金曜日, 2月 29, 2008

これからの仕事の名前は

電車で行って帰ってくる間に、これからのことがやってくる。
犬可愛がりで過ごす晩のうちに、これからの愛情が立ち上がる。
薪ストーブに木っ端をくべてマッチの軸ごと燃やす。僕たちの仕事の名前は何なのだろう。寺山修司の仕事は寺山修司だと答えていたらしい。
「レトリシアンというのは結局、気の弱い人間なのだ。」*
にやられる。
そうなのだろうと思う。でもだからといってそのままに言うことができない。
この愛情を安物で役立たずにはしたくない。
出しそびれの手紙が「出しそびれ」と書かれた箱に自ら向かう。その背中を呼ぶとき、僕の仕事は詩人だ。

*「戦後詩—ユリシーズの不在 」(著, 寺山修司/1965/ちくま文庫版 P175 L7)

木曜日, 2月 28, 2008

そう、良心が試されている

駅裏の寂れたスガキヤで一冊の本を読み終えた。
「戦後詩—ユリシーズの不在 」(著, 寺山修司/筑摩書房/1965)。
その本は光っていた。
店内には誰もいない。
調子いいだけのことを言っている場合ではないと思った。
少なくとも、この自動ドアをくぐってからは・・。

昨晩 白土舎で見た、鷲見 麿 個展「all about maro VI / ファティアへの道」が面白かった。雑誌の表紙デザインを模しながら追求対象を滑り込ませていく。そしてそれを全てしっかりと描写していくという分厚い絵画 だと感じた。これは怖くない。おかしい優しさだ。

そう、良心が試されている。
呟いて、この冷たい路地を行く。

http://www.h3.dion.ne.jp/~hakuto/gcurrent.html

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480027399/

水曜日, 2月 27, 2008

やっていかれません

「自分の作品がいちばん良いと思っていなければ、アーティストはやっていかれません」

「≒ 草間弥生 "自分大好き"」(監督, 松本貴子/2008)。
制作を続け、言葉を発する姿は圧巻。
あらゆる後ろ向きなものを超えていくのは自分自身の動きだ。
自分を助ける行為を軽視してはいけない。

http://www.kusama-loveforever.com

火曜日, 2月 26, 2008

sweet biteer candy いまは冬〜春のために

土砂降りの中を走り抜けると一気に悔しくなったようだ。
男は駐輪場にて咆哮してしまった。

「Sweet Bitter Candy -秋〜冬-」(作詞, 白井良明、鈴木慶一/作曲, 白井良明/feat, 奥田民生/1998)を聴いてからはや十年。
ポケットに星くず持ったっけかな。

http://www.youtube.com/watch?v=njEmFKzdQEs

月曜日, 2月 25, 2008

隠喩(本当は何も無い)の最期

誰とでも親しく話すことができるのは素敵なこと。
面倒だと言ってしまえばそれまで。
幾つかのタイミングを模索する。
ここで足止めされていることを、言い訳に仕立てていることに気付くのも後少し。

日曜日, 2月 24, 2008

克明にあるのは翌朝かもしれない

寝ている間に買ってきてくれていたヨーグルトで目覚めた。展示を見ていない面子で芸文センターに向かい、ぐるっと鑑賞。搬出ののちに、豚ちゃんの店で乾 杯。スムースに展開したぶんだけ、頭に浮かぶ希望のサインは主張強く灯る。ただそれはまだ霧の中にあって読み取ることができない。克明にあるのは翌朝かも しれない。でも今夜はそれがあるなと思うだけで良かった。帰って、日本酒の瓶を片付けながらロス疑惑の報道を見ると、いまここから二十七年などすぐなのだ なと思う。置いたままの疑惑は晴れない。明日は部屋掃除だ。

土曜日, 2月 23, 2008

アーツチャレメ

「アーツチャレンジ2008」のシンポジウム見学と、打ち上げ会にお邪魔させて頂く。
あらゆる方向においてチャレンジングなんですこの機会は!と伺う。
雪がちらつくなかを、車に乗せて頂き帰る。部屋のなかも変わらず冷えていた。
いつもの顔ぶれも集まってきて、畳の上で飲む。愚痴ってないでファミコンだ。泣いて笑って、くたばった。

