日曜日, 4月 08, 2007

cherry blossoms を見る、この情緒を喜んで、お腹を満たす、形而上下共な晩が広がってる。

ぼんぼりが向こうまで並ぶ堤防。
川沿いに桜を植えようとした人は見事だな。
来週にはもうこの花はないから。
生きることに意味を見ようともがくのは、人だからだわ。
でも思うに、意味というレベルで把握できるほど生きるということは形式的ではない。意味は辛うじてのことだ。固定されたものではない。これは意味の意味を飛び越える。
いまのそれらを見せ合えたら、それは奇跡だろう。
今日、人々が一人に意味を懸けたと、テレビで報じられていた。国だ正義だとマッチョなホラー道徳映画をぶちまけても、後悔する男と髪をなびかせる女の諍いは古から続いているという事実が見えてきて、やはり世界はもっと豊かだった。

車を停めて花よりポンデ。
お惣菜の残りを詰めたお弁当を、明日のお昼に。
穏やかに意味を踏み越えていく。