月曜日, 4月 30, 2007

day on tatami

フローリングと畳を雑巾で水拭きゴシゴシ。こんなに暖かい日にはすぐ乾き、とても気持ち良い。いつぞやの飲み会から積まれているビールの空き缶を、資源ゴミ回収場へ持って行った。白色トレイもどっこいしょ。
いろいろやることがたくさんあるぞと、手紙もまた積まれている。
郵便局は明日やっているだろう。
横になって、畳の上よりお送りします。

日曜日, 4月 29, 2007

バーリ・トゥード=何でもあり

安売りビデオ王のビデオを見て、興奮したり、嫌悪感を覚えたり。
制作も安売りで強行されているようで、やはり見苦しい映像の連発。しかし全編に満ちている「これでいいのだ」というエネルギー。凄まじき。
企画者の名前にテリー伊藤がクレジットされている。あの悪趣味ながらの貫いた批評性はここで養われたのか。
「ケンドーナガサキのバーリ・トゥード in 商店街!」(企画,テリー伊藤/監督,久保直樹/1995)。大日本プロレスのコアなファンなら正当な意味で感動するであろう面子が揃っているようだが、そんなマニアでなくてもこれには圧倒される。
商店街という場でアートが展開するという企画が通るならば、プロレスが展開する企画だって通るだろっ!という内容。市民の反応が押さえられているのが良い。ホワイトバランスなど知るかという、色飛びまくりのライブ映像。

何かが欠けているエネルギーに圧倒されたあとで、お口直しというか「Cool Dynamo ,Right on」(2007)シングルに収録されている PVを鑑賞した。外山光男の企画監督による水彩調のアニメーション。さりげないセンスの良さが光っていて、とても気持ち良く堪能できた。
エネルギーはともかく、レベルやクオリティについてを改めて考える。
バーリ・トゥードを捨てずに!

先日購入したメモリースティックとその他諸々を使用して、ケータイで見れるようにしてみる。しっかり見れるが、処理に時間がかかってしまうのでよっぽど好きなものでないと続けられなさそうだ。写メやバックアップには必須だったので購入したわけだが、何かと制限がつきまとうなぁ SONYってやつは。

http://yaplog.jp/super-lights/archive/811

http://www.directions.jp/originalworks/

土曜日, 4月 28, 2007

青い空で牢獄

「パラダイス・ナウ」(監督,ハニ・アブ・アサド/2005)を見た。

どうしようもない術は、どこまでもその姿を変えない。
嘆くしかないことを、嘆くなとは言えない。
言葉だけがその先を持ってて、その先を待ってる。



http://www.uplink.co.jp/paradisenow/

金曜日, 4月 27, 2007

ニッポンのありふれた席

ニッポンらしいコミュニケーションの構築方法はおあつらえの無理矢理がたいへん。不器用なのと気遣いは巧妙にすれ違う。呆れるほうがラクで、オヤジになるのは容易で。
「お疲れ様」に蔓延るマジックパワー。それでいーわけじゃないから怖いのだ。君はどうしているのか。見て見ぬふりで薄ら半笑いを浮かべるだけの男を想像する。second life のように、お前は ROMっているだけだと。向こう側を、この結果を。
僕らが待つ国よ。まだ見ぬ国の友人よ。オムライスを食べて備えているよ。嗚呼コミュニケーションや。会社、社会、会社、社会・・。

木曜日, 4月 26, 2007

Turnoff everything. For your life.

この頃、昼は出先ちかくのスーパーマーケットで惣菜を買っている。ほうれん草とこんにゃくが入った白和えが好きなので、それをよく選ぶ。周囲の皆はコンビ ニで済ましているようだ。コンビニに白和えは売ってない。菜の花を和えたものは更に好きだが、それはスーパーにも無い。土筆なども見ることはできない。幼 少期が、適当に食べてりゃいいという日々だったら、お目にかかることはできなかっただろうし、食べようとしないだろう。死ぬまでコンビニ、マクドだが、そ れを不幸だとも感じないかもしれない。可愛そうにと言うのもこちらのエゴだった。だからスーパーには一人で行く。諭しはじめたら最悪だ。テレビ消灯週間の ことを考えていた。しょっぱなの日にテレビで泣き、ネットで呆れる時間を過ごしてしまった。分かってはいたが、簡単な考えで日常を割り切るのも危ないこと だ。
キャンペーンムービー「THE EVIDENCE」で、テレビを見ている子どもの顔が映される。ポカーンと崩壊していくその表情と音楽のマッチングが強い構造のムービーだ。しかし、この ムービーを見て啓発されている自分自身もまた、この画面の前であんぐり口を開けているというのが面白い。それを意識することがはじまること自体が、効果な のだと思う。

