水曜日, 6月 30, 2010

話せない言葉、話したい言葉

information です。
作品1000点を一同に展示する展覧会「1000hinten」のオープニングにてパフォーマンスをします。

「1000hinten」
オープニング日時・2010年7月2日(金)19:00-
会場・hinten
愛知県名古屋市中区新栄2-2-19 (map)

http://www.hintenhinten.net/ex_next.html


◆ 七夕イヴにてパフォーマンスをします。

「Live 七夕イヴ」
日時・2010年7月5日(月)16:00-17:00
会場・名古屋造形大学 C305教室 沖啓介ゼミ
愛知県小牧市大草年上坂6004 (map)

http://www.nzu.ac.jp/etc/access/


外国語をどうしたら使えるようになるかと話すなかで、昨夜のサッカー中継の合間の CMで流れていた塾の英語教師による「言葉だから話せるようになるさ」という根拠不明の説得が思い出された。人間が使っているものだから、入り込む余地はあるということなのだろうけど 必要が無ければ難しい。どう話すかではなく、何を話すかを持って 僕も詩に臨もう。
その二つが一致するところに着地していく。

火曜日, 6月 29, 2010

予感だけがいまはある!

近しい場で 自分の作品についてのプレゼンテーションを行った。リラックスした姿勢で話しながら、何を考えて作ったかを語ることができたと思う。
時間の関係上、「言葉で願う夜」についての詩をはずしてしまったのが心残りだったが、ここから会話がはじめられそうな予感には触れることができた。

夜、プロジェクターをしっかりセッティングして 日本 × パラグアイ戦に臨む。声を枯らして一喜一憂するものの、まさかの PK 戦という展開に秘蔵のメコンウイスキーも開いた。
悔しくて涙した皆は 日本代表の健闘に拍手をした。
三時からのポルトガル × スペイン戦も わぁわぁと観戦していたが、僕だけひとり 力尽きて傍らで寝ていた。
この悔しさをバネに・・っていうのは、どうすれば実行できるんだろう!予感だけがいまはある!

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/soccer/100630/scr1006300737063-p4.htm

月曜日, 6月 28, 2010

引用: 昔の作品を見て励んで下さい

寝倒したのが功を成してだいぶ回復することができた。しかしこの治りかけの肌へ射撃するかのように、今日の陽射しは強烈に照りつけてくる。八月の真夏日のような中を行動しているとすぐに赤く腫れてしまった。
夕食はインド料理屋でカレーとナンのセットを頼み、しっかり食べる。先の土日ダウンで何より辛かったのは回復したいのに空腹で動けないという悪循環だった。夏バテもそんな陥り方なのだろう。その穴を見抜くことと 備えることが要ると思った。大真面目に常識的なことを書いてしまったが、一人暮らしの男にはそんな当たり前のところが欠落していたりする。

有馬さんより、アートドラッグセンターのアーカイブをネット上に載せたと Twitter で知る。
1996年から2006年の十年史。タグも付けてまとめてもらっていた。とても嬉しい。
昔の作品を見て励んでください。」とのツゥィートの通り、励む!

http://artdrugcenter.blogspot.com/

日曜日, 6月 27, 2010

ホラー映画みたいに荒れて二回休み

不摂生に寝不足だけじゃなく要領の悪さも手伝って、顔の肌が荒れ狂ってしまった。
それは以前から抱えていた症状だったが、この週末に合わせて再発してしまい、この土日は安静に過ごすことにする。幸いにも皮膚科からもらっている薬は取り置きがあったので、後は食事をしっかり摂って薬を塗ってはよく寝ることだと決める。
決めてからが遅く、食べなきゃ、食べなきゃと思いながらずっとウトウト。不毛感と悔しさが混在した感じで苦しみ眠るの図。

土曜日, 6月 26, 2010

次の高みを望むのは個人が行ってこそだ

またワールドカップの試合を見ていて、あそこが空いているのになぁとか思ったりするが、実際の選手にはテレビ画面のように 上からの俯瞰図でグラウンドを見れているわけじゃない。
一人称形式(FPS)のサッカーゲームがあったら面白いんじゃないかと思った。画面がボールを追う形式じゃなくて、一選手の限られた視点で全体を把握しなければならないのは難しくて良いのではないか。
と思ってネットで検索してみたら、「Take It To The Next Level」と題したナイキの CM を見つけた。
一般に FPS ゲームが海外では人気で、日本では受けないという。

個人とチームの関係の仕方が異なる。
この CM映像では、主人公が二流的な存在なのが良い。彼の視点に入りやすいのである。

http://www.youtube.com/watch?v=tsizQdNKhGg&feature=channel

金曜日, 6月 25, 2010

やったー!