金曜日, 2月 22, 2008

陶酔することができる奴と、呆れることができる奴の違い

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(監督, 若松孝二/坂井真紀、ARTATA/ナレーション, 原田芳雄/音楽, ジム・オルーク/2008)をレイトショーで見た。

重く息苦しい。これは若者が突っ走った先にある前線のどん底だ。
映画館横のカラオケ店前 路上にたむろして抱き合っていた茶髪の厚底靴ビジュアル系十代らと何も変わらないはず。
「70年代は敵がハッキリしていて羨ましい」という現代の文句をよく言うが、実は何も変わらないのだなと思った。自己批判、統括か、マジレス、mixi日記更新 何も変わらない。連帯の名前を信じる方法が同時代的ということである。
敵はいつもハッキリせず、自分自身が呼んでいる。

山中、ベースキャンプでの内ゲバシーン。
殴ることは革命的指導だというメチャクチャな論理が異議無しとされていく集団心理の作用は、人間社会の宿題なのか。大義の為には犠牲が要るという聖戦の教典を引用して、歴史はいつも本末転倒をしている。
人の矛盾・・
そんな言葉ではサブイボが立つ。
そこで陶酔することができる奴と、呆れることができる奴の違いを考える。
あさま山荘に立て篭ったときに、銃を持ちながらカレーをかきこむ姿が哀しくて泣けた。

http://wakamatsukoji.org/index.html

木曜日, 2月 21, 2008

また罵倒しているな、男が

love and hate.
多層なる思いは初期衝動で説明しきろうとすると無理がくる。
説明しなくていいのだが、これが難しい。
どうしても分かり合いたいと思っているから。
最後の一音を信じて、コーラを飲むとしよう。
また今夜も雇われ店長が罵倒されている。男が先頭に立っているのが見えた。
こんなところでの憎しみなど、吸い殻入れのバケツに流しておくれ。
すぐに朝で明るくなる。
殴ったと思っていた男は、殴ってきた男だった。即ち私の頬であったのだ。
欲望はまだ尽きない。こんな状況をどうして世界中に知らせる必要があるのか?
何を暴こうとしている。
これは大きな賭けか。
罵倒するされる間のことよりも、その周囲の話ばかりしてしまう。

水曜日, 2月 20, 2008

阿呆船

「ヘイト船長とラヴ航海士」(鈴木慶一/プロデュース, 曽我部恵一/2008)を聴く。

阿呆船 "あほうふね" と口に出すときの噛み応えがグッとしていて、この愛憎を撫でる感じだと確信する。



http://www.cdjournal.com/main/interview/interview.php?ino=86

火曜日, 2月 19, 2008

春に向けてのベストウェイ

机の上に紙を敷く。生成り色のグラウンドを成して、その上に 仕事道具を置く。
ワープロから Mac、鉛筆、コピック、色鉛筆。野外写生用の持ち手が付いている木製筆箱。古いモデルのミニDV カメラ、35mm のフィルムカメラ、200万画素のデジタルカメラ、すぐに電池が切れてしまう。メモリはコンパクトフラッシュ。その横にインクジェットプリンター、引き出 しにフラッドヘッドスキャナー。セロテープ台、画板、スポットライト。背後で本棚が悲鳴を上げている。読んでいないのに次から次へと買ってくるから。ほと んどここいらの古本屋や図書館のリサイクル市からかき集めてきていて、知への欲望や、ただの性欲や、説明つかぬ欲望の動きが本棚の面(つら)にある。
菅野美穂のヌード写真集はもう手放した。東京オリンピックの写真全集は手放さない。今度 市川昆の映画と併せて見よう。
ただしまい込むだけではなく、あるべきところにそのものがあるようにと 春に向けて助走に入ったのだ。

日が暮れる頃 とても息苦しい思いがして、おつとめ品のパンをむさぼり食った。
これはスーパーで三つ二百五十円に割り引かれるセール品だったが、何故か無性に勿体ない気がして二つだけ購入してしまった。変にケチなところが自らの足を引っ張っている。
夜には、電話口で ベストウェイという単語が連呼された。