帰り道は凝りもせず、自転車走行をしながらケータイでメールを打つ。ケータイ消灯週間は不便なことばかりだった。周囲に迷惑もかけてしまった。するとした ら、本当に集団で一気に消灯しないと駄目だな。大きな病院などではそうかもしれない。海外に行けば、そうかも。もういまは国際ケータイも安いか。ケータイ 消灯週間を体験したら、また意識することが起こってくるだろう。ブログもネットもチャットもミクシィも・・・。しょっぱなから、消そうとしていたものに、 優れた働きを魅せられちゃったりなんかして。消灯週間でもなんでもないときは、慢性的に なんだかなーなのに。

http://www.youtube.com/watch?v=szjtqFB5EnQ

水曜日, 4月 25, 2007

When I turnon TV.

いつ こぼれてしまうかわからないというのが現実だから、どうしたら元気を取り戻せるか。何をどう守ろうとしているかを、様々な場所で様々な人が動いていた。皮肉にも テレビを消そうと思っていたら、NHK ニュースがそれを魅せてくれた。
追悼式で歌われていた「生きてりゃいいさ」に心震えた。

火曜日, 4月 24, 2007

TV Turnoff Week

テレビの裏のビデオケーブルを噛み切られても、布団の上からはねのけたりはしない。猫の鬱を毎日待たせてる。自分自身は印刷を待って、帰りが遅くなってい て、そのおおもとはテレビを消せない夜のせい。アメリカでは銃規制が論じられるどころか、悲惨な事件から身を守ろうと銃を求める人が殺到しているという。 テレビはこれからもおそらく、いじめられている子への言葉をパフォーマンスすることがあっても、いじめっ子の気持ちを代弁してあげることはしない。できな いということではないと思う。それを言ってはまずいのだ。それが納得されては、看板がハリボテだったことがバレてしまうから。言葉に愛の様相を持たせなけ れば、愛をあてずっぽうに検索する群れがいてもらわなくては都合が悪い。教室がグローバル化されるという危惧を、偶然にも近くの犬山市だけが意思表示して いた。野球だけが特待生を放棄し、健全ぶっている。それだけ金になるのだから、厄介なのだろう。美術の特待生は金にならないから、健全なように見えるだけ だ。これも厄介なことに自分で自分のことを純粋だと錯覚しているのだ。少なくともエゴとピュアは表裏一体であることだけは覚悟したい。卑劣な魔法だという 覚悟を持って、言葉を窓として掲げるのだ。
「テレビ消灯週間」というものが掲げられているというのを、ブログ「イルコモンズのふた」で知る。テレビは消して、パソコンは点ける。ビデオで映画は見 る。YouTube ではギンズバーグ。なくてもいい時間をなくす。なければいけない時間があらわれてくる。それを全てテレビのせいにしなくてもいいが、犬山市の教育長に習っ て、当たり前のように降り注いでくるこれが何をもたらしているのかと考えよう。疑問の意思表示をすること自体が重要だ。疑問と答えは同時に提示されてい く。どんどんそれは瞬時にも変容していくだろうが、疑問に挙げなくては何もはじまらない。それはどういうことなのですかと、誰かと問いかけ合うことは、生 活の栄養分だ。
猫の鬱が布団の上で重たい。

http://illcomm.exblog.jp/5234588

月曜日, 4月 23, 2007

自分のことを棚にあげない人生

初めて second life に踏み入らせて頂いた。プレステ初期って感じのポリゴン絵で、町並みが構築されていた。もうそこからは呑み屋も地下道も全てアバターと 3D に見える。なんでもクリックだ。
自分のしていることを見つめるようになる。ここが first life だというわけではなく、second も含めて real は続く。virtual など無い。only life というタイトルを呼べば、省みることが促されるだろう。

