月曜日, 4月 03, 2006

村田ひろゆき先生、復活新連載の春 ~ブログは詩についての覚え書き~

嘘のように寒い気候は去ってくれて、おそらく昨日の雨を境に、暖かくなってきた。東京で行われている、悪い事と良い事についてが羅列される。電話口では、 逆に名古屋の外れを思う声がしていた。そういう意味で、北名古屋市という言葉はダイレクトだ。名簿に書かれた自分の住所を見ていると、別人のように思え る。ゴミ袋もまだ、もとの町の名前のものが使えるんだから、余計に認めたくなくなってくる。人生の上で、いろんな制限や条件がそうさせると誰もが言うよう に、町や社会にもそんなものがあり、生き延びる道を模索しているのだった。一般的にそれは大人の仕事とされ、時間の余剰のなかで生を謳歌するのは子供の仕 事だと思う。ただ、生き延びる道ばかりが強調される昨今では、子供の領域は相当に縮小されてきて息苦しい。

アルバイトの面接に、面接官側が遅れてきたことがある。携帯電話ひとつ繋がらなかったからと言って、契約をオジャンにしてきたことがある。
最近の子供たちが開発した身体遊びは「死んだふりごっこ」。それが一番うまく生き延びる道であることを彼らは見抜いている。汗水たらした、生きているごっ こは、手面倒だ。「野球も美術も興味ない、それぞれの領域を壊さないようにして、うまくやりくりしていくんでしょ?」と聞こえる。実は、味噌蔵でもそれが 多く行われ、人は制限と条件を妬む期間を持っていたのだと考える。
「開けゴマ」と唱えれば終わるのではないみたいだと、匂わせたい。
子供の領域の再獲得を大人でありながら行うことが、今月の僕の仕事である。
入社式の報道を見て思う。彼らは帰道のコンビニで、復活新連載の「好色哀歌 元バレーボーイズ」(村田ひろゆき/2006-)を読んだだろうか。

書き出してみれば、それは詩に向かいつつあった。
器用なようでいて、実は僕は詩しか書けないのであった。
ならば、完全に詩ではないものを目指そうとする力と、詩であるものを目指す力を、綱引きさせてちぎれる箇所や瞬間を、見極めることを求める。

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