月曜日, 2月 18, 2008

あなたの行い

階段を上ると愛想笑いの男が待っていて、順序良く説明をはじめた。
「あなたの行いは宝くじ二枚ぶんであります。
 この招待券は "くじ" ではありませんから、是非 有効に使って下さい。」

声が遠のき、カーテンが開いてすぐ閉じた。暗がりでは誰が誰だか分からない。
押し入れの奥で眠っていたマフラーを撫でる。
"あなたの行い"
反芻する。
これは技術の問題では無くて、情熱の問題だ。
要領良く、男は朽ち果てることを勧めた。
それを聞くとなおのこと、泣いてもいいかなと尋ねたくなる。
女は何も知らないと言うだろう。
女は脳みその色彩をがばっと開く。
「おしぼりはべんりだね」
と私は言った。
たとえ、ここで泣いていたとしてもそう言ったと思う。この言葉には約束されていたのだ。
男を殴り、私は階段を下りた。

日曜日, 2月 17, 2008

土曜日, 2月 16, 2008

おしりをかじるだけだ

おしりかじり虫飴のおしり味を食べる。
うまく転がらないものを無理に転がそうとするのはとても疲れるので、
どうしたら軽くなるかを見極めるのもスキルだと思う。冷静に。

金曜日, 2月 15, 2008

チャレンジにはいつも期待している

のこり一ヶ月となった定期と、一日目の紐靴で向かう。
愛知芸術文化センターで「アーツ・チャレンジ2008」を見る。
改めてギャラリー空間とは作品を見せるのに安定した場所なのだなと思った。やはりロビーやラウンジでの展示は難しい。だからこそ面白いのだけど、難しいと思う。その「場」を変えること。掲げるのは容易く、具体的に言うのは仕事だ。
自分ならばどうするか途方も無い。でも向かいたい。チャレンジにはいつも期待している。

http://arts-challenge.com/index.html

木曜日, 2月 14, 2008

燃えるマシュマロ

頭はブルーとピンクの虹色で、黄色い肌をしてニッコリしていよう。
辛い力と甘い力にまみれ、話すべき奥地に入って行く。
ガスコンロで箸に突き刺したマシュマロを炙ると、かなり離れていても火が飛び移ってゴグオーッと音を出して燃える。吹き消しても真っ黒である。

水曜日, 2月 13, 2008

ボンカレーはどう作ってもうまいのだ

朝のテレビでみのもんたが、ボンカレーメモリアルだと食べていたのを覚えていて、食べたくなり購入し即夕食にする。ブラックジャックの台詞を引用す。湯を沸かすだけで、うまい。レトルト技術の功績はでかいぜ。当たり前になっているというのは凄い評価だ。

http://www.boncurry.jp/index.html

火曜日, 2月 12, 2008

魔法のように立つ力

わたしの踊り子よ、手のひらの光で回るアンヨは低速に。
年老いたとき、いままでの人生の全ての瞬間を思い出して、脳味噌が一杯になって、もう入らないよということがないように。
文句も言わずに並んだぶん、汗をかくのかな。
風邪もスポットライトで直射すれば ふにゃふにゃになるだろう。
わたしの言葉よ、と呼びかけても
そんなものはないんだよ。
手のひらの光で滑るラインは黙って、全てを言う前で、
ちょうどいいところで立つ。

月曜日, 2月 11, 2008

マーガレット・ティアー・スター

一本だけ吸わせてとベランダに出る
その前に揺れる波間
カーテンともお布団とも異なる漂い
僕らの流れ星は
煙を高くに置く
花の名前を並べた詩を書こうと考える

日曜日, 2月 10, 2008

これは雪じゃない

雪は一晩で
嘘みたいに消えた
嘘が雪みたいに消えたのか
午後の陽射しを受けて
誰にも見届けられずに
消えていったようだ
迎えを待つ人と、迎えに向かう人の間にある小道で

土曜日, 2月 09, 2008

雪は形而下の気候現象だが、形而上の色を見せる

そういう私はどこで何をしているのだろう。どんなときもと綴った日から、目を塞ぎたくなったときもあったけれど、なんとかここでこうしている。
形而下の問題についてのリストアップはアルファブロガーの方々にお願いして、私は細々とでも形而上の問題をここで述べていたい。
私には季節に関わらず、寒いときと温かいときがある。