日曜日, 4月 22, 2007

日曜日よりの

道草の上で目覚めて、ひとりごっつ などを YouTube で学ぶ。くたばっていた流れは、数年ぶりの とんとんHOUSE で取り戻す運びになった。壁には相当に前の展覧会DM が貼ってあった。昼どきはとても繁盛していて、ユースホステルのようにセルフでコーヒーも飲めるようになっていたので、それを頂く。色は変われど、量が多 くて皆元気だった。
その足でキンブルに行ったら、ニャラーキーのぬいぐるみが大量に売っていた。手には取るが、購入はせず。水筒を二百円で求める。数店廻るが、これといった収穫無く、解散。

夜八時頃に再び集まって、鶏と魚の鍋で乾杯す。六時に録っておいたサザエさんを流し、日曜日感たっぷりに味わう。旅路の話をしてビデオを見た。魚は鮫にタ ラなど、醤油ベースで美味しい。十二時には解散し、それぞれが帰路についた。鍋の空気が充満した畳の部屋とは対称的に、外は雨で寒かった。

http://www.youtube.com/watch?v=rlqW711uNug

土曜日, 4月 21, 2007

終焉の意味じゃない

熱を緩めに喫茶店を選んだ。バスーンというケーキを頂く。小倉あんとマロングラッセだ。くつろいで、少しずつ意識もほぐれだす。これからどうしていくかという人生の話。

晩に skype 三昧。三者チャットを初めてした。韓国のカップルについてを聞く。"No problem" と打ち込む。それから中学生のライヴとラオスの状況についてを話しながら、MICHIKUSA NIGHT へ駆けつけ、psyco + logic を見る。マスクを外したのは終焉の意味ではなく、始動だと思った。再始動。そう呟く、飛び跳ねて。
別のユニットの Power Book 二台用いたパフォーマンスを見届け、酔いに任せて就寝。久々の面子で「ああでもない、こうでもない」をやっている夢を見た。

http://www.geocities.jp/original_sol/

金曜日, 4月 20, 2007

食前に聴こえた歌

蒸し鶏に舌鼓。駅前デパートの金曜夜、ロータリーより入っていく会社員らは特売品の惣菜をチェックしに足を速めていた。相変わらず野菜が高いね。料理の最 中に湯川潮音が流れる。緑の iPodより。僕の携帯からはおじさんのしゃがれた歌声がする。湯川さんの声は、まるで幼児向け番組のようで、ずっと続く温かさを持っている。

http://www.youtube.com/watch?v=vyNrYlx26No

木曜日, 4月 19, 2007

WIN 組には敗北予定が用意されている

悪名高きソニエリより、憎むべきはリスモだったのか。内蔵 HDD 1GBの役立たず。酷いもんだ。やはり餅は餅屋なり。パケット表記とメガバイト表記の違いなども嫌んなる。どうすりゃいいのよ。もう落とさないよ。メモ リースティックだけ買うべし。YouTube 取り込むぞ。Mac 非対応の娑婆だとしても。それだけの為に XP。第二の人生の為に XP? 職場で OS9.2 を触っていると、もう何も欲張らなくてもいいじゃないかと思えてくるのであった。

水曜日, 4月 18, 2007

mobile music

I'll go to there from phone mouth.

My phone has been changed into walk man.
But My mind didn't change from Apple.

火曜日, 4月 17, 2007

恋の女神、僕に、教えておくれ

H の語源は、HENTAI である。
現代のそれは意味が変容した。
深夜に予約していた HDDレコーダーが果実を追う。
突然チュイーンと起動する。こいつは。

そういえば駅前の不二家が復活していた。奥まったビルばかりに変わったあの商店街で煌煌と明るかった。
明るいことは甘く楽しいことの基本なのだろう。
スイッチを点けるまでの君を思う。

http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-10023484495.html

月曜日, 4月 16, 2007

About the sounds

音というものについてを考え、取り組む機会をふいに得たと知る。
音たちは音楽になろうとしている、それだけであろうともしている。
音楽という定義は未知で、十番煎じでも未知だ。
言葉とは文字を持たなくてもやってきていた。頭で分かっていても、感覚として分からないことを話していく。感覚として分かっているから、頭で分からなくてもいいということがたくさんなのだろうけど、考えはじめたらそれは広大なはじまりだ。

