日曜日, 4月 30, 2006

享受しあえる一瞬が全体をそう見せる

出来立てほやほやの、bnap06 チラシをリュックに入れて出かけた。
矢場町の名古屋パルコにあるギャラリーに置いてもらおうかと思っていたが、設置台が展覧会によって有無を切り変えるらしく、今回は無く、断念。いろいろ見て回る。地下の無印でエコバッグを求め、「BUTUCHAN MAN」とスタンプを押した。

ラシック前に人だかり。三時からエビちゃんが来るんだって。テレビの企画であった。事前にお忍びでお店も見てたんですよ〜という、女性司会者のわざとらしい声と客の感嘆や溜め息が、数時間後に行われるのだろうと容易に決めつけ想像してしまった。
時の人を連れてくるなんて、凄いやね。盛り上がるっしょう。

大須にてクィクリーというタピオカジュースと、名物の立ち食いお好み焼き食す。おつりを渡されるとき、おばちゃんが手を握りしめてきた。
湿り気があって暖かった。
西大須というほうに引っ越しリニューアルをした、オルタナティブアートスペース「アートフェチ」に行く。展覧会を見がてら、bnap06 のチラシ設置をお願いさせてもらう。快諾して頂き、感謝。新生フェチは展示室も多く、自由な空間の印象。アトリエも要るだろうけど、固定化しないフレキシ ブルな空間使用が見たいなと我が儘な感想を抱く。
伊藤正人氏の作品で、屋上からのお茶を受けるのが楽しかった。
喜びが共有できて、享受しあえる一瞬が全体をつくる。
自由な姿勢を感じさせる作品だった。

帰宅後、蕪のスープで身体を温める。日が落ちてからの、温度差が大きい。
福岡氏より借りている「青木雄二漫画短編集 完全版2 ゼニと欲望編」(廣済堂ペーパーバックス/2006)を読んだ。
一定時間は、青木雄二の絵柄で世界が見えるのだ。
糸井重里のゲームの後は、その世界観で。
あらゆるものが見えてくる。

エビちゃんに狂喜したお客さんたちは、キラキラを分けてもらって、それからお買い物を楽しんだだろう。
そのキラキラを生んでいるのは、エビちゃんではなくお客さんだ。

http://www.jap.co.jp/ebihara_yuri/
http://www.kuaikeli.com/
http://artfeti.main.jp

土曜日, 4月 29, 2006

夕食に、餃子を作って焼いて食べた。とても美味しかった。

連休のはじめということもあり、若者がコンビニに多かった。たまたま、僕とレジに居合わせた兄ちゃんが携帯で喋りながら弁当を買っていた。店員が「温めますか?」と聞くと、兄ちゃんは「あっためて〜。でも熱くしないでね。」と、肩で携帯を耳に押し付けながら言った。
僕がよく注意して見ていると、それを聞いた店員は明らかにムッとした顔を一瞬したかと思うと、バン!と電子レンジに弁当を放り込んだ。
彼が加熱のボタンを押す。表示パネルには、10 という数字が浮かんだ。十秒、十秒である。彼のとった判断は、十秒の加熱。温めていながら、熱くならない為に!
僕が心の中で驚いていると、兄ちゃんは会計を済まして、弁当を受け取り出て行った。ずっと携帯は耳に押し付けられたままだった。どうやら女と話していたようである。
おそらく、兄ちゃんの恋愛観もあの弁当を頼む言葉の如くなのではないかと思う。
「つきあおう、でも好きにならないでね。」
とか。熱く、なるのが、嫌な感じで。 そのレジに並ぶ前に、雑誌を立ち読みしていたら、コ ピー機にて店員に質問している女の子がいた。立ち聞きしていた内容によると、本の一部の図版のみを葉書大に印刷したいらしい。それなら、一度コピーしたあ と、その一部分だけを切り取って拡大するのが確実です。と店員が言っていたが、その子は無言で何も答えなかった。二十円使うのが嫌なのかもしれない。
「それか、一気に拡大する方法もありますけど」と店員が勧め、結局は店員がコピーをしていた。その女の子は、姿格好から、明らかに美大の子だと分った。
おそらく、彼女の制作も、このコピーひとつを億劫がるの如くではないかと思う。
作業に必要な一手間を自分ひとりの判断で放置しておいて、結局、教授とか恋人とか友達とかに最終的には作ってもらう卒業制作。
我ながら、嫌な推察をしてしまった。
どちらも自分の弱いところを言い当てているようにも思える。
卑怯にも他者をこけおとす方法で、自分を忘れて責め立てる。自分のことだから悪く思え、良く思える。批評や批判の言葉はそうやって跳ね返っているのだと思う。

夕食に、餃子を作って焼いて食べた。とても美味しかった。
食後に、映画「草の上の仕事」(監督,篠原哲雄/後藤直樹、太田光/1993)を見た。ドキドキした。何も起こらなかった。
終わり方が好きだった。いい映画だなと思った。

http://www.shinotetsu.com

金曜日, 4月 28, 2006

閑話休題の多用は避けたいが、実に便利なので、使用します。ゲームとホリエモンについてです。

バイトもあったのだけれど。
掃除の合間に MOTHER3。MOTHER3の合間に掃除。んでバイト。という過ごし方の一日だった。
第一印象は、2を薄めた感じだと述べてしまっていたが。
ところがどっこい。
嬉しい誤算。
「3」でしたいこととゆーのは、こーゆーことかーとゆーところ。
満喫。
満ち足りて、浸って、おります。
堪能。だね。堪能しているわけだね。
小難しく形容しなければ、面白いっス。
堪能してるっス。
うーん。
やっぱそう言う。
そしてこんな書き方は、実に MOTHER的というか、糸井重里的なのであった。
ゲーム雑誌の特集記事を読んで、やっぱり僕は「ファミ通」(エンターブレイン/1986-)は生理的にも論理的にも好きになれないと思った。この雑誌の横行が、日本のビデオゲーム界を駄目にしているのだ!
これについては、まとめて書きたいと考える。そして、そう「MOTHER」についても。おそらく、この冒険が終わりを向かえてからならば、僕は文章を書くことができるだろう。この秀逸なるビデオゲームが与えてくれたものについてを!

閑話休題。
ホリエモンが出てきたという新聞の写真を見た。
半年後には、何食わぬ顔でテレビのバラエティーに出ているんじゃないかと思う。マスコミネタになるのはいいのだけれど、あれだけ叩いておいたのを棚上げして、またヨイショしだすだろうなと思うと気持ちが悪い。
人気者だから仕方ないとなるわけだが、僕はゾッとする。
おそらく、その気持ち悪さへの代償としてパフォーマンスもあるだろうが、そのやり口からライブドアの本質的な問題点と、いままでの精算的な報道はどうだったのだが問われる。それがナシになるのなら気持ち悪いわけだ。
彼らが変わって現れるか、社会が前のままでは受け入れないか、そうでないと間違っている。しかし世間では勝ち組信仰が衰えていないのだから、間違いを行うような気がしてしまうのだ。
ライブドアショックについては、ドキュメンタリー監督の森達也が webに寄せた文章が僕には重要になっている。
ここで集めた文章は、いったい彼らに昇華されるのか?
そういう局面なんだろうな。億劫がらずに。気持ち悪いとか言って処理せずに。

http://blog.livedoor.jp/ld_opinion/archives/50271417.html

木曜日, 4月 27, 2006

歯医者と鉛筆

お昼前に歯医者さんの二回目へ。前回に引き続き、待合室で、置いてある雑誌「ステーショナリーマガジン」(エイ出版/2005)をめくる。ステッドラーの 特集が組まれていて、写真がたくさん。青い鉛筆の硬質な感じが気持ちいい。マルスのマークも格好いいし、昔は「フルムーン鉛筆」という名前で日本が輸入し ていたという歴史にも興味をひかれる。
歯根への投薬を受けながら、歯医者と鉛筆という関係は面白いかもと想像を巡らせた。
ぱんだ院長は、僕の問題の部分に、針のようなものを刺しては抜き、刺しては抜きを繰り返して、薬を浸透させていく。
例えばこれが鉛筆だったらね。
口を開いたら、中は真っ白で、歯医者さんがステットドラーの鉛筆で書き入れてくれる。
清潔で、奇麗な形で生え揃った歯を。
ステッドラーとか、ドイツは文房具のメッカだけど、この歯科医院の内装はどこかドイツ的というか、欧州のホスピタルイメージが漂う。
そんなシーンの短編小説を思った。

今回の治療時間は短く、次回は連休明けに。
日中はまた掃除。まだまだ続く。ドローイングを分けてファイルに整頓。
夜は味噌蔵で bnap06 定例会議。来月の終わりにあるプラン展のチラシが完成。郵送の為の作業などを福岡事務所で行った。
プロジェクトのことではなく、ドイツのことに想像を膨らませて、もっと目を向けようと思った。

http://www.staedtler.de

水曜日, 4月 26, 2006

ゴミ捨てとギターとskypeと

昨日の、ぱんだ歯科での治療のおかげで、腫れと痛みはみるみるうちに無くなった!

