日曜日, 4月 09, 2006

表現を巡る言葉は、こうして新章を迎えます

コンビニで売られていた食玩に、326っぽい言葉が書いてあるのを見た。

「奇麗だから好きなんじゃなくて、好きだから奇麗なんだね。いま、気付いた。」

だって、ヤバイなこれ。若者言葉の意味ではなく、通常の意味で、良くないと思う。これは危険だ。思い込みの、安心する為の言葉だ。定義することで、感覚を ねじ伏せる圧迫行為。いや、人間はそれを繰り返す。その狭間で悶え苦しむものだ。その矛盾こそが詩。僕が詩人であるのは、詩が作りたいからであって、そう 呼ぶ為であるからにはなりたくない。
そう葛藤する。僕は明らかに、昨晩のハンサム食堂での会話を受けて、落ち込んでいた。
がつん!とやられていた。そこからなんとか戦おうともがき抵抗する言葉は、理詰めの要素を持ち過ぎていた。
いまは谷川俊太郎の「詩を書く」だけが、それをマッサージしてくれていた。
己の葛藤が詩人の姿であった。それは過去形ではなく、永遠の現在形として語られていた。

松田さんと、梅島の駅の改札で別れた。握手をして、僕は今度、谷川俊太郎と寺山修司の「ビデオ・レター」のダビングを送りますよと話した。名古屋の「書肆 孤島」から、ブルーマヨネーズの折に、お借りしたものだった。いまにして思えば、それは僕らへの意志ではなかったかと思い巡らすものである。

東京最終日の今日は、遅めの時刻に高円寺駅で待ち合わせ。ねじめ正一の「高円寺純情商店街」(1992)だ!と興奮する。でも、ねじめ民芸店は別の町にあ るみたいだった。レコード屋に、古着屋、古本屋、古道具屋に、グロテスクなお店、風俗店にうどん屋さん。様々な商店がひしめきあって、でも新宿などのよう に節操無いわけではなく、礼儀正しく賑わっていた。ああ、ここが原風景なのだろうなと思い浮かべる。
「週刊本26 咲いたわ咲いたわ男でござる」(著,ねじめ正一/朝日出版社/1985)を購入。こんな雑誌があったとは!野球のユニフォームや、パジャマ、フンドシ姿で詩の朗読パフォーマンスをしている写真も数点有り。面白くて元気が出てくる。

そして、東京駅で僕らは時間をうまく潰すことができなかったけれども、最後の晩餐のようなものを駅構内のピザ屋で囲むことができた。
ワインのひとつも頼まずに、僕らは言葉を丁寧に使って会話をした。 また深夜バスに乗り込む。帰りは、東京駅からのみしか出ていない。
人生が幾つかの章に別れているとしたなら。僕は高校のときから友人がよくそんなことを呟いていたものだから、モロに影響を受けてそうなったのだが、この帰りのバスの中で、僕はその章と章の間を自覚した。
君の目は真っ直ぐ、輝いていた。
僕は、後悔や反省よりも、多くの出来事を力に変えうる思考に勤しんでいた。
東京より、数十名の田舎者が収容され、田舎者と呼ばれるレッテルから解放されると共に帰還の途に着いていた。この町は人々を一気に飲み込み、胃袋の中でぐちゃぐちゃにして、ペッと吐き出す。人はたくさんたくさん死んでいくだろうと思う。
僕は、藤井氏の為に詩を描きたくなり、それは東京に住み喘ぐ人々の為であり、つまりは僕の為であった。
その詩の出だしを、うまく思いついたはずだと覚えているが、内容は忘れた。
ただ、僕はいろんなことを語ろうとするが、なんとか簡単な誰にでも分る言葉で語りたいと考えている。内容を単純化したり、レベルを落としたり変更するわけではなく、表現する言葉を変えることに努めるのである。

バスの出発前、駅のトイレから出て、待ちぼうけをしているときに、壁面にフジカラーの広告があった。大胆にも、ジョンとヨーコの写真を多用配置し「PHOTO IS」とうたっている。
なんだか安全牌のようにされてしまっている感が拭えないが、携帯電話のカメラで僕は撮影をした。広告はガラスパネルにはめ込まれていたから、僕の足が映ってしまっている。