土曜日, 5月 31, 2008

依然まだ彼は人恋しい

Wチェックの彼方。地下鉄構内は湿気が多くて苦しい。タイ国は連日雨でもっとたいへんだときく。Prof, Thanom 氏らの歓迎会。スパゲッティーみたいに誤当てしていたのがお恥ずかしい。恥ずかしいのはもっと先に積もり、何かするにつけ後手と至らなさのなかで、社長と連呼してくれるフーテンのノリ氏にあれはビックリのクリだからと訂正する気もない。上前津のカフェ shupnc shuupnc はなんと読み当てするんだろう。最後は台湾ラーメンで締めてすっきりする。店を出ると自販機では煙草を買えなくなっていた。やたらY談に走る部屋で猫の kiri(雄)が枕になってきて寝た。依然まだ彼は人恋しい。
Aout 氏からのプレゼントを受け取る。For Utsu & Jin と書いてある。なんて優しい。

金曜日, 5月 30, 2008

尽きることのない会話と無言、それを見る画面があることを

失われた会話のために、椅子と机を運んで来る。
差し入れのケーキを頂き、みんなで無言で食べる。
無言でもここに座っていられたので良かった。
失われた画面のために、二人で古い映画を見る。
冒頭で「湯たんぽを抱きな」と男が告げるのだ。
白黒で心配だったが、面白かったと感想が語られた。
尽きることのない会話と無言、それを見る画面があることを、私はここに設けたい。
それがここで成すべき仕事であると思う。

木曜日, 5月 29, 2008

雨より降り立つ笑顔たちと、濡れなくてもいいはずの雨の下に降りる者たち

雨で電車が遅れる。
あなたたちは空から飛んで来た。
雨などものともせず。
笑顔で。
USB スティックの中身が足りないので消してしまう。
千円足らずのスティック内の断片化すら疑う。
仮眠した後の飲み会で、理屈を踏み越える。
理屈ではなく、本当にそれがしたいのかと吠える。
願わくば
笑顔で。

水曜日, 5月 28, 2008

「君」は「君」のままである

「君」と書いたのは、私のことでしょうか。
「君」は「君」という言葉のみだ。
それが何を指し示しているかは問題では無いと考える。
「君」は「君」のままである。
そんなわけで殴られることもさておき、まだそれを言い続け「君」のままで良いなと感じ通せるべくの詩へ。今夜は飲み食いするが寝ずの番で話し倒し机に突っ伏し、漂着する「君」があった。



火曜日, 5月 27, 2008

偽善的ならぬ偽展的

なんなんだそれわっ!と吠えてしまいそうになって、いやもうほとんど吠えていて、ヒエラルキーに沿って用意周到に計画されるお利口さんな展覧会に腹が立 つ。お偉方の鼻をへし折ってやろうと企むくらいの風呂敷を広げた生意気な奴等とつきあっていたい。自分があまり面白くないと感じていることを受け手が面白 いとは絶対に感じない。じゃあ自分が面白いものなら面白いと伝わるかというとそうも限らない。しかし前者は確実。用意周到に金の工面だけこなし、なんぼの もんじゃいと突きつけよう。宝くじは買わない。ひとつの展覧会に数種類も DM は要らない。それを作るエネルギーは制作に注ぐ。顔を変える術を知ってしまった絵描きは行商にも出歩けない。

月曜日, 5月 26, 2008

幸せになるために戦う

個室を出て、頭の上が軽くなった。
真心“別れの歌”三部作
「流れ星」「橋の上で」「この愛は始まってもいない/流星」(監督,前田良輔/永瀬正敏、cosomosco/音楽,真心ブラザーズ/2001)に哭く。
危うい夢はかろうじて手に入るのか。
ガッツポーズしてみるか。
ポーズが引っ張ってくれるか。

http://www.youtube.com/watch?v=sM_2ZUWLeCY
http://www.youtube.com/watch?v=6hTEz3UGxuI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=2MegNL0f4A8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=M_D2bs_eI0M&feature=related

