

君と僕の窓に、風が吹くころ
いつもより何も話さないことができる
君と僕の机に、茶碗が並ぶころ
いつもよりよく眠ることができる
君へ書くべき手紙をいつも忘れ
僕に書かれた手紙だけが溜まっていく
やがて日は熟し
何にも変え難く
何にも許せない
喜びと悲しみが
訪れていた
いまは、僕の声も、言葉も止まった
いずれ再来するほんとうの成すべきことに
立ち向かうときを知ったのだ
身体中に鳴り響く音楽をまとい、夜から帰って行くだろう
窓を閉めて
机を折り畳む
茶碗を洗う
手紙は机の中だ
引き出しは無い

木曜日, 11月 06, 2008

旅を剥き出しにしている姿

「ザ・ノンフィクション "路上"」(フジテレビ/2008)を見た。
三年間に渡る、路上生活者の記録。「旅」という言葉がどんどん出てくる。
はじまりは、新宿のテント村。十五年間住んでいた。
区画整理で追い出され、そこから旅がはじまる。
その方の名はオルカ。繁華街でパントマイムをして、その投げ銭で生計を立てていた。
その金でゴールデンバットを二箱、一升の合成酒を買い、朝までちびちびやるのが日課。
出身の北海道に戻り、道内を転々とする。
母親は、縄でくくって引き返しても、飛び出してしまうだろうと言う。
実家で二人、すき焼きをして、日本酒を飲み、その方は川辺に出ていた。川辺は子供のとき虐められて、逃げてきたところだった。旅立ちの朝、髭を切るようにと母は大鋏を持ち出して来る。危ないな、怖いと笑う二人。長い髭は短くなった。
家には帰れない。ここにいることはできない。
やがてホームレス支援者の力により、アパートへ入居させてもらう。集団生活に合わせられず、酒癖も悪く、そこを出てしまう。また誰かに別のところへ入れてもらう。旅は、居場所を探す行為だった。
三年後、新聞配達をしながら酒もそこそこに、その方はやっていた。
いまは屋根と布団のあるところで、誰にも怒られることなく眠れることが一番の幸せだと言っていた。長い旅の疲れを癒すように、いまは眠りたいと言っているのと同じだった。
眠るときもある。次の旅のために。そして旅のかたちもまたそれぞれだ。
番組はそんなふうに終わる。
その方の夢がどういったものか、そこには迫っていなかったが、旅を剥き出しにしている姿で充分だったのだろう。
ニュースに変えると、奇しくも小室氏の詐欺についてをやっていた。

水曜日, 11月 05, 2008

お茶の水駅前から、名古屋の地下鉄まで

投げた石の先は覚えていない。
地面のろう石をひっぺがしたこと。
覚えているのはその先駆け連中の後ろにいたことで、あとは付随して補完する記憶だ。
石はおそらく重たかった。
朝にも、夜にも、重さは無かった。
掴みとるための握力があったのかどうか、わからない。
いまの僕にあるのかも、わからない。
けれど、握力の存在、それについてなんとか補完している。
どこまでの感触であるかは不明だけれど、メモリか努力か何だかわからないが構造を保っている。

火曜日, 11月 04, 2008

構想のために

夜にかけて、床をひっぺがす。
わらわらと湧いてくる線をひとり引き込み、伝達がうまくいくようにと口へ繋げた。
書こうとしていた言葉がプツリと消えて、何も聴こえなくなった。
いろいろ無理、いや無茶なことを想像した。
頭が、感覚が、そこまで拡張していくかは全て自分の行動に懸かっているのだった。
床を踏みつけて元に戻し、何も無かったようにすました顔でタイプを続けようと試みる。
外に出たら、またプツリと息絶えるようで恐ろしい。

月曜日, 11月 03, 2008

アニメーションの浸透

名古屋大学で開かれた「みんなで育てるアニメーション」を見に行く。常設展示とは別にプログラム上映や、ワークショップ、アーティストトーク、レクチャー 講演と幅広いフェスティバルイベントだ。常設展示されていた「DOTMOV FESTIVAL 2008」の上映作品をほとんど見た。未評価の新進作家を扱う特集だが、誰でも若手なら扱うという内容ではなく、斬新かつチクチクした映像という意図を 持っているようだった。上映後、アニメーションのワークショップからなる ものづくりの広がり方についてを聴講する。ちょうど、いま差し迫っている仕事と内容を重ねてしまう。僕にはテクニカルな側面が欠けていると自覚するが、 「間」「テンポ」で勝負しなければと思う。それと、明快な要素も。媚びるようなキャッチー性ではなく。
今朝、中山氏の車に乗せてもらったとき、車中に KREVA の音楽がかかっていた。「ポップなものを、アングラミュージシャンはもっと聴いてもいいはず」という話を聞く。それは清々しい攻めの姿勢に感じられた。今 夜は、駅の構内で食事とコーヒーを少し飲む。一時間足らず、ここのところの動きを話す。

http://animationtapes.sakura.ne.jp
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2008/11/dotmov_festival_2008.html
http://blog.alt-nagoya.com/

日曜日, 11月 02, 2008

僕が自然に準ずることができるならば

はじめてのようにさわることができたらいい。
君が描いた生き物を、僕が登場させる。
軽いようで、重い仕事。見た目はとことん軽く行こう。

福岡食堂、再宴。昼間にクロワッサンで読んだばかりという水炊きの鍋が美味しい。
眠りのなかでは、誰かに触れるところだった。
君が描いた生き物は、自然に登場するだろう。
僕が自然に準ずることができるならば。

土曜日, 11月 01, 2008

土田よし子も赤塚不二夫のアシスタントだったのか!

「これでいいのだ!!赤塚不二夫 伝説」(フジテレビ/2008)の放送を見た。再現ドラマとゲストインタビュー、アニメ映像を交えるという構成で、先日の NHKの特集よりも雑多なつくりは否めない。けれどゴールデンタイムに追悼番組が流れるということ。赤塚りえ子さんら、家族に近づいた視点など、貴重な側 面は多い。トキワ荘時代、居候して支えてくれた母親の存在。テラさんの存在も大きく取りあげられていた。当時の、上京するという仕事はいまよりも苦労のあ ることなのかなと思う。いま、母親も上京してきているケースは少ないのではないだろうか。
悶々と苦しむ蛍雪の時代を、誰もが思い出している。
しかしたとえ貧乏でなくなっても、苦しみは続くようだ。
百円足らずの袋パンを齧りながら僕は床に着いていた。

金曜日, 10月 31, 2008

力の根源

図工室に降り注ぐ朝の光。
それに高速で向かう海の Yeah!
ゴミ溜めの晩に、欲望の比喩をまさしく生クリームにされた。
使えないのはケーブルだ。HDMI じゃない。VGA だ。DVI からと、口頭では読み取ることが困難で、電話では行方知らずになりがち。
明け方にバブルは弾け、ハロウィンはスリラーを待つ。
給食前の握手。
君は動きと動きの間に、力の根源を見た。
聞こえるのはモーター音。波間をつくり、光をもたらしている。

木曜日, 10月 30, 2008

文章にとっての食事とは何か?

ちゃんと食事をしておかないと、今日の激動には耐えられないぞと考えたのは正しかった。食べなければだめだ。歯医者にも、耳鼻科にも、税金も年金も、猫の 餌もちゃんとしないと悲しくなっちゃうから。だめだ。そこからなぞっていくといまの状態は相当に泣きわめいていてもおかしくない?・・いや、いつでもきっ とそんなもんだと思いながら、大丈夫さと気楽な長男を気取ってきた。こんなことを書いている時点でリアリティは無い。文頭だけが本物で、ちゃんと食べたか ら一日動くことができたという実感はある。文が進んでいくと、いろいろ言葉遣いが怪しくなっていく。だからすぐに言い切ってしまうことができるなら、それ にこしたことは無いんだ。一日の終わりと始まりの区別が要るように、文章にも区別が要る。すると、文章にも食事が要るのであろう。文章にとっての食事とは 何か?

水曜日, 10月 29, 2008

ユニクロック

哀Phone と 愛Phone の間を行ったり来たりしている我が端末。財布については惨劇が続いているが、それとは裏腹に見ているものは華やかになってきた。ユニクロが 「UNIQLOCK」(UNIQLO/2008)というアプリケーションを発表した。アプリ以前に、この楽しい仕掛け時計を僕は今まで知らなかった。賛否 両論あろうが、話題を集めるデザインだ。見事なイメージ戦略であると思う。
深夜、机の上に書類をぶちまけて一息つくとき、ぼーっと見るにはテレビより夢を見させてくれていい。ダンスの内容云々よりも、音と映像を時計に乗せるという発想が楽しい。それにちゃっかり、ユニクロの服を着ているなんて!

http://www.uniqlo.jp/uniqlock/

火曜日, 10月 28, 2008

悲しくもないのに心が泣く 可笑しくもないのに心が笑う

「何だ?このユーウツは!!」(詞, 鈴木慶一、鈴木博文/曲, E.D MORRISON/1986)聴く。なんか飛ぶ。どっか飛ぶ。

http://jp.youtube.com/watch?v=NSR_HQM6vQY

月曜日, 10月 27, 2008

崖の上のポニョから・2(夢)

「プロフェッショナル・スペシャル -宮崎駿の全て ポニョ密着300日-」(2008年8月5日放送分/NHK)の再放送を録画しておいたものを、晩に見て号泣してしまった。
ポニョは黒沢明の「夢」(1990)のように、宮崎駿の意識、存在に強く懸けて徹した作品であった。

あらゆる批評、感想は自由であると同時に、作家の努力には最大の敬意を払わなくてはならない。
このドキュメントは、最大級のアニメーション監督が成し遂げた最大級の仕事っぷりを撮っている。
ドラマや筋書きに泣いたのではなく、その仕事をしている姿に泣いたのだ。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.html
http://yaplog.jp/jinm/archive/1873

日曜日, 10月 26, 2008

後少しだけがある

交流は誰のものでもない。
故に祭りも世界も誰のものでもない。
だが、だからこそ誰もが私のものにしたいのである。
夜も、朝も、人は作り得ることを求めた。
記憶の中でそれは擬似的なものから本当の体験にすり替わるだろう。
きな臭い現実の制限は、何も大切にはされないだろう。
恥ずかしがり屋という店を考えた。
客との言葉をどこに設けるかで、右往左往する店なのだ。

すぐに祭りなど終わって、世界も終わる。いまは、後少しだけがある。
犬山のキワマリ荘に展示を見に行った。世界を あり余らせるか、強く欲し続けるかは私に寄るものだけであった。

http://honeya.hp.infoseek.co.jp/

土曜日, 10月 25, 2008

ブランデー・ランデブー

先住民族の来襲。「祭りと言えばジャンベでしょという間違えた判断で来たんですよ」と長髪の彼は言った。いや、謙遜しなくても、それは何も間違っていない。間違いだらけの〜は、基軸が実はどこにも無い。

「ブランデー・ランデブー」(詞, 藤井一喜、村田 仁/曲, 藤井一喜/2008)

夜 夢見るために 昼間働き続ける
夕方 太陽さよなら さなぎから 孵化した蝶
昼間はずっと背番号 夜はせつないお名前
砂上の楼閣 知ってて 今夜も明けるよパンドラの函

ネオンの灯りで輝く 誰もが羨むブランデー
蛍光灯の下では しびれてくれれば おかまいなしさ
何てブランド? 何てブランド?
ランデブランデ ランデブランデ

いつでも時代は変わる ディランが歌い続けてる
デモ行進おつかれ したたか逃げろよ ハチマキさん
お前を誰も買わない お前は誰にも売らない
いつでも昔は良かった それじゃ終わりよ 鉄管ビールだ

ネオンの灯りは何処へ 誰もが疑うビートニック
偽善者ばかりを集めて ブルジョワ気分に浸ろう
蛍光灯の明かりじゃ 輝かない 輝けない ブランデー
何てブランド? 何てブランド?
ランデブランデ ランデブランデ

夢見たくて 昼夜逆転
夢に追われて 昼夜逆転
実は自由さ 敵も知らない
アメリカですか この騒ぎは
ヒッピーもどきを 吊るしあげりゃ
ランデブランデ ランデブランデ
"早く、踊るんだ"
Fifty One!
Fifty One!
Fifty One!

