金曜日, 4月 07, 2006

聖地巡礼と藤井氏の努力

阿佐ヶ谷の朝。東京とは思えぬ、心優しき風景に包まれて歩く。昨夜はブランコをこいで話した。これからのこと、ないがしろにできぬこと。君は言葉を丁寧に使っていた。
僕は前を見て、東京に来るときにバスの中であったことを思い出す。

バスは、新入社員風のスーツ姿の男性らが前部の席に、後部の席にギャルが指定されて固められていた。僕は前部にいたが、私服は一人で浮いており、疲労し きった彼らに囲まれ、後部から聞こえてくる五月蝿いギャルトークに呆れていた。安い価格のこのバスには、一人一人の座席に、充分にくつろげるスペースが確 保されていない。男達は無理な体勢で無理矢理眠っていた。僕は、いろいろなことを考えながら寝ようとしたが、うまくはいかず疲れるだけだった。そのうちに 高速に入ると、完全に消灯が行われる。ギャル達も一応は静まり、バスの前に取り付けられたカラオケ用のブラウン管には、座席がうっすらと浮かび上がった。 この意図的な座席指定故か、ぽっかりと無意味に空いた誰も座っていない空席を僕は発見してしまう。ひょいと移ってしまえれば、横で苦しそうに窓のほうを向 いて眠っている彼も、随分ラクになるだろう。しかし夜間の走行中に飛び移るのには気が引ける。しかしだからと言って、うじうじしていると、誰かに取られそ うだ。
サービスエリアに止まって行われた休憩で、バスの車内に戻ってきた時に、僕は自分のペットボトルを掴み、何食わぬ顔でやってみせた。
実際のところ、一人で横に二人分の席を手に入れたところで、前の方向に空間が無いので、膝が当たって苦しいのだが、それよりもやってのけたことに自分で満足してしまった。今回の東京で、何かいろんなものがうまくいくであろうという実感を思った。
暗闇を突っ切るバスの、くたびれたサスペンションがキコキコ鳴り響く車内で、誰にも見られずに、一人拳を握って、僕はガッツポーズをしてみせた。
バスは何も言わない。
バスはただ、この新宿西口に着く間だけ、僕に何の淡い期待も与えてくれなかった。
ただ、この座席に座ることができた自分の行為だけが、僕にうんと言わせるのであった。

阿佐ヶ谷の朝。ベーグルのパン屋さんに行った。とても美味しい。
本屋さんを覗いて、駅名を調べる。夜のプレゼンテーション会までは時間があるから、いままで行きたかった町に行こうということに。 池袋から西武池袋線に乗り継いで、椎名町という駅へ。ここは小学生のときから憧れていた聖地だ。あの藤子不二雄の名作「まんが道」(1970~1985)で描かれる「トキワ荘」があった町である!
下調べ不十分ながら、駅を降りて歩くと、いまにも満賀と才野がズボンの裾をまくりあげて下駄で出てきそうな空気が流れているではないか。駅前の公園にて、 桜の下のベンチに座る。さっき阿佐ヶ谷のベーグル屋で買っておいたベーグルを頬張る。レーズンの生地にブルーベリーチーズのクリームが絶妙だった。ミルク ジャムが入ったパンもすごく美味しい。気分が良くなって、興奮して、公園で遊ぶ子犬や子供にばいばいをして歩く。トキワ荘みたいなアパートがたくさんあっ て、感涙の風景が続く。この町並みにて、あんなことやこんなことがあったんだなァと。そこで首尾良く、トキワ荘跡や目的地に辿り着ければ良かったのだが、 やはり良く分らない。何より、場所さえ分らないのだ。漫画で見覚えのあるような交番にて、尋ねてみるが、追い返される始末。次第に、道も寒くなり、彼女も イライラ風。ああ、シマッタ。参った、これは僕が間違っていた。ちゃんと下調べをしておかなきゃ、駄目に決まってる。ふてくされたままで、駅に戻る。踏ん 切りがつかないので、漫画喫茶に入ることにした。
偶然、キャンペーン中で、トランプチャンスなるものを、夜はクラブで踊っていそうなお姉さんが生真面目にやってくれた。すると、彼女はハートのエースを引 き、お菓子と30分無料券を三枚も進呈されたではないか。これはここも無料になっちゃうぜ~と、機嫌を取り戻し、ネットでそそくさとトキワ荘の住所や案内 を調べる。
げげげ!するとなんと、さっき追い返された交番のすぐ近くではないか!
酷ぇ!と、怒り、行こうと急かし、時間が無いけれども、ここまで来たんだから見たいとまた来た道を駆け抜ける。
満賀や才野も、こうやって急いだことが幾度とあったことだろう。

NTT の建物の前が、そこであった。聖地巡礼は、呆気なく前にあった。少し前の資料には、赤塚不二夫の看板があったとか、駐車場になっているとあったが、現在そこには、建て売り建築による会社が建てられていた。何の石碑も無い。
こんなにもちっぽけな空間で、あの名作やドラマが生まれ、漫画家達が育まれたのか。手塚治虫が移り住んだという高級アパート「並木ハウス」と同じく「第二並木ハウス」というアパートも界隈に見かけた。こんな距離感覚で、彼らは まんが道を歩き、暮らしていたのか。
いまは頭が真っ白となり、君に写真を撮ってもらうだけ。
そして、聖地巡礼の証、まだ現存するラーメン屋「松葉」にて、ラーメンを食べる。
心の中で「ンマーイ」と言う。
450円、ラーメン。ンマーイ。藤子Aと鈴木伸一氏と松葉の店員さんらの記念写真。模黒福造とサイン、2002年とあった。テレビでは民主党党首選の演説が唱えられている。管氏と小沢氏。ラーメンの味は変わらない。おじいさんが、ぷるぷると持ってきてくれた。
ありがとう。嬉しい。最高だ。

さあ、それから銀座に移動し、藤井氏の努力が結晶される。
ギャラリーG8。なんだか、幻の Macintosh の名前みたいだ。プレゼンテーション会は公開で、僕は観覧席に予約しておいたので、並んで座る。
審査員に、 石内都氏、後藤繁雄氏、小林紀晴氏、平木収氏。
多くの一喜一憂。審査とは判断であり、多くの判断は意志であった。
意志を貫くそれぞれのプレゼンテーションと討論には、手に汗握り、全てに頷きはしないが、成る程なと疑問符を抱えてそれを見届けた。
続いて、オープニングパーティ。入選者と審査員だけでの懇親会。東京は終わる時間を知らない。文字通り、眠らないのだろう。
銀座のママさん、サラリーマンお見送り行き交う、テレビで見るような日常であろう風景を横目にしながら、居場所無くうろつき、最後はビルにもたれて本を読んでいた。「詩を書く」(著,谷川俊太郎/詩の森文庫/2006)。
零時過ぎに、帰るという連絡があり、とても充実した時間を持てたようだったから、良かったねと手を握った。

http://www.tokyo-kurenaidan.com/tokiwaso1.htm