日曜日, 5月 25, 2008

残るものはひとつの対象

岐阜駅にてレンタサイクルを借りて、ぐるぐる回る。
お昼はラーメン屋「まるでぶ」。ワンタンかラーメンの二品目のみに洗練されていて、安くて美味しい。地元の家族に高校生がたくさん。
近くの古道具屋、珈琲屋も楽しい。
日本料理 後楽荘での特別企画展「三輪乙彦×後楽荘 "無為寸休"」を見に行く。
厳しく優しい空間は豊かな時間をもたらす。
心にはささやかに存在する線ひとつあればいい。
残るものはひとつの対象なんだなと思う。
多く描かれた絵本に囲まれ、僕らはひとつの対象になるものを選んで行く。
今晩から蚊取り線香を炊く。
空間という対象について、戻っていこう。

http://homepage1.nifty.com/caption/homepage/miwa/ex08.htm

土曜日, 5月 24, 2008

実験的な取り組みなだけに勿体ない

はじめての面子で、明るくなるまで大富豪。
ほとんど負け。縛りとか八切とか実家に無かったルールにはやはり慣れない。外社会は厳しい。すぐに金は無くなる。
録画しておいた「週刊 真木よう子」(テレビ東京/2008)の第8回「恋泥棒ヨーコ」(監督,大根仁)を見るが、これが心証を悪くさせる内容で残念だった。裏打ちの無いナンセ ンスはつまらない。30分一話完結のオムニバスで、ルールは主人公が必ず真木よう子であること、という実験的な取り組みが面白いだけに勿体なく感じる。こ のごろの回はどうも「国家権力に恨みでもあるのか?」と思わせる脚本が多い。痛烈な風刺というわけでもなく、ただの愚痴のような感じで質が悪い。
第4回の「中野の友人」(監督,山下敦弘)が 見ていて いちばん気持ちを持っていかれた。
企画(ハード)良くとも、脚本(ソフト)が良くなければ・・と考える。

黄桃の缶詰を開けて食べる。こいつは保存が良くて、使い勝手が良くて。

http://www.tv-tokyo.co.jp/makiyoko/

金曜日, 5月 23, 2008

話すべきことに至るために

心は何よって開くか。
芸術とは何ですかと飲みの席で聞かれるのは嬉しい証明であった。
あらゆる次元に話題が浮遊したとして、
芸術とは何であるかという命題を鎖にして、
ここに帰ってくるだろう。
心はそのとき開いてくれるかもしれない。
iPod のイヤホーンが外される瞬間。

木曜日, 5月 22, 2008

何度でも私は

何度でも私は話す。それが私の仕事だから。
何度でも私は歌う。私の歌を待たせている。
何度でも私は読む。私の詩が私のものにならないように。
何度でも私は描く。私の画は私が撫でていた。
何度でも私は放置する。私の愚かさを前にして。

水曜日, 5月 21, 2008

Napoleon Dynamite

アメリカ人だからってみんなイケイケなわけじゃないし、日本人だからってみんな奥ゆかしいわけじゃない。みんなすぐに冴えない日々を抱えてしまうものだ。 それでも何かしたいと思って懸命に、いっちょやってやるぞと思うときもある。そんな心の動きはとても正直で、すぐにいろんなものにあらわれる。
映画「バス男(原題・Napoleon Dynamite)」(監督,/ジャレッド・ヘス/ジョン・ヘダー、 エフレン・ラミレッツ、ティナ・マジョリー/2004)にはそんな動きの様が 丁寧に優しく描かれていた。グラウンドで、へっぴり腰でボールを押し合う彼と彼女は、とてもどんくさくいけれど、爽やかに愛しく映ったのだ。

http://www2.foxsearchlight.com/napoleondynamite/epk/index.php

火曜日, 5月 20, 2008

砂山が流れる

自信の理由は求めない。その時点で自信だった。
波が砂山を崩すのを見ていた。それは早送りをしても見ていたかった。
憧れをまた続けよう。嘘の笑いではこうも繋がらないはずだ。
そうやって信じることに返る。砂山が流れるのを知っていたとしても。