金曜日, 10月 24, 2008

ブラックスカイ、ブルースカイ

僕らが流したのは、血ではなく、雨。
やがて流すものは、血ではなく、酒。
それからは流したくはない。
起きて、暫定的に走らせたかったけれども、それで彼女達は納得しない。これまでに触れた世界中のあらゆる空の化身を、覚悟しているのは彼女達なのだ。だから僕らは力を合わせ、ゴミ袋で黒い空を、ブルーシートで青い空を作った。
夜を我らに。
それが明け方に Early Fifty One が歌った三曲目だ。バーにはオスカー・ピーターソンがよく合うだろう。チャイナドレスで決めた徹夜麻雀も、バーテンメイドさんの図もある。三線で十九の春も。
恋や愛もおそらくあった。
僕らは目に見えないものを流している。
空には何もしみ込まない。
夜と朝を見た水が、帰って行くところだ。

木曜日, 10月 23, 2008

だんだん世界がとじてゆく

かつて「世界の縮図」と私が呼んだ祭。それを自讃しながら、今年も迎えた。
類に漏れず縮図であった。
超管理社会、先制封じ込め体勢が敷かれている。
自治などは有名無実の代物で、あらゆる迎合に誰も逆らえない。何が必要なことか、誰も一人ではわからない。
そんな地表の上の 60億などおかまいかなく、天から強い雨風が容赦なく降り注いでいた。
板とテントハウスで、難民収容所のようなユートピアを建ち上げるためなら、ずぶ濡れにでもなる。
これは「だんだん世界がとじてゆく」だと思った。
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僕らが世界の果てにたどりついたとき
僕らはどこへ行けばよいのだろう?
最後の空がついに尽き果てたとき
鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?
草木が最後の息を吐ききったとき
どこで眠りにつけばよいのだろう?

僕らはそのわずかな血で
僕らの名前を記すだろう
僕らはその翼をもぎとり
僕らの肉がうたう歌をききながら
その命を終えるだろう

最後に残されたこの小道の上で
そう ここで この土地で
僕らが流した血のうえに
ここからもあそこからも
オリーブの樹がなるだろう

「だんだん世界がとじてゆく」(原詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳詩:イルコモンズ)

http://illcomm.exblog.jp/7210465/
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200808102211.htm

水曜日, 10月 22, 2008

アニー・ホール 再び

また「アニー・ホール」(監督,ウディ・アレン/ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ/1977)を見た。
一人で、チャプターをスキップして斜め見をしても、グッときてしまう。
鑑賞者に向かって自嘲的に語ってくるのは、ウディ・アレン演じるアニーの心境だが、男女関係のなかで、このような独り語りは男だけに限らずあるものだ。馬鹿みたいに思えて、もう一人の自分に話しかける。そういった可笑しみが輝いている映画だと思う。

http://jp.youtube.com/watch?v=EfKCYRsUnnQ
http://yaplog.jp/jinm/daily/200701/27/

火曜日, 10月 21, 2008

いつか

昨日に追記する今日なり。
早川義夫の音楽のことを書こうとすると、言葉遣いが真似をしているようになる。意識をしてみても、そこに行き着くと とても座りが良い。素人の感想文だと言えばそれまでだが。作り手の言葉は強い。そして特に氏は、自分の気持ちを最も批評的に語っていると思う。「批評家は 何を生み出しているのでしうか」(2002)という歌も歌っていた。既に語り、批評できないところへと歌っていくのがその音楽であった。
こうも YouTube で簡単に聴けてしまうことにためらいもする。「いつか」(1994/「いい人はいいね、音楽が透き通っているもの。」2002. 8. 29 南青山マンダラ)に震える。
あらゆる感情の形容できないもの、雄弁に語ることよりも、歌うことへ。これは熱だ。

http://jp.youtube.com/watch?v=pmmt6TtAMgI

月曜日, 10月 20, 2008

あの娘が好きだから

「 I LOVE HONZI 」(早川義夫 + 佐久間正英 + HONZI /2008)愛聴。
のびやかできれいで強い。
いろんな願いを歌う。
気持ちのままにあらわれる音と言葉。
そのままにあらわすための動きはとてもシンプルだ。

YouTube に早川義夫のライヴが追加アップされている。
「あの娘が好きだから」(「いい人はいいね、音楽が透き通っているもの。」2002. 8. 29 南青山マンダラ)。はじめて聴く。かっこいい。

http://www15.ocn.ne.jp/~h440/
http://jp.youtube.com/watch?v=_0b3QZ1GkU0&feature=related

日曜日, 10月 19, 2008

オタク映画の巨塔

テレビ放映時に録画していた「キサラギ」(監督, 佐藤祐市/小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之/2007)を鑑賞。終始、にやにやと楽しむ。良い脚本と良い俳優陣。ネタは賞 味期限がありそうな題材だが、映画自体は衰えることのない良い舞台になっている。ネットのオフ会を描いた映画という意味でも新鮮だった。
それから、MacBook の新しいラインナップを鼻息荒くしながら見る。こういうデジタルオタクの映画っていうのも面白いかもねと自嘲的に思い浮かべる。小栗旬は格好いい。香川照之はいつも良いなぁ。

http://kisaragi-movie.com/

土曜日, 10月 18, 2008

実は一点素心で

日本でも韓国でも暮らしはたいへんだ。住めば都だよとは、言うのは易し行うは難しだ。
猫の鬱を撫でる。トイレを奇麗にしてあげなきゃ可哀想だと怒られ、その通りで眉をしかめる。
午前中にまたもやの事務的な対応に呆れ、呆れるだけ損なので、隙が無いように完全な動きで対応するしかないと決め込む。あらゆる可能性に対し、深夜放送でやっていた 007 のように。第十作目をテレビでやっていた。どれだけ人が死んで、セックスが正気でやれているんだ。恐ろしい映画だ。
いや、007 のように完全なアクションでやってのける。その点だけ意識して。実は一点素心で。どこの国でも、お金あってのものだねだが。

金曜日, 10月 17, 2008

オルマエヨ?と聞く声

最終日。朝八時から行動開始。速攻で南大門に買いそびれたものを求めて。石焼ピビンバムと納豆汁を裏通りで食べる。そろそろ食べ残すことに抵抗も感じなくなってきた。
四年前に来たとき、南大門はまだあった。それが放火によって全焼してしまった。今年の二月だった。犯人の詳細は知らないが、韓国にも貧富の差や、都会生活の狂気性が起こっているのだろうとやはり考える。いまの南大門は壁で覆われ、中が少し覗き込めるようになっている。少し覗いたが、ほとんど無いように見えた。残念だ。
ソウル駅横のロッテマートに行く。駅の回りにはホームレス風の中年と老人が赤ら顔でふらふらしている。ロッテマートに入ると、裕福そうな買い物客が大きなカートを引いていた。
チェックアウト。荷物を預かってもらい、Gorg とソウルタワーのある南山に。ケーブルカーで行く。速い。あいにくの曇り空で霧も出ていて、市内を見渡すことはできなかった。それと、タワー周辺のフェンスというフェンスに南京錠がめちゃくちゃ取り付けられていて、向こう側を見ることが難しくなっている。何これ?と、よく見ると、どうもカップルが愛の証に取り付けていくのが流行っているらしい。テレビドラマでそういうシーンがあったらしい。二つの錠前を取り付けて、鍵をお互いが持っているようにするとか。ハート型に並べてあったり、互いの名前や甘い言葉。プリクラなども貼ってある。どこも同じやなぁ〜と呆れてみる。フェンス横に看板があり「もうこれ以上鍵を付けないで下さい。フェンスが鍵の重みで倒れるかもしれません」とハングルと英語で書いてあるのに笑った。その鍵フェンスの前にて、Gorg の買ってくれた餅菓子を食べる。彼が撮ってきた韓国の写真を見る。ケーブルカーの乗車券は往復で買ってたけど、帰りは歩いて降りた。時間ちょうどにホテルの前に着いた。僕たちはハグをして別れた。迎えの添乗員さんが早くして下さい〜とマイクロバスの入り口を案内している。

仁川空港、六時半の便。ATM が空港内に無く、持ち金が少なくて困る。日本円も使えるカフェで軽食。店員の女の子は完全にアルバイトで、友達感覚で対応をしていた。でも怠慢という嫌な感じではなく、楽しく仕事をしている学園祭のマジメなお店という印象で可愛く感じられた。食事済みのトレイを返すときに「マシッソヨ」と言うと、笑顔で答えてくれた。
またね!とテュウース!
飛行機の中で、明洞での待ち合わせに間に合わせなきゃと焦る夢を見た。
オルマエヨ?とゆっくり聞く声も響いていた。





木曜日, 10月 16, 2008

龍山、忠武路、宗廟、北漢山、弘大

全日フリーのソウル歩き回り。昨晩、食事のときに教えてもらった龍山駅近くにあるというスパを朝攻めする。オンドル式で温かい階を裸足で歩き回る。渡されたシャツとトレパンで良いというのが楽しい。サウナや仮眠室では人がごろごろ死んだように転がっている。ソウル市民の激しい生活の分だけ、激しい休息が行われている。キムチとオンドルで彼らの体力は養われているのだろう。僕はピラミッド内でウトウトした。
Gorg と合流し、忠武路 という小さな印刷屋がひしめきあっている通りを歩く。そのまま、北上してかつての秋葉原のような電子街を抜ける。ここにナムジュン・パイクもパーツを買いに来ただろうねと話す。
お年寄りだらけの公園を過ぎると、宗廟(チョンミョ)という朝鮮王朝の王様達の霊を守っている建物群が出てきた。入場料1000ウォン。韓国の中学校、修学旅行生らに紛れて見学。みんな髪型が決められているのか、女の子はパッツンのワンレンである。眼鏡も流行か、みんな四角い。太った子をほとんど見ない。食べるものにはあぶれているけれど、韓国料理はヘルシーなのだ。
Gumhee と合流し、北漢山を登る。夕刻からなので、途中まで。暗くなってきたところで引き返す。下山して ソジュを飲みに行こうと、バスで Gumhee の大学近くの繁華街へ行く。ソウルの北東から南西に突っ切ったことになる。バスはジェットコースターのように激しく揺れて恐ろしい。チェーン店ばかりになってしまったという通りを回って、内蔵系専門の鍋屋に入る。小さい構えで混雑しているのが良い。食道を煮た鍋とソジュで乾杯。この食道が最高に美味い。臭みとコクが深い。そこにスッと切れるソジュが爽やかに合う。マジでマシッソヨ!
アイスクリームを買い食いしながら大学のスタジアム席に座る。酔いも回ってきたところで帰ろうということに。明日は Geumhee が来れないから、プリクラを撮る。機械は日本のを完全ハングル翻訳してあった。モデルさんも韓国の女の子になっている。さすがだ。撮影後、店員のおばさんが切ってくれる。シートでコーティングを施してから、裁断機でザックザック。凄いや。慣れた手つきで四分割してくれた。





