火曜日, 6月 30, 2009

ブラジル in ラジオ in 21世紀 in 踊ろう

「ブラジル in 金山」と銘打ったライヴイベントが行われていた。名古屋の金山駅出てすぐにある「ブラジルコーヒー」という喫茶店にて。先の日曜にそこでノリクンはソロで三線を弾いていたのだ。ちょうどここらへんで歌っていたとか聞きながら、僕らはランチの定食を食べていた。陽が落ちるまで係に従事し、終えてからは秋に行うラジオ企画のミーティングだ。昭和慢画ラジオではなく、新企画の「ア"ーッ!ラジオ a"arts ! RADIO」である。この夏休み中に番組制作に着手しなくてはいけないと考えると うかうかしてられなくなってきた。ノリクンもブラジルの皆々も21世紀 に住む私たちを巻き込んで展開させる意気込み。マイケルジャクソンの歌で踊ろうなんて純粋な番組があってもいい。

http://d.hatena.ne.jp/dazro/20090629

月曜日, 6月 29, 2009

定着する言葉へ

金沢から名古屋もみんな雨が降っていた。バスの横は無精髭の男で、ずっと一点を見つめていて動かなかった。僕はケータイでメールに勤しみ、どう言おうかどう書こうかに視点が定まらない。名古屋駅から春日井市内へもみんな雨だった。春日井駅からのバスに座って、ケータイのデジカメレンズを窓に向けた。鳥居松のバス停で降りて、楊さんの車に乗せてもらい造形大学へ。TED と、CGと、動き、身体、ビニール袋の尾っぽが泳ぐ。言葉の代わりに泳いでくれたらいいと思った。中華料理屋では何か新しいものを頼もうと話すけれど、それは美味しいかなぁ?と結局、言っても否定されるじゃん!と楊さんが怒った。でも定番のメニューが定着してきているのは美味しさ故だったから、理不尽には感じられなかった。楊さんが怒るのは理解できるが。沖さんと来週のライヴイベント「七夕イヴ」に何が要るかの話。マイクをお願いしますと言ったと思う。それから北名古屋までの道もみんな雨だったような気がする。楊さんと別れてから一人で、ノリクンがハーレム状態で飲んでいるよ〜と電話してきたアパートの一室へ歩いたのだった。コンビニでチョコレートと缶ビールを買った。傘を玄関の前のガス器具に引っ掛けたのを覚えているから、やはり雨は降っていた。依存と愛についてをノリクンは語った。前向きな話ができた。

日曜日, 6月 28, 2009

互いに聴こえる喜び

真昼の芝生に、玉はふたつに分かれて寝そべっていた。
アコーディオンと詩はとても明るいのと、とても暗いのとがくっついて聴こえた。
ようやく見つけたカウンターバーの中は自己を律する音楽が流れている。
酔いながら聴き惚れて、離れた家族や、邪魔をする者たちのことを話す。
邪魔だと見合っている私たちは、何がいけなかったのか。
寝ずの声で、私たちに話してくれた 東郷 健さん。
それから夜の美術館で歌った川上未映子さんは、互いに聴こえる喜びを振りまくしぐさだった。アンコールの拍手に僕はに吹き出してしまった。ふいをつかれた思わずだったから。僕ももっと限界まで聴きたいと思っていた。天の邪鬼は「ふい」に弱い。無邪気さに屈して惚れてしまったらいい。
席に着いてから、電気を明るくして、魚介類を頼む。
僕はレンコンが美味しいと連呼し、ⒶとFじゃない、二人で一人の藤子不二雄に熱くなった。
ブルーマヨネーズはどこにふりかけるのか。
下書きの右に灯る1の表示のために、音が鳴っている。
この音を解析しようと、僕はまだ躍起になっている。

http://tougouken.com/

http://www.mieko.jp/

土曜日, 6月 27, 2009

局所限定放送局 玉 と徘徊する詩

牛嶋 均さんの「ころがるさきの玉 ころがる玉のさき」にて、「局所限定放送局 玉」の FMラジオ放送が行われていた。徘徊する詩もその FM電波を全身に浴びた。
鼠になって、尾っぽの玉から何かを出して行く。

ラーメン屋の列に紛れて線を引き、
新宿のゴールデン街という響き、
プールのなかで芸術談義 続き。

詩も素手で触ったら笑い出す。
どこかにあるラジオ機で、帯びていた声が帰る。
聴いていたなら会えるかなと。
どうやら詫間 のり子さんが撮ってくれていたようだ。
ふふふと笑って、去っていったらしい。
なんていい話なんだと満面の笑みは球状だった。

http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=24&d=592

http://ppp00.web.fc2.com/

金曜日, 6月 26, 2009

The pitcher back to the home after a beer.