すこぶる体調良く、嬉しくなって昨晩は、翌朝の不燃物ゴミの収集箇所に往復した。ずっと続けている掃除で排出された、不燃物ゴミは市の指定袋で五つ分。
一つずつ自転車で運ぶ。面倒だが、やらなきゃいかんと、なんとか捨てきった。
達成感に満ち足りて、次は本に雑誌類の資源ゴミが捨てられる日だなと、北名古屋市のゴミ捨てガイド帳を開くと、西春町の時には同じ場所であった不燃物ゴミと資源ゴミの欄が分けられているのに気付く。「えっ?」
北名古屋市になったことにより、ゴミ捨てのシステムは向上されていたのだ!
いままで、不燃ゴミは指定場所に捨てるようになっていたのが、可燃ゴミと同じくルートコース上に捨てるように変わったらしい!
つまり、不燃ゴミにもゴミ収集車が回ってくれるようになったわけだ。これは良い!
しっかし‥、ということは、さっきの僕の深夜の五往復は、全くの無駄な徒労ということになる。ガビーン!
かといって、あれをルート上に全部戻す気にもなれない。
おそらく、新市になってまだ日も間もないし、こんな勘違い市民の為に、かつての指定場所もチェックして収集してくれるやろう‥。
と、都合良く推察して昨晩は眠りについた。 「しっかりしやなあかんで。」
母親からのメールちら見し、今週も岩倉市にてこども絵画教室を行う。
掃除よりい出た、アコースティックギター持ち込み、モチーフとしてデッサン。みんなスケッチブックからはみ出してしまう。でも、人が弾く格好になってモデルをすると、うまく画面に収まるようになる。面白い認識の差異を見る。
小学一年生の子の自由帳は、ムシキングの表紙で、中身の絵はポケモンで埋め尽くされていた。うまいこと心を捕まえて離さない。キャラクターたち。これは数 値や技の存在もしっかりシステムとして構築されている分だけ、我々80年代世代のときのビックリマンやカードダスより、依存度が高いなと思う。カードダス の初期なんて、数値概念あってないようなもんだった。多ければ勝つというインフラ化は、商品展開としての価値付けとして要るので、現在も変わってないよう だが、ある程度のシステムは前提として設定されている度合いが高く感じる。

子供達のモチーフとなったギターは、ミュージックフリーキー MURCURY氏に託した。僕は「犬山××ゼミナール」(2001)の時にこれを購入したけど、弾くより歌うになってしまうから。

そのまま中山氏宅で、いろいろ話していると、突然、彼のパソコンから電話のような音が鳴った。
驚くと、これがよく噂に聞くインターネット電話「skype」だって。
電話の相手は、psyco + logic、モライモノモリの、KEN さんからだった。パソコン本体に憑衣したかのように、声だけがリアルに、そこにいるようにして話されてくるのが凄い。
復刻したというワタルのプラモや、トランスフォーマー、バンドやライヴでの話。行き場のない二極化の話などをした。

http://www.skype.com/intl/ja/

火曜日, 4月 25, 2006

心優しき歯医者さん

阿佐ヶ谷土産のベーグル屋さんの美味しいベーグル達を、心の底から楽しむ為には、なんといっても健康な歯が必要だ。痛みや不快感を抱えたままでは、自由に 楽しむことはできない。かの、北野武も映画監督として集中作業に入る為、なんとかしてコンディションを整えようとして、歯科医に大枚を叩いて、虫歯関係は 勿論のこと、噛み合わせを完璧にできるように手術的なことをしたらしい。噛み合わせがしっかりできると、人間は思考能力や集中力が向上するらしいのだ。ま た、長寿の方は決まって歯の状態が良いのだ。虫歯がちの人は長生きできないという。どんなに屈強な男でも、自分の内部から響いてくる虫歯にはかなわないだ ろう。
これだけ思考材料は揃っているにも関わらず、僕は愚かにもいままで数軒の歯医者さんに背を向けてしまってきていた。どこも親切で丁寧な所だったのに。

そして身勝手なことに、耐えられない痛みが戻ってくると、こうしてまた歯医者に行かなきゃ、歯は命だと騒ぎ出す。
ああ最低だ。そんな状態で向かえば、症状も悪いに違いない。
本当にこの虫歯関係だけは、早め早めにケアをして悪くなる前にやっつけてしまうのが一番なのだろう。大枚はたいて、一気に直すことはなかなか難しい。
毎日毎日の歯磨きが、マジで生命線なのね。

そうして、日課となった掃除をしているうちに、予約の時刻となった。
新しい歯医者さんは、西春駅前商店街の新興開発で作られたモールの中にある、その名も「ぱんだ歯科」。
名前通り優しくされるか、実は肉食の如くに爪でガリッとお灸をすえられるか?!
静かなジャズがBGMの院内は、落ち着いた色遣いだった。

不安が顔に出ていたらしく、ここに来てもらっただけで充分ですよと仏の言葉を頂く。

「歯医者さん大嫌いだぱんだね〜。」

毛がモサモサしたパンダの太い腕で、とても器用に僕が触ることのできない歯の根っこから膿やら雑菌やらを取り出し、お薬を打ち込んでくれたのだった!

「痛かったり、怖かったりしたら手を上げて下さいだぱんだ〜。」

http://www.panda-s.jp/

月曜日, 4月 24, 2006

体力が低下したら、食事もしくは病院、それから会話

右頬が腫れてきた。絵に描いた虫歯っ子のようだ。時折、痛みが和らぐ。頭痛薬で誤摩化して、アルバイトをする。本音は、プイッと寝込んでしまいたい。歯医 者に行きたくないけど、行かなくちゃ。もうだめだ。耐えられん。何度も何度もこんなことを繰り返している。性懲りも無い。どんどん歯医者の位置が自宅に近 くなってくる。遠いことを通わなくなる理由にしたくないからだ。それに比例しておそらくどんどん歯医者の質は低下していくような恐れを感じている。明日に は飛び込みで向かおう。バイトは夜からだから、午前中に行ければベターだ。革命的な掃除と同じく、身体管理にも革命を起こすんだ。そうやって、うまくコン トロールできるようになれば、糸井重里が言うように、自分のやりたいことの地図を今より四周りも大きくすることが容易にできる気がしている。いや、これは 自分だけの話だ。自分の場合だけの話だ。きっと。

バイトはとにかく苦痛だった。早く終わって帰って横になりたかった。思い思いの服を着て、布団に潜り込みたかった。
ようやく終了してから、比べれば少しの時間だけ、久々の再会と夕食。猫の鬱が徐々に落ち着く。
寝る前にレコードプレイヤーをアンプに接続した。針を買わなきゃと思っていたら、父親が予備に買っておいたであろうオーディオテクニカの針と前部のユニットが丸ごと、革命的掃除より出てきた。
「Solo Monk」(Thelonious Monk/1964,5)という名前のレコードをかける。ピアノ演奏。

