金曜日, 10月 06, 2017

LEUCHTTURM 1917 のように

「ドイツロス」という造語だけで、それを失って辛いという感情を現しているということが伝わってくれるのは、良いことなのか、言葉に気持ちを嵌め込んでいることにならないか。ロスの心理は様々に複雑だ。「複雑で面倒なことを伝えるために表現はある」とこないだ思った。表現という言葉が示す幅は広い。
何度も同じ場面の写真を眺めたり、呼ばれてもいないのに、かつての場所へ行きたいと思う。それも自身への表現であろう。実際に行っても、虚しい風が吹くだけかもしれないが、ときにはそれしか方法がないときもある。

日本とドイツで交互に展覧会を行うプロジェクト「ONGAESHI」のカタログを作成して頂いた。
その発表を兼ねて小さな展覧会「ONGAESHI #3」も開催した。自分にとって四回目となるドイツ、ブレーメンの風は懐かしいというより、自分の中の懸けているものをくすぐる時間だった。言葉に嵌め込んでしまえばそれは人生のことで、すべてが試される時間だったのだ。私にとってドイツはそこにある。
たくさんの雑事にまみれて、いちばん大切なことが見えにくくなっている日本での生活から一度切り離して、何に懸けているかを見直すこと。語れば、ありがちな嵌め込みに聞こえてしまうようだが、こう語るしかないのだと考えている。
9月11日にドイツから帰国して、一ヶ月近くなるいま、詩「LEUCHTTURM 1917 のように」を書くことができた。四畳半ラジオの「詩からストリーム」でそれを読んだ。

この一ヶ月に「ドイツロス」だと公言して、考えていたことが手元の手帳にあった。頁がナンバリングされているモレスキンだよと語れば早いかもしれない。モレスキンはフランスだけど、リヒトターム(ロイヒトトゥルム?)1917 は ドイツ、ハンブルグ発である。

2005年に行った ブレーメン・ナゴヤアートプロジェクト「site scenes」のときに作った詩「明るい夜」はドイツ語訳で「Lichte Nacht」だった。「明るい夜」は、駅前商店街の街灯を消してもらってから、街に付けられた放送で詩を朗読する作品。ドイツ語版を クリスチャンハーケ氏に読んでもらった。手帳の名前「LEUCHTTURM」は「灯台」だ。1917年は百年前。site scenes メンバーの福岡氏、真坂氏、西山氏らと立ち上げた読書会プロジェクトの名前は「百年を読む」だったけど、あれはどこへ行ったんだろう。Facebook が日本でも普及しはじめた頃で、コミュニティー頁だけ作ったような。

ロックバンド くるりの「ブレーメン」を聴くと 心が騒ぐ。
出だしの
"ブレーメン、前の方を見よ"
だ。
「LEUCHTTURM 1917 のように」に、その一行は直接引用していない。

LEUCHTTURM 1917 のように
村田 仁

大きな戦争は2回あった
灯台を開いて、荒地を書き写した
垂直か、水平か
それが大切だった
右か左かは
百年先からは、変わらなく見える
ペンの走りを追う
活字の流れを追う
垂直か、水平か

そして紙は紙のまま
綴じられるべきで
灯台の明かりは
本に内包される
君へ、私は置いている

赤ん坊の声は
言葉を人質にしない
生まれてきてからだけを歌う
ひとつずつ
私と変わらないと男は歌った
ペーシを漢字で現した

空港に着く前の音楽をラジオでずっと流したくて
使っていいですよと書いてあって
国会の燃える音も
教科書への投書も
みんな使っていいですよって
認めてくれる
子育てしていいんですよねって
キスしていいかは聞いたでしょって
時代、時代、時代
拍手を丁寧に断る

大きな戦争は誰もしたくない
いや、していてもらってかまわないと
こっそり書き直す
灯台を灯すのが見える
ロケットの窓から

私は映画を見ていました
ビールを頼んだらベックスだったので嬉しかったのです
懐かしくって親指を立てて
横の女性は顔にスプレーをしていた
誰もが思い思いに寝ていた
それは電車のようでした
灯台が見えるのは同じです

垂直か、水平か!
草の根に、私たちは話し出せる
うまくはないかもしれない
言葉は解放されて
灯台へ
内包されている
君へ、私は置いている
(2017,10,5 弟の誕生日に)

http://ongaeshi-exchange.tumblr.com/

http://www.leuchtturm1917.com/

http://jinmurata.jpn.org/poems/akaruiyoru/index.html

https://www.youtube.com/watch?v=_WDRqjmVzgU&feature=youtu.be