水曜日, 10月 15, 2008

アニョハセヨとグーテンターク

四年ぶりの韓国、ソウル三日間の旅。初のツアーパック。二回目のソウルだ。Gorg と Geumhee に会う。Energetic Extension. のときの面子は欧州への留学とメアドが分からなくなってしまっていた。Jimin は、ロンドンで二回目のオンライン展を開いていて、案内が届いていた。
午前中のフライトでお昼に仁川国際空港に着。四年前はこんなにソウルから離れていたか覚えていない。帰りに Pyo と Jion に車で送ってもらったのは覚えている。あれはビデオに撮っていた。
ツアーのマイクロバスで空港からソウル市内へ。高層ビルの間を押せ押せで車が走っている。そこに突然の警報と交通が停止。ガイドさんは、訓練とだけ答えた。「避難訓練か?ぐ、軍隊か?ガイドさん!」とおじさんが聞く。「毎月15日の午後二時には、三十分間戦争に備えての民間防衛訓練があるのです。皆さん、良かったですね。訓練ができて。」と冷めた冗談を言うガイドさん。車を端に寄せて戦車が通れるようにするとか、空襲に備えた動きとかいろいろあるのだろうが、実際のところは、外に出ないようにしたり、こうして交通が一時停止したりするだけになっているようだ。しかし、毎月の訓練は、韓国が休戦状態であることの証であるし、意識下に深く根付いているのだと思う。海外経験の長い韓国の女性らは、男性がやっていることだからよくわからないと答えていたが、そんなバランスで展開している。

ホテルのロビーで Gorg と Geumhee に合流。二人は既に韓国入りしていて、田舎もたくさん廻っている。今回、僕らは光州ビエンナーレに行きたいと考えていたのだが、遠くて難しいと取りやめ、ソウル市内での周遊に全力を尽くすことになった。
初日は着いた頃には四時だったので、南大門市場で買い物。カオスな間を行き来し、帽子やら鍋やらを物色。戻って、コリアハウスにて韓国料理のバイキング。Geumhee の高校の友人ら女性四名と席を共にした。
Gorg は変わらず気さくで紳士だ。僕は眠気に苦しんでいたが、韓国の友人らとの合流により目を覚ます。三十代前半の彼女たちはそれぞれ働いていたり、結婚を控えていたりした。食事を終えた我々は明洞のカラオケに行く。K-POP も J-POP も備えている店内は、客と店員の見分けがつかない。上田正樹の悲しい色やねをかます。大阪の海をソウルの海に変えて歌うオヤジ性はなんとか自重した。でも彼女らの一人は大阪に行ったことがあるらしいので、丁度良かったかな。
Gorg のリクエストで 上を向いて歩こう を二人で歌う。なんだか泣けてきた。




火曜日, 10月 14, 2008

「シベリアからの手紙」Opening Act にて

information です。
「シベリアからの手紙」
関谷友加里カルテット × Kino Kugel
即興とオリジナルの作曲、振り付けによる、音と動きの響宴。
Opening Act にて、詩の朗読をします。

日時・2008年11月8日(土)
開場・17:30 開演・18:00

会場・K・D Japon(ケーディ・ハポン)
   名古屋市中区千代田五丁目12-7
料金・予約 1800円、当日 2000円
※入場時に1ドリンクオーダー500円が別途必要になります。

【Opening Act】村田 仁(詩)
■関谷友加里カルテット
関谷友加里(ピアノ)森定道広(コントラバス)
橋本達哉(ドラムス)前田実(アルト&バリトンサックス)
■Kino Kugel
PECO(ダンス)円(ダンス)コマツアイ(ダンス)


ごはんを食べる姿と、葉書を渡しに、おしめをかえて、一睡もできずに、何が何だかわからなくなり果てそうになって。でも、本当は嬉しくて仕方ない。

月曜日, 10月 13, 2008

絵は詩と違って、一瞬なんだよ

池下のライブハウス「源」にて、斉藤哲夫のライヴを見る。70年代から歌い続ける URC発のフォークシンガー、若き哲学者、斉藤哲夫。
ライヴ後の打ち上げに、当時からのファンの方々と同席させて頂く。知識だけの自分には、とてもじゃないがついていけないけれど、それがまたたまらず良かった。
斉藤哲夫さんに、詩をまとめた作品集を見て頂く。
プロとアマの違いや、絵は詩と違って一瞬に伝わるということ。洞察は鋭く、胸元に向かってきた。
帰りは「バイバイ・グッバイ・サラバイ」(1973)を口ずさむ。人通りも気にせずに。

http://jp.youtube.com/watch?v=A86Orq-n88I&feature=related
http://live-gen.musical.to/

日曜日, 10月 12, 2008

常滑フィールド・トリップに共鳴(?)するかのタイミングで

朝ご飯をしっかり頂き、長男はまた電車で発った。向かうは伊勢湾をぐるりと回っての、常滑であった。船なら40分のところを、二時間ほどかけて移動。金銭面と、そこまで急いでいないという時間的判断からそうした。空港へ急いでいるときはいいだろうけどなぁ〜とぼやく。
駅から歩き、臨海緑地と呼ばれる人工海岸へ。送られてきた告知メールによると、永田氏率いるニュースペーパーズが、いま常滑で行われているまちなか系アー トの展示「常滑フィールド・トリップ」に共鳴(?)するかのタイミングでライヴをやっているらしいので、それを聴きに。こっちでいいのかと不安になりなが らも歩いて行くと、ドラム音が聴こえてきて、サークル状に組まれたバンドが出現したではないか!
おおっ!と驚き、唸りながらデジカメで勢い良く撮影する。
音楽も絵面も即興的でカッコイイ。
何よりも良いと思ったのは、客に媚びない姿勢である。
弾いている顔が良い。顔で弾いているとは鈴木氏が敬愛するミュージシャンに言った言葉だった。そうだなと思う。すると、そこに常滑在住のアフリカ人らが二人やってきて、ジャンベやボンゴに参加する!
まさかの素敵なロケーションに満ち足りた気持ちになった。
楽しいので、予定時間より砂浜に長く居過ぎてしまう。
展示も見たい。
まだライヴは続いていたが、展示を見ていないという面子の車に乗せてもらい、アートスペース rin へ。展示の案内地図を貰い、福岡氏らとも合流。歩いて、散策のようにまちなかに散らばっているアート作品を見に行く。
横井彰氏の「絵を描く」は、常滑商店街に住まれている方々の顔を絵に描き、紙を民家の部屋中に貼り出した展示で、ストレートな表現が憎めない。いろいろ美 術とはなんたるかという講釈をしようとしても、作家の純粋な気持ちを見せられると「その姿勢を否定するわけではないが」と、確認したくなる印象だ。描く思 いをそのまま言葉にできるかが問われるだろう。
その近くで展示している 伊藤正人氏は「note house」という作品で、言葉を用いている。彼の作品はアートフェチでの個展から続けて見ているが、今回も言葉で絵を描くという形態が続いているように 感じられた。具体的に稜線や町並みの形状をしていなくても、言葉で壁を満たすときに、そういった操作は現れてくるようだ。日が落ちてからの鑑賞だったの で、蝋燭を手に取って壁面を照らしながら言葉を読む。それは泳ぐような感触だった。夜の海は怖いが、どこか温かい。

横井氏の車で、夜の人工海岸へ戻る。ライヴが見たいと彼は飛ばしたが、着いた頃には既に撤収作業をしているところだった。コンクリに座って缶ビールを飲んで、歩いて帰る。十月の海だが、寒くはなかった。

http://www.rin2005.com/blog/schedule/index.html
http://royalbluemountain.blogspot.com/



土曜日, 10月 11, 2008

出会いということの不思議さと、猫のラムが好きな男と

それは重く苦しいものではなく、広く解き放つ決意だ。
気付いたときには人生はいつも半分以上を過ぎている。
なんて格好良いことを言えるような柄ではないが、兄弟も、姉妹も、肉親も、義理の親も、友人も、みな意識をする。
こんな海辺の、陽がそそぐ式場にでもいたら。
その後の宴は知らない。
ただ、僕にはビデオとスチルのカメラを交互に切り替えることが仕事だった。そのニッチに食い込むことが自分の意識だと既に確信してやってきているのは自分の心境に向けて、言わずもがなだ。
おめでとうおふたりをまた詠む。
何度でも意識を確かめていい。

金曜日, 10月 10, 2008

あの人は寂しいんだなと思われたら悲しいよねという話を聞いた

火の車で急行に逃げる。何がなんだか判別できない状態が続いてしまっていて、甘え過ぎたり、強がったり。でも最後にはご勘弁を願う情けなさで、転がり倒し て八起きを狙う所存なり。そんな本音はすぐに見抜かれているようだ。あの人は寂しいんだなと思われたら悲しいよねという話を思い出し、意識し過ぎて恐くな る。
パソコンに齧りつこうとしていたところに声をかけて頂き、連日連夜のご馳走にありつく。酔いながら終電で帰省。着いた頃には日を超えていて、酔いもすっかり醒めていた。

木曜日, 10月 09, 2008

Early Fifty One

鰻をご馳走になった。
瓶ビールも二本。ひつまぶしにして一杯。
単身、顔を赤く火照らせて、ブルースを一曲頂く。
書き下ろしの歌い初め。
Early Fifty One と決める。
ディランとビートルズについてを聞く。録音して、なかなかに渋いなと更に悪酔いす。

水曜日, 10月 08, 2008

Keep on Rockin そんでそんで

奈良美智のTシャツに着替えて頑張る。
しかしこれが我ながら似合わない。トイレに行く度に鏡の前で、こっ恥ずかしい。
ロッキン・オン ジャパンフェス2002 のシャツで、Keep on Rockin と書いた紙を持っている女の子が目を光らせてるやつで、キバもちらっと覗かせてる。気持ちは Keep on Rockin ながら、スカッとした仕事ができずにはいたけれど、エンジンはかかった。
夕食は、豚骨ラーメンと餃子に御飯で 650円という安い定食屋でとって、お腹も膨れたしね。
ほかにもなんかいろいろあった気がする。
寝る前には何か聴きたいな。

http://harappa-h.org/AtoZ/modules/popnupblog/index.php?param=2
http://jp.youtube.com/watch?v=020ALWgw7QQ&feature=rec-fresh