日曜日, 4月 23, 2006

疲弊したあとにいろいろあるはず

誤摩化していた右下の虫歯が再発してきて、一日中ズキズキ痛む。連日の作業故か、右手首も腱鞘炎気味に痛い。かがみ込む体勢をとりすぎていたこともあり、 右膝も体重をかけると間接部がイタタタ。ついでに猫の鬱がやたら、テレビやネット線のコードを噛もうとするので、やめろとするとこちらに噛み付いてくる始 末。あらゆる重苦となってしまい、掃除をしながらも一人イライラしてしまった。これは食事が足りないのだと思い立ち、昼過ぎに飛び出て、選挙の投票とスー パーへ。仕出しの大弁当が三百円というセールとなっていた。これは安いぜと迷わず手にとる。掃除も終わりかけてきたしと、その足で御用達のファミコン ショップ「ポパイ」に向かい、幻のソフトであった「MOTHER3」(任天堂/2006)を購入!さらりと弁当の入ったビニール袋にカセットを放り込む。 それをぶら下げたまま、投票所に。如何にも買い物帰りの一人暮らしの若者といった判断をされる視線を感じる。僕が手に取っていった投票案内の葉書は、前回 の西春町長選挙のときのものだった。失笑を買い、そそくさと紙に名前を書いてポイッ。帰宅してみれば、呆気なく、あの喧騒はなんだったのかという感じ。こ いつには絶対に入れん!という憎悪だけが起こった。まったく、無駄にストレスを溜めなきゃならん社会だ。
仕出し弁当はとても美味しかった。コンビニなんか行かず、スーパーの総菜コーナーというのが正しい判断だ。
ゲームをはじめる前に、取り扱い説明書を丁寧に読む。こんな儀式的なことを、僕は小学生の頃から続けている。部屋の間取りや掃除の仕方に関しても、おそら く基本は変わらない。それでも、今回の掃除は革命的に本や溜め込んだ書類関係を捨てている。でも一連のこの行為を通して、必要なものを求める姿勢が強化さ れたように思う。前よりもどん欲に、それを嗅ぎ分け、手に入れることができるようになっただろう。見飽きたイメージの雑誌や玩具をどんどん捨てていく。 VHS のビデオカセットは、要るもののみ DVD-R にダビングして、それから捨てる。それでもだいぶ少なくなった。

土曜日, 4月 22, 2006

俗なことにはしっくりこない

朝早くに味噌蔵へ児童館の子供らが見学にくるという会があって、向かってみたら、大きいお友達もたくさん来て、少し唖然としてしまった。今朝のこの町は、 選挙一色。最終日なもんだから、容赦なくところかまわず、小道であろうが、爆音だ。あっちからも、こっちからも鳴り響いてくる。ヒステリックにハイなウグ イス嬢は、感極まって涙声になるんだろう。呆然として、日中に時間給労働に勤めた。

本日は、それから予定が無く、また明日も全日空いているという嬉しいスケジュールになっていた。ここで一気に掃除を終わらせなければ、またずるずると引き ずる羽目になるのは間違いないと思い、ゴミ袋を買いに走った。本当は二十日に発売した「MOTHER3」(任天堂/2006)が欲しいけど、いま買ってし まうと、掃除はまた今度になってしまうから、それではいつもの愚か者だから、我慢して、頭の淵に追いやっておく。掃除が終わってからだ。掃除が。
まるで、児童館で先生が子供に、お片づけをしてからでないと おやつを食べてはいけませんとしつけをするように、自分の頭の中で先生と悪ガキが向き合っていた。俗に、こんな心境を「天使と悪魔が戦っている」と呼ぶの だろうが、僕には自分で自分をしつけする構図に例えたほうがしっくりくる。この年齢にもなると、いろいろ格好をつけて呼称も形成するようになってしまっ た。
基本は、しっくりくるかどうかであるのはブレないので、これは何の問題でもない。むしろ長所だと自覚している。

ひとりせこせこと掃除をしながら、猫の鬱とちょっと喧嘩した。掃除はもうあとちょっとで全ての箇所をあらったことになる。大量に出た廃棄書類や荷物類を捨てること自体に時間と手間がかかりそうだ。
明日は、目一杯動いて、明解なビジョンの部屋を完成させたい。
それと、投票日なので、忘れずに役場へ行って紙を入れて、あわよくば「MOTHER3」をと思うが、それは掃除の進み次第だ。

金曜日, 4月 21, 2006

適当なテロリスト

昨晩の味噌蔵でも豪語していたのだが、つくづく選挙はテロだと思う。
今朝早くに、とある立候補者が大勢を引き連れて事務所から出発するところに偶然居合わせてしまった。その光景は、まさしく出撃の図で、彼らがいまから街中でぶっ放す爆音や利己的な言葉の数々は、表層だけニコニコしながら実に暴力的である。

昼より、また児童館にて絵画教室。本日、いよいよ最終回。
とても奇麗な子がいた。だがとても淋しい目をしていた。
大人が要求する絵を、子供がはじめから描けるわけではない。子供にはそれぞれが抱えているイメージが常にある。それは個性そのものであり、ストレスや何ら かの圧力、それに対する子供自身の様々な判断によって良くも悪くも変化する。絵に描き出されるものは、全て自画像だ。子供の描く絵に、その子が全て出てく る。
その浄化的な行為そのものを、大人の満足の為に抑圧してはいけないと思う。それは暴力だ。
私に一票入れろとがなりたてる大人と、大きく顔を描けと子供の画面に線を引く大人。どちらも自分だけが良ければいいというテロリストだ。
手段を選ばない。いや、手段を選ぶことをしていない。惰性か、無能か分らないが。これしか手段がないという状況での、テロリストとは違う。もっと適当なものだ。

木曜日, 4月 20, 2006

本棚が出来た、監督が来た

豆腐入り御飯や、温かいお茶の時間。遠く向こうのほうで、選挙カーの声が聴こえる。昨夜はほとんど朝まで、カラーボックスを積み上げて、その中に必要な本 を並べた。どうせやるならばと、雑誌類と文庫、新書類、漫画、単行本、画集、写真集、詩集と、分類をした。そしてできるだけ同系列の著者を揃える。
赤瀬川源平の横に尾辻克彦、その横に南伸坊、泉昌之、いとうせいこう、みうらじゅん・・といった自己判断に基づくグラデーション。そこまで厳密じゃあないが、こだわりの本屋みたいで楽しい。並べていて、書肆 孤島を思い出す。
そうやって、今日のまだ暗いうちに、本棚は完成しそびえ立っていた。
物が散乱しているものの、部屋は広くなった。
この革命的な掃除も、ようやくゴールが見えてきた。一気にやってしまいたいのだが、まとまった時間が取れない。
はがゆし。

お昼過ぎより、児童館にて絵画教室仕事。完全にアニメ絵のパーツ描法をしている女の子がいて、批判すると、嫌悪感剥き出しにされる。あなたの世界を否定したわけではないが、もっと世界は自由に広がる可能性を持っているものだったのだ。
理詰めにならない、生きた言葉での柔軟な批評が要求される。子供にも伝わる批評。批判とくってかからない批評とは。

一旦帰って、蒸しケーキを食べた。本音は bnap06 のミーティングはズル休みして、部屋の掃除がしたかったけれど、重要なことばかりなので、当たり前だが、我慢して向かった。
当たり前だ。

味噌蔵は外の空気との通気性が抜群なので、夜になるとまだまだ冷え込む。今回は幾つかの議題の後、東京からサポートスタッフで参加する 田中ゆうし監督の映像作品を見せてもらった。
画面がズムズムと弾んでいる。
bnap06 を通して、監督は、カメラを自ら回す決意だという。

水曜日, 4月 19, 2006

本を捨てる

水彩絵の具で、顔のベースを描き、その上に濃い鉛筆で目、鼻、口などの細部を描いていく描法をしてみた。毎週水曜日の定例絵画教室 for 子供たち。
描法の指定が、制限に思えてしまったかもしれない。前回のような調子は出ない子が多かった。
暫し反省。春めいてきたこの頃の開放的な空気に合わせた画題ができたらいいなと思う。

お誘いを受けていたワークショップの団体への参加を断った。
会費を持って頂くのに気遣いするだろうということと、やや手一杯な現状の二点から判断した。
まぁ、良かったんじゃないかと思い返しながら自転車で帰宅し、ひっくり帰った部屋の掃除に舞い戻る。スーパーで衣装ケースを買い足してきた。それに CDを詰め込む。新しい部屋の構造では、そのときに聴くものを数枚、取り出して置いておくだけにする。
圧倒的な量に参ってきたのだ。ファミコンやビデオ類も同じく。
本だけは、本棚にまとめる。
が、ひとつの壁で収容しきるようにしたので、どうやっても量がおっつかない。判断基準を上げて、本当に必要な本だけをと選択する。いままで、べらぼうに増 やしてはきたが、実際に興味のある本ばかりを選んできた。本に囲まれて暮らしたい自分としては、一時、断腸の思いだった。
だが、この部屋の許容量もあるし、豊かな空間に憧れるのも事実。
心を鎮めてみれば、図書館のリサイクル本などで大量に増えているものもあり、疑いをかける余地はあった。手に入れたけれど要らない本という項目が発生する。
革命であった。
今夜の、とあるウェルカム・パーティ。それが革命を引っさげてきた。猫の鬱が踊っている。