日をまたいで飲み、11人ほどで臨んだワールドカップ日本 × デンマーク戦 観戦。上からのカメラで見ても体格差が分かるほどで、パスは通るわ動きは良いわで 大丈夫かと騒ぐが、本当に騒いだのはそこからのフリーキック二本先取。後半 焦らずのマッチプレイでの三点目だった。日本サッカー史の記念に残るであろう瞬間を皆で歓喜に飛び跳ねた。大きな窓のある部屋の壁にプロジェクターで投影していたから、後半のロスタイムには空が白んで画面も白く薄れてきていた。本田選手の謙虚なインタビューに好感を持つ。岡田監督は典型的な眼鏡の日本人像にぴったりで、水木しげるの漫画に出てきそうで好きだ。シュートを決めた瞬間のガッツポーズにほころぶ。
朝焼けも落ち着いた道を駅まで歩く。充足感を持って仮眠する。

ああ〜っ!そっちそっち!何してんのーっと五月蝿い我々連中は、シュートが決まった瞬間「やったー!」とだけ言っていた。

木曜日, 6月 24, 2010

ケーキ買って来たよのココロ

元来、ガールズトークなんて言葉の響きで寄り切られるのは好きじゃなかった。
圧倒的な知識量で見下されると悔しくなって負けん気が出るんだ。

水曜日, 6月 23, 2010

会えなかった人へのビデオレター

自身のビデオアーカイブ仕事をしようと 古いミニDV を再生していたら、後輩の女の子が先輩の女性に顔が似ているからという理由だけで会おうとしていて、それでも会えなくてビデオに向かって話しかけているビデオレターが入っていた。
これを撮ったのは覚えているが、おそらく届けただろうとしか覚えていない。
どちらの女性にも、この頃は会えていない。便りを送りたくなった。何かあったときにと思ったままでいきそう。
晩に、三ヶ月ぶりの監督と地元ファミレスで あんかけスパゲッティーを食べた。会社の仕事はたいへんだけど愚痴は言いたくないと彼は話し、映画人にコンタクトを取っているという動きに続いたのは頼もしい思いがした。
ビデオレターは会えなかった人のため。離れた店に行けるのは会社の車のおかげ。

火曜日, 6月 22, 2010

清算と無力

かしてくれたアルバムは何故か誰もアップしておらず、聴かせたいのなら自分でアップするしかないのだ。最終的にはそうなる。歩いて足を痛くして、気温の低い夜のうちに走る - それでも39度もあるとか間寛平さんのアースマラソンは癌治療を乗り越えての想像を絶することだった。最終的には覚悟の度合いで、自分以外の人が自分の見たいものを掲げているわけではないのだから買ってきてくれた缶コーヒーをゴミ箱に持っていくくらいのことはして、口にしながら話したことを覚えておこう。そして聴かせたかった歌を理由は置いておいていいから一日は聴いてみる。今日一日は語っていたいと私の身体のことを彼女は話した。君が一日を超えるころ、僕は一日をぶり返している。叫びは静かに書かれてこそ恐ろしく、わめくほどに白々しい。優しい声で呈示される清算など見せかけなのだ。最終的には貧乏くじが 朝にたなびくのを見ている。窓の刪にくくりつけた短冊状の和紙。

月曜日, 6月 21, 2010

言葉を言葉のままにすることだろうか

When I wake up, look gray sky by the windw.

そんなたいしたことないのかもしれないけど言っておきたかった。
自分のせいでも結果でもなく英語を用いた。
そのままにしておくのが言葉を言葉のままにすることだろうか。
寝る前にルーレットを回し、洗濯物を畳むかどうかを決める。iPhone の新しいOS をダウンロードしていじくり倒せということになって、途中でそのまま寝た。置いて行かれたのは言葉を伴わせた気持ちの姿だ。