ここのところ暑くなってきたので、毎晩ビールを飲んでしまう。と聞きながら、頷いて安心した。夕方の天ぷら屋で頷くこと多し。早朝は話をしはじめた役員たちの椅子を、ひとつずつ不在の位置へ運んで、それから昼まで寝た。三連投の日には先発も中継ぎも押さえも同じだ。ほんとうは違うのだけれど、ビールでも飲まなければ同じ味がする。飲み過ぎてしまいまた分からなくなって、結局 同じになってしまうのには気をつけたい。何にでも頷けるわけじゃないと一杯飲んで自覚した。それくらいでアイスに繋げる。晩のコンビニで買って家で眠った。家は不在の場所から帰ってきた。

木曜日, 6月 25, 2009

話しかけなければ

昼までにと、高速道路で近郊の都市を目指した。時間に間に合っただけで仕事を終えたような気持ちになった。言われたとおり、批評性の無いものに批評をぶつけても空回りするだけだのは明らかだった。土俵で仕切りを相手がしていないのにぶちかましていくようなものだ。言葉は身体をすり抜けて転がって恥ずかしい様になってしまう。あるいは、なんとかよりかかろうと甘えだす様で どちらにしろ恥ずかしい。模倣の模倣に落ちぬように噛み付かなければ噛み付き返されることもないし、痛くない代わりに何も起こらない。何も起こらないから、悲しいも嬉しいも無い。話しかけなければ「終わってる」のではなく、既にはじまってもいない。
けれどもそんな焦りは夜の飲み会で吹き飛んだ。日中の対談と質問のさなかに留まっていた気持ちを皆が勢い良く飛ばし出したのを目の当たりにした。一度だけを何度でもと、契機を伺っていたのか。
逆に留まるところを知らず、翌朝を超えていつまでも続きそうな勢いになっている。返す言葉を持たなければ、僕は眠ることも許されないだろう。

水曜日, 6月 24, 2009

ヘッドロココなら買う

キラキラと呼ばずに、ヘッドと呼ぶ。地方によってはキラか。
ロココはそのなかでも一番 絵に気合いが入っている。いまでも口が赤い髪の毛で隠れているところにドキッとする。
夜道に今回のドラクエはスルーしますと言う僕と、絶対に買いますと答えるロココ。
僕は、DS から買わなきゃいけない。
天使の絵にもそんなにグッとこないと物欲に言い聞かせる。
ドキッとすると財布も緩む。我を忘れて目もくらむ。一字一句などもう聴こえていなくても、優しい声に惚れてしまうように。

火曜日, 6月 23, 2009

「言葉で願う夜」に向かう詩

母校にて初めての顔ぶれにプレゼンテーション。
自作の経歴、作品についてを話したのち、
"「言葉で願う夜」に向かう詩" を行う。

現象こそが惹き付けられる。
人は動くものを見てしまうんだと熱弁していた中学の先生を思い出す。真夏の武道館で、先生のお話を静かに聞けない全校生徒たちに対してそれは言われた。

そして、私はいつかテレビを消す、と言う。
声が重なり合って、言葉が聞き取れないけれど、出会っている部屋で。
ソファーや体育座りの圧倒的な感性に眠りながら、その前に立つ。

ライヴの後は飲みたくなるのと同じですねと、授業後、岡川先生と話す。
福岡食堂へコンビニのキリンラガー缶ビール持ち込みで押し掛けてみた。肉じゃがと御飯を頂きながら、ポートフォリオを見せてもらった。
福岡氏の中学校での講演についてを聞くのを忘れた。