父方の祖母がアパートに住んでいた数十年前から(僕が中学生の頃だ)使われていた食器棚を、僕が大学に来るときに三重県から運んできていて使っていた。こ の部屋では食器棚として使わず、文庫本などを並べていたのだが、デザインなど総合的に物として元々気に入っていなかったのと、収容能力が低いという判断も あり、バイト先で知り合ったリサイクルショップに引き取ってもらうことにした。
状態を確かめてもらって、オーケーが出たあと、食器棚は、トラックの荷台で横になった。ではではと、お店の方は車のエンジンをかけた。

火曜日, 4月 18, 2006

積極的に話す人

僕らが企業ビルに着いたときは、ちょうど朝礼を行っている時間だった。
面会して下さった方の、本日の初仕事は、この場であろう。ブラインドに、百メートル道路を車が走っていくことで出来る、色の移動が見てとれた。
マクドナルドの朝マックだけでは、何も満たされない。市内だから、ワイヤレスランが走っていた。殆ど意義はそこにあるのだろう。
福岡氏と反省会をするつもりだったが、後悔会の様相を帯びてしまう。さっきの面会のことではない。もっと前、昨年のあまい判断についてだ。
自分で自分の首を絞めるようなことになっている。
毎度のことかもしれないと、誰かが携帯メールによこしてきそうだが、そう思う。

電車の中でも寝て、部屋に戻って数時間眠った。

夕方より、児童館で絵画教室。「似顔絵」と言わず、「友達の顔を描く」と言うことに努める。子供たちは積極的だった。小学一年生と二年生では、抱えているものや性格がよりはっきり見えてくる。三年生では尚更だろう。独特の対策が要るのやもしれない。
充実したサンプルや道具、準備かと直観はあるので、それを軸に向かおう。

終わって、迎えに来てもらって、次の収入先へ送ってもらい、深夜までアルバイト。本日は労働者だなぁ~と、変な冗談を言った。
北名古屋市市議選、市長選の広報を読むが、どれも同じ印象でよく分らない。白紙投票とか、参加そのものをしないとかは、望ましくないと僕は考えている。な んとか一人の名前を決めて、揺れ動くものに触れておきたいと思う。選挙の結果によって、町が前進するか後退するかなどは分らない。これは一種の賭け行為 だ。だから、この後で未来が「揺れ動く」と表してみる。
消去法ではなく、積極的に選んで投票したい。
しかし、政治家というものは、お金がないと立候補できないということは勿論、選挙活動という行為自体を抵抗感無く活き活きと行える性格でなければなれない のではないだろうか。やはり引っ込み思案な性格の人間ではなく、人の前に立ち、マイク演説を汗だくでして、悦に入るような人間でなければ、政治はできない のか?
このような人種のみで政治が行われるという事実を、社会の点検として分析批評してみたく思った。
代表者議会制度。ローマにおいてだったか。
帰って、ぐっすりの意向。

月曜日, 4月 17, 2006

月曜の朝から火曜の朝まで

お昼から夜までアルバイトタイムで、それから部屋掃除をして、深夜から福岡事務所で bnap06 ワークという行動をした一日。会社勤めの方と同じ、平均的な時間帯で時間給労働にあたる機会が新鮮で、夕方などに人々が駅周りに増えてくるのがよくわかっ た。そのタイミングに合わせて、また選挙カーが襲撃をかけてくる。投票日前日には、この騒音に慣れっこになってしまっていそうだ。ゆっくり部屋で音楽や映 画も見ていられない。漫画家とか小説家がこの町に住んでいるかどうかは知らないけれど、書斎仕事の方には、たまったもんじゃないだろう。会社勤めでも同じ だが、目くじら立てるイメージではやはり もの書きが勝つ。

翌朝早くに、名古屋市内のオフィス街へ行かなければならない。
bnap06 を通して、見たことのない場面を数多く迎えた。
僕が遭遇し続けた場面についてが、このブログ日記のボルテージになっている。
理不尽なことも、
楽しくて仕方ないことも、
悔い詫びるようなことも。

日曜日, 4月 16, 2006

この町を良くするために

物がひっくり返った部屋で目覚め、何も作る気が起きず、たまには喫茶店でモーニングでもと外に出ると、町の中がひっくり返っていた。
線路沿いの道に民主党のノボリが、パチンコ屋のように立ち並んでいる。
ハチマキを締めた運動員が行き来し、遠くからは「宜しくお願いします」とのスピーカー音声がこだましてくる。いよいよ北名古屋市の市議会議員と市長の選挙がはじまったのであった。駅周辺は自分の占領地かと言わんばかりに、多くが詰めかけているようだった。
毎度毎度、思うことだけれど、この、けたたましくがなり立てるだけの摺り込み宣伝が蔓延する宣伝方法は何とかならないものか。これは明らかに公害で、暴力 だ。今日から一週間、この爆音に苛まれるのかと思うと、実に長い。特に今回の選挙は合併後初なので、規模が大きいのだ。人数が半端無い。 喫茶店から福岡事務所へ移動するときに、町の外には選挙カーとハチマキと巻いた人しかいないように見えた。遠くから覗けば、のどかな町を襲撃するテロリストのように見えるかもしれない。包囲された貧しい市民は、どこかで骨抜きにされて、名前を書くことをするりと奪われる。
恐ろしかった。ただ、ただ恐ろしい。福岡事務所で日中、木曜日に作っていた書類の続き仕事をしていると、文章の推敲中に玄関の扉一枚隔てた道路でグワーッ とスピーカーでやられると、本当にバカヤローッてなる。美辞麗句をマシンガンのように撃ちまくっては、走り去って行く。こんな奴の名前に怒った日にゃ、絶 対入れねーッとなるのだが、困ったことに全員がこんな運動をしているのだろうから(思案し、わきまえている候補者の方が事実いるのかもしれないが)、結局 は程度や印象、たまたま自分が出くわさなかったかどうかになってしまう。テレビか何かで公開討論会を数発やってもらったほうが良い。朝生みたいにしてくれ い。潜在意識に潜り込もうと、大音量で襲いにくる正義と鼓舞して宣伝する暴力だけはマジ勘弁だ。

いろんなスタンスの話をして、夕刻、味噌蔵関連でお世話になった梅村さんをお誘いして、布袋の+ギャラリーへ行った。
あちらとこちらから、ステレオで「明るく住み良いまちづくりを」と聴こえてきて、虚しく共鳴していた。
韓国人作家の、イ・ヨンベク氏の個展。「天使-戦士」。優雅さと狂気性が理知的にミックスされているように思えた。ドキリともするが、サイバースペースへの疑心は無いのだろうかとも感じた。
天上界が夢のようなところだと、考えていないのかもしれない。僕自身の固定概念が邪魔をしているのか。
そこでアーティストはほくそ笑んでいるのだろうか。

土曜日, 4月 15, 2006

デッドスペースの消去は、デッドライフの消去と同意だ

ヌオリャーッ!と掃除三昧。

例えば、物を買ったときに「こんなもの買わなければ良かったな」ということがあるように、物を捨てたときに「こんなもの捨てれば良かったな or 捨てなければ良かったな」などがあるのだろうと思ったらラクになった。
人は失敗するんだい。
こんなもの捨てれば良かったという物で、この部屋は埋めつくされていたようだ。
どんどん廃棄段階のスイッチを切り上げていく。
もっともっともっと、捨てなければ!
これで当分、中途半端なフィギュアやおもちゃの類は買わないようになるだろう。
プラモデルは、作ってしまえば魅力的だが、作らなければただのゴミ屑に見えるのが厄介だ。そんなにうまくもないのに買うから、異様に時間がかかってしまう。
塗装が億劫だ。やはり僕は、立体ものに弱い。

掃除の後で、22号線沿いの長崎ちゃんぽんを食べに行った。行列ができるだけのことはある。美味しくてお腹いっぱいになるのだ!

http://www.chanponya.co.jp/

金曜日, 4月 14, 2006

だから彼はミッキーのTシャツを着ている

「朝起きて、五分も経たずに、崎元さん」

という俳句が出来てしまった朝だった。福岡事務所近くの豆腐料理専門レストランにて、味噌蔵でお世話になっている崎元さんとお食事。しかし、明け方仕事のこともあって寝坊気味の為、頭優れず。これは逆に直感的になれていいんじゃなかろうかと悪あがき。
今後の味噌蔵での展開などについて、視野などをお聞きする。
豪快にチャチャッと場が進められた。