火曜日, 10月 07, 2008

芸術の柄

ぼんやりと「アキレスと亀」の場面を思い出す。途端に死んでしまうこと。またすぐに諦めること。弱さと崇高さ。あの残酷な物語は夫婦愛でもなく、身勝手な画家を志す、甲斐性のない男の話だ。
芸術とは何だと暴れる日々もどこかで醒め、財布の中に何も無ければ絵の具ひとつ買えない。電気が止められてしまって、何も書けなくなる。ああいやだ。そん なのはいやだよお。という苦しみから、逃れる方法がただ就職しろとかそういうふうにも思えずにいる。どっちつかずで、あっちへふらふらこっちへふらふら 行っているようじゃあ、絶対にだめだ。縛られたいならMですと公言し、詩を書いているなら詩人だと名刺に刷ろう。あの世に逝ってしまった人たちのことは、 知っているところまでしか言えない。むごたらしい方法で生き延びている奴のことは、いくらでも馬鹿にできる。馬鹿にしたあとで、いつかどつきまわされる。 ペィンティングナイフで刺されたら痛くて、そのままうずくまると思う。それはさけないと。世界では祝杯と暴動が起きているようであり、体内では衰退と欲望 が渦巻いているのである。泣き言は言わない。全てそのままのシンプルな構造に落とし込むことを、ただ私が成せるかである。絵を描いたり詩を描く時間がまだ こんなにあるでしょう。

月曜日, 10月 06, 2008

俺は飛べない

何一つ、どこにすらも俺は決めることができない?
手を抜いたら終わりさと格好をつけたところで。

「モダンラヴァーズ」(作詞, 鈴木博文/作曲, 岡田徹、鈴木博文/1979)で今夜を超えろ。

http://jp.youtube.com/watch?v=o9UGoLY4Ln4&feature=related

日曜日, 10月 05, 2008

おめでとうおふたり・二〇〇八年十月五日

ふたりは玉砂利ふみしめる
意味があるとされた声を
前にした

猫が眠っているうちに
鳴き声が聞き取れないんだと
彼女の家に尋ねることができれば

ロビーからその事情を回線越しに通す
さっきまで隠れて小走りをかましていた男が
座して、言った
小さいけれどしっかり聞き取ることができた声だった
おめでとうおふたり、と

※題は津坂 治男氏の同名題詩より引用

土曜日, 10月 04, 2008

やり直したい

「トウキョウソナタ」(監督,黒沢清/香川照之、小泉今日子、井之脇海、小柳友、役所広司/2008)と「アキレスと亀」(監督,北野武/北野武、樋口可 南子、柳優怜、麻生久美子/2008)を続けて映画館で見た。終わった頃には四時。嫌な疲労感は無く、不思議な達成感があった。
一色担に語ることは間違っていると言われるが、今夜の映画体験は繋がっていて、それはそっくりそのまま自分に向かってきていた。
「トウキョウソナタ」は丁寧に綴られ織られた美。「アキレスと亀」は絵の具をぶつけた美だった。なんてそのままの感想だが、どちらにもその実直さに涙した。
最後の最後で人は残念な存在にも、貴重な存在にもなる。その紙一重を見る。
「アキレスと亀」の後半では、ずっと笑い泣きに近く、荒っぽい乱雑なプロットの映画なのだけれど、居た堪れない気持ちになってしまう。麻生久美子、樋口可南子と奇麗だ。たけしは覚悟を魅せる。謎掛けは止まぬ。
「トウキョウソナタ」は啓示的な言葉の独白が、カッチリとした構図で映し出される。ゴダールを思い出す。急に映画であることに満ち足りてくる。海岸、小泉今日子が光る。役所広司は狂気で、香川照之は切ない。
終映後、僕たちはそれぞれの車に乗って、二時間ばかしの睡眠時間のために走り出した。

http://tokyosonata.com/index.html
http://www.office-kitano.co.jp/akiresu/

金曜日, 10月 03, 2008

恥はどこまでも僕のものだ

理路整然。いや、感情起伏の赴くままにが混在し、言葉は私をあきらかにするためのもの。
私はいつまでも明らかにならない世界だから、そのための努力は惜しまない。
そう伝えられた。まったく関係の無い遊びのなかに本質を捉える意識があって、そのままにぶつかったら愚痴になってしまう。愚痴に整合性が与えられたら、それは批評かもしれないと仮定してみる。恥はどこまでも僕のものだ。

木曜日, 10月 02, 2008

森と温泉、おでんのように

みのかも文化の森 美濃加茂市市民ミュージアムにて渡辺英司 展「図鑑庭園 The Garden of the Name」を見る。天気が良く、暑いくらいで半袖にした。森にちょうど合うような、茸と蝶々の旅立ち。森の中で本を開く。それだけでドラマだ。僕らはお弁 当を広げる。夜はおでんを頂く。昭和だと宣言を止めない温泉でおでんのように茹で上がり、英気を養った。急に眠くなったりしたけど、ぽかぽかと帰ってき た。
そう、君は明らかにはしゃいでいたし、僕も明らかに浮ついていた。森は言葉を置いていく作用をもたらしてくれるようだった。久しぶりの、秋の日。

http://www.forest.minokamo.gifu.jp/tenrankai/20/watanabe_eiji.html

水曜日, 10月 01, 2008

夢がかなう10月 We meets MA again mix

そして夢がかなう10月へ。クラゲの海は明日に持ち越した。温泉くらいにしよう。茹であがってクラゲ刺せない、ゆらゆら打ち上げられ、かき集められた僕ら の抜け毛。動いた末のイコンの下にあるミキサー革命。名古屋をゴミ事件に終始させない。まだ何も終わっていないし、始まってもいない。全ては進行形で動き 続けている。楽しいですと返して、カラオケを阻止していた。あれは音楽大学の教授か何かだろう。アジフライが美味しいと言っていた。刺身には首を曲げ、萌 えるという感情が、私のOSのネイティブには入っていないとは、まだ言えずにいる。ヒールの修理はうまくいったのだろうか。エロ本はまだ刷りはじめること ができない。僕のせいで、いらぬものは擦っているけれど、ラップはできない詩人。アカデミックぶりやがって、と指を刺されてもいい、ここにしか自分の場所 を見出すことができない君のために、僕のために、明日からも動く。本が開かれる。投げ出すように名前から蒸気。怒ってるのかもしれない。もしくは高速を走 るトラックの排気。勢い良く吹き出る。老後の飛距離。猫の湿った鼻頭にリズムよく触れる僕の指が、鉱石を探している。夢の島をかき分け。CDを待つ。ス カートが揺れる。カーテンも、風さえ来れば。サービスじゃない。天使ぢゃなくて社長。せこい経営で死ぬなんて勿体なくて、個室ビデオも漫画喫茶も悲し過ぎ て。そして夢がかなう10月へ。イコンは走る。イコンへ走る。忘れることができて夢になる。
(「夢がかなう10月」は友部正人の同題アルバムより題名のみ引用)

火曜日, 9月 30, 2008

アルカイダよ何処へ

告白はストレート。
絵に描いたような愛らしい勇気と、絵に描かれた情けない勇気。
勇気に包まれたこの部屋。
歓喜は儀式を超えて膨らみ、悲痛は儀式で収められようとする。
顔を描く姿。ストレートだろうが、勇気を欲する姿だった。
福岡食堂にて再宴す!
アルカイダよ何処へ。友の車は、砂漠を走っているのか。

月曜日, 9月 29, 2008

僕らのイコン

ケーブル一本で動かなくなる日と、段ボールの積み重ねで動き出す一日と。
僕らは僕らを意識した次の瞬間、僕らではないものを意識しはじめる。
彼女の甘えた言葉もやがて、背中を向くための断言になる。
僕の綴った精一杯のきれいごとはただの残酷だった。
日は動き続け、僕らのイコンは制作者不詳の栄光の許に着く。

日曜日, 9月 28, 2008

僕らは知らない

誰もいないところへ行くと彼は言う。
誰も止めないだろうと僕はうつむく。
彼の前には雨が降る。
傘は誰かの忘れ物だから、持って行けばいい。
誰にもさよならを言わずに行く柄でも無い。
僕らは知らない。
知らないから笑っていられて、知ることの怖さも恐れない。
素直過ぎて残酷だと、一拍置いて話された。
ごめんしか言わないのは癪だと思っているあたりが何の反省も無い。
誰にも気付かれずに、どこかへ行くなんて実はできない。
誰も止めないだろうと僕は続けた。
うつむいた先には、瓶ビールの空。
僕らは知らない。

土曜日, 9月 27, 2008

愛だの恋だの

何かとそれに忙しい。
それに尽きる一日。
ミューズをいつも探しているという話は、延々と続くのであった。

金曜日, 9月 26, 2008

メキシコのクラゲ、会田さんのカレー

メキシコで放送される番組を撮影に来たクルーは、スペイン人の四人組だった。
彼らはアーティストで、ロマンチスト、オープンマインドに話をしてくれた。どうやったら憧れの人や、かわいい女の子に話しかけられるかなども教えてくれた。
伝えたいと思ったときは、言葉は何に書いても良いんだということも、見せてくれた。
カメラは存在を手に入れるために、視線を呼ぶ。
会田さんがふるまってくれたカレーで美味しく賑わう。ごちそうさまは明日に持ち越してしまったけれど。

もらった URLから、「interior/exterior 外部/内部」(Tygre/2007)の紹介ビデオを見たら、クラゲがモチーフとして浮かんでいた。

http://www.tygre.com.mx/japon/
http://tygre.com.mx/

木曜日, 9月 25, 2008

憂歌団を今度 歌おう

弟がいちばん家族のことを思ってる。
姉貴が結婚するみたいなんで、いつまでも脛かじりじゃ続かないなって、歩きながら聞く。
次の曲がり角までのこの夜道、彼のおかげで助かる人はこれからもきっと たくさんと思う。
僕が自嘲的に家族のことを話しているうちに曲がり角が来てしまった。
じゃあ、またなーっ。
憂歌団をレンタルしてきて、Rに焼いてプレゼントした。
彼はすぐに自転車にまたがって走って行った。
レンタル屋へ返しに少しだけ回って帰るなと、僕は確認した。iPod の白いイヤホーンを耳にはめる。

http://jp.youtube.com/watch?v=64coFyo6jhI&feature=related

水曜日, 9月 24, 2008

一切合財世も末だ

首相が誰になろうとも、塞ぎ込むのはまっぴらごめんだ。
不自由は試される仕事だ。不自由を超えることが仕事なんだ。
「一切合財世も末だ」(詞,曲, 友川かずき/1981)を聴く。
この豊かさは壮絶だ。強くて美しい。

http://jp.youtube.com/watch?v=a1xry5szUKk&feature=related

火曜日, 9月 23, 2008

僕たちのいまは

残虐なことなんて起こって欲しくない。
どれだけ待ってたってデビューなんてできない。
いつまでたっても知識なんて完成しない。
どれだけ叩いても揺るがないものがある。
いくら悔いても言わなければ変わらない。
僕たちのいまは。