日曜日, 6月 20, 2010

町の音楽を聴きながら

最終的には歩け歩け。
立ってろ立ってろである。
覚えるのは頭じゃなく感覚でこの程度ならゲームみたいなものなんだ。「アムロ、うまくやれよ」を言い聞かせるのと同じくらい、町を巡る自身に帽子の男の子を重ね合わせる。世界の広がりを思えるのが素敵さ。

http://www.youtube.com/watch?v=hSZhcvtHGK0&feature=related

土曜日, 6月 19, 2010

今夜も声が出た

気勢を張った後にプロジェクターをどうにかテレビ線とこじつけて晩にはサッカーを見た。日本戦だけはトイレにも立たずに応援する。オランダは強く、それでもシュートは打っていたが、歯痒い結果となった。十名ほどの面々は次の試合を横目に解散していった。部屋には食いさがしの しるこサンドが数個残った。運命の次戦は平日の深夜だが、仮眠をとって集まろうということになった。今夜も声が出た。

金曜日, 6月 18, 2010

振り返ることを続けているのと大雨は関係するだろう

大雨の日の連投が続く。近くに自身の作品プレゼンテーションをすることになった。このごろ、アートに限らず作家の自己紹介を聴講する機会が重なっていたので、その受け売りじゃないが、勉強しているんだと取り組みたい気持ちだ。以前に頂いたトニー・クラッグの作品類別年表を思い浮かべ、僅かな自分の経験を神妙に掘り下げてみようと思う。そんな些細な場所のみでしかはじめることはできない。設定は誰かに決められるでもなく、評価は言葉を変えずに現れてほしい。最後は自分を認めてほしいと純朴さに帰る画家は話した。上り詰めなければ話せないことではなく、明らかに振り返ることを続けている。処女作を見る。気恥ずかしさは過去ではなく現在の仕事に向かっている。

木曜日, 6月 17, 2010

面倒くさいと合い混ざって重症だ

チキンハートは見抜かれてて、面倒くさいと合い混ざって重症だ。
夜はずっと Skype を入れておく。
梅雨入りしたんだ。日本代表には出ないここんところの代表 連ねるよ。
君を理解してくるものの前に映る。
耳を押さえたら口が動くのを見て。
朝に早く起きるのを夢見よう。

机の上で詩をはじめた。タイピングよりもフリックよりも直接的に書くことができる。
些細なはじまりで開くのは話だ。チキンハートのバンドネオンいいな。

水曜日, 6月 16, 2010

SORRY BABY

大雨の日、自転車の身には躊躇がつきまとう。
もっとも躊躇する理由は他にもある。コンビニおにぎりで誤摩化して行く。
理由は無いけど約束をしている。
サントラなら何度聴いても辛くならない。

がんばれがんばれのくだりを口ずさんで、tweet にリンクを付けたときに、「SORRY BABY」(詞, SION・OKAMOTO/曲, SION/1986)を見つけて聴いた。酷い意味内容みたいだけど優しく聴こえるのは 歌が 声と楽器と人をみんな引っさげてやってくるからだろう。
開き直ったときもあったろうけど。
約束も理由も無いけど何度も聴いてる。
辛いのは誰でもなく傘は律儀に居ない。

http://www.youtube.com/watch?v=mVfJTBNrxiU&feature=related

火曜日, 6月 15, 2010

浮いてしまうボールはお互いのこと

昨夜はサッカーワールドカップ日本 × カメルーン戦を自室にて野郎四名で観戦。21インチのテレビでも声は出る。なんとか守り切っての勝利に湧く。標高が高いところだからボールが浮いてしまうなんて まるでくにおくんのファミコンサッカーみたいな仕様だ。気付けば「もっとシュートを!」と連呼する者しない者。

月曜日, 6月 14, 2010

ドイツ語で話して

先週末には豊田市美術館まで行き、村瀬恭子「Fluttering far away/遠くの羽音」を見に行った。
絵の前で松倉如子と渡辺勝が歌を歌うのを見た。
途中で場所を舞台に変えて、それぞれのソロも歌った。直に絵へ近づこうとするよりも、思い出しながら伸びるほうが絵と近づいていた。
「あなたの船」(詞, 曲, 渡辺勝/1976)が、少女の頑固さを思い出させた。
染み込んでこないのはあなたからではなく、彼女でもある。
絵の中に入っていく髪と、出て来る髪。
雨風をどちらも受ける。
これからも吹きすさぶから強く保つのだ。ドイツ語で話して。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2010/special/murase.html
http://www.youtube.com/watch?v=-gPAYaHRp6o&feature=related

日曜日, 6月 13, 2010

宴は終わるからまた開くのと彼女は言った

彼女はワインと彼を引き合いに出して、眠れないのを許しにかかる。
僕はブラックコーヒーの缶ボトルを選び、弁当で昼をやりきる。
君はパスタを茹でていた。彼は荷物をまとめていた。
湯気と壁塗りと、ピクセル表示されていない誰かと、肌荒れを沿う湿気と。

瓶を片付けながら「君と僕と彼女のこと」(詞, 大貫妙子/曲, 坂本龍一/1994)を聴く。

http://blog.so-net.ne.jp/_mini_player/

土曜日, 6月 12, 2010

OUTRAGE だコノヤロー!