終わって、福岡氏との話も終わって、部屋に帰ったら、部屋の荷物が少し整理されていた。猫の鬱たちが、頑張ってくれていた。
「十年、二十年足らずの世代論などぶつより・・」と歌った早川善夫の声を思い出して、口ずさむ。
さあ、部屋の掃除の本格的な再開だ。
とにかくファミコン類のソフトとハードを、プラスチックの衣装ケースに放り込む。細々した箱より、収納能力も高いし、安価だし使いやすい。いま現在よくや るソフトを小出しする小さなケースは、別途、マリオのデザインが施されたものなど、あるからこれを使えば良い。あまり遊ばなかったりするソフトで生活空間 が占められること自体が問題なのだ。今回の掃除では、そのように、僕らが行き来していないデッドスペースである要素を全て無くすことが目的だ。同じように CD も分けよう。問題は、本なのだが。
これは処分するものも少ないし、実に不安だ。
暗中模索しながらも、なんとかまとめあげるようにしたい。

アルバイトに行く前に、実家へ手紙を書いた。
封筒に入れる前に、手紙をまた携帯電話のカメラで撮った。同じ時間に、ミッキーマウスを食べるドラえもんという絵も描いてみた。
このテーマは、比喩だけに留まらない要素を持っていると期待する。だから彼はミッキーのTシャツを着ているわけだ。

木曜日, 4月 13, 2006

病んでいることを自覚する為に、自画像を描く仕事が必要だ

ここは相変わらず酷いぜ。
病んでいるのは子供じゃあない。大人が病んでしまっている。
子供は追随することが本能なのだ。大人は自分のことを棚に上げて子供に接することができない。
児童館での絵画教室を終えて、夜の bnap06 ミーティング前に、福岡事務所へ。東京から帰ってきて以来、はじめてである。先週の展開などの報告と連絡を受ける。それと幾つかの相談と愚痴。良い感じで 「ホウレンソウ」が機能してきていて、歯車はちゃんと回り出した感じだ。
味噌蔵にて、プライドと意志を持ったミーティング。一種即発的な展開も大丈夫だ。歯車が意識して回っている音が聴こえる。大丈夫だ。これは経験していく過 程にあるのだ。ドイツへ渡って、ギャラリーでもないところで作品を展開するという展覧会をするなんて、並大抵のことではない。誰それに指示されたとか、憧 れだけでは出来ない世界であると自負して思う。

「幸せになりたい」という言葉は、愚問ではない。
ただ、その質問を強く念じれば念じるほど、幸せは遠くへ行ってしまうみたいだ。
会議後、再度福岡事務所にて、決定事項を基に作業続行。チラシや、助成申請の書類作成など、明け方まで及んだ。途中、福岡シェフによる猪の肉を戴く。美味しい。
荒川さん、真坂氏が頑張って取り組む横で、先に眠ってしまった。面目ナッシング。

水曜日, 4月 12, 2006

自信の最後の文字は「ん」だけど、自信は続くことができる言葉なんだ

昨日から必死になって考えていた方法を、岩倉の教室で実践したら、とにかく見事にうまく活き活きと良い絵を描いたものだから、僕は感動して嬉しくなって飛び跳ねました。
頑張って、とにかく見て描くことが大切だと、大人がこうも全身で感動していることを伝えなければならない。
髪の毛を描いているときは、ここを描いているんだよと指を指し、わざと変な顔に描いて泣かしてしまった場合は、はじめから絵を描こうと大人が指し示すべきだ。
子供をただ、拘束させて保留したいという目的ならば、子供に絵を描かせるべきではないだろう。
僕はこれらを周囲の方に話し、当の担当者らにも訴えた。
本気で言葉を語り続ける限り、僕のことはないがしろにされないであろうと思った。
ただ、このときにも僕の言葉は明解ではっきりと分りやすくなければいけない。
こんなに、回りくどいと評されるブログを書いていてはいけないわけだ。

帰って、お腹が空いていたので、冷凍庫の鮭を解凍して、チャーハンに混ぜて食べた。
一昨日に書いた詩に対して、漫画が描かれていた。無印良品の藁半紙雑誌ノートに、猫の鬱のデッサンと、こちらを見ている人の顔の絵の後に。しりとりのようにあった。
本日、時が来たと、部屋の掃除を開始する。
漫画を読んで、僕はよく覚えておこうと思った。

火曜日, 4月 11, 2006

大人が喜ぶ絵を描いて下さいと子供に言っている画家に怒りを覚えた

今月は、とある児童館にて絵画教室の出張仕事がある。本日はその初仕事なので、緊張しつつ早く向かう。いつもの岩倉教室は、人数が少ないし、僕自身が教室内容を決めていくから、随分やりやすい恵まれた環境であることを思い知った。
小学一年生の子が、友達と向き合って互いの顔を描くときに、あらかじめ絵の先生という大人が、その子の描こうとする友達の顔の輪郭線を先に引いてあげておいたら、一体何が起こるのだろうか。
ゾッとして、怒りを覚える。
僕は絶対にそれはしないので、自分の方法論を指し示さなければいけない。
これはプロでいれるかどうかの戦いだ。
その方法ばかりを、児童館仕事の後に続くアルバイト中も考えていた。
ただ、児童館で頑張って働いていた若い女の子の先生には、理解されているのではないかと希望を託しながら。模索が途絶えることはなかった。
とても展開の良いことに、明日は岩倉で教室の日だ。すぐに実践し、方法論を養うことができる案配だ。
これは恵まれた勉強の機会だと思った。
4Bの鉛筆を握り、紙を前にした子供は、創造の世界に解放されて、自己の厳しい感覚と向き合う。それをしむけ続けてやれば、自ずと良い絵が描かれるはずだ。

月曜日, 4月 10, 2006

27th

名古屋駅のあんぱん屋さんは、午前六時に開店しなかった。お腹が空いたけれど、眠気のほうが勝るので、とにかく帰って横になる。
グースピ眠って、正午にはアルバイトを、午後九時まで。こころなしか、北名古屋市の人々は穏やかに見えた。うひゃあ~と、適度相当に消耗して、帰宅する。
部屋に散乱した物を奇麗にまとめてくれて下さった。
猫の鬱は、元気に御飯を食べ過ぎて戻していた。抱き上げると、軽くなっていた。寂しかったのだろう。いつになくスリスリしてくる。

僕が詩を朗読するのは、詩をクールなものにしないため。
詩を優しくするためだ。
君はやさしく、素敵だ。
素敵だからやさしかったり、君であったり、それは声に出せば順序が見えることだと思う。

自分で何故、こんなことを言ったのだろうと言った。
初夏の意識について、
渡り廊下の上で
間違ったことを話したのだ。
自分にとっては正しく、
あなたにとっては、息も出来ないようなことを
猫が眠っている。
初夏の意識について、
誰も質問できない。

ブログばかり書いていると、詩がおろそかになるという指摘は正しかった。
ブログは文章で、詩ではないつもりだ。
詩も書けばいいのだ。
実に簡単で明解なことだ。
そうすれば、デリカシーも少しは自覚されて、質問も創造的なものになるだろう。

東京、梅島のセブンイレブンで、松田さんに買ってもらったビックリマンを、名古屋に帰ってきてから食べた。新しいシリーズのようだ。こちらには無いのかな。

日曜日, 4月 09, 2006

表現を巡る言葉は、こうして新章を迎えます

コンビニで売られていた食玩に、326っぽい言葉が書いてあるのを見た。

「奇麗だから好きなんじゃなくて、好きだから奇麗なんだね。いま、気付いた。」

だって、ヤバイなこれ。若者言葉の意味ではなく、通常の意味で、良くないと思う。これは危険だ。思い込みの、安心する為の言葉だ。定義することで、感覚を ねじ伏せる圧迫行為。いや、人間はそれを繰り返す。その狭間で悶え苦しむものだ。その矛盾こそが詩。僕が詩人であるのは、詩が作りたいからであって、そう 呼ぶ為であるからにはなりたくない。
そう葛藤する。僕は明らかに、昨晩のハンサム食堂での会話を受けて、落ち込んでいた。
がつん!とやられていた。そこからなんとか戦おうともがき抵抗する言葉は、理詰めの要素を持ち過ぎていた。
いまは谷川俊太郎の「詩を書く」だけが、それをマッサージしてくれていた。
己の葛藤が詩人の姿であった。それは過去形ではなく、永遠の現在形として語られていた。