月曜日, 6月 22, 2009

ひきこもりの美学

バタンQに
A君が探す
なにか食べるものを
冷蔵庫にネット無線張り巡らせて
クモの巣味のチーズは美味しいぞ
はじめて会った気がしない
開けては床を照らす
観音開きの今夜のおかず
米国にて猫がピアノを弾いた!
彼の iPod が絶望と希望を表示した!
これは同じチャーリーシュミット氏の映像では無いが
これは同じ布団から僕が見たものだ。
家族が僕を見ている。
オーライと返している。

http://www.youtube.com/watch?v=e2Th2QoHd2o&feature=channel
http://charlieschmidt.com/
http://www.youtube.com/watch?v=lygOY3sYWhI

日曜日, 6月 21, 2009

それはどこで拾われたのか

鈴木昭男さんの「あいしゃ」が発車していった。
僕は道の隅で立っていた。
写真と詩の徘徊だった。
テレビの前で、ラジオも流れた。
拾われた石が打ち鳴らされて
ガラスは割らない
割る人は悪い人
問うて書く
子どもは笑っていた。
紙はみんな拾われた。

僕らは挨拶をして、名古屋行きのバスへ。
外を見ながら缶ビールを分けた。

土曜日, 6月 20, 2009

しわしわ

今日は強い日差しのなか、プールと黄色いたまの前で朗読をしていた。
紙が風にあおられ、プールのなかに入って裏向きになった。
下から読めると見上げた方もいたらしい。

教えてもらって、自ら引き上げる。
プールサイドに打ち上げたところへそのままにしておこうと思ったけれど、
真昼の強い日差しで 見ているうちに紙は乾き、また風に吹かれそうで、
いつか僕がプールに落ちてしまいそうだったから
プールの見える窓の前に置いた。

乾いてしわしわになった紙も、持って行かれた。

鈴木昭男さんのパフォーマンス後で携えている方がいたので、お話をした。
新品の紙より良いですと言って下さった。
プールの水ですと伝えた。

金曜日, 6月 19, 2009

全ては書かれている

とある展覧会のオープニング。続いてダンスホールでの懇談。
どれもどこかで覚えた手筈。何も言われなくても、見て、疑い無く遊び方を覚えている。

本と紙くずと金魚による西松氏の作品に惹かれて、聞けば
「全ては書かれている」
という題名だと言われて、そうだねと返す。
全てを書かれるはずとか、全てを書いてやるではなく
全ては書かれている
と一言備えて

僕らはその前でまた話をはじめた。
ダンスホールの片隅の机の上で、紙を引っ張り出して、名前を書きはじめた。
受付のため、また話すために。

木曜日, 6月 18, 2009

背中を押しつけて気持ち良さそうだ

袋ではなく、箱を選ぶ。

メールボックスが入っていた段ボール箱を積み上げた。
この箱に言葉を入れていこう。
写真の向こうへ行く背中
紙の向こうへ行く親父
髪の向こうへ行く目玉
器の向こうへ行く水
台車に乗せてもやたら重い
カーブしたいだけ
机の上に広げた詩は
頭の中で向こうへ行く
父さん
彼女は人間だけれど
娘っ子だから守れと言うだろうか
それは夢なのか
夢の子は恐ろしい
可愛い顔をして目玉をむしり取る
串刺しになってもまだ動く
箱の中で転がり倒す
背中を押しつけて気持ち良さそうだ
缶詰は父さんが開ける
父さんが持ち込んできて
メールボックスは二度と開けない

水曜日, 6月 17, 2009

ウルトラ

「ヤノベケンジ - ウルトラ」を見に豊田市美術館へ。
美術館に入る前に駅前のデパートメントビルで古着購入。三河方面だけのチェーン店のベトナム料理屋でお昼をとった。

ただ騒いでいるだけだと思っていた男は、笑えない事件を笑いに変える。「トリックスター」という言葉を美術館で学ぶ。未来の廃墟の前で、そこに立つ男の顔は透明フードの中で曇ってよく見えない。握っているものを見ている。
愛するものを守りたいという思いが、爆発音が聴こえる前に地下室を建てて、子どもたちに語っていたんだ。

子どもたちは何を見ていたのだろう。
教育は、笑わせてもくれなかったのか。
はじけたあと、僕らは小さな草原に寝そべった。

http://www.museum.toyota.aichi.jp

火曜日, 6月 16, 2009

ブラザー軒

朝、Mac に入れてもらったライヴ盤の「ブラザー軒」(詞, 菅原克己/曲, 高田渡/197?)を聴いて泣く。

このライヴ盤「27/03/03」は素晴らしく生だ。高田渡の歌は話している間も歌っている音楽だ。高田蓮の音楽が重なって空気がいっしょになっていく。

このライヴ盤の声の優しさは、2003年のこの場が導いた歌だ。
YouTube には、1999年の歌と、2008年の歌があった。

http://www.youtube.com/watch?v=bCEwmOM2KdM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=P3-lPSSZS2M&feature=related