月曜日, 9月 22, 2008

君の知らないメロディー

本当に言いたいことを言って、僕たちは出会ってる?
口論なんてしたくない。ただ、向き合いたいだけなんだ。
全ては自由にあるはずなんだから。
翌朝、「GLAD ALL OVER 」( 忌野清志郎&仲井戸“CHABO”麗市/1994)をビデオで見た。
清志郎とCHABO は最高のダチだ。

http://jp.youtube.com/watch?v=CfD9mgOekWE&feature=related

日曜日, 9月 21, 2008

僕の言葉がどんなふうに取られているかなんて

昨夜、山田亘さんの写真展「Umbilical Sites アンビリカルサイツ・密接な場所」のオープニングで騒いだ。こちらを見ている彼女らの前にいた。
帰宅、ダニに刺されて、夜が明けて、それからナンシー関のハンコ展。会場内にずっとムーンライダーズ(火の玉ボーイ)流れているが、メンバーの顔ハンコ見 つからず歯痒い。コレクション展示の中にあった CDケースにライダーズがたくさん。最後の晩餐まである。青空百景を録音したカセットテープも横にあった。聴きながら彫ってたんだろうなぁ。
市内、矢場町の外れくらいにて「dot in LA PENSEE」というビル全館を使っての展示。今夜は最終日なのでライヴとパフォーマンスもある。ほのぼの&爆発&クールに興奮す。ジェット達は、小学校 のときの帰り道に空想で話すアドベンチャーRPGで遊んでいたのを思い出した。冒険の内容は全て僕の頭の中にあるから、聞いている方はそれを引き出そうと 頑張る。
大雨に降られ、ずぶ濡れになって地下鉄に乗り込む。
依然飲みながら、DVD で映画「グミチョコレートパイン」(監督,ケラリーノ・サンドロヴィッチ/石田卓也、黒川芽以、大森南朋、マギー、峯田和伸、鈴木慶一/2007)見る。 終わった頃には三時過ぎだが、ちっとも眠くならず感動して泣いた。現実にもあることなんですとこちらを見て告げられる。彼女はどこまでも素敵だから、僕は チョキで勝つ。
僕の言葉がどんなふうに取られているかなんて、いまのいままで見ることができなかった。

http://www.artinmino.com/dosei/index.html
http://www.bonken.co.jp/
http://yukie-monnai.blogspot.com/2008/09/dot-in-la-pensee.html
http://gumichoco.com/

土曜日, 9月 20, 2008

エクスタシー建設のはじまり

ノリと社長による「エクスタシー建設」初ライヴ。in 地下ギャラリーもぐら。
セットリストは以下の通り。
1, 宿はなし
2, 自転車に乗って

ふが耳わんちゃんと距離を保ってる。
日本酒を飲んで、昼間っから駅前でビールと、憧れのJR新快速での缶ビールデビュー。
本当に川のそば、土の上で宿はなし。テントと雑魚寝。
しゃっくりが止まらなくなって、やりてぇやりてぇやりてぇと iPod からスピーカーでかける。全く持って自分本位なるこの建設。ふが耳わんちゃんが可愛くて実家の犬をすぐに思い出した。電子楽器がギリギリ響く横の部屋で、赤ちゃんがギャアギャア泣いていた。

金曜日, 9月 19, 2008

聞き返す勇気を

ガラスみたいに突き刺して
フィルムみたいに忘れない

Everything is Nothing
Everything で Nothing
Everything is Nothing
9月の海はクラゲの海

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1994)より。

アンテナは高く、どん欲に馴染むことを覚え、忙しいことに愚痴はしない。
自分の見定めるもののために、嫌われることなど毛頭承知。
もはや山下清は憧れの結晶体だった。彼女は頷き、僕は逃げたのに、後で妙に悔しくなったりする。
そんな切なさを飼いならせるかな。
Everything で Nothing?
アダムに問うて、握手して、台風一過の夜道を帰る。
後悔ではなく検証だと称してもいいから、聞き返す勇気を。

木曜日, 9月 18, 2008

どんどん食べる

今度は自分の駄文に呆れ、こうじゃないんだ、あれはああなんだとまたうじうじ言うなんて頭をよぎる。イヤホーン付けて爆音で自転車滑走すればとりあえずは と次へ進む。「このままでいいのか」「誰か止められるか」と歌う「Creaks」(詞, 高橋幸宏/曲, 権藤知彦、高橋幸宏/pupa/2008)を何度も選ぶ。説教ではなくかっこいい。天国とか、"きしみ" とか、心の傷についてを英語と日本語で。

呆れている暇もなく状況はめぐる。鉄板の火は消さない。傷などは、信じているものとの連なりで どんな形状をしているのか。どんどん食べる。

水曜日, 9月 17, 2008

崖の上のポニョから・1(もののけ姫以後の世界)

「崖の上のポニョ」(監督, 宮崎駿/長嶋一茂、山口智子、奈良柚莉愛、所ジョージ/2008)は、半月ほど前に見た。その感想を書こうと考えていたが、これはしっかりとした論述を 持って書きたいと身構えてしまい、なかなか書くことができずにいた。それからいろいろあって(どんなときもいろいろあるものなんだけど)、勿体ぶっている うちに何も書けなくなってしまうのがオチかなと思った。あれはああじゃないんだ、あれはこうなんだと誰も聞いてくれない愚痴を寂れた酒場でこぼす構図に なってしまうのはいやだ。

「ポニョ」にそこまで入れ込む必然も無いのかもしれない。ジブリ作品だからといって目くじらを立てるのは馬鹿げているし、自分にとって大リスペクトをする べき物語が宣言されて立ちはだかってきたわけではない。ただ、この映画には今まで僕が もやもやと思っていた「もののけ姫」以後「千と千尋の神隠し」からの宮崎駿をハッキリと見ることができた。
それは、極めて個人的な思いや願いがあらわされているということ。エンターテイメントとしての起承転結に捕われぬ、それ故に強引とも取れる展開。宮崎駿本 人が眠ったときに見た夢をそのまま見せられているかのような場面の数々。ポニョではそれが更に深化し、洗練されていた。そして、人とはその判断を試される ときが来るという視点が一貫している。主人公に託される試練は、人間への希望である。ありとあらゆる異なる存在を肯定する打算の無い心。それは恋愛という よりは、愛情に近く、実はよく言う「愛」でも無い。五歳の子供が持っている希望。人間が持ち得る全てが、五歳にはあると確か言っていた。大人になると計算 のある判断が基になっていく。その希望が確認されたからこそ、世界はまた誰にも気付かれずに救われた。海の表現は画面の全てが動く。キャラクターだけでは なく画面の全て 世界を動かしたいと宮崎駿は言っていた。これはいまのキャラ中心に展開しているアニメへの皮肉とも取れる。そしてそんなに世界が救われたとされる世界なん てのも、いささか小さすぎるのではじゃないかと僕は思ってしまう。「ハウルの動く城」で、主人公が試練を乗り越えてめでたしめでたしと同時に、戦争も終わ るという世界と同じだ。「もののけ姫」の世界は、あれだけ人が無力であり、主人公らが命を懸けることで、壮大に世界が輪廻を繰り返すことが示されたのに。
そこを、小さいと呼ばず、世界の全てがこの出来事のなかにあると捉えれば、小さいという否定的な観点にはならない。起こっていることが巨大兵器や神々との 争いか、個人の純粋なところへ降りて行くことかどうかの違いだ。画面には映らない遥か向こうに世界はあるのではなく、いまここに全ての世界が映っている。 僕にはまだ、世界とは遥か向こうに大きく流れているものだという認識が消えない。それは消すとか守るとかいう問題ではなくて、自然に変化していくものだと 思う。
「崖の上のポニョ」ではその変化が明らかに思えた。
(2へつづく)

http://www.ghibli.jp/ponyo/

火曜日, 9月 16, 2008

僕はあのフェス以来、怒りやすくなっている!

追い求めるもののために、どこまでできるかが問われている。
ここで降りた以上、それはいつものことだ。
駅まで歩きながら 漫画「デトロイトメタルシティ」(作, 若杉公徳/2005-)を読んだ。主人公の心境に共感してしまう。

P-MODEL の「美術館で会った人だろ」(詞, 曲, 平沢進/1979)を聴く。
やりたいことが見つかったなら、人生半分合格。それを仕事にできたのなら、恵まれてなんかいなくたって人生完成だよと 北野武がフロムエーのインタビューで答えていた。
これは P-MODEL のデビュー曲だったらしい。80年代、テクノポップの騎手として騒がれた平沢進、追い求めていた音楽はテクノの範疇を踏み越えた唯一の存在だった。それはジャンルに入らない。
「僕がやりたかった音楽は・・」と悩む少年の姿と誰かを重ねる。

http://jp.youtube.com/watch?v=W4xKfaFh5DY
http://www.younganimal.com/dmc/

月曜日, 9月 15, 2008

きみのいるところ

敬老の日、朝は快晴。
豊田市美術館での「Blooming : ブラジルー日本 きみのいるところ」を見に行く。
布や紐、繊細なタッチの絵や情緒的な画面づくりが、大胆な空間使用のなかに置かれているので、息苦しくはなく、荒っぽい感じもしない。おおらかで広い人生 観が思われる。島袋を路上で唄うリミックス、マレッペの砂糖のわた雲を食べる写真とビデオ、川内倫子の写真とビデオスライドショーまで、微笑みの眼差しが 着陸していくようだった。市街を望む廊下を無言で歩き、小窓から階下のエルネスト・ネト「ぼくらの霧は神話の中へ」を少し見る。思い返す印象がきれいで、 静かに残っていく。
同じ顔だぁと嬉しくなって困っちゃうくらい笑い返す彼女と、あなたたちは頑張りんしゃいと杖で押し返す彼女。喫茶店を物色する彼女は、今日はATM が閉まってることを忘れてた。僕はみんなに会って、自分の仕事まで送ってもらう。
敬老の日、夜は少し雨。
月曜日だけれど、祝日だから美術館は空いていた。
ブラジルはいちばん遠いんだけどね。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2008/special/000319.html

日曜日, 9月 14, 2008

Anywhere, she use by water.

