昼までにと、高速道路で近郊の都市を目指した。時間に間に合っただけで仕事を終えたような気持ちになった。言われたとおり、批評性の無いものに批評をぶつけても空回りするだけだのは明らかだった。土俵で仕切りを相手がしていないのにぶちかましていくようなものだ。言葉は身体をすり抜けて転がって恥ずかしい様になってしまう。あるいは、なんとかよりかかろうと甘えだす様で どちらにしろ恥ずかしい。模倣の模倣に落ちぬように噛み付かなければ噛み付き返されることもないし、痛くない代わりに何も起こらない。何も起こらないから、悲しいも嬉しいも無い。話しかけなければ「終わってる」のではなく、既にはじまってもいない。
けれどもそんな焦りは夜の飲み会で吹き飛んだ。日中の対談と質問のさなかに留まっていた気持ちを皆が勢い良く飛ばし出したのを目の当たりにした。一度だけを何度でもと、契機を伺っていたのか。
逆に留まるところを知らず、翌朝を超えていつまでも続きそうな勢いになっている。返す言葉を持たなければ、僕は眠ることも許されないだろう。