月曜日, 6月 15, 2009

OLさんとのブラジルで食事

金山にあるブラジルで待ち合わせをして、
茹であがった気持ちで施錠を繰り返していて、
カーテンを揺らした。
OL の君が向かいに座っている。
なぜだか白旗を上げる僕はやがて、山の上の大学へ行くためのバスを待つベンチにてクリスタルガイザーの水を腕にかけている。
汗をかくのも忘れているみたいだ。
二人の間に偶然訪れた僕だけが知っている女性の友人と、お昼を共にした。
ブラジルはお客さんでいっぱいだった。
月末にはここでライヴもするらしい。ツクモクや鈴木規之氏が出るそう。
たくさんのしぐさが集まるだろうと思う。
僕はギターが弾かれる階下でうんうん唸ってる。
カーテン揺らしたろうか。
ビルの中に垂らされたカーテンだらけは理由かな。
安くて美味しい中華料理を食べて、京都はとても素敵だったととのセバ氏からのメールに返信。
楊さんの車で送ってもらう。
すぐ就寝す。

http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=1000496730

日曜日, 6月 14, 2009

朝、出ていくまで

途中まで片付けてあったスタジオをすっきり白く塗った。机上が明るくなって、これからまたたくさんの人と話す場にしていく。
今夜は落ち着いた曲をかけながら前世紀には忘れられていた瓶の日本酒を飲む。これを飲めば気付けなかったことへ向かえるかもしれないと思った。個室で夢を見ようとするが、壁にはあまりにも素敵な絵があって まるで砂浜みたいなので目をつぶってしまう。横になってからはシャッターを理由に歩き回る。クリスタルが浮いてパステルはしっかりと握られていく。指は丸い。爪先ばかり描く画家に、島でラジオを楽しむ画家を尻目にしたのち、夜へ近づこうと言って電気を消している。

指先と唇と一行の尾っぽ
夜景と砂浜と一行の寝息
窓のカーテンについてを書こう
紙は机の上を呼ぶ
文字は言葉を呼ぶ
月は朝早くならまだ見える
心をさえぎらない
映画をたくさん見たいと話している
この映画館はカーテンで作った
ぶらさがって爪が出た
君は出し入れできるのだ
眩しくなる前に
海に触れようとする

土曜日, 6月 13, 2009

縫い目をつかまえる

そのまま上映会場のスタジオの床に寝てしまっていた。
飲み食い散らかしたコップとエヴァのチラシは世紀末的な風景に思えた。

ふらふらになって中京大学C・スクエアへ 吉増剛造の個展「光の棘」を見に行く。
倉石信乃氏との対談。話しているうちに詩になっていく。

gozo cine の画面の前で、活弁士のように語るなかで、いまここに縫い目をつくっている
という言葉をつかまえた。

八事駅の近くのロフト上になっている喫茶店で写真家たちの会合へ向かう。シフォンケーキ、クリーム付きで、スーパーマーケットは閉店間際だった。結局コンビニも寄ってしまった。歩きながらたくさん話して、食べたらすぐに寝てしまう。ドイツのビールだと日本の会社が売り出した缶のを開けた。

http://www.osiris.co.jp/gc.html

http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2009/90/90top.html

金曜日, 6月 12, 2009

破への会

皆のヤングが占拠された故に我らのスタジオを解放し、上映会を催す。
プロジェクターにアンプとスピーカー持ち込み、大画面と爆音で「新劇場版 エヴァンゲリヲン 序」(監督, 庵野秀明/2008) をたくさんで見る。ブルーレイの ver1.11 を探したが、見つからず、DVD で ver1.01 だ。HDD で出せるプロジェクターも無いので、汎用性の高い装備で流した。
それでもかなりの迫力で、ヤシマ作戦時は最大の緊張感の波を堪能することができた。
「なんで、僕なんだ」
の目から外へのスクロールでぐっとくる。
「You're (not) alone.」
の括弧は僕によって点滅するのだろう。
「破」への会は、朝まで続いた。画面には、ダイコンを飛ばしていた。

