月曜日, 2月 04, 2008

私達はプラズマテレビを通して、同い年がホームレスを撮影した番組に立ち会っていた

葛藤を憂うのは、私達の慰め合いにだけ向かう。
葛藤を暴こうとする悲喜こもごもだけが、私の背中を押す。
横で別の仕事をしている彼や彼女の背中も押されているのを自身で感じている。
「私達」とはそこにあると発見する。
大型プラズマテレビは「私達」を幻影として浮かび上がらせ、「私」を何でもないものへと融解させていく。それは功績と失態を同時に起こした結果だ。
しかし食べ終えた肉や米飯を片付ける遅くには、どんな結果も既に意識されない。
私は葛藤をゴミ袋にはたとえないよう努力する。
生野菜がゴミと呼ばれはじめる寸前の、シンク受けに葛藤を見ようとする。
私達はプラズマテレビを通して、同い年がホームレスを撮影した番組に立ち会っていた。