高層ビルの上にある映画館でレイトショーの回、「OUTRAGE」(監督, 北野武/北村総一朗、三浦友和、國村隼、杉本哲太、ビートたけし、椎名桔平、加瀬亮、石橋蓮司、中野英雄、塚本高史、小日向文世/2010)を見た。

上映前の座席でずっと携帯を鳴らして喋っている客がいて、マナーが悪いなぁと思ったら 金を返させるだの頭を下げるだのと聞こえてきて、振り向いたらパンチ頭のヤーサンではないか。本物来とるやん・・とおっそろしくなる。なんだこの映画はなめてるのかたけしコノヤロー!と上映中に声を荒げないかと不安を抱えつつ開始。

残忍さと可笑しさの間に震え、おそらく本作は豪華な俳優陣と鈴木慶一のダウナーな音楽も相まって、以前のたけしのバイオレンス映画の、たけし軍団と久石譲という優しみのある爽やかな要素が無い。欠落ではなく変容だ。薄気味悪くまとわりつきながら惹き付けてくる。
どうしようもなくなっていくなかにある美学は、死に方だ。俺の映画では殺した者は殺されるという発言を監督がしていたのを思い出す。
不器用さや静観さ散るが、悪賢さは達観のなかに落ちるのか。

バイリンガルでありながら、劇中では「OUTRAGE」とのみ表記されていた。
「OUTRAGE」には非道のみでなく、人を荒らし侮辱する行為という意味もあるようだ。
「アウトレイジ」ではなく「OUTRAGE だこのヤロー!」と頭の中で叫びながら帰りのエレベーターに乗った。ヤクザの方は上映後にはいなかった。

http://office-kitano.co.jp/outrage/

金曜日, 6月 11, 2010

声なき声

60年代安保の時代、岸内閣は日米安保条約を通すため、安保反対のデモという大声は特定の偏ったものとし、それ以外の声 即ち「声なき声」を理由に強行採決に踏み切った。
それを受けた民衆は「声なき声の会」という反戦・平和の会を作ったという。
おそらくはそれでも「声なき声」は岸内閣に言わせればいつまでも在るものである。無いものを在るという理屈は無敵だ。そんなものが通っては民主主義ではないと戦いが起こったのも納得できる。重要な歴史であると思うと同時に、「声なき声」は何によって認知されるのかと考える。それは耳ではなく目だろう。文字ではなく行いだろう。甲子園は満員じゃないかと政治家は都合よく取りあげる。しかし声は声になってこそ声であって、声になってしまうものが声であるとするのが、正しいのだと思う。声なき声を救いあげるのも声であるのだから。

今夜の報道ステーションでそれが話されていた。ゲストの鳥越俊太郎が、画面には映っていない自分が見たものを見て、涙を前にしているのに胸を打たれた。

http://www.youtube.com/watch?v=vJfz-dqTmNU&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=6HpPmPnf38o&feature=related

木曜日, 6月 10, 2010

堕天使は箱の周り

延々と的外れな議論で、これは詩かもなんて話す晩にゃ、詩なんてどこ吹く風なのはよくある話。
テレビを近づけるとノイズ音が聴こえる携帯電話と、文字が滲むチャットウインドー。
ブルートゥースで飛ばしてるボブディランは耳から外して肩にかけて、風を聴く要領を思い出す。
伝えてくれるそれが電波。空気を震わせるのは同じだった。
堕天使は箱の周り。中が見えない箱にまとわりつく。何か音がする。

水曜日, 6月 09, 2010

電波を

ミーティングの方法を考える。自由ラジオの骨子がまだまだ手探りで、情熱だけが膨らんでいる状態だ。支柱が無ければ風船も飛んでいってしまうから。電波とは広がって触れるためのメディアであることを忘れぬよう。

火曜日, 6月 08, 2010

下書きフォルダー暴れず

カレーいつの間にか無くなる。
送る写真は置いたまま。
手紙の行き先はまだ紙に書いていない。
手の内にあるうちだから。
カレーまだ作れる。
撮っていない写真の画素を数えることはできない。