http://www.evangelion.co.jp/

http://www.gainax.co.jp/anime/daicon/index.html

木曜日, 6月 11, 2009

にじりよってくる気持ち

気持ちがうまく伝えられないんだと強調されていた。
既に気持ちはにじりよって来ているようにも感じた。
でもディティールとなるとたいへんだ。
台所に入って、猫のしっぽを踏んでしまった。
ミギャアッ!と声をあげる猫と、やさしい寝顔の子どもたち。
その対比を見渡して、家を後にする。猫缶の三個セットを頂く。三個で98円とは最高に安い。
日中にうめきながら寝ていた。
カーテンが無いので日差しが寝顔を照らす。温度差で寝にくく感じる。先人の仕事場を片付けたときに出てきた CD を中古屋へ売りに行ったら二千円もした。猫缶は当分買わなくていい。

水曜日, 6月 10, 2009

大雨から四畳半へ、フライトに握られて、濡れなくても

遠い国から来た君は、彼女と亡命できることを信じている。
それは四畳半からの亡命だと、明らかになったとき、雨は台風みたいに僕と君の道を遮る。サッカーグラウンドに降っていなくて良かった。僕と彼女と君と彼女とでボールを追っかけた。目も耳も聞こえない指の言葉を追いかけた。
さよならの後も ずっと追いかけていたみたい。国がしでかした たくさんの偽善を追いかけている。僕らは後悔したくない。僕らの四畳半を命の喜びに懸けたいだけなんだ。

火曜日, 6月 09, 2009

ウルトラミラクルラブストーリーと歌う

映像感覚にあふれているのは三脚も開けない監督。自らの思いだけは信じて開いていた。横になって、もう寝ますとわざわざメールがあって。励ましてたけど、祝報があって、どっと肩を僕は撫で下ろした。僕は技術屋に徹していて、決して指図をしなかったでしょうと聞けば、そうかなぁ?と首をかしげられたけど、きっとそれが彼女の豊かな森なんだと思えて笑ってた。甘いものがどれだけ甘いか舌なめずりしてる猫ちゃんまんの歌をまだ歌ってる。たくさん歌って、映画館へ行く。実は歌いながらだったけど、「ウルトラミラクルラブストーリー」(監督, 横浜聡子/麻生久美子、松山ケンイチ/2009) は、なりふりかまわず歌いまくる監督の新境地、続いていて整理された歌声だった。いや、散布される空のごとく光はまばゆい。電子レンジで温め (ぬくめ) られたスパゲッティを待合室で二人して食べてた。脳みその本物を見るとは思っていなかった。だから、信じている思いが自滅だけど羨ましかったり、格好良かったり見えると思う。テープレコーダーは声の川に沿い寝していく枯れることのない雨。あなたがいなくなっても降り続けて、村では田畑を耕している。熊の前で歌うことも、考えることもできない。僕らの IQ はお医者さんだけが知ってるらしい。僕は知れないのか、あなたは知れないのか、死んだふりができない。大きな声のテープを土の中から引っこ抜いたから。もぐより、引っこ抜くほうが子どもは楽しいはずだから。

http://www.umls.jp/

月曜日, 6月 08, 2009

考えていることを立たせる

金沢から名古屋へ戻るバスのなかでよく眠り、自室に戻って夕食。冷やし中華とワイン。猫の鬱がよく寝ている。森村さんと中ザワさんとの話をたくさん話す。バルサミコ酢を冷やし中華に少しかける。自分が読んでいる詩の構造を思い返す。二行編成を崩そうとばかりに意識を取られすぎてやしないか?