月曜日, 5月 19, 2008

猫の鬱が生まれてはじめて雨に濡れた

ずっと詰まっていた流しのパイプを外す。
ピンセットが滑り込んでしまっていた。
それを取り出そうとピンセットが要る状況になった。
割り箸で要を成す。パイプを戻し、液状の洗剤を注入する。
小蝿が舞う。
手を石鹸で洗う。
夜、お腹にやさしい親子丼を食べる。
必要な書類をまとめる。
核心を突く仕事をまだ求めている。
何度も浮き沈んでいる。
水戸黄門のようにはいかない。
流しは流れるようになったが、シンク自体の取り付けネジが緩まってしまい、ガコガコ揺れる。
大雨に備えて早く寝よう。
しまったビールを買い忘れていた。
この部屋はトイレと流しと風呂シャワーがずっと一緒だ。
今日は猫の鬱が生まれてはじめて雨に濡れた。
全身を少し濡らして、走って帰って来た。僕はそれを体(たい)で拭いた。

日曜日, 5月 18, 2008

テロリストはとてもまじめ

「幽閉者・テロリスト」(監督,足立正生/田口トモロヲ、ARATA、PANTA、荻野目慶子、赤瀬川源平、若松孝二/音楽, 大友良英/2006)は、優しい語り口が恐ろしい。
映画の宣伝文句にあるように、この映画が作られて発表されること自体が事件だ。
低予算映画の宿命か、人物の心理描写は顔の表情を撮ることだと信じているからなのか、アップが多くて画面が苦しい。その感じが逃げられないどん詰まり感にも繋がって効果的ではある。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(監督,若松孝二/2008)もそうだった。
この手のカルトばかり見ていると狂信的だと思われがちだが、斜に構えて見ている。テロリストというのは哀れなまじめっ子なんだなと思う。おそらくは通りす がりの赤の他人が言っていることを真に受ける性格だ。やりきれないもの、まちがったものを許せないあまりに、まちがったところに落ち込んでしまう。しかし この映画の恐ろしいところは、その姿を美しく散るようなかたちで消してくれない。例えばヤクザの任侠映画のように、自己陶酔を最終目的とはしていないと思 われる。
常に問題はできるだけ現在形に置こうとされ、自己矛盾への追求が、無力を積み上げてなんとか力を得ようとする言葉の構築にも似た、呼びかけ、アジテーショ ン、独白、朗読が続く。それは不毛の美学ではなく、もっと肉迫している。PANTA が語るエンディングは銀幕を超え、鑑賞者へ託される。
まだ生きる戦いは続くと。
テロリストは自らのまじめさを笑うことができない。
だから映画を撮るのだろう。
社会を変えるために詩を読もうとは、僕は思っていない。
どう読むかは自由だから。

http://www.prisoner-m.com

土曜日, 5月 17, 2008

つくる。に行った。今日はおめでたい新聞調

「つくる。」というスペースへ行った。
愛知県木曽川市にある元繊維工場と母屋の日本家屋を、庭師の古川乾提氏「m28e」らがリノベーションしたところである。本職の職人さんらが手をかけておられるので、空間構成に手が行き届いていてかっこいい。
ファインアートの者だけではなく建築やデザイン、職人さんらが集まって、ここで何かを「つくる。」ことを続けようという。大きくは「オルタナティブ・ス ペース」と呼べるが、チームメンバーだけで運営していく「アーティストラン」とはまた方向性は異なるようだ。DMには「Working Laboratory」と小さく印字されている。

その「つくる。」のオープニングパーティが今晩にあった。
関東から滞在制作で来られている 中島佑太氏による「記念豆祝祝堂本店」というワークショップパーティが開かれた。メニューに並んだのは赤飯グリーンカレーと、鯛焼き一匹の鋳型をしている 市販のタイ焼き器を使っての鯛焼き。わいわいと焼く。そしてお客さんからたくさんの差し入れ。僕は赤福ではなく御福餅を献上した。おめでとうと乾杯の声。 広い玄関と軒先でくつろぐ、賑やかな一夜を頂いた。煎れた珈琲も美味しい。

母屋と繊維工場の空間に作品を展示する「first contact」と銘打たれた最初の企画展は来月の7日からはじまる。7日には ゲストDJも来られてのパーティがあるそう。


http://m28e.blog.shinobi.jp/Category/5/

http://houseof.exblog.jp/





金曜日, 5月 16, 2008

新旧いつも「つづく」がいのち

百合は一本一万円もするけれど、うまく育てれば来年も咲くのよとおばさんが言っていた。
今朝、珈琲をおかわりして二杯飲む。会議室で一杯。夜、頂き物のケーキと共に一杯。
いつでも飲めるからねと言って帰る。