金曜日, 2月 08, 2008

デスノート

「DEATH NOTE」(監督, 金子修介/原作,大場つぐみ/藤原竜也、松山ケンイチ/2006)の後編を日テレで見た。疎いことに ようやくデスノートを知った。Lはかっこいいなぁ。
しかし、このお話がヒットして出てくるところが 00年代なんだろうなと思う。80年代にこの漫画は描かれない。ジャンプはそのときの少年心理を掴んでいる。「デスノート」に熱血や根性の汗を振り乱す ヒーローはいない。冷静な知性による把握が優れたものとしてある。頭脳戦の漫画が無かったというわけではなく、「デスノート」ではあらゆるものが「厭世 観」の上に意識されているのだ。
厭世観とは「どうせ世界はこうなっている」という目だ。
80年代には たとえ頭脳戦を描いていたとしても「まだまだわからないぜーッ!」と歯を食いしばっていた。デスノートは違う。名前を書かれた者は死ぬ。それは変えられな いという達観がある。これはネット世代の「厭世観」にシンクロして支持されるのだろうなと、どうしても考えてしまう。情報で把握されている世界を、恐怖と いう情報で支配しようとする「キラ」は、テロリズムのそれと同じだ。マスメディアによって整頓された情報に反する力として流行する都市伝説にうまくそれを 絡めていて、リアリティのある面白みを作ることに成功している。「デスノート」の面白さは、Lと月の頭脳戦では無く、そのリアリティにあるのではないだろ うか。前編のほうが面白く感じた理由をそう考えた。
ノート自体に手で名前を書くという設定も、筆記行為が、キータイプよりも崇高に捉えられている意識のあらわれで面白い。小学生のときに、赤鉛筆で人の名前 を書いたらその人が死ぬでとうわさされていたのを思い出した。いまでも時々、赤字だとか意識するが、あれはデスノートより怖いな。デスペンだ。
デスブログというのも想像したが、例えば個人や企業の具体名を挙げて罵倒し、実社会的に陥れるような匿名掲示板なんてのは、既にそれであった。
ここで、匿名の者は殺されないという卑怯な在り方が浮かび上がる。デスノートのルールとも合致する。実名を名乗る者は、リスクを背負う分だけ強い。

http://wwws.warnerbros.co.jp/deathnote/

木曜日, 2月 07, 2008

万年床新生

センベイ布団という呼び名は正しくて、本当にセンベイみたいに固くなっているのを自覚した。いよいよ寝ることが苦痛となってきた。万年ぶりに新しい布団と毛布一式を購入。いままでの眠りが嘘のよう。
猫の鬱がいちばん喜んでいる。潜り込んで出てこない。部屋の中では依然、息が白い。
「眠りのなかに、更に眠りがあったんニャよ!」とはしゃいでいる。

水曜日, 2月 06, 2008

イケナイコトカイを聴きながら

「仮に」という前提も無い。
僕は君をどこまでも信じている。

MEG が歌う「イケナイコトカイ」(作詞、作曲, 岡村靖幸/1987)を聴きながら。

http://www.youtube.com/watch?v=uTNgnKzQYXo&feature=related

火曜日, 2月 05, 2008

カンガエテマース

近所のスーパーで総菜品の餃子が山積みにされていた。手前には日本製の原料を使用しているので安心ですと貼り紙。90円に値引きされていたのに吊られ購入。ちらし寿司のパックと夕食に。
近所のレンタルビデオ屋が一本 200円のセール日なので向かうと、来週は一本 100円セール実施と店内の至る所に貼り紙。空しくなって何も借りずに帰る。客に温かいんだか、冷たいんだか。
おそらくどちらも考えていないだろう。
かく言う自分も然り。
一度放置して眠らせよう。
後頭部掻きすぎて。