月曜の夕方ゼミ室にて、レム・コールハースについてを聴講した。
シュチュエイショニストからの出発である思想や感覚を、建築として具現化させるということ自体が凄い。構造計算は、おそらく詩にも本当はあるけれど、なかなか立っているかどうかはわからない。いや、優れた詩ほど、その強度故に自らを崩壊へ誘うなんて格好つけた文章を読んでいた。レム・コールハースの燃えてしまった CCTV 中国のオチョーシモンによる花火の、それでも諦めない往生際の悪いくらいの、その噛みつきっぷり。思想家との対談、DVDの二枚目にあって、格好良かった。建築論を物語と呼ぶその鋭さよ。考えていることを立たせる強靭な清らかさよ。ずる賢くない、したたかな、確信犯の突き出した空間。
たくさんの人々を抱えて OMA AMO お前は、もう前を、開いて行く。
考えていることを立たせること、それだけで。ゴジラも中国鹿だって呼ぶ。彷徨って見つけた美味しくて安い中華料理の店へ、これからも行くだろう。レム・コールハース、その言葉を追いたいと思った。柔軟で豊かに立つ塔を。ガンダムは歩く夢だった。それをたった一人でも忘れない富野氏を恐ろしく格好良いと思った。塔が夢見ているとしたらと考える。

http://www.oma.nl/
http://recommend.yahoo.co.jp/silverlight/gundam/
http://www.youtube.com/watch?v=NrDb_k5wJ28&eurl=http%3A%2F%2Fdazro%2Ecocolog%2Dnifty%2Ecom%2F&feature

日曜日, 6月 07, 2009

生の話

昨晩より卓上の話があふれ
バルサミコ酢も口からあふれる
グレープフルーツを酢に漬けたと彼女は読んでいた
ビールからワインへと、スペインには行ったことがない
ピカソのゲルニカを生で見たい
卓上に上がれば生になると思う
そのためには生で見て来なければいけない
シーズンオフの旅券を取って
一枚の油絵を見に行く
高校の図書館に通う
返していないのは読んでいないことだった

金沢21世紀美術館 にて、森村泰昌&中ザワヒデキ スペシャル対談「美術についての100の物語」を聞く。
紛失しても消えない。
伝承すれば消えない。
卓上に上がれば生だから
僕の生は、肉声と鉛筆で筆記した文字による言葉。ここから向こうへ、向こうからこちらへ歩き回る詩が誰かに迫り、離れて行く。
僕たちはその間にだけ話す。
そして持ち帰ってきた言葉を置いて
生をすするのだ。

土曜日, 6月 06, 2009

オープン・ダイアローグ セッション

一柳慧「オープン・ダイアローグ」にて、島田英明氏(ヴァイオリン)と寒川晶子氏(ピアノ)によるセッション。それに徘徊中の村田仁(詩)がフリーセッションの時間に飛び入り。
全編にわたって永遠が続く。
言葉だけがサイクルをせず、文末を何度も迎える。

滞空している

と声にすると同時に音が去り、何も無い間が一秒。
演奏が終わった。
その身体感覚にすくむ間も無く僕は前を見た。

http://www.myspace.com/hideakishimada

金曜日, 6月 05, 2009

ラフは要レベル

楊 珪宋さんの個展の準備仕事を手伝うという名目で、先月に行っていた自分の個展の作品を楊さんの車で運んでもらう。無事に一段落した帰り道に、ビールを飲もうと考えていた。最近進出しはじめた中華料理のお店か、定番の福岡食堂か。市内のギャラリーで友達が個展をしていてそのオープニングパーティがあるというのでそこへ向かい、懇談したのちに改めてお店へ飲みに行くことにした。奥村梨沙さんの「CRYSTAL POWER」という題の個展。セーラームーンなどのアニメのキャラクターを用いてモビールや回転盤などを並べていた。ラフに描いてあるが、セーラームーン達の肌の線は一本だけで むっちり感があって達者だ。大物の造形はやや意固地な印象かなと話す。セーラームーンの連載誕生秘話についても話す。もともと冗談みたいにラフな姿勢で描いたものが人々の心を握って離さない。それはそれまでの努力で作家の体に染み込んでいる構成要素が、肩の力を抜くことでうまく連鎖したということなのではないかと思う。いきなりラフではただ粗いだけになりそうな気がする。