みんなニコニコ動画を見ているという話を聞いた。ビデオアート云々進化の兆しありとの論文を今度読みたい。私はまだあの文字が流れていくのにどうも違和感 を感じてしまう古いくちだが、それも新鮮な裏返しで、時間の問題かとも思う。そんな若年寄りな抵抗を語るより、感覚の理由を観察するほうが大事だ。あんな 大胆な文字テロップは疲れるということか。思えばテレビのバラエティーで大きく表示される文字テロップにもみんな慣れてしまった。あれもはじめは鬱陶しい 気もした。そのうちに右から左へ流れるな。文字はテロップとしてのみ認識され、イメージの画像と分離していく傾向にあるのではないか。文字と映像の関係 は、私の最重要課題なのでこの話は続きます。

部屋に帰ると、「珈琲」ではなく即席でつくる「コーヒー」しかなかった。今日はもう飲まない。
お菓子を齧りながら YouTube を徘徊。
いつでも見れるからねと寝る。

http://www.youtube.com/watch?v=SuzD-l3XpSk&feature=related

木曜日, 5月 15, 2008

我、言語を覚え眺望す。言葉を忘れるためにと、山彦あり。

仏にある言葉への視点 langage と langue。英では一色単にして language と呼ぶのか。首をひねりながら読んでいる車両内には 独家族の笑い声が響く。きっと言葉を発することにより変わっていくのを信じているから、そこでは研究が進んでいるのだろう。ここは日の料理と酒による山岳 の眺望にあり、湯より出づる牛乳飲み浴衣を以てくつろぐラウンジには西が生んだ前世紀の天才による画集が放置されている。韓の男女による呼びかけを横切っ た。夜空の下に出た濡れ髪はおそらく中の方。ネットカフェへ入ると携帯電話で話す大声。Maipenrai ka と泰の笑声(e-goe)が通る。寝室だけが欧の様式に従っていて、テレビは衛星放送で Beatles を囲んでいる。日から発射した電波を日で受け止めていることになっていて、そのおかげで小四にて聴き惚れる者もあらわれることができた。流しているのは 英による In my life の歌声。前世紀の録音。しかし米の老歌手による In my life も味わい深かった。顎をさする。夢を夢のまま歌う K1御仁が出ておられた。日が誇る rock musician。ああ、阿呆船は何処。歌によって変わっていくのを信じているから、ここではテレビが進んでいるのだろう。明らかにサエキ氏なヘンタイく んのアニメを見て寝る。Flash 覚えねば。

水曜日, 5月 14, 2008

W check・アンダーラインを引いた頃

いつも problem は 因果を持って生えてくる。
「失礼致しました」と前向きな力を共存させるべく、いつでも頑張ってきた b-n-a-p もあんなにずたぼろだったけれど。あの experience を失うのは馬鹿だ。
夜に、時差を数えてパソコンを囲み数人で珈琲を飲みながら Radio Curatibg を聴こうとする。が、異なる印象に不安がっていると、放送がはじまったところでストリームURL を間違えていたことに気付く。W check が要る。やはりそれが experience からやってこなければ。
極めて冷静な視点がそうさせていた。数年前と、更にその数十年前に。
何が正しい操舵かは分からないが、自らを殺すのも、生き永らえさせるのも、どちらも何処か寂しいところを感じる。どちらも無下に行使できない。若いという のはその寂しさを嗅ぎ分け、それでも何とかなるさと思う、即ち hope を見ている。それが打ち砕かれる様が experience という瓶に溜まっていく。それでも私は hope とラベルに印字できるだろうか。うまく刷り出せないものは とっととリサイクルゴミに出そう。私がまだ revival できるかを見出すのも操舵。正しくあるか知らない。そうして一喜一憂を繰り返すのも蒸留に着くまでの常よ。
パソコンから流れてきた彼女の声による私の名前。そして あの若き目をした黒沢明好きの男による German が、8時間前のいまちょうど昼だからカフェで珈琲を飲んでいるはず。詩が読み上げられ、続いて Murcury氏の歌が流れた。
帰宅し、布団に潜りながら「選挙 」(監督,想田和弘/山内和彦、山内さゆり/2006)を見て、「失礼しました!」と張り上げる声を前にする。この操舵は。

http://www.laboratoryx.us/campaignjp/index.php

火曜日, 5月 13, 2008

5.14 英国ロンドン発ラジオ Resonance FM から、Jimin chun が送る Radio Curating にて!