「SDガンダム ガチャポン戦士2 カプセル戦記」(バンダイ/1989)で中山氏と対戦、資金源を完全に封じられ完敗。基本が成ってなかった。

月曜日, 2月 04, 2008

私達はプラズマテレビを通して、同い年がホームレスを撮影した番組に立ち会っていた

葛藤を憂うのは、私達の慰め合いにだけ向かう。
葛藤を暴こうとする悲喜こもごもだけが、私の背中を押す。
横で別の仕事をしている彼や彼女の背中も押されているのを自身で感じている。
「私達」とはそこにあると発見する。
大型プラズマテレビは「私達」を幻影として浮かび上がらせ、「私」を何でもないものへと融解させていく。それは功績と失態を同時に起こした結果だ。
しかし食べ終えた肉や米飯を片付ける遅くには、どんな結果も既に意識されない。
私は葛藤をゴミ袋にはたとえないよう努力する。
生野菜がゴミと呼ばれはじめる寸前の、シンク受けに葛藤を見ようとする。
私達はプラズマテレビを通して、同い年がホームレスを撮影した番組に立ち会っていた。

日曜日, 2月 03, 2008

詩人の仕事 for understand

人身事故が終わらない
猫の吐き気には高いキャットフードを
まだ見ぬ国についてとやかく言わない
彼女の祖国でもみんな困っている
誰が襲ってこようと恵方は恵方だ
もう漢字でごまかすな
小文字で誘惑するのも無しだ
お前の仕事の名前は用意されていない
あるのは高いうがい薬だけ
ノンアルコールの低刺激
ぴりぴりしない
嘘や勝手なことを決して言わない
賢者に、
遊び人は悟りの書が無くてもなれる
あれが堀井氏の素晴らしき仕事だ
猫のお尻の穴の数ドットも
数えればきりがない
ぴりぴりしない
人身事故が終わらない
彼女の祖国でもみんな困っている
理解を深めるには
恵方は毎日変わる
かと言って、ひらがなに敢えてするのもいやらしい
カタカナなどもってのほか
そんな程度の具合では、誰も助からない
そのうちに襲う方へ回ってしまう
それは避けたい No future,
cool じゃないほうの
悟りの書を捨てろ
うがいをせよ

土曜日, 2月 02, 2008

詩人の仕事 for fashion

思いを思いのままで他者に差し出すことはできない。
思いは一度何か「もの」に変換されアウトプットされてはじめて他者の思いになることができる可能性を持つ。
変換された「もの」を前にするのは、相づちを打つためではなくて、きっと憧れたり羨ましがったりしたい気持ちからではないか。
今晩、介した一同は他者のふりをして おめかしをする彼女を見上げていた。坂が入り組んだこの町はどこか故郷の港町と似て非なるのかどうなのか、吹き荒む風の冷たさ故か、画面のコントラストが 強い。小さな部屋がいちばん温かくなりやすいから、そうそれはまるで温室で、ワインやケーキを味わうには適していた。手紙とビデオは、達磨ストーブの前に 置いておいたから、温室で意味を忘れようとする色の流れで起こっているそれは即ち絵を見て過ごそう。介した一同はまだ他者のふりに徹することができない。
おはようからおやすみまではライオンの仕事なら、おやすみからおはようまでは、誰の仕事だろう。
寺山修司の本に現代詩は「おやすみ」ばかり語っていたとあり、そこにはじめて「おはよう」を言い出したのは、詩人の誰それと言うより事件であった。谷川俊 太郎、その人だと。だからその仕事はこれからの仕事。思いを眠りにつかせるのではなく、思いを目覚めさせるために。ここに介した一同が他者になるかどうか も、思いの動きに係っている。
おめかしからキスをしそびれた帰りまでを、誰もが語りたくてしょうがない。

常滑のギャラリー rin にて、伊藤良江さん「ヴェール」、永下山由香さん「逍遥」、川口淳子さん「wiederholung」、それぞれの作品を見た。オープニングパーティにあわせて 河村るみさんがパフォーマンスを行った。

http://www.rin2005.com/blog/schedule/index.html

金曜日, 2月 01, 2008

詩人の仕事 for fun

見上げすぎるとずっこける
しょげて歩くと肩ぶつけ
どこに目を
どこに目を
つけて歩いているんやい にーちゃん。もう にーちゃんって歳でもないねぇ。
おにい。
おにいは変わりませんが、
いよいよはじまる営みに
ぞくぞくしてみせる
一言で、彼女を振り向かせられるか?