松田さんと、梅島の駅の改札で別れた。握手をして、僕は今度、谷川俊太郎と寺山修司の「ビデオ・レター」のダビングを送りますよと話した。名古屋の「書肆 孤島」から、ブルーマヨネーズの折に、お借りしたものだった。いまにして思えば、それは僕らへの意志ではなかったかと思い巡らすものである。

東京最終日の今日は、遅めの時刻に高円寺駅で待ち合わせ。ねじめ正一の「高円寺純情商店街」(1992)だ!と興奮する。でも、ねじめ民芸店は別の町にあ るみたいだった。レコード屋に、古着屋、古本屋、古道具屋に、グロテスクなお店、風俗店にうどん屋さん。様々な商店がひしめきあって、でも新宿などのよう に節操無いわけではなく、礼儀正しく賑わっていた。ああ、ここが原風景なのだろうなと思い浮かべる。
「週刊本26 咲いたわ咲いたわ男でござる」(著,ねじめ正一/朝日出版社/1985)を購入。こんな雑誌があったとは!野球のユニフォームや、パジャマ、フンドシ姿で詩の朗読パフォーマンスをしている写真も数点有り。面白くて元気が出てくる。

そして、東京駅で僕らは時間をうまく潰すことができなかったけれども、最後の晩餐のようなものを駅構内のピザ屋で囲むことができた。
ワインのひとつも頼まずに、僕らは言葉を丁寧に使って会話をした。 また深夜バスに乗り込む。帰りは、東京駅からのみしか出ていない。
人生が幾つかの章に別れているとしたなら。僕は高校のときから友人がよくそんなことを呟いていたものだから、モロに影響を受けてそうなったのだが、この帰りのバスの中で、僕はその章と章の間を自覚した。
君の目は真っ直ぐ、輝いていた。
僕は、後悔や反省よりも、多くの出来事を力に変えうる思考に勤しんでいた。
東京より、数十名の田舎者が収容され、田舎者と呼ばれるレッテルから解放されると共に帰還の途に着いていた。この町は人々を一気に飲み込み、胃袋の中でぐちゃぐちゃにして、ペッと吐き出す。人はたくさんたくさん死んでいくだろうと思う。
僕は、藤井氏の為に詩を描きたくなり、それは東京に住み喘ぐ人々の為であり、つまりは僕の為であった。
その詩の出だしを、うまく思いついたはずだと覚えているが、内容は忘れた。
ただ、僕はいろんなことを語ろうとするが、なんとか簡単な誰にでも分る言葉で語りたいと考えている。内容を単純化したり、レベルを落としたり変更するわけではなく、表現する言葉を変えることに努めるのである。

バスの出発前、駅のトイレから出て、待ちぼうけをしているときに、壁面にフジカラーの広告があった。大胆にも、ジョンとヨーコの写真を多用配置し「PHOTO IS」とうたっている。
なんだか安全牌のようにされてしまっている感が拭えないが、携帯電話のカメラで僕は撮影をした。広告はガラスパネルにはめ込まれていたから、僕の足が映ってしまっている。

土曜日, 4月 08, 2006

ロードムービー、テーマは詩

新宿歌舞伎町、朝。まだ夜が続いているような、邪悪な朝なり。
日本人どうしならば、会釈もすれ違うことも可能だと、激しい極地の町ではあるが、異国ではないと肩を撫で下ろす。空気の悪いこの部屋は、常に地下であった。陽の光は降り注がない。人々は生き延びる為だけに何らかのエネルギー源を求めて、歩き回っていた。
疲弊そろそろ口にしながら、吉祥寺をぶらつく。雨がぱらついてきたので、井の頭公園の前にある喫茶店に入った。猫が店内にもうろついている素敵なお店。 ホットレモン飲む。雨が止んでから、公園にて猫を追いかける。フニャッと可愛い。うっちゃんまんは、北名古屋でお元気かしら。福岡氏らに御飯をお願いして いた。ありがたいニャあ。

西荻窪へ移動し、お昼に「夢飯」というお店でオムライスを、がっつり食べて、櫻井さんという方が行っているオイリュトミーのダンスワークショップを見学させて頂いた。シュタイナー学派から展開された、身体の調整法や表現についてである。
静かな光が降り注ぐ会議室にて、真っ直ぐ伸びた身体が動く。
それはそれ以上でも以下でもなく、身体であるが、言葉でつべこべ言うことではなかった。詩は矛盾の葛藤であり、清いことを嫌ったりしてしまうのだと思考を反芻した。

ハンサム食堂というお店で、お酒も御一緒させて頂く。ビジュアルから逃げることはできるが、身体は逃げることができないという言葉や、怖い詩人であれとい う言葉が、丁寧な言葉で、はっきりとグサリとくる。胸を熱くし、頭を垂れた。詩人は言葉を理詰めで構成するのではなく、言葉を感覚と論理が相矛盾する境界 に立たせ、自身から遠く離れた宇宙にやらなければいけないのだった。
僕は、今回の東京にパラサイトしたようにしながらも、いろんな人に会いに行こうとしていたから、途中で別地に向かう。握手をし、店を出た。
見送ってくれた君を、逆にまた見送り返し、ひとり電車を乗り継いだ。 一気に、葛飾など下町の方向へ渡る。北千住乗り換え、梅島駅へ。
ブルーマヨネーズで、東京でよく朗読をしていた地だ。駅すぐ近くの、ライブハウス「yukotopia」に着く。予定時刻を大幅に遅れてしまったが、同じ く目的のライブ自体も遅れていた。2000年のマヨネズムのときに、名古屋に滞在して関わり合った、松田さんがドラムを叩いていたのだ。ha-za-ma というインプロビゼーションのライヴ。六、七年前にここで多く朗読をしたことを思い出し、感慨深くなる。
厳しい意識と、楽しい思い出のこと。これらが僕を推し進めてくれることを疑わない。
抽象性の高い音楽の傍らで、ライヴペインティングが行われていた。僕は、松田さんのお家に今晩ご厄介になることとなり、ライヴ後も、ゆっくり焼酎だなんだ と呑ませて頂いた。ライヴペインティングをしていたアーティストの方ともお話をした。ha-za-ma のボスで、yukotopia のボスであるロクさんから、こんなものが出てるんだよと「東京 Reading Press」というフリーペーパーを見せてもらう。朗読を括りに、都内のイベント情報が載っているというものだった。詩の朗読に限らないので、アナウンス や読み聞かせのようなものまであった。横目で見つつ、いろいろ話した。大小関係なく、詩人には常に企てが必要だと思う。
ロクさんと握手をした。今度は、ポエトリー・リーディングの日を調べて来よう。
コンビニでお酒やつまみを買って、松田さんの部屋で呑んだ。
自然と、マヨネズムの話や、彼女の話などになった。
名古屋で呑んだくれていた頃のように、ガンダムやウルトラマンの話になり、僕はタロウが五番目の兄弟だと強く主張して譲らなかった。だけど、ウルトラマン百科は積み上げられた本の一番下の段ボールに入っていたので、調べることはできなかった。
「DANCING古事記」(立松和平、麿赤児、山下洋輔/貞練結社/1995)という CDと本がセットになった、所謂 CDブックというやつを何じゃこりゃと、聴く。一曲目には、1969年の早稲田大学でのものというアジテーションが録音されていた。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/juuji/
http://www.xxxhandsome.com
http://www.tokyoreadingpress.com/
http://www.yukotopia.jp/
http://www.tsurugashima.or.jp/ika8/matsuda.htm

金曜日, 4月 07, 2006

聖地巡礼と藤井氏の努力

阿佐ヶ谷の朝。東京とは思えぬ、心優しき風景に包まれて歩く。昨夜はブランコをこいで話した。これからのこと、ないがしろにできぬこと。君は言葉を丁寧に使っていた。
僕は前を見て、東京に来るときにバスの中であったことを思い出す。

