たとえ映像を作るスキルが無くても映像感覚というものはあると考えている。
映像作品を作りたいけれど、どうすればいいか分からないと聞き、見よう見まねで手に入れただけのことを画面の前に並んで座って話しているとその感覚を感じることは多い。あくまでもテクニカルサポートであり、ディレクターはその者であると繰り返す。聞かれるまで構想には何も言わない。我慢しながらクリックの位置を追っていると、ここはこうしたいという閃きが開いてくる。できないから思いつかないではなく、できないからこそ思いつけるへ至る。できることを思いつくでは面白くない。思いつきはできるかもしれない からはじまる。
絵をうまく描けなくても、絵画感覚というものは同じくある。
しかし、どうやって絵を描けば良いかは誰も聞かない。
見よう見まねで手に入れた方法を誰もが誇示しているから。描けるという過信が思いつくことを妨げているように思う。無力だと思い切ってしまえば、感覚を解放できるのかもしれない。
夕方に一宮のギャラリーDebut にて佐竹美香さんの個展を見た。
草むらに寝転んだとき硬い草や葉っぱがチクチクしたりするよう と伝える。
詩なんてどうやって書けばいいかわからないと言いながら、詩的感覚というものもあるだろう。
文才とは異なる。間を意識できるかどうかの運命的な思いだ。
http://www.debut-art.com/past_exhibition_2009.html