ガラスの城に水をかける彼女を見ていた。
ホースを上に向けて、彼女と僕たちは崩れるときを待った。
やがて音を立てて、割れることはなかった。それは重なるときに響く音だった。
そこだけが雨が降ったようになっていて、後は路上に座る男らが、書類を広げていた。
順当に後片付けをこなし、少し寝た。
久しぶりに机上スタジオで起き、今夜はしっかり仕事をすることにする。先日購入した pupa がとてもいい。落ち着きながらふわふわときめく音楽だ。そしてバンドというのは楽しく豊かになるものだということを改めて教えてくれる。
エアコンを調整して、後でコーヒーを買いがてら、雨が降った前を通ることにする。
彼女はホースを束ねたが、城は崩れ去っていない。
ガラスの上をいろんなものがつたい、反射していく。
翌朝には、どこかへ。

http://www.floatingpupa.com

土曜日, 9月 13, 2008

私が動いたこと

オフになったので、布団から出ずに漫画を読みふけるという昼間を過ごした。
部屋の掃除をしようしようしようと繰り返し唱えて、結局 暗くなるまでしなかった。
洗濯機のなかには回転したあとに動けずに絡まったままのシャツらが固まっている。
少しビール。
映画「アワー・ミュージック」(監督,JLG/2004)のちに、録画しておいた「菅野美穂 インド・ヨガ聖地への旅」(NHK/2007)を見る。菅野美穂が等身大でインドを旅し、ヨガの原点に触れて行くというもの。ビートルズが修行をして有名 になったという寺にて、泊まりこんでのヨガ修行。そして祖のチダナンダ(92歳)に接見する。テレビならではのいい仕事だなぁ、なんてにくまれ口も吹っ飛 ぶくらい、この チダナンダの言動が神々しい。異なる宗教、信仰も受け入れ、ヨガはインドが生んだ古代科学であると言う。世界がより良くあるためにそれは使われる財産なの だと。
そのまま雑魚寝を決め込んだ不健康極まり無い私は、心と身体を離別させたまま解放されない夢を見ていた。「アワー・ミュージック」に流れる色彩を取り込みたくなる。窓の外には秋の風が吹いているはずなのだけれど、それに気づくことなく、画面に焦がれるのみ。

http://jp.youtube.com/watch?v=wGoVlic2xPg

金曜日, 9月 12, 2008

夏休みの終了、かつて私達が並べたソファーから

気軽に深刻ぶっている最低な立ち回りが板に付いて来ていて、深刻な状態だが気軽に振る舞うことのできる崇高さを忘れている。整理整頓ばかりを言い回す。日 記とはそんなものだから、そもそも公開するなんておかしいんであると続けた。くつろげる部屋はすぐに訪れる。週間予報のとおり、陽射しは穏やか。地震なん て来ない。誰も本気で思ってやなんかしない。気軽な噂になっているのがドラマやアニメを見ているみたいだ。
深刻なのは地震よりも、自分の軽薄な言葉だ。
椅子から立ち上がるタイミングは僕がかけることができたが。
遠い国の友人にも、同じ国の君にも、まだ言えずにいる。
「Where we go?」
公園に君は座った。夜風には、深刻も気軽も関係無い。

木曜日, 9月 11, 2008

イカれたパーティはいかほど

テロなんて忘れたい。
そして怒りや悲しみはどうやって伝えたらいいのかと悩む。
嬉しいことは笑って返す。申し訳ないことは頭を下げる。
身勝手なことや、見下すようなことには、悲しくなる。
何よりも自分に返ってくることを、忘れかけている。
テロなんて忘れたい。
アートもメイドもみんな優しくあるためにあるんさ。
楽しい思いをみんなしたい。
一日中、町中をパーティで歩き回って、そんなことを再確認する夜明けに辿り着いた。
歯磨きをしながら、自転車をこいでいく彼女を見ていた。

いまや返り血と乾杯だけが取りあげられている。
静かになると騒ぎたくなり、騒ぐと静かになりたい、そんな心境だけでやっているこの自称イカれたパーティ。いかほどかと尋ねると、どうなんだろう。どうっ てことないと返すとラクだな。それはそれほどくらい返ってくるだけ、か。本当はテロもただのネタなんだから、ちゃんと忘れて、本当に怖いものを思い出そ う。

水曜日, 9月 10, 2008

青空のマリー〜花火の後で

その歌のなかで語られている文句と、同じようなシチュエーションがあったとしても、同じ姿勢でいるかどうかは全く違う。
ムーンライダーズの持つニヒルな姿勢は、切なさの裏返しだ。
「青空のマリー」(詞, サエキけんぞう/曲, 白井良明/1982)
を朝まで。

僕は傍観する姿勢を見え隠れさせていたが、それを卑怯な方向にシフトさせている。
無邪気になれず、無垢にもなれなければ、危ない。
そんな花火の後で、青空があってくれた。

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=622280

火曜日, 9月 09, 2008

Broadcast From Heaven

はじめて Amazon で買い物をした。探しても無かった CD は一瞬で見つかって、中古で安かった。先日、CUBE の会合のときに先輩が多用しているという話を聞いて、すぐ使ってみた。便利で快適でハマりそうだ。

隠れ家の店をリストアップしていると聞き、そこでのビールはどんな味ですかと聞く。この町にある隠れ家としていた店も、もう既によく知られてしまった。部 屋が開くまで本屋とコンビニで時間を潰す。その間にも注文した CD は郵送されてきているわけだ。民営化した郵便局はかなり安く、それもいい。ただ一人の男のむせび泣くのに対面させるだけのために、送られてくる事実は社会 の流れになっている。青果倉庫の横をくぐり、その音楽を誰かに聴かせることもできるわけだと思う。講釈ばかり出てくる。夜遅くに果物が積み降ろしされてい る。俯いた女性の顔を鉛筆で描くとき、いろいろとりつくろうと線が多くなって老けていってしまう。朝起きても手紙はあるからと話し、声も消えないと繰り返 す。60億の天国は聴いたことがあった。正直なことが優しさでは無いんだよと教えられ、隠れ家には一人で行くと聞く。必ず一人だから、君とは行かない。誰 ともだよと。夜の淵はそこか。そこに連れていく歌が入った CD を、僕もAmazon なんぞで買っているとしよう。背中を意識した歩き方はかっこ悪い。朝に果物はまた出て行く。男らしさが何かわからないけど、大人かどうかはわかる。隠れ家 なんて無くても。

「1%の関係」(詞, 鈴木慶一/曲, 高橋幸宏/1995)from Amazon だ。天国からじゃない。

http://jp.youtube.com/watch?v=HyqKlhxedNQ

月曜日, 9月 08, 2008

思い出しながら、傘の絵を描く。

手紙を書くべきだと言ってもらって数日。
風が吹いてきていると、
それはどんな風だとまだ書けない。
部屋を掃除しなきゃと言ってもらって数日。
ゴミの城かという ありさまで、ようやく空き缶類を捨てに行く。
まだまだであって、歯医者も耳鼻科も、とりあえずの命からがらに理由つけて。
ソフトバンクどうしだからいまは無料だよねと電話もらって数日。
どんな風だと読み上げるのが、僕の術だ。
それだけをまず決めた。
絶叫そよ風とか、ささやき暴風雨とか。
これから数日は晴天が続くもよう。
思い出しながら、傘の絵を描く。

日曜日, 9月 07, 2008

頑張れよ

三年後は 2011年、どうなっているかわかないけれど頑張りたいと話した。
それはそれで尊重されうるものだけれど。
やれることしかできない。
やれること以上に頑張ってくれているんだという現実の構造があった。
今日は数年ぶりにあの美術室にいる。
生きることはさわぎだとディランが歌っていて、それを描くことはもっと さわぎだ。キャンバスには「さわぎ」と三文字 置かれる。
少し離れて、黙った目になる。
絵を描くときは、ときどき離れて見なくてはいけないと学んだ。

三重県から名古屋に帰ろうとすると、なんと踏切事故が起こっていて、近鉄の上下線とも止まっている。帰ることができないので今夜は実家に帰る。車中で頑張 らんかいよと聞き、弟と wii やPS3 をして、頑張れよと偉そうにも言う。全て本音だ。言いたいときに言うしかない。ソファーベッドを倒て就寝。

土曜日, 9月 06, 2008

歩いて、静かになろうとする

お昼前に出かけ、多くのギャラリー、画廊をはしごした。めずらしく時間を守れており、土日対応の一日乗車券なんてのもちゃっかり購入できていた。昼は寿司屋でランチ寿司セット。丸の内のオフィス街にあるので、価格と釣り合いのとれた安定感があって美味しい。
歩きながら空の様子を気にしていた。
僕は、雲にも天使にも出会うことができず。
言葉をねじくって、なんとか静かになりたいと何度も何度も自分でも呆れてしまってたりする。
でも、あきらめた気持ちとは違う。

日が暮れて、池下のライブハウス「源」へ。
タテタカコのコンサートを見る。
ピアノひとつで、マイクは無く
背すじをのばして、声ものびて
まっすぐになろうとする言葉を持って、
かけがえのない歌だった。それでいて窮屈ではなく、何も飾らず、聴きながら いろんなことを思っていいと思えた。
ライブ後に一緒に写真を撮って頂いた。嬉しい。
帰りは少し遠回りをし、ストリートミュージシャンの気持ちと、路上詩人の気持ちの間に座った。
そこで僕は、僕自身のなかにあるはずの目を思った。

http://tate.navelfactory.jp
http://live-gen.musical.to

金曜日, 9月 05, 2008

祖母、笑う

久方ぶりに祖母に会いに行く。
まったく親孝行より縁遠い、罰当たりな行為はどこの家族でもいろいろあるもの。サザエさんはテレビの中だ。
自販機で小さなお茶のペットボトルを買って頂き、それにカーネーションを入れて頂いた。
祖母は働けようと笑い、生来の金勘定なども元気にする。
数時間の後に帰路の駅へ着く。雨がまた降り出してきていて、傘を指しながらではまたと。
帰りの車内で眠りたかったけれど、すぐに着いた。
晩は伊勢から仕事を終えてきた福岡氏の労い会。
家族に至る話も聞いた。


木曜日, 9月 04, 2008

前世紀の少年

中山氏とレイトショーそれもスペシャル恩恵割にて、「20世紀少年」(監督,堤幸彦/原作,浦沢直樹/唐沢寿明、常磐貴子、豊川悦司、香川照之、石塚英 彦、宇梶剛士、佐々木蔵之介、生瀬勝久、小日向文世/音楽,白井良明/2008)を見る。原作の漫画を未読なので、似ているという感慨も無ければ、こんな んじゃない!という文句もおこらない。ある意味では寂しいような、ストレスがたまらないから良いような。後日 漫画喫茶で読めば同じことであろうし、そもそも漫画と映画を比較してどうこう言う労力に興味は無いと思わせてくれるほど、エンターテイメントとして昇華し ている感を持つ。しかし原作の持っている「20世紀に俺たちはいたんだ」というぬぐい去る事のできない、いや、誇りと自負の念がこの作品の崇高さであると 感じる。それはすなわち放送室をジャックして T-Rex を爆音でかける実感であり、友達を信じる実感と繋がっていく。俺たちの手でこのマークを取り戻そう。ただのサンデーのノンブルとギョロ目に返してやろうと する気持ちは実感に対して忠実であろうとする奮い立ちだ。洗脳された奴らには負けない。実感をどこかに置いてはいけない。前世紀の少年は。今世紀の中年た ちに捧がれる。中山氏とジュースを集めてニヤニヤする。それからまた仕事場まで送って頂く。彼の車を見送る。コンビニからアルカイダまで、無力な俺たちは 前世紀の少年で、今世紀は中年、いや少年と呼ばれる?