ローリーアンダソンを見る。江戸の牙を見る。
You Tube というビデオ図書館に通いづめだ。

http://www.youtube.com/watch?v=0hhm0NHhCBg

http://www.youtube.com/watch?v=Yq07-cQ8eG0

日曜日, 4月 15, 2007

緑の涙

泣き言を言っていてもはじまらない。これは教訓として、覚悟して走る。
昼すぎの地震は市内で察知したが、三重が震源地とは知らなかった。ケータイが無ければ何の情報も入らず、いまが何時かすらも分からない。こんな姿勢に問題 があるわけだが、逆に開放感なんぞも起こってしまったりもする。当の本人自ら紛失し、自ら足の裏に豆を作りかけてまで廻っているのにだ。
今日はまるいちにち、ギャラリーとモバイルショップをはしごしてしまった。こんなことやってる場合じゃないのにと、泣き言を言っていてもはじまらない。
なんとかケリをつけて、帰ってネットで震源地のことを知り、米国兵が架空国の市民ゲリラを鎮圧する銃撃戦の映画を悲しい気持ちで見る。家に電話をした。

そして捧げられていた色と風景を、地図に起こそうと思う。

土曜日, 4月 14, 2007

ドブよさらば

考えていたよりケータイは遠くまでバウンドしたのだろう。雨はあがっていたが、昨晩は流れがあったと考えるしかない。菜の花と空き缶を押し分けて、側溝をさらいたくもなるが、行方知れず。
気が遠くなりそうな、貧弱な現代人である私。大馬鹿だ。改札でいくら声をあげてもよくわからない誰かと頭をぶつけるだけ。寂しさを理由にすると疲れる。焦った理由を自分に言い聞かせる。

およばれになって、苺大福を買っているときにやっと気持ち整えて、お夕飯頂く。温かい。泣き真似してる場合じゃない。Mac OS8.6 のリストアと、珈琲と、発泡酒と、おばさん猫と眠る。
「テレピン月日」(著,大竹伸朗/晶文社/2002)を半分まで読んで、その臭いを思い出す。揮発するアレからはじまったんだ。

金曜日, 4月 13, 2007

馬鹿ばっかりだから

「僕たちは世界を変えることができない 」(銀杏BOYZ/2007)で熱を出す。
その帰り道にお尻のポケットからケータイを取り出そうとしたとき、指を滑らす。「あ」と思ったらカツンと聴こえた。一回だけ。ドブ沿いの道で、真っ暗で、 こいつは「やっちゃった」。照らしたくて、ケータイを出そうとしてしまう馬鹿。おそらく闇に泳いでる。雨も降り出して、運悪くサイレントモードで、疲れ果 て、明朝にと断念する。
手拍子なんかするんじゃない。おあつらえの奇跡なんざつまらない。そうさ、そうだぜ。
峯田氏帰ってくる迄だ。君の声もどる迄だ。

http://www.youtube.com/watch?v=Jp2PCEw_XfY&mode=related&search=

木曜日, 4月 12, 2007

民のこころドンは知らず

派遣も社長もぐずってる。
桃鉄をゆえんとしていたが、車では向かうところ来賓だらけで、仕事に支障おおいにあり、でも本当はそれに限らず だだこねる。

国民投票法案はヤバイな。
一見民主的なよ〜に思えるが、今夜のニュースで知った。
最低投票率が規定されていなくて、有権者の過半数ではなく、有効投票の過半数が決定になるとゆ〜ことは、黙っていたらそ〜することを了承したことにすぐになる。参加することもできずにどんどん決められちゃう。扇動的な声がまた響くだろう。
それをどうでもいいやとしていると恐ろし〜ことに、なる、わけだ。
これもまったく以てきな臭いぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=VybFzbdo_4A