「1Q84」(著, 村上春樹/2009)のタイトルを「IQ84」と勘違いしていて、
「いま売れている村上春樹の小説は知能指数と関連があるようだよ」
「IQ84 と言えば、人が言葉を扱えるかどうかの境界線だよ。『アルジャーノンに花束を』だね。」
などと酒を飲みながら交わしていたが、ちょっくら赤面ものだ。
見間違えたくらいなので実は「IQ」とも絡んでいるのかもしれないけど。
どうもラフすぎるかな。

http://kei.soudesune.net/
http://www.shinchosha.co.jp/murakami/

木曜日, 6月 04, 2009

朝の前、前の夜

朝、静かになっていて
いなくなったのを思って悲しい
部屋を見るとまだ君が居るようだ
ソファーを陣取って寝ているのが見える
山桃の木が裏庭に生えていた
猫が何度も頭の痒いところを擦り付けていた木だ
ソファーに腰掛けて
ゆっくりとお茶を飲む
それだけで今日はもういい
君との時間のために一日がある
リモコンでテレビをつける
たくさんの人が頑張ろうと笑っていた
笑い声にそんな解釈を付けてみる
何度か心をほぐそうと
君についてを話してみる
君はいま流れる涙を見ていない
山桃の木には夏に実を付けるだろうか

夜、静かになって
元気な気持ちをひとつずつ折り畳んでいた
君はいままで会った顔ぶれを思い出していた
大きな耳で僕たちに手を振っていた
川まで散歩しようと二人で話す
ソファーに座って飲んだお茶が
冷える道でも体を温めてくれる
君は足下を追いかけてきて
いっしょに走って
ちょっと水を飲みにいっている
ほっかむりを付けてあげたい
僕らもこれからの陽射しに備えて
マスクとかいろいろ付ける
君のことを話しながら
毎日お茶を飲むだろう

水曜日, 6月 03, 2009

この場は風船

僕は親身になって話すふりをしながら、実は心にチョッキを着けていた。語弊が起こるような言葉を少しでも口にしたら最後で、この場は弾けてしまうようだったから。思ったよりも僕は相手によって言葉を使い分けているのだった。弾けたときに破片は胸に突き刺さって、僕はこの場に吐いたごたくを収拾することもできないまましぼんで消えていくだろう。それはそれで清くて正しい気もする。でも本音はそんなに生真面目に懺悔だけするようなのは面白くならないから、チョッキのことは忘れて(装着したまま忘れる巧妙さで)語弊を恐れず気持ちを言葉にしていく。弾け飛ぶのは何者か。あなたは言葉を探す。僕も探している。この場は風船。大きくしてその中に入っている。

火曜日, 6月 02, 2009

月の光を聴く

集まることのできない朝ならやめてしまえばいいよと皮肉を言ったけれど、自分自身こそ朝に強いほうじゃないので、随分偉そうなことを言ってはいた。自戒を込めて言っていたとも言える。できそうにない予定を立ててもうまく歯車は回らない。技術が無いのならば得るための動きをしなければいつまでも動かないし、感覚が無いのならばどうにかして研がないとアウトだ。そもそも、これが無いと自覚できているうちはまだいい。本当に欠落している場合、何も分からないのだから。何も分からないところを常に意識するしかない。白髪ができても動いていたい。

友部正人「月の光」(1999)を聴く。
口ずさんで、また朝になるまで眠る。明日は集まることのできる朝だ。

http://www.youtube.com/watch?v=QDLNXtRRXyY&feature=related

月曜日, 6月 01, 2009

技術と感覚

たとえ映像を作るスキルが無くても映像感覚というものはあると考えている。
映像作品を作りたいけれど、どうすればいいか分からないと聞き、見よう見まねで手に入れただけのことを画面の前に並んで座って話しているとその感覚を感じることは多い。あくまでもテクニカルサポートであり、ディレクターはその者であると繰り返す。聞かれるまで構想には何も言わない。我慢しながらクリックの位置を追っていると、ここはこうしたいという閃きが開いてくる。できないから思いつかないではなく、できないからこそ思いつけるへ至る。できることを思いつくでは面白くない。思いつきはできるかもしれない からはじまる。

絵をうまく描けなくても、絵画感覚というものは同じくある。
しかし、どうやって絵を描けば良いかは誰も聞かない。
見よう見まねで手に入れた方法を誰もが誇示しているから。描けるという過信が思いつくことを妨げているように思う。無力だと思い切ってしまえば、感覚を解放できるのかもしれない。
夕方に一宮のギャラリーDebut にて佐竹美香さんの個展を見た。
草むらに寝転んだとき硬い草や葉っぱがチクチクしたりするよう と伝える。

詩なんてどうやって書けばいいかわからないと言いながら、詩的感覚というものもあるだろう。
文才とは異なる。間を意識できるかどうかの運命的な思いだ。

http://www.debut-art.com/past_exhibition_2009.html