木曜日, 10月 30, 2008

文章にとっての食事とは何か?

ちゃんと食事をしておかないと、今日の激動には耐えられないぞと考えたのは正しかった。食べなければだめだ。歯医者にも、耳鼻科にも、税金も年金も、猫の 餌もちゃんとしないと悲しくなっちゃうから。だめだ。そこからなぞっていくといまの状態は相当に泣きわめいていてもおかしくない?・・いや、いつでもきっ とそんなもんだと思いながら、大丈夫さと気楽な長男を気取ってきた。こんなことを書いている時点でリアリティは無い。文頭だけが本物で、ちゃんと食べたか ら一日動くことができたという実感はある。文が進んでいくと、いろいろ言葉遣いが怪しくなっていく。だからすぐに言い切ってしまうことができるなら、それ にこしたことは無いんだ。一日の終わりと始まりの区別が要るように、文章にも区別が要る。すると、文章にも食事が要るのであろう。文章にとっての食事とは 何か?