水曜日, 4月 11, 2007

ごらん

昨晩 寝る前に NHK。作詞をする高見映さんが格好良かった。信念を貫く、気取らぬ上品な姿。

ごらん つゆくさの
つゆの ひとつぶが 
きらきらと あさをよぶよ

うれしい あさなら
だれに ともなくね
「おはよう」と
よびかけりゃいい
・・・

「ハーイ!グラスホッパー〜グラスホッパー物語 II 春編〜」(詞,高見順/曲,松本俊明/2007)一部。

めざすは 朝を恐れぬ、おじいさん。
もう "no future" は言うまいて。
今夜そうした。
キッシュ美味しく、僕らは眠るが OHAYO のプリン食む。
我は魔術師。使いっ走りのいっぱしのチンチキチンのスッペッペー。
近くには初夏である。
三年越しの藤子全集に感謝。さあテレビで、あなたの目に焼き付いた仕事をプレビューしあおう。

http://www.nopposan.jp/

火曜日, 4月 10, 2007

28

マーガレットは桃色
苺にブルーの2が灯る
海を届けてくれるアサリ
海はブルーとは限らない
8が男子のほうだった
とてもとてもとても嬉しい
露天風呂でペリエを開ける
さらさらの肌触りで
トマトのように熟れるほほ
ありがとうを親指にかけて
背から降りる
忘れない
無くならない
素敵な年に

月曜日, 4月 09, 2007

君の安堵が僕の喜び

クールなダイナマイト探すがこの町には、無い!
野菜ジュースを捨てないで。
髪を束ねて覗き込んだの。
Finder にたたずむ、僕らは働く。
今日も変わらず turn on そして turn off。
気がついたらの三十年だと語られていた。
君の安堵が僕の喜び。
君は僕のホスピタル 僕の海辺、これは運命なんかじゃない。わからない?*

*末尾一行のみ「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」。

http://musicshelf.jp/?mode=static&html=series_a05/index

日曜日, 4月 08, 2007

cherry blossoms を見る、この情緒を喜んで、お腹を満たす、形而上下共な晩が広がってる。

ぼんぼりが向こうまで並ぶ堤防。
川沿いに桜を植えようとした人は見事だな。
来週にはもうこの花はないから。
生きることに意味を見ようともがくのは、人だからだわ。
でも思うに、意味というレベルで把握できるほど生きるということは形式的ではない。意味は辛うじてのことだ。固定されたものではない。これは意味の意味を飛び越える。
いまのそれらを見せ合えたら、それは奇跡だろう。
今日、人々が一人に意味を懸けたと、テレビで報じられていた。国だ正義だとマッチョなホラー道徳映画をぶちまけても、後悔する男と髪をなびかせる女の諍いは古から続いているという事実が見えてきて、やはり世界はもっと豊かだった。

車を停めて花よりポンデ。
お惣菜の残りを詰めたお弁当を、明日のお昼に。
穏やかに意味を踏み越えていく。

土曜日, 4月 07, 2007

六転七休

最上階の休憩室は薄暗く、冷や飯を割り箸で口にする斜め左でホンワカホンワカ。吉本新喜劇がやっていた。ぼーっとそれを眺める。「最小化」すらままならぬ 婆と、スーツを着ると声が出ないミスター。携帯電話のだけじゃなく明日はどっちだ。みんないろいろ持ち運ぶかどうかを頭ひねらせてる。デジカメのグレイド を上げてそれに補填する考えが主流であろう。
六転七休。
拉麺代借りて絵画運んで頂き、ようやく、やはりで取り戻すっ。グダッと寝。

金曜日, 4月 06, 2007

六月にはまた自画像を見る

「たけしの誰でもピカソ」が十周年らしく、そのスペシャルをやっていた。草間弥生のパフォーマンスから続く言葉と、宮沢和史が熱唱していたところ、俳優陣らのリスペクト発言が良かった。
たけしが「頑張っている奴は誰かが見ているものだよ」とさり気なく言っていたのを聞き逃さない。
失礼な言葉には「失礼なこと言うな」と返していた。

http://www.tv-tokyo.co.jp/pikaso/tokusyu/070406.html#top

http://www.office-kitano.co.jp/banzai/

木曜日, 4月 05, 2007

シミュレーションは今回で終わりにしよう

名古屋弁のおばさん事務員。拉麺の話を絶やさない。僕はメモもとらず、海苔おむすびも起動のさせ方も同列に並べている。それでもなんとか "Life" なんぞを思いはじめているのだ。はははは。