■ 「Radio Curating」
  英国ロンドン市でのラジオ「Resonance FM」にて、詩が流れます。
  DJ, Jimin chun さんが様々なアーティストを紹介します。

日時・2008年5月14日(水)21:30-22:00
放送局・Resonance FM

受信方法・オープンストリームを読み込むと、
     iTunes などのMP3プレイヤーで聴くことができます。無料。
     放送寸前まで間違ったストリームURL を載せてしまっており
     失礼致しました。
     配信が終了しましたので、URLを削除しました。
     読み込まれたストリーミングからは、現在 何も聴こえなく
     なっております。


月曜日, 5月 12, 2008

POET MEET THE GAINER

自分の場合、アウトプットが先に意識されるアイディアはあまりうまくいったためしが無いように思っているので、それを自覚して取り組む。
イマジネーションは予定調和なものをはね除ける。裏切る。
とも限らない、のが面白い。
一文字、一文字、一語、一文、一段落。
それでなにがどうなるだろうと続こうとする。

http://gainer.cc

日曜日, 5月 11, 2008

人恋しさに猫が哭く

ジャズ喫茶に JAZZ とプリントされたTシャツを着て、僕らはオリオンビールを飲んだ。
久々の顔ぶれで、セルフの焼酎スタンドも早々に。
今宵もテレビはサッカー選手と野球選手の功績を映像で綴っている。
人恋しさに猫が哭く。選手達の煩悩のことは言うべきではない。野暮な話。ニャーニャーで何度も起きてしまう。

土曜日, 5月 10, 2008

疑っている数学は見知った程度の数学である

人の智恵は合理的なもののためにだけあるのではない。
なんとなく奇麗だなと思っていて、近寄りたいために多く行使されているものだ。
作り込まないスタンスで画面を決めたいと あるアーティストが言った。
私は理屈を飛び越えてスタンスも伝わっていくことを話したつもりである。
互いの希望は同じ部屋に並べられ、ではまたと会釈をして置いていかれた。
それを保存と呼びたくなる気持ちだったのか、そのあとで私は長い昼寝をした。

金曜日, 5月 09, 2008

skype in mid

きみは同じ星の違う国にいる
ぼくは違う星に憧れて違う国へ行く
きみとぼくは同じ言語を選び、違う言葉を照らし合わせる
きみとぼくは違う言語で、同じ言葉を見つけていたかもしれないのだ

木曜日, 5月 08, 2008

不当が残っていて

早大に中国主席が来ていて、ピンポン外交と講演にアピールがあった。前向きなことをカメラの前で言おうとする学生もいれば、チベットに自由をと叫び旗を振る学生も同じキャンパスにいる。その報道を見ながら、この違いは決定的だなと思うもはや学生ではない私がいる。
お辞儀の角度は45度、第一印象の為に明瞭な笑顔と声の併せ技で話している内容は何でもいいらしいが、既に声と言葉は一体となっていて伝わるものができあがっているはずと私は鼻息を荒くしていた。
祭りの後には不当が残っていて、誰もが決定的に呟くだろう。

水曜日, 5月 07, 2008

The monks from you

We be continue the words!
I'm glad to see the monks.
I'll looking for the monks from my inside.

火曜日, 5月 06, 2008

泣かない女はいない

文庫本の表紙全面に水色の写真があり、明朝体で「泣かない女はいない」と書かれている。
「泣かない女はいない」(著,長嶋有/2005)の文庫がそれだった。
先日、ブックデザインの特集雑誌で村上春樹の中国行きのスローボートの文庫本デザインが紹介されていて、前からあの文庫はすっきりしていて良いなと思って いたのと重なったのでそのデザイナーへのインタビュー文を読んだ。この長嶋有の優しい本にも、優しく同じ息づかいを感じさせる文庫デザインが施されている と思う。
ありがちな内容の紹介文のようだが、この春から新社会人になった方々へ、かつて新社会人であった皆様へ、会社の日々は愛おしい。か。主人公が女性だか らと言って女性向けというような狭い範疇の小説ではない。なんでもないシーンに泣いてしまう話である。仕事で出会ってきた人々の顔ぶれを思い出す。他の同 僚はみんな B'z とかで騒いでて、自分だけが洋楽聴いてて、小学生のときの体験を根っこに意識していたりとか、そんな関係に頷く。
余談だが、著者の長嶋有は コラムニストのブルボン小林でもあって、いつもその趣味趣向に感銘を受けてしまう。本書にもそんな囁きが見え隠れしており、全体を包む独白感を強調していると感じた。