http://www.20thboys.com

水曜日, 9月 03, 2008

再び、ときどき川

不意打ちの雨で駐車場との間がまた川になってしまった。
正午から快晴に向かう。
だが気持ちは優れず、仕事はそこそこに。ソファーで横になる。
ジーパンは濡れたままのものが乾くだろうとしていて、現にそうなっていた。
総菜コーナーで買った天丼のお弁当が美味しかった。紙パックのマンゴージュースも飲む。
髭だけ剃りたくて、T字剃刀の置いてある部屋まで上る。
それぞれの仕事場が浮き島のようにあって、物資も連絡も、そこそこにしかいっていない。

火曜日, 9月 02, 2008

子供みたいに愛しても

僕のこと何も話さずに
僕のこと全部伝えたい
I wont You wont I wont!
あまりにも君が気になって
そのくせにいつも傷つける
I don't You don't I don't!
子供みたいに愛しても
大人みたいに許したい

Everything is Nothing
Everything で Nothing
Everything is Nothing
僕らの海はクラゲの海

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1986)より。

堅いグレーの空から、ぱらぱらと雨が振り出した。
猫の鬱を撫でていた名残りがTシャツにくっついている。白と黒のふわ毛たち。
iPhone を濡らさないように背中を丸めて自転車を飛ばす。クラゲの海が止まらないように。
僕に残った術はそのまま話すことだけ。
嘘でもはったりでもいいから、本音を話すことだけ。
君が優しい言葉を返してくれた。・・と反芻する。
猫の鬱の餌が切れていたのも返ってきた。帰りのコンビニで買って行くことにする。
感情は増える。ただ増え続けるんだ。
空が暗くなって、雨が止んでいた。

月曜日, 9月 01, 2008

君のこと何も知らないよ

君のこと何も知らないよ
君のこと全て感じてる
グッドディ、グッドナイト、グッドディ
君のこといつも見つめてて
君のこと何も見ていない
ワンディ、ワンナイト、ワンディ
ガラスみたいに透明で
フィルムみたいに泳いでる

Everyrhing is Nothing
Everything で Nothing
Everything is Nothing
9月の海はクラゲの海

「9月の海はクラゲの海」(詞, 佐伯健三/曲, 岡田徹/1986)より。

待っていたものが流れこむ。
街の外れを探して、ワインでも空でも、淵をいつも選んで。
君のこと何も知らないよと、歌いはじめて。

日曜日, 8月 31, 2008

夏休みの友

小学生の時分には 8月31日というのは、非常にナーバスな日だった。宿題は終わらないし、工作も自由研究も間に合わない。「夏休みの友」という一日一頁学習するドリル本が 宿題として配布されていて、その空白を埋めるのに必死だ。漫画 ちびまる子ちゃんのなかで、31日にまる子が「お前なんか、友達じゃないやい」と夏休みの友を床に叩き付けるシーンが傑作だったのを覚えている。今現在の 自分も似たようなもので、昨日からカンヅメ状態で Macの友と化している。お前なんかと叩き付けたときは絶交になってしまうので我慢するが。たいがいは動いて下せぇますだと こちらが平謝りをする。
論点がずれた。
夏休みの友よろしく、夜にドイツの Gorg氏と Skype で話をした。彼はニュースで先日の豪雨を知っていて、大丈夫だった?と聞いてくれた。向こうは朝で、こっちは夜なのだが しばしの同じ時間を過ごす。いろいろ話して、俄然やる気が出た。
日曜で、とても天気が良いので外に出てくると IM が届く。
気合い入れて行く、ありがとうとレス。
何かに絡み付かれながら、何かをかろうじて繋げながら、こうして今日も動いている。

非常に恥ずかしい気もするが、半ばマジな気持ちで山下達郎のテープをデッキに入れてみよう。いまはクリックひとつで済む。でも同じ さよなら夏の日。
軟禁状態のオフィスから外に出て、夜道の自転車を思いっきりこぐぞ。

http://jp.youtube.com/watch?v=4zksu32RdHA&feature=related

土曜日, 8月 30, 2008

ナイトクルージング

君は泳ぐ
今夜はひとりきりどうし
お酒は一滴も飲まない
机の上に置いた窓を、ずっと見てる
流れる言葉の端切れに引っかかった、「ナイトクルージング」(作詞,曲 佐藤伸治/1995)を流す。
この部屋はずっと住処で
君は泳ぐ
雨の止んだ路面に気をつけて
誰もいないけど
クラブで言い過ぎるもへったくれもない
僕は年を数える
わざわざ爆音を選びながら
五階にある机の上から
夏の終わりくらいは
流してみせようよ
朝には誰もいないから
水族館で写真は撮ってこなかった
敢えてね
君は泳ぐ
僕は見てる

http://jp.youtube.com/watch?v=RB-jNaRWPkk&feature=related

金曜日, 8月 29, 2008

川に橋渡しをしながら、同時に国境線を意識する

「中華そば」と「ラーメン」は異なる。
伊勢から一時帰還してきた福岡氏は言った。今日も明日もどうやら雨だ。自転車を引いて家へ帰る。
勤め先は夕べ落雷したとかでブレーカーが逝ってしまっていた。中部電力が来てくれるまで直らないから皆帰ってと、管理職の方は苦笑いを浮かべて、携帯での やり取り忙しそう。夕べ、川になっていたコンビニではないが、安売りの処分品になっていたトルティーヤを開けて皆で食べる。オープンスペースの廊下に容赦 なく雨粒が叩きつけられている。
思ったより早く電気屋さんは来てくれて、復旧は完了した。皆、それぞれの仕事にあたることができて何よりだった。トルティーヤでは食い足らぬ僕は、チョコ レートひとつ買いにスーパーまで走っていってズボンの尻を濡らす。でもこんなときにサンダルは気楽でいい。もう穴が空いて限界だ。

そう、「中華そば」と「ラーメン」は違う。
「違う」と「異なる」も different である。
手話と日本語もまた隔てられた言葉であった。
川に橋渡しをしながら、同時に国境線を意識する。
大きな見解で、欲望すらも愛と呼び、細やかな情念を指の隙間から抜け落としていく。
九月になったら川は道に戻るだろう。
水平線の上にあった家も無い。
情念は排水路へ行ったのか。変電版でショートしているのか。廃棄弁当と化して空腹の果てに忘れられたのか。
福岡氏と、缶ビールと焼酎を数本飲んだ。
雨は降ったり止んだりを繰り返していた。

木曜日, 8月 28, 2008

豪雨の男

コンビニ前はもう川だ。
縁石の場所がわからないので入るのをやめる。
空はストロボを焚いたように何度も光り、映画のベタな演出効果を思い出させた。
留学生の送別会を焼き鳥屋で開いていたら、電線がやられたようで停電した。
真っ暗になった席には空いた中ジョッキが並んでいた。明日、名古屋を発つ英国からのアダム氏が「End of the world.」とケラケラ言った。
僕はそれまで「濡れ場」とか「縛り」とかオヤジくさいことばかり言って、失笑を買っていた。
自転車で帰れるような状況ではないので、横井氏の車で送ってもらう。
岩倉まで西山氏らを届けたあと、煙草を求めて入ろうとしたコンビニの前がもう川だったのだ。
横井氏はカーステの音量ダイヤルをひねった。サムクックが鳴り響く。
「ファンキーなのが好きなんですよ」
じゃぶじゃぶと車は走ったのである。

男はだめと言われたのを
覚えているこの豪雨の中
暗くて撮れないと自責を
置いては続けた
弱味は忘れたい
だめと言われた
とき目を閉じた

http://jp.youtube.com/watch?v=kz63grgFPqc&feature=related

水曜日, 8月 27, 2008

Sweet and Crazy Girl meets MONONOKE! - Bitter and Think different Men'll meets it!

もうどこにもいなくなった妖怪を見るために、僕は僕の方法で働きかけたのである。
彼女は彼女の言葉で、血と悲しみから解放することを語っていた。
それは陰鬱な伝説から旅立つ仕事であって、どの国にもある力だ。彼女は日本のそれを見落とすことなどしなかった。彼女は親子に声をかけて微笑んだ。妖怪は首もとに光った。
そしてまたある彼女は親子という水平線に向かって紙人形を並べた。
生け贄代わりの兵馬俑も、ここにないものをあると信じる力によって作られたのだ。
恐怖は見えないものを見せる働きをし、それを捉えた人間は混沌へと増幅する方法を覚える。
私たちの風土はこうして定着していった。教科書にあるしらじらしさとは大きくかけ離れた苦楽である。
もうどこにもいなくなった妖怪を見るために、僕は惨劇を喜劇に変える方法を考えた。
彼女たちが向かい合う机の上に、言葉を運んできたのだ。ウエイターのバイト経験も生かして。
言葉で競技の取り決めを確認することができた。
誰も憎むことなく、化けて出たいと思う。
封筒に仕込まれたカミソリで指を切ったとしても。
ラジオ体操でもいいから、体を動かして恐怖を化かしたい。
野球場に並べられた机の上で、手と頭を動かして色を塗っていた。

火曜日, 8月 26, 2008

君の顔が好きだ

彼女との出会いは最悪で、こんなことはじめてだよというくらいの意地をはった喧嘩をした。
床に並んだ緑のエビスを伝えることができるまでに、二年を要したことになる。
いったいあの町からの帰りのバスで、必死に論じたものは何だったのか。

詩は置いておくことで醸造するようだと、実はまだよくわかっていないけれど。

君といると落ち着くというのは本当のことだ。
「君の顔が好きだ」(作詞,曲,斉藤和義/1994)は真摯な歌である。本当のことはどこから見てもかっこいい。

http://jp.youtube.com/watch?v=jjVzzLYiYBU

月曜日, 8月 25, 2008

いちにちだけの金沢

文字通りまだ夜も明けきらぬ頃に、駅まで弟に送ってもらった。考えてみれば、弟も車を運転できるわけだ。数時間前に歩いた道を超えて行く。始発で名古屋に 戻る。そのまま高速バスセンターで合流して、金沢へ向かった。いろんな勘違いがあったけれど、大切な顔ぶれだったから大切な時間にしたくて、ずんずん行っ た。

おまつを飾ったお寺に、兼六園の周囲にある金物屋に古書店。
近江町市場で回転寿司。青のりを手のひらに乗せてもらってもぐもぐ。
堅町のアンティーク店でお話をし、教えて頂いた 純喫茶ローレンスに行く。五木寛之が小説を執筆をしていて直木賞を受賞した瞬間もこのお店だという。いつもここで書いていましたという席で、当時 一杯で五時間はねばっていましたというコーヒーを飲んだ。
アルバムを見せて頂くと、たくさんの著名人の顔ぶれが。橋本治も来てる。桃尻娘の撮影もしてたのか。

僕だけが名古屋への帰路に就くため、バス停で見送ってもらった。最後の最後になって大切な話というのは話さなくてはと、かたちになってくるみたいだ。その 思いからは目を離すことができない。僕はそれから一人で座席のベルトをして起きれば朝のつもりで眠ったが、これは深夜バスではないから十時台には着いた。