月曜日, 6月 07, 2010

我は余裕を求める

頭文字に「i」を冠しているだけあってか、この頃は 我譲らず、我かく戦えりのスタイル宣言対立す。聞いてもないのに我はこう行くと言い合うのだった。
中学生も参戦できてしまう争い。
「情報弱者」にこそ消費の連鎖から外れることのできる可能性を持っているだろう。
いまや無力の力を得ることも 意志の要ることだ。

吹っ切れることの無いウジウジした我は iPhone4 の発表を深夜に追っていた。
自社アプリの紹介の後、
「近日中に買って頂くことができる。我々が認めればね。」
とジョークを飛ばすジョブス氏に苦笑。かたや生真面目な中学生に笑えなくなってしまった。

http://events.apple.com.edgesuite.net/1006ad9g4hjk/event/index.html

日曜日, 6月 06, 2010

犬の設定

離れていったのは犬と、彼か彼女がくわえていった石製カップ。
石にこびりついた汚れは午前中ずっと水の中。
中で安堵をしているうちに、いつの間にか寝てしまう。全力のあと。
夜になるとポテトチップか何か食べたくなる。
そのまま嗅ぎ分けるのもしない。
また近所の庭で鳴き出した。

土曜日, 6月 05, 2010

転がり続けるテンションの前には

結果的に ボブディラン関連二本立て。
「Factory Girl」(監督, ジョージ・ヒッケンルーパー/シエナ・ミラー、ガイ・ピアース、ヘイデン・クリステンセン/2006)と、「I'm not there.」(監督, トッド・ヘインズ/クリスチャン・ベール、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー/2007)を一日のうちに見てしまった。
テレビとプロジェクターをハシゴ。画質はともかく 物語はどちらもスッキリしない。
転がり続けるテンションの前には、再現は興味が褪せる。
ならば、犬と離れてしまったときにもっと切ない顔が映ったらいいのかと自問する。

http://www.factorygirlmovie.net/index2.html
http://www.imnotthere-movie.com/site/

金曜日, 6月 04, 2010

映画は私生活とは違って淀みなく進む

監督は次から次へと質問される孤独な存在だ。そのままでは渡せない一個人の感覚をフィルムに行き渡らせるために皆が寄ってくる。バンドとも異なり、演劇とも似て異なるもっと一人に近いこの集大成は「人生」を連想させるにふさわしい。
「アメリカの夜(英題, Day for night)」(監督, フランソワ・トリュフォー/ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・レオ、/1973)はユーモアにまみれた美学だ。補聴器を付けた監督はトリュフォー本人が演じている。そのアイコンが虚構をも飲み込んで現実とするのだろう。昼を夜にするための仕事。あくせくして人生を呼ぶこと。

http://www.youtube.com/watch?v=-ZgNUjfISdQ&feature=fvw

木曜日, 6月 03, 2010

もうひとつの終わり方なんて

「めまい(原題, Vertigo)」(監督, アルフレッド・ヒッチコック/ジェームズ・スチュアート、キム・ノヴァク、バーバラ・ベル・ゲデス/1958)の終わり方は海外輸出版と国内版で異なるらしかった。ディレクターズエディションのディスクは国内版で終わり、ボーナストラックでもうひとつが紹介されていた。唐突なエンドの後に付け足されたエピローグであるもうひとつは余計な話である。
守りに入った恋のようにみんな安らかに落ち着くだけ。
ただ怪我をしただけなんてつまらない。めまいを覚えるほど打たれたのに。
目から回るのはひとつだけ。色とりどりに伸縮する。流れずに黙視される。

http://www.youtube.com/watch?v=D0bV2gh4E7Y&feature=related

水曜日, 6月 02, 2010

安くなりたくはないさね

思い返せば むやみやたらにやめろってことじゃなく、嫌われながらも幸せってのもイカしてるかもしれないってこと。煙草が幾らになっても好きなのは変えなくていい。嫌いになろうとするのもおかしな話。安くなりたくはないさね。

http://www.youtube.com/watch?v=TWJrE1kW1Bw

火曜日, 6月 01, 2010

無くしたわけじゃない

ケータイや財布を落として裸になったみたいに彷徨って、辛いのは東京。帰って来たら笑い話。帰って来れたからまだ全部無くしたわけじゃない。彼女が自ら無くそうとしたのは住所。ネットの繋ぎ方は卵に託す。二時間だけ私の願いを聞いてくれる。凝視せずに囁いてあげれば。辞めるさよならと騒いでも、高層ビルの静かなエレベーターを溜め息で満たすよう。