いつも problem は 因果を持って生えてくる。
「失礼致しました」と前向きな力を共存させるべく、いつでも頑張ってきた b-n-a-p もあんなにずたぼろだったけれど。あの experience を失うのは馬鹿だ。
夜に、時差を数えてパソコンを囲み数人で珈琲を飲みながら Radio Curatibg を聴こうとする。が、異なる印象に不安がっていると、放送がはじまったところでストリームURL を間違えていたことに気付く。W check が要る。やはりそれが experience からやってこなければ。
極めて冷静な視点がそうさせていた。数年前と、更にその数十年前に。
何が正しい操舵かは分からないが、自らを殺すのも、生き永らえさせるのも、どちらも何処か寂しいところを感じる。どちらも無下に行使できない。若いという のはその寂しさを嗅ぎ分け、それでも何とかなるさと思う、即ち hope を見ている。それが打ち砕かれる様が experience という瓶に溜まっていく。それでも私は hope とラベルに印字できるだろうか。うまく刷り出せないものは とっととリサイクルゴミに出そう。私がまだ revival できるかを見出すのも操舵。正しくあるか知らない。そうして一喜一憂を繰り返すのも蒸留に着くまでの常よ。
パソコンから流れてきた彼女の声による私の名前。そして あの若き目をした黒沢明好きの男による German が、8時間前のいまちょうど昼だからカフェで珈琲を飲んでいるはず。詩が読み上げられ、続いて Murcury氏の歌が流れた。
帰宅し、布団に潜りながら「選挙 」(監督,想田和弘/山内和彦、山内さゆり/2006)を見て、「失礼しました!」と張り上げる声を前にする。この操舵は。
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