http://www.n-yu.com/

月曜日, 5月 05, 2008

ここにこうしていてください

たくさんのことを繋げていろんなことを呼んでいても
これはあなたの言葉だと、見えることが要る。
祝辞が夜の空を飛ぶ。
尊く美しいものを鎮座させるために。
ここにこうしていてくださいと。

日曜日, 5月 04, 2008

私の声が聴こえてますか/あなたの声が聴こえた気がした

家電量販店で良いヘッドフォーンが欲しくて、自分の iPod を繋げて試聴を繰り返した。
宇多田ヒカルのアルバム「HEART STATION」(2008)がとてもいい感じ。
何かのジャンルに属するようなやり方ではなく自分のペースで言葉を回して、自分を軽やかにしようとしているスタンスが感じられていい。古いとか新しいとかの受け狙いを感じない。
日清カップヌードルという言葉を負荷にしないかたちで挿入したりするところにそれを強く感じる。(Kiss & Cry)
ヘッドフォーンは重要だなと判断し、もっと考えようと決めた。

http://www.youtube.com/watch?v=cKMPzkJT4XY

土曜日, 5月 03, 2008

言葉の伝わり方を路上で汗だくになりながら思う

陽射しは強く、街宣車が五月蝿い。
どんな美辞麗句を読み上げていたとしても面倒なのでどうでもいい。
歯を磨けと怒られるほうが、ただの一言でグッサリと胸に突き刺さる。
そしてそれは図星という名の星の下に名を持った無精の成せる技である。
平和とは、毎朝きちんと 歯を磨くかどうかにかかっている。
晩ご飯に駅ビルで茄子の天ぷら入り冷やしうどんを食べた。
街宣車はどこにもいなくなっていた。

金曜日, 5月 02, 2008

冷たくて、ちょっと怖いけれど、きっときもちいいよ

岡村靖幸が法廷で自作の詩を朗読したらしい。

※岡村靖幸被告が法廷で朗読した詩に関して、表記等は正確さを欠くが、詩の大意は以下の通り(一部抜粋)。
「裸足で氷の上を歩くようにしか人を愛せない」
「なぜだろう みんなはスラッスラッとプロスケーターのようなのに」
「嘘をついて 嘘をついて 嘘をついて」
「裏切って 逃げて」
「これは本当のぼくじゃない」
「ぼくは寂しい」
「ぼくは生まれてよかったのだろうか」
「時代とうまくやっていけない」
「友達とうまくやっていけない というか友達がいない」
「大事なことがやっとわかった」
「本当にやりたいことは 君と川を泳ぎたい」
「いっしょに真夜中の川を泳ぎたい」
(「ナタリー」2008年5月2日13:40 記事より。改行位置筆者変更。)

http://natalie.mu/news/show/id/6882
  

木曜日, 5月 01, 2008

岡田さんと伊集院さんのこと

あの激痩せで度肝をぶっちぎりで抜きまくった岡田斗司夫が徹子の部屋に出ていたので録画しながら見た。
外見は別人だけど、話し方はまんまオタキングだったので安心した。
まったく別の番組で伊集院光が岡田斗司夫に仕事で取材をしに行ったというラジオを聴いた。
社会的に認知される成功を修めたときのオタクは質が悪いくらいチョーシにのるもんだ。自分がそーなのでよくわかる。なのでどちらも落ち込まないでほしひ。
どちらも話が面白くて、人を惹き込ませる。
そうやって生き抜いてきたんだなと。
なんだか身内とかにありそう。自転車に乗りながら思い出した。

http://www.youtube.com/watch?v=RoOtW6d0t1w
http://www.youtube.com/watch?v=lAdZDeiYpsQ&feature=related