60年代安保の時代、岸内閣は日米安保条約を通すため、安保反対のデモという大声は特定の偏ったものとし、それ以外の声 即ち「声なき声」を理由に強行採決に踏み切った。
それを受けた民衆は「声なき声の会」という反戦・平和の会を作ったという。
おそらくはそれでも「声なき声」は岸内閣に言わせればいつまでも在るものである。無いものを在るという理屈は無敵だ。そんなものが通っては民主主義ではないと戦いが起こったのも納得できる。重要な歴史であると思うと同時に、「声なき声」は何によって認知されるのかと考える。それは耳ではなく目だろう。文字ではなく行いだろう。甲子園は満員じゃないかと政治家は都合よく取りあげる。しかし声は声になってこそ声であって、声になってしまうものが声であるとするのが、正しいのだと思う。声なき声を救いあげるのも声であるのだから。
今夜の報道ステーションでそれが話されていた。ゲストの鳥越俊太郎が、画面には映っていない自分が見たものを見て、涙を前にしているのに胸を打たれた。
http://www.youtube.com/watch?v=vJfz-dqTmNU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=6HpPmPnf38o&feature=related