水曜日, 4月 12, 2006

自信の最後の文字は「ん」だけど、自信は続くことができる言葉なんだ

昨日から必死になって考えていた方法を、岩倉の教室で実践したら、とにかく見事にうまく活き活きと良い絵を描いたものだから、僕は感動して嬉しくなって飛び跳ねました。
頑張って、とにかく見て描くことが大切だと、大人がこうも全身で感動していることを伝えなければならない。
髪の毛を描いているときは、ここを描いているんだよと指を指し、わざと変な顔に描いて泣かしてしまった場合は、はじめから絵を描こうと大人が指し示すべきだ。
子供をただ、拘束させて保留したいという目的ならば、子供に絵を描かせるべきではないだろう。
僕はこれらを周囲の方に話し、当の担当者らにも訴えた。
本気で言葉を語り続ける限り、僕のことはないがしろにされないであろうと思った。
ただ、このときにも僕の言葉は明解ではっきりと分りやすくなければいけない。
こんなに、回りくどいと評されるブログを書いていてはいけないわけだ。

帰って、お腹が空いていたので、冷凍庫の鮭を解凍して、チャーハンに混ぜて食べた。
一昨日に書いた詩に対して、漫画が描かれていた。無印良品の藁半紙雑誌ノートに、猫の鬱のデッサンと、こちらを見ている人の顔の絵の後に。しりとりのようにあった。
本日、時が来たと、部屋の掃除を開始する。
漫画を読んで、僕はよく覚えておこうと思った。