今月は、深刻な飲み会を持たない。割り切った加速だ。
こうすれば、こうなるという極地の体験が実証されている。
シミュレーションは今回で終わりにしよう。

水曜日, 4月 04, 2007

勝手なもんだ

コトが過ぎてしまえば黙るものだ。思いや気持ちはすぐに揺れ動いていく。まるで高校みたいなコミュニティが会社というところでは起こるんだなと、見学する 思いだ。北欧からの外国人はおとなしく、淋しそうな顔が誰かを思い出させた。そしたらその彼からメールが届いていた。ゲルググにサウンド似の彼も no future の前に装備を点検しているようであった。ああ悩み多き者よ。

猫の鬱を撫でる。
ネットにて、ノーモア・シンタロー、ノーモア・カンダな気分だが。どうも一端過ぎて、ソノマンマは最高だという判断もマスコミ受け売りな気がするのでもっと黙って見据えよう。日曜は投票日。
カレーが尽きた今夜は何をつくろうか。食材を見ると、またカレーがつくりたくなるがひとまず保留しよう。
そうやって、うまく漕いでいかんば。

火曜日, 4月 03, 2007

春の夜の予感

やけに寒く、無意味な気がするワークショップ。慣れない転校生みたいな気持ち。
帰ったらまた高橋名人。三夜目のカレー。ラストワルツを踊る。資源ゴミの収集場に段ボールを束ねて捨てに行こう。

YOMIKAESU SYOSHIN....


春の夜の予感(1999)

春の夜には予感が居たのです。

ゴミ袋を持って、階段を降りていく。
僕は覚えている。

裏の田んぼに 満月が止まり、
白昼になったこと。

土の下に埋まった成人雑誌。

悲鳴を押し殺す、僕の弟。

僕をみつめる、犬の溜め息。

それらは、つらいのではなく、かまってほしいだけなのです。
(実は僕が、僕に。)

ゴミ袋を出したあと、
部屋に戻るときの、あの僕の窓灯。

記憶は舞い、そして散る。
止まったのは、満月だけなのです。

月曜日, 4月 02, 2007

バイシクル走り来る

バイシクル走り来る。
スティックのり補充時に壊し、山の麓はどうだろう。政治家には呆れる始末だわい。トンボはいいんだよ。魚の骨は無惨だよ。ZZ はごり押しだよ。お昼は おむすび二つで足りなかったけど、夜は昨日のカレーに水を加えて温めて、たらふく食べた。美味しさは深くなっていた。高橋名人をなめんなよ。それでまた HDDに録ったライダーズの BS-2 を見たのだ。この番組は最高だ。メロディがまた深くなっていた。

明日もバイシクル走り来るよ。
そうして浮かび上がる夢よ。

「涙は悲しさだけで、出来ているんじゃない」(作詞、鈴木慶一/作曲、岡田徹/1991)を聴いて行く。

http://www.youtube.com/watch?v=whbjmWYIIrE

日曜日, 4月 01, 2007

今春のサバイバル

名古屋の朝は、お持ち帰りしかできないマクドナルドを待つことで迎え、バスはゆったりと駅裏に着く。
始発前の夢。
ナナちゃん人形はどうして壁の中にひっこんでしまったんだろう。向かいの道路からも見えたら、もっと待ち合わせのシンボルとして展開できるだろうに。勿体ないと思う。ふらふらと家に帰り、よく眠る。
昼すぎにスーパーへ買い物をしに行くと、偶然にも安売りセールをやっていた。野菜にお肉を買い、晩は茄子と鶏肉のカレー。美味と満腹。とても嬉しい。
猫の鬱のためのトイレ砂の購入も忘れない。

寝る前に、録画して送ってもらった BS-2 での特番を見る。
「ムーンライダーズ・30年のサバイバル -Who's Gonna Die First?-」。
リッチなこだわりに溢れた涙ものの番組だった。
特に武川雅寛が前に立って歌う「帰還 -ただいま-」が良かった。「Don't trust anyone over the 30」は、60 までの上がっていく歌詞にグロウアップ。
「スパークリング・ジェントルメン」のアレンジが格好良くて、他の曲にも激しい転調を期待してしまう食傷気味なマニアなわたくし。最高な文句だね。

http://d.hatena.ne.jp/suzukikeiichi/20070326