名鉄で帰宅し、プリンを買いにコンビニへ行った。
路上で歯を磨いていた隣人のおやじさんが「お前も俺に似てお人好しなんだよ」と言ってきた。どこかわざとらしい映画のようだと思った。いや、いろいろ眠るまでに言葉をたぐろうとしたが、お人好しで自分勝手なのは両立すると結論に至る。
やさしい顔を撫でる思いに、そのまま向かおう。
いろいろ思い出すことを。


日曜日, 8月 24, 2008

夕日は昇る

松阪駅から出ている、どこまで乗っても百円の市営巡回バスで CUBE展の会場へ向かった。
公開講評会の後で搬出作業へ移る。
講評会では、シンプルではない部分が意識されるのだ。
十年間同じ仕事を続けているならば信用できると頷く。
思いのある絵。そして言葉を。
それから懇親会の後にビールを飲んだ。終わり際には寂しいなァ〜を連呼していた。
夜遅くに家へ帰り、数時間だけ横になった。
久しぶりに歩いた通学路は真っ暗で、誰もいない。
「夕日は昇る」(詞,曲,友部正人/1993)を聴こう。

http://jp.youtube.com/watch?v=pJrctOqnAGY

土曜日, 8月 23, 2008

ホケーキョホケキョと鳴いていた

日本野球、残念。400Mリレーの金メダルは嬉しい。片田舎でオリンピックに一喜一憂。くつろぎ倒したのちにゆっくり駅へ向かった。
名古屋へ移動し、上前津の「Shupnc Shupnc」にてノリ氏の三線ライヴへ行く。バンド、ツクモクの方がゲストでポップスような展開も、かけがえない感じで聴かせる。
沖縄民謡では「十九の春」が社長は好きだ。
終始 上機嫌の演奏で、そのまま夜は友人宅に集まって飲んで雑魚寝する。
翌朝にはまた電車の中で幾つかの歌を聴いた。

金曜日, 8月 22, 2008

松阪(まっつぁか)の一日

昨晩のオリンピック、女子ソフトには感動した。ゲームが決まった瞬間、解説の宇津木 元監督が「やったぁ・・本当に良かった」と涙声だったのにグッときてしまった。

起きて、ゆっくりしてから松阪市へ繰り出し CUBE展の会場に家族を連れて、そして市内を歩き回った。教えてもらった喫茶店はポルノ映画館の近くにあって、店内には一癖も二癖もありそうなおじさんが小さいテーブルを囲んでいた。コーヒーアイスを頼んだ。
ホルモン屋の駐車場を探して、なんだか慣れないビールも頂いて、田んぼが延々と続く道を滑走して帰る。犬はみんな女の子。頭を撫でてやると、腋の下がアトピーで痒いんだワンと掻きだす。

気づいたんなら、遅すぎることも早すぎることも無いんかな。





木曜日, 8月 21, 2008

日中には夢ばかり見てる

とあるシャンデリアの下から
とあるミーティングの末に
とある急行に座り込んで
とある木造家屋に眠り込む
人生の台本はまたゆっくりめくられている
夜中に車が帰って来て、打ち明け話の後で
ゆっくり寝ることにした
猫も犬も家で寝静まった
日中には夢ばかり見てる

水曜日, 8月 20, 2008

月の下と線香花火と缶ビールを並べて

昨晩すぐに名古屋へ戻って来た。
開放感にまかせていろんな話を並べる。
「夢の中で会えるでしょう」(詞,曲,高野寛/1994)。なんて挙げてみる。
コンビニで買ってきた線香花火をする。
今夜はとても月の光が強い。
缶ビールはちょっと多すぎた。
理性だけでつくった言葉なんてつまらないよと、咄嗟に言った。

http://jp.youtube.com/watch?v=RjL87omwiUk&feature=related

火曜日, 8月 19, 2008

夏に覚えたこと

母校、三重県久居高校の美術部 卒業生、在校生らの合同展覧会「CUBE展」は三年毎に行われている。
「CUBE」とは、久居高校美術部を略して「久美」が「きゅうび」と読めることと、求める美と書いての「求美」でもあるし、キューブでもあると聞いた。確か。
その熱に感化されることの十二年間はいまの自分の根源的な記憶である。うまくこなせることも、まったくのどんくさいところもみな同じだ。こっぱずかしいとかの感情を超えて、覚えたことを数える。今日は朝から三重入りし、ギャラリーでの搬入展示作業だった。今回は「窓の前で」という絵を出品。終わってから少しだけ 先生、先輩らと喫茶店で談笑する。とても懐かしいようでいながら現在進行形中の覚えていくことがある。
今年の夏はあとちょっとだけ暑い。

http://jinmurata.blogspot.com/2008/07/cube.html

月曜日, 8月 18, 2008

早く、くつろげる部屋を作りたい

空のペットボトルが溜まる。貰い煙草をもみ消したのが積もっている。猫缶の空き缶が灰皿代わりだ。早く、くつろげる部屋を作りたい。いまの自分の周りのこと。言わばぐるりのことが思うことの全てで。あれを掴めばこれを忘れ、これに手をかければあれを見落とす。大人になるとノイズが多くなるよと聞いていたのは十代のころ。あのとき、言葉は誘惑を持っていて、絵は憧れとして立ちはだかっていた。壁は未だに振りかざされているが、いまの僕には何も無い。詩人という文句で無言を決め込み、何にも属さぬ者として言葉も、絵もそのままでと囁いている。それは融合でもなんでもなく、ただ前にあるものだ。それが最も困難であることを思い、ただあることを選択したい。いくらでも面倒なプリンターやカメラ、ガジェットに酔いしれて偏屈ソフトを使い込もう。最後にはただ紙に刷り出すだけだ。いや、プリントアウトもせずに画面を見て、鉛筆で描いたりする。それもみなぐるりのことだ。早く、くつろげる部屋を作りたい。終戦記念日は遊びほうけていた。平和を、謳歌していた。僕らはキルドレのようで、本当はそうではないことを知っている。即ち、"大人になってしまう" 子供だ。永遠の側に立てば終わりを乞い、死に至る病を知れば不死を妄信する。いま足りないと書き出すものはいま充足しているものの裏返しか?充足しているものは何だろう?持ち帰った風景はどこに溜めて、どこに持っていくのか。言葉や絵はそこで漂着されるのを待っている。そこからいま映し出されるものは、ぐるりのこと。希望も絶望もみんなここにある。早く、くつろげる部屋を作りたいとブツブツ言う不精が見ている窓でしかない。何も無茶なことなど願っていない。翌朝には眠たい身体と元気な気持ちを持って、電車に乗りたいだけだ。

日曜日, 8月 17, 2008

べったら漬け

べったら漬けにご飯を炊いて朝を迎えた。完全に全員が雑魚寝をして、猫の鬱はいつもの机の上で寝ていた。マラソン中継を横目にしながら解散する。身支度をしたらすぐに仕事だった。
夕方からとても忙しくしている同期面子のアシストで印刷機をフル回転させる。意外とやれるもんだねと連呼されるのを聞く。食べに行こうということになったが、行きたい隠れ家的なお店はあいにくの満席のため駅前の大衆居酒屋へ。飛び切りの持ち札を前に出せば、机上にある良い捨て札は相手の手中に収まってしまう。そんな展開も、何かの構造上においては訪れるものだろうと思った。行き帰りのタクシーが偶然にも同じ運転手さんで、近くまで送って頂き、歩いて帰る。猫の鬱は外に出たがすぐに帰って来た。朝の余りでラップしてくれてあったべったら漬けをぱりぽり食べる。伊勢で味わった魚介類があまりにも美味しかったので、居酒屋で安い刺身など注文しなかった。何かお土産に買ってくれば良かった。高速のサービスエリアでノリクンが買ってくれたこの べったら漬けだけだった。

土曜日, 8月 16, 2008

伊勢福岡ツアー〜モルツで後夜祭

朝から海に出るのは最高に気持ちよく、台風の影響で五カ所湾の出口付近は波のうねりが強くて怖いくらいだった。船のさきっちょに足をかけて格好をつける。社長似合わないね〜と、リアル社長の前でわいわい。港のそばの定食屋でラーメンと半分寿司セットを食べる。このラーメンがやさしい味で美味しい。昨晩、お世話になった美術館スタッフの方に挨拶し、そしてまた福岡氏は展示室に消えて行った。握手をし、車中の CDをハナレグミからバカボンに変える。CD-Rのノイズがあるのですぐに止める。地図上は近いが、おっそろしく山道の剣峠を超えて伊勢神宮へ行く。この道の選択はまずかった。対向車が来たらどうすることもできない道だった。ノリクンの緊張感ドライビングで乗り越える。伊勢神宮参拝後、おかげ横丁の数カ所で知り合いの方に偶然会う。赤福氷を求めて並ぶのはたいへんだったが、あんのコクが美味しい。不祥事以来顔を見なくなった赤太郎にも会うことができた。そして高速に乗って帰宅。途中渋滞に巻き込まれるが、名古屋市到着時に四方八方で打ち上げられた花火を見ることができた。長島と一宮と刈谷だ。歓迎のようだねと言い、降りてあんかけスパを食べる。地域ものを食するのはいいなぁ。
サーバーを酒屋に返却して、間髪入れずに瓶ビール買い込む。車中で真心のモルツが何度も流れていたからモルツにしよう。反省会ならぬ後夜祭。星野ジャパン対韓国の試合観戦。逆転ならず悔しく、次々とダウン。いやまだリーグだ。根拠は無いけれど勝つぞと声を合わせる。

金曜日, 8月 15, 2008

伊勢福岡ツアー〜ニクイぐらいに

鈴木観光で行く「suiheisenn no ue no ie : Hiroyuki Hukuoka」展へのツアー(通称, 伊勢福岡ツアー)を予定どおり決行。前夜祭の疲れも何のその。プリントアウトしておいた道路の地図を忘れても3G で現在位置確認する。タイ旅行のときの助手席経験が効いてる。順調に伊勢現代美術館へ着。現地滞在中の福岡氏と合流。真っ黒になっていた。アーティスト トークの時間に合わせて人が集まってくる。それまで海の見えるテラスでアイスコーヒーを飲む。他の面子は離れたところで持ち込んだサーバーよりビールを飲 む。美術館内の展示、現地の小学生らとのワークショップ展示。そして海の上の筏に建てられた家へゴムボートで氏に連れて行ってもらい、みんなそこで思い思 いに過ごす。釣りをする。ひとりずつ往復。最後に自分で漕ごうとするが全く進まず。釣果もナッシング。
開館時間終了後、ぎゅーとらで食料品、魚屋で貝や刺身を買い込む。福岡氏が交流している現地の方の御好意に甘え、別荘地にてバーベキューをさせて頂く。 アッパッパー貝はとてつもなくンマーイ。作家は年上の人間と交流することが大事だからと聞く。サーバーを開ける。夜通し AMラジオで60年代のヒット曲が流れていた。テーマは海だった。ニクイぐらいにゴジャースだ。

http://ise-muse.com/exhibit/fukuoka.html
http://www.ise-muse.com/blog/