この頃、昼は出先ちかくのスーパーマーケットで惣菜を買っている。ほうれん草とこんにゃくが入った白和えが好きなので、それをよく選ぶ。周囲の皆はコンビ ニで済ましているようだ。コンビニに白和えは売ってない。菜の花を和えたものは更に好きだが、それはスーパーにも無い。土筆なども見ることはできない。幼 少期が、適当に食べてりゃいいという日々だったら、お目にかかることはできなかっただろうし、食べようとしないだろう。死ぬまでコンビニ、マクドだが、そ れを不幸だとも感じないかもしれない。可愛そうにと言うのもこちらのエゴだった。だからスーパーには一人で行く。諭しはじめたら最悪だ。テレビ消灯週間の ことを考えていた。しょっぱなの日にテレビで泣き、ネットで呆れる時間を過ごしてしまった。分かってはいたが、簡単な考えで日常を割り切るのも危ないこと だ。
キャンペーンムービー「THE EVIDENCE」で、テレビを見ている子どもの顔が映される。ポカーンと崩壊していくその表情と音楽のマッチングが強い構造のムービーだ。しかし、この ムービーを見て啓発されている自分自身もまた、この画面の前であんぐり口を開けているというのが面白い。それを意識することがはじまること自体が、効果な のだと思う。
帰り道は凝りもせず、自転車走行をしながらケータイでメールを打つ。ケータイ消灯週間は不便なことばかりだった。周囲に迷惑もかけてしまった。するとした ら、本当に集団で一気に消灯しないと駄目だな。大きな病院などではそうかもしれない。海外に行けば、そうかも。もういまは国際ケータイも安いか。ケータイ 消灯週間を体験したら、また意識することが起こってくるだろう。ブログもネットもチャットもミクシィも・・・。しょっぱなから、消そうとしていたものに、 優れた働きを魅せられちゃったりなんかして。消灯週間でもなんでもないときは、慢性的に なんだかなーなのに。
http://www.youtube.com/watch?v=szjtqFB5EnQ