バスは、新入社員風のスーツ姿の男性らが前部の席に、後部の席にギャルが指定されて固められていた。僕は前部にいたが、私服は一人で浮いており、疲労し きった彼らに囲まれ、後部から聞こえてくる五月蝿いギャルトークに呆れていた。安い価格のこのバスには、一人一人の座席に、充分にくつろげるスペースが確 保されていない。男達は無理な体勢で無理矢理眠っていた。僕は、いろいろなことを考えながら寝ようとしたが、うまくはいかず疲れるだけだった。そのうちに 高速に入ると、完全に消灯が行われる。ギャル達も一応は静まり、バスの前に取り付けられたカラオケ用のブラウン管には、座席がうっすらと浮かび上がった。 この意図的な座席指定故か、ぽっかりと無意味に空いた誰も座っていない空席を僕は発見してしまう。ひょいと移ってしまえれば、横で苦しそうに窓のほうを向 いて眠っている彼も、随分ラクになるだろう。しかし夜間の走行中に飛び移るのには気が引ける。しかしだからと言って、うじうじしていると、誰かに取られそ うだ。
サービスエリアに止まって行われた休憩で、バスの車内に戻ってきた時に、僕は自分のペットボトルを掴み、何食わぬ顔でやってみせた。
実際のところ、一人で横に二人分の席を手に入れたところで、前の方向に空間が無いので、膝が当たって苦しいのだが、それよりもやってのけたことに自分で満足してしまった。今回の東京で、何かいろんなものがうまくいくであろうという実感を思った。
暗闇を突っ切るバスの、くたびれたサスペンションがキコキコ鳴り響く車内で、誰にも見られずに、一人拳を握って、僕はガッツポーズをしてみせた。
バスは何も言わない。
バスはただ、この新宿西口に着く間だけ、僕に何の淡い期待も与えてくれなかった。
ただ、この座席に座ることができた自分の行為だけが、僕にうんと言わせるのであった。

阿佐ヶ谷の朝。ベーグルのパン屋さんに行った。とても美味しい。
本屋さんを覗いて、駅名を調べる。夜のプレゼンテーション会までは時間があるから、いままで行きたかった町に行こうということに。 池袋から西武池袋線に乗り継いで、椎名町という駅へ。ここは小学生のときから憧れていた聖地だ。あの藤子不二雄の名作「まんが道」(1970~1985)で描かれる「トキワ荘」があった町である!
下調べ不十分ながら、駅を降りて歩くと、いまにも満賀と才野がズボンの裾をまくりあげて下駄で出てきそうな空気が流れているではないか。駅前の公園にて、 桜の下のベンチに座る。さっき阿佐ヶ谷のベーグル屋で買っておいたベーグルを頬張る。レーズンの生地にブルーベリーチーズのクリームが絶妙だった。ミルク ジャムが入ったパンもすごく美味しい。気分が良くなって、興奮して、公園で遊ぶ子犬や子供にばいばいをして歩く。トキワ荘みたいなアパートがたくさんあっ て、感涙の風景が続く。この町並みにて、あんなことやこんなことがあったんだなァと。そこで首尾良く、トキワ荘跡や目的地に辿り着ければ良かったのだが、 やはり良く分らない。何より、場所さえ分らないのだ。漫画で見覚えのあるような交番にて、尋ねてみるが、追い返される始末。次第に、道も寒くなり、彼女も イライラ風。ああ、シマッタ。参った、これは僕が間違っていた。ちゃんと下調べをしておかなきゃ、駄目に決まってる。ふてくされたままで、駅に戻る。踏ん 切りがつかないので、漫画喫茶に入ることにした。
偶然、キャンペーン中で、トランプチャンスなるものを、夜はクラブで踊っていそうなお姉さんが生真面目にやってくれた。すると、彼女はハートのエースを引 き、お菓子と30分無料券を三枚も進呈されたではないか。これはここも無料になっちゃうぜ~と、機嫌を取り戻し、ネットでそそくさとトキワ荘の住所や案内 を調べる。
げげげ!するとなんと、さっき追い返された交番のすぐ近くではないか!
酷ぇ!と、怒り、行こうと急かし、時間が無いけれども、ここまで来たんだから見たいとまた来た道を駆け抜ける。
満賀や才野も、こうやって急いだことが幾度とあったことだろう。

NTT の建物の前が、そこであった。聖地巡礼は、呆気なく前にあった。少し前の資料には、赤塚不二夫の看板があったとか、駐車場になっているとあったが、現在そこには、建て売り建築による会社が建てられていた。何の石碑も無い。
こんなにもちっぽけな空間で、あの名作やドラマが生まれ、漫画家達が育まれたのか。手塚治虫が移り住んだという高級アパート「並木ハウス」と同じく「第二並木ハウス」というアパートも界隈に見かけた。こんな距離感覚で、彼らは まんが道を歩き、暮らしていたのか。
いまは頭が真っ白となり、君に写真を撮ってもらうだけ。
そして、聖地巡礼の証、まだ現存するラーメン屋「松葉」にて、ラーメンを食べる。
心の中で「ンマーイ」と言う。
450円、ラーメン。ンマーイ。藤子Aと鈴木伸一氏と松葉の店員さんらの記念写真。模黒福造とサイン、2002年とあった。テレビでは民主党党首選の演説が唱えられている。管氏と小沢氏。ラーメンの味は変わらない。おじいさんが、ぷるぷると持ってきてくれた。
ありがとう。嬉しい。最高だ。

さあ、それから銀座に移動し、藤井氏の努力が結晶される。
ギャラリーG8。なんだか、幻の Macintosh の名前みたいだ。プレゼンテーション会は公開で、僕は観覧席に予約しておいたので、並んで座る。
審査員に、 石内都氏、後藤繁雄氏、小林紀晴氏、平木収氏。
多くの一喜一憂。審査とは判断であり、多くの判断は意志であった。
意志を貫くそれぞれのプレゼンテーションと討論には、手に汗握り、全てに頷きはしないが、成る程なと疑問符を抱えてそれを見届けた。
続いて、オープニングパーティ。入選者と審査員だけでの懇親会。東京は終わる時間を知らない。文字通り、眠らないのだろう。
銀座のママさん、サラリーマンお見送り行き交う、テレビで見るような日常であろう風景を横目にしながら、居場所無くうろつき、最後はビルにもたれて本を読んでいた。「詩を書く」(著,谷川俊太郎/詩の森文庫/2006)。
零時過ぎに、帰るという連絡があり、とても充実した時間を持てたようだったから、良かったねと手を握った。

http://www.tokyo-kurenaidan.com/tokiwaso1.htm

木曜日, 4月 06, 2006

バスを降りたら、そこは東京だったパシャリ

冷気がふくらむ、ブルーの早朝。新宿西口。安バス勢が到着し、田舎者達を排出していく。数十名の人間が、このゴミ捨て場のような町に投下された。バスのト ランクルームから、着替えや荷物一式を入れたリュックがアスファルトの上に置かれる。それが全てを暗示していると自覚するのが嫌で、礼を言っては担ぎ込 み、漫画喫茶に迷わず入る。高速回線を用いて、昨日分のブログを書いたり、メールチェック。
先に東京に到着している、かの君と連絡を取り合い、西口前で落ち合うことに。

数日ぶりに会い、数日ぶりに話した。なんとか元気そうで、間髪入れずにサイゼリヤで朝食を摂った。消毒薬の匂いがドリンクバーを中心に立ちこめている店内だった。
今回の東京行きの背中を押したのは、君が入選した展覧会。
そのプレゼンテーション会は、明日の夜にある。
今日は、一日激励会だ。頭が眠さを自覚する前に歩く。
「マッシモ!マッシモ!」
「ハッピーマニア」(著,安野モヨコ/祥伝社/1996-2001)のカヨちゃんの真似で、朝の新宿を闊歩する。みんな見て見ぬふりだ。
そして、洪水のようにあらゆるものが降り注ぐホームに着いて・・・。

恵比寿にある東京都写真現代美術館で企画展「私のいる場所」を見る。アンニ・エミリア・レッパラ、ジャン=ポール・ブロヘスに惹かれた。
陽に当たりながらタコスを昼食にする。町を見下ろした後は、ヘレン・ファン・ミーネという写真家の個展。それからG8ギャラリーで行われている「ひとつぼ展」を見る。写真展の梯子だ。
いささか疲れて、地下の喫茶店でコーヒーを飲む。彼女の友人らは、気さくに話してくれた。東京では、言葉を交わせる人がいると、無条件にまず善人であるように思える。

http://www.syabi.com/
http://www.hellenvanmeene.com/
http://www.recruit.co.jp/GG/exhibition/2006/gg_0604.html

水曜日, 4月 05, 2006

執拗描写

ワイドショーにて。幼児突き落としの犯人が、仕事で書いていたネット上の日記で、現実の自分とはかけ離れた理想の自分や家族像ばかり書いていたと、心理学者を持ち出して非難していた。
作業の傍らに、それを見てギョッとする。
自分もそんなもんだし、だいたい、ネット上の日記なんてそんなもんじゃないかと思ったからだ。
誰が、好き好んで、自分の見たくもない恥部を公にさらすだろうか。
ありのままの葛藤のように書いていたとしても、言葉は諦めるためのものではなく、理想を求める動きを持っている。言葉を綴るということは、そういうこと で、たとえネット上でなくても、理想を持っていない日記は無いと思う。もっとも、犯人が実娘が負った交通事故の模様を執拗に描写している点などは、潜在的 な理想が含まれていると考えてしかりだが。
誰しもが、多く該当してしまうことだから、これにアレルギーを持つと何も書けなくなってしまう。

「ぼ、僕は駄目人間だーっ!」と叫んだところで、既にそれは救いを求めるパフォーマンス。
ネット時代以前に起こった「だめ連」を思い出す。

絵画教室に、ぼろぼろの野球グローブ持ち込んで、本日は鉛筆デッサン。後にパステル等で着色。なかなか、鉛筆のみで質感や色味などを描くところの意識まで持っていけず、はがゆい。同じく古びた野球ボール前にして、球体のデッサンも少し行う。ちょっと欲張りすぎたか。
言葉遊びのように、お下品な単語の連発はやし歌がこだまする。何とも小学生らしくて、嬉しくなっちゃう。

寄り道ひとつせず、帰宅し、大急ぎで作品資料まとめる。プリントアウト。猫の鬱のトイレ掃除。最後の最後で、バックパックよりシャツを一着取り出す。軽量化に勤める。立ち上がると、鬱が爪を突き出して足に飛びかかってくるので、めちゃくちゃ痛い。
夜、九時半頃、玄関を出て、出発。
執拗な描写を持って、あらゆるものが渦巻く東京へ。狭苦しい安バスの座席にて、言葉のことなどを執拗に考えようとする。少ししたら、腰が痛くなってしまった。

火曜日, 4月 04, 2006

授かり物第二弾

僕宛にとメモが残された荷物の連絡を受けて、友人の家へ向かう。部屋には、大量のポストイットと雑誌、衣服類が散乱していた。段ボールに詰められたファミ コンカセットとディスクカード、そしてツインファミコン!こいつは、嬉しい授かり物第二弾である。大事にして堪能していこう。ゴクリと唾を飲み込んで、家 へ持ち帰る。

空腹に耐えられなくなり、カップヌードルそっくりの「スープヌードル」(日清/2006-)を食してしまった。いけないと思いつつも、これでちゃっかり一 瞬でも空腹の騒ぎが収まるのだから恐ろしい。全くうまくできている。癖になるような濃い味つけに、スチロールの容器から、いけないものが染み出ているのだ ろうと想像しながらも惹き付けられ、ズルズルと飲んでしまう。中毒性のある何かが入れてあるはずだ。段違いに濃い味つけは、舌の基準値を吊り上げて、それ でないと満足できないようにするのではないかと思う。
匂いにつられて、猫の鬱もやってきた。これはイカンと立ち上がり、台所のシンクにザバッと流す。手軽なこと限り無し。これをインスタントと呼ぶ。

バイト後の深夜テレビにて、書道家 武田双雲 という方が紹介されていた。映画やドラマのロゴなども多く書いており、パフォーマンス活動なども高く評価されているという。三十代と、若い。
インタビューで「書いているときは、点と線のバランスしか考えていません。言葉の仕事はしていませんね。」と答えていたのが興味深かった。多くの考えるところが含まれている。一般的な、書道は言葉だという概念に一石を投じるコメントだと思う。

今夜は、僕宛にとされた荷物を横目に、明後日からの上京に必要な荷物をまとめる。
ポストイットは、ブロックひとつ入れておく。

http://www.fudemojiya.com/futaba-mori/souun.htm

月曜日, 4月 03, 2006

村田ひろゆき先生、復活新連載の春 ~ブログは詩についての覚え書き~

嘘のように寒い気候は去ってくれて、おそらく昨日の雨を境に、暖かくなってきた。東京で行われている、悪い事と良い事についてが羅列される。電話口では、 逆に名古屋の外れを思う声がしていた。そういう意味で、北名古屋市という言葉はダイレクトだ。名簿に書かれた自分の住所を見ていると、別人のように思え る。ゴミ袋もまだ、もとの町の名前のものが使えるんだから、余計に認めたくなくなってくる。人生の上で、いろんな制限や条件がそうさせると誰もが言うよう に、町や社会にもそんなものがあり、生き延びる道を模索しているのだった。一般的にそれは大人の仕事とされ、時間の余剰のなかで生を謳歌するのは子供の仕 事だと思う。ただ、生き延びる道ばかりが強調される昨今では、子供の領域は相当に縮小されてきて息苦しい。

アルバイトの面接に、面接官側が遅れてきたことがある。携帯電話ひとつ繋がらなかったからと言って、契約をオジャンにしてきたことがある。
最近の子供たちが開発した身体遊びは「死んだふりごっこ」。それが一番うまく生き延びる道であることを彼らは見抜いている。汗水たらした、生きているごっ こは、手面倒だ。「野球も美術も興味ない、それぞれの領域を壊さないようにして、うまくやりくりしていくんでしょ?」と聞こえる。実は、味噌蔵でもそれが 多く行われ、人は制限と条件を妬む期間を持っていたのだと考える。
「開けゴマ」と唱えれば終わるのではないみたいだと、匂わせたい。
子供の領域の再獲得を大人でありながら行うことが、今月の僕の仕事である。
入社式の報道を見て思う。彼らは帰道のコンビニで、復活新連載の「好色哀歌 元バレーボーイズ」(村田ひろゆき/2006-)を読んだだろうか。

書き出してみれば、それは詩に向かいつつあった。
器用なようでいて、実は僕は詩しか書けないのであった。
ならば、完全に詩ではないものを目指そうとする力と、詩であるものを目指す力を、綱引きさせてちぎれる箇所や瞬間を、見極めることを求める。

http://www.yanmaga.kodansha.co.jp/ym/top.html

日曜日, 4月 02, 2006

It's the private show about the art.

作品とは何か?、その命題に真っ向から向き合うことは必要だった。
言わば、うまくはぐらかす自分が少なからずは存在していた。
目の前に作り出したものが、作品であるのは事実。求めるもの、向上したいもの、言葉の仕様を正式にしなければならない。
楽しいことと、厳しいことの共存は難問だが、必須条件だと感じる。

bnap06「site scenes」に、出品希望の作家らによる内覧展が、味噌蔵にて昨日、今日と行われた。
蔵の壁面へのフロッタージュ、再構成の絵画展開。蔵の柱を紙で包み、構造を意識させる作品。そして作品とは何か?を問う作品。三者三様。
差し入れの焼きたてパンをぱくぱく。アーティストトークの途中、とんでもない土砂降り。
終了後、皆で喫茶店に行ってくつろいで、福岡食堂で創作ドイツ料理をつつきながらビールを飲んだ。真坂氏も来て、話が広がる。

自分が思っている問題を、物体や行為などの出来事にして表現したものが作品であると思う。「それはどういうことが最適で優れているのか?=作品とは何か?」という葛藤そのものを、整理して思考していくことは必要だろう。
何度も同じことを言い回して、雑魚寝をしてしまった。

土曜日, 4月 01, 2006

パワフルスプリング

携帯電話にてEメールを送信。

なかなかたいへんそう、しかしこの仕事で対面する考察は非常に興味深い。面白くできるかどうかは常に自分次第。パワフルな展開を求められてきた。

携帯電話によってEメールを受信。

間髪入れずにバイトタイム。

猫が寝返りを打っている写真を撮って送ろうとするが、僕が帰ってくるまで寝貯めしておいたみたいで、活動期に入り、落ちついてくれない。
依然、鼻がヒクつく。意識しだすと余計に花粉症になると、加山雄三が音楽番組で言っていたので、若大将ばりに豪快に忘れることにする。

テレビにて哀しいドキュメント。秋葉原のメイドに集うオタク達や、大阪の日雇い労働者だけの貧しい街の姿。路上で凍死する老人が後を絶たないという。ここ は日本か?!という事実。いや、脚色かもしれない。ともかく何の結論や、問題提起をすることなく、悲惨なものを悲惨に流したまま番組は終わった。途中の BGM に「誰も知らない」のゴンチチが使われていた。思わせぶりなだけの印象だった。

福岡氏より、電話で bnap06 の事務連絡を受けたあと、カメラをテレビに向けて仕事をはじめる。
作品、「言葉で願う夜」(2005)の、作品記録写真の再撮影だ。